12月25日(日)、永井千年さんの通夜に、夕方5時ごろに来て、受付を手伝ってほしいと頼まれた。夫と友人の3人で早めに出かけた。親族だけが見えたが、まずお参りをさせていただいたが、お見舞いに行ったときは、ずいぶん腫れていただけだが、黄疸が出ているのか、淺黒く黄色がかった色になっていた。もう口も開く状態ではないんだあと、あきらめの気持ちになった。奥さんは気丈に、皆さんに挨拶をしていたのが、救いである。23日にお孫さんのバレーの発表会を楽しみにしていたようで、ビデオや写真を見せると、次の朝方に亡くなったということである。もうすぐ3人目のお孫さんも生まれるということであるが、さぞかし無念であったことでしょう。
受付では、10人くらい並んで行ったが、私は役所関係を任されたが、次々に人が来て、記帳をされていくが、ご遺族のご意志で、ご香典は受け取らないことになっていたが、最近は香典を受け取らないことも増えてきたようで、持って見えた方もすんなりと問題もなく受付の方は進んでいった。やはり現職ですので、会葬に見える方の多いこと。棚にあるお返しがドンドンなくなってい行った。会葬者は350名だった。人柄を示す通夜であった。息子さんが作成した永井さんの人生を振り返る写真をスライド形式で流し、カーネイションを手向ける式であったが、しめやかに行われました。息子さんのお礼の言葉の中に、中学生のとき、父から「学ぶことは生きる力になる」という手紙をもらった。父自身が書物を読むことで、世の中に「差別・格差」をあることを知り、共産党に入った。その人生は曲がったことが嫌いで、信じた道を全力で突き進む意志の強さは、年を重ねても変わらなかった。とお父さんを振り返っていました。息子は息子で父に近づこうとがんばっている姿が、目に焼きつきました。とてもいい式でした。
今日の万歩計は、9,430歩でした。