狸喰うモノ牛愛でるモノ

虐待放置、インチキ優先のやり方を信用出来るわけねーだろ

スラムについて

2010-06-11 07:23:36 | Weblog
住む所
何処にでもあり
近隣に
気心知れた
人が欲しいか

終電が近づき安売りが始まった。
客たちはそのままでいい言い続け、
店は無くなった。

さてスラムについて。
スラム、と度々書いてきた。
貧民街であり、住みたくない場所。
基本に返ってみよう、スラムとは何か。

都市に人口が流入する。
農村で余った人手が都市に向かう。
職が都市にあるから。
しかし都市で募集された職数以上の人が集まる。
結果、失業者然となった人たちがスラムの生活者となる。

こう考えてみる。
金持ちがウンコする。
金持ちのウンコを片付けるために市民が雇われる。
市民がウンコする。
市民のウンコを片付けるために貧民が雇われる。
貧民がウンコする。
貧民のウンコのために人が雇われることなく、それはそのままになる。
そこがスラム。
スラムは格差である、と人は言う。
実際どの程度そう言われているのかは知らないが、とりあえずそう書く。

だが自分たちで自分たちのウンコを片付けている場所は
下町と呼ばれることはあってもスラムとは呼ばれない。
ここから出る結論は、スラムとは文化である。
他人にウンコを片付けさせる、そういう文化の結果として出現する。
それを社会福祉と呼ぶのかもしれない。

ウンコの話をした。
逆を考えよう。
飯である。

食料は農村で作られる。 まあ、概ね。
農村で作った食料を都市に運ぶ。
ここが変だ。
スラムは都市にある。 住人は農村育ちだったりもする。
農村で育った人が都市に行き農村で作られた食料を運ばせて食べている。
非効率。
これはなんだろう。

こう考えてみる。
高級商品を金持ちが消費する。
人気商品を市民が消費する。
残飯を貧民が消費する。

貧民が農村で消費したとしてもどのみち残飯価格。
ならば人気商品になるかもしれない都市に運んだ方が、金になる。
鮮度が落ちても燃料を消費しても利益が出る。

都市に住むと色々なものが食べられると宣伝する。
都市の住居は快適だと宣伝する。
実際に都市に行く貧民を待っているのはウンコ掃除と残飯漁り。
それをリベラルと呼ぶのかもしれない。

さて最後に金持ちが都市に多い理由を考えてみる。
いわゆる運動家などはそれを搾取だと言う。
それはそれでほっとく。
私はこう見る。
たとえば鉛筆を売る。
一本あたり十円の利益が出るとする。
農村で売ると百本売れる。 千円の利益。
都市で売ると一万本売れる。 十万円の利益。
金持ちが出来る理由は、みんなが同じ人から買うからだ、となる。
まあそこに宣伝広告があったりするわけだが。

人口の集中それ自体は良い点が多いと見る。
ようは色鉛筆だ。

さて問題だ。
都市貧民のスラム化を避けるにはどうすれば良いだろうか。
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パレスチナ問題について

2010-06-11 07:16:42 | Weblog
嫌っても
嫌ってもまだ
有り続け
居座る相手
珍しからず

知っている人は意外と多いのかもしれない。
とすると知っているとまでは言い切れないが注目している
という人はかなりの数になるか。

東京に居た。
何人かの人が死んだ場所。
覚えていた人、思い出した人、見て気づいた人が
そこで手を合わせていた。
覚えていろとは誰も言わない。
来て、そして去っていく。
そんな場所。

さてパレスチナ問題について。
最初アラブ人が住んでいてそこにユダヤ人がやってきて、
勝手に国を作ったというのがパレスチナ問題であるとされている。
そういう見方が根強い。
それはそれで歴史上の事実を言い表しているのだろう。
ユダヤ人が来なければよかったと言う。
そこで多くの人と私とで意見が分かれるわけだ。

こういう状況を考えよう。
日本のニートをガザに住まわせる。
大量に。
国連やイスラム諸国がガザを支援するという状況は変わらないとする。
イスラエルは今より平和になる。
ガザも平和になる。
高速インターネット回線さえあればニートたちも幸せ。
荒唐無稽、仮定に過ぎない。
いつまで支援を続けるのかという問題も残る。
だが現在の混乱と仮定される平和の違いはどこにあるのか。

ユダヤ人たちが出て行ったとしよう。
これまた荒唐無稽、でもないか?
平和になるか。
今のところ、否だろう。

内乱になる。
内乱を起こすのは人である。
人が内乱を起こさなければ内乱にはならない。
何故内乱を起こすのか。
理由の一つは正義だ。
正義遊び、と言い換えることも出来る。

ハネッカエリが我こそ正義と叫び、ボートに乗って繰り出す。
結果、人が死ぬ。
それで平和賞かめでてぇな。

イスラエルの無いパレスチナの平和。
理論上は有り得る。
現実は政治無し、経済無し、正義と武器はたんまりある。
イスラエルがあった方が人死には少ないだろうと書く。

イスラエルの有るパレスチナの平和。
有り得る。
共存すればいい。
政治変革の人的時間的距離は無い平和よりもはるかに近い。
正義遊びを止めてその分の労力を政治と経済に割り振ればいい。
ただそれだけのこと。
それが出来るようになった時、イスラエルが無くとも内乱は起きない、
と言えるようになるのだが。

イスラエルの有る平和になったとする、
でその後イスラエルが消えることは有り得るか。
そりゃいくらでも。
国なんて風化するものだ。

さて問題だ。
夜中に警官が家にやってきたとする。
どう対応するべきか。
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