三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

個人史を聞きとるときに

2017年01月19日 | 個人史・地域史・世界史
 海南島で日本の侵略犯罪の犠牲者の遺族・被害者・目撃者の証言を聞かせてもらっているとき、はじめは、犯罪事実を話してもらうことのみが重要だと考えていた。
 しかし、しだいに証言者が生きてきた軌跡を知ることなしには、証言の意味・内容を理解できないことに気づいていった。そして、証言者の個人史を聞きとるときには、聞き手であるわたしたちの個人史を語るべきであることも気づいていった。
 わたしの父は、佐渡からアイヌモシリにきた植民一世であり、わたしの母は植民二世だ。
 きょう(2017年1月19日、わたしは、イシカリに生まれイシカリに住むアイヌの金打繁義さん(1940年生)を訪ねた。
 金打さんは昨年末に救急車で自宅からイシカリ市内の病院に運ばれ入院していた。
わたしがその病院に行くと、金打さんは退院していた。それで、そこからバスで30分ほど離れた自宅を訪ねた。久しぶりに会う金打さんは痩せていたが、目に力があった。
 1868年にクーデタと「戊辰戦争」によって権力にぎった「維新政府」は、1869年にアイヌモシリを「北海道」と名づけ日本領土とし、オタルナイを「小樽」と改称した。
 1875年8月に日本政府(「維新政府」)は、ツアーロシア政府と「千島樺太交換条約」(千島列島を日本領としカラフトをロシア領とする)を締結した。
 1875年9月、10月に、カラフトに住むアイヌが、「北海道」の北端の宗谷に移住した。そのアイヌを1876年日本政府は強制的に宗谷から「小樽」に移住させ、さらにツイシカリ(「対雁」)に移住させた。ツイシカリで、多くのアイヌが病死・餓死させられた。生き残ったアイヌの一部が、イシカリ川の河口のイシカリに移住した。
 金打繁義さんは、そのイシカリアイヌの子孫だ。
 金打さんは、イシカリのオヤフル小学校に入った。学校ではシャモ(日本人)の子どもにいじめられ、よくケンカをしたという。
 わたしはこれまで、金打さんの個人史をほとんど聞いたことなかった。急病で倒れたと知って、あらためてわたしは金打さんのことをなにも知っていなかったことに気づいた。
 海南島で出会い、話しを聞かせてもらった日本の侵略犯罪の犠牲者の遺族・被害者・目撃者の個人史をさらに聞かせてもらい、日本の侵略犯罪の実体をより明確にしていきたい。
                                
                                  佐藤正人
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

記憶の記録と伝達

2017年01月18日 | 海南島史研究
 国民国家日本の侵略犯罪の犠牲者の遺族・被害者・目撃者の証言をどのように記録し伝達するのか。
 国家の侵略犯罪に加担した加害者の証言をどのように記録し伝達するのか。

 証言は、記録しなければ消えてしまう。記録されない歴史的事実は、なかったことにされてしまう。
 侵略犯罪の犠牲者の遺族・被害者・目撃者の記憶は、記録されなければ消えてしまう。
 侵略犯罪の加害者の記憶は、語られなければ消えてしまう。加害事実はなかったことになってしまう。

 侵略犯罪は、被害者と加害者の記憶のなかにだけ残されているのではない。
 もの、場所、風景のなかに侵略犯罪の証拠が残されている。
 わたしたちは、海南島の各地で、しばしば日本軍が住民を殺戮した場所に立った。犠牲者の遺族・被害者・目撃者に案内されて。
 そこは、赤い土の道であり、灌木の林のなかであり、澄んだ水の流れる河辺であり、廃屋であり、鶏や豚が歩き回っている村のなかであり、小さな丘のふもとであり、樹齢数百年の槐の大木の下であり、水田のなかであり、祠堂の傍であった。
 犠牲者の遺族・被害者・目撃者は、そこで、日本軍に殺された犠牲者のすがたを見ながら、わたしたちに証言していたのだと思う。
 そこは、わたしたちには、犠牲者の遺族・被害者・目撃者の証言を聞かせてもらうことがなければ、たんなる場所であり、風景であった。
                               佐藤正人
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

소녀상 철거를 요구함은 일본의 국가범죄를 면죄하는 일

2017年01月17日 | 国民国家日本の侵略犯...
 1월13일부 『朝日新聞』에
   「한국·부산의 일본 총영사관 앞에 위안부 문제를 상징하는 「소녀상」이 설치된 문제를
   둘러싸고 재일한국인들로 조직된 재일본 대한민국민단중앙본부 오공태단장이 12일,
   도쿄도내에서 열린 신년회의 인사말로 상의 철거를 구했다」,
   「오씨는 인사말로…… 「이번에 설치된 위안부소녀상은 없애야 한다는 것이 재일 동포
   의 공통된 생각이다」라고 말했다」
라고 하는 기사가 게재되었다.
 같은 날의『読売新聞』에도
   「오공태단장은……부산의 일본총영사관앞에 설치된 위안부를 상징하는 소녀상에
   대해 「없애야 한다는 것이 재일동포의 공통된 마음이다」
라고 말했다」라고 하는 기사가 게재되었다.
 『時事通信』으로부터는 1월 12일 16시35분에
   「오공태단장은…… 한국·부산의 일본총영사관앞에 설치된 위안부 문제를 상징하는
   소녀상에 대해 「철거해야 하다는 것이 재일동포의 공통된 절실한 마음이다」라고
   말했다. 금후 방한하여 행정측에 요망을 전한다고 한다」
라고 하는 기사가 배신되었다.
 이 기사들에서는 「재일동포의 공통된 생각이다」, 「재일동포의 공통된마음이다」, 「재일동포의 공통된 절실한 마음이다」라고 표현은 약간 틀리지만 부산의 일본 총영사관앞의 소녀상 철거를「재일동포」모두가 기원하고 있을 듯한 민단단장의 발언을 강조하여 보도되었다.
 
 아이누모시리 침략,이어 류큐왕국 침략이후, 일본근현대사는 타지역과 타국침략의 역사였다.
 일본정부·일본군은 아시아태평양 각지에서 침략에 저항하는 민중을 죽이고 자원을 빼앗고 노동력을 빼앗고 성적 범죄를 되풀이했다.
 일본정부는 국민국가 일본의 침략범죄의 역사를 감추려고 하고 있으며, 국가범죄를 반성하고 책임자를 밝히고 사죄하고 배상하려고 해 오지 않았다.
 한국의 일본대사관(서울)·총영사관(부산) 앞의 소녀상은 일본의 국가범죄에 인한 희생자 상이며, 희생자의 뜻을 전하는 상이며, 일본정부가 진지하게 사죄하는가를 눈여겨 보는 상이다.
 그러한 소녀상의 철거를 요구함은 일본의 국가범죄를 면죄하는 일이다.

 일본의 조선 식민지화에 있어「五賊」과 같은 친일파의 역할은 컸다. 일본은 친일파가 없었으면 식민지지배를 유지할 수 없었다.
 국민국가 일본의 침략범죄에 가담한 친일파도 또 그 역사적 책임을 지지 않으면 안된다.
 
