熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

エマニュエル・トッド:ウクライナ戦争で漁夫の利を得るのは中国

2022年08月31日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   先に、エマニュエル・トッドは、「第三次世界大戦はもう始まっている」で、ロシアの経済力はエンジニア力で評価すべきだという見解を示していて、これについてレビューした。

     トッドが論じているGDP評価の米ロの経済力比較が、例え間違っているとしても、GDPベースで、アメリカの14分の1の経済力では、ロシアが、どんなに足掻いても太刀打ちできるはずがない。

   しかし、面白いのは、トッドが、米国産業の脆弱性と中国製品への依存で興味深いことを語っていることである。
   中国には、戦争が長期化するなかで、ロシアを利用して、アメリカの武器備蓄を枯渇させることで、アメリカの弱体化を図るという選択肢がある。巨大な生産能力を持つ中国からすると、ロシアに軍需品を供給するだけで、アメリカを疲弊させることが出来る。と言っていることである。

   一説には、今回のウクライナ戦争で、最も利益を得るのは、アメリカの軍産複合体だと言われている。
   武器弾薬を、どんどん、ウクライナに送り込めば、アメリカの軍需産業が活況を呈するのである。

   しかし、中国にしてみれば、ロシアに、仮想敵国のアメリカを叩くだけ叩かせておいて疲弊させて、
   同時に、ロシアが戦争で消耗して弱体化して、経済的な従属国として転げ込めば、中国にとっては一挙両得であり、漁夫の利を得ることが出来る。
   半導体も含めて重要な工業生産に必用なパーツなど、中国がどこまでロシアの工業生産をサポートできるかにかかっているが、中国のロシア経済支配の趨勢は避け得ないであろう。
   中国には、核戦争に至らなくて、火の粉が飛んでこなければ、ウクライナ戦争が長引けば長引くほど良い。
   中国が、世界平和を標榜したこともないし、ウクライナ戦争終結や、その仲裁などに消極的なのは、その辺にありそうな気がして仕方がない。

   一方、トッドが、「第三次世界大戦はもう始まっている」と言うウクライナ戦争だが、もう、既に、これまでの代理戦争とは違って、米ロ大国同士の戦争となっている。
   米ロ両国にとって、この戦争に敗北することは、国家の威信と存亡がかかっている。

   難しい問題は、アメリカがどこで矛を収めるかである。
   現状なり、ウクライナ分割状態で、アメリカが収拾を図ることは、アメリカの威信を傷つけ、アメリカ主導の国際秩序自体への破壊であるからあり得ないであろうし、ロシアが窮地に追い込まれれば、国家存亡の危機に瀕するので、核戦争の勃発の可能性を否定できない。
   第二次世界大戦以降、世界各地で戦争を続けてきたアメリカだが、世界秩序の維持修復には悉く失敗してきている。
   形は違っているが、ヴェトナムやイラクやアフガニスタンのように、収拾が付かずに、ヨーロッパの火薬庫として、長く尾を引くような気がしている。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エマニュエル・トッド:ロシアの経済はエンジニアで計測すべし

2022年08月29日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   エマニュエル・トッドは、「第三次世界大戦はもう始まっている」で、
   ロシアの経済は、GDPでは韓国並みだが、何故、あれだけの強力な国力を保持して、超大国アメリカに対峙できるのか、GDPでロシアの経済力を判断するのはおかしいと、言う。

   まず、GDPだが、昔から経済指標としての不備は指摘されていて、計測不足では、
   サミュエルソンが半世紀以上も前に論じたように、主婦の家事や育児など家庭内の無償労働だが、同じ仕事を、食堂や塾・保育園などへ外注すれば、GDPの増分となるが、現状ではGDPには加算されない。アルビン・トフラーが説いた生産消費者 (prosumer) が行う、市場を通さない、自分自身や家族や地域社会で使うため、もしくは満足を得るために自分でやる無償の隠れた経済活動などは、DIY同様に加算されない。
   先年、 デジタル革命によって、動画配信など「お得感」25%増の「GDPの外」で経済拡大が起こっており、この「消費者余剰」が、GDPを大きく縮小させていると言うことについても論じてきた。消費者余剰とは、「消費者がこれくらい払ってもよいと考える価格(支払許容額あるいは支払意思額と呼ばれる)と、実際に払った価格の差」で、わかりやすくいうと「お買い得感」であるが、「百均」なども、このジャンルに入るかも知れない。
   勿論、アングラ経済など闇に消えて行く膨大な経済活動もあり、付加価値基盤のGDPが、経済力を正しく表示していないことは、論を待たないが、国民総幸福量(GNH)という独自の考え方を国家の指標として打ち出すブータンなども出ており、GDPについては各所で検討がなされている。

   さて、トッドの問題意識は、このような問題ではなく、米ロの経済比較で、GDP指標では、あきらかに、アメリカ経済が過大評価され、ロシア経済が過小評価されている、何故だろうかということである。
   まず、経済力を抽象的に捉えるのではなく、労働人口の教育水準と言った経済力の具体的な中身で見るべきで、現在、ロシアの中等教育システムの水準は、アメリカより高いと思われ、特に、アメリカと違ってロシアでは、多くの若者がエンジニアのキャリアを志向している。高等教育の学位取得者の内エンジニアの占める割合は、アメリカが7.2%であるのに対してロシアは23.3%で、アメリカは、そのエンジニア不足を他国からの輸入で補っており、その多くを中国人が占めており、安全保障上の懸念がある。
   さらに、東アジア諸国の少子化高齢化などによって、ドルではなく、エンジニアで測るグローバルなサプライチェーンの崩壊、脱グローバル化に対して、アメリカは対処できるのか。と言うことで、経済の質を勘定に入れるべきだと言うのである。。

   ロシアの経済力を、ルーブルではなく、エンイジニアで測るとすれば、2014年からの制裁に耐えられたように、2022年の西側の制裁にもロシアは耐えられるんではないか。
   「経済の真の柔軟性」とは、銀行システムや金融商品を開発する能力にではなく、生産活動の再編成を可能にするようなエンジニア、技術者、熟練労働者にこそ存しているのではないか。と言う。
   これは、エンジニアがいるだけでは、経済が動くわけではないし、経済音痴のトッドの稚拙な経済論と言うか、論外なので反論は省略する。発想は面白いが、これまでにも、トッドの経済論争には疑問を呈し続けてきた。
   いずれにしろ、ウクライナ戦争後、危険を察知して、この虎の子の筈のエンジニアや高度な知識や技術を持ったロシア人が、何10万人とロシアを脱出する頭脳流出が続いていて、ロシアの存続そのものが危うくなっているという現実も注視すべきであろう。

   ロシア経済については、何度も書いているように、
    濡れ手に粟の天然ガスや石油などの輸出収入に胡座をかいて、経済政策の根幹である産業の近代化や合理化に傾注せずにモノカルチュア経済に安住した結果、高度な工業製品やパーツは生産できずに輸入頼りで、西側先進国の経済制裁が強化され、グローバル・サプライチェーンから排除されると、高度な武器や軍需製品の生産は勿論、基幹産業の順調な稼働はお手上げとなる。今は、消費など国民生活は小康状態であっても、深層の重要な製造業など基幹産業などは大きく毀損していて、時間が経つにつれて、じわじわと、ロシア経済を窮地に追い込んで弱体化して、凋落の一途を辿ってゆく。と思っている。
   クルーグマンも、対露輸出禁止措置によってロシアと制裁国との貿易量は60%減少、非制裁国との貿易量も40%減り、ロシアの工業生産量は50%超の減少となった――。と論じており、ロシア経済の苦境は火を見るより明らかなのである。

