河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1100- オール・ベートーヴェン・プロ ネルロ・サンティ N響2010.10.28

2010-10-29 14:48:45 | インポート


2010-2011聴いたコンサート観たオペラはこちらから
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2010年10月28日(木)7:00pm
サントリーホール
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ベートーヴェン 交響曲第8番
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ベートーヴェン レオノーレ序曲第3番
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ベートーヴェン 交響曲第5番
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ネルロ・サンティ 指揮
NHK交響楽団
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この10月はアイーダから始まって、オペラの達人ネルロ・サンティのN響3プログラム全てを聴きました。
この日はオール・ベートーヴェン・プロで、レオノーレのものすごい入りの部分など音楽とは呼吸ということを再認識させられた夜でした。ただ、後半N響のピッチに問題がでてきて、全体としては若干尻つぼみ的な印象は否めない結果となりました。サンティはもう一度とは言わず何度でもこのオーケストラを振りに来てほしいと思います。
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8番の第一楽章はこの前聴いたアルミンクの棒とは異なりきっちり3拍振り。解釈の相違ということだと思います。前進性やベートーヴェン特有のどつきのアウフタクト部分の強烈なアクセントをきっちり揃えるには3拍振りがいいと思いますね。
サンティはエンド・フレーズにけれんみを持たせることなく明確に、まるで何かを切り捨てるように左腕で取り払う。先だし棒であれだけおくれて音が出てくるこのN響というオーケストラのメンバーは各自完全にサンティの意を汲みとっていて、かつ共感のアインザッツとしか言いようがありません。
8番の第一楽章っていつきいても変で面白い曲ですね。アクセントの塊。オーケストラとか指揮者とか聴衆とかがなんだか試されているような気がしてきます。ゴツゴツしてて転びながらも前に進んでいるような感じ。
サンティはこの日は当然全て暗譜棒なんですが、特筆すべきは、このオケの特に優秀なウィンドへの指示ですね。特定セクションにだけでなく、特定インストゥルメントのトップ、セカンドに指を一本、二本分けて指示をする。昔、ミトロプーロスはオタマが写真のように全部一緒に目裏に見えていたそうですが、サンティもそんな感じなんですかね。音楽の流れの中で次への明確な指示棒、素晴らしいですね。全てを理解、吸収していったん自分のものとして分解したのち、再創造する。曲の再創造とはやっぱり演奏による再創造にほかならないということがよくわかりました。
そんなわけで、第二楽章の粒立ちの良さ、際立ってました。まだ第三楽章中間部のホルンの息を飲む強奏バランスの美しさ。むしろ粗野とさえ言いたくなるようなベートーヴェンの本質に迫る、忘れていたことを思い出させるに足る見事な解釈。
第四楽章のどつきは相も変わらずベートーヴェンそのものなんですけれど、第一楽章と拍子が違いますから、こちらは肘鉄を連発で喰らっているような感じ。地べたを這うコオロギみたいな音の行方。
8番はまた、ホルン含むウィンドの横の流れが非常に美しい。それと対比するかのような粒立ちのいいオタマの垂直性。そして指揮者独特の先へ進む棒。整理整頓、意識されたつんのめり、ぎこちなさが、あやしく響く。
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劇場の人は序曲で既に才を発する。サンティがどれほどフィデリオを振っていたのかは知りませんし、またそのオペラの中に3番を挿入していたのかどうかも、闇。
でもオペラ感覚というのがあって暗闇の劇場のオケピットに埋没するところから音楽が始まる。イタオペの達人にとって、一般的によくある序曲の立ち上がりの悪さ、エンジンがかかるまで音の方がかなり先に進んでしまう、このようなこととは無縁なんでしょう。レオノーレの第一音は息を飲む瞬間となりました。先だし棒なんだがあれだけ音が遅れてでてくるのにきっちり縦線がそろっているというのは、オケメンバー全員が同じ呼吸をしているということであって、指揮者への共感以外のなにものでもない。見事な空白と入り。
暗闇のオペラハウスでオケピットからもしあの第一音が出てきたら聴く方としても襟を正したくなります。ただしフィデリオの第一音は別の序曲ですけど。
オペラ公演などではわりとよくある開始前のブラボー。この日も8番の前にブラボーが飛びかってました。普通の演奏会ではめったにありませんが前日までのフリークがたくさんいたのでしょうね。劇場的な雰囲気と畏敬の眼差し、そのようなものが入り混じった緊張感ある音がこの序曲の第一音でした。
ベートーヴェンの横の流れが美しい曲、そして激しさ。どっちにしろピッチをきっちりそろえて当たり前の曲ではあります。最初の打撃音の後、ハーモニーを圧縮したような手応え。音に内在する緊張感に揺り動かされます。トロンボーンは運命の第4楽章まですることがありませんけど、この日の2管のトランペット。ここらあたりからでしょうか、強奏するあたりからピッチがちょっとくるいだす局面が散見されました。ただすぐに持ち直して、影のファンファーレから劇的な音楽がコーダまで鳴り渡りました。
初めてフィデリオをみたのはテンシュテットの棒、メトロポリタン・オペラハウスでのもの。このときはレオノーレ3番が奏されました。第2幕の第一場と第二場の間です。長さが第二場と同じぐらいあるというのと、ハッピーエンディングを先取りしてしまっている為、苦労の多いところではあったかと思います。単独の演奏会ではむしろストーリー全体を感じる為にはいい曲だと思います。サンティの棒も劇的で良かったと思います。
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プログラム後半の第5番。
第一楽章の入りは、N響はこの曲が一番得意に違いないと思わせる理論整然としたもの。理系派向きの整然とした響きに心を奪われる。数学的快感。
この曲も他の誰も作曲出来ないだろうなぁとあらためて感心。サンティの棒が光る。
この運命は結果的にこの第一楽章が一番いい出来でした。
アンサンブルに乱れはない。光り輝く運命ではあったのだけれど、第二楽章のトランペットのファンファーレの伸ばし音のピッチが少し、合わない。ホルンもちょっと乱れた。ホルンは1番2番と3番4番が少し音色が異なる。レベルの相違に直結しているといいかえてもいい。クラリネットのピッチはきわどかった。断片的ながらピッチの不揃いが気に鳴り始めた。そうなるとこっちの気のせいばかりでなく、演奏全体の緊張感がやや色あせてきた。第四楽章になるとそのようなことだけが気に鳴り始め、聴く方としてもちょっと余計なことを考え始めた。いわゆる雑念が入ってしまい、やや、演奏に集中できなくなった。
席が2階センター中央奥ということもあり、ブラスのデッドな音がむき出しで聴こえてくる。ホルンも朝顔が後方向きな分、反射音が直接あらい音で聴こえてくる。このような雑念が入ってしまったのは自分だけかもしれないので特にどうだということはありません。感覚的には第四楽章の第三楽章想起から続くファンファーレのあたりから持ち直したと思います。最後は機関車的大団円で見事に締めくくってくれました。
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不発とは言えないまでも、演奏内容が尻切れトンボ的なところを曲でカバーした部分もあったと思います。この日はサンティ客演の最終日でしたので、花束がありましたがそれを制止して、セクション毎にスタンディング・オベーションさせてました。飽くまでもこのオーケストラあっての自分だということだったのでしょう。
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おわり

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