 한국의 일본대사관·총영사관앞의 소녀상 철거를 주장하고 일본의 국가범죄를 면죄하려는 재일본 대한민국민단 단장은 현재의 친일파다. 그러한 사람이 말하는 「재일 동포의 공통된 절실한 마음」을 민단 단원들은 승인하는 것일까?
 재일조선인의 한사람으로서 민단 단장의 발언을 나는 허락하지 않는다.
일본의 매스 미디어는 이러한 발언을 기사로 보도한다면 동시에 많은 「재일동포」의 목소리를 듣고 보도해야 할 것이다.
                     2017年1月16日
   
     김 정미
        미에현(三重縣) 기노모토(木本)에서 학살된 조선인 노동자(이기윤씨와
       배상도씨)를 추도하는 비석을 건립하는 회 대표
        기주광산의 진실을 밝히는 회 사무국장
        하이난섬근현대사연구회 부회장
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

少女像の撤去を求めることは、日本の国家犯罪を免罪すること

2017年01月16日 | 国民国家日本の侵略犯...
 1月13日の『朝日新聞』に、
   「韓国・釜山の日本総領事館前に慰安婦問題を象徴する「少女像」が設置された問題
   をめぐり、在日韓国人らで組織する在日本大韓民国民団中央本部の呉公太(オゴンテ)団
   長が12日、東京都内で開かれた新年会のあいさつで像の撤去を求めた」、
   「呉氏はあいさつで……「今回設置された慰安婦少女像はなくさなければならないという
   のが在日同胞の共通の考えだ」と述べた」
という記事が掲載された。
 同日の『読売新聞』でも、
   「呉公太団長は……釜山(プサン)の日本総領事館前に設置された慰安婦を象徴する少
   女像について、「なくさなければならないというのが在日同胞の共通した思いだ」と述べた」
という記事が掲載された。
 「時事通信」からは、1月12日16時35分に、
   「呉公太団長は……韓国・釜山の日本総領事館前に設置された慰安婦問題を象徴する
   少女像について「撤去すべきというのが在日同胞の共通した切実な思いだ」と述べた。今
   後、訪韓し行政側に要望を伝えるという」
という記事が配信された。
 これらの記事では、「在日同胞の共通の考えだ」、「在日同胞の共通した思いだ」、「在日同胞の共通した切実な思いだ」とコトバはいくらか違っているが、釜山の日本総領事館前の少女像撤去をすべての「在日同胞」が願っているかのような民団団長の発言を強調して報道している。

 アイヌモシリ侵略、琉球王国侵略以後、日本の近現代史は、他地域他国侵略の歴史であった。
 日本政府・日本軍は、アジア太平洋各地で侵略に抗する民衆を殺し、資源を奪い、労働力を奪い、性的犯罪をくりかえした。
 日本政府は、国民国家日本の侵略犯罪の歴史を隠しつづけようとしており、国家犯罪を反省し、責任者を明確にし、謝罪し、賠償しようとしてこなかった。
 韓国の日本大使館(ソウル)・総領事館(釜山)前の少女像は、日本の国家犯罪の犠牲者の像であり、犠牲者の思いを伝える像であり、日本政府が真に謝罪するかどうかを見据える像である。
 そのような少女像の撤去を求めることは、日本の国家犯罪を免罪することである。

 日本の朝鮮植民地化において、「五賊」のような親日派の役割は大きかった。日本は、親日派がいなければ、植民地支配を維持することができなかった。
 国民国家日本の侵略犯罪に加担した親日派もまたその歴史的責任をとらなければならない。
 韓国の日本大使館・総領事館前の少女像の撤去を主張し、日本の国家犯罪を免罪しようとしている在日本大 韓民国民団の団長は、現在の親日派である。そのような人物が語る「在日同胞の共通した切実な思い」を、民団の団員は承認するのだろうか。
 在日朝鮮人の一人として、民団団長の発言をわたしは許さない。
 日本のマスメディアは、この発言を記事にするなら、同時におおくの「在日同胞」の声を聞き、報道すべきだろう。
                              2017年1月16日
   金靜美
     三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会代表
     紀州鉱山の真実を明らかにする会事務局長
     海南島近現代史研究会副会長
コメント (1)
この記事をはてなブックマークに追加

「ピースおおさか 条例違反認める」

2017年01月15日 | 国民国家日本の侵略犯...
http://www.nhk.or.jp/kansai-news/20161208/5025241.html
「NHK 関西 NEWS WEB」 2016年12月8日
■ピースおおさか 条例違反認める 2016年12月8日 18時19分
 大阪市にある平和資料館、「ピースおおさか」の展示内容の変更をめぐり、情報公開を求めたのに認められなかったのは違法だとして、大阪の男性が府と市を訴えた裁判で、大阪地方裁判所は、「非公開とした手続きに条例違反があった」と判断しましたが、非公開の決定自体に問題はないとして、賠償責任は認めませんでした。
 大阪・中央区にある「ピースおおさか」は、大阪府と大阪市が出資する団体が運営し、大阪空襲や旧日本軍の加害行為とされる内容の展示をしていましたが、「自虐的で偏っている」などと批判が寄せられ、去年4月に展示内容を変更しました。
 この変更をめぐり、「『ピースおおさかの危機』を考える連絡会」の事務局だった竹本昇さん(66)は、府と市に情報公開を求めましたが認められず、裁判を起こしました。
裁判では、非公開の決定に竹本さんが異議を申し立てたのに、府が審査会への諮問を行わず、市も6か月以上たってから諮問を行ったことが、条例違反かどうかも争われていました。
8日の判決で、大阪地方裁判所の山田明裁判長は、「条例では、遅くなることなく審査会に諮問するよう定めているのに、府は諮問せず、市の諮問も速やかだったとは言いがたい」などとして、条例違反だと認めました。
 一方で、非公開の決定自体に問題はなかったとして、賠償を求める訴えは退けました。
 判決について、原告の竹本昇さん(66)は、「大阪府と大阪市の条例違反を認めながら訴えを退けた不当な判決だ。控訴する方向で検討したい」と話しています。
 条例通りの手続きをしなかったという判決の指摘について、大阪府人権企画課は、「条例には例外規定があるので違反ではないと考えている」とコメントしています。
 また、大阪市教育委員会総務課も「ただちに条例違反ではないと考えている」とコメントしています。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ピースおおさか改悪リニューアル裁判報告 3

2017年01月14日 | 国民国家日本の侵略犯...
判決で、大阪府・大阪市の条例違反を認定!

 1991年9月、ピースおおさかは、「戦場となった中国をはじめアジア・太平洋地域の人々、また、植民地下の朝鮮・台湾の人々にも多大な危害を与えたことを、私たちは忘れません」を設置理念として開設されました。
 ところが、2015年4月、橋下徹前大阪府知事・前大阪市長、松井一郎現大阪府知事、大阪維新の会の府・市議は、ピースおおさかに介入し、侵略戦争と植民地の歴史的加害事実を示す展示を撤去させて、リニューアル・オープンをさせました。
 オープンに至るリニューアル案の策定は、設置理念を尊重してほしい、加害展示を撤去しないでほしいという市民の要望と質問を、一切、無視して進められました。
 そこで、2015年1月、設置理念に反したリニューアルにさせないために、大阪府知事・大阪市教育委員長・ピースおおさか理事長に、リニューアル案の情報公開請求をしたところ、不当な理由で非公開とされました。
 2015年8月、情報公開制度にも違反し、密室でリニューアルの内容を画策し、設置理念を無視したピースおおさかにしたことにたいして、大阪府知事・大阪市長・ピースおおさか理事長を相手に賠償請求事件として本人訴訟を提起しました。この裁判はその後、「ピースリニューアル裁判」として多くの支援者を得ることができ、また、弁護士が訴訟代理人を引き受けてくれました。

■行政が条例に違反することは、トンデモないこと
 2016年12月8日、大阪府・大阪市に対する「ピースリニューアル裁判」は、府・市の条例違反を認めさせるという大きな成果を得て、第1審を終えました。
 大阪府の情報公開条例では、大阪府・大阪市が公文書を非公開にしたことにたいして異議申立があった場合は、「遅滞なく、大阪府情報公開審査会に諮問」しなければならない、同じく、大阪市の条例にも「速やかに大阪市情報公開審査会に諮問」しなければ、ならないと規定されています。この度の判決で、大阪府・大阪市が異議申立を出されているのに審査会に諮問しなかったという条例違反を認定しました。行政が条例に違反することは、トンデモないことです。

■即日、控訴しました
 判決は条例違反を認めながら、裁判長の事実認定の誤りにより、大阪府・大阪市とも「職務上通常尽くすべき注意義務を尽くさなかったものと評価することはできず、国家賠償法上違法であるとまではいえない」として、損害賠償請求を棄却しました。そこで、12月8日、即日、控訴しました。

■判決の誤り
 ①大阪府・大阪市は、非公開を決定した2015年2月の時点ではなく、公開決定をした2015年5月になって初めて「個人識別情報が含まれていることは判明」したと主張しています。2月の時点で、個人の氏名が含まれていることを非公開の理由にしているのですから、こんなことはありえないのですが、いずれにしても、「職務上通常尽くすべき注意義務」を尽くさなかったことを自らが明らかにしていることであり、裁判長の認定が誤まりであることは明白です。
 ②裁判長は、大阪府が3月5日、大阪市の場合は3月6日に審査会に諮問したとしても、4月30日のリニューアルオープン前に異議申立てに対する決定を行うことが困難という理由で、大阪府・大阪市が審査会に諮問しなかったことを擁護しています。しかし、異議申立についてどのような答申をするかは、審査会の権限に属することです。このような理由で、審査会に諮るべく、遅滞なく、あるいは速やかに「センターの職員に対する聴き取り等」調査業務を実施する義務を果たさなかったことも、また、「職務上通常尽くすべき注意義務」を尽くしたとはいえません。このように、裁判長が、審査会に諮らないことを擁護することは、逆に、「職務上通常尽くすべき注意義務」を尽くさないことを促すことになり、条例は守らなければならないものという当たり前の決まりごとを壊してしまうことになります。
 ③裁判長は、基本設計や実施設計を公表しているから「市民に対する情報提供が不十分であったとはいえない」、あるいは、加害展示を一切削除するリニューアルを実現する意図の下で「非公開決定がされたことを認めるに足りる証拠はなく」と認定しています。
 しかし、判決文の末尾に添付された別紙1の「要望等一覧」にみるとおり、設計が公表される毎に、設計の内容を見た市民が、設置理念に則ったリニューアルを求めたり、加害展示の撤去に反対する要望が出されました。出された要望の93件のうち72件もあったその要望をまったく無視しました。
 また、「C-2.子どもたちの戦時下の暮し」のコーナーでは、戦争の犠牲者としての子どもたちから戦争に協力した子どもたちに変えられてしまいました。 
 さらに、旧日本軍が南京城に入城するシーンとナレーションが消し去られてしまいました。
 これらの事実は、大阪府・大阪市が条例に違反してまで、加害展示を一切削除するリニューアルを実現する意図の下で「非公開決定がされた」を証明しており、十分に情報は公開され、加害展示を削除する目的でないとする裁判長の判断の誤りを示しています。 

■情報公開制度を損なう主張
 事務事業(この場合は、リニューアルオープン)が完了してから情報公開することにすれば審査会に諮らなくてもよいという大阪府・大阪市の主張を裁判長は認めています。
 しかし、大阪府の条例には、「情報は府民のもの」と明記されていますことから、このような主張は、情報公開制度そのものを損なうものであり、認められることではありません。
 「泥棒が、盗んだことがバレタので、窃盗品を返したので問題がないということに等しい」という私の裁判を支援してくれる人の意見は至言です。

 以上のように、この度の判決は、大阪府・大阪市の条例違反を認めながら、結局、大阪府・大阪市の条例違反を擁護して、「職務上通常尽くすべき注意義務」を尽くしたと誤った認定を行って損害賠償請求を棄却した判決ですので受けいれることはできません。

 これまでの裁判の経過については、このブログの2016年11月8日、9日の「ピースおおさか改悪リニューアル裁判報告」1、2をみてください。
                         
                       ピースおおさか改悪リニューアル裁判 原告 竹本 昇

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「米国艦船入港反対 市民団体ら申し入れ」

2017年01月13日 | 個人史・地域史・世界史
http://otaru-journal.com/2017/01/0112-1.php
『小樽ジャーナル』2017年1月13日
■米国艦船入港反対 市民団体ら申し入れ (2017/01/12)
 2月3日(金)の寄港要請があった米国艦船「マッキャンベル」入港に反対する市民団体が、1月12日(木)15:00、市役所(花園2)別館4階第3委員会室で、小樽市長宛に、入港を許可しないよう要請書を提出し、1月24日(火)までに回答を求めた。
 米空母に反対する市民の会の小林けん氏をはじめ8名が出席し、改憲阻止!労働者・市民行動、ピリカ全国実・札幌圏の3つの団体連名で提出。市側は、総務部石坂康雄次長ら3名が対応した。
 小林氏は、「小樽港を再び軍港にしないために活動している。市はしっかりと前向きに関わり、腹を据えて取り組みべき」と入港を拒否するよう強く要望した。
 今回の米第7艦隊ミサイル駆逐艦「マッキャンベル」の小樽港寄港要請は、2月3日(金)9:00から7日(火)9:00まで、目的は親善としている。
 小樽市はこれまでに、寄港の3つの判断基準①船舶の大きさを判断して接岸できる場所があるか、②入港期間にバッティングする商船があるか港湾業務への影響を確認、③核兵器搭載の有無を確認するの3点から、米艦船の寄港について判断し、昨年までに78隻が入港している。現在、外務省・在札幌米国総領事館に核兵器搭載の有無を確認中とした。
 出席者から、どうして定期的にこの時期に、特に小樽港に来るのはなぜか、市はどんな認識なのか、軍艦で親善とは思えない。軍事行動ではないかと、1時間半に及ぶ抗議をし、入港拒否を強く要望した。
 1月11日付けで、北海道労働組合総連合(黒沢幸一議長)、安保破棄諸要求貫徹北海道実行委員会(国田昌男代表委員)、米艦入港反対小樽連絡会(佐藤勤代表)から、同船の小樽港入港を拒否する申入書が提出されている。


http://otaru-journal.com/2017/01/0106-3.php
『小樽ジャーナル』2017年1月06日
■米国艦船"マッキャンベル" 市に岸壁手配を要請 (2017/01/06)
 小樽市は、1月5日(木)、小樽港長(森部賢治小樽海上保安部長)から、小樽港港湾管理者(森井秀明市長)に、2月3日(金)から7日(火)まで、アメリカ海軍ミサイル駆逐艦"マッキャンベル"の小樽港寄港に伴う岸壁手配の要請があったと発表した。
 1月6日(金)16:00から、市役所(花園2)記者室で会見を開き、前田一信総務部長と産業港湾部・飯田俊哉参事が説明を行った。
 同艦は、長さ155.2m・喫水10.36m・幅20m・排水トン数9,000t・マスト高45.7m・1日最大上陸人員218人。横須賀港に配備されている。
 入港予定日時は2月3日(金)9:00、出港予定日時は7日(火)9:00まで。入港目的は親善。岸壁の手配と1月20日(金)までの回答を希望しており、同船の寄港は小樽港では初めてとなる。
 前田部長は、「船舶の大きさを判断して接岸できる場所があるかどうかの確認。入港期間にバッティングする商船があるか港湾業務への影響の確認。核兵器搭載の有無を確認。以上の3点を基に、従来から米艦船の寄港について判断している」と、3つの判断基準について説明した上で、積極的に受け入れるつもりはないが、3つの条件が揃えば受け入れざるを得ない市の姿勢を示した。
 接岸可能な岸壁は、勝納埠頭の1番バース・中央埠頭の4番バース・港町埠頭の3番バースの3ヶ所と考えており、期間中、商船の利用が無いかどうかを調査・情報収集して判断する予定。
 小樽港への米国艦船の寄港は、1961(昭和36)年からの調査によると、海洋調査船14隻・砕氷船1隻を含めると、今回で79隻目となる。
 市では、2014(平成26)年度から、米国艦船の受入れ要請等があった場合、市民に周知するため市HPで状況に関する情報を逐次発信している。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

オタル港をふたたび軍港としないために 2017年

2017年01月12日 | 個人史・地域史・世界史
 1月6日午後、オタル市から米空母に反対する市民の会に、
   “1月5日午後、森部賢治オタル海上保安部長(オタル港長)から森井秀明オタル市長(オ
   タル港港湾管理者)に、アメリカ合州国の軍艦「マッキャンベル」が2月3日午前9時から2
   月7日午前9時までオタル港に停泊するので岸壁の手配を希望するという通知があった”、
という連絡がありました。

 きょう(1月12日)、米空母に反対する市民の会は、改憲阻止! 労働者市民行動、ピリカ全国実行委員会・札幌圏とともに、「マッキャンベル」のオタル入港を許可しないことをオタル市長に要請しにオタル市役所に行きました。
 オタル市からは、市長の代わりに、石坂康雄総務部次長、中村哲也総務部課長、長谷川達史総務部係長が出席しました。
 午後3時からの1時間半あまりの話し合いのなかで、石坂康雄総務部次長は、“アメリカ合州国艦船を積極的に受け入れるつもりはない”とのべました。それにたいし、わたしたちは、“その発言は石坂さんの個人的な発言なのか、オタル市としての公的な発言なのか”とたずねました。石坂総務部次長は、公的な発言であり、市長に代わっての発言である”と答えました。
 1月7日の『北海道新聞』朝刊に、前田一信オタル市総務部長が「積極的に受け入れるつもりはない」と述べたという記事が掲載されていますが、それも前田総務部長の個人的発言ではなく、記者会見に市長が出席できなかったので市長に代わってオタル市の意志を示したということでした。
 
 「マッキャンベル」のオタル港へ入港願いを港湾管理権をもつオタル市長が拒否することを強く要請し、アメリカ合州国軍艦のオタル港への入港を常習化させないためにオタル市役所内に独自の調査機関を設置することなどを中心とする1時間半あまりの話しあいの最後に、前田総務部長は、わたしたちの要請を市長に伝え、12日後の24日までに文書で回答すると約束しました。
 
 アメリカ合州国艦船は、毎年のように、オタル港に侵入しており、アメリカ合州国艦船のオタル港使用が常習化され、オタル港の再軍港化がすすめられています(このブログの2011年1月22日の「オタル市長、アメリカ合州国軍艦の入港を許可」、2011年1月26日の「アメリカ合州国軍艦の入港を許可したオタル市長に抗議」、2012年1月16日の「「マスティン」入港反対」、2012年1月17日の「すべての軍艦の入港を拒否する」、2013年1月18日の「アメリカ合州国軍将兵との友好・親善、拒否」、2013年1月28日の「アメリカ合州国海軍艦船のオタル入港容認に抗議」、2015年1月9日の「オタル港をふたたび軍港としないために」、2016年1月14日の「オタル港をふたたび軍港としないために 2016年」をみてください)。

 オタル市長への要請の全文は、つぎのとおりです。

                        米空母に反対する市民の会 佐藤正人

■要請■
(一)
 2009年2月にアメリカ合州国の第7艦隊所属のミサイル駆逐艦「フィッツジェラルド」がオタル港に「通常入港」し、2010年2月に第7艦隊の旗艦「ブルーリッジ」が入港目的を「親善及び友好」としてオタル港に入港し、2011年2月に「フィッツジェラルド」が再びオタル港に入港目的を「通常入港」から「親善及び友好」に変えて入港し、2013年2月にミサイル駆逐艦「ラッセン」が入港目的を「親善及び友好」としてオタル港に入港し、2015年2月にミサイル駆逐艦「マスティン」が入港目的を「親善」としてオタル港に入港し、昨年2月に、掃海艦「パトリオット」とミサイル駆逐艦「ベンフォールド」が入港目的を「親善」としてオタル港に入港し、今年もアメリカ合州国のミサイル駆逐艦「マッキャンベル」が2月3日にオタル港に入港目的を「親善」として入港しようとしています。 
 毎年2月のアメリカ合州国軍艦のオタル港入港が、入港目的をあからさまな軍事行動を意味する「通常入港」から「親善及び友好」に変え、さらに「親善」に変えつつ常習化しています。
 1960年代から、アメリカ合州国艦船は、毎年のように、オタル港に侵入しており、アメリカ合州国艦船のオタル港使用が常習化され、オタル港の再軍港化がすすめられています。
 1997年9月にアメリカ合州国海軍の空母「インディペンデンス」がオタル港に入港しました。これはアメリカ合州国の空母のはじめての日本の民間港への入港でした。
 アメリカ合州国軍艦の民間港への入港は、日本とアメリカ合州国の軍事同盟体制を維持・強化し、地域政府や地域民衆を戦争に協力させようとするものです。
 軍艦とその乗組員の行動はすべて軍事行動です。軍艦の「補給」やその乗員の「休養」はもちろん、軍艦に乗って軍服を着てやってくる将兵の「親善」行動も「友好」行動も軍事行動です。アメリカ合州国艦船の入港は「通常入港」であろうと、「親善」や「友好」をかかげた入港であろうと、すべて軍事行動です。
 軍艦やその乗組員と「友好」したり「親善」したりするのは、戦争犯罪に加担することであり、わたしたちは、かれらとの「友好」も「親善」も拒否します。
 オタル港湾管理者であるオタル市長は、アメリカ合州国海軍の軍艦「マッキャンベル」のオタル港への入港と岸壁使用を許可しないでください。

(二)
 1945年以前、オタル港は日本海軍の軍港として使われていました。朝鮮戦争のときにもオタル港は軍港の役割を担っていました。
 毎年2月に、アメリカ合州国の艦船がオタル港に入港するのは、同じ時期に開催されるサッポロ雪まつりをアメリカ合州国海軍第7艦隊司令部が兵士たちに見物させるためでもあるかのようですが、真の目的は、「友好」でも「親善」でも「見物」でもなく、オタル港の軍事機能の調査です。
 朝鮮戦争のさなか、1950年10月から12月まで、かつて日本海軍の軍人であった海上保安庁の掃海部隊の隊員が、海上保安庁の掃海艇にのって、元山、海州、仁川、郡山、鎮南浦などの海域で、参戦しました。このとき、オタル港から掃海艇2隻が参戦していました。日本の掃海艇出動については、10月6日にアメリカ合州国極東海軍司令官から文書で指令が出されていました。
 オタル市長は、これまで毎年くりかえされているアメリカ合州国軍艦のオタル入港の目的をどのように分析しているか、明らかにしてください。

(三)
 1997年9月にアメリカ合州国海軍第7艦隊所属の空母「インディペンデンス」がオタルを出港した後、1997年10月に、オタル市は、在札幌アメリカ合州国総領事館に、「今後アメリカ合州国軍艦船がオタルに入港しようとする際には核兵器搭載の有無を文書で回答してほしい」という趣旨の申入れをおこない、在札幌アメリカ合州国総領事館は、それを了承しました(1998年10月のオタル市議会で、市長らが報告)。
 「マッキャンベル」は、昨年2月にオタル港に入港した「ベンフォールド」と同じく、核弾頭搭載可能なトマホーク巡航ミサイルの発射能力を持つイージスミサイル駆逐艦です。 
 2000年に、日本政府がアメリカ合州国政府と1960年に核兵器を積んだアメリカ合州国艦船の日本寄港を事前協議の対象外とするという密約を結んでいたことが明らかにされました。
 アメリカ合州国第7艦隊空母「インディペンデンス」、アメリカ合州国第7艦隊旗艦「ブルーリッジ」、アメリカ合州国第7艦隊空母「キティホーク」などのアメリカ合州国艦船がオタル港に侵入するときにくりかえされた「事前協議がないから、核もちこみはない」という外務省の断言は、ウソであり、このウソを外務省はくりかえしていました。
 こんご、アメリカ合州国太平洋艦隊第5空母打撃群に所属する核兵器を搭載した原子力空母「ロナルド・レーガン」のオタル入港要請もありうることです。オタル市は、「マッキャンベル」が核兵器搭載しているかどうかの文書回答をアメリカ合州国政府機関からかならず入手して下さい。
 オタル市の1982年6月28日の「核兵器廃絶平和都市宣言」を空文化しないでください。

(四)
 外務省が1983年12月に「秘 無期限」として作成し、いまなお開示を拒否している機密文書『日米地位協定の考え方・増補版』(原本は1973年4月に作成)を、日本政府は、特定秘密保護法で定める「特定秘密」に指定するおそれがあります。
 特定秘密保護法は、民衆が知らなければならない国家の情報を民衆に隠し、国家犯罪を遂行するための新法で、2014年12月10日に施行された民衆弾圧法です。
 『琉球新報』は、2004年7月までにこの外務省機密文書全文を報道し、同年12月に『日米地位協定の考え方・増補版』を収録した単行本『日米地位協定の考え方 外務省機密文書』を発行しました。その外務省文書の「第五条 一 施設・区域外の港・飛行場からの出入国」には、
   「港湾施設の使用に関する合同委員会の合意の中には「米軍が優先使用施設・区域の
   使用を希望する際は、使用に先立ってすみやかに日本側管理機関に通告する。」旨の
   規定があるが(港の優先使用施設としては現在は、小樽、室蘭港がその対象として合意
   されている。)」
と書かれています。
 民間港は、港湾法によって港湾管理者である自治体が管理権を持っているのですが、日本中央政府とアメリカ合州国政府は、オタル港やムロラン港については、それを実質的に無効化しようとしています。
 今回の「マッキャンベル」のオタル港入港打診は、アメリカ合州国軍のオタル港優先使用の予備的行為です。
 オタル市長は、自治体の長として、オタル港やムロラン港がアメリカ合州国軍の「優先使用施設」とされている外務省文書の開示を日本中央政府に請求するとともに、オタル港とムロラン港をアメリカ合州国軍の「優先使用施設」としている「港湾施設の使用に関する合同委員会の合意」をとりけさせる努力を重ねてください。

(五)
 アメリカ合州国海軍と日本海軍(海上自衛隊)にとって軍事的役割の大きいオタル港を再び軍港にしないための民衆運動をさらに強くしていきたいと思います。
 一年半前、2015年9月30日に、日本の中央政府は、「平和」をかかげる戦争法(「平和安全法制整備法」と「国際平和支援法」)を公布しました。
 戦争法は、他国を軍事侵略する集団的自衛権行使を容認する法律です。戦争法は、昨年(2016年)3月29日から施行されました。
 日本の地域政府が戦争非協力・戦争反対の意思を示すことは、日本の中央政府の戦争協力(参戦)策動を阻止するのに大きな役割を果たします。 
 オタル市長は、地域政府の長として、戦争非協力の意思を明確に示すとともに、中央政府の戦争協力(参戦)策動に反対する意思を具体的に示して下さい。
 オタル市長は、オタル港を平和目的以外に使用させないという意志を、明確に示して下さい。

(六)
 わたしたちは、オタル港をふたたび軍港としないために、オタル市長に、憲法と港湾法と地域政府の自治をまもろうとする姿勢を堅持し、いっさいの軍艦のオタル入港を許可しないことを要請します。
 軍艦のオタル入港を認めることは、市民の平和と地域自治の願いに反して、軍事行動に地域政府(地方自治体)の長が協力することです。
 オタル市長は、いっさいの軍艦にたいしオタル港の岸壁使用を許可しないでください。
 アメリカ合州国軍艦のオタル港入港を常習化させないでください。

