熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

杉本 秀太郎 著「平家物語」 (4)

2020年06月30日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   「平家物語」の重要な登場人物の一人は、御曹司源義経であろう。
   源平盛衰記など文献も多く残っていて、判官贔屓というか日本人の心の琴線に触れてファンも多くて、能や歌舞伎など古典芸能の格好の主役である。

   ところが、私自身は、平家贔屓と言うこともあるが、義経を好きにはなれない。
   その最大の理由は、平家の滅亡を招いた壇ノ浦の戦いで、禁じ手を使って平家軍を追い詰めたという記憶が強烈に残っているからである。

   ここの部分を、杉本本をそのまま引用すると、
   ・・・重能につづいて四国九州の軍勢も皆平家に背いた。源氏の兵どもは次々と平家の船に乗り移り、水夫楫取を射殺し斬り殺したために、船の向きもままならず、平家水軍の統率は崩れ去った。元来、傭用人にすぎない水夫楫取は殺さぬのが船のいくさの約束事だったのに、源氏は、これをふみにじった。

   もう一つ、気付かなかったのだが、著者は、「三草合戦」で、平家の夜討ちの描写で、次のように述べている。
   大松明で小野原の在家に火をかけて、「野にも山にも、草にも木にも、火をつけたれば、(漆黒の闇が、)昼にも劣らずして、3里の山を越え行きけり」・・・不意の夜討ちに平家は敗走・・・
   義経というもののふは、放火を常習としていたと見える。放火された在家すなわち民家の人々は、住む家も家財もたちまちのうちになくして、にげまどうばかり。もののふは平然とこれを眺めて打過ぎる。私はこの小野原の在家の難一つのことで義経に好意を抱きかねる。あるいは多少の好意も風になびく不二の煙の如く消え失せる思いを味わう。

   さて、「平家物語」の屋島の合戦の「那須与一」に続いて、「弓流」がある。
   船中の平家の侍が、義経の弓に熊手を引っかけたので、弓が波の上に落ちたのを、義経が「うつぶして、鞭を持って掻き寄せて、取ろう取ろうと」したのを、老武者が苦り切って、義経の命の方が大切で弓をそのまま捨てよと苦言を呈したのだが、銕仙会 能楽事典「屋島」を引用させて貰うと、
   「しかし私が弓を取り戻したのは、断じて物惜しみではないのだ。未だ名を挙げること道半ば、私のこの小さな弓を敵に拾われては、義経は小兵に過ぎぬと侮られるだろう。取り戻すために討たれたのなら、それは運命というもの。死をも恐れぬこの私が弓一つに拘るのは、末代までの名誉のため。惜しむべきは名誉、惜しまぬものは命なのだ――」。
兼房たちに切々と諭した、義経の思い。そして今また、彼はその信念を語るのだった。
   さて、この義経の振る舞いをどう見るかだが、私には、「背低く、反っ歯で色白の」短気で梶原景時と絶えず啀み合う義経像しか見えてこないので、何故、能「屋島」が、名曲なのかは分からないのである。
   安野光雅画伯の繪を拝借すると、
   
   

   尤も、これらに対する反論もあるのも当然で、真偽の問題は不問として、あくまで、私自身の全く個人的な義経論であって、争うつもりはない。

   義経の登場する古典芸能は、
   能には、「安宅」「船弁慶」「橋弁慶」「屋島」「烏帽子折」「鞍馬天狗」
   歌舞伎・文楽には、「義経千本桜」「一谷嫩軍記」「勧進帳」
   これらは、皆、舞台で鑑賞しているが、シテというか義経が主役の曲なり演目は、弓流しをテーマにした「屋島」くらいであるのが面白い。
   義経を好き嫌いに関係なく、歴史上の義経ではなくて、登場人物の一人として見ている感じで、殆ど違和感はない。

   義経を頼朝に讒訴して貶めたとして嫌われ気味の梶原景時が、「梶原平三誉石切」では、素晴らしい侍として登場して、白鷗や吉右衛門の名演が観客を魅了してやまないのと同じ事だと思っている。
   そうでないと、同じ安宅の関を突破しての逃避行の能「安宅」と歌舞伎や文楽の「勧進帳」の奥深さを感じることができないはずである。
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トーマス・セドラチェク, オリヴァー・タンツァー 著「続・善と悪の経済学 資本主義の精神分析」(2)

2020年06月29日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   ギリシャ神話や悲劇・喜劇、北欧神話等々、最後には、チロルの民話を引くなど比喩や敷衍など話題豊富で、フロイトやユングなどの精神分析が縦横に展開されていて、興味深い本だが、それだけに、時々頭を出す経済学分析がどうなのか、分り難くなるのが、この本。
   私など、「資本主義の精神分析」というサブタイトルだが、要するに、著者たちが、現代資本主義をどう見ているのか、その分析結果を知りたくて読んだのである。

   ほぼ、次のような考え方だったと思う。

   この本の目的は、資本主義的市場経済の上に成り立つこの社会は、複雑な構造と果てしない多様性を内包していて、簡単な答えで太刀打ちできないのだが、経済というシステムに鏡を向けて、社会の極端な経済化の結果として生じた精神的・実存的な深淵へと読者を案内する。と言うこと。
   資本主義に暮らす人間は、関係を理解することより、服従と支配を教え込まれて、自らも学んでいるのだが、時間の乏しい厳しいプロセスの中で、攻撃性を増し、ミスを犯しやすくなっている。人々は最大限の利益獲得を迫られ、経営者は短期の利益戦略に走り、人間と資源を容赦なく搾取する。世界規模の不均衡が起こり、多くを持つ者にチャンスと財産が窃盗症的な形で割り振られている。金融経済は、非常に高いリスクを追いかける一方、原始的な儀式や習慣に従っている。消費行動はどんどん速度を増し、どんどん質を落としながら豊かさの目くらましをし、大量販売の新しい夢を暗示のマジックによって日ごとに編み出し続けている。個別化され細分化された社会は、ただ物を売るためにだけに人々の魂にナルシシズムを植え付ける。世界観は不安な状態を作り出しながら安全を約束している。そして、これらの変異総てが宿るシステムは、躁鬱病的傾向を呈している。

   人々は、そうしたシステムを、神か運命によって授けられたもののように見ているので、このシステムやメカニズムの背景に読者の目を向けさせて、対処療法ではなく原因を治療しない限り、変化は起こらない。近年、経済的災いが襲ったのは、創造性もなしにすべてを使い果たそうとしていたからで、このままでは最終的にはシステムの自己破壊に繋がりかねない。システムの誕生以来、何度も発生してきた危機は、社会の躁的挙動に対する自然の修整のメカニズムであったと考えると、成長と競争をもう少し抑えても生命を脅かすような害はなく、それどころか救済になる。と言う。
   経済に取っては、抑うつよりも躁の方が危険だとして、先のサブプライム問題の世界的金融危機について論じて、借金しなければ経済は破綻しないのだとドイツの学者のような均衡経済を説きながら、Gross Domestic Puroductではなくて、Gross Debt Product(債務総生産)だと、GDP固守の経済を糾弾している。

   万一の時に備えて、社会に良い意味での抵抗力を示すことが、学問としての経済学、そして社会の制御装置としての政治の課題であって、多くの偶像をなげうって、個人と社会の超自我に深く根付く価値の転換を図り、時間、労働、利益の評価であり、物質的・経済的レベルを超えてその評価を広げて行く必要がある。
   そのために必要なのは、社会的プロセスの体系的変化、そして、個人の考え方の変化だと言う。

   この見解で、最初の現代経済分析については、一般論として、それ程乖離はないので、了解できるし、それ程異存はない。
   ただ、経済成長を抑える方が良いという見解については、総論としては賛成だが、日本のように国家債務が、GDPの2倍以上もあって、毎年の国家予算の歳入の30%以上を新規国債発行で賄わねばならないような国家財政では、財務省の資料(土居丈朗 教授)でも、
   日本は緊縮財政ではない •日本は、構造的財政収支が大きな赤字(他の先 進国より赤字幅は大きい) •経済で潜在GDPが実現しても、財政収支は赤字 →デフレから脱却しても、今の税制や歳出構造 のままなら財政収支は黒字にならない
   と指摘しているように、経済成長がなければ、徳政令かハイパーインフレか、戦後のような何らかの異常がなければ、解決できない。
   現在は、金利が限りなく低いので事なきを得ているが、金利が上がれば、目も当てられないような状態になる。
   借金はするなと説きながら、経済成長をダウンさせよというセドラチェクは、経済成長に見放されて国家債務の重圧に悩む欧米先進国の経済をどうしろというのか、解せないところである。
   
   もう一つは、最後の希望的な提言だが、これは、プラトンの説くような哲人政治ならいざ知らず、夢の夢であろう。
   興味深いのは、セドラチェクは、最後に、
   現代社会の主要な問題を解く答えは、希望と夢以外にない。と言って、南チロルのアンペッツォ谷の農民たちの民話を語って締めくくっている。
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わが庭・・・ユリ・シルクロード咲く

2020年06月28日 | わが庭の歳時記
   先に咲いた黄色いコンカドールと同じオリエンタル・ハイブリッドのシルクロードが咲き始めた。
   切り花にすると、かなり日持ちして豪華に咲いてくれるのだが、雄蘂の花粉が衣服につくと大変なので、切り落として美的感覚を削ぐのが残念ではある。
   
   
      

   もう一つ、梅雨時に、アジサイと一緒に咲く花が、アガパンサス。
   この花も、鎌倉の路傍に群れて咲く清涼感のある豪華な線香花火状の花だが、今年は、一寸可哀想に、トマトプランターに押しやられて、窮屈そうに咲いていて、雨に叩かれて哀れな姿になっている。
   そういえば、葉っぱに隠れて見えなかったが、黄色いミニトマトが、色づき始めている。
   二本仕立ての弊害か、下部の花房は花付きがわるかったのだが、上部の花房は、どれも20近く花を咲かせて結実しているので、回復するのであろうと期待している。
   
   
   
   

   アジサイは、雨に濡れると雰囲気の出る不思議な花である。
   
   
   
   
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トーマス・セドラチェク, オリヴァー・タンツァー 著「続・善と悪の経済学 資本主義の精神分析」

2020年06月27日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   「善と悪の経済学」に続くセドラチェクの本で、今回は、「サディズム、ナルシシズム、そして経済エリートたち」を読んでいて、何故か、
   John Bolton の新著「The Room Where It Happened: A White House Memoir」で話題になっているトランプ大統領のことを思い出した。
   尤も、以前に、「FIRE AND FURY」など、一連のトランプ本を読んで、読むに堪えられなくなったので、この本も買っておらず、メディアの情報だけだが、それにしても、アメリカの民主主義の不可思議を感じている。(追記:やはり、野次馬根性、注文してイギリスから発送予定)

   セドラチェクたちは、この章を、アポロンとマルシュアスとの楽器演奏競技で始める。競技に勝った腹いせに、アポロンが、マルシュアスの皮を剥いで木に釘付けにするという、残忍な憎しみと敵対者の打破という形で、アポロンの病んだナルシシズムが現れたと語る。
   アダム・スミスは、資本主義が、ホモ・エコノミクスを動かす力として個人の「自己愛」を説き、個人のエゴイズムは、「国の豊かさ」という大きな目標をかなえる際にも決定的な力として働く。利己心と共同体意識、この異なる力のバランスが取れていれば、需要と供給はバランスし、野心、成功欲、自己顕示欲から生ずる競争は繁栄と進歩を促す。言う。
   しかし、システムが、病的なナルシシズムに支配されると、全く別の性質が前面に出て、破壊的な衝動が突き上げるなど、このナルシシズムが、「悪性自己愛」、サディズム――破壊要求が付随してくる。と言うのである。
   ネロ、スターリン、権力のサディズムを、フロイトやエーリッヒ・フロムで分析し、ヒトラーを語る。

   ナチスの党幹部養成校「ナポラ」では、民族で選別した青少年を暴力と厳しい訓練でその価値に合うように育て上げた。ヒトラーは、私の養成機関では、暴虐、勇猛、冷酷という資質を備えた世界が驚くような青年が育つと豪語し、養成校の指針は、規律、服従、忍耐力、団体精神だったという。
   このような特性は、競争社会の支持者にも望ましいものだとして、ナポラからは、多くの著名な経営者が誕生し、その「鋼」の精神で、戦後ドイツの実体経済を作り上げた。と言うのである。
   著者は、サディズムとマゾヒズムが何とも印象的に混じり合った姿に出会った。と語っており、件の経営者もこの時の教育を是認しているのだが、私は複雑な気持ちになった。

   また、サディズムとの関連での「攻撃的な人物の選別」調査の結果では、攻撃的タイプは、経済的に成功しやすくキャリア指向であること、ルールを破り、リスクを負い、不正をしてもメリットを手に入れることにあまり躊躇いがないことで、外部に向かう攻撃性と内部の罪悪感の間には「逆関係」があって、攻撃的で出世しやすいタイプは、あまり罪悪感に悩まされず、たとえ、理由があっても自己批判に向き合うことができない。良心がないことがメリットだと言う世界の人間だと言うのである。

   著者は、攻撃的タイプの特徴から、経済で求められるエリートの姿が浮かんでくるとして、マックス・ヴェーバーが既に予言していたと言う。
   アメリカの大卒は、最近、他者への共感が低下し続けており、今のように「枷の外れた」経済は、手荒な行動様式に何倍もの報酬を与えるので、無慈悲、貧欲、功名心、金銭への執着、そして権力を持って経済競争を制したい強い意志持った人は、病的なナルシシズムやサディズムに近く、それに満足を感じることも多い。通常の社会に比べて、高度競争社会の上層レベルでは、サイコパス(精神病質)の割合が3倍も高い。と言うのである。

   尤も、著者は、総ての経営者や金融ブローカーに病的要素があると主張するつもりはないとして、多くはストレスに苦しみながら、興味深いそれぞれの戦略を用いて、それを何とか克服しようとしているとして、ホルモン療法の専門医に殺到して、医者に大儲けさせていると語っている。ホルモン療法で、シュワルツネッガー流の体力強化ではなく、テストステロンの濃度を上げて、仕事での競争力を保ち、職と自身のポジションを守ろうとしているのである。

   今日の実際の経済では、公平なギブ・アンド・テイクなどはなく、何も与えずに、できるだけ総てを手に入れる者が勝利する、取引でなく窃盗の世界、
   経済学の長い歴史の中で、一級の経済学者が誰も是認しなかったパラダイムシフト。
   株主資本主義が暗礁に乗り上げたとかで、欧米の企業も日本流にステイクホールダー重視を唱え始めてはいるが、所詮、winner takes allだと言うことである。

   それに比べれば、パワハラ、セクハラなど、ほんの末梢的な氷山の一角であろうが、悲しい現実である、
   さて、それでは、これから、どう生きて行くのか、
   著者の見解に総て賛成という訳ではないが、ほぼ納得で、
   精神分析から現在の資本主義を鋭く切り込んで行く手法は流石に興味深い。
   現代資本主義は、新型コロナウイルス騒ぎのように、益々、混迷の度を深めて行くのであろうか、気になるところである。
   
