熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

木村 泰司著「名画の言い分 数百年の時を超えて、今、解き明かされる「秘められたメッセージ」(2)

2019年08月31日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   西洋絵画では、後進国とも言うべき、オランダやイギリスが、遅れて台頭して西洋絵画の歴史に、新鮮なインパクトを与えた軌跡が面白い。
   私自身、オランダに3年、イギリスに5年住んでいたので、特に、興味を持って、木村説を拝聴した。

   まず、オランダ絵画、
   さて、ギリシャで生まれ、イタリアで開花した西洋絵画は、元々、王侯貴族、知識人など特権階級の独占物で、知識教養のある一部のものであったのだが、オランダの勃興で、市民階級の台頭によって、一気に、一般社会に普及し始めたのである。

   オランダは、スペイン支配のハプスブルグ家の領土であったが、1568年に勃発したスペインとのオランダ独立戦争から、八十年戦争の結果、1648年のヴェストファーレン条約を経て独立。この間、東インドを侵略してポルトガルから香料貿易を奪い、東インド会社を設立してアジアに雄飛し、急速に、オランダ海上帝国を築きあげて覇権国家として黄金時代を迎える。
   世界中から、様々な珍しい品々が集まり、人々の収集熱が最高潮に達して、日本のバブル時代のように、絵画収集に熱狂するなど、チューリップの球根さえ投資対象となって、チューリップバブルが弾けうと言う異常な時代に突入したのである。

   この時代、オランダでは、強力な王政や貴族社会が存在せず、権力を握っていたのが裕福な商人や市民階級であったので、オランダの絵画市場の中心となったのは、上層市民や一般の富裕な市民だったが、これまで、主流であった、歴史画を掛けるほど大邸宅に住んでいたわけではなく、王侯貴族のような教養を持ち合わせていたわけでもなく、神話や宗教に精通しているわけでもないので、彼らが求めた絵画は、親しみ易いジャンル、静物画や風景画、そして、日常のワンシーンを描いた風俗画であった。
   宗教画や歴史画と比べて格下だと思われていたが、敬虔なカルヴィン派のプロテスタントであったので、この人生をキリスト教徒としていかにきちんと生きるかが、すべての土台であり、神話の世界ではなく、現実の人生の喜びを描いた絵画に対するニーズが、非常に高まって来たのである。

   興味深いのは、それ以前の絵画は、画家を丸抱えにしたり、オーダーメイドをする王侯貴族や教会など権力者たちによって支えられていたが、オランダでは、人々の収集熱の高まりに押されて、美術商が生まれて、彼らが持っている絵画から自分の好きな絵を購入するようになったことで、自然、画家たちも、そのニーズに合った、売れそうな絵を描くようになったと言うのである。
   オートクチュールではなく、絵画のプレタポルテ文化が誕生したのである。
   この時代のオランダ絵画は、百花繚乱、玉石混交、沢山の静物画、風景画、風俗画が生産された。

   そう言われれば、レンブラントは別格として、
   肖像画や風俗画の、ヤン・フェルメール、ヤン・ステーン、フランス・ハルス、
   風景がの、ヤン・ファン・ホーイェン、サロモン・ファン・ロイスダール
   静物画の、アブラハム・ファン・ベイエレン、ヘダ・ウィレム・クラース
   などのオランダ絵画の輝きが良く分かる。
   しかし、欧米に長く居て、オランダにも3年住んで、美術館博物館に、何度も通いながら、フェルメールに心酔し、レンブラントに感激しきりでありながら、ハルスくらいで、ほかのオランダ絵画に敬意を払って、鑑賞してこなかったのを、認識不足とは言え、今になって後悔している。

   さて、オランダの市民の住居だが、決して広くはないが、非常に、奇麗に整理整頓されていて、オープンである。
   私が、オランダで生活していた1985年から1989年にかけては、少しずつ治安が悪くなってきていて、アムステルダムなどの都会地では、カーテンが付けられるようになった住居が多くなってきたが、本来、オランダの家は、外部にはオープンで、カーテンなどなくて、ガラス窓だけなので、外から丸見えであった。
   オランダ人は、外から見ようと見られようとまったく気にしないようなのだが、1980年代初期に、デルフト工科大学へ留学していた同僚が、夏の夜など散歩するのが楽しみであったと語っていた。オランダは北国で冬季は日照が悪いので、他国の住宅よりガラス窓が非常に大きいので、丸見えだが、私には記憶がない。

   それよりも、この外からオープンだと言う特質を生かして、窓際に、家具や調度、それに、絵画を飾り立てて、「素晴らしいでしょう、見てください」と道行く人を楽しませてくれる。
   それに、オランダは、花の国。
   窓際に装飾された素晴らしい鉢花やフラワーアレンジメントが、それにも増して、一層華を添える。
   オランダは、正に、美しさ素晴らしさを近隣の人たちのみならず、道行く人々とも共有して楽しむと言う国民性があり、その一環が、国民挙げての花文化であろう。
   観光地に行けば当然だが、民家の小さな庭にも、奇麗な花壇があって、季節には、花々が咲き乱れている。
   美人秘書に、チューリップが咲き始めたがキューケンホフ公園へ行ったかと聞いたら、周りに花が咲き乱れているのに、何で行く必要があるのかと、怪訝な顔をされた。キューケンホフは、外人向けの観光チューリップ公園なのである。
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国立能楽堂・・・能「安達原」狂言「柿山伏」

2019年08月28日 | 能・狂言
   簡易版ショーケースの8月公演、2日目を鑑賞した。

   私が、最初に観た「安達原」の舞台は、7年前の猿之助襲名披露の歌舞伎の舞台である。
   非常に感動して、このブログでも、”七月大歌舞伎・・・猿之助の「黒塚」”で書いており、その後、能では、宝生流の金井雄資の「黒塚」、観世清河寿の「安達原」、金春流の金春安明、そして、高橋忍の「黒塚」など、結構観ているので、かなり、楽しめるようになってきている。

   この能は、平安時代の「拾遺和歌集」の、陸奥の安達が原の黒塚に 鬼こもれりと言ふはまことか
   と言う平兼盛の歌に着想を得たもので、
   陸奥にいた女性に詠んだ歌で、田舎の陸奥をからかったものだったのだが、後に、安達原には鬼が棲んでいるという伝説が広まり、その鬼を主人公にしてこの興味深い能「安達原」が作曲され、別名「黒塚」とも言う。

   諸国行脚の山伏一行(ワキ/則久英志・ワキツレ/舘田善博)が奥州安達原に至り、日が暮れたので、近くの老女(シテ/藤波重彦)の住む庵に宿を借りるが、賤女の営みである糸車を見せつつ、仏道を願いもせず心の迷いのままに生きてきた過去の自分を悔やみ、空しい人生を嘆く。女は寒いので、暖を取るために薪を取りに出るのだが、留守中に寝室を覗かないよう念を押す。一行は暫く休むが、従者(アイ/野村又三郎)が隙をみて寝室の内を覗くと、人間の屍骸が山積みになっていて恐怖に慄く。女が安達原に棲む鬼であることを知って、逃げ出すが、裏切られたと知った鬼(後シテ)が凄い形相で追ってくるが、山伏の験力によって鬼は調伏され、夜嵐の中に消えてゆく。

   これまでに、観劇記を書いているので、蛇足は避けるが、私が関心があるのは、この老女が、本当に、鬼かどうかと言うことで、その老女の素性をどう考えるかと言うことである。
   私は、どうしても、最初に観た歌舞伎の「黒塚」の印象が強く残っていて、能には全く現れない、安達ヶ原に薪取りに出た老女が、阿闍梨から仏の道を説かれ心の曇りが晴れて嬉しくなって、童女の頃を忍んで無心に踊る場面が挿入されていて、
   この第二景の、舞台背景一面に階段状に植え込まれた薄と中空に輝く三日月をバックにして、舞台上手には長唄、三味線、琴、尺八、舞台下手には小鼓、大鼓、笛のお囃子連中が陣取り、四世杵屋佐吉作曲による素晴らしい音曲に合わせて、美しい舞台で踊る猿之助の老女の踊りの素晴らしさは格別で、これこそが舞踊劇の舞踊劇たる所以であって、能舞台との大きな違いと言うか、能の名曲に想を得た歌舞伎化によるアウフへ―ベンと言うべきケースであろう。と書いた。
   それに、初代猿翁が、ロシアン・バレーから想を得たと言う東西の美的要素を名曲に凝縮した実に素晴らしい舞踊劇を、緩急自在にメリハリを付けながら滔々と流れるように踊り続ける猿之助の至芸に感動したのも、安達野の鬼ではなく、ぎりぎりの人生を生き抜いた老女の悲しい魂の叫びを表現しようと思った芸であったと思っている。
   この舞台で素晴らしかったのは、市川家宗家として、團十郎が、祐慶として最晩年の至芸を披露してくれていたことである。

   ただ、一寸異質感を感じたのは、確か、ラストシーンの隈取をして錫杖持って、山伏祐慶に対峙する大仰な鬼女の井手達で、能の舞台のように、般若の面だが、シンプルな姿で、弱さを表現した女としての儚さ悲しさを色濃く滲ませた舞台の方が、似つかわしいと思っている。

   今回の舞台は、アイも優しい女性だと言っているように、前場は、老女は鄙びた田舎に隠棲する普通の女性として描かれているが、後場では、裏切られて本性を見透かされたとして、一気に鬼女に変身する。
   歌舞伎のように、鬼女が真人間に返って成仏すると本心から信じて喜んでいたとするなら、成仏の可能性もあったであろうが、能の場合には、これまでの状況証拠から、祐慶たちが食い殺されてしまうことは必定で、何の救いもなければ、鬼女の成仏もないし、悲しい能に終わってしまうのだが、調伏されて退散すると言う結末が、更に悲しさを増す。

   数珠で打ち伏せられて、足元はよろよろ、舞台を回って、「夜嵐の音に失せにけり」、常座で、跳び返って膝をつき、立って留める。
   シテ/藤波重彦の端正な舞に、何故か、可哀そうで哀れな余韻が残る切ない幕切れを感じて印象深かった。
   それに、この能の面白いところは、深刻な曲でありながら、見てはならないと言われれば見たくて仕方なくなる凡人の悲しさ、アイ能力の野村又三郎が上手い。

   この舞台には、前半、狂言「柿山伏」が、上演されていて、名古屋の野村又三郎家の山伏/野口隆行と畑主/松田高義が、面白い芸を披露しており、3人で、3回の上演を代わり持ちしている。
   この日は、普及バージョンなので、観世流シテ方武田宗典が、冒頭、丁寧な解説を行っていたが、それでも、2時間弱の舞台で、非常に簡便で良い。
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わが庭・・・椿つぼみがついて成長

2019年08月27日 | わが庭の歳時記
   椿は、6月に、新芽が現れて、それが成長して、細く長い蕾が葉芽、丸くて膨らんだ蕾が花芽に分かれて良く分かるようになる。
   成長した椿は、間違いなく花が咲くので、蕾を気にすることはないのだが、幼苗や、2メートル以下くらいの小さな庭植えの椿には、蕾が思うように付かないので、花芽がつくと嬉しくなる。
   それに、花が咲いていた新苗を買って、大きな鉢植えにしたら、花芽を付けなくなった木もあるのは、土壌が豊かに成ると成長を優先するからであろう。

   今年は、鎌倉へ来てから育てた実生の苗と挿し木の苗に、来春に、花を咲かせようと試みてみたので、今、花芽がついているかどうかが、問題なのである。
   プロは、挿し木苗なら、3年で花を咲かせると言う。
   5月末から6月初にかけて、極力水を切って萎れる寸前に水をやり、花芽を出させようと言うことだが、これが、結構難しい。
   幸い、今年は成功して、エレガンス・シュプリーム、エレガンス・シャンパン、至宝の夫々に花芽がついたので、来春は、奇麗な花が楽しめそうである。
   それに、これも幸いと言うか、小さな鉢に移植していたので、タマグリッターズと式部の実生苗にも、花芽がついているが、これは、当然雑種なので、どんな花が咲くか分からないが、楽しみである。
   

   しばらく前まで咲き乱れていた真っ白な台湾ユリも終わって、わが庭は、花と言えば、ピンクと白のサルスベリだけで、色彩に欠けるが、クラブアップルが、小さなリンゴをつけていて可愛い。
   
   

   今日、鉢植えのバラの夏剪定を終えた。
   イングリッシュローズとそれ以外のバラが半々で、16鉢残っている。
   残っていると言う表現もおかしいのだが、栽培不如意で、枯らしてしまうのである。
   千葉に居た時の庭は、南南西向きの庭が広くて、庭木が低かった所為で、日当たりが良かったので、バラは存分に咲き乱れてくれたのだが、鎌倉の庭は、それよりも南面は広いのだが、大きな庭木が茂っているので、十分な日当たりを確保できないので、どうしても割を食う。
   それに、プランター植えのトマトを置いたので、どっちつかずとなって、バラには可哀そうな環境になってしまった。
   トマトを廃却したので、今回は、出来るだけ日当たりの良いところにバラ鉢を移して、10月の花を期待したいと思っている。

   夏剪定は、冬剪定とは違って、かなり、浅い剪定で済むのだが、その後、バラを買ったのは、京成バラ園なので、肥料として、バイオゴールドセレクション薔薇を、たっぷりと株基に施して、明日は、雨のようだが、構わずに十分に水をやった。
   庭植えしたスタンド仕立てのバラは枯れたが、オベリスク様のバラは、垣根に這わせたのが今春豪華に咲き乱れたので、手を加えることなく自然植栽に任そうと思って、肥料と水遣りだけにとどめた。
   いずれにしろ、ガーデニングが片手間でいい加減であるから、バラには申し訳ないと思っている。
   イングリッシュローズは、秋花は厳しいのだが、ベルサイユの薔薇は、楽しめそうである。
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木村 泰司著「名画の言い分 数百年の時を超えて、今、解き明かされる「秘められたメッセージ」

2019年08月25日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   絵画の始祖ギリシャから説き起こした西洋絵画史と言った感じの本だが、非常に、軽快なタッチで語りながら、含蓄のある示唆に富んだ語り口が素晴らしい。
   貴重なエポックメーキングな絵画については、その背景なり絵画の作画についても詳しく語っていて参考になるし、面白い。

   著者の示唆で最も重要な点は、西洋絵画は、感性で美術を見たり、好きか嫌いか、感動するかしないかで見るのではなく、どの絵画も、古代ギリシャに遡るまで、ある一定のメッセージを伝えるもので、そこには明らかな意図が内在しているので、そのメッセージや意図を正確に読み解かない限り鑑賞できない。と言う指摘である。
   そのためには、その時代の歴史、政治、宗教観、思想、社会背景など、膨大な知識が必要となり、それらを総括したのが西洋美術史であるから、欧米人でも現代に生きる人々は、古代や中世の人たちが何を思って生き、どんな価値観を持っていたのか、美術史を学ばないと分からない。と言うのである。

   面白いのは、日本の観光客は、「ルーヴルは詰まらなかったが、オルセーは良かった」と言う人が多いが、ルーヴル美術館にあるものは教養がないと理解できない歴史画中心のコレクションだが、オルセー美術館にあるのは教養がなくても楽しめる作品が多い。
   無教養を晒すようなものであるから、せめて、やはり、ルーヴルは最高ですわ、と言って、何が好きだと言われたときに、応えられる作品を何か用意して置けと言う。
    
   この点については、私自身、メトロポリタン博物館、ルーヴル博物館、ロンドンやワシントンのナショナルギャラリー、ウフィツィ美術館、エルミタージュ美術館、プラド美術館など多くの欧米の主要美術館を訪れて、絵画鑑賞をしてきたので、痛い程分かっている。
   ロンドンに住んでいたので、ペンギンのガイドブックを最初から最後まで読みながら、全館、絵画を一つ一つ見て回ったが、帰ってから、ブリタニカやギリシャ神話や聖書など首っ引きで復習したことがある。
   私たち日本人には、馴染みの薄いギリシャ神話やローマ神話、キリスト教は勿論、西洋史の故事来歴など、欧米人の文化文明のバックグラウンドが分かっていなければ、その絵画が、何を描き何を語ろうとしているのかを、理解することが殆ど無理で、その絵画が語り掛ける物語、すなわち、画家の伝えたいメッセージや意図を理解できないと言うことである。
   たとえば、最近感じたことだが、ダンテの「神曲」やゲーテの「ファウスト」を読んだだけで、一挙に、西洋絵画鑑賞の裾野が広がり豊かに成る。

   著者は、美術のプロになるわけではないので、「その時代のエッセンスを掴む」と言う手法で、かなり、詳しく丁寧に、個々の作品について解説を加えているが、それはそれとして面白いが、要するに、例えば、ギリシャ神話やキリスト教などの基礎知識、教養がなければ、18世紀以前の西洋絵画の鑑賞は、中々、難しいと言うことである。

   モナ・リザをはじめとして、蘊蓄を傾けた実に興味深い話が展開されていて、興味が尽きない。
   解説を加えた作品106点については、カラー写真が添付されていて分かり易い。

   一点だけ、幻想的で怪奇な作品を残したヒエロニムス・ボスについて。
   十分な宗教教育を受けた教養豊かな、しかし、厳格な道徳主義者で、悲観主義者。
   人間の業や悪業を徹底的に悲観的に描いて、死者の再生などを殆ど描かず殆どは地獄行き、
   亡くなった翌年にマルティン・ルターの宗教改革が始まると言う免罪符を売るローマ教会が腐敗の極致。
   当時の人文主義者たちはオカルトに興味を持ち、貴族たちはグロテスクな絵画に興味を持ち、ボスは秘密結社のメンバーとしてそれらの富裕層の顧客を掴み、・・・
   次のボスの「快楽の園」は、マドリードのプラド美術館で見たが、凄い絵画である。
   
