どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

雪かきで知るーこのクソジジイ~~!から雪解け水に流すまで

2018年01月23日 | 日記
我が家は駅に続く大通りから道を曲がり さらに横道に入ったところにある

本来なら自分の家の前あたりをやれば良いのだが 我が家から道に出るまでの間にある家の人は 色々な理由から雪かきはしないとわかっている

10時頃 ハス向かいの家の奥さんと私が雪かきを始めたら お向かいの奥さんが出かけるところで 今日は用事があってできないと謝るので お互い様ですからと言って送った

横長の家だった我が家が半分売ってしまったこともあって 雪の捨て場には困るようになった

他の家々も我が家と似たような間口に加えて 我が家には無い車の出入りの場所も空けるとなると 本当に置き場は僅かになってしまう


前の家の奥さんが出かけると間もなく 私たちの会話を耳にしたせいだろうか その家のご主人がスコップを持って出てきた

何よこれ と心の中では思った

できなくてもよい しなくてもよい 誰かがするし 誰もしなければそれも仕方が無い 私はそう思っている

私はできるし したいからしている

おそらくご主人は70歳は過ぎていると思うし やるならもっと早く やるつもりが無いならやらなくても良いと思っていたら 少しやっただけですぐに家に入ってしまった

まあいいやと私は家の前の道をやっつけ 一緒にやっていた奥さんは自分の家の前が綺麗になったのを見て終わりにしたけれど 私はさらに大通りに出る道もやり始めた


ふと見ると さっきのご主人がスコップを持ってまた何やらやっている

もうそこは終わっているのに何をしているのかと思ったら 誰もいなくなったのを幸いに 自分の家と隣の家の堺あたりに置いてあった雪の塊からすくって 我が家の隣の工事中の家の前にせっせと移動させているではないの

確かに今日は工事は中止で職人も居ないけれど 雪が完全に融けるまででは無いだろう

そこには車だって置くこともあるし 第一 それなら最初の段階からあなたがそこに捨てれば良かったではないか

新築中の家の前の雪だって その入口をはずすようにしながらもその敷地に捨てさせてもらっているのだ

私なんぞは 家の庭の日当たりのよい場所まで運んで捨てたくらいだ

それに言いたくないが 家の北側に道のある我が家や隣の家よりも 南側に道路がある向かいの家の雪のほうがずっと早く融ける

ひとがいなくなったのを見計らって 自分の家の分の雪を他人の家に捨てるなんて いい年をしてなんてやつなんだ

むかむかして言ってやりたくなったが やめた


考えた

まず私の家のことではない

相手には今まで もともとあまり良い感情を抱いたことが無い

あの年齢だし 言ったところでこの先何がどう変わるわけでもない

何が残るかといえば お互いにあんたは嫌いだという感情をあらわにしただけ

不毛だ

そう思って やめた

心の中では このクソジジイ~~~と言っちゃったけど

ああ神よ 私のこの小人の魂を赦したまえ


道を歩く人の中には 感謝やねぎらいの言葉をかけてくれる人もいる

そうして欲しいとかそれが嬉しいとかではなくて 自分も自然にそうした言葉が言える人になりたいなと思った

雪かきをしていたご近所の高齢の男性(どこの家の人かはわかる)と少し立ち話になり どちらの方ですかと訊かれたので そこの○○だと名乗ると いつもお世話になってと言われてしまった

私は何もしていない 本当にしていないのに

両親が生きていた頃は同じ町会だから 互いに知った顔だっただろうが(代は違うかもしれない) それでもこうしたちゃんとした人もいるのだと思って わが魂を浄化させることにした


ラジオでひとつのメールが読まれた

通勤の朝 バス通りを誰かが雪かきをしてくれている そのことをありがたいと思うようなメールだったが 番組の司会者が 誰かがやってくれていると気がつくことが大事だと言っていた

やる方は当たり前に行動し それを見た人はありがとうと思うこと

これは雪かきに限ったことではない

日々の生活の中で 家族でも職場の仲間でも友人でも見知らぬ人であっても 誰がやっても良いことを 誰の義務でも責任でもないことを 誰かがやってくれている

ありがとう どういたしまして お互い様

嫌な人のことは 雪解け水にさっと流した


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする