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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



さて、出雲大社(かつては杵築大社)の祭神は大国主神で、天照大神の子の天穂日命(アメノホヒノミコト)を祖とする出雲国造家が祭祀を担ってきていて、現在の宮司は84代国造(こくそう)の千家尊祐氏です。

ところで出雲国造家は南北朝時代の1343年、55代出雲国造「孝宗」の弟「貞孝」が別家を立て、「孝宗」系の千家と「貞孝」系の北島家の二流となり、出雲大社の祭事は幕末まで両家が二分して行っていましたが、明治以降から現在までは千家家が執り行っています。

千家、北島家は、それぞれ大国主大神を主祭神とする宗教団体として出雲大社教(千家系)、出雲教(北島家系)を主宰していますが、千家が北島家を圧倒しているようです。・・・出雲大社の西隣が千家国造館と神楽殿

大注連縄のあることで知られる神楽殿は、千家(出雲大社教)の拝殿で、中で結婚式を挙げることができ、昨年10月5日には三笠宮家との婚儀もここで挙式しています。・・・神楽殿

ところで、もともと神の月という意味の当て字、神無月(かむなづき=神の山という意味の神奈備山かむなびやまと同じ)が、文字通りの神無し月と解釈されるようになった経緯を紹介しましょう。

平安末期、藤原北家魚名流の藤原清輔(1107〜1177年)が歌学の「奥義抄」(1144年頃成立)で、出雲と神無月の関係を文学的に表したことがその始まりと考えられています。・・・出雲大社の東隣にある北島国造館

それ以降、文学と歴史が混同され、神無月(旧暦10月11日 - 17日)には全国から出雲大社に八百万の神々が集まり、出雲の神在月としてここで神議が行われるという説が広まったようです。・・・北島国造館の門

藤原清輔が神無月という言葉を使いはじめる以前には、出雲での神在月というものも無かったのです。・・・出雲教の拝殿

藤原清輔の解釈から871年、今ではすっかり定着していて、出雲大社には全国から集まる神の社(東西の十九社)まで存在しています。・・・摂社の命主社とムクノキの巨木



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