熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

河野牛豚肉店で正月用の肉を

2020年12月31日 | 鎌倉・湘南日記
   鎌倉に住み始めてから、正月は、河野牛豚肉店で、すき焼き用とステーキ用の肉を買って来て、家族が集まって、細やかなファミリー・パーティを開くことにしている。
   今年も、同じだが、コロナ騒ぎで気を使った東京の長女の家族が、来られなくなったので、一寸寂しいが、仕方がない。

   河野牛豚肉店では、年末に、「河野厳選銘柄黒毛和牛 国産牛」の特別販売をしていて、毎日、口絵写真のように、店頭には長い行列が出来る。
   しかし、期日までに所定用紙を出してオーダーしておけば、年末指定の日時に予約商品受け渡し場所で、直接受け取れるので、時間も手間も掛からなくて造作がない。
   私は、最初知らなくて、長い列に並んで買っていたが、分ってからは、このオーダーシステムで通している。

   今回、ミスったのは、ステーキの厚さ指定で、例として書かれていたのが2㎝なので、一寸厚いかなあと思いながらも、2㎝と記入したので、子供の分も300㌘くらいになってしまって大きすぎたことである。
   チャンピオン受賞者の信州和牛や但馬和牛など高価なものは買えないので、上等な黒毛和牛で辛抱したのだが、高級料亭やレストランのすき焼きやステーキには遜色ないと思っている。
   自己流で焼くので、その味は保障できないが、生産消費者のDIYであるから、GDPに加算されない分、レストランよりはるかに安く楽しめるので、まず、良しとすべきであろう。
   
   ところで、コロナウイルス騒ぎで、飲食業や旅行業などは、大変な苦境にあると言う。
   バブル期ならいざ知らず、好況の時でも浮沈が激しく、新陳代謝が常態の零細な街の飲食業など、少しでも客足が落ちれば死活問題であろうから、今回の政府の自粛要請など、死刑宣言に等しい影響を与えているであろうと思う。これらを救わない限り、日本の健全な庶民生活など消えてしまう。

   ヨーロッパの多くが実施しているように、官制の規制なり営業自粛要請なら、それに見合った補助援助支援を行うのが当然だと思うのだが、命令だけして、やることと言えば、既に命運が尽きて新陳代謝を図らなければ日本の経済再生を望めないようなゾンビ企業の温存ばかり、
   小賢しい知見を駆使して補助金不正受給を策する輩ばかりを生み出しすっぽ抜けのお役所仕事、
   苦境に苦しむ日本の将来をそっちのけにして、与野党揃って低次元の政局に開け暮れて、誰が考えても子供さえ分る嘘が露呈して、武士道に生きた侍なら潔く割腹していたはずが、歴代屈指の宰相とうたわれた仰ぐべき人物が、恥じさえ感じずにシラを切り通して責任さえ取れない哀れな国日本、
   民主主義を叩き潰して、正気の沙汰とも思えない暴言や嘘と欺瞞に満ちた人物でありながら、米調査機関ギャラップが、Most Admired Man 2020で、18%の回答者がトランプ氏を最も尊敬していると回答、トランプ氏が12年間首位に立ってきたオバマ氏を初めて抜いたと報道しており、信じられないような世界が展開している。

   正気であることが、悪か罪であるような不可思議な世界に生きてきたようで、実に、空しい2020年であった。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鯛の塩焼きと餅つきの年末

2020年12月30日 | 生活随想・趣味
   大晦日は、何となく気ぜわしいので、今日30日に、孫息子を助手にして、鯛の塩焼きと餅つきを行った。

   まず、新鮮な鯛の調達だが、年末に、co-opに、大きな真鯛が毎日売られていることを知っているので、朝、売り切れないうちに出かけて買って来た。
   1.3キロほどの鯛で、我が家のガスオーブンに、丁度 ギリギリ収まる大きさであった。
   当然、鱗取りと内臓摘出はプロに任せて、家に帰れば、下ごしらえなしで作業に入れたので助かった。
   二年前に、同じように自分で大きな鯛を塩焼きにして新春を迎えたので、そのつもりで、インターネットを叩いて、レシぺを検索したのだが、忘れてしまっている。
   どのレシペもまちまちなので、結局、我流に、レシぺを組み合わせて適当にやれば良いのだろうと思ったのだが、魚食普及推進センターの”【お家で簡単】カッコいい鯛の塩焼きの作り方” が、YouTubeで流れているので、これに倣うことにして、塩の振り方やオーブンの時間を調整するなどして、やり終えた。
   微妙な味の出し方に腕前如何が掛かっているのであろうが、塩を振りかけてオーブンで180度くらいの温度で適当に熱を加えれば、鯛の塩焼きが出来るのであろうが、以前にやったときには、少し高温で長く、鯛の鰭が焦げるので、ホイールを巻いたような気がするが、やり過ぎるとパサついて良くないのではないかと思っている。
   まず、綺麗に焼けたと思うのだが、元旦に、雑煮と一緒に、家族が喜んで食べてくれるかどうかが問題である。

   さて、餅つきも毎年のルーティンだが、もう、10年以上もやっていて、東芝の餅つき器を使って作っているので、2キロの餅米を二回に分けて搗くと、4時間くらいで終る。
   簡単と言えば簡単だけれど、結構厄介である。

   昔、関西の田舎に住んでいた子供の頃は、祖父母が、昔ながらのやり方で、石臼と杵で、餅を搗いていたので、一仕事であったが、昔懐かしい日本の歳時記と言う風情である。
   若い頃は、自分で搗いた記憶がないので、適当に、餅を店舗で買って、新春を迎えていたのであろうと思う。
   勿論、長い海外生活でも、餅の記憶はない。

   鏡餅は、一組だけなので、造作はなく、つきたての餅で食べるぜんざいは格別で、すぐに賞味して、孫たちも満足であった。
   私は、大学生になってコンパに出るまでは、飲酒の経験はなく、もっぱら甘党で、ぜんざいは好きであった。
   大学の入試発表の結果を見るために京都へ行った時に、合格通知を見て、帰りに河原町の食堂に入って、ぜんざいを食べてホッとした思い出がある。
   
   庭の鹿児島紅梅が、数輪開花し始めた。
   今年も無事に年を越せそうで嬉しい。
   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8.フィラデルフィアのユージン・オーマンディ

2020年12月28日 | 欧米クラシック漫歩
   1972年から74年までの2年間、私は、フィラデルフィア管弦楽団のメンバーチケットを持っていて、丸2年間、本拠地のアカデミー・オブ・ミュージックに通って、フィラ管を聴き続けた。
   ウォートン・スクールへの留学の時で、人事部長に、お前は音楽会に通うのでヨーロッパへの留学はダメだと釘を刺されて、アメリカになったのだが、どうしてどうして、ニューヨークに出かけて、METでオペラを、ブロードウェイでミュージカルを観に出かけたし、
   それに、フィラデルフィアには、カーティス音楽院もある音楽の都で、小澤征爾とボストン響、マリア・カラス、フィシャー・ディスカウ、パバロッティは勿論、外来演奏家もひっきりなしで、随分、オペラやコンサートを楽しんできたのだが、MBAを取って帰ったのであるから、ご恩返しは出来たと思っている。

   フィラデルフィアに落ち着いて、真っ先に行ったのは、この口絵写真の米国独立宣言の地・インディペンデンス・ホールで、当時は、この自由の鐘は、正面ホールの真ん中に置かれていた。
   アメリカの歴史的な雰囲気をまず実感して、その足で、フィラデルフィア管弦楽団のチケットを手に入れたいと思って、アカデミー・オブ・ミュージックに向かった。
   幸いなことに、丁度、キャンセルのチケットが出たところで、それも、9月からの新シーズンのメンバーチケットであった。
   確か、AA111、オーケストラ・ストールの正面真ん中で、それも、前列の前から4~5列目で、ユージン・オーマンディの一挙手一投足が間近に見える席。
   オーケストラは、左右と前列の弦楽セションと、後方の管楽器や打楽器奏者が見える程度で視界は遮られているが、あのストコフスキーのサウンドで培われて、更にオーマンディによって磨きを掛けられた天国からの音のように華麗で美しいフィラデルフィア・サウンドが、凄い迫力で迫ってくる幸運に恵まれたのである。

   この劇場は、ミラノ・スカラ座を模して作られた米国最古の宝石箱のように美しい深紅のオペラ・ハウスで、この素晴らしい環境の中で、クラシック音楽を存分に楽しめたことは、大変幸せであった。
   ところで、客席数は、2000を切っていると思うのだが、フィラデルフィア管弦楽団のメンバー・チケットは、極端に言えば、先祖と言うべきか、祖父母から孫へと、家代々引き継がれて継承されているので、その新規取得は、至難の技であって、このことは、アムステルダムに移って、ロイヤル・コンセルトヘボウのチケット取得の時にも経験したのだが、オーケストラそのものが、市民の誇りであって文化文明の至宝なので、メンバーであることが、音楽を楽しむと同時にステイタスシンボルでもあるのであろう。
   この所為なのかどうかは分らないが、フィラデルフィア管弦楽団の観客の大半は、お年寄りなので驚いたのだが、この時は、私も若かったので、良く楽屋に出かけて、高名なソリストなどにレコードのジャケットにサインして貰っていたのだが、
   オーマンディと客との面会を見ていると、もう、全く隣近所の知り合いと同じ和気藹々の交歓で微笑ましい。オーマンディに取っても楽団員にとっても、この本拠地でのコンサートは、何も特別なことではなくて、極日常的な出来事で、お馴染みさんに日頃の研鑽を披露して楽しんで貰おうと言った雰囲気である。
   尤も、定期公演なので、オーマンディが振るのは半分くらいで、若き頃のリカルド・ムーティやウォルガンク・ザバリッシュなど著名な客演がメジロ押しであった。
   (次の写真は、1900年から2000年までの100年間、フィラデルフィア管弦楽団の本拠地であったアカデミー・オブ・ミュージックと、現在の本拠地「ヴェライゾン・ホール」のある建物)
   
   

   オーマンディについては、色々な思い出があるのだが、中国遠征から持ち帰ってきたピアノ協奏曲「黄河」を演奏したことがあった。
   この日、演奏会後に、楽屋に入って、友人が偶々カメラを持っていたので、オーマンディに一緒に写真を撮って貰えないか頼んだら、喜んで、ピアニストのエプスティンとその夫人(チェリストの岩崎洸 の義妹さん)を呼んで、写真におさまってくれた。
   今日の演奏はどうだったかと聞いたので、美しいメロディで楽しかったと応えたら、これは、中国のオリジナルと一寸違うのだがと説明して、次はこれこれを演奏するので是非来てくれと言って握手をして分かれた。
   大変な大曲を振った後でも、オーマンディは、何時もニコニコ顔の好々爺で、穏やかに静かにファンに対していたのを思い出す。控えめなアクションで、あのフィラデルフィア管弦楽団を、美しく時には激しく歌わせて、我々を感動させ続けていたのである。

   もう一つ、オーマンディが、アメリカ屈指のソプラノ・ビバリー・シルスをソリストに招いて、素晴らしいオペラのアリアの夕べを公演したことがあった。
   あまりにも感動的であったので、何故、オーマンディが、オペラを振らないのか不思議で仕方なかった。
   相当昔に、METで、シュトラウスの「こうもり」を指揮したことがあると聞いたので、フィラデルフィアに居た時には、結構、METへも行っていたので、一度、オーマンディに聞いてみようと思いながら、残念ながら、聞きそびれてしまった。

   私の2年間のフィラデルフィアの思い出は多々あるのだが、学び舎ウォートン・スクールでの厳しい学究生活と、楽しかったオーマンディのフィラデルフィア管弦楽団の「フィラデルフィア・サウンド」、「オーマンディ・トーン」と称される美しいサウンドに尽きるような気がしている。

   その後、ヨーロッパに移り住んで、ベルリンの壁の崩壊前後に、何度か、オーマンディの故郷ハンガリーの美しい都ブダペストのドナウ川の河畔に佇んで、思いを馳せた。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久しぶりに鎌倉山を散策した

2020年12月27日 | 鎌倉・湘南日記
   桜の季節からだから、久しぶりの鎌倉山散策である。
   鎌倉山と言っても、取り立てて、公園や散策スポットがあるわけではなく、私の歩くのは、鎌倉山ロータリーから、若松の集会所くらいまでのさくら道を往復するだけである。
   その先の笛田まで歩くと、下り坂になるので、気が向いた時だけ歩くことにしていて、いつもは2キロくらいの距離の往復である。
   桜や紅葉の季節には、それなりに、歩いていて楽しいが、遊歩道ではない、真冬の彩りがなくなった車の道を歩いていて、何が楽しいのかと思うほど殺風景な佇まいで、
   行き交う人など殆どなく、車の音がなければ、死んだように静まりかえって人の気配さえ感じられない。
   彩りと言えば、時々顔を覗かせているサザンカや椿、
   
   
   

   イギリスの田舎町を歩くと、あっちこっちの民家の戸口や出窓など壁面には、極彩色の草花の寄せ植えのハンギング・バスケットやフラワー・ボックスで美しく飾られていて感動するのだが、日本人の気質か趣向なのか、そんな風景は微塵もない。
   オランダなど、真冬でも、カーテンを引かずに開っ広げで、上等な家具や綺麗な花を窓際にディスプレィして、道行く人を楽しませようとしていたし、(昔の話で、治安の悪くなった今は分らない)、
   ヨーロッパでは、住環境の整備も美観維持も、公共財だという認識があって、自分の楽しみばかりではなく、人々も喜んで楽しめるような雰囲気を作ろうとする文化が根付いていたからこそ,特に、旧市街だが、あんなにも美しいのである。

   鎌倉山ロータリー近くには、喫茶や食事などの店や工房などがあるのだが、道路沿いには、めぼしい憩いの場は、そば処の檑亭と、見晴台にある喫茶室ル・ミリュウ 鎌倉山くらいで、もう1カ所、途中に喫茶店が一軒、その隣に、花屋併設の小物店があるのだが、以前に葉山の老舗パン店が潰れて開店したインテリア店も消えてしまっていて、全く、観光客相手の店舗など魅力的なスポットは皆無である。
   
   

   檑亭には、広い庭園があって憩えるのだが、日本か中国かどっちつかずの国籍不明の庭で、京都の名園を歩き続けてきた者にとっては、何とも解せない雰囲気であり、味はまずまずで、遠方より友来たりあれば訪れることにしているが、何度も行きたいほどではないので、大体素通りする。
   ル・ミリュウで、午後の喫茶を楽しもうと思ったのだが、工事中で休み。
   この見張り台は、丁度、鞍部で、江ノ島の方と逆の深沢の方を、遠望できるのだが、木が邪魔になって見晴らしがきかない。
   
   

   さて、この見晴台から少し下がったところの民家が売りに出ていた。
   土地面積 517㎡、建物面積 105㎡2階建て、平成27年3月新築、13,800万円
   鎌倉山では、江ノ島と富士山が遠望できる地所が高価だというのだが、この家からは、両方とも見えるようには思えなかったが、高いのか安いのか。
   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

静かな年末年始をどう過ごすか

2020年12月26日 | 生活随想・趣味
   コロナ騒ぎで、異常な年末年始を迎えることになって、不思議な思いである。
   もう、クリスマスも過ぎて、元旦まで一週間を切ったのだが、
   しかし、新春を迎えるに当たっては、コロナの影響で、初詣にも行けず、巣籠もり状態の年末年始となるので、全く、リズム感さえない籠の鳥状態である。

   別に、正月が来たと言っても、何ら改まった思いもなく、新鮮味もないのだが、しかし、年の変わり目という感覚もあって、多少は身構えたくもなるのが不思議である。
   大晦日までにやる私の担当は、年末最後の庭仕事と窓拭きなどの大掃除くらいで、後は、餅つき器で餅を搗いて雑煮の餅や鏡餅を作ること、それに、co-opで買った鯛が貧弱だったので、大ぶりの立派な鯛を買ってきて塩焼きにすることであろうか。

   本だけは、一応、読書計画を作っている。
   今回の新年は、シェイクスピアとゲーテに絞っている。
   シェイクスピアは、アントニー・バージェスの「シェイクスピア伝」とピーター・アクロイドの「シェイクスピア」、
   両方とも、しっかりとした大著であり、相当奥が深いし、合間に、録り溜めたシェイクスピアの戯曲の映画や舞台のDVDを引っ張り出して来て鑑賞しながら、シェイクスピアの世界にも浸りたい。
   ゲーテは、一寸、趣向を変えて、岩波文庫の3巻本「イタリア紀行」を紐解きながら、君知るや南の国イタリアに思いを馳せて、さらに、レオナルド・ダ・ヴィンチなどを絡めて、イタリア文化関連の本へ進めればと思っている。
   いつもは、政治経済など文化文明論がらみの読書から始めるのだが、今回は、少し、後に回して、日頃行きそびれていて離れている芸術から入ることにした。

   それとは別に、年末年始は、テレビで、特別番組が組まれて、興味深い放送も多いので、これを追っかけるのも楽しみである。
   いずれにしろ、引退後の生活ゆえに、若い頃とは違って、前向きで建設的な年末年始が送れないのが寂しいのだが、これも人生。

   さて、庭仕事だが、年末にと思ったのだが、時期的に少し早いと思ったので、バラの剪定や寒肥施肥は、正月明けに回すことにしている。
   寒さが厳しくなると、昨年出来なかった硫黄合剤の噴霧をやれればと思っている。

   梅の蕾が動きだして、椿も蕾が膨らみ始めて、ほんのりと色づいてきており、少しずつ春への胎動を感じる。
   春がそこまで来ている、新春だと実感出来るのが嬉しい。
   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

英EU貿易協定合意:魚争奪戦に思う

2020年12月25日 | 政治・経済・社会
   時事通信が、「英EU貿易協定合意=関税ゼロ維持、来月1日暫定発効へ―離脱問題に終止符」と次のように報じた。
  【ロンドン、ブリュッセル時事】欧州連合(EU)と1月末にEUを離脱した英国は24日、難航していた自由貿易協定(FTA)締結交渉で合意した。懸案として最後まで残っていた漁業権をめぐる溝が埋まった。英国がEUに事実上残留している「移行期間」の終了目前で、約9カ月半に及んだ難交渉が決着した。
   FTAによって英EU間では今後も関税ゼロの貿易が維持される。英EU企業の公平な競争を維持する枠組みの導入でも一致。このほか、運輸やエネルギー、司法協力などでの取り決めも盛り込まれた。
   合意したFTA案はEU加盟国が今後承認し、英議会での実施法案の可決などを経て、来月1日に暫定発効される見通し。欧州議会は来年の正式承認を予定している。
   ジョンソン英首相は記者会見で「われわれの運命や法律の主権を取り戻した」と成果を強調。一方、フォンデアライエン欧州委員長は「長年の友人との新たな出発の確かな基盤だ。ついに英離脱問題から離れられる」と未来に目を向けた。
   年明けに関税が復活することなどで大きな混乱が生じ、新型コロナウイルス禍に苦しむ英EU経済に二重の打撃を与える事態は回避される。2016年6月の英国民投票以来、欧州を揺るがせ続けてきた離脱問題の混迷にようやく終止符が打たれる。
   焦点だった漁業権では、英海域でEU漁船の操業を認める5年半の移行期間を設置。この間に、EUの漁獲割り当ては現状から25%削減する。最近まで80%減を求めていた英国が大幅に譲歩した。また、企業の公平な競争を保つため、環境や労働などの規制で相手の水準が大きく逸脱した場合に報復関税を課せるようにする。
   これで、十分に簡潔に事情を語っているので、蛇足は避けた。

   さて、最後まで決着が難航した漁業問題だが、英国にとっては、6000隻の漁船と12000人の漁民による生産が、イギリスのGDPの0.5%以下にしか過ぎずハロッズ百貨店の売り上げにも達しないほどなのだが、英仏海峡両岸の漁業者にとっては、ハドックと鱈争奪戦に鎬を削っており漁業は死活問題であって、ジョンソンもマクロンも選挙では大課題となっていて、ほんの細やかな経済問題が政治を振り回しているケースである。

   さて、今回は、8年間、オランダとイギリスに住んでいて、ささやかな魚をめぐる経験や思い出について、書いてみたい。

   私が、オランダに住んでいたとき、小ぶりなのだが旨みが凝縮された美味しい小エビ「クルヴェット・グリーズ」が好物でよく食べていたのだが、イギリスとの捕獲争いが激しくなって高騰したことがあって、日本近海と同じで、沿岸国家同士の魚資源争奪戦を知ったことがある。
   これとは別に、オランダ人のニシン好きは突出していて、ハーリング(haring)と称して、魚卵や白子がまだ発達していない若い脂が乗っている新鰊/新ニシンを、タマネギを塗して絡ませて、尾を指でつまんで持ち上げて、顔を仰向けにして丸ごと一匹を食べるスタイルが典型的で、ハーグやスヘフェニンゲン(我々日本人はスケベニンゲンと言う)周辺の海岸など屋台で見られる風景で興味深かった。
   驚いたことに、オランダ最大の建設会社で、切った張った激しいネゴをして合意に至った遅い午後、社長が部下に指示してサーブされてきたのがこのハーリングで、
   しかし、この時は、頭から飲み込むスタイルではなく、ピクルス付きで、ニシンを一口大に切って爪楊枝で刺して食べるスタイルだったが、お相伴したかどうか記憶にはない。
   このニシン好きのオランダ人は、身を食べるだけで、カズノコは、肥料にするくらいで捨てていたのだが、日本人が住みついて関心を示し始めると、そこは、利に聡いダッチの本領発揮で、商売を始めた。
   アムステルダムのオークラのレストランでも、カズノコは、それ程安くもなかったので、オランダ人は値をつり上げたのであろう。

   さて、イギリスだが、フィッシュ・アンド・チップス( fish-and-chips)が有名で、タラなどの白身魚のフライに、棒状のポテトフライを添えたもので、謂わば、イギリスのファーストフードと言う位置づけか、簡易な国民食と言うことだが、マックみたいなものだと思ったので、私は、食べたことがない。
   これなど、イギリスの料理・食事は不味い最悪だと言われる典型であろうか。
   イギリスでは、スモークサーモンなど美味しいのもあるが、鱈の白身をぶつ切りにしたような味も素っ気もないような魚料理が主体のような経験が多いのだが、近所の商店街などには、肉屋はあっても、まず、魚屋などはない。
   我々日本人は、ドックランドやドーバーまで買い出しに行ったり、特別なルートの商店から魚を買ったりして、魚の調達は大変であったし、それに、鱈はあっても、日本のようにきめの細かい魚類の調達など夢の夢であったように思う。
   もう、随分以前の事になるので記憶は定かではないのだが、フランスは魚が豊富なようで、ドーバー海峡を隔てて対岸のカレー辺りからおくられて来るのであろうか、ドーバーでオマールエビを買って嬉しかったのを覚えている。

   ヨーロッパで、魚料理を美味しいと思ったのは、フランスやイタリア、スペインやポルトガルと言ったラテンの国で、ドイツやオランダなどでは、ミシュランの星付きレストランくらいに行けばまずまずだが、それ以外では、意識して、魚料理を避けていた。
   しかし、フルコースだと、肉のみならず、魚料理がつくので、何となく食べていたような気がする。

   ヨーロッパで、いたく失望したのは、スエーデンなど北欧を旅行したときに観光地の漁港に行って、エビ・カニなどの新鮮な魚介類の料理をオーダーして喜んで食べようとしたら、塩辛すぎて、食べれたものではなく、這々の体で退散したことである。
   
   さて、イギリスが目指したBrexitは、ひとえに、イギリスの主権を取り戻して、ブラッセルからのコントロールから解放されること。
   ジョンソンが指摘したのは、「我々は、我らの法システムと命運のコントロールを取り戻し、我が海水域を完全にコントロールする独立した海洋国家になろう」と言うことで、とにかく、EUのくびきから解放された独立国家としてのステイタスの確保であった。
Brexit began as a project to assert British sovereignty and throw off the constraints of Brussels.
”We’ve taken back control of our laws and our destiny,” “For the first time since 1973," Mr. Johnson said, “we will be an independent coastal nation with full control of our own waters.”

   ニューヨーク・タイムズの記事で、一寸、気になったのは、
   今回の合意で、英国経済の80%を締めるロンドンの強力な金融セクターのようなサービス経済がカバーされていないことと、
   The agreement does not cover services, such as London’s mighty finance sector, which account for about 80 percent of the British economy.
   イギリスやヨーロッパの若者たちにとって打撃となるのは、エラスムス交換プログラムからの脱退で、1987年以降継続しているヨーロッパ全域ベースの20万人の学生の外国旅行、仕事体験、見習い研修などの機会が失われることである。
   In a blow to young people in Britain and across Europe, Mr. Johnson said the country would no longer participate in the Erasmus exchange program, a Europe-wide program that has allowed about 200,000 students a year to travel abroad for study, work experience and apprenticeships since 1987.
   ジョンソンは、主権を回復して、EUの経済的規則の締め付けから解放されて、英国経済を再活性化すると言うのだが、そんなに甘くもないし、英国にそれだけの能力があるようには思えない。
   For Mr. Johnson and his band of Brexiteers, reasserting sovereignty, escaping Europe’s economic rule book and revitalizing Britain’s economy were the cardinal objectives.
   一方、EUにとっては、単一市場を死守することは至上命題である。英国に勝手にやらせると言うことは、輸出に対してより緩やかなスタンダードを適用する競争者に、優先的なアクセス権を与えると言うリスクを冒すこととなった。
   For the European Union, defending the integrity of its single market was paramount. Britain’s go-it-alone instincts meant that Brussels risked giving preferential access to its market to a competitor who applied less stringent standards to exports.

   私が、ロンドン居た時に、ある高名な下院議員が、私に、「こんなに、気質も歴史も文化も違ったヨーロッパが、一つだと思えるか?」と言った。
   逆に、知人のオックスブリッジ卒の両刀使いのアーキテクト・サー・フィリップは、「ダブリンからキエフまで、ヨーロッパは一つだ。」と言っていた。
   私は、一つだとは思わないが、一つであって欲しいと思っている。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わが庭・・・椿:紅茜咲く

2020年12月24日 | わが庭の歳時記
   抱え咲きの濃紅色で花弁に艶のある紅茜は、まだ、小さな木なのだが、何故か、蕾が開き始めると、落ちたり、目立つのか鵯につつかれて落下し、やっとまともに咲き始めた。
   今年、一つだけ実がついたので、どんな実生苗が生まれるのか、楽しみに、熟成を待っていたのだが、いつの間にか、落ちてどこかへ行って見えなくなってしまった。
   わが庭には、同時に咲く椿があるので、交雑して受粉すると、必ず親木と違った雑種の椿となるので、楽しみだったのだが、残念である。
   式部などボタン咲きや獅子咲きで、蘂がはっきりしない殆ど結実しないような椿の実生苗は楽しみで、蒔いてはいるのだが、とにかく、開花までに、何年も時間が掛かるのが難である。
   それに、花が咲いたときには、ラベル管理をしていないので、何の椿の実生苗だったか分らなくなってしまうのだが、毛色が変った花が咲くと嬉しい。
   
   
   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やっぱり年賀状を出すことにした

2020年12月22日 | 生活随想・趣味
   年末の年中行事の一つが、年賀状。
   昔は手書きであったので、出す数は少なかったが、年末には大変であった。
   ワープロが使えるようになってからは、写真などを業者に出して印刷して貰ったりして、随分楽になったが、今のように、パソコン任せで自分好みの年賀状を、至って楽に作製できるのを思えば、雲泥の差である。
   しかし、その分、機械的に年賀状を処理してしまうので、楽ではあるが、心が通わず無味乾燥になっているようで、何となく心苦しくて、喜んでもおられない。

   もう、知人友人の多くは、私と同じ傘寿前後の老人なので、今年を最後にしたいと書きそえて消えて行く人が少しずつ増えてきている。
   毎年、少しずつ減って行くのであろうが、私自身は、まだ、賀状準備には問題がないので、続けられるだけ続けたいと思っている。

   富士通のパソコンを使っているので、添付のソフト「筆ぐるめ」を活用して、住所録を作成して、付属のレイアウトを参考にして、毎年、新しい年賀状を作っている。
   今年は、困ったことに、バックアップせずに古いパソコンをパーにしたので、住所録が完全に消えてしまって、古い年賀状を引っ張り出して、新しい住所録を打ち直した。

   裏側の挨拶面のレイアウトは、適当なひな形を選んで、バック画と写真を消去して、残った部分を利用したのだが、丁度、メジロの絵が残っていたので、自分の写真アルバムから紅梅の写真を探して組み合わせて、後は、近況を付け加えた。
   冒頭の「恭賀新年」は、「謹賀新年」より、「恭しく」とあらたまった挨拶文のようだが、この方が良いと思って使うことにした。
   出す前に、少し、思いを付け加えようかと思っている。

   今年も、25日前に、年賀状を投函できそうで、ホッとしている。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7・ハンプトン・コートのホセ・カレーラス(その2)

2020年12月21日 | 欧米クラシック漫歩
   さて、三大テナーの一人で最も若い大歌手ホセ・カレーラスのリサイタルである。
   
   会場のベースコートには、かなりの数の客席のある仮設にしては立派な舞台と客席が設営されていて、オープンながら回りは王宮の建物に囲まれているので、テームズ側に面した緑豊かなロンドン郊外で、時々遠くを飛ぶ飛行機の爆音くらいで全く雑音がなく、ピュアーな空気の気持ちの良い雰囲気である。
   ところが、広い王宮に集ってピクニックを楽しみ、宮殿で王朝風の室内楽を楽しんでいる客にとっては、マイクで「お早くお席にお着きください」と伝えても馬耳東風。それに、王宮の建物の入り口がゲートで狭く一方向しかないので、開演が大分遅れてしまった。

   舞台は北に面していて、舞台の左手西側の王宮の正門側の建物から、ホセ・カレーラスが、ピアニストのロレンツォ・バヴァヒを伴って現われると盛大な拍手、  
   しかし、舞台まで王宮の横庭を横切るのであるから、結構距離があって、小さなカレラスが余計に小さく見える。
   屋外なので、ピアノ譜を譜面台にクリップで挟み付けてあるのだが、風が強くてペラペラ飛び始めたので、若い男が舞台に上がって、譜面代を抑えて、そのまま、ピアニストの右手に居を構えて助けた。

   カレーラスは、右手をピアノの蓋の端に掛けて、左手でゼスチャーを交えながら歌い始めた。
   これほどの大歌手でも、最初の曲は落ち着かず、少し声が上ずっている。精彩を欠いたカレーラスは、パバロッティのようにトランペットの如く極めて澄んだ美しいハイCを聴かせるわけではなく、ドミンゴのように甘く優しく時には激しく迸る情熱的な美しい声で歌うのではなく、ただのテノールではないかと言う感じになってしまう。
   尤も、コヴェントガーデンのロイヤル・オペラで、「カルメン」や「スティッフェリオ」などの舞台で、素晴らしいカレーラスを観て聴いているので、凄いテノールなのである。

   最初の曲は、スカルラッティの「ガンジス河からの太陽」。
   この日のプログラムは、17世紀から20世紀にかけての歌曲が中心で、ヴェルディは、数少ない歌曲から「乞食」と「乾杯」の2曲、他は、ボノンチーニ、ジョルダーニ、モノピウツリーナ、ファリア、トスティなどで、私には、初めて聞く歌曲ばかりであった。

   初めの頃は、カレーラスの舞台をじっと眺めて聴いていたが、途中から、プログラムの対訳を見ながら聴いた。
   感じとして分る程度では心許ないのだが、徐々に、カレーラスの調子が上がってきて、表現がドラマチックになってきた。
   あの実直一途の貴公子然としたスタイルが少しずつ崩れて、右手を時々ピアノから外して情感を込めてゼスチュア―を作り、張りのある美しい朗々とした歌声が帰ってきた。
   歌詞が、イタリア語やスペイン語のラテン系なので、ドイツ語のように気になる破裂音がなくてなめらかで美しく、こうなると三大テノールのカレーラスの本領である。
   最後のトスティの曲「私は死にたい」や「最後の歌」になると、絶好調で、胸に手を当てたり手を大きく広げて、激しく燃える思いを情感豊かに歌う。
   カレーラスの歌声は、美しいのみならず、実に真実味のあるしっかりとした凜々しい声で胸に響く。
   「最後の歌」は、ニーナというかっての恋人が嫁ぐ前の日に切々と歌う分かれの歌で、これは、パバロッティでもドミンゴでもなく、カレーラス歌ってこその曲である。
   カレーラスは、イタリアの名花カティア・リッチャレッリにも、このような素晴らしい歌声で、語りかけたのだろうと思うと絵になる。

   休憩は、90分あって、グラインドボーン音楽祭形式であるが、グリーンには、ビーフやポークのステーキ、フライドチキン、パスタ類は勿論、ワインなど飲み物などの屋台が沢山出ていて、ピクニックを楽しむには遜色がない。
   タキシードやイブニングドレスに着飾った客は、王宮のレストランへ消えて行く。
   私たちは、事前に軽食を済ませてきたので、フライドチキンとコーヒーで、気分転換に、夕暮れ迫るグリーンを散策し、宮殿に入って、クラシックな古典劇と古風な楽器の演奏を聴いて過ごした。
   
   少し残照の残る空に王宮の建物が電光に映えて美しい。庭に面した正面は、白色の電光の照り映えて複雑な彫刻が美しく浮かび上がっている。中庭に面した建物は、朱、黄色、青、緑と七色の照明を受けて生き物のように息づいている。

   再開されたコンサートの方は、辺りが暗くなって、カレーラスの舞台に電光が映えていて、そこだけ明るく輝いている。
   周囲の暗い煉瓦色の建物は、カラフルな照明に薄暗くシルエットのように浮かび上がって、明るいときにザワついていた舞台も、急に引き締まった感じで、さえたピアノの音に乗って、カレーラスの情感豊かに澄んだ美しい歌声が、観客を魅了する。

   この記録は、1993.6.22、
   思い出しながらのブログ記事である。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6・ハンプトン・コートのホセ・カレーラス(その1)

2020年12月20日 | 欧米クラシック漫歩
   ロンドン郊外のハンプトン・コート宮殿で、夏の夜に野外コンサートが開かれていて、ホセ・カレーラスのリサイタルがあったので、聴きに行った。
   当時、それ程遠くないキュー・ガーデンに住んでいたので、ロンドンのオペラ・ハウスやコンサート・ホールに行くよりは近くて、格好の野外コンサートであった。
   地球温暖化の今は分らないが、当時は、エアコンが欲しいと思うような日は、年に数日程度しかなくて、一般家庭には冷房装置はなかったし、高級ホテルでも、米系ホテル以外なかったほどで、それ程、ヨーロッパの夏の気候は快適で、天気の良い夏の夜長は、野外での芸術鑑賞には最高の時期であった。

   このハンプトン・コート宮殿でも、常設のコンサートではなく、オペラや室内楽などのリサイタルが開かれていたようであるが、この日は、宮殿の中庭に舞台と客席を設えての仮設舞台であったが、宮殿は開放されていて古風な衣装を身につけた楽団員が小部屋で楽を奏していたり接客をしたりしていて、タイムスリップした王宮にいる感じであり、回りの古い煉瓦づくりの建物がカラフルに照明で輝き、音楽フェスティバルの雰囲気抜群であった。
   それに、イギリスの夏の日暮れは遅くて、広大な美しい庭園が開放されていて、屋台も出ているので、コンサート前と休憩時に、ピクニックや散策を楽しんでいる着飾った客も多い。
   このハンプトン・コート宮殿へは、テームズ川沿いにキューガーデンのあるリッチモンド・パークを経て、英国王室の狩り場であった広大な公園と緑地が広がっていて、野生の鹿が放し飼いで、小動物や鳥の天国である。
   エリザベートプランテーションの大シャクナゲは、初夏には豪華絢爛と咲き乱れて美しく、また、近くの高台の瀟洒なホテルの庭から、夕日を浴びて金色に輝きながら蛇行するテームズ川を遙かに見下ろしながら味わうハイティのおいしさなど、公園での散策やスポーツ以外にも楽しみが多い。
   今日はパリ、明日はベルリンと、ヨーロッパ人と切った張ったの激務に明け暮れていたので、寸暇を惜しんで、ロンドン郊外の緑野を散策するのが楽しみであった。

   ハンプトン・コート宮殿は、16世紀にカーディナル・ウォルセイが建てたチューダー様式の王宮で、あまりの壮大さにヘンリー8世を怒らせて取り上げられた曰く付きの宮殿で、その後、ヘンリー8世が手を加えて今日の豪壮な規模に仕上げた。シェイクスピア時代の少し以前のことである。
   当時、ウインザー城が火災に遭って、紅蓮の炎をあげて炎上しているのをテレビで観て驚いたのであるが、同じく、このハンプトン・コート宮殿も火災で燃え上がっていたのを知っていたので、行きそびれていたので、この日が最初の訪問であった。
   当時の女王陛下の居城は、バッキンガム宮殿とウィンザー城であったが、かっては、ロンドンのビッグ・ベンのある国会議事堂の側の船着き場から、王族は、ハンプトン・コートへは、舟で行き来していて、ここから、ウインザー城へも、レガッタで有名なヘンリーを経て、テームズ川を上って船で行けるのである。

    さて、コンサート当日は、夕方6時から王宮の門が開かれて、フェスティバル客に王宮全体が開放された。
    ピクニック形式の夕食もウエルカムで、王宮の広いグリーンに、それぞれ思い思いにカーペットや敷物を敷き、シャンペンやワインを飲みながらサンドイッチを食べたりゆっくりとディナーを楽しんでいる。
   グリーンの中央の円形舞台では、ブラスバンドが軽快な音楽を奏しており、あっちこっちでは、高い高下駄を履いた道化が客と戯れ、大道芸人が思い思いの芸を披露している。
   ベルサイユ宮殿を模したという幾何学紋様にレイアアウトされた大噴水公演のグリーンも客に開放されていて、ピクニックを楽しむ客で賑わっている。

   王宮の建物も客に開放されていて、自由に内部を出入りできる。
   日頃あっちこっちにいる番人たちは、この日は、当時の歴史的な古風な衣装を身につけていて、まさに、英国版時代劇の世界が再現されて感動である。
   大広間の片隅では、ストリング・カルテットが音楽を奏しており、中央の女王の客間では、エレガントで古風なドレスを身につけた若い女性奏者がハープを奏でている。
   この王宮は、英国でも有数な歴史的建造物で、おのおのの部屋も、それぞれ豪華で優雅な雰囲気を持っており、散策するだけでも楽しい。
   別の広いカーツーン・ギャラリーでは、芸人たちが中世劇を演じている。ヴァイオリンと古いピアノを伴奏に、何組かの男女が優雅にメヌエットを踊っており、後方で、女王が、家来を従えて鑑賞しているという趣向であろうか。
   当時のシェイクスピア時代の面影の再現か、エリザベス女王は、屈指の踊り手であったと言うから、この宮殿でステップを踏んだ事もあったかも知れないと思うと面白い。
   踊りがたけなわになってくると、一般客も、踊りの輪に加わって、輪が広がる。
   普通の男女が、古いコスチュームを着て楽を奏し踊っているだけなのだが、近づいてきて話しかけられると、何となくドギマギしてしまうのが不思議である。

   さて、ホセ・カレーラスのリサイタルだが、明日の記事としたい。
   
   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

友の訃報に接して

2020年12月18日 | 生活随想・趣味
   師走ももう終盤、悠々自適の生活では、殆ど季節感も失せてしまって、年末を迎えるという感慨も薄れてしまったが、突然、飛び込んできた友の訃報には胸が痛い。
   夫は11月××日から、心不全のため○○病院に入院いたしておりましたが、薬石効なく12月××日に永眠いたしました。と言う慚愧に堪えないメールを受け取ったのである。
   現役を離れて随分経ち、お互いに傘寿を迎えて、まして、コロナウイルス騒ぎで、交流も少なくなってきており、多少距離が開いていたので、突然の異変のショックに言葉もない。

   コロナの影響で同窓会も開けなかったので、会社の同期同窓会の関東在住者に連絡したら、故人との色々な思い出や故人との近況について、語ってくれていて、余計に悲しさが増す。
   この同期会も既に随分経つので、今元気なメンバーでも、私も含めて何人かは、死地を彷徨う大病や怪我による手術や入院から生還した経験を持っており、他人ごとではないのである。
   
   若くに逝った同僚もいて、何人かは欠けているのだが、走馬灯のように駆け巡る思い出を、プレイバックして見ると懐かしさも一入なのだが、この幸不幸は、何処でどうして起こるのか、
   年賀状を交わしている友人たちも、少しずつ歳のために賀状交換を止めたり逝去したりで、年毎に、寂しくなって行くのだが、生老病死、四苦八苦を、今まで以上に身近に感じ始めたのも運命であろうか。

   友の冥福を祈り続けている。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コロナ後の世界:ポール・クルーグマン

2020年12月16日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   「コロナ後の世界」に対するポール・クルーグマンの論点は、「経済は人工的な昏睡状態。景気回復はスウッシュ型になる」
   今回の一時的な強制措置は、波及効果が大きく、傷ついた人々に抜本的な財政援助をすることが喫緊の課題であり、バズーカ砲級の金融緩和策と大々的な財政出動が必要である。日本を見れば分かるように、国の借金は問題ではなく、金利が成長より低ければ、最終的には、GDPに対する借金の割合は徐々に減って行く。と言う。
   景気回復のカーブは、ナイキのロゴマークのようなスウッシュ型で、急降下でかなり下まで落ちて、徐々に回復、それもスムーズではなく二歩進んで一歩後退。何故かというと、米中貿易戦争やイギリスのEU離脱、トランプの再選リスク、リセション危機のEUなど長期にわたり世界経済に混迷をもたらしていた政治イベントが大きく動き、世界経済は、「視界良好」ではない。と言うことである。

   パンデミックへの対応は、第一次世界大戦後のスペイン風邪危機に学ぶべきで、当初経済的に大きく打撃を受けても、ソーシャル・ディスタンスをきちんと守ったところほど、死亡者数が少なく、新規の感染者数がある程度落ち着いたとしても、早まって経済活動を再開してしまうと裏目に出てしまう。
   経済を回すことを優先するよりも、まずは、感染症対策の最前線にいる医療関係者と、経済的シャットダウンで打撃を受けている人たちをサポートするべきで、早すぎる経済活動の再開は、かえってダメージを大きくするだけである。と言う。
   この指摘は、管内閣のGo to トラベルがよい例で、経済を優先したがゆえにコロナ感染者が異常に増加したと結論できないにしても、このキャンペーンで潤うのは関係機関や関係者だけで数が少なく、多くの一般国民は辛抱すれば済むことで、コロナの増殖に危機意識を感じれば感じるほど、管内閣の支持率が落ちるのは当然で、管総理が支持率急落に怯えて、一方的に中断せざるを得なくなったという全く情けないドタバタ劇、
   欧米は、定石通り、ロックダウンで対応したが、共産党独裁で有無を言わせない対策が取れる中国とは対極にあって、自由優先の個人主義の悲しさ、国家権力が十分に働かずに、すっぽ抜けの規制を強化しても、益々、状況が悪化するだけ。マスクをつけずに3密集会に熱狂してトランプを囃し立て、マスク反対に暴力的デモをやるような社会には、つける薬も救いようもない。
   もう一つのクルーグマンの指摘は、今回のパンミックスは、中国とWHOに責任があり、迅速に強固な国際協力体制を築くことの重要性を説く。
   十分な国際協力の欠如が、益々、パンデミックを拡大伝播しており収拾がつかず、先が見えない。

   さて、日本経済についてだが、少子高齢化という長期的に経済を停滞させる構造的な問題があり、最近では家計貯蓄率が高く、個人消費が伸び悩んでいる。それに加えて、インフレ率の低迷という深刻な問題を抱えている。
   ところが、問題は消費増税で、これは、景気の過熱を抑える緊縮財政のための政策であって、デフレの日本経済を益々悪化させるにも拘わらず、安倍政権は決行した。
   増税を行うのなら、目標のインフレ率2%を達成してからであって、景気が十分に回復していない時には、景気の冷え込みで法人税や所得税が減少して、増収の増加には繋がらず、全体の税収はかえって落ち込む。

   今の日本にとっては、インフレ率を上げることが急務である。
   日本のインフレ率が低迷している直接的な原因は、企業が賃金を十分に上げないことと、ものの物価を上げたからないからだという。
   しかし、それだけではダメで、日銀が「異次元の金融緩和」を打ち出して健闘しているがこれには限界があり、同時に、政府が、減税や公共投資などの財政支出を行うことである。
   歴史的にインフレ率の低迷で苦しむ国は何をしてきたか、戦争である。
   日本は、マイナス金利であるから、インフレ率をアップするためには、戦争に匹敵するほどの爆発的財政支出が求められる筈だが、安倍内閣は、財政支出の拡大に対する政治的欲望は全くないように見受けられ、それどころか逆に、消費増税という緊縮財政に踏み切った。
   安倍首相に提言した消費税増税批判を蹴られたことを、相当、気にしているような口ぶりである。

   このクルーグマンの日本経済論は、これまでの理論の繰り返しなので、別に新鮮みも何もないのだが、日本には、「財政健全化」という至上命題がある。
   日本の今後の経済財政運営の舵取りを考える上で、世界でも類 を 見 な い レ ベル に ま で 悪 化 した 現 下 の 財 政 状況 か ら 目 をさけることはできない。90 兆円を超える国の一般会計の歳出がある中、その半分近く、40 兆円超の収入を借金に頼るという異常な財政構造が常態化していることは、まさに驚くべき事態である。
   と言う問題である。

   クルーグマンは、金利が、経済成長率や、インフレ率より低ければ、国の借金は心配ない、と言いたいのかも知れないが、少子高齢化や経済の成熟で経済成長の鈍化が著しく、30年間呻吟してもデフレから脱却できない日本経済に、そんな悠長なことを言っているほどの余裕はない。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コロナ後の世界:ジャレド・ダイアモンド

2020年12月15日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   「独裁国家はパンデミックに強いのか」というタイトルのついたジャレド・ダイアモンドの「コロナ後の世界」の展望だが、
   まず、この問いについては、「21世紀は中国の時代にはならない」と否定している。
   中国は、四千年に及ぶ歴史の中で、一度も民主主義国家になった事がないと言う壊滅的な弱点を持っており、中国が民主主義を採り入れない限り、21世紀は中国の世紀になることはない。
   新型コロナの封じ込めは、中国のような独裁国家の得意とするところだが、中国は、文化大革命で教育システムを破壊し、大躍進政策では破壊的な経済的実験をして3500万人を餓死させるなどしており、歴史上、いいことだけをした独裁国家はない。
   21世紀は、北米とヨーロッパとオーストラリア、そして、日本の時代になると思っている。と言うのである。
   この最後の見解については、文化文明の分野ではともかく、既に薹が立ってしまって、経済的にも成熟して成長が鈍化していることを考えれば、これらの先進国が謳歌できる21世紀だとは、到底思えない。

   今回のパンデミックについては、かなり慎重な見解を披露しているが、
   コロナの感染拡大が収束したとしても、核兵器、気候変動、資源枯渇、格差の拡大など、これまで世界が体験したことのない史上初めての世界的規模、グローバルな崩壊のの危機に直面している。このパンデミックが共通の脅威だという認識で一致し、世界が一丸となって解決することが出来れば、気候変動や資源の枯渇などの問題も続けて解決するチャンスとなり、歴史から学ぶことで、これらの危機を乗り越える手立てを得られると信じている。と言う。

   大野和基氏とのインタビュー記事なので、日本についての提言が興味深い。ダイアモンドの近著「危機と人類 上下」でも、この持論を展開しているのだが、日本人とはかなり視点が違っていて面白い。
   日本では少子高齢化をマイナス要因と考えているが、ダイアモンドにとっては、利点であり、考え方によっては、プラス思考で解決できるという。
   まず、人口減少だが、外国の資源に依存している日本にとっては、人口減は、必要とする資源が減るので、これは悪いことではなく、持続可能な経済は実現しやすくなるという。
   高齢化については、問題は、日本の退職システムが悪いのであって、素晴らしい人的資源である高齢者を、そして、クリエィティビティが絶頂期を迎えている人を無理に引退させるのは、悲劇であって、働き続けるオプションがあるべきである。と言う。
   私もこの点では異存がなく、傘寿の今、年輪を重ねた余得か、現役時代よりもっと有能に働けると思っており、その自信はある。
   これが正論だとしても、風通し新陳代謝が大切で、突破口を塞いでいる特に政治や財界の老害を駆逐して、若いエネルギーをフル活用出来る経済社会を構築すべきであろうと思う。

   当然としての提言は,移民の導入で、特に、自身の経験から、ヘルスケア・ワーカーとしてのフィリピン女性の活躍を語っている。
   もう一つは、女性を家庭から解放しようと言うこと。
   仕事を望む高齢者や移民、そして女性を労働市場に迎えれば、少子高齢化が進んでも、日本の経済力が大きく低下するはずはない。と言うのである。

   面白いのは、日本が経済力を失って世界での存在感を失いつつあると言うのは日本人だけで、これは、欧米人に映る日本ではない。「非常に裕福な国」から単に「成功した国」に変ったと言うだけで,我々は日本が弱くなったとは全く思っていないので、悲観する必要はない。と言う指摘である。
   この見解については、半分賛成、半分反対である。
   GNPベースで考えたときには、この20年くらいは、年率500兆円プラスアルファ程度で推移していて、殆ど成長しておらず、中国や東南アジアの国々の経済発展と比較すると、目も当てられないほどの成長発展から見放された体たらく状態であり、実際にも、活力や国力も落ちている。
   しかし、経済成長の殆どが、GDPと言う数字上のアップではなく質の向上に体現されていて、実態の経済社会の水準が改善・上昇し、全体として豊かになっており、思ったほど、日本経済社会の成長発展が止まっているように思えないと言う現実である。

   これまでに、外部経済の存在や、生産消費者経済の進展など、GDPでは表現できない経済成長・発展や、何が人類にとっての幸せ指数になるのかなどを論じてきたが、経済政策の視点がGDP偏重だと、道を誤るという考え方も必要だと言うことである。
   ダイアモンドが言うように、日本が経済成長から見放されて経済的に落ちぶれた国だと、欧米人が考えていないことは事実であろうし、日本の目指すべき道は那辺にあるのか、目的意識をしっかりと見据えて経済政策を打つ必要があろう。
   しかし、膨大な国家債務を解消するためには、経済成長かハイパー・インフレか徳政令かetc.限られていて、GDPに拘らなければならないのが悲しい。

   日本の目の前にある危機は、1854年の開国や1945年の敗戦に比べたら大したことはなく、以前やったように、時代に合わない価値観を捨て、新たな価値観を取り取り入れれば良いのであって、今日以上の深刻な危機を乗り切ってきたのであるから、後は、やるかやらないかだけだ。と言うことである。
   
   先述のGDP論や日本論とも関係するのだが、日本が目指すべきは、量の拡大ではなく質の向上であって、大前研一の説く「クオリティ国家」への道の追求であろうことは論を待たない。
   GDP、量の拡大、大きさのみに拘ってきた日本人にとって、質の高いクオリティ国家と言っても、概念も掴めなければ目的意識も乏しい。
   どうするか、岐路に立っている。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5.ロイヤル・オペラ:久しぶりのラ・ボエーム

2020年12月14日 | 欧米クラシック漫歩
   この項は、1993年6月のコヴェント・ガーデンのラ・ボエームの観劇記を元にて思い出をつづった雑感録である。

   私が、最初に観たボェームは、もう、半世紀以上も前になるが、会社へ入社した直後に、大阪から東京へ出張の機会があって、丁度来日していたイタリア・オペラを東京文化会館に出かけて観た時である。  
   夜の会食を蹴って直行したので、少し高かったが、偶々、良い席のチケットが残っていた。クラシック・ファン駆け出しであったが、魅力的なベル・カントのアリアの数々、美しい舞台などに感激して、その後の長いオペラ鑑賞行脚の先駆けとなった。何故か、第二幕目で、可愛い一寸おきゃんなマルゲリータ・グリエルミが、ムゼッタのワルツを歌っていたのだけは覚えている。
   その後、米国留学中に、ボェームは、メトロポリタン歌劇場でパバロッティの舞台を、そして、パリ出張中にオペラ座で観る機会があり、その後、METやロイヤルで再度観ており、METのフランコ・ゼフィレッリの華麗な舞台が、印象に残っている。

   さて、このロイヤル・オペラの舞台だが、ロドルフォがJ・ハードレー、ミミがD ・リーデル、マルチェルロがT・ハンプソン、ムゼッタがK・マッティラ。
   特に印象的だったのは、マッティラのムゼッタで、少しグラマーでおきゃん、それに、コケティッシュな役柄を器用に歌っていたので、全くイメージチェンジというかビックリした。
   METで、あの凄いミミ歌いのレナータ・スコットのムゼッタにも感激していたのが、私には、ミミより、ムゼッタの記憶の方が多い。
   その前に、マッティラは、ロイヤル・オペラで、モーツアルトの「フィガロの結婚」の伯爵夫人や「魔笛」のパパゲーナやワーグナー「ローエングリン」のエルザの舞台を観ており、フィンランド人のソプラノで、特に美人というわけではないが、愛くるしくて、清楚な感じの素晴らしい歌手で、ロイヤルの至宝であった。
   その後、METで、「マノン・レスコー」のマノン、METライブビューイングで、「カルメル会修道女の対話」のクロワシー夫人/修道院長を観ており、このブログで書いているが、マッティラは、演技力は抜群で、モーツアルトも歌いプッチーニも歌い、そして、ワーグナーも歌え、これほど天性のオペラ歌手としての素質を備えた歌手は稀有だと思っており、クロワシー夫人/修道院長に接したときには、その健在ぶりを観て感激した。
   METのヴォルピー支配人が、「史上最強のオペラ」の中で、最も魅惑的な舞台人間だったソプラノ歌手が二人居るのだがと言って、テラサ・ストラタスと、このマッティラの名前をあげている。面白いのは、ついでに、彼は、「サロメ」での全裸スタイルの一こまでのマッティラを語っていて、リハーサル途中でのニューヨークタイムズ・カメラマンのワン・ショットに逆上したが、TVでは、かたいフィンランドの家族を押し切って、無修正で放映させたと言う。
   話が飛んでしまったが、カリタ・マッティラを語りたくて、筆が滑ってしまった。

   この舞台の第一幕と第四幕は、」カルチェラタンの屋根裏部屋。
   上手くセットが作られていて、四人の芸術家の貧しい住まいが彷彿としてくる。画家のマルチェルロが絵を描いているシーンでは、美しいヌード・モデルが背を向けて座っている。
   余談だが、コヴェント・ガーデンの舞台では、時々、ハッとするようなヌードが登場する。ボロディンの「イーゴリ侯」のヌード姿の群衆、「ドン・ジョバンニ」では、全裸のドンナ・アンナの侍女を食卓の上に上向けに寝かせて沢山の果物を載せてみたり,前に紹介した「サロメ」で、マリア・ユーイングの全裸の7枚のヴェールの踊り・・・。こんな時には、無理して(?)、双眼鏡を外す。
   第二幕は、賑やかなパリの繁華街で、その街頭とレストランのざわめきが、狭い舞台に凝縮されている。
   第三幕は、町外れの公園の鉄格子と門の外側、左手に小さな居酒屋があり、雪がしんしんと降っているシーンで、二組の男女の別れを情感たっぷりに演じるには格好の寂しい舞台。
   ジュリア・トレヴェイアン・オマンと言う女流デザイナーのセットで,クラシックながら実にリアル、そして、繊細で温かみさえ感じさせてくれる雰囲気が感動的である。

   この口絵写真のMETのゼフィレッリの華麗な舞台は、2018年のMETライブビューイングでも使われているMETの定番舞台だが、少し、印象が違うのだけれど、ロイヤルの舞台も、忘れがたい公演であった。
   とにかく、プッチーニ節に酔いしれる、華麗ながら一寸悲しいしんみりと心に響くオペラで、オペラを観て聴いたと言うことを本当に実感できる素晴らしい舞台である。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大前研一 著「世界の潮流2020~21」

2020年12月13日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   久しぶりに大前研一の本、手っ取り早く現今の世界の潮流を摑みたくてページを繰った。
   著者の本は、これまで随分読んできているので、それ以降の理論展開に注意を向けて読み進んだのだが、ほぼ既知の常識的な展開で、安倍批判にしても、はっきりと直言しており、殆ど異論を感じなかった。
   出版が20年6月なので、少しは、コロナについて触れているが、トランプ敗退の米国大統領選挙には言及していないので、多少、理論展開に違いが出てくるであろうが、ほぼ、カレントトピックス的展開である。
   ここでは、著者の予測に鑑み、トランプ後のアメリカにつて、考えてみたい。

   まず、トランプ現象だが、僅か、三年でアメリカの民主主義の基盤をすっかり破壊してしまった。と説く。
   メキシコ国境の壁の建設、TPP、NAFTA,パリ協定、NATOからの離脱発表、米朝首脳会談の決定、中国に対する制裁関税など、重要な政策を議会に諮らず、自分の判断で「大統領令」としてツィッターで勝手に配信し、自分の意見に反対する有能な閣僚たちを片っ端からクビにして、まともで優秀な人材がどんどんいなくなり、気がつけば、政府内にはトランプファミリーしか残っていない。
   三権分立の司法に関しても、躊躇なく保守派の裁判官を指名し、トランプ有利となり、異常事態を糾弾して正しい方向を示す第四の権力であるメディアに攻撃されても、自分に都合の悪いことはすべて「フェイクニュース」と糾弾して葬り去る。
   経済政策に対しても、クルーグマンが論理的にその欠陥を説明しても、一切聞く耳を持たず、独立性を担保されている筈の中央銀行の政策にも、躊躇なく介入し、FRB議長に圧力を掛けて利下げを強要する。
   トランプ・ベノム(毒蛇ややサソリなどが分泌する毒液)が、アメリカの三権分立、マスコミのチェック機能、中央銀行の独立を壊し、官僚、議会、軍のシステムもこれにやられ、トランプの思いつき外交の毒で、国際協調と世界秩序の枠組みも破壊され、さらにこの毒が、米中関係の緊張もエスカレートさせた。
   更に、トランプ・ベノムには、民主党、マスコミ、識者などから発せられる意見や批判をたちまち無力化する解毒効果もあるので厄介だ。と言う。
   このあたりの、トランプが、確たる世界観も政治哲学も持ち合わさず、如何に無知無能であり、心理的精神的にも大統領不適格者であるかは、これまでのメディアの報道や、ジョン・ボルトンなどの多くのトランプ暴露本を読めば、話半分にして聞いても、分ることかも知れない。

   今回の大統領選挙の展開について、著者は、直接触れていないが、興味深い指摘をしている。
   トランプの命運もこれまでで、まともな人物が大統領に選ばれても、アメリカは元のような状態に戻ることはないだろう。そう簡単に治らないほど、トランプの毒は、米国国民の精神を蝕んでしまったのだ。
   たとえば、オバマのような理性的な人物が選ばれ、議会と上手く折り合いをつけながら国を運営しようとしても、トランプ劇場を見慣れた国民にとっては、物足りなく感じてしまうはずである。そのため、次期大統領は「やっと正常化した」と最初のうちは歓迎されても、すぐに、「建前を言うな」「トランプのように自分の考えを直接発信しろ」とブーイングが起きるのは必至だろう。
   今後のアメリカは国民は長期にわたり、トランプを大統領に選出したツケを払い続けることになるに違いない。

   この見解には、異存はなく、的確にアメリカの民主主義の現状を述べている。
   トランプ党と化してしまった保守党の無法ぶりや、保守党支持者の90%が、まだ、トランプが選挙に敗退したことを認めておらず、一部には熱狂的にトランプ支持デモを行っており過激化していることの異常さには恐怖さえ覚えており、何故、アメリカが、これほどまでに、良識を失い民主主義を否定して貶めるような状態になってしまったのか、信じられないのである。

   さて、世界経済の動向については、米中対立をはじめとする地政学的緊張の高まりから世界経済が、同時減速する中で、欧米経済は停滞が続くジャパニフィケイションに陥るとして、その要因となる世界的に高まるリスクとして、
   1.米中覇権争い 2.香港問題 3.不安定化する中東情勢 4.英国のEU離脱問題 5.拡大するポピュリズム を挙げている。
   さて、これらは、トランプ後の米国では、どう変るのか。
   対中問題については、やはり、バイデンでも強硬路線が継承されるようだが、もう少し、貿易面では対話の余地があるであろうが、人権問題や香港問題では強硬となろう。
   ポピュリズムについては、今や殆どの国が、「ミー・ファースト」のポピュリストの独裁国家の様相を呈し始めた感じであるが、バイデン外交で変るであろうか。

   また、二一世紀のあるべき姿では、機能不全に陥っている国際会議と国際機関について論じているが、この点では、トランプがやりたい放題をやっていた、TPP離脱、パリ協定離脱、イラン核合意離脱、WTOやWHOや国連などへの横やりなど、バイデンは、旧へ復する政策のようであるから、「分断」から「連帯」への移行が進むかも知れない。
   著者は、これからの人類にとって最も重要な課題は、「人権」と「環境」だと指摘しているが、少なくとも、「環境」の問題については、国際的な協調体制の進展が期待されるであろう。

   間違いなく、10年以内に、中国が、総GDPで、アメリカを凌駕して、世界一の経済大国になると思われるGゼロの世界で、アメリカがどう対応するのか、その第一歩が、トランプの陰を背負ったバイデンに託されている。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする