https://ryukyushimpo.jp/news/entry-249771.html
「琉球新報」 2016年4月2日 05:05
■グアム、独立問う住民投票 知事発表、11月にも 「米属領」に不満
米国グアム準州のグアム政府脱植民地化委員会は1日、11月にもグアムの独立などの是非を問う住民投票を実施することを決めた。同委員長のエディ・バザ・カルボ知事が公表した。グアム住民は米大統領選に投票できず、米連邦下院の代表者に議決投票権がないなど、民主主義の制度が制限された「米国の属領」的地位に、住民の不満が募っていた。グアムの米軍基地拡大計画も、グアム住民の意思に関係なく、米政府、米連邦議会が決定してきたとして、先住民のチャモロ人らから強い反発がある。
グアムには在沖米海兵隊約4千人の移転が決まっており、日米両政府は2013年10月に移転を20年代前半に開始することで合意している。カルボ知事も基本的には移転に賛同している。
投票する際の選択肢は「完全独立」「自由連合国」「米国の州」の三つ。「自由連合国」は、パラオ、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島のように、内政権、外交権を持っているが、軍事権は米国が持つ国のことで、国連には加盟できる。
住民投票は、国連憲章で自己決定の原則を宣言した第1条(2)と第55条を根拠に実施する。
グアムは、国連脱植民地化特別委員会から「非自治地域」に登録されており、国連憲章では、統治国の米国に自治への支援を義務付けている。全ての人民は自己決定権を有し政治的地位を自由に決めることができるとする植民地独立付与宣言も根拠となる。
国連憲章第73条に基づき、米国にはグアムの住民投票の決定を尊重することが求められる。米政府が投票の結果を公認しない場合でも、国際社会や国連からの米国への圧力が予想される。
住民投票を目指すグアムの関係者と交流が深い松島泰勝龍谷大教授は「住民投票は、東ティモールと同様に、国連の監視下で行われるだろう。東ティモールも非自治地域にリスト化されていたが、住民が独立を選択して、独立を実現できた。米国もグアムの住民投票の結果を無視できない」と指摘する。
その上で「グアムは琉球と同じく植民地だ。国連、国際法、国際的なネットワークを活用して、グアムは具体的に脱植民地化のための歩みを進めている」と強調した。 (新垣毅)
https://www.chosyu-journal.jp/kokusai/4996
「長周新聞」 2017年10月11日
■米国の核基地・グアムで高まる脱植民地化の世論
【写真】「平和と正義を」のスローガンを掲げてデモ行進するグアム住民
北朝鮮のミサイルの標的に名差しされたグアムの先住民(チャモロ人)を中心に、「戦争ではなく平和を」を掲げた集会とデモが7月14日、グアムで開催された。グアムではこの日を、第2次世界大戦中の1944年に「日本の占領から米軍が解放した記念日」として祝うことになっている。こうしたなかで、北朝鮮との武力対決を煽るトランプ大統領に抗議し、対話による平和的解決を求める行動が発展していることが、内外の注目を集めている。
この集会を取材したAP通信は、「彼ら(グアムの先住民)は数世紀にわたり戦争行為に耐え続けたにもかかわらず、またも新たな対立に巻き込まれ辟易している」と、次のように伝えている。
「チャモロ人はスペイン人開拓者による植民地化、第2次世界大戦中の激しい交戦、そして島で着々と拡大するアメリカ軍の駐留といった苦難に耐えてきた。グアムに詳しいある専門家によると、アメリカ対北朝鮮の戦争が勃発し、グアムが標的となれば、グアムの土着文化にとっては“破滅的な被害をもたらす、言葉にならないほど悲惨な”事態になる」 「第2次世界大戦中、アメリカと日本によるグアムを巡る争いが勃発し、グアムの首都ハガニアがほぼ壊滅した。戦後の時代においてもグアムの復興に向けた取り組みはほとんど実施されないままだ」。
長島怜央・法政大学特任研究員(非常勤講師)は、著書『アメリカとグアム-植民地主義、レイシズム、先住民』(有信堂)で、アメリカはグアムを州ではなく「非編入領土」と位置付けており、グアムが「実質的にアメリカの植民地である」ことを明確にしている。グアム住民はアメリカの市民と見なされるが、国政への参加は制限されている。住民は大統領選挙での選挙権を持たず、連邦議会の完全な議員を選出できない。つまり上院には代表を出すことはできず、下院代表も決議権などに制約がある。
グアムで1980年代半ばから活動する「先住民の権利のための人民機構(OPI-R)」は、連邦政府がグアムを核弾頭(現在は約370発)の保管場所、原子力艦や原子力潜水艦の寄港地、核搭載機の集結地として使用される島という、核戦争を想定した軍事的な戦略拠点としてしか位置付けていないことを批判してきた。
現在、アンダーセン空軍基地はアメリカ海軍のヘリコプター飛行隊の拠点となっている。さらに空軍のB2ステルス爆撃機やB1、B52爆撃機など、アメリカ本土とグアムを行き来する空軍の爆撃機を配備している。アプラ港は原子力潜水艦の基地として知られる。さらに、グアムは戦闘継続に不可欠な弾薬の供給拠点でもあり、「世界最大の弾薬庫」ともなっている。
★日本軍にかわり米軍が占領
チャモロ人の脱植民地化への志向は、1990年代にかけて発生した観光・リゾートのためのホテル建設によって破壊された第2次世界大戦中の死者の埋葬地の処遇をめぐる社会問題をともなって発展した。それはまた、「チャモロ人はアメリカに解放されたか?」という問題意識がグアム住民の間で高まっていく過程でもあった。
長島氏は、そのような問題意識の根底に、「日本軍政下の苦難を乗り越えたというチャモロ人の戦争体験が、アメリカという国家への愛国心に絡め取られてしまっている危機感」があったと指摘する。そのもとで戦前からの「英語オンリー政策」がさらに強まり、米軍への志願者、ベトナム戦争での戦死・戦傷者は全米の数倍にのぼるまでになった。さらに、米軍やその家族の移住による「人口増加」とともに、基地労働への依存(米兵とその家族への下僕化)など、グアム社会の「軍民共同体化」が確立されていったからである。さらに、沖縄から海兵隊とその家族が大量に押し寄せることになっている。
長島氏は、グアムにおける歴史的に重要な社会問題の一つに、土地問題をあげている。アメリカはグアムを重要な戦略拠点と位置付け、第2次世界大戦中と戦後に大規模な基地建設をおこなった。その軍用地の多くは、先住民であるチャモロ人から接収した土地であった。「戦争による荒廃で住民が不安に陥っているなかで、一方的におこなわれた接収」であった。住民が米軍の避難所から地元に帰って見たのは、自分たちが耕していた土地が基地と化した現実であった。
長島氏によれば、第2次世界大戦中の一時期、グアムを占領した日本軍を駆逐するために米軍が再上陸したことを「解放」と呼ぶことに異議をとなえ、「解放記念日は“再占領日”だ」との観点から、グアム住民のなかで次のような言説が広がってきた。
「米軍のグアム奪還における主都ハガッニャの爆撃破壊は、実は必要ではなかった」「米軍に接収されたのがチャモロ人の自給自足生活を可能にしていた肥沃な土地であった」「にもかかわらず施し物に全面的に依存した怠惰で無気力なやつという批判にチャモロ人が苦しまなければならない(原因については考慮されず)」「戦後世代が軍のないグアムの暮らしを想像できない」「英語オンリー政策が祖先伝来の言語と生活様式を脅かしてきた」
戦後は、戦前以上に「英語オンリー政策」が徹底された。長島氏は教育のアメリカ化がこれと一体のものであったことを強調している。「1960年代までは“話すのは英語のみ”の掲示は学校や役所で見られた。生徒たちは学校でチャモロ語を話すと罰を受けた」。
英語を話せることが経済的利益と結びつくようになった。アメリカ本土やハワイから教員がやって来るようになり、1970年代初頭には、チャモロ人教員の比率が4分の1にまで下がった。教会もチャモロ語の使用をやめた。
OPI-Rの元メンバーの1人は早くから、「アンクルサム(アメリカ)の存在によって朝鮮戦争・ベトナム戦争や365の核弾頭がグアムにもたらされてきた」「これらすべて防衛の名のもとに 次に戦争が起きたときに確実なターゲットであることが保護行為なのであろうか?」と問いかけてきた。そして、「われわれは民主主義のなかで生活していくのか。われわれは軍事基地における従属民として生活しているのか? すべての人びとへ平等と正義を与える自治の自由をわれわれは手に入れるときである」という提起は、今では広範な住民が共有するものとなっている。
こうした訴えは、沖縄や岩国をはじめ共通した民族的課題を抱える日本国民の魂に、奥深く染みわたるものがある。
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/49970
「沖縄タイムス」 2016年7月7日 20:30
■基地負担は「セカンドクラス」へ グアムと沖縄、差別の類似性 屋良 朝博(やら ともひろ)
「沖縄人は東京からセカンドクラスとして扱われていることに不満を抱いている」―。
この言葉はワシントンポスト紙(2016年6月17日電子版)に掲載されたグアム住民投票に関する記事に書かれている。グアムで今年11月にも実施される住民投票は、沖縄からの海兵隊移転に刺激され、一部で独立論を勢いづかせているという内容だ。中央政府からぞんざいに扱われ、軍事基地を押し付けられていることに対する反発心が沖縄とグアムに共通しているようだ。
【写真】グアムのアンダーセン空軍基地(2009年6月撮影)
グアム大学で言語学を教えるマイケル・ホワン・ベバクワ氏は、「新たな基地建設がグアム人も米国市民であるというファサード(見せかけ)にひび割れを生じさせた」と分析する。沖縄からの海兵隊移転はワシントンの横暴だと批判的な別の識者は、「グアムのつくりは米国植民地であり、為政者は何でもできると考えている。そのことは島内を10分もドライブすれば気づくはずだ」と指摘している。
グアムの立場を沖縄に置き換えて、識者のコメントを読み返すとぴたりと重なる。美しい辺野古沖を埋め立てるという中央政府の強引な手法に、沖縄の日本人意識は大きく傷つけられてきた。沖縄は日本ですか、という問いかけが沖縄人の心の底から染み出し、沖縄アイデンティティーを主張する翁長雄志知事の問いかけがウチナーンチュ(沖縄人)を揺さぶる。沖縄の外観が米軍占領の原型をとどめていることは、沖縄本島をドライブすればすぐに分かる。
★二等国民
冒頭で、「沖縄はセカンドクラス」という刺激的なフレーズをあえてワシントンポスト紙の記事から抜き出した。「二等国民」という訳が適当かは分からないが、それが外国人記者の目に映る沖縄の実相であることを思い知らされるからだ。沖縄の日本人意識もまたファサードなのだろう。西銘順治元知事(1978年から3期12年)が朝日新聞のインタビューで、「沖縄の心とは」と問われ、「それはヤマトンチュー(大和人)になりたくて、なりきれない心だろう」と答えたのは名言だ。戦前戦後の差別、本土復帰後もなお米軍基地を押し付けられ、日本から疎外されているという思いが元知事にそう言わせたのだろう。
実はその異質性こそが日米両政府による米軍基地押し付けの根拠となっている、と筆者は考えている。
最近、ジャーナリストのジョン・ミッチェル氏がスクープした海兵隊の沖縄案内資料が差別的だと話題になった。米本国の海兵隊基地からローテーションで沖縄へ赴任する隊員への教育プログラムで使われている内部資料だ。本紙でも細かく紹介されたが、その中に沖縄へ基地が集中する理由をさらりと記述してあった。筆者は20年以上も沖縄米軍基地の取材を続けているが、米軍が作成した資料でこれほど明確に基地集中を説明したものは読んだ記憶がない。
「日本政府が沖縄駐留を望んでいる。なぜなら、本土で代替施設を探せないからだ」
それだけのことだった。 「沖縄の歴史と政治状況」という題の資料はスライドで全36枚。米軍の沖縄駐留については、「沖縄と本土の関係」の中で説明されている。日本政府が繰り返す「地理的優位性」でもなければ、「軍事戦略」でもない。日本と沖縄の関係の中に基地問題が潜伏していたことに気づかせてくれる。(このことは6月27日発売の雑誌「アエラ」にも書いた)
「沖縄と本土の関係性」はスライドたった1枚の情報だが、その中に凝縮された基地集中の理由は、前述したグアム島との類似性を再確認させる。まず書かれているのは、「沖縄県民は日本人である前に沖縄人であることを意識する」というウチナーンチュの独自性=異質性だ。「1879年に強制的に日本帝国に引き入れられて以来、劣った民族として本土から差別を受けてきた」と歴史的な背景を説明している。
その上で、基地問題へと転じる。
「過去20年以上にわたり、日本政府と沖縄県は立場が異なり、多くの場合、対立しあっている。日本政府は米軍部隊と基地がとどまることを希望している(なぜなら本土で代替地を探せないからだ)」
なんてことはない、森本敏元防衛大臣が語った通りである。沖縄に海兵隊が駐留するのは、地理的優位性や軍事的な理由ではなく、政治的に許容できるのが沖縄でしかないからだ。ただ、沖縄は過去も現在も基地を許容した覚えはなく、71年間も基地問題を最大の政治テーマにし続けている。「許容する」の主語は本土であることが、海兵隊資料の短い文章から読み取れる。沖縄に集中することを日本の政治が「許容」しているからだ。
★軋轢の隙間に基地
外国軍が独立国の中に駐留することは政治的に難しい。沖縄だけが基地反対を言っていると思われがちだが、かつては日本本土の反基地、反安保運動はもっと激しく、警察との衝突で死者も出た。それは韓国でも、イタリア、ドイツ、英国などでも米軍基地問題には神経質だ。国家の意思と直結しない武装集団を抱えるのだから、無理からぬことだ。
従って外国軍は政治圧力が弱ければ安定的な駐留ができる。沖縄のように政治マイノリティーの地域が好都合である。沖縄に米軍基地が集中した1950、60年代は本土で反基地運動が燃え盛り、米政府は在日米軍の「不可視化」を進めた。国民の目が届きにくい場所へ問題を集中させると、現在のオキナワが出来上がった。
沖縄で20歳の娘さんが米軍属の男に殺された事件が、オバマ米大統領の広島訪問でかき消されたように、多くの場合、沖縄基地問題は政治を揺るがすほどの問題にはならない。あろうことか安倍首相は事件再発防止を求めた日米首脳会談で、普天間移設は名護市辺野古が「唯一の選択肢」と語った。そして舛添元東京都知事のせこい政治資金問題が報道を占拠し、20歳の犠牲は日本人の関心事ではなくなった。日米地位協定のわずかな改定で事件に対する政府対応は幕引きとなり、参院選後には辺野古移転の工事に向けた“沖縄攻め”を再開させるだろう。
★占領者の目
沖縄における米軍駐留の政治的圧力は極めて小さいのだ。沖縄人がいくら反対しても人口比でわずか1%の抵抗でしかない。米軍にとっては実に住みよい場所であり、日本もおおむねこの状態に満足しているということだ。
かつてGHQ(連合国軍総司令部)のダグラス・マッカーサー最高司令官は沖縄島を基地化する理由をこう語った。
「琉球住民は日本人ではなく、本土の日本人と同化したことがない。それに日本人は彼らを軽蔑している。(中略)彼らは単純でお人好しであり、琉球諸島におけるアメリカの基地開発により、かなりの金額を得て比較的幸せな生活を送ることになろう」
この物言いはいまも変わらない。海兵隊作成の「沖縄の歴史と政治状況」の資料にも同じような「蔑視」とも受け取れる内容の記述がある。
「沖縄県や自治体は基地問題をテコに、中央政府から補助金や振興策を引き出している」「沖縄の新聞は偏向している」「沖縄の人は一般的に情報に疎く、彼らは限られた視界で物事をみている」
ネトウヨといわれる輩が沖縄に向ける罵詈雑言の出元は米軍なのかもしれない、と思えるほどだ。日本と沖縄との関係性の中で、セカンドクラスの地域に負担は押し付けられ、それが差別であることを国民は気づかなくなってしまった。
冒頭のワシントンポストの記事はグアムの現状をこう書いている。「地元の経済人は『基地を減らしたり、撤去させたりすることは経済的な自殺である』と指摘している。連邦政府は社会保障費と米兵の住民税だけで6億ドルを投下している」
人口16万人の島にとっては連邦政府の財政移転は生命線であることがわかる。米軍の試算によると、沖縄からの海兵隊移転で3000人の雇用が生まれ、4000万ドルの税収増が見込まれているという。
それでもグアムのエディ・カルボ知事はグアムの政治的な立場への不満を語る。「準州でなく、州になれるのなら、喜んで連邦税を払おう。どのような状態であれ、非自治地域(属領)よりはましだ。なぜならそれは植民地と同じだからだ」。
沖縄はグアムとは経済状態が違う。補助金、交付税を合わせた財政移転は全国14位で、納税額も全国29位なので、沖縄は経済的にもけっこうがんばっている。基地が大幅に縮小されても経済破綻はあり得ないだろう。しかし基地経済のメリットや政府の財政支援をめぐる評価で地元が分断される状況は、沖縄もグアムも共通する苦悩であろう。カルボ知事はそれを「植民地」と表現した。
米軍基地は「セカンドクラス」の構造的差別に安住し、中央政府は財政・経済的メリットを恩着せがましく誇張する。これに対しグアム住民が11月にどのような判断を下すのか目が離せない。
「琉球新報」 2016年4月2日 05:05
■グアム、独立問う住民投票 知事発表、11月にも 「米属領」に不満
米国グアム準州のグアム政府脱植民地化委員会は1日、11月にもグアムの独立などの是非を問う住民投票を実施することを決めた。同委員長のエディ・バザ・カルボ知事が公表した。グアム住民は米大統領選に投票できず、米連邦下院の代表者に議決投票権がないなど、民主主義の制度が制限された「米国の属領」的地位に、住民の不満が募っていた。グアムの米軍基地拡大計画も、グアム住民の意思に関係なく、米政府、米連邦議会が決定してきたとして、先住民のチャモロ人らから強い反発がある。
グアムには在沖米海兵隊約4千人の移転が決まっており、日米両政府は2013年10月に移転を20年代前半に開始することで合意している。カルボ知事も基本的には移転に賛同している。
投票する際の選択肢は「完全独立」「自由連合国」「米国の州」の三つ。「自由連合国」は、パラオ、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島のように、内政権、外交権を持っているが、軍事権は米国が持つ国のことで、国連には加盟できる。
住民投票は、国連憲章で自己決定の原則を宣言した第1条(2)と第55条を根拠に実施する。
グアムは、国連脱植民地化特別委員会から「非自治地域」に登録されており、国連憲章では、統治国の米国に自治への支援を義務付けている。全ての人民は自己決定権を有し政治的地位を自由に決めることができるとする植民地独立付与宣言も根拠となる。
国連憲章第73条に基づき、米国にはグアムの住民投票の決定を尊重することが求められる。米政府が投票の結果を公認しない場合でも、国際社会や国連からの米国への圧力が予想される。
住民投票を目指すグアムの関係者と交流が深い松島泰勝龍谷大教授は「住民投票は、東ティモールと同様に、国連の監視下で行われるだろう。東ティモールも非自治地域にリスト化されていたが、住民が独立を選択して、独立を実現できた。米国もグアムの住民投票の結果を無視できない」と指摘する。
その上で「グアムは琉球と同じく植民地だ。国連、国際法、国際的なネットワークを活用して、グアムは具体的に脱植民地化のための歩みを進めている」と強調した。 (新垣毅)
https://www.chosyu-journal.jp/kokusai/4996
「長周新聞」 2017年10月11日
■米国の核基地・グアムで高まる脱植民地化の世論
【写真】「平和と正義を」のスローガンを掲げてデモ行進するグアム住民
北朝鮮のミサイルの標的に名差しされたグアムの先住民(チャモロ人)を中心に、「戦争ではなく平和を」を掲げた集会とデモが7月14日、グアムで開催された。グアムではこの日を、第2次世界大戦中の1944年に「日本の占領から米軍が解放した記念日」として祝うことになっている。こうしたなかで、北朝鮮との武力対決を煽るトランプ大統領に抗議し、対話による平和的解決を求める行動が発展していることが、内外の注目を集めている。
この集会を取材したAP通信は、「彼ら(グアムの先住民)は数世紀にわたり戦争行為に耐え続けたにもかかわらず、またも新たな対立に巻き込まれ辟易している」と、次のように伝えている。
「チャモロ人はスペイン人開拓者による植民地化、第2次世界大戦中の激しい交戦、そして島で着々と拡大するアメリカ軍の駐留といった苦難に耐えてきた。グアムに詳しいある専門家によると、アメリカ対北朝鮮の戦争が勃発し、グアムが標的となれば、グアムの土着文化にとっては“破滅的な被害をもたらす、言葉にならないほど悲惨な”事態になる」 「第2次世界大戦中、アメリカと日本によるグアムを巡る争いが勃発し、グアムの首都ハガニアがほぼ壊滅した。戦後の時代においてもグアムの復興に向けた取り組みはほとんど実施されないままだ」。
長島怜央・法政大学特任研究員(非常勤講師)は、著書『アメリカとグアム-植民地主義、レイシズム、先住民』(有信堂)で、アメリカはグアムを州ではなく「非編入領土」と位置付けており、グアムが「実質的にアメリカの植民地である」ことを明確にしている。グアム住民はアメリカの市民と見なされるが、国政への参加は制限されている。住民は大統領選挙での選挙権を持たず、連邦議会の完全な議員を選出できない。つまり上院には代表を出すことはできず、下院代表も決議権などに制約がある。
グアムで1980年代半ばから活動する「先住民の権利のための人民機構(OPI-R)」は、連邦政府がグアムを核弾頭(現在は約370発)の保管場所、原子力艦や原子力潜水艦の寄港地、核搭載機の集結地として使用される島という、核戦争を想定した軍事的な戦略拠点としてしか位置付けていないことを批判してきた。
現在、アンダーセン空軍基地はアメリカ海軍のヘリコプター飛行隊の拠点となっている。さらに空軍のB2ステルス爆撃機やB1、B52爆撃機など、アメリカ本土とグアムを行き来する空軍の爆撃機を配備している。アプラ港は原子力潜水艦の基地として知られる。さらに、グアムは戦闘継続に不可欠な弾薬の供給拠点でもあり、「世界最大の弾薬庫」ともなっている。
★日本軍にかわり米軍が占領
チャモロ人の脱植民地化への志向は、1990年代にかけて発生した観光・リゾートのためのホテル建設によって破壊された第2次世界大戦中の死者の埋葬地の処遇をめぐる社会問題をともなって発展した。それはまた、「チャモロ人はアメリカに解放されたか?」という問題意識がグアム住民の間で高まっていく過程でもあった。
長島氏は、そのような問題意識の根底に、「日本軍政下の苦難を乗り越えたというチャモロ人の戦争体験が、アメリカという国家への愛国心に絡め取られてしまっている危機感」があったと指摘する。そのもとで戦前からの「英語オンリー政策」がさらに強まり、米軍への志願者、ベトナム戦争での戦死・戦傷者は全米の数倍にのぼるまでになった。さらに、米軍やその家族の移住による「人口増加」とともに、基地労働への依存(米兵とその家族への下僕化)など、グアム社会の「軍民共同体化」が確立されていったからである。さらに、沖縄から海兵隊とその家族が大量に押し寄せることになっている。
長島氏は、グアムにおける歴史的に重要な社会問題の一つに、土地問題をあげている。アメリカはグアムを重要な戦略拠点と位置付け、第2次世界大戦中と戦後に大規模な基地建設をおこなった。その軍用地の多くは、先住民であるチャモロ人から接収した土地であった。「戦争による荒廃で住民が不安に陥っているなかで、一方的におこなわれた接収」であった。住民が米軍の避難所から地元に帰って見たのは、自分たちが耕していた土地が基地と化した現実であった。
長島氏によれば、第2次世界大戦中の一時期、グアムを占領した日本軍を駆逐するために米軍が再上陸したことを「解放」と呼ぶことに異議をとなえ、「解放記念日は“再占領日”だ」との観点から、グアム住民のなかで次のような言説が広がってきた。
「米軍のグアム奪還における主都ハガッニャの爆撃破壊は、実は必要ではなかった」「米軍に接収されたのがチャモロ人の自給自足生活を可能にしていた肥沃な土地であった」「にもかかわらず施し物に全面的に依存した怠惰で無気力なやつという批判にチャモロ人が苦しまなければならない(原因については考慮されず)」「戦後世代が軍のないグアムの暮らしを想像できない」「英語オンリー政策が祖先伝来の言語と生活様式を脅かしてきた」
戦後は、戦前以上に「英語オンリー政策」が徹底された。長島氏は教育のアメリカ化がこれと一体のものであったことを強調している。「1960年代までは“話すのは英語のみ”の掲示は学校や役所で見られた。生徒たちは学校でチャモロ語を話すと罰を受けた」。
英語を話せることが経済的利益と結びつくようになった。アメリカ本土やハワイから教員がやって来るようになり、1970年代初頭には、チャモロ人教員の比率が4分の1にまで下がった。教会もチャモロ語の使用をやめた。
OPI-Rの元メンバーの1人は早くから、「アンクルサム(アメリカ)の存在によって朝鮮戦争・ベトナム戦争や365の核弾頭がグアムにもたらされてきた」「これらすべて防衛の名のもとに 次に戦争が起きたときに確実なターゲットであることが保護行為なのであろうか?」と問いかけてきた。そして、「われわれは民主主義のなかで生活していくのか。われわれは軍事基地における従属民として生活しているのか? すべての人びとへ平等と正義を与える自治の自由をわれわれは手に入れるときである」という提起は、今では広範な住民が共有するものとなっている。
こうした訴えは、沖縄や岩国をはじめ共通した民族的課題を抱える日本国民の魂に、奥深く染みわたるものがある。
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/49970
「沖縄タイムス」 2016年7月7日 20:30
■基地負担は「セカンドクラス」へ グアムと沖縄、差別の類似性 屋良 朝博(やら ともひろ)
「沖縄人は東京からセカンドクラスとして扱われていることに不満を抱いている」―。
この言葉はワシントンポスト紙(2016年6月17日電子版)に掲載されたグアム住民投票に関する記事に書かれている。グアムで今年11月にも実施される住民投票は、沖縄からの海兵隊移転に刺激され、一部で独立論を勢いづかせているという内容だ。中央政府からぞんざいに扱われ、軍事基地を押し付けられていることに対する反発心が沖縄とグアムに共通しているようだ。
【写真】グアムのアンダーセン空軍基地(2009年6月撮影)
グアム大学で言語学を教えるマイケル・ホワン・ベバクワ氏は、「新たな基地建設がグアム人も米国市民であるというファサード(見せかけ)にひび割れを生じさせた」と分析する。沖縄からの海兵隊移転はワシントンの横暴だと批判的な別の識者は、「グアムのつくりは米国植民地であり、為政者は何でもできると考えている。そのことは島内を10分もドライブすれば気づくはずだ」と指摘している。
グアムの立場を沖縄に置き換えて、識者のコメントを読み返すとぴたりと重なる。美しい辺野古沖を埋め立てるという中央政府の強引な手法に、沖縄の日本人意識は大きく傷つけられてきた。沖縄は日本ですか、という問いかけが沖縄人の心の底から染み出し、沖縄アイデンティティーを主張する翁長雄志知事の問いかけがウチナーンチュ(沖縄人)を揺さぶる。沖縄の外観が米軍占領の原型をとどめていることは、沖縄本島をドライブすればすぐに分かる。
★二等国民
冒頭で、「沖縄はセカンドクラス」という刺激的なフレーズをあえてワシントンポスト紙の記事から抜き出した。「二等国民」という訳が適当かは分からないが、それが外国人記者の目に映る沖縄の実相であることを思い知らされるからだ。沖縄の日本人意識もまたファサードなのだろう。西銘順治元知事(1978年から3期12年)が朝日新聞のインタビューで、「沖縄の心とは」と問われ、「それはヤマトンチュー(大和人)になりたくて、なりきれない心だろう」と答えたのは名言だ。戦前戦後の差別、本土復帰後もなお米軍基地を押し付けられ、日本から疎外されているという思いが元知事にそう言わせたのだろう。
実はその異質性こそが日米両政府による米軍基地押し付けの根拠となっている、と筆者は考えている。
最近、ジャーナリストのジョン・ミッチェル氏がスクープした海兵隊の沖縄案内資料が差別的だと話題になった。米本国の海兵隊基地からローテーションで沖縄へ赴任する隊員への教育プログラムで使われている内部資料だ。本紙でも細かく紹介されたが、その中に沖縄へ基地が集中する理由をさらりと記述してあった。筆者は20年以上も沖縄米軍基地の取材を続けているが、米軍が作成した資料でこれほど明確に基地集中を説明したものは読んだ記憶がない。
「日本政府が沖縄駐留を望んでいる。なぜなら、本土で代替施設を探せないからだ」
それだけのことだった。 「沖縄の歴史と政治状況」という題の資料はスライドで全36枚。米軍の沖縄駐留については、「沖縄と本土の関係」の中で説明されている。日本政府が繰り返す「地理的優位性」でもなければ、「軍事戦略」でもない。日本と沖縄の関係の中に基地問題が潜伏していたことに気づかせてくれる。(このことは6月27日発売の雑誌「アエラ」にも書いた)
「沖縄と本土の関係性」はスライドたった1枚の情報だが、その中に凝縮された基地集中の理由は、前述したグアム島との類似性を再確認させる。まず書かれているのは、「沖縄県民は日本人である前に沖縄人であることを意識する」というウチナーンチュの独自性=異質性だ。「1879年に強制的に日本帝国に引き入れられて以来、劣った民族として本土から差別を受けてきた」と歴史的な背景を説明している。
その上で、基地問題へと転じる。
「過去20年以上にわたり、日本政府と沖縄県は立場が異なり、多くの場合、対立しあっている。日本政府は米軍部隊と基地がとどまることを希望している(なぜなら本土で代替地を探せないからだ)」
なんてことはない、森本敏元防衛大臣が語った通りである。沖縄に海兵隊が駐留するのは、地理的優位性や軍事的な理由ではなく、政治的に許容できるのが沖縄でしかないからだ。ただ、沖縄は過去も現在も基地を許容した覚えはなく、71年間も基地問題を最大の政治テーマにし続けている。「許容する」の主語は本土であることが、海兵隊資料の短い文章から読み取れる。沖縄に集中することを日本の政治が「許容」しているからだ。
★軋轢の隙間に基地
外国軍が独立国の中に駐留することは政治的に難しい。沖縄だけが基地反対を言っていると思われがちだが、かつては日本本土の反基地、反安保運動はもっと激しく、警察との衝突で死者も出た。それは韓国でも、イタリア、ドイツ、英国などでも米軍基地問題には神経質だ。国家の意思と直結しない武装集団を抱えるのだから、無理からぬことだ。
従って外国軍は政治圧力が弱ければ安定的な駐留ができる。沖縄のように政治マイノリティーの地域が好都合である。沖縄に米軍基地が集中した1950、60年代は本土で反基地運動が燃え盛り、米政府は在日米軍の「不可視化」を進めた。国民の目が届きにくい場所へ問題を集中させると、現在のオキナワが出来上がった。
沖縄で20歳の娘さんが米軍属の男に殺された事件が、オバマ米大統領の広島訪問でかき消されたように、多くの場合、沖縄基地問題は政治を揺るがすほどの問題にはならない。あろうことか安倍首相は事件再発防止を求めた日米首脳会談で、普天間移設は名護市辺野古が「唯一の選択肢」と語った。そして舛添元東京都知事のせこい政治資金問題が報道を占拠し、20歳の犠牲は日本人の関心事ではなくなった。日米地位協定のわずかな改定で事件に対する政府対応は幕引きとなり、参院選後には辺野古移転の工事に向けた“沖縄攻め”を再開させるだろう。
★占領者の目
沖縄における米軍駐留の政治的圧力は極めて小さいのだ。沖縄人がいくら反対しても人口比でわずか1%の抵抗でしかない。米軍にとっては実に住みよい場所であり、日本もおおむねこの状態に満足しているということだ。
かつてGHQ(連合国軍総司令部)のダグラス・マッカーサー最高司令官は沖縄島を基地化する理由をこう語った。
「琉球住民は日本人ではなく、本土の日本人と同化したことがない。それに日本人は彼らを軽蔑している。(中略)彼らは単純でお人好しであり、琉球諸島におけるアメリカの基地開発により、かなりの金額を得て比較的幸せな生活を送ることになろう」
この物言いはいまも変わらない。海兵隊作成の「沖縄の歴史と政治状況」の資料にも同じような「蔑視」とも受け取れる内容の記述がある。
「沖縄県や自治体は基地問題をテコに、中央政府から補助金や振興策を引き出している」「沖縄の新聞は偏向している」「沖縄の人は一般的に情報に疎く、彼らは限られた視界で物事をみている」
ネトウヨといわれる輩が沖縄に向ける罵詈雑言の出元は米軍なのかもしれない、と思えるほどだ。日本と沖縄との関係性の中で、セカンドクラスの地域に負担は押し付けられ、それが差別であることを国民は気づかなくなってしまった。
冒頭のワシントンポストの記事はグアムの現状をこう書いている。「地元の経済人は『基地を減らしたり、撤去させたりすることは経済的な自殺である』と指摘している。連邦政府は社会保障費と米兵の住民税だけで6億ドルを投下している」
人口16万人の島にとっては連邦政府の財政移転は生命線であることがわかる。米軍の試算によると、沖縄からの海兵隊移転で3000人の雇用が生まれ、4000万ドルの税収増が見込まれているという。
それでもグアムのエディ・カルボ知事はグアムの政治的な立場への不満を語る。「準州でなく、州になれるのなら、喜んで連邦税を払おう。どのような状態であれ、非自治地域(属領)よりはましだ。なぜならそれは植民地と同じだからだ」。
沖縄はグアムとは経済状態が違う。補助金、交付税を合わせた財政移転は全国14位で、納税額も全国29位なので、沖縄は経済的にもけっこうがんばっている。基地が大幅に縮小されても経済破綻はあり得ないだろう。しかし基地経済のメリットや政府の財政支援をめぐる評価で地元が分断される状況は、沖縄もグアムも共通する苦悩であろう。カルボ知事はそれを「植民地」と表現した。
米軍基地は「セカンドクラス」の構造的差別に安住し、中央政府は財政・経済的メリットを恩着せがましく誇張する。これに対しグアム住民が11月にどのような判断を下すのか目が離せない。