三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

日本の高校歴史教科書における東アジア古代史叙述 4

2008年06月22日 | 会議
四、東アジア古代史記述の根本問題――国家・民族・領土――
 近現代史の時代は、国民国家の形成の時代であり、古代は、国家と民族の形成の時代である。原始時代には、国家も民族も形成されていなかった。
 科学的に歴史を叙述するためには、国家・民族・国家権力・領土にかんする基本理論を構築していなければならない。
 この基本理論を確立しようとせず、国家概念や民族規定をあいまいにしたまま、恣意的におこなわれる国家史や民族史についての歴史叙述は、無意味であるだけでなく、誤ったものとならざるを得ない。
 たとえば、日本のナショナリストが執筆した中学社会教科書『新しい歴史教科書』(2005年3月30日検定通過、扶桑社)では、「神話」を根拠にして太古に日本国家が形成されていたかのような叙述がなされている。
 
 近現代における国民国家と古代の国家とは、国家の概念が異なる。近現代における国民国家概念を古代の国家概念とを同一化し、近現代の国民国家の領土を古代国家の領土と重ね合わせて一国史を叙述することは、ナショナリズムを扇動することであり、歴史家がおこなってはならないことである。
 国家概念、民族規定を明確にしておかなければ、近現代史はもちろん、古代史を科学的に客観的に叙述することはできない。
 たとえば、高句麗史を叙述する場合には、その前提として、この時代の東アジア全地域における諸国家・諸民族の実態とともに、国家概念と民族規定を明確にしておかなければならない。
 国家も民族も歴史的に形成されてきたものであって、東アジアにおいても、古代から一貫して、現在の中国国家、モンゴル国家、朝鮮国家、日本国家が実在していたのではない。また、近現代のすべての国家は、多民族国家なのであって、近現代のすべての国家の歴史は、単一の民族の歴史とは同一ではない。

 国民国家における自国史教育は、ナショナリズムと無縁ではありえない。
 特に、国民国家形成を他地域・他国侵略によって開始し、継続的な他地域・他国侵略によって国家建設をすすめてきた侵略国家日本においては、自国史教育は、他地域・他国侵略の歴史事実を明らかにし、それを否定するものでない限り、日本ナショナリズムを扇動する教育となる。
 国民国家中国の一国史もまた、その前史である明・清時代の他地域・他国侵略の歴史を肯定するイデオロギーと無縁ではない。東北工程は、そのようなイデオロギーを前提としている。

 東アジア古代史は、東アジアにおける国家と民族の形成期の歴史であるが、その国家と民族は、国民国家形成期である近現代史における国家と民族とは、同質ではない。また、東アジア古代における諸国家の領土は、近現代における諸国家の領土とは同一ではない。
 東アジア古代における諸国家で生活する人びとの人種も多様であり、言語も多様であった。東アジア古代の諸国家も多民族国家であった。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日本の高校歴史教科書におけ... | トップ | 日本の高校歴史教科書におけ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

会議」カテゴリの最新記事