河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1085- フィガロの結婚 ミヒャエル・ギュットラー 初台新国立 2010.10.13

2010-10-16 14:39:11 | インポート

101013_155301


2010-2011シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちら
.
この日はフィガロです。
.
2010年10月13日(水)2:00pm
オペラパレス、新国立劇場
.
モーツァルト フィガロの結婚
.
フィガロ、アレクサンダー・ヴィノグラードフ
スザンナ、エレナ・ゴルシュノヴァ
ケルビーノ、ミヒャエラ・ゼーリンガー
伯爵、ロレンツォ・レガッツォ
伯爵夫人、ミルト・パパタナシュ
マルチェリーナ、森山京子
バルトロ、佐藤泰弘

新国立劇場合唱団
.
アンドレアス・ホモキ プロダクション
ミヒャエル・ギュットラー指揮
東京フィルハーモニー交響楽団
.

新国立のレパートリーになりつつあるというかルーチンワークになりつつあるなぁという感じが強いなか、ケルビーノの滑らかで均質な声が目立った内容だった。それと、棒のギュットラーは初めてみる指揮者ですけれど、ピットから顔を出した瞬間、おもに女声聴衆サウンドのどよめきがもれました。まだ40才前後だと思われます。
この指揮者はおそらくすべて暗譜で振ったと思います。自分の眼下のオーケストラをみるのは10回に一回ぐらい。ほとんど舞台を見ながらの棒。一つのフレーズの中でも2拍子4拍子8拍子を巧みに振り分けている。音楽の流れ重視で速めのテンポで歌う。この人、完全にオペラ指揮者ですね。若いけれどそうとうな数のオペラを振っていると思います。
コントラバス3挺。あとはおしなべて小編成のオケは今日もあまり調子が良くない。アラベッラと日替わりの公演でハードなのかどうか知りませんがよくありません。良くも悪くもルーチンワークです。出し物として喜ばれているわけでして。
ギュットラーはオペラ指揮者と思われトレーナーではなくきっちり伴奏をしてくれるオケ前提での棒です。ひとときの客演ですし当然といえば当然。それに応えきれていないオケに問題ありです。
休憩が一回というのも問題。誰のものによるのか知りませんが、第一幕第二幕を続けて演奏するというのは過酷。第三幕第四幕の幕間には拍手もありませんでしたので聴衆の方もどこが幕の変わり目だったのか分からなかった人もいたはず。舞台を少しずつ崩していく手法はユニークですが、それだけではあまりにも単調、第一幕の荷物が第二幕でもそのまま放置でこれはないだろうと。
シルエット調の舞台は非常に美しい。登場人物のシルエットを左右に意識して映し出すあたりきれないものでした。
.

あとで真似した作曲家もいる、ズボン役の女性が女装するという複雑系のストーリーですけれど第三幕で常套的な、親はすぐそこにいる、といったあたりから解決に向かうと思いきや、伯爵夫人とスザンナのとっかえっこがありそのあと伯爵が違和感のある平謝りで最終解決へ。モーツァルトとしてもこれ以上劇を伸ばせない。それにしてもこの滔々と流れ溢れるメロディーが次から次へとでてくるオペラには驚嘆の言葉以外ない。
ということで、序曲から始まりましたが、16分音符が合わない。大きなオペラハウスの常設オケでもときとして立ち上がりが悪くだんだん調子を上げてくるというのはみられる現象で、体力気力的に理解できる部分はおおいにあるとはいえ、最後までこんな感じだとプロとしての真価が問われかねない。いろいろと問題はあるのだろうが、問題はどこのサラリーマン会社にもころがっていて見えないだけ。そのような裏事情まで詮索しようとは思わない。いい音を奏でてくれればそれでいい。というのはあまりに勝手な物言いかしら。
とりあえず序曲は終わり一渡り拍手の波があり第一幕へ。舞台は不安定なひし形でこれ以上シンプルなものは思いつかないといったレベル。一番奥が開きロンドン、東京、ウィーンといった刻印の見える段ボールが運び込まれる。フィガロとスザンナの新居へ運び込んだ荷物かな。
斜めひし形の舞台は奥行きがあるので一層強調される。これから何かありそうな不安定な角度だ。そのあと第四幕まで少しずつ動いて開いてくるが最後までこの斜め感は変わらない。側面は白で影がよく映る。登場人物にあわせて強いスポットライトを横からあててその影をひし形の側面にくっきりと浮き彫りにさせる。非常に美しい瞬間です。一番シンプルなものからの変化はおのずと複雑なものへと推移する変化しかありえない。いい着目ですね。ただ、最後までこの舞台ですのでかわり映えがしない。せめて第四幕の夜の場面ぐらいはもう少し別の設定が欲しかった。第一幕からケルビーノのミヒャエル・ゼーリンガーが素晴らしい。滑らかでソフトで大きな声で聴衆を圧倒。良すぎてほかの役とのウエイトバランスがどうかなと思うぐらい。この脇役にはもう少しド級の主役たちが必要だ。ゼーリンガーはこのての役がはまりみたいですね。
.
あふれ出るメロディーがいったん終わり第二幕へ。それにしても第一幕、第二幕ぶっ続けで合わせて約1時間40分。フィガロは結構ヘヴィー級なオペラでイタオペのようなシンプルさとはちょっと異なる。第一幕第二幕の幕間はしっかりとインターミッションをとって欲しい。誰の案なのかしらないがなぜそんなに先を急ぐのか。
第二幕は伯爵夫人の居間なのであり第一幕との明確な場面転換が欲しいところだが、第一幕の構想のまま続く。第一幕でいいアイデアだなと思っていたものが、第二幕では、どうかなぁという感じになる。これが構想なのだからそうであればインターミッションがないのもわからなくはない。良し悪しは別として。
オケの調子は停滞したままで休憩有り無しというよりも気持ちの問題のような気がしてきた。
.
第三幕第四幕も同じような感じで進む。特に第四幕では明確な夜の情景が欲しいが、明るすぎて全部わかってしまい少ししらける。
歌い手はみんなこのオペラを知っているように見受けられました。細かい動きが自然であり、動きにとらわれない余裕の歌も全般的に好感。舞台は最初から最後までこうか、ということの覚悟さえできていればかなり楽しめるひとときとなりました。特にモーツァルトを聴いているうちに湧き出てくるウキウキ感があり人をハッピーにしてくれますね。
個人的には3回の休憩をとってゆっくり観劇したかったというのが正直なところでした。
.

ロビーで千円で売っているプログラム。いつまで売り続けるのかな。いい加減、普通のB5サイズぐらいにしてチケット代に含まれる形にしてほしい。常設オペラハウスなんだから。
それと今回気になったのは、複数ある解説の中で、伯爵夫妻は本当に和解したのか、といった小文で、何かに極度にスポットをあてる解説。同時期の出し物アラベッラのプログラムでいえば、本当の主人公はズデンカだ、といった極度に美化した内容の小文。これらは、この前びわ湖で観たトリスタンとイゾルデのプログラムのように小文を多数並べるやり方に比してかなり劣る。
新国立の小文を書く人はそれなりに極めた人たちなんだろうから、材料としてはそこらへんに着眼点を置くのも悪い話ではない。でも、極度の美化は滅亡をまねく。
おわり

101013_155001

人気ブログランキングへ