   プーチンは、ウクライナ戦争で、ロシアの宝である筈の貴重なテクノクラートやエンジニアをないがしろにしている感じで、国を離れる芸術家やアスリート達も多いと聞く。
   誇大妄想と悪夢で、国土も民心もどんどん荒廃してゆく感じで、偉大なロシアの歴史と文化の慟哭が聞こえてくるようで悲しい。
   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エマニュエル・トッド:ウクライナ戦争の責任は、アメリカとNATO

2022年08月28日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   エマニュエル・トッド著「第三次世界大戦はもう始まっている」
   フランスの卓越した知識人という傑出した視点からの世界論の吐露であるから、トッドの本は、いつ読んでも面白くて啓発される。

   まず、冒頭から、ジョン・ミアシャイマーの論を引いて、「いま起きている戦争の責任は、プーチンやロシアではなく、アメリカとNATOにある」と論じる。
   ウクライナのNATO加盟、つまり、NATOがロシアの国境まで拡大することは、ロシアにとっては、生存に関わる「死活問題」であり、プーチンは、「ジョージアとウクライナのNATO入りは絶対に許さない」と警告を発し、「ロシアにとっては越えてはならないレッドライン」だと明確に示し繰り返し強調していたが、ロシアの侵攻前に、米英は、ウクライナに、高性能の武器を送り、軍事顧問団を派遣して、ウクライナを「武装化」して、「米英の衛星国」”事実上”NATOの加盟国に組み入れていた。
   ロシアが看過できなかったのは、この「武装化」が、クリミアとドンバス地方の奪還を目指すものであったことで、今回のロシアの侵攻の目的は、何よりも日増しに強くなるウクライナ軍を手遅れにならない前に破壊することであった。

   以上の論旨には同意しているのだが、興味深いのは、ミアシャイマー論に反対しているトッドの次の見解である。
   ミアシャイマーは、「ロシアはアメリカやNATOよりも決然たる態度でこの戦争に臨むので、いかなる犠牲を払ってでもロシアが勝利するだろう」と予測した。この問題は、ロシアにとって「死活問題」であっても、アメリカにとっては、「地理的に遠い問題」「優先度の低い問題」で、「死活問題」ではないからだ。と言う。
   トッドは、そうではなくて、もし、アメリカがロシアの勝利を阻止できなかったら、アメリカの威信が傷つき、アメリカ主導の国際秩序自体が揺るがされることとなり、アメリカにとっても「死活問題」だ。と言うのである。

   更に、ズビグネフ・ブレジンスキーの、「ウクライナなしにはロシアは帝国になれない、アメリカに対抗し得る帝国となるのを防ぐためには、ウクライナをロシアから切り離せば良い」と言う提言に従って、アメリカは、ウクライナを武装化して、「NATOの事実上の加盟国」として、本来、ローカルな問題に止まるはずのウクライナ問題を、「グローバル化=世界戦争化」してしまった。「我々はすでに第三次世界大戦に突入している」とトッドは言う。
   注目すべきは、ロシアが侵攻して来たときに、助けてくれると思っていた米英の顧問団は、ポーランドに逃げてしまい、ウクライナの人々は、大量の武器を手にしつつも、単独でロシアに立ち向かわなければならなくなった。米英は、ウクライナ人を”人間の盾”にしてロシアと戦っていると言うことで、今後、この”裏切り”に対して、ウクライナ人の反米感情が高まる可能性は否定できない。とトッドは言う。
   アメリカは、常に戦争をしてきた国だが、アフガニスタンにしろ、イラクにしろ、シリアにしろ、弱小国に対する戦争であったが、今度のウクライナ戦争は、大国ロシアが、事実上、アメリカを敵に回して、アメリカ主導の国際秩序に正面から刃向かうのであるから、大きな歴史的転換であり、アメリカにとっては大きな誤算であった。

   それに、この戦争は軍事面でも長期化する。と言う。
   何故なら、現下の戦況にはアメリカは許容できないからである。もし、この戦争が現時点で終結すれば、ロシアは、ヘルソン州からドンバスまでの広大な領土を既に奪取して、クリミア半島への水資源確保にも成功し、アゾフ海も「ロシアの湖」となり、アゾフ大隊を叩き潰して「非ナチ化」にも成功し、領土分割にロシアが勝利している。ロシアの奪った土地は、黒海沿岸、アゾフ海沿岸、東部と北部を加えると、ウクライナ領土の20%から25%に渡っており、しかも、産業はこれらの地方に集中しており、ウクライナの産業地域の30%から40%に達している。とトッドは述べて、ロシアはすでに実質的に勝利している。と言う。
   これはアメリカにとって許容できないことで、戦争はまだまだ続く。と言うのである。

   アメリカは、今のところ、自国が戦争に巻き込まれないように上手く逃げているつもりだが、これまでの代理戦争ではなく、プーチン相手に、すでに、実質的に、米ロ戦争が勃発しているのであるから、いつ、この第三次世界大戦が、世界的規模で暴発するか分からない。
   ウクライナは、ロシアが占領地を全部開放するまで戦い抜くと言っているが、そんな状態に至れば、ロシアにとっては、国家存亡の危機であり甘受して引き下がるはずがなく、核の使用も辞さないであろう。
   これからどう動くか、問題だが、このまま、膠着状態なり、パルチザンやゲリラ戦法など小規模ながら、延々と続くのか、
   トッドの見解を勘案すれば、引くも進むも、米ロにとっては死活問題であって、結果次第では地獄であるが、最も辛酸を嘗めるのはウクライナ、
   これまでの、アフガニスタンやシリア、アフリカの内戦国家のような状態で、戦闘が続くような感じだが、
   いずれにしろ、現状のままで、戦争がフリーズして停戦に至るとは思えない。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブルームバーグ:ロシアの実力

2022年08月26日 | 政治・経済・社会
   ブルームバーグが、昨日のネット通信で、「ロシアの実力」として次のように報じた。張り子の虎であることを露呈したというのである。

   「ロシアの超大国イメージ吹き飛ぶ、6カ月の戦争で軍の実力不足が露呈」
   プーチン大統領のウクライナ侵攻から6カ月。ロシアの軍事力と経済に関する根本的な仮定が覆された。ロシアは「米国と軍事的に対等」ではなく、米国よりも小さいNATO加盟国にすら劣ると、英スコットランドのセントアンドルーズ大学で戦略研究を専門とするフィリップス・オブライエン教授は指摘。今回の戦争で、ロシアは「英国やフランス、イスラエルが実行できるようなやり方で複雑な作戦を遂行できないことが明らかになった。その意味で、二流の軍事大国ですらない」と語った。進軍が低調にとどまっている理由の一つは、軍が人員面の投資不足を隠しおおせると考えていたことで、これが戦争になってから明らかになったと、ワシントンの安全保障シンクタンク、CNAのマイケル・コフマン氏は分析する。
   ロシア軍はミサイル発射装置と防空システム、兵站、約50台の戦車と軍用車両を備える大隊戦術グループ(BTG)で構成される。それぞれのBTGには700人から900人の兵士が所属するとされ、それに基づくとウクライナ侵攻前に国境に終結したロシア軍兵士の数は約15万人に上ることが示唆された。だが現実には1BTGの兵員数は平均で600人かそれ以下でしかなく、侵攻開始時のロシア正規軍総兵力は9万人程度だった可能性があると、コフマン氏は最近、ポッドキャストで説明した。と言う。

   注目したいのは、これまで何度も書いているが、ロシアの経済力のお粗末さであり、次の指摘である。
   「制裁が輸入を阻む中で、ロシアが技術的に進んだ兵器を生産する能力は一層後退する公算が大きい。ウクライナの戦場で奪取したり破壊したりしたロシアの軍用品に関する研究によって、ドローンやミサイル、通信装備など27の重要な軍用システムで450の外国部品が使われていたことが判明。これら部品の大半は米国製で、残りは主にウクライナを支援する諸国からだった。」

   濡れ手に粟の天然ガスや石油などの輸出収入に胡座をかいて、経済政策の根幹である産業の近代化や合理化に傾注せずにモノカルチュア経済に安住した結果、高度な工業製品やパーツは生産できずに輸入頼りで、西側先進国の経済制裁が強化され、グローバル・サプライチェンから排除されると、高度な武器や軍需製品の生産はお手上げだと言うことである。
   すでに、エアーバッグやABSなどの安全装置のない自動車が生産されているとか、半導体の不足で、ウクライナで略奪した食洗機などから抽出した半導体を戦車に転用しているとか報道されていたが、パーツがなければ、高度な軍用機やミサイルなど、生産できるはずがなく、自国軍の軍事需要さえ充足できないのであるから、ロシア経済の主要産業である軍用機や武器の輸出など出来ず筈がなくなる。

   テレビや新聞、インターネットなどのメディア情報では、西側の経済制裁が殆ど効いておらず、ロシア人の日常生活は、多少の物価上昇や売り上げの減少くらいで、以前と殆ど変っていないと報じられている。
   しかし、私は、これはロシア政府が、消費財など大量に中国から輸入するなど、国民生活への巧妙な政策が機能しているだけであって、深層の重要な製造業など基幹産業などは大きく毀損していて、時間が経つにつれて、じわじわと、ロシア経済を窮地に追い込んで弱体化して、凋落の一途を辿ってゆくような気がしている。
   
   因みに、歳川 隆雄氏が、「MARKETS INSIDER」のインタビューを引用して、ポール・クルーグマンが、
   「ロシアの輸入が前年比40%以上減少する一方で輸出減少は10%以下に留まる」と述べた上で、次のように指摘したと報じている。
   (1)対露制裁は輸出制限ではなく輸入制限で予想外の効果を発揮している、(2)外国製品購入が困難となり物品不足から工業生産量とGDPを悪化させている、(3)対露輸出禁止措置によってロシアと制裁国との貿易量は60%減少、非制裁国との貿易量も40%減り、ロシアの工業生産量は50%超の減少となった――。

   また、ニューズウィークは、「ウクライナ侵攻から半年、巨額損失で「万策尽きた」プーチン」という記事で、
   元米陸軍大将のバリー・マッカフリーは8月22日、ツイッターへの投稿で、プーチンは「万策尽きて」おり、彼にとっての状況は今後、急速に悪化していくだろうと述べた。マッカフリーはまた、ロシア軍は「作戦面で困難な状況にあり」、ロシア全体に「軍事的な損失と経済的な孤立のの深刻なひずみが生じ始めている」とも指摘した。と報じている。
   
   ウクライナ戦争初期から、ロシアが、経済小国であり軍事小国であることを言及し続けてきたが、それさえ認識できずに、ピヨトル大帝を夢見て、ソ連の復活を目論んでいたというプーチンの誇大妄想と能天気ぶり、そして、ロシアの現状認識さえ真面に出来ずに、プーチンに入れあげているロシア人のお粗末さに驚かざるを得ない。
   ただでさえ、弱体なロシアが、このウクライナ戦争で疲弊して国力を落とし、さらに、日進月歩の成長を続けているグローバル経済から隔離されて取り残されて行くことを考えると、その帰趨は明白である。

   ところで、私は、結果として述べただけであって、ロシアが弱体化するのを望んでいるわけではない。
   民主主義擁護の立場で、西側の自由で平等な民主的な社会を高く評価しているが、アメリカの覇権にも問題があると思っているので、カウンターベイリング・パワーとしてのロシアの存在は貴重なのである。
   この視点については、項をあらためて書いてみたい。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

倍速消費への願望が時代の潮流か

2022年08月24日 | 政治・経済・社会
   日経が、中村直文編集委員の「倍速消費という名の欲望 Amazon、ルンバ買収の必然」を掲載した。

   今の消費者が強く求める利便性とは、タイムパフォーマンス(タイパ)の効率化だ。
   今や7割近い世帯が夫婦共働きで、以前のように手の込んだ家事に戻ることは難しい。これまで以上に家事時間の短縮を求めるニーズが強まったわけだ。
   メーカーも必死で、「フライパンでのカレー作り」や「0秒チキンラーメン」を編み出し、家電の売れ筋にもその傾向が表れて、都内の量販店では「自動調理鍋で簡単&時短」という看板がぶら下がり、大手メーカーから新興企業まで多くの機器が並ぶ。と言う。

   しかし、何でも簡便になって時間を短縮して消費できると言うことは、一つの文化文明の進歩であろうとは思うが、人間にとっては幸せなことかどうかは分からない。
   例えば、食について、ドンドン質や効率が日進月歩するインスタント食品の良さも分かるが、ミシュラン三つ星レストランでの会食や伝統的なスローフードの味わいは、貴重な遺産であって捨てがたい。
   歳を取って、スローライフになってくると、「タイパ」には関心がなくなるし、通常の生活リズムを大切にしたいという思いが強くなってくる。
   

   さて、ビデオの視聴などはどうであろうと思っていたら、この倍速視聴という言葉そのものが、DVDやビデオのことで、映画やドラマは倍速視聴機能で時短は可能だという。
   膨大なコンテンツにいつでもアクセスできる環境が進化し、「作品を鑑賞する」行為に加え、情報収集のために「コンテンツを消費する」スタイルが生まれて、「時間を濃く使う倍速視聴は若い世代にとどまらず、幅広い世代に広がる」と言うのである。
   インターネットで調べてみたら、倍速視聴のソフトなどが紹介されているのだが、同じかどうかは分からないが、元々、ビデオレコーダーには、倍速機能は勿論、早送りなど、再生タイムの調整可能な機能は備わっており、これまでに、録画したニュースやドラマや映画などを、早送りで見ていた。
   しかし、これは、手っ取り早く内容を把握したい時などの簡便法ではあるが、鑑賞するということにはなっておらず、あくまで、当座しのぎである。

   私の関心事は、頻繁に録画して視聴しているオペラやクラシック音楽鑑賞のことで、これなどは、視聴速度を変えて見ようとは絶対に思わないし、倍速視聴などはもってのほか、邪道であって、視聴そのものをぶっ壊してしまう。
   能狂言や歌舞伎などの古典芸能や芝居などもそうだが、パーフォーマンス・アーツ鑑賞には、出来るだけ舞台と同じような環境で観たいので、時間を適当に操作して、視聴しようとするなどはあり得ないし、そんなことをすれば、芸術、芸そのものに対する冒涜である。

   生活のリズムというかテンポというか、とにかく、寸暇を惜しんで、タイムパフォーマンスを求めて、必死になって頑張っていた若かりし頃を思い出しながら、この記事を読んでいた。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

消費者物価値上がりを避けたい

2022年08月22日 | 政治・経済・社会
   日課として欠かせない散歩なのだが、暑いので夜の散歩に切り替えている。
   先日、電池を買いたくて、スーパーに立ち寄った。
   何となく、袋詰めをしている隣の客を観ていると、赤紙の貼ってある品が多いのに気がついた。
   最近、店頭の商品の値上がりが激しいので、見切り値引き商品を狙う消費者物価高騰への防衛策の一環であろう。

   このスーパーでは、夕刻になると、賞味期限のある生鮮食料品などの期限が近づくと、2割3割、閉店近くになると半額に値下げされるので、それを狙ってやってくる客があると言うことである。
   一寸調べてみたら、弁当や寿司など、賞味期限が当日の夜であったり翌日であったりするのだが、1時間や2時間後、また、夕食で食べるのなら問題はないのであろうし、食品ロスの回避にもなって、地球に優しくて良い。

   私の消費者物価高騰への防衛策は、PB、すなわち、大手スーパーなどのプライベートブランドの購入である。
   この日買った電池も、高いパナソニックの電池ではなく、スーパーのPBの電池であった。
   以前、千葉に住んでいたときには、近くにジャスコ・イオンがあったので、PBのトップバリューを重宝していた。
   根本的には、イオンを信用していると言うことである。イオンは、しかるべき信用できるメーカーに製造を委託して商品を調達して販売しているので、それなりの満足のいく商品の質を維持しておりナショナルブランド(NB)と遜色がなく、価格が安い分、消費者には助かる。

   古い日経の記事だが、大手食品メーカーの一斉値上げに対して、
   買い手の所得が増えなければ、小売りは値上げを受け入れにくい。イオンは12月21日、PB「トップバリュ」の商品について22年3月末まで現行価格を据え置くと発表した。NBの価格上昇が消費者のPBシフトとして跳ね返れば、値上げしたメーカーはシェア低下で収益を下げる結果につながりかねない。
   大手スーパーは、消費者の節約志向が強まるとみて、PBの販売を強化しており、さらに、PBとNBとの価格差が広がって行く。
   この消費者のPBへの移動が進んで、質に差がないことが認知されると、既存メーカーのブランド価値が毀損して行く。一度、ブランド価値へのロイヤリティが崩れてしまうと、客の回帰は期待出来ず、値上げしただけで、むしろ、売り上げを減らして、自縄自縛となる。
   そうは言っても、大手メーカーなら、色々苦境回避法はあるであろうが、街のパン屋やケーキ屋と言った個人経営などの小企業では、生きるか死ぬかの瀬戸際で、日常的な経営努力では無理であって、売れ行きダウン覚悟で、値上げする以外に凌ぐ方法はないであろう。ファンの消費者が、どこまでサポートできるかである。
   多くのゾンビ企業には、政府は対応が甘いが、このような必死になって生き抜こうとしている、小店舗やイノベィティブな中小企業を必死になって守り抜かないと、日本の宝とも言うべき、公序良俗、健全なシティズンシップの社会を滅びしてしまうので、心しなければならない。
   

   今日の日経が、「食品値上げ、メーカー表明幅「未達」3割 過当競争も影」と報じた。
   食品の値上げがメーカーの思うように進んでいない。POS(販売時点情報管理)データで主要16品目の7月時点の店頭価格を調べると、3割にあたる5品目が値上げ表明幅の下限にも届いていなかった。賃上げの鈍さから家計の購買力が上がらず、値上げの受け入れに時間を要している。多くの企業がひしめく食品業界の過当競争も足かせとなっている。と言う。
   ここ何十年も殆ど賃金や給与など所得が上がらずに、デフレで価格上昇には無縁であった日本の消費者が、おいそれと、メーカーの一方的な価格上昇を、飲むはずがない。
   また、このインフレは需要増加による良質なディマンドプルではなく、急激な円安に加えて、コロナ禍やウクライナでの戦争などの外的要因によるエネルギーや食料品の高騰、原材料価格の上昇などで、コストプッシュによる悪性インフレであるので、経済が不況局面に入ると、スタグフレーションに突入して、日本経済は益々窮地に立つ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わが庭・・・酔芙蓉咲く

2022年08月21日 | わが庭の歳時記
   一寸晴れ間が出たと思ったら、また、良く分からない天気が続いている。
   少し、気温が下がったのは良いのだが、蒸し暑くて外にも出づらく、家ではエアコンが必須。

   咲き出したのに気づかなかったので、庭の酔芙蓉は、既に、淡いピンクににかわってほろ酔い機嫌である。
   芙蓉は一重が多いようだが、酔芙蓉は、八重が主体のようで、わが庭の酔芙蓉も八重咲きである。
   この花は、花気の少ない夏に咲く豪華で貴重な花だが、アサガオと同じで、惜しいことに、朝花を開いて夕方には萎んでしまう。
    花の命は短くて苦しきことのみ多かりき
   林芙美子の「放浪記」の文章だが、
   人生いくら長く生きても、そう思うときがスタートであるから、過去はご破算、
   歳を取ると、その先が見えなくて、ドンドン暗くなって行くのが苦しい。

   木が細くて、大きく伸び上がり、豊かな大きな葉を茂らせているので、先の台風で、この酔芙蓉の木だけ、強風に煽られて倒れてしまった。
   稲村ヶ崎辺りに上陸すれば、太平洋から直撃なのだが、ここしばらく、鎌倉には、大きな台風の被害はないので助かっている。
   被害と言えば、傾斜がキツいので、水と言うよりは、崖崩れであろうか、
   それよりも、富士山が噴火すれば、壊滅的であり、そちらの方が恐ろしい。
   
   
   
   
   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日テレ:阪神巨人戦を観る

2022年08月19日 | 生活随想・趣味
   久しぶりにテレビで、プロ野球の放映を観た。
   プロ野球観戦が趣味でもないし、テレビで観ることも全くという程ないのだが、今夜は、珍しくも熱心に4回くらいから最後まで観たのである。
   阪神が、8連敗の後、やっと、ヤクルトに勝って芽を出し、今夜は相性の良い巨人との戦いなので、何となく、良い試合になりそうだという予感があったのである。
   期待通り、西勇輝が完封9勝!佐藤輝明3打点!同率4位対決で、4対0で巨人に快勝した。
   プロ野球には関心がないと言いながら、阪神の勝ち負けには、気になるので、テレビや新聞やインターネットの情報には、神経質なほど拘っている。
   
   何故阪神ファンなのかと言うことだが、半世紀以上も故郷の関西を離れているが、西宮球場にほど近い西宮戎の直ぐ傍で生まれ育ち、社会人になった直後まで、阪神間で青少年時代を過ごしたので、色々な関係で、西宮球場に縁があり、コテコテの関西人であるから、理屈抜きで阪神阪神なのである。

   以前に、このブログで、こんなことを書いた。
   随分昔の話だが、「女性の好きなものは、巨人・大鵬・玉子焼き」と言う言葉が流行った。
   丁度その頃だったと思うが、流行ったかどうかは知らないが、「強そうで頼りにならないのは阪神・朝潮・日本円」と言う言葉を新聞で見て、なるほどと思った記憶がある。
   破竹の勢いで優勝街道へと突き進んでいたと思ったら、ガタガタと崩れて萎んでしまって後の祭り、そんなことで、ファンをがっかりさせたことは何度もある。
   強そうで期待を裏切るので、正に、「強そうで頼りにならない」と言う典型であった。

   さて、2005年9月に、パリで、阪神の吉田監督と一度だけ会食をしたことがある。
   吉田監督は、オリンピックを目指して頑張っていたフランスチームのコーチとしてボランティアで働いておられた頃で、私は、仕事の都合でロンドンから出かけてお会いして、色々、興味深いお話をして頂いた。

   その時の印象深い会話を採録すると、
   吉田監督とのお話だが、強烈に覚えていることが二つある。
   一つは、阪神の優勝。
   「あんた、あの時、阪神優勝すると思いました?
    そうでっしゃろ、私も思いまへんでした。
    勝ち始めたら、あれよあれよですわ。いきおいですなあ。」
   もう一つは、その翌年の惨憺たる阪神の成績。
   「どんな手を打っても、あかん時はあきまへん。
    朝起きたら、真っ先に空を見まんねん。
    なんでや思いはります?
    雨やったら、その日は、試合がないから、負けんで済みますやろ。」

    もう一度、吉田監督の話。
   「次、阪神は何時優勝すると思います?
    20年後?
    きつい事言わはるナァ。」

    ところで、
    長嶋監督が、弱い阪神が野球をダメにしていると言って阪神を立て直す為に星野監督に阪神入りを勧めたとか、
   「勝っても負けても、関西には熱烈な阪神フアンが居て、甲子園球場に来て電車に乗ってくれる、阪神電車が儲かれば良いのだ。」と言った阪神の能天気な経営理念を、星野監督は根本的に叩き潰して優勝に導いた。
   コーポレート・カルチュアを変えてしまったから阪神は強くなった。
   もう、何十年も前の阪神に戻ったのである。

   さて、次は、いつ優勝するのか、
   9連敗や8連敗を繰り返してアップダウンしていては、先が思いやられる。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ストリートビューの情報収集が危ない

2022年08月18日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   ショシャナ・ズボフの「監視資本主義: 人類の未来を賭けた闘い」は、私にとっては、門外漢で非常に難しい本であり、片手間に、少しずつ拾い読みしている。
   GAFAなどの巨大IT企業によって構築されつつある「監視資本主義」の威力の凄まじさとその恐ろしさに驚愕しつつ、読みながら、民主主義の将来さえ危うくなるのではないかと言う気にさえなっている。

   さて、日頃何となく便利に使っているグーグルのストリートビューなのだが、これが、グーグルのクルマが、風景を撮影して録画しているだけかと思っていたら、実際には、データ収拾を目的としており、そのクルマは、個人のWi-Fiネットワークから、密かに個人データを収集しているというのである。

   グーグルは、収集したのは公に送信されているWi-Fiネットワーク名だけで、Wi-Fiルーターのアドレスは識別しているが、そのネットワークで送られる個人情報は識別していないと主張していたが、
   ドイツのセキュリティ専門家の分析で、ストリートビュー撮影車が暗号化されていない個人情報を各家庭から集めていたことを裏付けられた。
   グーグルは暗号化されていないWi-Fi通信から、個人情報「ペイロードデータ」を傍受し、保存したことを、渋々認め、謝罪のブログ投稿で「場合によっては、すべてのeメールとURL、およびパスワードが補足された」という。
   テクノロジーの専門家は、収集されたペイロードデータには、氏名、電話番号、クレジット情報、パスワード、メッセージ、eメール、チャットの記録が含まれ、さらに、オンラインの出会い系の記録やポルノ閲覧記録、医療情報、位置データ、写真、ビデオ、オーディファイルまでもが含まれていることを突き止めた。
   この専門家達は、こうしたデータを纏めて、身元を確認出来る個人の詳細なプロフィールを作ることが出来る、と結論づけた。と言うのである。
   グーグルは、個人データの収集は中止したと言うが、著者は、本当だろうか確かだと誰が言えるだろうか、本当だとしてもこれまで得た膨大な情報やデータは無傷のままだと糾弾している。
   
   グーグル・マップ、グーグル・アース、等々の創意に富む多様な形状は、重要な慣行の添え物に過ぎない。その慣行とは、大量の原材料を得るために抽出構造を永続的に拡大することであって、目的は、より魅力的な予測商品を作って、より多くの顧客を惹きつけることである。
   この抽出要求は原材料の供給規模を容赦なく拡大し、行動余剰の狩りに国境は存在せず、その強奪を免れる領域もない。
   人間の経験の没収、データヘの変換、およびデータの使用をめぐる決定権の主張等がこのプロセスに影のようにつきまとい、その結果、検索から始まったグーグルのサプライチェーンは次第に拡大し、クリックやクエリから遠く離れて、さらに野心的な新たな領域を網羅するようになって、オンライン環境のすべてを包含している。
   我々の生活が、インターネットでのコンピュータが介在するあらゆる構造と接触する度にバーチャルな糸が紡ぎ出され、行動余剰という新大陸が織り上げられ、監視資本主義の指揮の下、「抽出構造」という別の目的で用いられている。
   このプロセスはオンラインで始まったが、実世界にも広がっている。グーグルが検索会社なら、何故、スマートホームデバイスやウェアラブルや自動運転車に投資するのであろう、と言う。

   我々の個人情報が、一網打尽、グーグルに抑えられているとしたら恐ろしいことだが、
   ここからは、私の理解力が不足する領域なのだが、
   AIを駆使したプログラムやディープラーニングなどで、我が個人情報を操作するエンジンが駆動して、都合の良い情報ばかり送り付けられたり、あるいは、思想的に洗脳されたり、操られたり、人知を超えたところで誘導操作されるようなことが起こりえないか、危惧せざるを得ない。
   プログラム次第では、既に選挙などで操作されているように、民主主義など吹っ飛んでしまうかも知れないのである。

   ビッグデータ時代という言葉には、何となくポジティブな印象があるのだが、中国やロシアのように政府機関ではないが、得体の知れない強大なIT企業に徹底的に監視され続ける、監視資本主義へとまっしぐらだと聞くと、心配になってくる。

   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヌリエル・ルービニ:大いなる安定から大スタグフレーションへ

2022年08月15日 | 政治・経済・社会
   ルービニ教授が、プロジェクト・シンジケートに「From Great Moderation to Great Stagflation By Nouriel Roubini」を掲載した。
   「大いなる安定から大スタグフレーションへ」
   世界経済は、何十年にも亘って経済が安定していたグレート・モデレーション(大いなる安定)が終って、急激なレジームシフトを経験している。と言うのである。
   簡にして要を得ているので、今回は、紹介に留めたい。

   1970年代から1980年代初期にかけて吹き荒れた、インフレと酷い経済不況が複合したスタグフレーションの時代を経て、1980年代半ばから、グレイト・モデレーションが到来した。先進国経済は、低いインフレ基調で、小規模の不況を伴ったものの比較的安定した成長を続け、債権利回りも好転し、米国や世界の株式などのリスク資産の価値の急激な上昇を遂げた。
   この長期にわたる低インフレは、中央銀行が信頼できるインフレ ターゲット政策に移行したこと、および政府が比較的保守的な財政政策を堅持したことによっており、また、需要側の政策よりも重要なのは、潜在成長率を高め、生産コストを削減し、インフレを抑制した多くのプラスの供給サイドの政策実現にもよる。
   冷戦後のハイパー グローバリゼーションの時代に、中国、ロシアその他の新興国経済が世界経済に統合され、低コストの商品、サービス、エネルギー、商品を世界経済に供給した。南半球から北半球への大規模な移住により、先進国では賃金が抑えられ、技術革新により多くの商品やサービスの生産コストが削減され、相対的な地政学的安定性により、投資リスクを心配することなく、生産を最もコストの低い場所に効率的に割り当てることが可能になった。
   しかし、2008 年の世界的な金融危機、そして 2020 年の Covid-19 による景気後退によって、グレート モデレーションに亀裂が入った。どちらの場合も、当初は需要ショックを考慮してインフレ率は低水準にとどまり、緩和的な金融政策、財政政策、信用政策がデフレの発生を防いでいたが、最近、需要サイド供給サイド共に齟齬を来して、急速にインフレ率が高騰し始めてきた。
   供給側では、ハイパーグローバリゼーションに対する反発が勢いを増し、ポピュリスト、排外主義者、保護主義者の政治家に好機をもたらした。収入と富の不平等に対する国民の怒りも高まっており、労働者と「置き去りにされた」人々を支援するためのより多くの政策がリンクして、これらの政策が、賃金価格インフレの危険なスパイラルを惹起している。
   さらに悪いことに、新たな保護主義 の台頭で、貿易と資本の移動が制限されて、政治的緊張の高まりで、リショアリング(および「フレンドショアリング」)のプロセスが促進されて、企業活動がグローバル市場から国内回帰してきた。
   移民に対する政治的抵抗は、人々の世界的な移動を抑制し、賃金にさらなる上昇圧力を加えている。 国家安全保障および戦略的考慮によって、テクノロジー、データ、および情報の流れがさらに制限され、新しい労働基準と環境基準は、貿易と新しい建設の両方を妨げている。
   この世界経済の分断化は深刻なスタグフレーション要因であり、また、先進国のみならず、中国などの新興大国でも人口の高齢化が進行しており、 高齢者は貯蓄を消費するのに対し、若者は生産して貯蓄する傾向があるため、この傾向もスタグフレーションを促進する。
   同じことが今日の地政学的混乱にも当てはまり、ウクライナでのロシアの戦争とそれに対する西側諸国の対応は、エネルギー、食料、肥料、工業用金属、およびその他の商品の貿易を混乱させている。
   中国からの西洋のデカップリングは、貿易のあらゆる側面(商品、サービス、資本、労働、技術、データ、情報)で加速しており、西側の他の戦略的ライバルも、更に大混乱を招く可能性がある。
   イランが核兵器の限界を超えると、イスラエルや米国による軍事攻撃を引き起こし、大規模なオイル ショックを引き起こす可能性があり、北は、定期的に核兵器を振り回している。
   米ドルが、戦略的および国家安全保障の目的で完全に武器化された今日、主要な世界準備通貨としての地位が低下し始めており、このドル安がインフレ圧力となる。摩擦のない世界貿易システムには、摩擦のない金融システムが必要であるが、全面的な一次および二次制裁により、この十分に油を注がれた機械に砂が投げ込まれ、取引の取引コストが大幅に増加している。
   それに加えて、気候変動もスタグフレーション要因である。干ばつ、熱波、ハリケーン、およびその他の災害は、ますます経済活動を混乱させ、収穫を脅かし、食料価格を押し上げている。同時に、脱炭素化への要求は、再生可能エネルギーが、ギャップを埋めることができるポイントに達し得なかったので、化石燃料容量への投資不足であったために、今日のエネルギー価格の大幅な上昇は避けられなかった。
   パンデミックも持続的な脅威であり、各国が食料、医薬品、その他の必需品の重要な供給を急いで買いだめするため、保護主義的な政策がさらに勢いを増す。Covid-19の2年半後、今サル痘に直面している。また、壊れやすい生態系への人間の侵入とシベリアの永久凍土の融解によって、数千年にわたって閉じ込められてきた危険なウイルスやバクテリアを呼び起こして、またすぐに、対処しなければならなくなるかも知れない。
   最後に、サイバー戦争は、依然として経済活動や公共の安全に対する脅威として過小評価されている。企業や政府は、スタグフレーションによる生産の混乱に直面するか、サイバーセキュリティに大金を費やす必要があるか、いずれにせよ、コストは上昇する。
   需要側では、ゆるくて型にはまらない金融、財政、信用政策が、バグではなく、新しい体制の特徴となっている。
   今日の急増する民間および公的債務 と社会保障および医療制度の巨額の資金不足負債の間で、民間部門と公的部門の両方が増大する金融リスクに直面している。したがって、中央銀行は「債務のわな」に閉じ込められていて、金融政策を正常化しようとすると、債務返済の負担が急増し、大規模な倒産、金融危機の連鎖、実体経済への影響につながる。
   政府が歳出を減らしたり歳入を増やしたりしても多額の債務や赤字を削減できないため、自国通貨で借り入れできる政府はますます「インフレ税」、固定金利で長期的な名目負債を一掃するために予期せぬ価格上昇に頼ることになる。
   したがって、1970 年代のように、持続的かつ繰り返されるマイナスの供給ショックが、緩やかな金融、財政、および信用政策と組み合わさって、スタグフレーションを引き起こすであろう。さらに、高い債務比率は、スタグフレーション的な債務危機の条件を作り出す。大スタグフレーションの間、伝統的な資産ポートフォリオの構成要素である長期債と米国および世界の株式の両方が打撃を受け、巨額の損失を被る可能性がある。

   以上、ルービニ教授は、間違いなしにグローバル経済が「グレート・スタグフレーション」に突入するという論調だが、そうなれば、失われた30年をどうしようもない日本の経済は、立ち上がれなくなる。
   日本経済の起死回生になり得ないような内容不明の「新しい経済」を標榜して、国葬などと言った無意味なお祭り騒ぎに入れ込む能天気な岸田自民党に、3年も選挙なしの国政を託して良いのか、それが、疑問である。
.

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

米の対ウクライナ軍事支援のうち最終目的地に届くのはわずか30%

2022年08月14日 | 政治・経済・社会
   Pars Todayが、”米CBS、「米の対ウクライナ軍事支援のうち最終目的地に届くのはわずか30%」”と報じた。
   CBSは「ウクライナの武装化」と題されたドキュメンタリー番組で、米国がウクライナに提供した数十億ドルの軍事援助が、なぜ同国の戦争の最前線に届かないのかという問題を調査しながら、これらの支援のうち最終目的地に届くのはわずか30%であることを突き止めました。この報告によると、西側が供給する武器のほとんどは、旧ソ連の崩壊以来腐敗により拡大したウクライナの闇市場から見つかっています。と言うのである。

   これらの武器の大半はまず、ポーランドとウクライナの国境に到達し、次にアメリカとNATO北大西洋条約機構内の米の同盟国が直ちにこれらを国境通過させてウクライナ当局に届けますが、ここから武器の行方の監視は行われません。
   去る2月末にウクライナ戦争が勃発して以来、米国はウクライナに230億ドル以上の軍事援助を行い、また、英国は37億ドル、ドイツは14億ドル、ポーランドは18億ドルの対ウクライナ軍事援助を約束してきたが、それ以降、続々増加しており、その武器の大半が、ウクライナの国境を通過した瞬間に、闇市場に流れているというのであるから驚く。
   この米国製の武器などが闇市場に出回っているというニュースは、ロシアの国営放送でも写真入りで報道されており、さもありなんと思っていたが、70%も消えているとは驚天動地である。

   戦争前から、ウクライナの政治経済は、歴代の元大統領からしてオリガルヒであり、ある意味では、ロシア以上に腐敗しているというのは自明の理ではあったが、「従来のシナリオでは、ウクライナをロシアの残忍な侵略の犠牲者としてだけでなく、自由と民主主義の気高い防波堤として描くための協調的な取り組みがなされてきて、ウクライナは東欧版デンマークであると信じられる」など、美化された理想像イメージに彩られていた。
   「現在進行中の戦争は、キエフのNATO加盟への野心とモスクワのクリミアとドンバスにおける領有権主張をめぐるロシアとウクライナの間の単なる喧嘩ではない。戦争は民主主義と権威主義の世界的な闘争の一部であり、ウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー大統領は、ウィンストン・チャーチルの遺産に勝るとも劣らない指導者である、として、バイデン大統領は、この紛争は「民主主義と独裁主義、自由と抑圧、規則に基づいた秩序と力による支配の間の戦い」であると述べた。」ことなどにも端的に表れており、日本でも、ウクライナについては、マイナスイメージで報道されることは皆無であった。

   ここで、名商大の原田 泰教授の論文「ウクライナがロシアと離れたい経済的な理由」より、図表「民主主義と腐敗」を引用させて貰うと、ウクライナの民主化は進んでいるが、腐敗指数は、酷いと言われているロシア以上であることが分かる。
   

   さて、ウクライナが、加盟候補国として認められても、マクロン大統領は、ウクライナの加盟には「数十年かかるだろう」と発言している。
   加盟には、EU側が設けている加盟の条件を満たさねばならないのだが、例えば民主主義、法の支配、人権、マイノリティーの保護が尊重される国でなければならず、EUのフォンデアライエン委員長は「ウクライナは法の支配を強化してきたものの、まだ改革の必要があり、それは汚職との戦いの実行だ」と注文をつけている。
   ウクライナでは以前から政財界の汚職の問題が深刻であり、
   汚職問題を調査する国際的NGOによると、ウクライナは世界の中で汚職撲滅度が180か国中122位で、EUの中で最も低いブルガリアでも78位のため、かなり差がある。コメディアンであったゼレンスキー大統領が3年前の選挙で勝利した要因の1つが、汚職撲滅を掲げたアウトサイダーとして期待が高かったからだが、政治基盤が脆弱で力がなくて、ゼレンスキー大統領の汚職対策には進展がみられていない。

   虎の子の欧米の援助武器が、国境を越えた途端に、70%闇市場に流れてしまうと言う、どうしようもないお粗末な救い難い発展途上国であるから、このウクライナ戦争に耐え抜いても、前途は多難である。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画:プッチーニ: ミレッラ・フレーニの《蝶々夫人》

2022年08月13日 | 映画
   NHK BS4で録画していた1974年製作の映画「蝶々夫人」を見た。
   丁度、私が米国での留学を終えて帰国して、ブラジルに赴任した年で、海外のオペラハウスでオペラ鑑賞に入れ込み始めた頃で、当時活躍していた往年のトップアーティスト総出演の貴重なオペラ映画で、実に懐かしく見せて貰った

キャスティングは、次の通りである。
蝶々さん……ミレッラ・フレーニ(ソプラノ)
ピンカートン……プラシド・ドミンゴ(テノール)
スズキ……クリスタ・ルートヴィヒ(メッゾ・ソプラノ)
シャープレス……ロバート・カーンズ(バリトン)
ゴロー……シェル・セネシャル(テノール)
僧侶……マリウス・リンツラー(バリトン)
ケイト・ピンカートン……エルケ・シャリー(メッゾ・ソプラノ)
ヤマドリ……ジョルジョ・ステンドロ(バリトン)

ウィーン国立歌劇場合唱団
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
演出:ジャン=ピエール・ポネル

   カラヤンやウィーン・フィルは、既に、コンサートホールで聴いていたが、フレーニやドミンゴをオペラハウスで観るのは、少し経ってからだが、とにかく、歌手達の若くて瑞々しい魅力は抜群である。
   まず、舞台セットだが、エミリー・ブロンテの小説「嵐が丘」の舞台のような、荒涼とした枯れ草の広がる丘の中腹に、日本風の民家が建っており、この蝶々さんの家と一面に広がるブッシュ状の枯れ草の庭で、劇が展開される。
   面白いのは、背後の丘の頂上から、蝶々さんなど、登場人物が現われる劇場仕立ての演出で、米国領事のシャープレス以外は、すべて、この上から顔を出して、劇的な登場をする。
   演出が、ポネルなので、蝶々さんの家の佇まいやセットなど、一寸、違和感を感じないわけではないが、疑似日本風景としては、かなりの線を行っていて、西欧文化との融合が忍ばれて興味深い。
   このオペラのタイトルロールを演じるミレッラ・フレーニだが、ビロードのように艶やかで美しく若々しい歌声と稀に見る優れた演技力で高い評価を得ていた当代トップのソプラノ歌手で、美人と言うよりもエキゾチックで個性的な風貌なのだが、この映画を観て、日本人女性にも引けを取らない実に美しくて女らしい素晴しい女性であるのを知って感動した。

   第1幕フィナーレの「蝶々さんとピンカートンの二重唱」の素晴らしさは抜群で、二人の将来を暗示しての演出か、ポネルの美意識なのか、荒涼としたすすき野の庭で、にいた枕が交わされるシーンは斬新で、ほんの1シーンだけ、意味深なカットが写されていて面白い。
   あの感動的なフレーニのアリア「ある晴れた日に」の素晴らしさ、
   これに呼応してピンカートンのドミンゴは、まだ、若くて30になったかならずで、冒頭はいかれポンチ風に描かれていて、腹が立つのだが、これが、美しいプッチーニのサウンドに乗せて演じるので、チグハグな感じ、
   しかし、その後、何度か劇場で鑑賞したドミンゴの青春時代の歌声を聞いて感激しきりで、演技も実に上手く、千両役者の片鱗を魅せる。

   さて、この「蝶々夫人」だが、何度かあっちこっちの劇場で観ている。
   長崎を舞台にした日本を主題にしたオペラなのだが、一時の現地妻として買ったとしか思っていないアメリカ士官のピンカートンと、一途に恋に生きる蝶々さんとの悲劇なので、ある意味では、日本人には観るに堪えない歌劇でもある。
   ロンドンのロイヤルオペラで、日本が誇るソプラノ歌手渡辺葉子の演じる「蝶々夫人」のチケットを2回取ったのだが、妻は、2回目には付いてこなかった。
   
   フレーニの舞台は、ただ一度だけ、ロイヤル・オペラで、チャイコフスキーの「エフゲニー・オネーギン」のタチアーナを鑑賞した。
   もう一つフレーニの思い出は、偶々、ロンドンからパリに飛ぶエール・フランスの機内で隣り合わせになったことである。話はしなかったが、下りるときに棚から荷物を取って彼女に手渡した。機内では、ずっと、「文字埋めクイズ」に熱中していて、軽食にも手を付けなかった。透き通るような真っ白な綺麗な肌が眩しかった。座席にチケットの半券を置いて下りたので、貰って本に挟んだが忘れってしまった。

   フレーニの母は、パバロッティの母と同じタバコ工場で働いていたので、二人は、幼馴染みであり、パバロッティが、後年、「セックス以外は何でもした間柄だ」と述べていたが、トップ歌手のこの出逢いは奇跡と言うべきであろうか。
   フレーニは、このパバロッティとカレーラスとも、この「蝶々夫人」のCDを出しているが、10歳の時に、ラジオ局の主催したコンクールで『ある晴れた日に』を歌い優勝して脚光を浴びたと言うから、プッチーニの『蝶々夫人』は、貴重なレパートリーなのであろう。

   カラヤン指揮ウィーンフィルの演奏であるあるから、素晴しいのだが、やはり、サウンドトラック鑑賞と言った感じで、音楽としては、CDやDVDに引けを取る。
   最近では、生の舞台の映画やDVDが主体となっているが、娯楽のあまりなかった昔には、このようなオペラの映画が結構あって、ドミンゴの映画も楽しませて貰った。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グーグルは当初広告に無関心だった

2022年08月11日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   ショシャナ・ズボフの「監視資本主義: 人類の未来を賭けた闘い」を読み始めて、興味を持ったのは、グーグルは、初期の段階では、広告を見下していて興味がなかったという事実である。
   関係者には常識的な知識かも知れないが、GAFAに疎い私には信じられないような事実で、巨大なハイテク事業でも、企業目的や戦術などにおいて、セレンディピティが生じることに非常に興味を感じたのである。

   まず、創業者のブリンとペイジの論文「大規模なハイパーテキストウェブ検索エンジンの構造」から引用すると、「広告に頼る検索エンジンは本質的に偏っており、消費者のニーズから遠ざかるであろうとわたしたちは予測した。この種のバイアスは検出しにくいが、市場に強い影響を及ぼし得る。・・・広告には種々雑多な動機が絡んでくるため、透明性が高く学問的で競争力のある検索エンジンにすることが重要だとわたしたちは考えている。」
   そのため、広告を担当するアドワーズチームはたったの7人で、そのほとんどは、創業者が広告に抱く嫌悪感を共有していた。
   そういうわけで、グーグルの最初の収益は、ヤフーやビッグローブなどのポータルウェブ・サービスを提供する独占的なライセンス契約に依存していた。しかし、競合社のAOLやMicrosoftなどは、ブリンやペイジが軽蔑していた手法で利益を得ていた。

   アナリスト達は、その持てるテクノロジーに比肩したビジネスモデルを作り出せるのか、その将来性に疑念を抱いていた。
   丁度その時に、ITバブルが崩壊して、シリコンバレーのビジネス環境も崩壊するにつれ、グーグルも窮地に直面した。
   2000年後半にグーグルが発した「非常事態宣言」が、ユーザーとの互恵関係を無効にし、創業者が公言していた広告への嫌悪感を取り下げる理論的根拠になった。
   投資家の不安を解消する具体策として、アドワーズに、より多くを儲ける方法を見つけるよう命じた。
   グーグルは、増える一方の行動データと計算力と専門知識のすべてを、検索クエリと広告のマッチングという単一のタスクに投入した。

   広告の利用で乗り気でなかったペイジとブリンは、広告が同社を危機から救うという証拠が増えるにつれて、2人の態度は軟化した。
   しかし、面白いのは、現実的で競争の激しいシリコンバレーでは無意味な存在である「頭が良いだけでお金の稼ぎ方を知らない人間」という立場から、2人に抜け出すチャンスを与えたと言うことである。

   私が興味を持つのは、このペイジとブリンの姿勢で、ビッグデータという前に、検索エンジンで集積したユーザーの情報が、宝の山であることを見抜けなかったイノベーターとしての悲劇で、不況で窮地に立って救われたと言うところが面白い。
   
   イノベーターのジレンマの洗礼受けたインテルは、日本企業の挑戦を受けて全く競争力を消失して勝ち目のないメモリ市場を諦めきれずに逡巡し、清水の舞台を飛び降りる一大決心をしてマイクロプロセッサへと転進して今日があるのだが、メガハイテク企業と雖も、一瞬の選択が、運命を決する。
   ビジネススクールで学んだ経営戦略や戦術論など、セレンディピティを如何に摑むかなどには、殆ど役には立たないのが面白い。
   経営は、あくまで経験と勘、謂わば芸術の世界であるとは、良く言った言葉である。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時事雑感:ウクライナ戦争のロシアについて

2022年08月09日 | 
   久しぶりに友人から電話がかかってきて、ウクライナ戦争についてなど、どう思うかを語り始めた。
   入社同期なのだが、彼は家業の園芸業を継いだので交際は社会人としての方が多く、長く日本植木協会の会長も務めた硬軟併せ持った侍であり、まだ、仕事をしていて、極めて元気である。

   私が語ったことに絞って纏めてみると、当然のことだが、このブログに書いていることばかりである。

   ウクライナ戦争だが、このまま、膠着状態が続いて、年内に終熄するはずもなく、長く続くであろう。
   プーチンについては、何らかの形で退陣に追い込まれて失脚するなど表舞台から去る可能性が高くなり、ロシアは新体制に入るが、戦争が継続するかどうかは、分からない。
   西側の経済制裁やウクライナへの軍事援助などで、ロシアの国力の疲弊が進むかについては、ハイテク製品など高度な資財が調達できないなど工業力の著しい低下など、ロシア経済にたいする打撃が進行して疲弊しつつあるが、あれだけ制裁を受けても現状を維持発展し続けているイランなどを見れば、その効果はすぐには現われず、非常に限定的である。
   それに、ソ連が崩壊して新世ロシアが胎動した直後、国家経済が壊滅状態になり、ロシア国民は、食うや食わずの極めて厳しい窮乏生活を経験してきているので、生活苦への耐乏能力は備わっており、報道や思想統制が徹底しているので、国民の暴発は極端化はしないであろう。
   しかし、いずれにしろ、欧米の制裁を受けて国際社会から排除され続けている限り、国力経済力の衰退は避けられず、もはや、大国でも一等国でもなくなる。中国に擦り寄りすぎれば、少なくとも、経済的には、従属国扱いに成り下がるであろう。
   いずれにしろ、今回のウクライナ戦争で、2~3日でケリをつけると豪語して侵攻しながら6ヶ月経っても当初の目的を果たせない惨状を見せて、如何に、ロシアが国力も軍事力も弱小な似非大国であって、張り子の虎であったかを世界に暴露した。
   その上に、ウクライナ戦争で国力を極度に疲弊させ、さらに、國際信用を失墜させ、世界の孤児に成り下がるのであるから、ロシアの行く末は極めて暗い。

   しかし、国際政治を考えるときに注意すべきは、欧米型の民主主義が主流では、なくなってしまったこと。
   世界の国や地域を対象に、公正な選挙、基本的人権、報道の自由などの観点から、民主主義の度合いを分析した結果、自由で民主的なのは60の国と地域だけで、それに対し、非民主的な国は100を超えていて、ドンドン増加していて、中国やロシアのような専制的、国家主義的、独裁主義的な勢力が強くなってきている。
   我々日本人は、民主主義は当たり前だと思っているが、世界中の遅れた貧しい新興国や発展途上国にとっては、食うことが先であって、民主主義や人権などには関心などないのである。
   それに、経済成長を策するためには、民主主義を育んで自由な民活に頼ってテイクオフするよりも、独裁であろうと専制であろうと、国家資本主義手法で中央集権的に計画経済を推進する方が、(尤も、中国やロシアなどの策謀に乗せられたり、失政などで、失敗も多いのだが)、はるかに早くて簡便であり効果的なのである。

   ロシアが、アフリカに進出していると言うが、植民地時代の宗主国よりも、受けがよいのも、その辺りにあるであろう。
   比較的、アフリカには、プロロシアの国が結構存在していて、ロシアの立ち位置については、多面的な視点から見ないと判断を誤ろう。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

体温・血圧・体重の測定が日課

2022年08月08日 | 生活随想・趣味
   最近、それも最近になってからだが、朝起きたときに、体温と血圧、風呂に入った後に、体重と体温と血圧を測るのを日課にしている。
   体重計はタニタを使っているので、BMIから骨量、内臓脂肪など細かい指標を表示してくれるので重宝している。
   殆ど、毎日同じような数字で変化に乏しいのが幸いと言うか、変わりがないと言うことで自分で安心している。

   先に、ブックレビューした「80歳の壁」で、数値への拘りが少し取れて、気が大きくなった。
   例えば、血圧だが、120~80以下でないと如何にも危ないような情報ばかりで、神経質になっていたのだが、先日先生に聞いたら、危ないのは180以上だと言うことであったので、むしろ、上が100を切ったり、下が70以下になったりすると、その方が気になり始めてきた。

   体重は、朝夕の孫娘の幼稚園への送り迎えが終った3月から、外出が一気に減ったので、散歩に心がけているが、義務感がなく暑くて大変なので、すぐに手を抜いてしまうので、手っ取り早い方法は、食事制限しか逃げ道がない。
   体脂肪や内臓脂肪がやや過剰気味で肥満体質なので、体重減少は私にとっては死活問題なのである。
   体温は、コロナ騒ぎで、頻繁に量っているが、幸い、36.5℃を越えることはない。

   コロナコロナで、後期高齢者であるために、頻繁に出かけていた観劇に東京へも行けなくなり、METライブビューイングを見に隣町の映画館へ行くのも憚られるようになり、最近は、古社寺散歩も行く気になれず、とにかく、自宅で過ごす日々の連続である。
   要するに、ジムやスポーツクラブなどには縁のない私には、運動量が極端に減ったので、体力を維持するためには、散歩する以外に方法はない。
   真夏なので、多少涼しくなった夕刻や夕食後に2~3キロ歩く程度だが、足腰が弱くなってきている所為もあって、アップダウンの激しい、何の面白みもない住宅街を散歩するので、快適と言うほどでもないのが難である。

   とにかく、早く、コロナが終熄して欲しい。
   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする