イタグレブリーダー・ヨーロッパのイタリアングレーハウンド。

ヨーロッパから5頭のIGを輸入しました。出産や老犬のこと。家族として大切に育てています。

秋の味覚 & 大昔の話。

2010年09月21日 | Weblog

秋の味覚のひとつに さんま があります。 今年はさんまがお高い~ とニュースなどで言われていましたが・・・ここ北海道ではそんなことないですよ。この大ぶりなさんまは、お刺身用でLLサイズ・一尾¥200 でしたが、夕方にお買い物に行ったので、半額の¥100 になっていました。普通サイズのさんまが¥100が→¥60に下がっていました。お安いですね~ 私は迷わずLLサイズを購入。 お刺身にはしないで塩焼きです(包丁が切れないから、身がなくなるからね) 親戚からかぼすを沢山いただいたので、ギュギュと絞って~あ・あ・おいしい~  今年、さんまを食べるのは2回目です。お魚は好きなので、もっと食べる回数を増やしたいのですが・・・主人がお魚を好きでないので、食卓にはあまり並びません。 さんまは、北から段々と南下していくので、本州のほうでもお手頃価格になっていくと思います。

前回のブログで、我が家に迷い込んできた犬を飼った話を書かせていただきました。私が子供のころは、近くの公園や神社に、ダンボールに入れられた子犬や子猫が捨てられていることは、珍しくありませんでした。私は、それらの子を見ると可哀相でたまらず、寒空の中、凍えてしまうよ~ お腹がすいて死んでしまうよ~ と保護せずにはいられず、連れて帰ってしまい・・・結果的に飼うというパターンでした。

私の両親は、あまり動物は好きではなかったので、いつもそのたびに、また拾ってきたの ダメダメ!もう飼わないよ 元の場所に戻してきなさ~い!と毎回叱られました。 が・・・私が自分の部屋や倉庫に隠して犬のお世話をするので・・・半ばあきらめて、黙認・無視していました。飼った犬や猫の数は数えきれないくらいでした。 でも、拾ってきて育てたのが・・いちがいに良かったのかどうかは ずっと後になって・・・大人になってから分りました。

というのも・・・この当時は、まだワクチンもないような時代です。捨てられた時点で子犬達は、身体が衰弱して弱っており、外にさらされていたのでウィルスに感染していたと思われます。ですから、助けたつもりの子犬達は、みんな短命でした。当時はドッグフードもなかったので、私は自分のごはんやおかずを小さく砕いて与えていました。子犬たちはガツガツと喜んでたべてくれました。 でも、どの子も大人になる前に・・・急に元気がなくなり、容態が急変して亡くなっていきました。後から考えると・・・何かの伝染病に感染していたと思われます。でも、まだ小学生だった私は、伝染病なんて知る由もなく・・・どうして死んじゃったのだろう~ と泣きながらお庭を掘って遺体を埋めていました。けなげでした。

ある程度、大きく大人まで育った犬もいました。その犬・リラは、私に命を助けてもらったことを分っているのでしょう。私には従順でしたが、他の家族にはなつきませんでしたね。のらちゃんの血ですので、警戒心が強く凶暴でよく吠える犬でした。誰にもなつかなくても、私にだけ心を許していました。ひたすら私が学校から帰ってくるのを待っていました。帰ってきて、リラちゃん・よしよしと身体をなぜると、おもらしをして喜んでいました。なのに・・・妹が近づくと・・・ウウッ!そばに来るな と威嚇していました。極端ですね(笑) 妹は、全然可愛いがらなかったですからね。犬はよく分っていますよ

そのリラも、あるとき急に咳をし・・・ご飯を食べなくなり、その咳も激しいくなり、著しく弱ってきました。病院で診ていただくと、ジステンパーです。それも重傷です~助からないでしょう と言われました 私はジステンパーって何 と思いましたが・・・子供だったのでピンときませんでした。 食べ物を食べなくなったリラに、普段は食べさせないような、プリンやゼリーをリラの口元に持っていきました。一生懸命に食べさせようとして看病しました。 リラは弱って食べるどころではありませんでしたが・・・私に気を遣ってくれて、少しだけ舐めてくれました。 でもでも、先生がおっしゃったように、発病して10日くらいで亡くなってしまいました。すごく苦しんで亡くなりました。その姿は今でも脳裏に焼き付いています。子供心に、ジステンパーの言葉が・・・怖い伝染病と頭に刻み込まれました。遺体のひつぎには、リラが大好きだった品物を入れて火葬しました。私はもちろんのこと、母も妹も、家族はみんな泣いていました。

リラのまえにも壮絶な経験をしました。リラを飼うよりも3~4年まえだったと思います。その当時住んでいた家の前には線路があり、電車が走っていました。当時もやはり、のらちゃんが紛れ込んできて、比較的大きな子犬で季節も暖かかったので、庭で飼っている状態でした。そしたら、ある日ギャンイン・ギャインとすざましい鳴き声を立てながら家に戻ってきました。電車が通ったあとです。私はその姿を見てビックリ 左の前足がブラン・ブランしていました。そうです!電車にはねられたのです。私は驚いて→ お母さん~大変!大変!と母を呼びました。飼うことを、あんなに嫌がっていた母ですが、その姿を見た母もビックリ仰天し、自転車にダンボールをくくりつけ、その中に犬を入れて急いで病院にかけつけました。私も走ってあとから追いかけていきました。

そして、診てくださった先生は悲しい判断をされました。この犬は左前足がなくなります。犬が3本足になることは致命的です。生きていくことができません。まして前足ですから。多分足だけでなく、内臓破裂もしているでしょう。助かる見込みはないですね。この犬をラクにしてあげるには安楽死しかありませんよと。先生の説明には納得できました。病院に着いた頃には、この子は虫の息でした 交通事故で、こんなに大怪我をしているのに、我が家をめがけて帰ってきたこの子・タローの姿・・・3本足で必死に私のもとへ駆け寄ってきました。私が抱くと、こと尽きたように倒れました。

先生に説明を受けて、私と母は、すぐにうなずきました。タローちゃんが苦しまないのが一番だから。そうして、タローは麻酔を打たれて眠るように苦しむことなくあの世へ逝きました。家に帰ってひつぎにはタローの好きなモノを一緒に入れました。母はいつも、私に→犬は飼わないよ捨ててきなさい!と言っていたのに・・・このときは大きく声を出して、タローに話しかけながら泣いていました。 その姿を見て、私はなんて自分はバカなんだ と反省しました。犬の為に泣いている母を見て、私はある意味で目が覚めました 犬を好きな気持ちだけでは、どうしようもないことを。 犬を幸せにすることもできず、母を困らせてばかり。 迷惑ばかりかけている。 そんなことを何度も何度も繰り返して・・・性懲りもない子供だと反省しました。母は、車の運転ができませんでしたが・・・犬に何かあると、自転車に乗せて病院に連れて行ってくれました。亡くなったあとの火葬は、父が車で運んでくれていました。

私は、拾ってきた動物の世話はしていましたが・・・肝心な・・・お金のかかることは、両親がしてくれていました。

動物を飼うということは、その子の命に責任を持って最後までみてあげることです。なんの力もない子供が・・最後まで責任をもてるわけがないのです。可愛がることはできても、お金は持っていません。ですから、自分の子供時代に、捨て犬を拾って面倒をみることができたのは、陰で母が協力してくれていたからでした。母は、ダメダメ! 元の所に戻してきなさ~い! とは言うのですが、いざ飼うと、情が移るのです ですから、犬が病気になると病院へも連れて行ってくれました。母には感謝しています。この当時は動物を病院に診せることは珍しく・・・高級犬を飼っている人しか行かなくて・・・いつもガラーンと閑古鳥でしたよ。この頃の獣医さんは、まだ立場が認めておられず・・・生活が苦しかったとおもいます。

子供のときから、沢山のわん&猫ちゃん達とかかわり、色々な経験をしてきました。管理人のおバカな子供時代・・・若いお姉さん時代・・・結婚してからの、ペット禁止時代・・・やっと好きなことができている、今の時代と・・・ペットネタはつきません。

コメント (2)
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