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共同:仏フォション破綻、を報じる

2020年06月26日 | 経営・ビジネス
   パリ共同が、「仏フォション破綻、コロナで 国内店舗に影響なし」と報じた。
   そのまま、引用すると、
   130年以上の歴史を持つフランスの高級食料品店フォションは25日までに、パリ中心部にある本社と店舗を運営するグループ企業に関し、商業裁判所へ更生手続きを申し立てたと発表した。事実上の破綻。新型コロナウイルスの流行などで悪化した経営の再建を図る。
 フォションによると、申し立ては22日付。日本を含め海外に73ある店舗や、パリで2018年にオープンしたホテルなどの営業に影響はないとしている。130年以上の歴史を持つフランスの高級食料品店フォションは25日までに、パリ中心部にある本社と店舗を運営するグループ企業に関し、商業裁判所へ更生手続きを申し立てたと発表した。事実上の破綻。新型コロナウイルスの流行などで悪化した経営の再建を図る。
 フォションによると、申し立ては22日付。日本を含め海外に73ある店舗や、パリで2018年にオープンしたホテルなどの営業に影響はないとしている。

   フォションのBRAND HISTORYによると、
   1886年創業以来、パリ マドレーヌ広場で美味追求 の姿勢を守る 世界の美食トップブランド「FAUCHON」。 パリ、フランスはもとより、世界 のグルメの賞賛を浴びるブランドです。 FAUCHON の真髄は、一世紀を超える伝統に裏打ちされた技術 から生まれる創造性と 時代の最先端をめざす、コンテンポラリーな独創性。 世界のグルメが認める美食のステイタスブランドとして 常に食の世界をリードしています。 世界中から選んだ旬の素材を加工生産。こうして生まれるジャムや紅茶、食材の数々は日本でもすっかりお馴染みになりました。 日本登場以来、ラインナップはさらに意匠を凝らしニュースタイルの食空間を演出するパッケージへ。都会的でシャープなラインナップの中に伝統が息づく至福の美味がぎゅっと詰まっています。 洗練のパリのエスプリをお届けします。

   私は、ロンドンに住んでいたので、フォートナム&メイソンのファンだったが、パリに行くと、フォションに立ち寄って、アップルティーなど買って帰ることがあった。
   フォートナム&メイソンとは、一寸違ったフランスの雰囲気が、何となく魅力的であったのである。
   ロンドンの目抜き通りのピカデリーやオックスフォードStなどにはない、パリのシャンゼリゼ通りの広い歩道に張り出したレストランなどの粋なテーブル席で味わうティーの味という感じの差であろうか。

   ロンドンに居た時には、事務所がすぐ直近のサヴィル・ロウ横の通りにあったので、フォートナム&メイソンには良く出かけて、紅茶やコーヒー、ワイン、食器などを買っていた。
   喫茶室のアフタヌーン・ティも楽しみであった。
   紅茶は、当時、木箱入りのダージリンのファースト・フラッシュを愛飲していて、発売されるとすぐに何箱も買っていて、帰国してからも直接取り寄せていたが、三越からの購入になり、異常に高くなったので止めたが、コーヒーも、フォートナム&メイソンのブルーマウンテンは、他のコーヒーより4倍くらい高かったが、格別であった。

   当時、激務で、今日はパリ、明日はアムステルダムと、殆ど、ロンドンにいなかったので、寸暇を惜しんで、キューガーデンの自宅で、広いバックヤードの庭園を眺めて四季の移ろいをたのしみながら、近くのメイド・オブ・オナーから特別なスコーンを買ってきて、ブランディを加えたコーヒーや紅茶を味わいながら、本を読むのが楽しみであった。
   この頃は、幸か不幸か、歳の所為もあってか、味や香りに無頓着になって、カップやグラスなどは当時そのままだが、コーヒーや紅茶の質に拘らなくなってしまっている。

   フォートナム&メイソンは、1707年 の創業、
   1854年、クリミア戦争でのイギリス戦士の大惨劇が本国を震撼させ、ビクトリア女王自身が直々に「スクタリのナイティンゲールに大量の濃縮ビーフティー(病人用牛肉スープ)を直ちに発送せよ」とフォートナム・アンド・メイソンに命令を下し、 クリミアに向かうすべての船舶にはフォートナム・アンド・メイソンのラベル付きの貨物が積まれた。と言う。
   いずれにしろ、良くも悪くも、7つの海を支配し日の没する所のなかった大英帝国の歴史とともに歩んできた英国屈指の高級食料品会社であり、英国文化が凝縮していると言えようか。
   ピカデリー通りの本店に入ると、大変な賑わいにびっくりするが、上階に上がると、雅なイギリスの食文化の雰囲気に触れて、また、違った感慨に浸れる。
   同じ通りにある1797年創業のイギリス最古の書店ジョン・ハッチャードと共に、私の一寸した憩いの空間であった。

   さて、フォションは、事実上の破綻だが、悪化した経営の再建を図ると言うことで、事業は継続するようで、まずまずだが、
   今回の新型コロナウイルス騒ぎで、多くのホテルやレストラン、それに、伝統と歴史を凝縮したフォションのような文化財とも言うべき老舗が、苦境に陥りないし倒産の危機に直面している。
   ペストの大パンデミックにも拘わらず、ヨーロッパは、ルネサンスの花を咲かせたが、早く、このコロナ騒ぎが治まって、営々と築き上げてきた文化遺産や伝統文化への打撃が回避されることを、切に祈りたい。
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IMF、20年世界成長見通しをマイナス4.9%に下方修正 

2020年06月25日 | 政治・経済・社会
   IMFが、先に発表した2020~21年の経済予測を、コロナの影響が深刻だとして、4月の予測を下方修正した。
   新型コロナウイルスのパンデミックが経済活動にもたらした打撃が当初の予想以上に幅広く深刻だとの言うことで、2020年の世界経済成長率見通しを、4月時点のマイナス3%からマイナス4.9%と下方修正したのである。
   更に、21年の成長率見通しについても、4月時点のプラス5.8%から、プラス5.4%に引き下げ、同年に新型コロナ感染が再拡大すれば成長率はプラス0.5%にとどまる可能性があるとしている。
   

  IMFは、今回の経済危機は、大恐慌以来最悪の景気低迷だと警告していたが、予測を下方修正したのは、ソーシャルディスタンスなどの安全対策による需要への打撃が続いていることに加え、ロックダウンによる供給ショックが予想以上に大きかったことを反映しているとして、新型コロナの流行を抑制できていない国では、ロックダウンや移動制限など経済活動抑制の長期化が、更に成長を阻害することになると指摘する。
   現実にも、中国を除いたBRICSなど新興国のパンデミックは、更に進行中であり、アフリカなど貧困状態にある発展途上国の悪化状態などこれからと言った状態で、ワクチンや治療薬の出現まで、グローバルベースでは、気を抜けない。

   さて、先進国の経済悪化は、ヨーロッパが最悪で、イタリアとスペインが筆頭で、マイナス12.8%、フランスもマイナス12.5%、ドイツのマイナス7.8%で底上げされてはいるが、E`Uではマイナス10.2%で、アメリカのマイナス8.0%、日本のマイナス5.8%より悪く、益々ヨーロッパの没落を加速する。
   IMFの表を記載すると、次の通り。
   2021年度は、プラスになっているが、2020年からの成長率なので、2019年度の水準に回復するためには、更に、何年もかかり、正常に戻るかどうかさえ怪しい。
   

   2020年と2021年を合算したグローバルGDPのロスは、先の予測9兆ドルから、12兆ドルに達しており、その傷は深く、更に、悪いことには、
   先進国も新興国も途上国も、公的債務Public debtは、歴史上、そのGDP比が最高となって、一気に経済再興のハードルを引き上げる。
   IMFは、無駄な支出の削減、税ベースの拡大、税逃れの最小化、税の更なる累進などによる中期的な健全な財政フレイムワークの構築の必要性を説いているのだが、最も、健全かつ有効なはずの経済成長には触れていない。経済成長など、望み得ないと言うことであろうか。
   
   

   IMFレポートの結びは、
   このコロナ危機が、新しいグリーンおよびデジタル・テクノロジーと更に広範な社会的なセイフティ・ネットへの投資によって、もっと生産的で、持続可能な、公平な成長へのシフトを加速する機会を生む。グローバルな協力が、真にグローバルな危機に対処するためにこれまで以上に重要である。多国間ベースの貿易システムを改善することによって、貿易やテクノロジーの緊張関係を解決するために、あらゆる努力をしなければならない。IMFは、・・・
   と言うのだが、米中対立が、新冷戦時代に突入したと言われており、世界が、Gゼロで分断状態になっており、国際機関が機能不全になりつつある今日、そんな理想は望み薄であり、果たして、明るいグローバル世界を、どうして展望すれば良いのか、予断を許さないと言うところであろう。
   いずれにしろ、IMFの予測も、他の経済予測のように当たるはずがないのであろうが、極単に、経済が悪化していることは事実であり、我々個人も、心して、新ノーマル状態の生活スタイルを築いて生きなければならないと言うことであろう。
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杉本 秀太郎 著「平家物語」 (3)

2020年06月24日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   勢力挽回に成功していた平家が、一気に逆転敗退して、西海へ向かう切っ掛けは、義経の鵯越の「逆落」と一ノ谷の敗北。
   この巻九は、このシーンを含めて、宇治川の先陣争いから木曾最期、忠度最期、敦盛最期を経て、小宰相身投げまで。

   能の格好の舞台で、私が鑑賞したポピュラーなところでは、木曾の最期は、能「巴」
   忠度は、このシーンではなく、巻七の「忠度都落」の能「忠度」、俊成に勅撰和歌集への入集を頼む 
   読人しらずの「さざ波や滋賀の都はあれにしをむかしながらの山ざくらかな」
   敦盛は、能「敦盛」
   小宰相身投げは、能「通盛」
   また、歌舞伎や文楽の「一谷嫩軍記」に、敦盛と忠度が登場する。

   さて、西に下った平家だが、木曾義仲の追討の後、戦乱が京都に移っている間に、勢威を挽回して、山陽道八カ国、南海道六カ国を従えて讃岐国八嶋を出て摂津国難波潟へ押し渡り、福原の旧都に居住して、西は一ノ谷を城郭に構え、東は生田の森を大手の木戸口と定めた。
   「樋口被討罰」に描写されていて、平家軍の陣容を描いた安野画伯の絵は、次の通り。
   

   さて、一ノ谷の戦での平家の敗走だが、忠度も敦盛も、落ち行く渚には、味方は一騎も従わず、単身騎馬して海に乗り入れている。
   諸国よりの「駆り武者」は、こうして平家の宗徒をたやすく見捨てて逃げ失せたのである。
   多勢に無勢、敗走して討ち死にするのは当然で、幸運な者は、海上に逃れるのがやっとだが、待っているのは壇ノ浦の悲劇。
   この一ノ谷で討ち死にしたのは、大将軍通盛以下都合十人。平家随一の名将知盛の断腸の悲痛が、息子知章を失った「知章最期」で描かれていて悲しい。

   忠度は、関東武者六野太にお歯黒を見抜かれて挑まれて一度は打ち据えるのだが、六野太の少年兵に右の腕を切り落とされて、「光明遍照十方世界、念仏衆生摂取不捨」と「観無量寿経」の句を唱えて果てぬうち、後ろに回った六野太に首を打ち落とされたという。
   著者は、忠度が、歌が優れていたのみか、熊野の山育ちの体力無双、そして、深く阿弥陀如来に帰依していたことにまで及ぶ「忠度最期」の一くだりは、長い歳月をかけて琵琶法師が練り上げた語りの首尾我よく現れている。と述べている。
   箙に結びつけられていた文「旅宿花」に
   ”行きくれて木の下かげを宿とせば花やこよひのあるじならまし 忠度”
   とあったので、ようやく、薩摩守忠度だと知り、平家物語では、六野太の大音声の後、
   ”・・・敵もみかた是をきいて「あないとおし、武藝にも歌道にも達者でおはしつる人を、あったら大将軍を」とて、涙をながし袖をぬらさぬはなかりけり。”
   「忠度都落」と「忠度最期」の安野光雅画伯の絵は、次の通り。
   
   
   
   敦盛については、能「敦盛」は、世阿弥の夢幻能で、出家した熊谷直実(蓮生法師)の眼前に敦盛の霊が現れるという後日譚になっていて、随分、変ってしまっている。
   歌舞伎や文楽の方が、脚色も良いところだけれど、かなり、「平家物語」のストーリーを取り入れていて、面白くなっているが、私は、平家物語のストレートな物語の方が好ましいと思っている。
   小学唱歌でも主題は、敦盛が腰に差していた錦の袋に入れた青葉の笛だが、「平家物語」でも、「・・・東国の勢何万騎かあるらめども、いくさの陣へ笛を持つ人よもあらじ。上﨟は猶もやさしかりけり」とて、九郞御曹司の見参に入たりければ、是をみる人涙を流さずといふ事なし。」

   面白いのは、著者が、殊更に武者の装束が念入りに語られれていることで、後の世の絵師に、この通りに装束を描けば色彩の妙に繪が映えると耳打ちしているようだと指摘していること。
   直実は、褐の直垂に赤皮縅の鎧を着て、紅の母衣をかけ、栗毛の馬に乗り、小次郎は、沢瀉を一入摺った直垂に、節縄目の鎧を着て、馬は白月毛、・・・
   画面が小さいので、一寸、分かりにくいが、安野光雅画伯の繪は、
   

   さて、殺伐とした戦闘のシーンの最後に、雅な恋の話、夫婦の純愛物語で締めくくるあたり、琵琶法師も粋である。
   「小宰相身投」の章だが、その前に、著者は、通盛は、教経同様につとに勇猛の名の聞こえる人だが、また、「ものあわれ」に感じること深く、「もののあわれ」は色恋に惑う時に最も深まるという兼好法師の言を引いて、通盛は、小宰相という最愛の北の方を都落ちにも連れてきていて、戦のさなかにも、「もののあわれ」は一際勝っていた。と言って、その極まりは、いよいよ山の手の固めについた直後、教経の狩屋に北の方を迎えて最後の名残を惜しんだ。と書いているのである。
   その通盛が果てたという情報を聞いた小宰相は、衣を引っ被って泣き伏して寝込み、船が八嶋に着くという日の夜更けに、満月の照らす海に身を投げたという。
   この物語を主題にした能が「通盛」。
   安野光雅画伯の繪は、次の通り。
   

   この本のページをゆっくりと繰りつつ、安野光雅画伯の繪を眺めながら、昭和37年版の岩波書店の「日本古典文學大系」の「平家物語 上下」を反芻しながら、「平家物語」を味わっている。
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安野光雅作画「繪本 平家物語」

2020年06月22日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   平成平家物語絵巻とも言うべき、詩情豊かな安野光雅画伯の繪の魅力は、計り知れない。
   素晴らしい絵本画家としての業績のみならず、ヨーロッパ各地の風景画や、時には、シェイクスピアの戯曲繪などにも、人々を感動させてやまない作品を残すなど、画業のジャンルは限りなく、これまでに、多くの絵画展に通ったり、本を読んだり、津和野の「安野光雅美術館」を訪れたりして、その魅力を感じさせて貰って来た。
   展示会で、写真を撮らせて頂いたり、このブルログでも、書評など、結構書かせて頂いている。
   今回は、改めて、日本の誇る最高の古典文学平家物語の世界を、安野平家のビジュアル化の展開であるから、一気に源平の盛衰を浮き彫りにした平安末期の歴史が、彷彿として蘇ってきて、何重にも文学の世界を堪能できる喜びを味わう事ができる。
   

   昔の時は帰らない。しかし、故郷という空間に帰ることによって、時間を遡る感にふけるか、もしくは昔に帰ったと同じことだと考えてみることができる。700年前の「平家物語」の世界には時間を遡れないが、旧跡を尋ねてみれば、昔の時間が帰ってくるかも知れないと考えて、
   安野画伯は、この繪本を描くために、京都や壇ノ浦は勿論太宰府にも、八島や倶利伽羅峠、鵯峠から一ノ谷、「平家物語」に出てくる殆どの場所を踏査したという。
   旧跡へ行けば、地霊の有無に拘わらず、平家の情景を思い描くことが楽になると言う思いで、源平の盛衰を追いながら構想を膨らませて、こんなに素晴らしい絵巻を描くことができたのである。
   子供の頃、和田神社の近くで一夏を過ごし、和田岬や、須磨、六甲、湊川などは思い出の地であり、平家の雑兵よりも酷かった一兵卒での戦中の苦難を源平の合戦に重ね合わせたり、思い出を語って尽きない。

   私も、これに似た想いを経験しており、この平家物語で、福原遷都の時に、候補に挙がった「播磨の印南野か摂津の昆陽野に都を造るべきか」とされた昆陽に、子供の頃、住んでいて、能にも結構登場しており、近くに、奈良時代の名僧行基が建立した古刹昆陽寺があり、西国街道が走っていたので、歴史を感じていた。
   それに、阪神間が故郷であり、宇治と京都で学生時代を送り、上方の古社寺散策など歴史散歩に明け暮れていたのであるから、良く分からないままに、歌舞伎や文楽、能狂言など、古典芸能鑑賞には、随分、助けになったと感謝している。
   
   さて、安野光雅画伯は、最初に「平家物語」に接したのは、厳島神社への遠足だとしながら良く分かっていなかったので、小学唱歌の「青葉の笛」だと言って、敦盛の話を語っている。
   私の場合には、大学生になって平家物語が愛読書にはなったが、平家への傾倒への切っ掛けは、全く記憶にないので、高校の国語の授業か受験勉強の教材からの影響だと思う。
   余談だが、この平家物語のケースも同様だが、受験科目8科目、すなわち、英数2国の他に、社会2科目、理科2科目を突破しなければならず、幅広く勉強したのが、その後、非常に、役に立ったので、受験勉強も捨てたものではなく、良かったと思っている。

   さて、この安野光雅画伯の「繪本 平家物語」だが、79枚の絵画シーンと共に、巻を追って、143章の文章で、安野平家物語が、語られていて、これを読むだけでも、「平家物語」をショートカットで味わうことができて面白い。

   さて、私だが、伊丹から、京都の東一条の大学まで電車と市電で通っていた。
   天気が良くて気持ちの良い日には、途中の桂で嵐山線に乗り換えて、嵐山や嵯峨野へ沈没していた。
   あっちこっち気の向くままに散策するのだが、先の東京オリンピック前後の頃であるから、当時は、観光客も少なくて、嵯峨野の祇王寺や滝口寺など、鬱蒼とした山間の草深い庵と言った風情で、まさに、鄙びた平家物語の世界であった。
   私の好きであった平家物語の舞台、嵐山と嵯峨野を舞台にした「祇王」「小督」「横笛」
   ”峰の嵐か松風か、尋ぬる人の琴の音か・・・” 夕闇迫る頃の嵐山は、無性に人恋しくなる。
   安野光雅画伯の絵を紹介しておきたい。
   
   
   
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安野光雅画伯の「繪本平家物語」を手に入れる

2020年06月21日 | 生活随想・趣味
   安野 光雅画伯の「繪本 平家物語」は、 1996/2/26 の出版であるから、既に、書店の新本にはない。
   今、杉本秀太郎の「平家物語」をじっくり読んでいて、その本の挿画である安野光雅画伯の本を、観たいと思った。

   古本なので、私の本探しは、まず、アマゾンを開いて、マーケットプレイスの出店を調べる。
   「良い」というコンディションの本だと、一番安いので、3800円くらいである。
   インターネットで検索したら、ヤフオクで写真入りで、何冊か、出店されていた。
   アマゾンより、条件が良くて、少し安いのだが、入札なので、良く分からないし、トラブルを起こしたくないので、止めにした。
   メルカリは、アマゾンよりも、少し安くて、まずまず。

   もう一つは、「日本の古本屋」で検索することである。
   ここでは、何冊か出店されていて、まずまずの条件の本が、送料込みで、3300円。
   税別の定価で、9515円であるから、多少問題があっても良かろうと思って、クレジットカード払いで、オーダーを入れた。
   金沢市のオヨヨ書林から、すぐに郵送されて来て、箱や絹地の背表紙などには、年代相応の多少のヤケや色あせはあっても、完全に新古書で、嬉しくなった。

   覚一本を底本とした「平家物語」を画伯が描いた79場面の絵画に、物語を順に追って143章の説明を加えた大型の豪華本で、平成版平家物語絵巻とも言うべき素晴らしい作品である。
   参考に、下記は、鵯越と壇ノ浦の絵図である。
   
   

   私は、よほど欲しいときでないと、古書は買わないのだが、
   以前に、昭和17年発行のギュスタヴ・ドレエの「ダンテ神曲画集」を買ったことがあるが、これは、戦争を潜ってきた古書であるから、茶色にヤケついた古色蒼然とした古書だった。
   以前には、神田神保町へ行かなければならなかったのだが、今は、デジタル時代で、どんな本でも、ロングテイル、ネットで探せるので助かる。
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杉本 秀太郎 著「平家物語」 (2)

2020年06月20日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   次に、気になるのは、源頼政の最期、やはり、能「頼政」を鑑賞する機会があるからであろう。
   能「頼政」は、宇治を舞台にした文武両道に秀でた源頼政を主人公にした世阿弥の格調高い修羅能。
   平氏政権下でありながら、源氏の長老として従三位に叙せられ75歳まで生を全うした数奇な運命を辿った頼政の最期については、平家物語の 巻第四・宮御最期 『三位入道七十に余つて…』に描かれており、能はその部分を脚色した作品で、「平家物語」のそのラスト部分は、
   「埋れ木の花さく事もなかりしに身のなる果ぞ悲しかりける」
   これを最後の詞にて、太刀の先を腹に突立て、俯様に貫かつてぞ失せられける。その時に歌詠むべうは無かりしかども、若うより強ちに好いたる道なれば、最後の時も忘れ給はず。その首をば長七唱が取つて、石に括り合せ、宇治川の深き所に沈めてけり。
   能「頼政」では、後シテの源頼政の霊が、合戦への経緯を語り、宇治川の合戦の修羅場を再現してみせて、最後に、自らの最期を語って、ワキ旅の僧に供養を頼んで消えてゆく。

   私は、京大の宇治分校時代に、1年間宇治の茶問屋に下宿をしていて、宇治河畔は何時もの散歩道であり、平等院には何度も行っていたが、当時は、源頼政が自刃した扇の芝のことには無関心であった。
   ただ、宇治川の最初の印象だが、琵琶湖に源を発して、天ヶ瀬ダムを経由して、一気に山際の渓流を流れ下る急流の水の勢いが凄いのにびっくりした。

   この宇治川渡河については、義仲追討に向かった鎌倉方の佐々木高綱と梶原景季の宇治川の先陣争いが有名だが、この頼政の最期の前に、源平最初の合戦を物語る壮絶な「橋合戦」が描かれていて、橋桁を外され先陣200余騎が溺れたり、浄妙坊や一来法師の派手な戦いぶりを野球観戦のように敵も味方も見物する描写があれば、専門家に知恵を得て描写した馬筏で300余騎無事に渡河する様子など興味津々。
  何時も思うのだが、何故、この山間部から一気に下ってきた直後の急流の激しい宇治川の平等院畔で、宇治川合戦をしたのか、もうすこし、下流の茶畑のある木幡あたりで渡河しても良いのではないかと、不思議に思っているのだが、そう言えば、世界の大戦でも、大体、本舞台で戦って突破することが多いので、裏をかいたのは、義経の鵯越くらいであろうから面白い。
   それにしても、この後、奈良炎上が展開されるのだが、良くも、直近の河畔での戦争でありながら、平等院が無傷で残ったのを奇蹟だと感嘆する以外にはない。

   さて、歴史として興味深いのは、この頼政と宮の敗死が引き金となって、その後、三井寺焼打ち、福原遷都、頼朝の挙兵、富士川の平家敗北、遷都と、歴史は大きく旋回して、平家に暗雲が漂う。
   そして、断末魔ととも言うべき「奈良炎上」。
   高倉宮に味方した三井寺に同心した興福寺に怒り、南都の不穏に苛立った清盛が、重衡を大将軍にして、平家の大軍を奈良焼き打ちに送り込み南都に乱入して、
   興福寺の堂塔伽藍、仏像、経巻ことごとく一夜にして灰と化し、聖武帝の盧舎那仏も崩壊して焼けただれ・・・
   火勢強く、興福寺から元興寺、法華寺、薬師寺を焼いた猛火は、大仏殿に「まさしう押しかけたり。をめき叫ぶ声、大焦熱、無間阿毘の底の罪人も、これにはすぎじとぞみえし。」
   重衡上洛後、堀を南都の大衆の首で埋め尽くし、それを見て、一天四海貴賤男女嘆き悲しみけれど、入道相国ばかりは、南都の衆徒ら、さて懲りよ、と宣いける。後世いかならんと、聞くも身の毛よだちたる。

   この「平家物語」は、清盛の悪行オンパレードであるが、山門にも三井寺にも興福寺にも、一顧だにせずに兵を送って平気で攻撃して焼き討ちなどを行っているが、信長同様に、清盛にも、微塵も仏心なり信仰心がなかったのであろうかと思うと不思議である。

   さて、余談だが、この治承4年(1180年)に、平家の奈良焼き打ちで、奈良の東大寺・興福寺が焼亡したので、その再興のために、運慶、快慶など偉大な大仏師が活躍する檜舞台が与えられる。
   興福寺や東大寺に大傑作を残し、最晩年には、運慶は、源実朝・北条政子・北条義時など、鎌倉幕府要人のために作品を残したようだが、頼政謀反が、大きく歴史を動かして大転換の先駆けとなったと思うと、もう少し、心して、あの平等院と宇治川を思い出しながら、能「頼政」を鑑賞しようと思っている。
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杉本 秀太郎 著「平家物語」

2020年06月18日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   この本は、現代語訳でもなければ、学術書でもない。
   仏文学者である著者が、豊かな学識と蘊蓄を傾けた随想風の平家物語であり、実際の平家物語のみならず、関連知識や情報を総動員して語りかける解説平家物語であって、非常に興味深い。
   前世紀末の出版で、既に、20年以上経っているのだが、出版当時は話題を集めた本で、読みたくて買っておきながら、長い間、積ん読であったのを何の気なく、倉庫から引っ張り出して読み始めたのである。
   平家物語は、学生の頃、岩波の古典文学大系「平家物語 上下」を一度読んだだけで、その後は、気が向いたときや、歌舞伎や文楽、能狂言の鑑賞時などで、何度も引っ張り出して読む程度で、通読したことはないのだが、この本は、「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり・・・」から、通しての物語なので、殆ど忘れてしまっているストーリーが多く、あらためて、「平家物語」は、凄い文学だなあと感激している。
   この本と同時に、安野光雅画伯の「繪本 平家物語」が出版されていて、その原画を、「安野光雅の世界」展で観て、その素晴らしさにも、強烈なインパクトを受けた。
   京都時代に、この平家物語と源氏物語がいわばバイブルとして、古社寺を片っ端から巡り歩いていた私の歴史散歩のガイドであったから、重要な本なのである。

   最初の関心事は、やはり、俊寛に関する項目である。
   さて、俊寛などが島流しになった鬼界が島だが、地獄絵図にみられる牛頭のような、色黒くて牛のようで、体は毛だらけ、言葉も全く通じぬ異様な人間がうろつき回り、食べるものも着るものもなく、殺生によって食いつなぐしかない異土で、なかには高い山があり、永劫の火が燃え、硫黄ばかりの絶海の孤島というイメージだが、
   実際には、当時、日宋貿易船のうちには、この硫黄が島の沖合を通過するものも少なくなかったらしく、都から観ると気の遠くなるような遙か海上の小島とはいえ、この島は船便も絶えるほどの孤島ではなかった。と言うことのようである。
   また、「康頼祝言」には、成経のしゅうと門脇の宰相教盛の領地、肥前国鹿瀬庄から島へ、「衣食を常に送られければ、俊寛僧都も康頼も、命生きて過ごしける」と記されていて、幸い、都から遠く隔たっているので、六波羅の監視が行き届かなかったと言うことである。

   それに、もう一つ、「源平盛衰記」の「康頼熊野詣附祝言事」には、成経は蜑の女と契りを結び、子を一人儲けたと言う話が出ていて、この話を脚色した近松門左衛門が、蜑の女千鳥を登場させた「平家女護嶋」を書いて、これが、文楽や歌舞伎の舞台となって、平家物語をベースにした能「俊寛」とは違った人間味豊かな舞台になっている。

   私が問題にしたかったのは、真実がどうだと言うことではなく、同じ鬼界が嶋の俊寛の話であっても、平家物語と能「俊寛」のストーリーのように、俊寛の究極の孤独を浮き彫りにした舞台から、俊寛が重盛の好意により帰還が許されながら千鳥に乗船権を与えて嶋に残る近松の浄瑠璃のような舞台、それに、以前に紹介した菊池寛の「俊寛」や芥川龍之介の「俊寛」などのバリエーションもあって、創作の妙を与えてくれる格好のテーマであって興味深いと言うことである。

   鬼界が嶋に一人残った俊寛を、俊寛の侍童であった有王が、艱難忍苦に堪えながら訪ねて行く「有王」は、感動的で、何故、芝居にならないのかと思っている。
   俊寛の一人息子の死についで、妻も死に、一人残った娘「姫御前」の手紙を元結いの中に隠して鬼界が嶋に辿り着く。痩せ衰えた俊寛は、有王のよってもたらされた現世の有様に、ようやく仏にすがる心となり、かっては「不信心第一の人」だったのが、食を絶ち、ひたぶるに弥陀の名号を唱えつつ息絶える。
   「有王と一緒に帰ってきて欲しい」と手紙に書いた娘の不憫さに泣く俊寛、あまりにも悲惨な俊寛の生き様に断腸の悲痛の有王、
   有王は俊寛を荼毘に付して遺骨を携えて高野山にのぼり、全国行脚、
   姫は尼となり、奈良の法華寺に入った。と言う。
   
   末尾に、「かやうに人の思い嘆きのつもりぬる平家の末こそおそろしけれ」
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わが庭・・・コンカドール咲く

2020年06月17日 | わが庭の歳時記
   黄色いカサブランカ・コンカドールが咲き始めた。
   30本以上は、庭に植えたユリだが、球根を植えっぱなしであり、日陰などで消えてしまったり、それに、途中で病虫害にやられたりして、まともに咲きそろいそうなのは、ほんの数本。
   色々の種類を植えたはずだが、何故か、生き延びたのは、このコンカドールだけで、やはり、陽当たりの良いところで、邪魔されずに伸び伸びとした環境で育てないとダメなようである。
   わが庭のように、植木が立て混んだ庭で草花を育てるのはダメで、シェイクスピアゆかりのイングリッシュ・ガーデンやターシャ・チューダーの庭のように、草花だけが咲き乱れる陽光に恵まれた庭園でないと、草花は可哀想である。
   と思いながらも、せっせと、球根を、庭の空き空間を見つけては、ねじ込んでいるのだから世話はない。
   
   
   
      

   ミニトマトが、ぼつぼつ、実が大きくなり始めてきた。
   梅雨明けくらいには、色づいて収穫できるようになるであろう。
   今年は、ブルーベリーも収穫できそうで嬉しい。
   
   
   
   
   

   アジサイが、咲いている。
   空梅雨のようで日照りが続くので、一寸、可哀想な感じである。
   
   
   
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わが庭・・・梅ジャムを作った

2020年06月15日 | わが庭の歳時記
    先日来、例年にならって、梅酒と梅ジュースを作ったのだが、まだ、沢山、梅の実が残っていて、ぽろぽろ、庭に落ちるので、木に残っている綺麗な梅の実を取って、やったことのない梅ジャムを作ろうと思った。
   梅を取るのに、皆はどうしているのか分からないが、梅の木の下に、ビニールシートか何かを敷いて叩き落とすのはどうかと思ったが、上手く行かないので、大抵、特定の新枝にかたまって実を付けているので、高枝切りばさみで、その枝を切り取って、収穫した。
   「桜切る馬鹿埋め切らぬ馬鹿」と言うこともあるので、丁度、枝の剪定にもなって、一石二鳥でもある。

   さて、昔なら、料理本を用意して、梅ジャムの作り方を紐解かねばならないのだが、そこは、デジタル時代で、「梅ジャムの作り方」をインターネットを叩いて検索すれば、動画付きで懇切丁寧なレシペがいくらでも出てくる。
   それぞれに、レシペが異なっていて、どれにすれば良いのか迷うところだが、要するに、何事も鉄則がないのであろうから、自分でやりやすいようにすることだと、これまでの経験から知っているので、我流でやるしかない。

   青梅を水洗いし、なり口のヘタを竹串で丁寧にとり除いて、しばらく、水に浸しておいて、
   鍋に梅を入れて、梅が沈む程度に水を注ぎ、中火にかける。泡立ち始めたら湯を捨てて、また、新しい水を入れて繰り返す。
   この後、梅を味見して、苦すぎなければOKだが、苦すぎるときには、下ゆでした鍋のまま、そこに水を注ぎ入れて水を循環させながらさらし、苦味を和らげるとよいと書いてあったので、
   何回か、水を入れ替えて、その水が、苦さが落ちた段階で止めた。
   次は、梅の種を除くのだが、下ゆでした梅を2〜3個手に持って、ぎゅっと握ると種だけが手に残るので、それを取り除いて、残りは、特に裏ごししたりせず、果肉感を残したままにした。
   梅の果肉や皮を包丁で小さく切り刻むというやり方もあるのだが、梅は十分に煮えた状態になっているので、手で握り潰した段階で、その必要がなくなっている。
   砂糖・上白糖だが、梅の果肉の60~70%と言うことなので、果肉を計って(700㌘)、砂糖(500㌘)を用意する。
   鍋を中火にかけて、砂糖と果肉を混ぜ合わせながら、ゆっくりとのかき回して、沸いたら弱火にして浮き上がってきたアクを掬い取る。
   次第に果肉に透明度が出てきて、とろみがついたらできあがりと言うことで、そのまま、瓶に詰め込んだ。

   出来上がったところで、何時もの朝食のスコーンのジャムに使ったのだが、悪くはない。
   何時も利用している市販のブルーベリーやストロベリージャムのように甘くはなくて、一寸、苦みが残っている感じであったが、大人の味と言うことで、まあまあと言うところである。

   作っているときには、レシペをうろ覚えでやっているので、何分だとか何時間だとか、あるいは、何回だとかどのようにやり直すとか細かい仕様を忘れてしまっていたので、感だけでやった感じで、レシペ無視も良いところだが、一つだけ、砂糖の量については、70~90%と書いたレシペもあったので、もう少し、砂糖を多く入れた方が良かったかも知れない。
   もう一つ、完熟した梅の実を使えば、甘さも増していたのであろうが、青梅から完熟まで雑多な梅1キロだったので、その影響もあったのかも知れないと思っている。

   さて、クラブアップルが、綺麗な実を付けている。
   まだ、木が小さいので、収穫は限られているのだが、これも、将来、ジャムには・・・と思っている。
   
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北海道:クラスター発生 「昼カラ」悪者扱いと言うのだが

2020年06月14日 | 政治・経済・社会
   讀賣が、”「昼カラ」新たに5人、全員60歳以上…喫茶店2店の感染者各15人に ”と報じた。
   北海道と札幌市は13日、新型コロナウイルスの感染者が9人確認されたと発表した。「昼カラオケ」が行われ、クラスター(感染集団)となった札幌市の喫茶店2店では、新たに計5人の感染がわかった。発表によると、9人の内訳は、札幌市の70~80歳代の男女7人と岩見沢市の60歳代男性、石狩地方の80歳代女性。このうち、感染経路不明は1人だった。クラスターと認定された二つの喫茶店で感染が判明した5人は、いずれも60歳以上だった。両店の感染者はそれぞれ15人となった。5月以降、「昼カラオケ」に関連した感染者は、これで計46人に上る。

   また、毎日が次のように報道、”クラスター発生 「昼カラ」悪者扱いに不満の声 介護予防や憩いの場なのに… ”
   札幌市で2件のクラスター(感染者集団)を含む多数の感染者が発生したことで注目された「昼カラ」。高齢者らが日中にカラオケを楽しめ、介護予防や地域の憩いの場でもあり、悪く目立ってしまうことには、店や利用客からは不満や戸惑いの声が上がる。・・・昼カラを悪者扱いする声もあるが、カラオケを楽しんでいた常連客の男性介護職員(50)は「世話をしていた50代の男性が店で歌うことでうまく話せるようになった」と、対人コミュニケーションを促す効果に目を向ける。自粛の影響で4月に閉店した近所の同業者を思いやり「コロナが早く全面終息してほしい」と願う田口さん。カウンター席は1席間隔とし、マイクをこまめに拭くなど感染防止には配慮しているものの、「旭川ではしばらく感染者は出ていない」と戸惑いを隠さず、「大声で歌わない、会話はしないでは、店を開ける意味がない」と不満混じりの本音を漏らす。

   サラリーマン生活の晩年、と言っても、世紀末から21世紀にかけての頃だが、カラオケが大流行であった。
   私は、オペラファンなので、夢心地で歌う知人友人たちの下手な歌を聴きたくないので、遠慮して殆ど行かなかったのだが、近所にも、あっちこっちにカラオケ店ができて賑わっていた。
   良く分からないが、サラリーマンの接待にも、歌えるナイトクラブやバーなどに人気があったようで、カラオケ設備が必須であったようであった。
   若い人は、夜の付き合い拒否傾向であったので、カラオケにどっぷりと浸かっていたのは、団塊の世代以上であろう。

   カラオケ大流行という話で面白いのは、以前、ブラジルのサンパウロに駐在していたときに、長い間フィリピンのルバング島の密林に生活していて日本へ帰還した小野田寛郎少尉と、ナイトクラブに行ったことがある。
   私自身、いくら、カラオケ嫌いでも、一応、ポピュラーな歌謡曲くらいは歌えるのだが、驚くなかれ、何処でどう覚えたのか、ジャングルで生活していた小野田少尉の方が、遙かに、レパートリーが広くて上手いのである。
   一泊知人の家で泊まって、家内が待っているのでと言って、早朝、何十時間かかるのか、奥地マットグロッソの牧場へ帰っていった。
   それからは、一層、カラオケには行かなくなったのである。

   知人のアメリカ人敏腕女性ジャーナリストが、私に、日本のカラオケは、アメリカのセラピーの代わりだと言っていたのを思い出す。
   セラピーは、手術や薬を使わずに体や心の不調を治すことで、肉体的な治療だけでなく心理的な治療にも使われるとかで、セラピストが具体的な治療方法で患者や客に対応するというところは、自分自身で気晴らしと気休めに行くカラオケとは、一寸違うのだが、心の癒やしを求めて行くというのは同じである。
   学生の頃に、「歌声喫茶」が流行っていて、学生たちが喫茶店で合唱していたが、歌を歌うというのは、日本人にとっては、精神衛生上、有効な娯楽なのであろう。
   「高齢者らが日中にカラオケを楽しめ、介護予防や地域の憩いの場でもあり・・・」というのは分からないわけではない。

   団塊の世代が、現役を離れて、既に、大分時間が経っているのだが、サラリーマン生活を送って老年に達している男性の殆どは、滅私奉公、自分の生活を無にしてでも、仕事一途に突っ走ってきた筈で、殆ど自分自身の趣味や娯楽を求めて生きて行く余裕などなかったはずである。
   私など、人付き合いが悪くて我が道を行く人生を送ってきたので、まず、例外であろうが、友人知人などは、毎日のように、アフター5の飲み友達や麻雀相手の手配、週末のゴルフの予約など付き合いに汲々としていて、日中は激務、余暇は、人付き合いと言った調子で、自分や家族との生活を無にして生活していたのであるから、定年退職で放り出されて暇ができても、趣味を育ててさえ来なかったので、何をどうすれば良いのか分からないと言う知人も結構いて、毎日、退屈だなあと言っている。
   
   これまで、気づかなかったのだが、自治会の副会長を経験して、自治会館の使用予定表が、殆ど、老人会の予定で埋まっていて、如何に老人たちの交流の場というか憩いの場として活用されているのかを知って驚いたくらいである。
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広谷鏡子著「恋する文楽」(2)

2020年06月13日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   この本を読んでいて、同じ古典芸能でも、歌舞伎について書いているところもあるが、徹頭徹尾、文楽一辺倒である。
   私など、気が多いのか、一つに入れ込むという心境が分からない。
   元々、クラシック音楽からオペラファンとなり、そして、ロンドンに行ってから、シェイクスピア戯曲鑑賞が加わり、日本の古典芸能に趣味が移ったのは、日本に帰ってきてからで、それでも、25年以上になる。
   その切っ掛けは、ロンドンに居た時に、ジャパンフェスティバルで、歌舞伎や文楽、そして、狂言を見て興味を持ち、日本に帰れば、ロンドンなどヨーロッパのように、良質なオペラやクラシック・コンサート、シェイクスピアなどヨーロッパの芝居などを見る機会が一気に減ってしまうので、それなら、日本の古典芸能、まず、歌舞伎と文楽に通おうとしたのである。
   ここ、10年弱は、能・狂言、それに、落語にも興味が移っているので、私の観劇趣味は、だぼ鯊状態と言えようか。

   ロンドンで見た歌舞伎は、染五郎(現幸四郎)の「葉 武 列 土 倭 錦 絵 (ハムレット)」、玉三郎の「鷺娘」勘三郎の「春興鏡獅子」そして二人の「鳴神」
   文楽は、住大夫、玉男、文雀たちの「曽根崎心中」
   狂言は、万作、萬斎の「法螺侍(ファルスタッフ)」
   今考えても、最高峰の舞台であったので、イギリス人の友人共々、感激するのは当然であった。

   さて、著者の文楽への傾倒は、並大抵ではなく、地方の内子座や湯布院文楽、康楽館などへも追っかけをやっていて、観劇記の幅の広さ深さ豊かさが興味深い。
   私も、文楽は、やはり、大阪なので、国立文楽劇場に行って大阪の雰囲気を濃厚に醸し出してくれる観劇環境にどっぷりつかって、同時に、ふるさとでもある関西旅に時間を取るのが楽しみであった。
   一度だけ、金比羅の金丸座を見学して歌舞伎を観る機会を得たいと思っているのだが、まだ、果たせていない。
   もう一つ、残念だと思っているのは、ヨーロッパでは、多くのオペラハウスでオペラを見ているのだが、8年も居ながら、遂に、バイロイトでワーグナーの楽劇を鑑賞できなかったこと、
   シェイクスピア劇でも、本来のふるさとの雰囲気というか、ストラトフォード・アポン・エイボンの「スワン座」なり、「恋に落ちたシェイクスピア」の舞台になった16世紀の劇場を再現した「グローブ座」で鑑賞するのは、特別な感慨を覚えて、二重にも三重にも、シェイクスピアの魅力を堪能できるのである。

   ところで、「出す出さない」で、人形遣いが「出遣い」で、主遣いが、黒衣ではなく顔を出して人形を遣うことについて、京都の染物屋の主人と問答になったとして、自身は、演じ手としての人形遣いを観に行くのであって、それが、文楽の楽しみである。と語っている。
   人形遣いの、人形と一緒になって歪む顔、悲しみを堪えた表情、額に光る汗、余裕のある顔つき、ぎゅっと結んだ唇・・・これらの表情総てが、人形を引き立たせ、人形と共に舞台の中で映える。そこがたまらない。と言うのである。
   実際には、生理的な表情はともかく、人形遣いは無表情を貫き通すはずで、演技することはないのだが、玉男の表情などを見ていると、熱演で脂汗が光っていることがあって、凄い迫力を感じることがある。
   私も、出遣いについては、異論はないし、琴責めの阿古屋など、人形遣い3人とも出遣いで、人形の豊かな表情がよりビビッドになって良いと思っている。
   第一に、スターとしての人形遣いを観に行くと意味もあって、簔助や和生などが、黒衣で顔を隠して登場するのなどは観たくないと思っている。
   これは、能の舞台でも同じように感じていて、「安宅」の弁慶のように、シテが直面で、能面のように無表情で、面をかけずに舞う姿など、感動して鑑賞させて貰っている。

   さて、面白いのは、この文楽鑑賞の初めに、失恋しつつある予感を感じながらの観劇シーンを語っていることで、
   もうワンシーン、彼との観劇記が、文楽鑑賞記よりも読ませてくれること。
   「文楽? 今度連れて行ってよ」と言われた、一寸気になるあの人を誘って、「摂州合邦辻」を鑑賞。
   玉手が浅香姫を嫉妬のあまり殴るは蹴るはを観ていて、そんな女心のいじらしさが、今や老女形バリバリの自分には大いに共感できて、やれーやれーと応援している心の内を、隣に座っている彼に見透かされたかどうか。
   前に「酒屋のお園」の話をしたとき、「うちなんか子供ができてからずっとセックスレスだよ」なんて言われてドキドキしたけどちょっと嬉しかった。
   「どうでした?」と尋ねたら、「玉手、いいよね。浅香姫より絶対好きだなあ」。何故か凄く嬉しい。
   はねた後は、二人とも芝居の熱気に興奮して、杯を重ねてしまった。ちょっと怪しいムード。ま、いいか。
   これだけのことだが、この本のどの部分よりも、観劇記としては面白い。
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