https://jp.yna.co.kr/view/AJP20200623002000882?section=news
「聯合ニュース」 2020.06.25 06:00
■[朝鮮戦争勃発70年]まだ終わらぬ戦争 容易ではない「平和への道」
【ソウル聯合ニュース】今年で朝鮮戦争勃発70年と休戦67年を迎えるが、朝鮮半島では依然「銃声のない戦争」が続いている。
【写真】6月15日にソウル・光化門広場で行われた朝鮮戦争勃発70年の記念美術特別展「光化門アリラン」の除幕式の様子。韓国軍将兵が朝鮮戦争参戦国の国旗を掲げている=(聯合ニュース)
【写真】北朝鮮軍の監視所=(聯合ニュースTV)
【写真】「玄武2」発射の様子(韓国陸軍提供)=(聯合ニュース)
韓国と北朝鮮は「対決の時代」を終え、南北共同声明(1972年)、南北基本合意書(1991年)、南北共同宣言(2000年)、南北首脳宣言(2007年)、板門店宣言(2018年)、平壌共同宣言(同)と幾度となく反戦の機会を設けたが、これらの永続性が保障されず平和への道のりは依然遠くみえる。
朝鮮戦争当事国の韓国と北朝鮮、米国、中国の指導者が終戦と戦争のない朝鮮半島を宣言する「終戦宣言」という壮大な目標への第一歩は踏み出すこともできずにいる。
特に南北の軍当局間で合意した文書のうち実効性がある「安全装置」と評価されている板門店宣言履行のための軍事分野合意書(2018年)を通じ武力衝突の火種を取り除こうとした努力も、今月17日に北朝鮮の朝鮮人民軍総参謀部が同合意書の事実上の破棄を予告したため、水の泡となってしまう危機を迎えている。
北朝鮮軍は開城工業地区と金剛山観光地区に軍部隊を、軍事分野合意書に基づき撤去した非武装地帯(DMZ)の監視所に兵力をそれぞれ再配備し、境界地域で軍事訓練を再開すると予告。和解・協力の象徴である開城の南北共同連絡事務所の爆破に続き、同合意書の無力化に向けた措置を示唆した。
同合意書の破棄で地上と空中の緩衝区域がなくなり、これに伴い互いに敵対心が強まれば結局、南北は南北共同宣言以前の極限の対立時代に回帰することになるとの懸念が高まっている。
極限の対立の時代に回帰した場合、世界で唯一の分断の「火薬庫」と目される朝鮮半島で偶発的な武力衝突とこれによる局地戦、ひいては全面戦争が起きる可能性はさらに高まる。現在、南北の戦力配備の状況をみても、そうした状況は十分予測可能だ。そのため軍事分野合意書のような安全装置が必要だという指摘が出ている。
韓国国防部の国防白書によると、北朝鮮は地上軍と海軍はそれぞれ戦力の70%と60%を平壌~江原道・元山以南に配備している。空軍の戦闘任務機(約810機)の40%は出撃後3~5分で南北軍事境界線(MDL)を越えることができる場所にある。有事の際に多様な戦闘手段を利用し、奇襲的に南下できる特殊戦兵力20万人も主に前線軍団の軽歩兵師団に分散されている。
北朝鮮軍の常備兵力は陸軍約110万人、海軍約6万人、空軍約11万人、戦略軍約1万人など計128万人余りに達する。韓国軍の常備兵力(57万9000人)の2倍に近い。韓国軍は2022年以降は50万人を維持する計画であるため、兵力の差はさらに広がる見通しだ。
韓国軍もDMZ以南と黄海上の軍事境界線にあたる北方限界線(NLL)付近の地域に戦車や自走砲K9など各種戦力を緻密に配備している。有事の際はDMZに迅速に出撃できる場所に戦闘飛行団も配備した。
DMZ内の南北の監視所にも高射銃や機関銃などの重火器が配備され、南北が互いに照準している。NLL一帯の南北の島々や海岸にも海岸砲や短距離ミサイルなどが集中的に配備されている。
DMZ一帯は南北が60年近くにわたり体制の宣伝競争を繰り広げた放送施設が撤去され外観上は静まり返っているが、互いに銃を向けており、いつでも銃声が響く危険性を抱えている。
休戦後、南北は通常兵器の確保競争に熱を上げた。南北の経済力の格差が開き始めてからは北朝鮮が核や中長距離ミサイルの開発に目を向け、その能力は高度化した。
軍当局と情報当局は、北朝鮮が核兵器の製造が可能なプルトニウム50キロ余りを保有していると推測している。一つの核兵器を製造するためには最低4~6キロのプルトニウムが必要で、10個前後を製造できる量だ。これに加え、年間最大40キロの高濃縮ウランを生産できる施設もある。
