千一夜第2章第450夜 渚の想い出3サザエ編

2011-11-05 22:47:47 | 釣行回顧録

2011.10.5(土)

今夜は昭和の終わり頃の話である。今から23~4年前の渚の想い出である。

サザエ拾いの夏の想い出であるが、笠戸島に反田(たんだ)という所がある。笠戸ドックの手前から山越えをして光市側の海岸に出た所であるが、この山越えが怖くて辛いのである。一番怖いのはハミという毒蛇が出ることであるが、この蛇は先頭を歩く人は襲わない。まず、先頭の人で身構えて2番手、3番手の人に襲い掛かる。大抵は木の枝に巻きついていたり、ぶら下がっているので、歩く時に特に注意が必要である。真夏であるが、帽子は無論のこと、手袋を嵌め、首にはタオルを巻き、厚手の服を着、ジーパンなどの厚手のズボンを履き、長靴着用である。真夏でも暑いなどとは言っておられないのである。

当時、私は渉外マンをやっていて色んなお得意様のところに出入りしていた。その中の1人で、外見はとても厳つくてちょっと怖い人に見える呉服屋のTさんという方(本当はとても優しいおじさん)に、笠戸島にサザエを獲りに行こうと誘われた。「潜るのですか?」と問うと、「いや、岩を起こして拾うだけだ」と言われる。そんなに簡単にサザエが獲れる訳が無いと疑いの眼差しを向けると、「ちょっと山越えをせんにゃあいけんから、えらいど-」と言われる。まあそうだろうな、サザエが簡単に獲れる場所に簡単に行ける訳が無い。それに「ハミが出るから冬の装備で行くどー」と言われる。ちょっと躊躇したが、サザエの魅力には勝てない。二つ返事で行きますと答える。

出発当日はTさんと笠戸島に住んでおられるKさんと3人で出掛けた。Kさんも私が担当ではないがお得意様だった。どうやらこのKさんが情報の発信源らしかった。TさんとKさんは昨年も一緒に行ってサザエを沢山獲ったとのことである。山越えの麓までは車で行ける。山に入ると半分以上は上り坂、冬の装備で登山用のリュックの中にバケツを入れて背負い、両手は空けている。坂が急で危ないので手荷物は持たない。まさしく登山と同じ要領である。

暑さは最高潮であるが、ハミが出るとの先入観もあり緊張した山登りとなる。日頃の運動不足もあり、上り坂は肩で息をし腿が痛くて仕方なかった。頂上に着いた時にはハミのことも忘れているくらい疲労困憊していた。だが、下り坂では足が笑ってガクガクなった。海の匂いと潮騒の音が聞こえてきた時にはほっとした気分になった。山を下りきった辺りに民家が2軒ある。こちらの海岸にはその民家以外何も無い。どうしてこんな所に民家があるのか、今もって不思議である。

民家の前が反田という海岸である。ゴロタ石の海岸で所々に大きな岩もある。こんな普通の何の変哲も無い海岸にサザエが居るの?という感じである。重装備の服を脱ぎ捨てて海パン一丁とスニーカー姿になる。何と気持ち良いことか。とにかく直ぐに海水に浸かる。

大潮の干潮1時間前に着いたので始めるには丁度良い時間である。TさんKさんのアドバイスの通り、水際の少し赤茶けた大きな岩を起こしてみる。な、な、な、な、何と、拳大のでっかいサザエが群れているではないか。ウハウハである。山越えの疲れも何処へやら、リュックに背負ってきたバケツに取り込む。1岩あたり多くて10個程度獲れる。小さいサザエは保護のため獲らないので、持参したバケツは直ぐに一杯になり、今度はサザエ用の網にも詰め込む。実はサザエだけでなく、草鞋大のアワビも数個獲れたのである。この時ばかりは感動したなあ。

帰り道は同じルートを引き返すわけであるが、その壮絶たる道程は想像にお任せいたします。その後数年間はサザエ拾いに行ったが、やがて取れなくなり何時しか行かなくなった。その頃にはまた別の場所でサザエ獲りをしていた。笠戸島へ釣行する時、時々この車置き場の前を通るのだが、今もあの山道は健在かなあと思う。20数年ぶりに行ってみるかな。一人じゃとても行く勇気が無いが・・・。

【11月5日過去の釣行記録】
・2005年伊予灘ハンドウ島周り、船釣り、07:00~13:00、中潮、釣果=タイ6・エソ1・アジ2
・2005年庄の浦港、16:30~22:30、中潮、釣果=3人でメバル5・アジ10・キス2・アナゴ1
・2006年華西防波堤、18:10~22:50、大潮、釣果=太刀魚11
・2008年晴海埠頭、18:30~20:00、小潮、釣果=メバル2・アジ19・アナゴ1

【この日の釣り情報】
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コメント (4)
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