石原産業は、フィリピンのパナイ島でアンチケ銅山のほかにカピス州ビラ郡ビラ町にあるビラカピス銅山の資源も略奪していました。アンチケ銅山鉱山長であった山崎英雄氏がまとめた『石原産業株式会社比島勤務者記録』に、ビラカピス銅山にいた須藤貞雄氏の「比島ビラ-カピス鉱山の休山退去の状況」が掲載されています。そこで、須藤氏は、つぎのように述べています。
佐藤正人
フィリピンの日本軍にとつて狙撃の上手な現地ゲリラ隊は厄介な存在であつた。
1944年には各地に於いてゲリラ討伐が行われていたが、戦局は連合軍に制空権をほぼ握られ、巧妙なゲリラ
隊の行動をおさえることが出来ず、鉱石の輸送も途絶えがちの状況であつた。1944年秋頃にはその間隙をねら
つて南方に出撃する日本軍の飛行機編隊が鉱山上空を通過するのを拍手で見送り無事を祈つていたが、帰還す
る機影がみられず、何となく不安な念を禁じ得なかつた状況が続いた(原文は「元号」使用)。
現地警備隊の無線交信は軍と会社が共通に使用されていたが電波妨害が屡々あり又カピス近くの入江には
米軍の潜水艦基地があるとの情報もあり、無線は傍受され日本軍の行動は探知されているらしいとの噂もきか
れた。
この様な環境下で10月以降は米軍の来攻に力を得た地元ゲリラ隊が鉱山を包囲し、鉱石搬出道路は遮断さ
れて襲撃態勢をとつているとの情報が入り、事務所宿舎、倉庫など主な建物の周りには丸太、土のおを積んで
銃撃に備え、社員は銃、刀剣を持つて着衣のまま就寝、交替で不寝番に立つて警戒に当つた。
明け方、夕方には襲撃をうけて警備隊の援護下で応戦し、暫くの間、小ぜり合いが続き昼間は交替で警備しな
がら仕事を続けていたが作業は進捗せず、双方対峙したまま数日を過した。
10月中旬過ぎる頃、一時休山の指令をうけて、書類の整理処分、機械類の取りはずし、燃料油はドラム缶ごと
土中に埋め、飲食料、衣類の一部を現地従業員家族に配給などして、いつ狙撃されるかわからない不安と緊張
裡に、ゲリラ隊包囲の中で目立たないように引揚げ準備が進行された。……
或日深夜にゲリラ隊の包囲網が手薄になつたとの情報をつかみ急拠山元を撤退することになり、各自両手に持
てるだけの大きさで身廻品2個ときめ、重要書類と共に2台のトラックに分乗して闇に乗じて退去した。……
漸く海岸線に到着し、全員無事を確認して椰子林の中で迎えに来る予定の船を待つた。……
漸くイロイロ港に入港して全員無事にイロイロ支店に到着した。
同じく休山命令をうけてイロイロに引揚げて来たシパライ鉱山の従業員と共に宿舎に分宿して、イロイロ支店長
の指示に従い」残務整理をしていたが12月の暮も押し迫つた時に在留邦人男子全員が現地召集をうけ、パナ
イ島警備隊に入隊した。
佐藤正人
フィリピンの日本軍にとつて狙撃の上手な現地ゲリラ隊は厄介な存在であつた。
1944年には各地に於いてゲリラ討伐が行われていたが、戦局は連合軍に制空権をほぼ握られ、巧妙なゲリラ
隊の行動をおさえることが出来ず、鉱石の輸送も途絶えがちの状況であつた。1944年秋頃にはその間隙をねら
つて南方に出撃する日本軍の飛行機編隊が鉱山上空を通過するのを拍手で見送り無事を祈つていたが、帰還す
る機影がみられず、何となく不安な念を禁じ得なかつた状況が続いた(原文は「元号」使用)。
現地警備隊の無線交信は軍と会社が共通に使用されていたが電波妨害が屡々あり又カピス近くの入江には
米軍の潜水艦基地があるとの情報もあり、無線は傍受され日本軍の行動は探知されているらしいとの噂もきか
れた。
この様な環境下で10月以降は米軍の来攻に力を得た地元ゲリラ隊が鉱山を包囲し、鉱石搬出道路は遮断さ
れて襲撃態勢をとつているとの情報が入り、事務所宿舎、倉庫など主な建物の周りには丸太、土のおを積んで
銃撃に備え、社員は銃、刀剣を持つて着衣のまま就寝、交替で不寝番に立つて警戒に当つた。
明け方、夕方には襲撃をうけて警備隊の援護下で応戦し、暫くの間、小ぜり合いが続き昼間は交替で警備しな
がら仕事を続けていたが作業は進捗せず、双方対峙したまま数日を過した。
10月中旬過ぎる頃、一時休山の指令をうけて、書類の整理処分、機械類の取りはずし、燃料油はドラム缶ごと
土中に埋め、飲食料、衣類の一部を現地従業員家族に配給などして、いつ狙撃されるかわからない不安と緊張
裡に、ゲリラ隊包囲の中で目立たないように引揚げ準備が進行された。……
或日深夜にゲリラ隊の包囲網が手薄になつたとの情報をつかみ急拠山元を撤退することになり、各自両手に持
てるだけの大きさで身廻品2個ときめ、重要書類と共に2台のトラックに分乗して闇に乗じて退去した。……
漸く海岸線に到着し、全員無事を確認して椰子林の中で迎えに来る予定の船を待つた。……
漸くイロイロ港に入港して全員無事にイロイロ支店に到着した。
同じく休山命令をうけてイロイロに引揚げて来たシパライ鉱山の従業員と共に宿舎に分宿して、イロイロ支店長
の指示に従い」残務整理をしていたが12月の暮も押し迫つた時に在留邦人男子全員が現地召集をうけ、パナ
イ島警備隊に入隊した。