これまで北朝鮮は準中距離弾道ミサイル(MRBM)、中距離弾道ミサイル(IRBM)、大陸間弾道ミサイル(ICBM)を開発し、多弾頭の新型ICBMも近く公開すると予想される。潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)3基を搭載できる新型潜水艦の進水も間近に迫っている。
任浩永(イム・ホヨン)元韓米連合軍司令部副司令官は、北朝鮮軍が朝鮮戦争を機に連合戦力と戦うという教訓を得たとした上で「通常戦力では連合戦力に太刀打ちできないという教訓に基づき、核とミサイルの開発に集中した」との見解を示した。
韓国も最新鋭ステルス戦闘機F35A、長距離空対地ミサイル「タウルス」を導入し、イージス駆逐艦、玄武(ヒョンム)2系の弾道ミサイルや長距離巡航ミサイル「玄武3」を開発した。
垂直発射管6門と10門をそれぞれ搭載する3450トン級の潜水艦も建造される。北朝鮮のミサイルを探知し破壊するための韓国型ミサイル防衛(KAMD)も構築される。
一方が「矛」を作れば、もう一方が「盾」を作るという悪循環が繰り返されている。軍事専門家たちは今後、サイバー分野での軍備競争がさらに激しくなると指摘する。
任氏は軍備競争の悪循環を断ち、軍事面での信頼を構築するためには南北の兵力と軍事力の縮減が必要だとした上で「今のような、どちらか一方が絶対的優位を占めることができない状況では厳しい」との見方を示した。
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/37051.html
「The Hankyoreh」 2020-06-25 12:46
■韓米、朝鮮戦争70周年共同発表文「同盟の価値を再確認」
【写真】チョン・ギョンドゥ国防部長官(右)とマーク・エスパー米国防長官が2019年8月9日午前、ソウル龍山区の国防部庁舎で開かれた韓米国防長官会談に先立ち、記念写真を撮っている=共同写真取材団//ハンギョレ新聞社
韓国と米国の国防総省が25日、朝鮮戦争70周年共同発表文を出し、同盟の価値と朝鮮半島連合防衛態勢の維持を再確認した。
チョン・ギョンドゥ国防部長官とマーク・エスパー長官はこの日の発表文で、「韓米両国を代表し、自由と民主、繁栄の大韓民国を守るために命を捧げた将兵の犠牲と勇気に深く感謝し、彼らの足跡を称える」と述べた。両長官はまた、「1953年の休戦協定以降、これまで朝鮮半島を守ってきたすべての将兵に敬意を表し、朝鮮半島の恒久的な平和と繁栄を保障するための連合防衛態勢を維持する公約を再確認する」と述べた。
両長官は「朝鮮半島の平和を守ろうとする確固たる意志を堅持し、国連安保理決議により北朝鮮の完全な非核化を追求する現行の外交努力を引き続き支援していきたい」とし、北朝鮮に対して、シンガポールでの朝米首脳会談の共同声明▽南北9・19軍事合意の順守などを要求した。両長官はまた、「規則に基づいた国際秩序、航行と飛行の自由を含む国際規則と規範の順守の重要性を確認した」と述べた。
両長官は韓米同盟について「相互信頼と自由、民主主義、人権、法治主義という共同の価値に基づく」とし、「このような精神に基づき、双方の安保関係を強化し、遠い未来まで韓米連合軍の伝統を受け継ぐことができるよう、両国の協力の幅と深さを拡大していく」ことを公約した。
パク・ビョンス先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
http://www.hani.co.kr/arti/politics/defense/950844.html
韓国語原文入力:202-06-25 07:36
https://japanese.joins.com/JArticle/267405?servcode=A00§code=A10
「中央日報日本語版」 2020.06.25 07:15
■韓米はなぜ「日本」を登場させたのか…いつもと違う6・25共同発表文
【写真】韓国の鄭景斗国防部長官と米国のマーク・エスパー国防長官が今年2月24日(現地時間)、ワシントンD.C.で韓米国防長官会談に先立ち記念撮影に臨んでいる。[写真 韓国国防部]
韓米軍当局が韓国戦争(朝鮮戦争)70周年を迎えて発表した共同発表文で、韓日米の多国間安保協力を強調した。韓日軍事情報包括保護協定(GSOMIA)終了の有無が依然として霧の中でさまよっている状況で、韓日間の協力を引き出そうとする米側の立場が反映されたものと分析される。
25日、韓米軍当局は共同発表文を通じて「韓国戦争勃発70周年を共に記念しようと思う」とし「鄭景斗(チョン・ギョンドゥ)国防部長官とマーク・エスパー米国防長官が韓米日および多国間安保協力を通じて、北東アジアの平和と安保を維持するための韓米領域内戦略のシナジー創出を持続的に模索していく」と明らかにした。「両長官がルールを基盤とした国際秩序、そして航行と飛行の自由を含めた国際ルールと規範遵守の重要性を確認した」という部分でだ。
共同発表文には「両長官が複雑な汎世界および領域内の安保変化の中で、共助を増進していく必要性に同意し、幅広い分野の懸案に対する協調と協力を強化していくことにした」という内容も含まれている。外交界からは、韓国戦争70周年韓米共同発表文に日本を含む3カ国について言及している点がいつもと違うという話が出ている。昨年8月、日本がホワイトリスト(輸出審査優待国)から韓国を除外し、韓国がGSOMIA終了カードで対抗しながら、現在に至るまで衝突様相の韓日関係を念頭に置いて、米側が該当の文面を含めたのではないかということだ。
米国は昨年11月、韓米安保協議会議(SCM)共同声明書でも「両国長官は情報共有などを含めた米日韓3国安保協力を持続していくことにした」という一節を含めたことがある。
韓米が両国同盟を「リンチピン(linchpin・核心軸)」であることを再確認したのも注目するべき点だ。両国は発表文で「1950年の今日、互いに遠く離れていた勇猛な韓米将兵が、共同の価値と目的の下で共に一つになることによって、韓米軍事同盟は血を分けた血盟として誕生した」とし「70年が経過した後も、韓米同盟は韓半島(朝鮮半島)と北東アジア地域の安保、安定、そして繁栄のリンチピン役を変わりなく遂行している」と明らかにした。過去、日米同盟を「リンチピン」としていた米国は、オバマ政府時期から韓米同盟を「リンチピン」と、日米同盟を「コーナーストーン(cornerstone、礎)」と言い換えた。重要度で言えば、「リンチピン」という用語が「コーナーストーン」よりも先んじるというのが外交界の大半の意見だ。
だが、ハリー・ハリス駐韓米大使が昨年9月、ある演説で韓米同盟を「コーナーストーン」と表現しながら問題になった。両国関係に異常な雰囲気が流れていることと無関係ではないとの観測が出てきたためだ。
今回の発表文には北朝鮮関連の事案も含まれた。韓米軍当局は「韓半島の平和を守ろうとする確固たる意志を堅持しており、国連安保理決議により北朝鮮の完全な非核化を追求する現行の外交的努力を引き続き支援していきたい」と発表した。続いて「両長官は北朝鮮がシンガポール米朝首脳会談共同声明と南北9・19軍事合意などに伴う約束を遵守するよう要求する」と付け加えた。
両国は「韓米同盟は相互信頼と自由、民主主義、人権、法治主義という共同の価値を基盤としている」と強調した後、「韓米同盟がスローガンとして叫んでいるところのように『共に進もう!We go together!』」という一節で発表文を終えた。
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20200624004900882?section=news
「聯合ニュース」 2020.06.25 04:00
■韓米国防相が共同発表文 北朝鮮に米朝声明・南北軍事合意の順守要求
【ソウル聯合ニュース】韓国の鄭景斗(チョン・ギョンドゥ)国防部長官と米国のエスパー国防長官は25日にテレビ会議を行い、朝鮮戦争勃発から70年を迎えたことに関連して共同発表文を出した。この中で両氏は苦労して成し遂げた朝鮮半島の平和を守ろうという確固たる意思を韓米国防当局は堅持しているとした上で、北朝鮮に対し、2018年のシンガポールでの米朝首脳会談で署名した共同声明と、同年9月の南北首脳会談の際に締結した南北軍事合意を順守するよう要求した。
