この話は今日で終わりにしたいので、急いで書きます。
ロナルドが来てから、私はCさんの家に行く必要がなくなったので ほっ!としました。しかしCさんは私の存在がなくなると困るのです。それは、私のH・Pの他の犬種のコーナーで、Cさん繁殖の子犬を売っていたからです。彼女は、車の運転はできないし、P・Cもできないし、デジカメも持っていません。なのに・子犬が産まれると⇒ 松村さん~子犬の写真を撮りに来て~ と電話がかかってくるのです。来てっ~って言うけど、私の家からCさんの家まで1時間以上かかります。冬場に雪道になるとそれ以上の時間がかかり、Cさんの家で子犬の写真を撮って戻ってくるだけで半日を要しました。しかも膨大な写真の中から良い写真を選び、子犬の紹介文などを考えてH・Pを更新するのは私の仕事です。Cさんの子犬は、私のH・Pに載せたことによりどんどん売れました。
通常はブリーダー間では常識なのですが、知り合いのブリさん経由でオーナー様が見つかった場合は、お礼として手数料を払うことになっています。自分で決められないのに、他の方が決めてくださったわけですから当たり前のことです。しかし~Cさんにはその常識は通用しない人でした。お礼どころか、私が・・喜んで子犬の販売を手伝っている・・と考えているようでした。おめでたい人です 私はもともと他の方が繁殖した子犬の手数料をいただこうなんて思ってもいなかったし、まして心を病んでいるCさんでしたから、この売り上げで50~60頭の犬たちのご飯が買えて、ワンたちがお腹一杯になってくれたらそれでいいや。と思っていました。
しかしそれにも限界がありました。私は数年のお付き合いで、そこへ行くこともストレスになっていました。いつも同じゲージに同じ犬が入っていました。イタグレの女の子は私が部屋に入ると、自分のウンチを前足でけって私に投げてきました。何かを訴えていました。またいつも同じバリケンに入れられているアメリカン・コッカースパニエルがいました。長毛種でトリミングが必要です。運動不足だよね。
どの子もゲージに入れられっぱなしで可哀想でしたので、Cさんに、里親を探してあげて一般のペットちゃんとして飼ってもらったらどう?というと、イヤッ!この子たちはうちでしか生きていけないの。よそに行くと生きてはいけないの と自信たっぷりに言い放ちました。
玄関には、つながれたままのハスキーがいました。目がうつろで吠えることもなかったです。あるとき、ハスキーの姿がなくなりました。どうしたの?と聞くと、あの子は死んでしまったのよ。新しいハスキーを買いたいから、松村さん・・パソコンでいい子がいないか調べて~とハスキー犬舎のアドレスを渡してきました。あきれました
ここで写真を一つ。 ↓ ロナルドの娘・レイラと弟君です(横浜に行きました)
まだパピーちゃんです。キレイです。
Cさんの子犬を買った方々は、イノセントのH・Pから買っているので、その後の相談や質問も私の元に来るのです。私が繁殖しているのではないので、母犬のことなどを聞かれてもうまく答えられません。それもストレスでした。私の中に限界が来てから、私はCさんに言いました。自分でパソコンの勉強をしてカメラを買い、無料のH・Pもしくはブログを始めて、自分の力で子犬を販売したらいかがと。そしたら彼女は、デジカメを買うお金がないと言いました。当時デジカメは今よりも高くて・・3万円はしました。それで私は、中古のデジカメを提案し・・オークションで見つけて 1万円を立て替えて落札しました。キャノンの人気製品でした。そのカメラを届けました。Cさんは嬉しそうでした。まだ30歳を過ぎたばかりの若い人です。操作方法の飲み込みは早いと思います。
私はこの時点でやっと肩の荷がおりました。これでやっと・・あそこに行かなくてもよくなったのです。 ↓ その後成長したレイラです。
美人のレイラよ。
私と一緒にショーで走るようになりました。
Cさんはその後も、デジカメは手にしたものの、パソコンまでは覚えられないからと相変わらず私を頼ってきました。私はCさんの家に行く気はなかったので(わんこたちの姿を見るのがつらくなるのです)カメラのメモリーカードだけを封書で送ってもらい、Cさんの子犬販売のコーナーを時々更新していました。Cさんが心に障害を持ち普通の人ではなかったので、なかなか断つことはできませんでした。Cさんは、お父さんが家からいなくなるとパニックになって、過呼吸になり倒れて救急車で運ばれたこともあります。ですからお父さんは少し出かけるときでも、〇〇ちゃん、コンビニに行ってくるよ!と声をかけて出かけていました。その様子も何度も見ています。心の障害・PTSDは第三者が思っているよりも難しくて重いのです。
しかし~中途半端な同情はしてはいけないのです。中途半端な同情は、かえって相手をダメにする という言葉が頭をよぎりました。相手に同情してお世話をするなら、その人の世話を一生してあげる覚悟で行いなさいと。一生お世話できないのであれば、やめなさい。そうでなければ相手に対しても失礼だから。
Cさんはそれからしばらくして、ロナルドと自分の女の子を交配させてほしいと言ってきました。私は・・とんでもない と思いました。ロナ君の輸入に際してはCさんには全く何も手伝ってもらっていません。しかも数年来、Cさんの子犬たちの販売に協力したにもかかわらず、一銭のお金もいただいていません。同業者であるのに、世話になることを当たり前に思っているようでした。私に対してお金を払う・・という意識は全くない人でした。私は、彼女に慕われているというよりも、便利に利用されているだけだと考えるようになっていました。しかしそれでもいい と思っていました。私のほうが年上ですし、生活にも余裕がありましたから。
しかし~ロナ君のことだけは譲れません。というのも、彼女は・・私のことを⇒人が良い人間。頼みごとを断りにくい人なので、交配も⇒タダ同然でやってくれるはず・・もしくは子返しでやってくれる・・と思っていたようです。しかし私はCさんの所で生まれた子を子返しでほしい!とは全く思いません。むしろ、いらないです(失礼)
それを機に私は、メモリーカードを封書にて返すときに、自分の気持ちを書きました。簡潔に書くとこの二つです。①貴方はまだ若くて未来があります。犬のブリーダーを続けるのであれば、これから先はネットの時代です。パソコンを勉強して自分で販売できるように頑張ってください。お金を得るということは、自分で汗水流して努力することですよ。私とあなたは同業者です。私も自分の仕事があります。私があなたの子犬を売るというこの状態を、この先一生続けることはできません。②ロナルドの交配に関しても、子返しは望んでいません。申し訳ないけれど、外交配は考えておりません。
そしたら、しばらくしてから⇒来ました。来ました。すごいお返事が。彼女からの、怒りの鉄拳。逆切れ ですか。内容としては、今の松村さんがあるのは、自分・(Cさんの)お陰ではないでしょうか。自分に感謝してほしいと書いてありました。そして、ロナの交配を断ったことに関してもとても腹が立ったようで、貴女のことを信頼していたので心外です。と書かれていました。それらの文面からして、Cさんのほうから、これでお付き合いは終わりです と終焉を告げられました。だいたい想像していた通りでした。
同じ時期に、同じようにCさんの世話をしていたベテランブリさんがいました。その方は以前ブログにも書いた方で素晴らしい方です。あちこちで倒産したブリーダーの犬・老犬を引き取って、最後までお世話をしていた人です。その方でさえ、松村さん~私・・Cさんには、ほとほと参ってるさ~ あの人と付き合うと頭がおかしくなるさ~松村さんもほど良いところでやめたほうがいいよと言っていました。私もそう思いました。
Cさんの心の病・傷・障害は、素人にはどうすることもできません。カウンセラーのプロの方が介入できたとしたら、徐々に解きほぐされていくかもしれませんが。しかし~父親とその妹姉妹たちとの限られた中でしか生きていない彼らが、他の第三者を受け付けるとは考えられません。
世の中には人間関係で傷を負い、動物しか愛せない・・という人が存在するでしょう。しかし沢山の動物を所有し、ただ家の中に閉じ込めている生活が、動物を愛していると言えるでしょうか。愛することと虐待は・・言葉を発せない動物にとっては、紙一重のように感じました。これは、私が実際に体験した事実です。私の知っているかごの中の鳥は、決して外に出ることをしませんでした。重たい内容でした。
最後に晩年のロナ君の写真ですおじいちゃんになってきました。 ↓
ロナルド、10歳の頃です。ロナが来た頃は、ヨーロッパからの輸入はまだ珍しくて・・外野から色々と言われたよね。でもそんなことはへっちゃらよ。どんどん勝手に言ってください( ^)o(^ ) ロナは私の理想と違うところもあったけど、欠点も含めて私は大好き!愛していました。
まあ~るいオデコも大好き。ロナの血液は、イノセントでしか繁殖しませんでした。それは、血液が良いとかではなくて、私がロナルドを深く愛していたから。私の愛したロナの子孫を、あちこちに広めたくないから。私だけのロナルドだから。ロナルド・・今でも愛してる。お骨になったロナのオデコに何度もキスした。愛おしくて愛おしくて、骨壺を抱きしめて何日も寝たよね。イノセントの歴史を創ってくれたロナルド。イノセントっ子の骨を太くしてくれたロナルド。ロナ君のことを書くと、いつも涙ボロボロ 今も書きながらボロボロ ありがとうロナルド
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