(七)
 オタル港に、毎年のようにアメリカ合州国の軍艦が入港しようとし、入港している問題について市民とともに語り合う集会を主催してください。
市民とともにアメリカ合州国軍艦のオタル入港の常習化を阻止するために、できることを急いで具体的におこなってください。
 米空母に反対する市民の会は、このことを、これまでくりかえし山田勝麿前々オタル市長、中松義治前オタル市長に要請してきました。しかし、これまでのオタル市長は、アメリカ合州国軍艦のオタル入港の常習化を阻止するために、市民とともに語りあい、市民とともに具体的な対策を実践しようとしてきませんでした。
 一昨年4月末に新しく就任した森井秀明オタル市長は、オタルを再び軍港都市にしないために、前々任者や前任者の無策をのりこえて軍艦のオタル港への入港を阻止する対策を市民とともに実践していこうとせず、昨年2月のアメリカ合州国軍艦のオタル入港を承認してしましました。
 こんごは、そのような前々任者や前任者の無策をくりかえすことなく、積極的に軍艦のオタル港への入港を阻止する対策を市民とともに実践していってください。

 以上の要請に、12日後の1月24日までに、文書で回答してください。


    2017年1月12日

               米空母に反対する市民の会
               改憲阻止! 労働者市民行動
               ピリカ全国実・札幌圏
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

証言の客観性、証言の記録の客観性

2017年01月11日 | 海南島史研究
 これまで18年あまり、海南島で証言を聞かせていただいて、しだいに自覚したことは、証言の客観性は、聞く者の姿勢によって保証されるということである。
 わたしたちは、1998年6月にはじめて海南島を訪ねたとき、あらかじめ証言者に面会する日時を約束して聞きとりをしなかった。
 わたしたちは、いわば突然、村を訪れ、日本の侵略期のことを知っている人に出会い、話しを聞かせていただいた。
 はじめて訪ねる村の人に、あらかじめ会う約束をすることは、ほとんど不可能なことだった。
 その後、わたしたちは、これまで、海南島で1000か所ほどの村を訪ねることになったが、あらかじめ面会の約束ができないで、突然出会って聞かせてもらうという出会い方は変わらなかった。
 はじめて出会った人に話を聞かせてもらうときには、まず、自己紹介をし、来意を話すのだが、ほとんど場合、村の人に積極的に語ってもらうことができた。
 18年あまりの間に、わたしたちは5000人ほどの人に話を聞かせていただいたが、その一人ひとりのひとの声と表情を思い出す。
 5000人ほどの人びとのうち、再会できた人は2000人ほどで、1度しか話を聞かせてもらえないでいる人が多い。
 聞かせていただいた証言は、文字と映像と音声で記録するのだが、文字記録の客観性を強めるのは聞きとりをする者の集中力なのだと思う。
 聞きとりのあと、宿所で記録を整理するのだが、そのときいつも聞き残したことが少なくないことに気づく。それで後日、再訪、さらに再々訪することも多いのだが、十分に証言者の記憶を聞きとることができたと思うことは、これまでなかった。

                                  佐藤正人
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

東アジア史総論 朝鮮史をとおして考える

2017年01月10日 | 個人史・地域史・世界史
■過去を知り、現在を生きる
 東アジア史総論 朝鮮史をとおして考える

 1910年8月に、朝鮮は日本の植民地にされた。当時、それに反対した日本人はほとんどいなかった。
 日本の朝鮮侵略は、ヒデヨシの軍隊の16世紀末の朝鮮侵入を前史とし、1875年の「江華島事件」によって開始され、1894年の日本・朝鮮・清戦争、1906~1910年の抗日義兵戦争を経て、「併合」に至った。
 1945年8月に朝鮮は日本の植民地支配から解放されたが、分断され、朝鮮戦争に至った。
 日本は朝鮮戦争に軍事的経済的に参戦し、日本経済は復興した。
 東アジア史総体のなかで、東アジア史成立以後の歴史を、とくに19世紀後半からの朝鮮の歴史に重点をおいて、解明していきたい。

1、故郷の世界史 解放のインターナショナリズムへ
    「アメリカ」先住民の故郷
    「アメリカ」黒人の故郷
    パレスティナ人の故郷
    日本軍兵士・軍属・軍夫にされた朝鮮人の故郷
    日本の戦争犯罪の戦犯として処刑された朝鮮人の故郷

2、東アジア史の成立・世界史の成立
    秦漢帝国
    隋唐帝国
    13世紀:高麗(918~1392年)・元(1271~1368年)・日本(鎌倉時代:1185年頃~
   1333年)。
          「元寇」(1274年、1281年)
    16世紀:朝鮮(1393年~)・明(1368~1644年)・日本
          壬辰倭乱(1592~1593年)・丁酉倭乱(1597~1598年)
    17世紀:朝鮮(1393年~)・清(1616年、後金建国→1662年、明滅亡)・日本
          丁卯戦争(1627年)・丙子戦争(1636~1637年)

東アジア近現代史
    1840~1842年:アヘン戦争
    1894~1895年:東学農民戦争、日本・朝鮮・清戦争、台湾植民地化
    1904~1905年:日ロ戦争
    1910年:朝鮮植民地化
    1919年:3・1独立運動、5・4運動
    1931~1945年:国民国家日本の中国侵略
    1945年:アジア太平洋民衆の抗日戦争勝利
    1975年:ベトナム統一

  日本国家のアジア太平洋侵略責任(植民地支配責任、戦争責任、戦後責任)

3、世界戦争としての朝鮮戦争
    根本原因:日本の植民地支配
    参戦国:朝鮮人民軍、韓国軍、アメリカ合州国軍(「国連軍」)、ソ連軍、中国軍
        日本、実質的に参戦
    朝鮮民衆を犠牲にして日本経済が復興
    民衆虐殺:朝鮮全域でのUSA軍と韓国軍・警による民衆虐殺(老斤里虐殺……)
    北朝鮮軍の南朝鮮民衆殺害
    金日成政権の歴史の偽造

4、分断国家・分断民族・分断地域
    朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国・大韓民国)
    モンゴル(モンゴル〈←モンゴル人民共和国〉・内モンゴル自治区〈←内モンゴル自治
   政府〉・ブリヤート共和国・トゥバ共和国)
    アゼルバイジャン
    アルメニア
    クルディスタン
    キプロス島
    カリマンタン島(ボルネオ島)
    チモール島
    パプア島
    イスパニョラ島
    アイルランド島
  単一民族国家という虚偽

5、移民・植民
  先住民の大地への侵入・先住民殺戮
    タスマニに侵入したイギリス人は先住民を「狩猟」した(1828~1832年の「ブラック
   ウォー」でタスマニア人ほとんど絶滅し、生き残った人はフリンダーズ島へ強制移住
   させられた。1878年、最後のタスマニア人トルガニーニ、死亡)。
    
    移民国家・植民国家
       ◇アメリカ合州国(「西部開拓」という最悪の侵略犯罪)
       ◇カナダ
       ◇メキシコ、グアテマラ、ホンジュラス……
       ◇ペルー、ボリビア、チリ、ブラジル、アルゼンチン……
       ◇イスラエル

    国名・地名が植民地であったこと、植民地であったことを示している。
       アメリカ、コロンビア、フィリピン

  奴隷貿易(強制移住)・強制連行

6、差別・ジェノサイド
   部落差別(日本の部落差別の根源:天皇制)
   民族差別・人種差別(民族差別・人種差別の根源:侵略・植民地支配)
   
   侵略イデオロギー=差別思想:なぜ、世界的規模でヘイトクライムが繰り返されるのか。

   衡平社・水平社:日本の朝鮮植民地化を前提にしていた水平社は、1937年に日本ナショ
  ナリスト集団になってアジア太平洋侵略戦争に積極的に加担した。
   差別と侵略のイデオロギー装置:天皇制
     「天皇の軍隊に虐殺された久米島住民久米島在朝鮮人 痛恨之碑」(1974年8月20日
    建立)
     「三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑」(1994年11月20日建立)
        碑文:李基允氏と裵相度氏が、朝鮮の故郷で生活できずに、日本に働きにこな
          ければならなかったのも、異郷で殺されたのも、天皇(制)のもとにすすめら
          れた日本の植民地支配とそこからつくりだされた朝鮮人差別が原因でした。

7、東アジアにおける民衆解放闘争の歴史
  太平天国・東学党・活貧党・義和団・抗日義兵・台湾原住民村落集団(霧社……)
    太平天国:1851~1864年。
    対義和団運動8か国連合軍(イギリス軍、USA軍、ロシア軍、フランス軍、ドイツ軍、
   オーストリア=ハンガリー軍、イタリア軍、日本軍)。
    抗日義兵戦争の歴史的意味:東アフリカ民衆ガマジマジ戦争を戦っているさ中、1906年
   に、朝鮮で反日義兵が中心となって独立戦争を開始。数年にわたる戦いのなかで、大量
   の武器と弾薬をもって襲撃してくる日本の軍警によって、日本側文書によっても1万7千人
   を越す朝鮮民衆が殺害された。
    台湾原住民の抗日反日武装闘争
    ベトナム民衆のゲティン烽起(1930~1931年)

                           金靜美(김정미 キム チョンミ)
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「跡かたもなく消えた公州'集団虐殺地'現場案内板」

2017年01月09日 | 韓国で
http://www.ohmynews.com/NWS_Web/View/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0002269808
「오마이뉴스」최종 업데이트 16.12.12 17:06l   심규상 기자(djsim)
■감쪽같이 사라진 공주 '집단 학살지' 현장 안내판
 공주유족회, 공주시에 "누가, 왜 훼손했는지 밝혀달라"

【写真】지난 2008년 12월, 국가기구인 ' 위한 과거사정리위원회'와 '공주시'가 수 백만 원을 들여 세운 집단희생사건 현장 안내판, 하지만 감쪽 같이 사라졌다. (오마이뉴스 자료사진)

 충남 공주시 왕촌 살구쟁이(상왕동) 민간인 집단학살 사건을 알리는 현장 안내판이 사라졌다. 사건 희생자 유가족 모임인 공주유족회는 공주시에 사라진 경위를 조사해 행정 조치를 취해달라고 요청했다.
 '한국전쟁 전후 민간인희생자 공주유족회' (아래, 공주유족회) 관계자는 지난 10일 공주 왕촌 현장을 방문했다가 깜짝 놀랐다. 몇 달 전까지 서 있던 집단 희생 사건의 진실을 기록한 현장 안내판이 감쪽같이 사라진 것이다. 주변을 샅샅이 뒤졌지만, 흔적조차 찾을 수 없었다.
 현장 안내판은 지난 2008년 12월, 국가기구인 '진실·화해를 위한 과거사정리위원회'와 '공주시'가 수백만 원을 들여 만든 것이다. 양쪽 면에 사건 개요와 사건 직전 모습이 담긴 당시 희생자 사진, 유해 매장지에 대한 설명 등을 기록, 2차선 도로변 입구에 세웠다. 이후 새겨 놓은 글귀가 흐려져 선명하게 보수 작업을 벌이기도 했다.

【写真】현장 안내판이 서 있던 2차선 도로. 누군가에 의해 현장 안내판이 뽑혀 사라졌다.

 12일 공주유족회는 공주시에 사라진 안내판의 행방을 찾아 달라고 신고했다. 다른 한편 경찰에 공공물을 훔치거나 훼손한 사람을 밝혀 줄 것을 수사 의뢰하는 방안도 검토 중이다.
 공주유족회는 현장 안내판이 있던 인근 땅이 중장비를 이용, 정돈된 것으로 보아 공사과정에서 훼손됐을 가능성도 배제하지 않고 있다.
 곽정근 공주유족회장은 "누군가 불순한 의도로 사건의 진실을 기록한 현장 안내판을 훼손한 것으로 보인다"며 "반드시 찾아 법적 책임을 물어야 한다"고 말했다.
 공주시 관계자는 "경위 확인 후 조치 방안을 모색해보겠다"고 말했다.
 진실·화해를 위한 과거사 정리위원회는 지난 2010년 공주 상왕동 살구쟁이에서 1950년 7월 9일께 공주형무소 재소자와 국민보도 연맹원 등 최소 400여 명을 공주 CIC분견대, 공주파견헌병대, 공주지역 경찰 등이 집단학살한 일은 '진실'이며 '명백한 불법행위'라고 밝힌 바 있다.
 이에 따라 국가와 지방자치단체에 ▲ 희생자 위령제 봉행 및 위령비 건립 등 위령 사업 지원 ▲ 유해발굴과 유해안치장소 설치 지원 등을 권고했다.
 하지만 공주시는 지난 2015년 관련 희생자 위령 사업 지원조례가 제정됐는데도 아무런 관심을 기울이지 않고 있다.

コメント (1)
この記事をはてなブックマークに追加

証言の記録と伝達

2017年01月08日 | 海南島史研究
 1998年6月から2016年11月まで、30回、紀州鉱山の真実を明らかにする会と海南島近現代史研究会のなかまと共に海南島を訪ねた。
 この18年間、のべ500日あまりの日々に、1000か所ほどの村々で、5000人をこえる方がたに話しを聞かせていただくことができた。また、それぞれの村のなかの日本軍・日本企業の侵略犯罪の現場に案内していただくことができた。
 アジア太平洋の各地における国民国家日本の侵略犯罪の実態解明を日本政府はおこなっていないだけでなく、侵略犯罪をなかったことにしようとし続けている。
 わたしは、海南島における国民国家日本の侵略犯罪にかかわる歴史的諸事実を、海南島の人びとの証言を基礎としつつ、公開されている関係史料・資料、文献をできるかぎり網羅的に点検し、批判的に参考にして伝達しようとしてきた。
 しかし、その作業は、まだ極めてわずかしかすすめることができていない。
 日本の海南島侵略が海南島の人たち一人ひとりの人生にもたらしたことがらは、わたしには記録し伝達することができない深く大きなものである。
 はじめはそうではなかったが、最近の数年間は、海南島で話を聞かせていただいているとき、証言者と自分の人生を重ねて考えることが多くなってきた。
 歴史認識・歴史叙述の客観性は、認識主体の立場・生き方・人生と無関係ではない。
 死者は、ことばや身振りでは証言できない。
 日本政府・日本軍・日本企業によって殺害された犠牲者は、証言できない。
 20年間の聞きとりという時間がすぎたいま、ようやく、国民国家日本の侵略犯罪の実態と本質をいくらかつかむことがきたように思う。
 海南島で聞かせていただいた証言を記録し伝達する準備をはじめてから10年あまりが過ぎた。
 この間、なんども作業を中断した。
 それは、証言の内容と証言者の思いを伝達することに苦しんだからであるが、なによりも突然命を絶たれた犠牲者の生涯をすこしでも知り、それを伝達するということの重さに耐え続けていることができなかったからだと思う。
 しかし、聞かせていただいた証言は記録し伝達しなければならない。
 わたしに残されている時間が多くはなくなっている。
 
