三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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世界史における1910年

2010年11月22日 | 会議
 きょう(11月22日)、ソウルで開かれた「第7回民族宗教協議会国際学術大会」で報告しました。
 国際学術大会の名称は、「庚戌國恥100周年国際学術シンポジウム」で、主題は「庚戌國恥と東北アジア平和の再建」で、わたしに与えられた小主題は「庚戌國恥と日本」です。
 ほかの報告者は、朴成寿さん(小主題、「庚戌國恥と韓国」)、申廈さん(小主題、「庚戌國恥と世界」)、宋成有さん(中国人。小主題、「庚戌國恥と中国」)です。

 わたしは、「世界史における1910年」という題で報告しましたが、はじめに、
     日本は、1896年から国民国家を形成しはじめた。
     国民国家日本の歴史は、他地域・他国侵略の歴史であり、「国恥」の歴史であ
    った。
     日本が大韓帝国を併合した1910年(庚戌年)は、加害国家日本の「国恥年」
    だが、被害国家韓国の「国恥年」ではない。
と述べ、そのことを前提として、国民国家日本の「韓国併合」は、アイヌモシリ植民地化を起点とするそれまでの国民国家日本の侵略犯罪の帰結であり、アジア太平洋戦争を経過して現在にいたる新たな国家犯罪の起点であることを、いくらか具体的に分析し、最後に、国民国家日本の「国恥の歴史」を克服する道として、つぎのように話しました。
 
 国民国家日本の歴史は、他地域・他国侵略の歴史であり、「国恥の歴史」でした。
 帝国主義諸国は、相互に植民地支配権をあらそって戦争することもありましたが、おおくの場合は相互に他の帝国主義国の植民地支配を承認し支持してきました。
 帝国主義諸国の歴史は、「国恥の歴史」でした。
 侵略諸国家・侵略諸民族による他地域・他国侵略の時代は、被侵略諸国家・被侵略諸民族の抵抗の時代でした。
この時代は、終わっていません。
 21世紀になっても、日本の他地域・他国侵略の歴史は終わっていません。アイヌモシリやウルマネシアに対する日本の植民地支配はいまも続けられています。
 国民国家日本の領土拡大と、天皇制の維持・強化は相互に関係しあっています。天皇制を維持していることは、侵略の構造を維持していることです。天皇制温存は、日本民衆がいまだ植民地支配を否定していない証拠です。
 歴史認識深化の過程は、絶えざる歴史意識変革の過程です。
 国民国家日本は、帝国主義諸国の同意・承認がなければ、台湾を植民地化することはできませんでした。
 国民国家日本は、1905年7月29日の「桂・タフト覚書」、8月12日の「第2次日英同盟」を前提としなければ、11月17日に韓国政府の5大臣に「保護条約」に調印させ、大韓帝国を日本の「保護国」(植民地)とすることはできませんでした。
 大韓帝国植民地化という国民国家日本の侵略犯罪は、1910年を世界史のなかで把握することによって、その歴史的本質を明らかにすることができるのだと思います。
 本日、1910年の100年後に、わたしは、日本民衆のひとりとして、国民国家日本の侵略の構造を破壊するアジア民衆の共同の運動である第7回民族宗教協議会国際学術大会に参加させていただいたことを感謝します。
                                       佐藤正人
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