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真夏は何故か読書三昧の日々

2019年08月24日 | 生活随想・趣味
   まだ、暑さが厳しいので、外出が極端に減って、家で過ごすことが多くなった。
   当然、パソコンに向かってインターネットに戯れているか、読書に時間を過ごすことが多くなってくる。
   パソコンは、書斎にあるので、移動は無理だが、読書の時には、書斎にいるよりも、気分によって、場所を移す。
   最近は、離れている和室に入って、本に向かうことが多くなった。
   エアコンの涼風に、直前に煎れたコーヒーの香りを楽しみ、窓外の緑の淡い光を感じながら、
   和室だが、座椅子ではなく、もう何十年も前から、それも、カバーを更新しながら新宿や千葉でも使っていて愛着のあるソファーに体を預けて、時を過ごすのである。
   私の場合、最近では、歳の所為もあって、本を何冊も同時に並行読みすることが多いので、意図した本以外に、数冊、纏めて本を持ち込む。
   結構、沢山の本を読んできて、間口が広くなっていることもあって、関連情報や関心が、どんどん、飛んで広がって行くのである。

   先日、F・スコット・フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」を読んで面白かったし、ダンテの「神曲」を読んで間もなかったので、ダン・ブラウンの「インフェルノ」を読み始めた。舞台が、何回か訪れて知っているフィレンツエなので、興味深いのだが、やはり、小説は苦手で、「下巻」の途中で止まっている。
   トインビーの「歴史の研究」を読み始めており、若い時に読んだサマヴェル版では、すらりと行ったのだが、今回のトインビー晩年の新版は、少し骨が折れそうで、時間がかかっている。
   人類の歩んできた歴史、文化文明史には、非常に興味を持っているので、このあたりを、もう少し掘り下げてみたいと思っている。
   欧米に居た頃には、しょっちゅう、博物館や美術館に通い詰めて、勉強できたのが懐かしい。

   さて、やっぱり多いのは、専攻の経済学や経営学の本。
   シュンペーターから、経済成長論、創造的破壊、そして、私の最大の関心事になったイノベーションに関する本は、どんどん買い込むのだが、まだ、W・チャン・キムの「ブルーオーシャン」の新版さえ読めておらず、少し、焦り始めている。

   このブログのブックレビューで、一寸変わってきたのは、その本をレビューするのではなくて、どちらかと言えば、その本を読んでいて触発された話題やトピックスについて、思いつくままに、感想や私見を書くことにしたことである。
   この数日、環境問題で、アマゾン火災など、地球温暖化や環境破壊について書いたのも、その一環である。
   歳甲斐もなくと言うべきか、まだ、好奇心が旺盛なので、新しい何かに巡り合いたくて、趣味と実益を兼ねて、読書を楽しみながら、暑気を避けつつ真夏の日々を過ごしている。
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原始林破壊の元凶は欧米先進国?

2019年08月23日 | 地球温暖化・環境問題
   先に、ブラジルのアマゾン熱帯雨林の大火災に伴う、宇宙船地球号の危機について書いた。
   アマゾンの自然環境や原住民の保護を後退させて、経済成長を策するボルソナロ大統領は、正に、人類の命運を左右する暴政を行っている。と非難した。
   しかし、もう少し、歴史の時間軸を伸ばして考えてみれば、人類の科学技術の急激な発展で、人類の営みが、自然環境を破壊するまでに至った現時点では、この大自然の破壊は、忌々しき問題だが、ほんの百年前、いやもっと直近に至る段階まで、自然環境を破壊してでも、経済開発は、善であって、望ましい経済政策であった。
   日本でも、田中角栄首相の日本列島改造論が、持て囃されていて、私なども、経済学部の学生であった頃、卒論などテーマとして勉強したのは、経済成長論であった。

   しかし、ローマクラブが資源と地球の有限性を問題にして、デニス・メドウズたちが、1972年に出版した、「人口増加や環境汚染などの現在の傾向が続けば、100年以内に地球上の成長は限界に達する」と警鐘ならしたレポート「成長の限界」を読んで、衝撃を受けた。
   その前にも、ガルブレイスの「ゆたかな社会」などの著作を読んで資本主義の暴走や、ぼつぼつ、出版されていた公害の発生など外部不経済を問題提起した経済学書から、経済成長は必ずしも総て善ではないと、その片鱗には気づいていたが、その年からアメリカの大学院に留学したので、勉強する機会を得た。
   田中首相の日本列島改造論が出たのもこの年だと言うから面白いのだが、私の経済成長論が、多少方向を変えて動き出したのも、この時からである。

   さて、一気に、表題の「原始林破壊の元凶は欧米先進国?」に話が飛ぶのだが、結論から先に言うと、問題の核心は、同じ地球であるから、ヨーロッパやアメリカにも、アマゾン級とは行かないとしても、広大な原始林・原生林が、繁茂していた筈だったが、今では、破壊と言うか開発されてしまって、その片鱗さえも殆ど残っていないと言う現実である。

   本来、ヨーロッパの森の概念は、森は生活の場から乖離されたいわば海の様なもので、一度入り込むと下界に戻れない極めて危険な所であった。
   しかし、肉食を旨とするヨーロッパは、牧畜の為に、この人を寄せ付けなかった原始の森を完全に破壊しつくしてしまったのである。
   CULTUREと言うのは、CULTIVATE、即ち、耕すと言うことであるが、文化とは、原始林を破壊して畑を耕すことだったと言う、笑うに笑えない皮肉。

   シェイクスピアの描く森は、優しくて美しい、暗い雰囲気は全くなく、時には夢のような雰囲気を醸し出す豊潤な物語の世界である。
   このように、イングランドは、何処を走っても、絵のように美しい田園風景が展開する。   
   全く原始林が残っておらず、徹底的に破壊されて、美しい田園地帯に変えられてしまって居て、コンスタブルやターナーの描く牧歌的で、しみじみと田園生活の幸せを感じさせてくれるような、そんな優しくて美しい田園地帯が延々と続く。
   山がなくて起伏が緩やかなので、いっそう、野山の風景は美しさを増す。
   私は、5年間イギリスに住んでいて、コツワルドや湖水地方は勿論、あっちこっちを車で走ったので良く知っている。
   しかし、世界への雄飛と言えば聞こえが良いが、世界を制覇する為、軍船を建造する為に、木を切り倒して、原始林を破壊し、自然を囲い込んで森や林を破壊して羊や家畜の牧場にしてしまった。
   美しいが、英国人好みに改造され訓化された人工美の国土なのである。

   パリ協定でも問題になったのは、先進国と開発途上国の問題。
   ”開発途上国からすれば、今日の地球温暖化を招いた主な原因は、産業革命以後、化石燃料を大量に消費しながら経済発展を遂げてきた先進国にあり、先進国がより多くの責任を負うべきとの考えが根強い。他方、先進国から見れば、過去の経緯はともかくとして、現在、そして将来においてより多くの排出が見込まれるのは新興国・開発途上国であり、それらが排出抑制に強く取り組まない限り、温暖化抑制は不可能である。”と言うもの。

   ここでは触れられてはいないが、環境破壊のもっと源初の問題に戻って、
   ブラジルのような発展途上国が、遅ればせながら、欧米先進国がやったように、自分たちも、国家発展のため、国民の生活向上のために、自国のの原始林・原生林を切り開いて、CULTIVATEして、何が悪い。と言う議論が、現時点で暴言であったとしても、成り立つかも知れないと感じている。

   従って、先進国が、権力を傘に着て、発展途上国に、地球温暖化対策を強要するのではなく、まず、これまでに、先取りした、環境破壊と言うタダ乗りで得た利益を還元して、発展途上国に相当の対価を支払うべく、積極的にサポートする姿勢を示さない限り、前に進めないと思う。
   アマゾンの自然環境を保存したいと考えるのなら、ブラジルへ、開発を阻止する見返りに、その権利を買い取るなり、代替すべき対価を払うべきだと思っている。
   トランプような大統領が続けば、お先真っ暗だが、ヨーロッパなり先進国に哲人政治家が登場することを願っている。
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イアン・ゴールディン他著「新たなルネサンス時代をどう生きるか:開花する天才と増大する危険」(3)

2019年08月21日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   現在、香港で、反中国デモが、天安門事件を彷彿とさせる勢いで、巻き起こっている。
   エスタブリッシュメントに対する大衆の反抗と言う位置づけであろうか、これを、ルネサンス時代に翻って見て、著者たちは、サヴォナローラ事件とルターの宗教改革運動を挙げて詳しく説いている。
   サヴォナローラの方は、短期間で収束したが、ルターのプロテスタントの方は、キリスト教会を真っ二つに分断して今日に至っているが、両方とも、ルネサンスの申し子とも言うべきグーテンベルグの恩恵を最大限に活用したと言うから、現在のデジタル革命と符合しているようで面白い。
   ベルリンの壁の崩壊は、ラジオ無線、アラブの春は、SNS、情報伝播の威力を感じる。

   免罪符に対する憤りは、現在では、ウォール街占拠せよ運動We are 99%.に典型的に体現されていると言うのだが、世界中のあっちこっちで、異常な格差拡大と富の偏重に幻滅した大衆が、大規模な抗議行動や暴動を起こしている。
   この世直しと言うべき大衆の大パワーについて、著者たちは、非常に示唆に富んだ貴重な議論を展開しているのだが、今回は、ちょっと違った切り口から持論を述べてみたいと思う。

   AFPが、「炎上するアマゾン、ネットで話題に ブラジル大統領はNGO非難」と報じていた。
   森林伐採の監視を担当するINPEが、ここ数か月の急激な森林伐採の増加を示す統計を公表して、また、近年最悪だと言うアマゾンの森林火災の頻発に世界中の非難を浴び、ボルソナロ大統領は怒りに駆られて、これに反論し、「こういったNGOが私とブラジル政府に対して人目を引き付けるために行った犯罪行為」が森林火災の原因かもしれないと指摘した。と言うのであるから、詭弁もここまでくれば言語道断。
   火災による延焼面積は現時点では計測不能だが、サンパウロ(Sao Paulo)含む複数の都市はここ数日、厚い煙で覆われていると伝えられており、民間航空便が航路変更を余儀なくされる事態にもなっている。と報じていたが、
   このアマゾン熱帯雨林の火災の凄まじさは、今日のABCニュースで、衛星から殆どアマゾン全域を覆うほどの広範囲の煙の映像と、日中ながら煙に覆われて真っ暗になった何千キロも離れたサンパウロの情景を映していて、私は、4年住んでいたので、背筋が凍る思いをした。
   アマゾンの森林は、気候変動の抑制に重要な役割を果たすとみられている。世界自然保護基金(WWF)は、森林火災が今年急増した原因がアマゾンでの森林伐採の加速にあると批判。と言うことだが、
   私が言いたいのは、世界中で蔓延しているエスタブリッシュメントに対して、そして、それらが築き上げている現在の政治経済社会に対して批判的な大衆運動は、歴史の必然として好ましいとは思っていても、その反動によるポピュリズムの急激な台頭、そして、どうしようもないような反文明反文化的なリーダーをトップに選ぶ国民大衆の愚かさを問題にしたいのである。
   例えば、地球温暖化、環境破壊の凄まじさによって、この我々の住む大地・宇宙船地球号が、現時点においても極端な異常気象によるなど危機に瀕していることは事実であるにも拘わらず、パリ協定を破棄して環境破壊産業の保護育成に励む大統領を選んだり、ブラジルのように人類の生命線とも言うべきアマゾンを破壊することに生き甲斐を感じているような大統領を頂いて地球を窮地に追い込む大衆の愚かさである。
   ニッポンでもあった「ノック青島現象」、
   チャーチルは、「民主主義は最悪の政治といえる。」と言って、逆説的に、「民主主義こそが最良である」と言ったと言われているのだが、私自身は、今の選挙を見ていて、悲しいかな、民主主義そのものが、選択を誤って、人類を窮地に追い込む危険のある政治システムだと感じ始めている。

   著者は、差し迫った大きな社会の脅威は、社会の崩壊ではなく停滞だと言う。
   特に、世界の民主主義諸国では、本当の危険は暴力による分裂ではなく、そのような重圧を解決するのには慣れている。むしろ、危険なのは、ごまかし続けて、損害を与える地球環境破壊、不平等の拡大や社会不和、機会の喪失を受け入れるようになり、現代が齎す筈の成果から大きく遅れを取ることである。と言うのである。
   地球環境の悪化も、格差拡大の被害も、今、直接、危機的な状態ではないので、殆どの人々は問題にはしていないが、間違いなく”茹でガエル”状態にあるとするならば、機会の喪失以外の何物でもとないと思わざるを得ない。

   500年前のルネサンス期には、自然は殆ど既定の事実であって、人間の制御どころか影響さえ及ばない存在であったが、今日では、科学技術の驚異的な発展によって、人類は、自然さえ左右するパワーを得て、それ故に、人為災害と自然災害の区別がなくなってしまった。
   人類社会のつながりと発展の力は、複雑さと集中の問題を生み、例えば、人類と地球の気候との関係を見ても、あらゆる科学の中で屈指の複雑な現象になってきた。
   人間の独創力、冒険主義、探検、繋がりと協力、つまり、人間が良いと考える沢山の行動が、意図しない副産物を生む典型的な集中のジレンマの気候変動を惹起。人間の活動が、地球環境の限界に達してしまっていると言う厳粛なる事実が悲劇を呼ぶ。

   これ以上、駄弁を避けるが、
   ユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」と「ホモ・デウス」を、もう一度読もうと思っている。
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イアン・ゴールディン他著「新たなルネサンス時代をどう生きるか:開花する天才と増大する危険」(2)

2019年08月19日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   興味深い著者たちの指摘は、「集合天才」と言う概念である。

   イタリアのルネサンスが、熱意ある偉大な知性の存在だけでは、天才が社会全体で爆発的に増えるのに十分とは言えない。当時中国は、テクノロジーで一歩先んじており、どの地域でも才能ある個人が、人口の一定割合居て、頼れる賢い人々が2倍もいて、1450年から1550年にかけて、西ヨーロッパの文明は、奇跡でも起こらない限り、そんな中国を追い上げも追い越しもできなかった。
   ルネサンス時代のヨーロッパの躍進は、別の重大な何か、どんな人も独特な能力の片鱗を持っていて、社会がそういう多様な片鱗を育み結び付けた時に生まれる、集合天才の存在があったからだと言う。

   レオナルド・ダ・ヴィンチは、歴史上最高のトスカーナ出身の博識家だが、決して唯一の存在ではなく、トスカ―ナのエンジニアたちは、古代世界の神殿や大聖堂、道路などの秘密、過去の解決策や技術的問題を独創的に組み合わせること、あるいは、その組み合わせを図面にして伝えることなどに精通し、レオナルドが生まれた時代や場所で高く評価され、急速に広まっていた。レオナルドが、こういう芸術の新たな高みに達したのは、ひとつには、過去に関する知識の供給と、新たな組み合わせの拡大速度が急激に増している時代に育つと言う幸運に恵まれたからだ。と言うのである。
   グーテンベルクは、古郷マインツは、ワイン醸造と硬貨鋳造と言う二つの全く異なる分野の交差点で、この技術の組み合わせで、印刷機を生み出した。
   コペルニクスは、故国ポーランドの大学を遍歴して多くの高度な学問を学び、イタリアへ移って、大陸の一流の学者たちと交流して学識を積んで、世界の天空の見方を一変した。
   ミケランジェロが、サン・ピエトロ大聖堂のドームを設計したが、集合的努力が、それを完成させたのである。
   
   前述は、どちらかと言うと、偉大な天才がイノベイティブな文化の大爆発を生み出す土壌が既に備わっていたと言う感じの記述だが、それを一気に糾合して、集合天才を生み出す土壌が、メディチ家の努力によってフィレンツエで生み出されたと言うことである。
   最近、ギボンの「ローマ帝国衰亡史」や、ダンテの「神曲」などを切っ掛けに、西洋の歴史など再勉強し始めて、ヨーロッパの中世は、決して、文化文明的に衰退していた暗黒時代であったのではなく、古代ギリシャや古代ローマ、高度なイスラムの文化を内包しながら滞留していて、ルネサンスを生み出す十分な土壌を備えていたことが、良く分かったので、この経緯が理解できる。

   もう、13年も前に、フランス・ヨハンソンの「メディチ・インパクト:世界を変える「発明・創造性・イノベーション」をレビューして以降、ルネサンスを生んだフィレンツエの文化文明の十字路、メディチ・エフェクトについて随分書いてきた。
   メディチは、銀行業で富を蓄積したフィレンツェの富豪の大公で、あらゆる分野の芸術家や学者・文化人を保護した為に、ダヴィンチやミケランジェロは勿論、画家や彫刻家、詩人、哲学者、建築家、実業家など多種多様な人々が沢山フィレンツェに集まり切磋琢磨しあった。
正に、フィレンツェが異文化や異分野の学問や思想の坩堝となり、新しいコンセプトやアイデアに基づく新しい文化を創造しルネサンスへの道を開いた。
   ギリシャの黄金時代のように、異なる文化、領域、学問が一ヶ所に収斂する交差点で、創造性が爆発的に開花する、創造性に満ちた革新的な文化運動を巻き起こしたこのメディチ効果と同じ様な現象がインパクトとなって、人類社会の文化文明のみならず、国家や企業の発展、そして、イノベーションを引き起こす原因となっている、
   経済的経営学的に観れば、シュンペーターの創造的破壊であり、クリステンセンの破壊的イノベーションの起爆力であろうか。

   さて、ルネサンス時代は、大聖堂であり大図書館であったが、現在の集合的知性天才は、何であろうか。
   その典型は、ウィキペディアやリナックス・アパッチと言ったオープンソースソフトウェア、そして、フェイスブックやユーチューブ、モバイルデータによるコラボレーション、
   多言語のウェブ、膨大な科学データ分析。
   デジタル革命によって解き放された無限に開かれた世界、今こそ、スティーブ・ジョブズを生み出せば、縦横無尽にイノベーションを爆発させ得る土壌が、備わっており、正に、第2のルネサンスだと言うことであろう。
   かって手が届かなかったものが今では当たり前になった、この現在の繁栄を生かさない手はないと言うのである。
   
   
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瀬戸内 寂聴 , ドナルド キーン対談「日本を、信じる 」その2

2019年08月18日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   子供の時に、洗礼を受けたが、無神論者だと言うキーンさんは、お墓はいらない、ライシャワー博士のように太平洋に散骨するのが良いかと思うと述べている。
   亡くなってしまえば、もう人間ではないのであるから、もしも飛行機事故で死んでも、どうぞ誰も私の骨は探さないでください。死んだ後は、どうぞ、皆さんのお好きなように。と言う。

   おそらく、日本人の殆どは、キーンさんには、賛同できないであろうと思う。
   しかし、私自身は、昔から、何故だか、分からないし、理由も何もないのだが、自分自身のお墓はなくてもあってもどっちでもよく、海に散骨して貰っても良いと思っているので、キーンさんの考え方には、殆ど異存はない。
   自然から生まれた自分であるから、地球のどこか、自然に帰れば、それで良い、と言う心境である。

   勿論、お盆や正月、春秋の彼岸など、必要な都度、先祖供養を欠かすことはないし、菩提を弔っている。
   先祖のお墓もあるし、恐らく、残った家族は、何らかの形で、お墓に納めて菩提を弔ってくれるであろうが、現実的には、我々兄弟がなくなれば、系統が途切れてしまうので、その後の墓守については、全く覚束ない。
   鎌倉の古寺には、高名な名士のお墓が、結構、沢山あるのだが、多くのお墓が、訪れる人もなく、荒れ放題となっているのを見れば、諸行無常と言うか、我々凡人には、生きた証の存在さえ、瞬時に消え失せてしまうのであろうと思わざるを得ない。

   お墓の話はともかく、
   寂聴さんの、やっぱりあの世はあると思うんですよ、と言う話が面白い。
   死んだ人は多いので、三途の川は、渡し船ではなくてフェリーに乗っての「極楽ツアー」。着いたら、先に死んだ人がずらりと岸辺に待っていて、そのまま、「歓迎パーティ」。そんな風に想像しているんです。と言う、嘘か本当か分からないような話。
   米朝の落語「地獄八景亡者戯」ばりの話で面白いが、落語も狂言も、地獄の沙汰も金次第の話ばかりで、ダンテの「神曲」地獄編とは天地の差。亡者を運ぶ三途の川の渡し守カロンは、悪党どもの亡者たちに、天を仰げるなどとゆめゆめ思うな、永劫の闇の中、酷熱氷寒の岸辺へ連行するとすごい剣幕、
   一寸、穏やかな雰囲気だが、バチカンのシスティーナ礼拝堂のミケランジェロの「最後の審判」の下方に櫂を振り上げるカロンが描かれている。

   私には、あの世があるのかないのか分からないが、路傍の石や草花と全く同じ原子や分子が集まって、私と言う肉体を形成して、そして、私と言う意識を持った生身の人間が、実際にこの世に生を得て生きていると言うことが信じられない、奇跡中の奇跡だと思っている。 
   その奇跡が、朽ち果てて、次の世界へ、どのように変異して行くのか、
   抜け殻から脱した魂と言うものが、生き続けて、また、新しい命を得て蘇るのか、輪廻転生であったとしても、前の生については、全く記憶も何もないのであるから、一世一代だと言うことであろうと思っている。

   先日、イギリスから訃報が入った。
   ロンドンで大きな開発プロジェクトを行っていた時に、一緒に仕事をしていたエンジニアリング会社の会長で、私より少し年長だったが、非常に律儀で折り目正しい英国紳士で、公私ともに随分親しく付き合っていたので、実に悲しい。
   毎年のように、グラインドボーンのオペラに誘ってくれて、昼頃から夜遅くまで、美しい広大な庭園でのピクニックパーティを交えた観劇の思い出や、何度も訪れて過ごした広い美しい庭園に囲まれたギルフォードの邸宅での楽しい交歓の日々、・・・
   興味深いのは、終戦直後に、英国軍の将校として来日した時に、ノリタケの陶磁器一式を買って帰って、特別な時には、これでディナーをサーブしてくれるなど、家宝のように大切に使っていたことである。
   我々、日本人が、ウェッジウッドやミントンやスポードや、と言って、英国製陶磁器に、目の色を変えて殺到していたのが、可笑しいと言わんばかりの惚れようであった。
   ボーンチャイナは、英国発明だが、ヨーロッパの陶磁器は、元々、日本の陶磁器のまね。
   お葬式には行けないが、菩提寺に出かけて冥福を祈った。
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瀬戸内 寂聴 , ドナルド キーン対談「日本を、信じる 」

2019年08月16日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   お互いに90歳の偉大な日本文学者と作家、3.11、大震災とキーンさんの日本帰化の話から始まるしみじみとした滋味深い対談である。
   お二人の作品や自伝などを結構読んでいて、思い出を反復するような感じではあったが、興味深かった。
   私は、本を読む時、何かを感じた時に、付箋をつけている。
   今回、この付箋に従って、感じたままを綴って行きたい。

   キーンさんは、15世紀の応仁の乱の後に花開いた東山文化は、今も息づく「日本の心」の基礎と言えるもので、畳が敷き詰められた座敷の中、床の間があって、生け花が飾られ、墨絵が掛かり、そこから庭が眺めれれるというもので、これは東山文化から生まれて日本独特の建築様式となった書院造りのイメージですと言う。
   私は、吉田神社の直ぐ側で大学生活を送っていたので、歩いてすぐの銀閣寺には、随分通っていたし、意識して訪れていた龍安寺の石庭とともに、かなり、東山文化の世界には、馴染んでいたつもりだが、やはり、日本史への関心は、奈良や平安、織豊、江戸と言った方に向いていて、鎌倉室町への関心は薄かった。
   しかし、能狂言を鑑賞するために、能楽堂へ通い始めてから、そして、鎌倉に住み始めてから、一気に、鎌倉室町に興味をもって、勉強し始めた。
   応仁の乱で、戦乱に明け暮れた世の中で、そして、廃墟と化した帝都京都で、日本文化の粋とも言うべき、能狂言、茶道、華道、庭園、建築、連歌など多様な芸術が花開いた貴重な時代であったのである。

   「無常という美学」についての二人の会話が面白い。
   「常ならず」「同じ状態は続かない」、
   それにも拘わらず、古代エジプトやギリシャ、欧米は、石造りの神殿や寺院を建て、中国は、煉瓦造りの寺院を造るのだが、日本は、木造、
   日本は、むしろ変わることを願っている、いつも同じでないことを喜ぶ面がある。
   三日で散る桜を愛し、ひび割れした陶器を金接ぎする・・・無常に、美の在り処をを見出し、それが、美学に昇華される、日本だけである。 

   寺田寅彦は、「日本人の自然観」で、次のように述べている。
   日本の自然界が空間的にも時間的にも複雑多様であり、それが住民に無限の恩恵を授けると同時にまた不可抗な威力をもって彼らを支配する、その結果として彼らはこの自然に服従することによってその恩恵を充分に享楽することを学んで来た、この特別な対自然の態度が日本人の物質的ならびに精神的生活の各方面に特殊な影響を及ぼした、というのである。・・・
   私は、日本のあらゆる特異性を認識してそれを生かしつつ周囲の環境に適応させることが日本人の使命であり存在理由でありまた世界人類の健全な進歩への寄与であろうと思うものである。世界から桜の花が消えてしまえば世界はやはりそれだけさびしくなるのである。

    先に逝った團十郎も、日本の自然は美しいが、その自然が牙を剥き、その試練が今を作ったと思うべきで、日々の糧を自然が我々に与えてくれるように、文化芸術も人間に自然が報いて授けてくれたものと私は思っている。と、寺田寅彦ばりの理論を展開していた。

   滅びる、被害で壊滅的な打撃を受ける、分かっていても、それに、抗うことなく、無常を受けて立つ、
   幸か不幸か、この挑戦と応戦の日本人の雄々しき性が、日本の豊かで高度な文化文明を育んだということであろう。

   このような美学の持ち主であるから、最近の日本の乱開発に対しては手厳しい。
   特に、ゴルフ場の日本の素晴らしい自然と風景の破壊の凄まじさには辛辣で、私は、ゴルフには全く関心がなく、ビジネスマンなら当然だとして、2組ゴルフセットを手配して、今でも、倉庫にあるのだが、イギリスに5年いて、ゴルフ場を持つジェントルマンクラブの会員でありながら、一度もプレイしたことがないので、全く同感である。
   飛行機で、羽田から北や西に飛ぶと、延々と無残なあばた模様が怪物のように緑の山野を食いつぶしている風景を見ると、悲しさを通り越して惨憺たる思いになる。
   ヨーロッパに8年いて、結構、飛行機から、ヨーロッパのあっちこっちの風景を上空から見ていたが、こんなに悲惨な光景を見たことがない。
   
   キーンさんは、大震災後に訪れた松島や瑞巌寺の観光地化の俗悪さが極に達した状態を、慨嘆し、寂聴さんは、京都の俗化、寂庵のある嵯峨野に迫る都市化について嘆いている。
   私は、見るべきところ、訪れるべきところは、出来るだけ早く、それも若ければ若い方が良いと言う主義で、幸い、大学生活を京都で送り、30歳前半から、アメリカへの留学を皮切りにして欧米生活を送ってきたので、千載一遇のチャンスとばかりに、あっちこっちを精力的に歩いた。
   今では、近づくことさえ出来ない、観光するなど大変だと言うアルハンブラ宮殿やウフィツィ美術館、それに、ミラノのレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」など多くの貴重なスポットを、俗化以前に、何度か訪れており、存分に楽しむことができた。今では、遠い記憶だけだが、本当に幸せだったと思っている。
   京都など、もう、半世紀以上も前のことであるから、まだ、「源氏物語」や「平家物語」の片鱗らしき息吹を感じることができた。その後、何度も訪れているが、強烈な思い出は、その当時のものばかりである

   さて、「源氏物語」は、二人に取って、最も重要な位置を占めた文学作品である。
   寂聴さんは、13歳の時に「源氏物語」に出会い、70歳の時から6年半かけて現代語訳した。
   キーンさんは、ナチスドイツが世界を席巻すると言う恐怖を感じながら、ニューヨークで、偶然、ウィリー訳の「源氏物語」に遭遇して、束の間、暴力の世界から逃れて、人間は何のために生きるのか、それは美のためであると、根源的な答えを見出すことができたと言う。
    ポルトガル領マディラの小さな書店で、並べた本の真ん中に、ポルトガル語の「源氏物語」が、あったと言う。

   当然、この源氏物語に纏わる話も面白いし、
   蛇足を重ねたので、付箋の5分の1にも触れられなかったのだが、秀でた文化人の人間性の滲み出た対話の素晴らしさを垣間見て、豊かな時間を過ごせた幸せを付記しておきたいと思う。
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イアン・ゴールディン他著「新たなルネサンス時代をどう生きるか:開花する天才と増大する危険 」(1)

2019年08月15日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   現代は、ルネサンス期と全く同じ歴史的な展開をしており、第2のルネサンスである。
   ルネサンスは、大規模な繁栄が生まれた稀有な黄金時代だと目されているが、決してそれだけではなく、善と悪、天才とリスクをはらんだ、大きな成功と大きな失敗のどちらかに転ぶか分からない未来に向けた戦いであった。と言うのが、著者たちの問題意識である。
   現代人に欠けているのは、生きるために必要な案内役であり道である「展望」で、五百年前、ヨーロッパに集中して、天分を発揮して社会秩序をひっくり返した、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロたちが決定的な瞬間を生きていた時代を、「以前にも経験したことがある」と認識して、現代の「展望」を得ることである。と言うのである。

   このような問題に入る前に、著者たちが語っている個々のトピックスで興味深いポイントにつて、少しずつ考えてみたいと思う。
   初めは、トランプが拘っているメキシコ国境の壁の構築や怒涛のように流れ込むシリアなど中東やアフリカからの難民など移民の問題である。

   ルネサンス期だが、(この本では、1450~1550年)、ヨーロッパ内部では、まず、
   1453年、オスマン帝国のコンスタンチノープル征服による東ローマ帝国の滅亡によって、多くのギリシャ人が、ヴェネツィア、フィレンツェ、ローマなど、イタリアの都市を目指して逃げてきた。
   東ローマ帝国は、古代ローマ帝国の東半分のローマ帝国の後継国家だが、ギリシャ人の国家であったので、この時、貴重な古代ギリシャの文化文明の遺産の多くが、イタリア社会に伝播して、ルネサンスの先駆けを演じたのである。
   以前に、ルネサンスは、ギリシャ文化を継承したイスラムから多くの影響を受けて華開いたと書いたことがあるが、このギリシャ人移民の影響も絶大だったのであろう。

   次に、注目すべきは、1492年、フェルディナンド2世とイサベル1世によるグラナダ陥落によって、スペインが統一されて、1478年から始まっていたカトリックの純粋性を旨とした異端審問と異教徒追放で、国内のユダヤ教徒に対して、改宗するか4か月以内に国外退去するかの選択を迫り、1502年にイスラム教徒へも改宗か国外退去化を迫ったので、20万人と言うユダヤ教徒を筆頭に多くの豊かな市民や有能な人材がスペインを離れたことである。
   このブログで、「何故オランダがかって世界帝国になったのか」で書いたのだが、
   1579年に建国したオランダには、元々、国の教会もなければ、ユトレヒト同盟で、信仰は自由であり、その信ずる宗教によって捜査や弾圧の対象にもなければ、改革派教会への改宗の強制も、非改宗者への罰金もないと規定されており、この例外とも言うべき宗教的寛容政策のお蔭で、ヨーロッパ中から、多くの有能な起業家精神あふれるユダヤ人など被差別民が、大挙して流入して来た。   
   特に、当時時めく一等国のスペインから追われた豊かなユダヤ人は、世界で最も裕福で、優雅で博識、洗練された商人や金融業者であったので、膨大な資金を新国家に注ぎ込み、一挙に、オランダを経済大国にのし上げた。
   1557年にスペイン王室が破産して、再び追放したユダヤ金融に頼らざるを得なくなったのであるから、皮肉と言うべきか、スペインんの今も変わらない「アスタ・マニアーナ」国民気質の悲劇であろう。

   もう一つの民族大移動を策したのは、悪名高い大西洋奴隷貿易。
   大航海時代の幕開け、コロンブスのアメリカ大陸発見からほんの数年後に始まった歴史上の人類最大の汚点、
   大々的なグローバル経済の展開に大貢献したかもしれないが、これについては、今回触れないこととする。

   さて、現代の移住の倫理だが、過去500年で完全に変わったと言う。
   特に、難民など選択の余地のない状況で故郷を離れざるを得ない者を除けば、より高い賃金や良質な生活を求めて、遥かに自由な理由で移動を決める経済的移住者で、お返しに外国経済の成長と活性化に貢献している。というのである。
   今回は触れないが、移民の場合には、有能な人材が国外へ向かうと言う頭脳流出のケースが多いのだが、必ずしも本国にとってマイナスばかりではなく、国内送金による経済的恩恵や、インドのように、在米の印僑が国内経済の活性化や発展向上に大いに貢献すると言うケースもある。
   これらのことは、アメリカや拡大EUでは、言えることであろうが、経済が成熟期に入って経済成長が止まり、国家財政が悪化しつつある今日では、難民などの流入が問題を惹起して、反移民運動が渦巻き始めて、西欧社会の危機を招いている。

   トランプは、メキシコなど中南米の難民の流入のみならず、有能な外国人へのビザ発給制限を行うなど、アメリカ・ファーストで、移民政策にネガティブだが、移民流入によって、最も利益を享受しているのは、アメリカ自身であることを考えれば愚の骨頂と言うべきであろうか。
   グーグル、インテル、ペイパル、テスラの創業者は、皆移民だし、シリコンバレーの全新興企業の過半、過去10年に創設されたアメリカの全テクノロジーおよび工学系の企業の25%で、移民が経営のトップに立っている。全米のノーベル賞受賞者、米国科学アカデミー会員、アカデミー賞受賞監督に占める移民アメリカ人の数は、現地生まれのアメリカ人の3倍だと言うから、アメリカ社会と言うか、アメリカそのものが、文化多様性とイノベイティブなDNAを投入した移民に支えられてきたと言うことであろう。

   著者たちは、移住の原動力の第1は、金銭上の理由、第2の原動力は、世界の発展と人口増加、第3の原動力は、切羽詰まった事態である。と言うのだが、問題は第3。
   災害や迫害があれば、最早安全を保障してくれない故郷を捨てざるを得ない。
   シリア内戦を逃れた何百万人の難民、リビア、エリトリア、イラク、アフガニスタン等々、雪崩を打ったようにヨーロッパへ押し寄せる難民問題を、どうするのか。
   今や、ヨーロッパ社会をも危機に巻き込んで、文化文明を震撼させている。
   
   シリア内戦などは、冷戦が終わったとは言っても、米ロの代理戦争であって、シリアの軍事基地を維持したいロシアが、アサド政権支持を覆さない限り終結不能であるし、無政府状態のアフリカ諸国にはどうして秩序を確立するのか、
   民主主義国家間には諍いはあっても戦争はないと言うが、世界には、まだまだ、独裁国家や民主主義から程遠い未開国家が存在しており、
   著者たちは、何も言わないが、   
   ルネサンスは、「善と悪、天才とリスクをはらんだ、大きな成功と大きな失敗のどちらかに転ぶか分からない未来に向けた戦いであった」と言うから、
   第2のルネサンスのこの問題は、自分たちで考えろと言うことであろうか。

   豊かな太平天国で惰眠を貪っている富者も、生きるか死ぬか地中海の荒波を木っ端のような小舟で呻いている難民も、同じ宇宙船地球号の同乗者であって、運命共同体であると言うことは忘れてはならない、このことだけは確かである。
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World Happiness Report 2019、日本は先進国最低の58位

2019年08月13日 | 政治・経済・社会
   国連と米コロンビア大学が設立した「持続可能な開発ソリューション・ネットワーク(SDSN)」が、恒例のWorld Happiness Report 2019を発表した。
   2019年版の世界幸福度ランキングは、フィンランドが2年連続トップで、日本は先進国で最低の58位、日本人が思うほど、日本は幸せな国ではないのである。
   to support well-being: income, healthy life expectancy, social support, freedom, trust and generosity. の6項目を評価するのだが、
   日本の評価は、1人当たりのGDPが24位、健康寿命は2位で、まずまずだが、social support, freedom, trust and generosityに至っては、汚職の無さ39位、社会的支援が50位、社会的自由64位、寛容さ92位で、目も当てられないような、惨状であり、文明国から程遠いと宣告されているようなものである。
   
   
   
   尤も、私自身は、この評価方法なり、評価結果については、大いに疑問を感じていて、そのまま、鵜呑みにすべきではないと思っている。
   例えば、コスタリカが12位で、メキシコ、チリ、グアテマラ、ブラジル、パナマなど中南米諸国の殆どの国が、日本より、遥かにランクが上だとは、信じられないし、UAE、カタール、サウジアラビアなどの中東諸国などにも、後れを取っているとは、どうしても思えない。

   私自身、Japan as No.1の時代から、バブル崩壊直後くらいまで、欧米に居て、切った張ったのビジネスに明け暮れていたので、今回、引き続いて評価の高い旧ヨーロッパは勿論、フィンランドと北欧諸国、解放された東欧などは、遥かに、経済的に下位の国で、貧しささえ感じていた程だったが、失われた30年で、鳴かず飛ばずの日本が、これほど、悲惨な状態に落ちぶれたのかと思うと、実に悲しい。
   成長成長で、快進撃していた時には、すべて隠れていた残滓が、停滞の一途を辿って下降を続けた不況下で、政治経済社会の制度が、時代の潮流にキャッチアップできずに、制度疲労を起こして、ポンコツ化して機能しなくなった時期に、一気に噴出したと言うことであろう。
   総合評価はともかくとして、social support, freedom, trust and generosityの低評価は、日本の社会構造そのものが、棄損したと言うと言い過ぎであろうが、病的な状態にあると言っても過言ではなかろう。
   日本に居て、どっぷりと日本の生活に慣れてしまうと、政府の福利厚生などの社会保障制度や、自由制度や社会や他者への信頼や寛大さなど、特に悪いとも思わないし、それ程、不満は感じられないのだが、世界的な水準から言えば、随分、劣っているのであろう。

   私が、今、日本社会で、一番問題だと思っているのは、先進国でも最悪に近いと言われている貧困率の高さで、先日、TVで、15.7%だと報道していた。
   給食代を払えない子供や学校に行けない子供が増えていると言う。
   私が、小学生の時、貧しくて弁当を持って来れない友達がいて、皆が、弁当を食べている時に、運動場に出て遊んでいるのを見て、子供心に悲しい思いをした。
   尤も、弁当と言っても、宝塚の田舎でさえ、多くは、麦飯に、梅干し一つの日の丸弁当で、アルマイトの蓋の真ん中に大きな穴が開いていたのだが、それでも、親は必死だった。

   もう、あれから、80年以上も経ち、飽食の80年代も経験した日本で、悲惨な終戦後と同じような悲しい風景が現出している。
   強者・富者しか眼中にないと思しき安倍内閣の能天気ぶりの政治の欠陥の一つは、この、益々、格差社会が進行して、貧困率の上昇とともに、生活の困窮した家庭が、悲惨な生活に喘いでいる状態にも拘わらず、何の有効な政策をも打っていないことである。実に悲しい。
   時事が、「子どもの貧困、初の全国調査=来年度、統一指標で実施へ-政府」と報じているが、そんな悠長な話ではないのである。
   消費税のアップなどと言う大衆課税ではなく、ほんの少し資産税をアップして、再分配すると言うのも一法であろうと思うが、
   この貧困率対策の悲しい一点を評価して、2019年版の世界幸福度ランキングで、日本を58位にするのなら、私は、納得する。

   さて、このWorld Happiness Report 2019は、130ページ以上の大冊。
   昨年は、移民の動向を扱ったようだが、今回は、デジタル・テクノロジーなど、新しい潮流にも目を向けている。
   興味深いのは、Happiness and Community: The Importance of Pro-Socialityにおいて、
   Generosity (寛大さ)が、個々人のポジティブなコミュニティ参画や人間関係の構築を促し、その人々の向社会性が、人々の幸せを増進する。社会や人々の寛大さと幸福とは、強力なリンケージ関係があり、その存在を証明していると、社会の寛大なオープン性の重要性を強調している。
   この点から言っても、日本は、都市化、東京一極集中が極端に進んでしまって、益々、個々人が孤立化して閉鎖社会へと進んでいるようで、我々が子供頃に普通に存在した人間としての温かい触れ合いのあった社会から遠ざかっていくのであろう。
   寛容さが92位とは、殺伐たる昨今の異常な事件を思えば、慙愧に耐えない。

   Happiness and Digital technologyでは、我々を取り巻く多くのコミュニティ、自分自身の生活指針、種種のコネクトなどを理解するためのデジタルテクノロジーについて、デジタルユースやソーシャルメディア、ビッグデータなどとの人間の幸福について分析していて面白い。

   また、Addiction and Unhappiness in Americaで、レポーターの一人ジェフリー・サックス教授が、アメリカ社会に蔓延しているドラッグ、アルコール、食品、肥満、インターネット使用に対する異常な常用癖依存症に警告を発して、公費によるメンタルヘルス・サービスの早急なスケールアップと薬品会社や食品会社など関係機関の規制強化を提言している。

(追記)ウイルスバスターを迂回した強烈なWeb脅威のアタックがあったので、数日前のブログ記事を2編削除しました。
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フランシス・スコット フィッツジェラルド著村上春樹翻訳「グレート・ギャツビー」

2019年08月11日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   久しぶりに、文学書を読んだ。
   フランシス・スコット フィッツジェラルドの名作だと言われている「グレート・ギャツビー」で、村上春樹翻訳の本だと言うから、文句なしに食指が動いた。
   学生時代に、ヘミングウエーを結構読んだのだが、文学作品を読むのは、シェイクスピアくらいで、これは、観劇のために必須だから愛読したのだが、当初から同じ読むのならと、無謀にも「戦争と平和」など大作から入ったので、続く筈がなかったのである。

   英語の翻訳本を読んでいると、専門書などでは意味不明が結構多くて、原書を参照して初めてわかると言ったケースが多いのだが、翻訳者が、原書の国家社会は勿論、その専門分野に精通した知識を持っていることが必須であるのだが、
   この本で、村上春樹は、人生で巡り会った最も重要な意味を持った作品だとして、この小説の翻訳が最終目標であり結果であると、如何に大切に翻訳に努めたかとを説いている。
   この小説の誕生と描かれている時代は1世紀前だが、「現代の物語」として、そして、作者の優れた音楽を思わせる優美な独特の素晴らしいリズムを大切に翻訳したことを語っているが、この小説に限って、小説家であることを、想像力を、可能な限り活用して翻訳したと言うのが興味深い。
   私は、村上春樹の小説を読んだことがないので、分からないが、この「グレート・ギャツビー」が、最も美しい作品の一つなのであろうと、静かに音読させてもらった。

   村上春樹は、「グレート・ギャツビー」を、「このひと夏の美しくも哀しい物語」と言う。
   シェイクスピアの「真夏の夜の夢」とは、違った雰囲気ながら、実に儚い一瞬の真夏の夢である。

   ロング・アイランドの宮殿のような豪華絢爛たる豪邸で、毎夜のように催される華麗な大パーティ、得体のしれない大富豪ギャツビーの繰り広げるこの物語の舞台だが、
   ギャツビーが、生まれて初めて知った良家の娘ディジーへの愛を取り戻したいための虚飾の世界、
   ギャツビーとの邂逅で、夫との別れ話で錯乱したディジーの運転する車が婦人をはね、同乗していたギャツビーが、運転者と誤解されて、その夫に豪邸の庭で射殺される。
   あんなに絢爛豪華に輝いて、豪華客で犇めいていたギャツビーの築き上げた世界だったが、「触らぬ神に祟りなし」か、葬儀には、デイジーからも連絡さえなく、疎遠であった父親以外は誰も寄り付かない悲しさ。

   極貧生活から立ち上がって、怪しげなブラック・ビジネスで、巨万の富を築き上げて豪華パーティに明け暮れるギャツビーだが、初恋に目覚めた少年のようにディジーのみを思い続けて、この小説の語り部・隣の住人ニックに紹介を頼み込んで、少しずつ、おずおずと再会へとアプローチして行く初心な姿が、清々しい一服の清涼剤で感動的。
   西部と憧れの東部、生活階級の差、経済の高揚期、当時のアメリカの世相を反映していて、興味深い。
   諸行無常、日本の物語に通じる雰囲気があって、しみじみと味わいがあってよい小説であった。

   私は、アメリカでは、大学院生の生活であったので、豪華パーティは知らないが、ロンドンでは、結構、参加する機会があったので、この小説の世界は、少し、分かるような気がする。
   とにかく、欧米人は、何かと言うと、パーティ、レセプションで、毎夜出歩いている人も多くて、このギャツビーの宴会でも、招待されない飛び込み客が大半だったと言うのが良く分かる。
   尤も、ロンドンでは、チャールズ皇太子やダイアナ妃、それに、皇太子時代の天皇陛下のレセプションなどでは、入場者のチェックは当然厳しかった。
   
   ロバート・レッドフォードやレオナルド・ディカプリオの映画「華麗なるギャツビー」を、WOWOWで録画していたのだが、残念ながら、消去してしまって見られなかった。
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老いの足音が聞こえてくる

2019年08月10日 | 生活随想・趣味
   最近、急に老いを感じるようになった。
   親しい友も、既に、何人か逝ってしまっている。

   まず、老いの指標としての歯目足、その退化を考えてみる。
   歯は、32本のうち、奥歯など4本は抜いたが、後は健在であったのだけれど、この5~6年、急に虫歯になったり歯が欠けたりして、歯医者に、通うようになった。
   8020運動には、まず及第するであろうが、どんなものでも、バリバリと噛み切っていた頃を思うと少し寂しい。
   目は、近眼のままで、遠近用と、パソコン用に、3つの眼鏡を使い分けているが、この方は健在で、10時間読書を続けても苦痛にはならなし、観劇にも問題はない。
   問題は足で、歳と脊椎管狭窄症の気が加わって、痛みや足腰の不安が少しずつ出てきて、無理な遠出は避けるようになってきた。
   まだ、杖を使ってはいないし、外出すれば日に1万歩くらいは歩けるので、当分は大丈夫だとは思ってはいるのだが、まず、意識して体重を下げる努力をしている。

   頭の方だが、少し前に、MRIを取ってもらった時に、しわが十分あるので問題はないと医師に言われて、ホッとした。
   記憶力の衰えや物忘れは、昔からの性癖なので、気にはしないようにしている。
   自分自身で感じれる頭の老いの指標は、読書力だと思っているので、これは、少しでも、鑑賞能力や理解力が衰えれば、分かるような気がしていて、今のところは、特に不都合はないと感じている。
   もう一つの判断の目安は、このブログだが、書き始めて5200日以上になり、14年以上続いているのだけれど、自分自身での判断では何だが、書き続ける能力等には、特に、変わったようには思えない。
   むしろ、歳の所為と言うべきか、歳を取ったお陰で、経験や知識が増えたために、以前には理解できなかったり気付かなかったことが分かり始めてきて、内容によっては、中身が豊かに成って来たような気もしている。
   いずれにしろ、このブログを日課にして書き続けていることは、結構、本や参考書をチェックしたり資料を繰ったりしているので、頭の体操になっているのではないかと思っている。
   
   もう一つの老いの指標、歯目〇〇の〇〇の方だが、歳相応と言うことにしておこう。
   まだ、チャーミングで美しいヒトへの憧れは、全く衰えていないので、喜んでいる。

   歳を経ると言うことは、徐々に、終幕に向かっていると言うこと。
   見るべきものは見つ、そんな知盛の心境になったつもりでいても、
   日頃、何の気なしに楽しんでいる能狂言などの観劇、花々との交感、そして、余暇の殆どを費やしている本との対話、カメラを抱えての鎌倉散策・・・このような一寸した平凡な日々の生活さえもが、何時か、それも、そう遠くない未来に一瞬にして消えてしまうと言う・・・そんな思いが、フッと頭を過ると寂しくなってくる。

   とにかく、今日も無事に過ごせたと、感謝しながら終えられ、その幸せを噛み締めている日々であり、有難いことだと思っている。
   良いのか悪いのか分からないが、まず、臨終のことを考えて、運命に任せて従容と受けて立つ以外にないと思っているのだが、それができるかどうか、最後の挑戦となろう。
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インターネットでの観劇チケット取得が困難になってきた

2019年08月08日 | 生活随想・趣味
   私は、最近、遠出が多少億劫になって、東京での観劇機会を、意識して減らしている。
   クラシック音楽は、都響の定期だけだし、シェイクスピアなど西洋戯曲鑑賞は殆ど行かなくなったし、歌舞伎も減った。
   しかし、行く回数は減ったものの、殆ど、国立能楽堂だが、少なくとも、能狂言だけは、人並みに鑑賞できるような域に達したいと思って、これは諦めてはいない。
   もう一つ、やはり、浄瑠璃への魅力と言うか、文楽にも相変わらず強い興味を持って通っている。

   さて、観劇チケットの取得だが、国立劇場関係が主体であるから、国立劇場チケットセンターに大変お世話になっている。
   あぜくら会と言う会員組織があって、チケット取得に優遇権を付与してくれているので、これを利用していて、結構重宝している。

   今月初は、9月分のチケットの予約を行うのだが、あぜくら会は、一般販売より、1日早く予約できると言うプライオリティが与えられており、たとへば、文楽は、5日、能狂言は、8日の10時が、インターネット予約のオープンとなる。
   これが、最近では、予約が殺到して、インターネットが繋がらないのである。

   今日も、能狂言の予約日だったが、10時から、10分以上繋がらなくて、繋がった時には、思うような席が残っていなかった。
   特別公演は、人間国宝梅若実の能「卒塔婆小町」であり、定期公演は、人間国宝野村四郎と大槻文蔵の能「蝉丸」であるから、1時間ほどで、あぜくら会分は、完売である。
   他の2公演は、チケットが残っているが、多くはない。
   完売しても、627席なので、能狂言の愛好者からすれば、大変なチケット争奪戦で、私のように、良く分からない門外漢が加わるので、人気公演は、チケット取得が困難なのである。
   明日の朝、ほかのチケット販売機能でも一般販売がオープンするのだが、瞬時に、ソールドアウトするであろう。

   国立劇場チケットセンターの予約ページには、
   ・営利目的によるチケットの転売、インターネットオークション等への出品は禁止しております。と書いてはあるのだが、10分間も、錯綜してインターネットが繋がらないと言うのは、プロなり専門の代理人が介在しているとしか思えない。
   電話での予約は殆ど不可能に近く、能楽堂の見所での客筋が、殆ど老年であることを考えれば、私のように、10時にパソコンの前に待機して、ネット画面と奮闘している御仁とは、到底思えないのである。

   マイケル・サンデルは、ダフ屋が、ホームレスを並ばせてチケットを買わせて高額転売していると書いていたが、いくら高額でも、チケットが手に入れば、御の字だと言う金持ちがいる限り、この公演チケットの代理取得は、資本主義の市場経済が機能し続ける以上、消える筈がない。

   ところで、国立小劇場での9月文楽の第一部「心中天網島」は、7日から23日までの全公演完売である。
   橋下の嫌がらせが無くても、日本の誇る古典芸能の華である文楽は、人気絶頂なのである。
   しかし、この時にも、チケット取得初日には、インターネットが錯綜した。

   私は、歌舞伎座のチケットは、歌舞伎会に入会していて、これで、チケットを予約しているが、これでも、プライオリティのない単なる歌舞伎会のメンバーでは、思うような席のチケットは、殆ど、取得不可能である。
   日本が、少し豊かに成ったのか、歌舞伎ファンが増えたのか分からないが、歌舞伎のチケットが取得困難になってきているのは事実であろう。
   これは、若手歌舞伎俳優の人気が、高まって来た所為で、良い傾向だと思っている。

   いずれにしろ、これから、日本の国も、すべてが、オリンピック・パラリンピック・シフト、それに、万博も近づいており、文化芸術そしてパーフォーマンス・アーツも、一気に花盛りとなって、外国人に向かって、大きく門戸を開くであろうから、益々、チケット取得が困難になるであろう。
   一寸、憂鬱だが、そうなれば、「見るべきものは見つ」と言う心境になるのも、一手かも知れないと思っている。
   とにかく、、膨大なDVDが、手元に残っているのであるから、これを捨てておく手はないと思ってはいる。
   それに、METライブビューイングのように、歌舞伎も映画館でやっていて、見ごたえ十分である。
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