狸喰うモノ牛愛でるモノ

虐待放置、インチキ優先のやり方を信用出来るわけねーだろ

お茶会主義について

2010-07-06 12:40:16 | Weblog
経験の
上に成り立つ
常識は
建ったが最後
まず換わらない

社会に出て最初に就いた場所が弁当屋のパートでした。
キャベツを切ったりご飯を炊いたりトレーに盛ったりといった内容の仕事。
ほどなく退職勧告されました。
理由はご飯の炊き方の相違、対面販売をビビッてたこと、
作業中の口数の少なさが陰気とされたことなどがその理由らしい。

サラリーマンになる前にやっていたのが建築資材の運搬業。
運搬と言ってもトラックに乗るわけではなく、
その荷台から降ろして作業現場まで運んだりする仕事。
他には職人さんの作業補助なんかもやったり。
短期間であちこちの現場のいろんな工程を見る事が出来るわけです。
例えばショッピングセンターの床だと平らに仕上がったコンクリートに
職人さんたちが接着剤を塗って、手早く一枚一枚床材を敷き詰めていく。 
で出来上がったのを建築の顧客とか消防の人とかが見に来て完成と。
その後にインテリアコーディネーターだかがなんか物並べたり
やり直し指示したりでお店が出来て、
マヌカンだかが場所が悪いと言いながら品揃えが悪いと言っている
茶飲み客らに洋服売ったりするわけですな。

さてお茶会主義について。
女性の午後のお茶会主義は、男性の夜の飲み会主義と対比すると
社会的な位置づけが浮き彫りになると。
雑感で書くと、
・お茶会主義者は女性中で絶対安定多数派だが
 飲み会主義者は男性中で少数は転落もままある
・飲み会主義行動が労働時間に侵食する事はタブー視されるが
 お茶会主義行動はその限りではない
・専業飲み会者は学生、老人を除いて男性中まれだが
 専業お茶会者は女性中に一定割合存在する
こんなところ。

こういう現状に対し、お茶会主義が女性の第一標準であると見なす、
ここで試しにそういう政治を提示してみたわけだ。

暴論ではある。
お茶会主義一般視と女性のホワイトカラー偏重、雇用均等とが合わさると
そこから導き出される結論は「茶飲みに金出せ」という事になってしまう。

お茶会主義の第一標準化が社会的に承認されると
ホワイトカラーとして働く女性は各現場から現場の判断で、
お茶会主義者ではない事の証明を求められる事になるだろう。
ではお茶会主義者ではない事の証明とはどのようなものか。
労働教練参加のようなものだろうか。
作業服と安全靴を支給され、人口密集地から離れた場所に宿泊、
二列縦隊行進に始まり危険予知テスト、土木作業、建築作業、
工作機械操作やエンジン整備などをする。

で思うんだが、これっていいんじゃね?
多数派の幸福という点ではお茶会主義の承認は妥当だろう。
それなら市場労働者として働きたいという女性が
労働者としての意思を証明するほうがコストが少なくて済みそうだと。

さて問題を出す。
飲み会主義者の証明とはどういったものになるのだろうか。
コメント
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