狸喰うモノ牛愛でるモノ

虐待放置、インチキ優先のやり方を信用出来るわけねーだろ

隠蔽のコストについて

2010-06-25 06:43:51 | Weblog
浮気した
後の始末が
延々と
育って増える
身内の他人

ある人が浮気をしたとする。
その結果、浮気相手との間に子供が出来たと。
本来のパートナーに対してその人は、そのことを隠し通そうとすると。
そのコストはどれくらいか。

隠蔽のコストは証拠の隠滅とアリバイ工作の労力である。
そりゃ間違いだろう。
隠蔽者になるということは逃避や粉飾を良しとしない人たち、
つまりまっとうに生きている人たちすべてが潜在的な敵となる。
そういうコストを支払わざるを得なくなる、そっちの方がはるかに大きい。
だが身近な人たちが隠蔽者だったりする人はこの損失の大きさに気付けない。
ふとした瞬間に気付けても、それを忘れる努力を始め、続け、
そしてその努力はさほど時間をかけることなく実る。
いずれにせようそつきの世界に生きる人たちは自分でそこを選んだ。
幼少のころか大人になってからか、人生のどこかで。

結論は、身近な人がどうあれ浮気も麻薬も一回もしないのがベストであり
その手の浮ついた文化を避けて通るのは知恵だろう。
親や友人がどっちの世界に居ようと、そういう生き方を選ぶことは出来る。
次にマシなのが隠蔽を諦める生き方、
一番おろかなのが隠し通そうとする生き方。
隠すことに成功したとしても、その人は良心の世界に入れなくなる。
本人は自分を成功者だと思ってそちらへ進むわけだが
私の目に映るそれは脱落者だ。
もっとも、隠蔽者が権力を握っている世界では
正直な生き方には困難が伴うわけなのだが。

さて問題だ。
浮気や麻薬を文化と称して固定化させようとしている権力者は
どこにいるのだろうか。
コメント (1)
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