14年前になります。初めてショーに参加する前に、須藤会長から紹介していただいた地元では有名なT先生。ショーの前日に10分ほど手ほどきを受けました。私は、人前に出ることは好きではないし、自分で引けるようになるとは思っていなかったので、本心はプロに頼みたかったです。自分はオーナーとして、陰ながら我がワンコの追いかけをしたかったのです。
T先生は、チワワ・ダックス・パピヨンなどの小型犬をハンドリングされていて、とてもお上手でした。毎回、良い成績を獲られていた常連さんでした。できれば先生にお願いしたい気持ちがありました。しかし~先生ははっきりとおっしゃいました。
ブリーダーを名乗るなら、自分の繁殖した子は自分で引きなさい。そのための勉強をしてください。T先生はイタグレを知らないし、今まで引いたこともないです。松村さんはイタグレ専門のブリーダーをされているでしょう。イタグレはどのように引いたらよいのか?自分で考えて勉強して頑張ってください!とおっしゃいました。
その先生は、はっきりとは言わなかったけれど、プロに頼むには10年早いよ とカツを入れられた気がしました。当時のイノセントは無名の犬舎でした。その先生のお言葉は、もっともでした。お世辞などは言わないT先生です。感謝しています。
この年の夏の北海道のショーが終わった時点で、レイラは3枚のC・Cカードをいただきました。エニオは1枚のC・Cカードをいただきました。
エニオは外国からの輸入犬なので、先方のブリさんへの恩返しを考えて、一年中ショーが開催されている本州のプロハンの元へ預けました。
レイラは、あと1枚のM・Cカードを獲ればCH完成となるので、リーチがかかっていました。エニオと一緒にプロハンにお預けすれば、その後早くにCH完成となったでしょう。でも、それをする気持ちは全くなかったです。
T先生がおっしゃったように自家繁殖の子です。パピーの時から自分でマナー入れの訓練をし、コツコツと・・時には悩み・・苦しみ・・笑いもあって、ショードッグとして共に育ちながら歩んできました。この子は、自分の力でCHにしてあげたい!との気持ちが強かったです。
CHへの条件ですが、クラブ展でもらえるC・Cカード3枚と、連合展・インターナショナル展などの大きな規模のジョーでもらえるM(メジャー)・Cカードが1枚必要です。ですから、残るM・Cカードを目指すには、本州の大きなショーへの遠征が必要になります。
はい!行きましたよ ↓ 毎年12月に行われる東京インターです。
この時のことは、あまりよく覚えていないけど・・楽しかった記憶があります。私自身、こんな大きなショーに、愛犬と共に参加できる日がくるなんて思っていなかったです。
全国から精鋭のワンちゃん達が集まる大イベントです。カードを獲りたい気持ちはなくて、参加できて練習通りに歩けるだけで満足していました。レイラはよく歩いてくれました。
まだ若いレイラで、ヤングアダルトクラス・アダルトクラスと4回ほどビックサイトとパシフィコのショーに出たと記憶しています。その中でとても残念で悔しいことがありました。
それは、見学にいらしているお客様・ギャラリーの方々の行動でした。出番直前にリンク横に並んでいるとき⇒わぁ~ レイラだ!エニオだ!と大きな声を出した方々が(子供さんを含む)いきなりパシャ!パシャ!とフラッシュをたいて、写真を連射したのです。それを見ていた他の方も連鎖して、パシャ!パシャ!と4~5人の方が撮りました。一瞬の数秒でした レイラやエニオの名前を知っていたということは、私のH・Pやブログを見ていた方ですね。
その声と光の連射にビックリしたレイラは、急におかしくなって馬車馬のように駆け上がりました うわぁ~!しまった~ 様子がおかしくなったことをすぐに察知した私は、端っこの方へ行き歩きを整えましたが。レイラは興奮しておかしくなったなまま、平静には戻りませんでした。出番直前の出来事で、興奮を落ち着かす時間もなく、レイラはリンクでの本番に出ました。
触診は良かったのですが、歩き出すと馬車馬のようにパッカ・パッカとヘンな動きをしながら横にそれていきました。今までで一番悪い歩様でした。結果はアダルトクラス3頭中2席でした。こんなヘンな歩きでも最下位ではなく2番だったのですから、普通に歩いていたら1席を獲れた・・つまりCH完成の可能性はあったと思います。
この時のことは悔しくて、今でも自分の落ち度として残っています。一番肝心な時に、周りの雑音からレイラを守ってあげることができなかったこと。自分に腹が立ちました。
見学にいらっしゃる方々は、入場料を払っています。家族4人でいらっしゃれば、お安くはない料金です。お子さんを喜ばせるために来ていらっしゃいます。この頃は見学者のマナーなども伝わっていない時代でした。見学者を責めることはできません。
しかし、この悔しさはしばらくは続きました。思い出すだけで、ひぇ=ん でした。でも、終わったことは仕方ない。前を向いていかなくては。きっと犬の神様が・・まだ貴方たちはCH完成には早すぎますよ。もっと精進しなさい。苦労したほうが、目的を達成できたときに喜びは大きいですよと教えてくれたと考えます。
でも、時には、遠征して嬉しいこともありました ↓
中部インターでした。アダルトだった頃、ウイナーズになってCH戦に臨み、アワード・オブリミットを獲りました。CHクラスの中に並び、BOBに次ぐ2番の成績です。嬉しかったです。でも、オープンクラスが3頭に満たなかったのでカードは出ませんでした。
初戦の北海道で3枚のカードを獲ったのが出来過ぎていたのでしょう。その後・・何度か本州に遠征しましたが、M・Cをいただくには至りませんでした。よく耳にすることですよね~最初は ポン ポン ポン と順調にいき⇒最後の1枚に時間がかかったという苦労話を。まさに、それでした。
でも前向きの私は、本州に行く時は、私の子供たちとの交流もあるので旅行をしていると思えば、レイラが連れて行ってくれたと感謝しています。このときの中部インターは富士山メッセでした。近くの伊豆には犬と泊まれる旅館がたくさんあります。私・息子・娘とレイラと一緒に伊豆の旅館で楽しく過ごしました。
本州への遠征のあと夏が来ると、また北海道でのシリーズがあります。
地元でのショーでは、再び何度か良い成績をいただきました ↓
この時はレイラは4歳になっていました。
長く出ているので、触診も堂々としたものです。
このときは3歳ですね。C・Cカードはその後もいただき、数枚たまりました。いくつもらっても嬉しいね。
そしていよいよ~感激の日が訪れました。
北海道では大きなショー・インターナショナルが年に1回のみ。中規模の連合展が1~2回のみです。そのショーには本州のプロハンが、優秀な(ペリグリーを狙っている)ワンちゃん達を連れてくるので、10グループますます接戦で難しいのです。
やっとです。やりました この時はイタグレが3頭以上出ていました。レイラはBOBを獲り、この時点でM・CカードをいただいてCH完成となりました。
選ばれた瞬間、私は嬉しくて心が宙を舞いました身体じゅうがジ~んと震えて立っていてもウキウキ 地に足が着ていないって、こういうことなんだ!この後に10グループ戦があることを忘れるほど舞い上がりました。ここに至るまでお手伝いいただいたダックスのKさん、ありがとうございました。
午後からのグループ戦でも落ち着いて歩きました。3席に選んでもらえて、二重の喜びでした。
生まれたときから、この子レイラを残してショーに出たいと思った。子犬の時から訓練・マナー入れを頑張ってきました。パピーからジュニアまでは順調でしたが、それからが長かった。
M・Cを獲るまでが長い道のりでした。何度か遠征を重ねて良いところまで行っても、M・Cカードには縁がなかった。いったい、CHになれる日が来るのだろうかと せっかく遠征に行ってもイヤな出来事もあったりで、落ち込んだことも数回ありました。
しかしプロハンに頼もうと考えたことはなかったです。自分だけの力で、愛するレイラをチャンピオンにしてあげたい それが私の夢でした。
この後も私と他の愛犬達とのショーは続きました。中には、ラッキーが重なって、あっという間にCK完成した子がいます。この子は向いてないな~時間がかかるな~と思った子が、あれよあれよと早くにCH完成した子もいました。わからないものです
CHになるまでの期間が長い・短いは、オナハンに限ってはその子のレベルと関係ないです。この後、何頭かのCHを自分で完成することができましたが、必ずしも良いと思った子が早いわけではないです。運の良し悪しもあります。ジャッジはコンピーターではなく人間です。スタンダードは基準にしていても、心を持っている人間ですから、感情や好みはあると思います。
私が前に書いた、今まで忘れることのない2つのこと。そのうちの1つは、レイラと共に頑張ってきて、自分の手でCHを完成できたことです。私が今までで一番嬉しかったことです このときの感動を上回る出来事は、これから先も決してないです。断言できます。
美しいレイラ。レイラをCHにしてあげることが、私の目標でした。当時、素人だった私と共に暗中模索しながら・・よく頑張ってくれたレイラ。パピー時代から始めて足かけ5年かかりました。その間、一旦ショーはお休みし、ベビーちゃんを産んでくれたこともありました。安産で良いママでした。
遅い年齢から始めたショーの世界。この年齢でも、夢を諦めずに成し遂げられたことが私の誇りです 愛おしいレイラ、ありがとう。
現在もレイラは13歳となり元気にしています。
今日もご覧下さり、ありがとうございました。イタグレの文字のクリック、ありがとうございます。