                             佐藤正人
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

アメリカ合州国史

2017年01月07日 | 個人史・地域史・世界史
1776年7月4日、東部13州が独立宣言(United States Declaration of Independence)。
1803年、フランス領ルイジアナ購入。
1814?~19年?、1835~42年、1855~58年、「セミノール戦争」。
1821年、スペインからフロリダを購入。
1830年5月、「インディアン移住法(Indian Removal Act)」。
1861~65年、「南北戦争」。
1864年11月29日、サンドクリークの大虐殺(Sand Creek Massacre)。
1867 年10月、ロシア帝国からアラスカ購入。
1868年11月27日、ウォシタの大虐殺(Washita Massacre)。
1890年12月29日:ウンデットニーの大虐殺(Wounded Knee Massacre)。
1890年、アメリカ合州国国勢調査局、「フロンティアの消滅」を宣言。
1898年、ハワイ王国「併合」。
1898年4月~8月、スペインと戦争。
1898年12月、スペインからプエルトリコ、フィリピン、グアム島を2千万ドルで購入し領土化。
1899年2月~1902年~1913年、フィリピン・アメリカ合州国戦争。
1915年、フィリピン全土を植民地化。
1945年8月、日本に原子爆弾投下(無差別大量虐殺)。
1950年6月、朝鮮戦争に参戦。
1965年3月8日、海兵隊3,500人ベトナムのダナンに上陸。3月26日、大規模な「北爆」開始(19
       68年10月中止。ベトナム南部での空爆は継続)。
1968年3月16日、アメリカ合州国陸軍ソンミ村で住民虐殺。
1972年5月、「北爆」再開。
1975年4月30日、ベトナムから敗退。
1991年1月17日~2月28日、「湾岸戦争」。
2001年10月7日、アフガニスタンへの「侵攻」開始( 2014年12月28日、撤退。無人爆撃機によ
       る空爆は継続)。
2003年3月20日、イラクへの「侵攻」開始(2011年12月14日、撤退)。

                               佐藤正人
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

アメリカ合州国軍艦のオタル入港を許さない

2017年01月06日 | 個人史・地域史・世界史
 きょう(2017年1月6日)、オタル市から米空母に反対する市民の会に、アメリカ合州国軍の軍艦「マッキャンベル」(USS MCCAMPBELL。DDG−85)のオタル入港要請があったという連絡がありました。
 入港目的は「親善」とされており、入港予定日時は、2月3日午前9時、出港予定日時は2月7日午前9時、回答期限は1月20日となっています。

 アメリカ合州国艦船は、毎年のように、オタル港に侵入しています。アメリカ合州国艦船のオタル港使用が常習化され、オタル港の再軍港化がすすめられています。
 昨年2月にも、アメリカ合州国海軍第7艦隊に所属し佐世保港を「母港」としている掃海艦「パトリオット」が3日から7日まで、在日アメリカ合州国海軍横須賀基地に「配備」されたばかりのミサイル駆逐艦「ベンフォールド」が5日から9日まで、オタル港に停泊しています。

 米空母に反対する市民の会は、緊急に、オタル市長(オタル港湾管理者)に「マッキャンベル」のオタル入港を許可しないことを要請しに行きます。

                                  佐藤正人
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

海南岛近现代史研究会第19期定期研讨会

2017年01月05日 | 海南島近現代史研究会
  亚洲太平洋侵略战争战败后,日本国家参与了朝鲜战争,越南战争,海湾战争,阿富汗战争……,2015年9月,日本政府又公布了≪战争法≫。日本对其它地区其它国家的侵略时代其实并未结束。
  侵略犯罪的加害者的真实证言实在太少,关于日本国家和社会企图隐瞒的过去侵略犯罪事实,有不少情况乃是通过牺牲者和被害者的证言阐述而得以佐证。
  日本并不只是在其它地区其它国家进行侵略犯罪。就连日本国内的侵略犯罪事实仍未充分公布于众。
  我们希望和大家一起共同讨论如何根据证据资料(包括日本政府的文书,日本军队的资料)和证言,尽量具体地阐明日本的侵略犯罪事实,如何将其传达。

       时间:2017年2月5日(星期日) 13时00分~17时(开场时间12时30分)
       地点:国劳大阪会馆 第二小会议室   大阪市北区锦町2-2
       费用:500日元(会员免费)

主题:证言・记录・传达

■主题报告 关于听取证言,记录证言,传达证言主体的立场    
                                    佐藤正人

■主题报告 被强行带到海南岛,阿伊努茅希利,冲绳,日本等地的朝鲜人证言
                                    金静美

■主题报告 日本在海南岛的国家犯罪及日本民众的历史责任
                                    齐藤日出治

■主题报告 2002年,2003年,2006年在海南岛听取证言之事
                                    日置真理子

■主题报告 在海南岛被日本军炸死的抗日战士妻子的证言
                                    竹本升

■主题报告 原海南警备府特别陆战队士兵 湊健一和大桥敏太郎2016年的证言

■讨论 日本国家的侵略犯罪的牺牲者的记忆和加害者的记忆
      关于通过被害者和加害者的证言阐明日本侵略犯罪事实的民众运动。

■报告 对删除加害展示的“大阪国际和平中心”诉讼的现状
                                    竹本升

■报告 《忘记过去意味着背叛》、《控诉 采访九位海南慰安妇实录》、《海南省重要革命遗址
   通览》、《海南省抗日战争时期人口伤亡和财产损失》

■调查报告 第17次 (第30次)海南岛「现地调查」(2016年11月) 
  报告在文昌市玉堂村・秀田村・坡头村,澄迈县永跃村・龙楼村・加丙村・排坡园村・雅颂村・雅头村・新村,海口市演丰村・美良村・新桥村・美桐村,临高县美吉村・亲仁村・和伍村等听取的证言。

■关于2017年4月进行第18次(第31次)海南岛近现代史研究会海南岛「现地调查」

                 海南岛近现代史研究会 http://www.hainanshi.org/
コメント
この記事をはてなブックマークに追加