また「国連安全保障理事会の決議に従い、北朝鮮の完全な非核化を追求する現在の外交的努力を今後も支援していく」との考えを明らかにした。
北朝鮮が開城にある南北共同連絡事務所を爆破したことなどにより南北の軍事的緊張が高まる中、金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長(朝鮮労働党委員長)が24日、韓国に対する軍事行動計画を保留する意向を示すなど一時的に緊張が緩和する様相を呈しているものの、北朝鮮に対しさらなる自制を促したものと受け止められる。
両氏は、韓米軍事同盟が「血盟」になったのは、朝鮮戦争が契機だったとし「朝鮮半島の恒久的な平和と繁栄を保障するための合同防衛態勢維持の公約を改めて確認する」と強調した。
また「韓米国防当局は情報共有、高官級による政策協議、合同演習などを通じて域内の平和と安定を今後も促進させていく」との認識で一致した。
国防部によると、エスパー長官は韓国防衛に対する米国の堅固な公約を改めて示したという。
このほかにも両氏は韓米日や多国間の安保協力を通じて北東アジアの平和と安保を維持するため領域内における戦略のシナジー効果を創出できるよう模索を続けることを確認した。
https://japanese.joins.com/JArticle/267426?servcode=500§code=510
「中央日報日本語版」 2020.06.25 10:23
■北朝鮮に葬られた韓国戦争の英雄70年ぶりに帰還
【写真】 22日(現地時間)、米国ハワイのヒッカム空軍基地で返還式を終えた国軍戦戦死者の遺骨が空軍空中給油機「シグナス(KC-330)」の乗客座席で運ばれている。[写真 国防部]
北朝鮮地域に葬られていた6・25韓国戦争(朝鮮戦争)の英雄が70年ぶりに故国に戻る。韓国国防部と米国防総省捕虜・行方不明者調査局(DPAA)は24日午後4時(現地時間)、ハワイ真珠湾-ヒッカム空軍基地(JBPHH)で遺骨147柱を韓国に返還するための遺骨返還式を開いた。
この日、返還される遺骨は北朝鮮の价川市(ケチョンシ)・雲山郡(ウンサングン)・長津湖(チャンジンホ)一帯で1990~94年に発掘された遺骨208箱と米朝首脳会談後2018年米国に送還された遺骨55箱の中で2回にわたる韓米共同鑑識を通じて国軍遺骨に判定された147柱だ。韓米共同鑑識によってすでに3回にわたって92柱の遺骨が送還された。
遺骨返還式では上段に米国星条旗で包まれた遺骨箱を米軍2人が用心深く剥がした後、これを国連旗でまた包んで最後に太極旗にもう一度取り替える手続きを進めた。遺骨を積んだ空軍空中給油機「シグナス(KC-330)」は24日午後、ソウル空港に到着した。
国防部遺体発掘鑑識団は米陸軍第7師団、第2師団、第25師団の戦死記録と戦死者名簿で遺骨の身元確認を進める予定だ。
返還式に参加した朴宰民(パク・ジェミン)国防部次官は「国のために犠牲にされた方々は国が最後まで責任を負うという韓米間共同努力の結実」と話した。
韓米軍当局は韓国戦争70周年を迎えて発表した共同発表文で韓日米多国間安保協力を強調した。韓日軍事情報包括保護協定(GSOMIA)を終了するどうか先行きが見えない中で両国間協力を引き出そうとする米国側の立場が反映されたと分析される。
韓米軍当局は25日付共同発表文で「鄭景斗(チョン・ギョンドゥ)国防長官とマーク・エスパー米国防長官が韓日米および多国間安保協力を通じて北東アジアの平和と安保を維持するための韓米領域内戦略のシナジー創出を持続的に模索していくだろう」と明らかにした。
また「両長官が複雑な世界および領域内安保変化の中で連携増進の必要性に同意し、さまざまな分野の懸案に関する協力を強化していくことにした」という内容も盛り込まれた。
韓米は両国同盟を「リンチピン(linchpin)」と再確認した。両国は発表文で「1950年今日、お互いに遠く離れていたたくましい韓米将兵が共同の価値と目的の下に一丸となることで韓米軍事同盟は血を分けた血盟として誕生した」として「70年が過ぎた後にも韓米同盟は韓半島と北東アジア地域の安保、安定、そして繁栄のリンチピンの役割を変わりなく果たしている」と明らかにした。
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20200624005100882?section=news
「聯合ニュース」 2020.06.24 20:32
■朝鮮戦争で戦死した韓国兵の遺骨147柱 北朝鮮からハワイ経て故国へ
【ソウル聯合ニュース】朝鮮戦争で戦死し、北朝鮮で見つかった韓国軍兵士の遺骨147柱が米ハワイを経て約70年ぶりに韓国に戻った。韓国空軍が24日伝えた。
【写真】返還された遺骨を韓国国旗で覆う韓国側関係者(国防日報提供)=(聯合ニュース)
遺骨を乗せハワイを出発した空軍機が24日午後、京畿道・城南のソウル空港(軍用空港)に到着した。遺骨は2018年の初の米朝首脳会談の後、米国に送られたものなどだ。
朝鮮戦争勃発から25日で70年を迎えることに合わせ返還された遺骨は、ハワイの米国防総省捕虜・行方不明者調査局(DPAA)で保管されていた。DPAAは紛争地での遺骨収容を専門とする機関で、今回返還された遺骨は同機関と韓国との共同調査により韓国軍戦死者のものと判定された。
国防部は、発見された地域で戦闘を行った部隊の戦死者の記録などと照らし合わせ、遺骨の身元を確認する予定だ。
朝鮮戦争で戦死した韓国軍兵士の遺骨は、これまで、2012年に12柱、16年に15柱、18年に65柱が返還された。
今回の遺骨返還のため、21日に国防部の朴宰民(パク・ジェミン)次官を団長とする関係者48人が空軍機でハワイに移動。朴氏らは現地で行われた返還式に出席した。
朴次官は朝鮮戦争勃発から70年に合わせて行われた遺骨の返還について、韓米同盟をさらに堅固にする機会になるとし、「国のために犠牲になった戦死者を国が最後まで責任を負うという韓米の努力が実を結んだ」と話した。
https://www.afpbb.com/articles/-/3290197?cx_part=latest
「AFP」 2020年6月24日 23:59 発信地:ソウル/韓国
■朝鮮戦争開戦から70年 韓国兵147人の遺骨が帰還
【写真】米ハワイの基地で、朝鮮戦争で死亡した韓国人兵士らの遺骨の返還式典が行われ、軍用機に運び込まれたひつぎ。韓国国防省提供(2020年6月23日撮影)。(c)AFP PHOTO / the Korea Defense Daily
【写真】朝鮮戦争で死亡した韓国兵士らの遺骨を乗せ、城南にある空軍基地に到着した軍用機。韓国国防省提供(2020年6月24日撮影、公開)。(c)AFP PHOTO / South Korean Defence Ministry
【写真】1951年6月4日に巨済の捕虜収容所で撮影された写真。洗濯物の洗い場で、捕虜の少年(左)がICRC職員と握手を交わしている(ICRC提供)=(聯合ニュース)
【写真】1951年6月4日、巨済の捕虜収容所で騎馬戦に興じる被収容者(ICRC提供)=(聯合ニュース)
【写真】1950年12月29日、大邱からさらに南に逃れようと、汽車に乗り込む人々(ICRC提供)=(聯合ニュース)
【写真】車両内に入れなかった人たちが屋根に上っている(ICRC提供)=(聯合ニュース)
【写真】1951年、川を渡って避難する人々(ICRC提供)=(聯合ニュース)
【写真】1952年1月、爆撃を受けた後のソウルの街(ICRC提供)=(聯合ニュース)
【写真】1952年1月、ソウルのとある市場(ICRC提供)=(聯合ニュース)
【写真】1951年6月4日、巨済の捕虜収容所で食事を準備する様子(ICRC提供)=(聯合ニュース)
【写真】1951年6月4日に巨済の捕虜収容所で撮影された写真。洗濯物の洗い場で、捕虜の少年(左)がICRC職員と握手を交わしている(ICRC提供)=(聯合ニュース)
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【写真】1951年、朝鮮戦争休戦会談のために初対面した国連軍(右)と共産軍(国史編さん委員会提供)=(聯合ニュース)
【写真】先月27日に在仏韓国大使館で行われたマスク伝達式=(聯合ニュース)
【写真】1950年7月、京畿道・烏山で国連軍が最初に参加した戦闘の様子(資料写真)=(聯合ニュース)
【写真】1951年、朝鮮戦争休戦会談のために初対面した国連軍(右)と共産軍(国史編さん委員会提供)=(聯合ニュース)