熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ジャレド・ダイアモンド著「歴史は実験できるのか――自然実験が解き明かす人類史」

2018年08月30日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   ジャレド・ダイアモンドの新しい本だが、これは、共著編集本で、歴史学の新しい試み、すなわち、歴史の自然実験(原題:Natural Experiments of History )の本なのである。
   ダイアモンドについては、ナショナル・ジオグラフィックの記事などで、早くから注目しており、「銃・病原菌・鉄」「文明崩壊――滅亡と存続の命運を分けるもの」「昨日までの世界――文明の源流と人類の未来」などの主要著書を買い込み、TV放映の講座などを録画しているのだが、残念ながら、まだ、積読、積録で、本格的なダイアモンドへの挑戦はミスっている。

   ダイアモンド自身、B.A.Harvard、Ph.D., University of Cambridgeで、UCLAの地理学部の教授であり、専門は、歴史学と言うよりは、Geography and Human Society; Biogeography であり、文理両道の学際に秀でたもっと奥が深い学者なので、文化文明論が面白いと思う。

   さて、本来、歴史学は、自然科学の実験室のように実験を行なえない。しかし、近年、歴史学分野においても、計量・統計分析が洗練されてきて、ラボ実験やフィールド実験と言った自然実験に似た研究が行われるようになってきたと言う。
   この本は、歴史学者のみならず、考古学、経済学、経済史、地理学、政治学など幅広い専門家たちが、夫々のテーマで、比較史や自然実験方式などで分析した論文を集めたもので、先進国から発展途上国、太平洋の島々に至るまで、また、時代は過去から現在まで幅広く、色々な文化文明の歴史を比較検討していて、非常に面白い。

   本書の内容は雑多でバリエーションに飛んでおり、殆ど脈絡がないので、今回は、ダイアモンドの「ひとつの島はなぜ豊かな国と貧しい国にわかれたか―――島の中と島と島との間の比較」と言う論文が、非常に興味深いので、これについて考えてみたい。

   まず、最初の分析は、ハイチとドミニカ共和国の際立った比較で、カリブ海に浮かぶ、同じイスパニョーラ島を、東西に政治的に分断されているのだが、上空から見ると、直線で二等分された西側のハイチの部分はむき出しの茶色い荒地が広がっていて、浸食作用が著しく進み、99%以上の森林が伐採されている。一方、東側のドミニカ共和国は、未だに国土の三分の一近くは森林に覆われている。
   両国は、政治と経済の違いも際立っていて、人口密度の高いハイチは、世界有数の最貧国で、力の弱い政府は基本的なサービスを殆どの国民に提供できない。一方、ドミニカ共和国は、発展途上国ではあるが、一人当たりの平均国民所得はハイチの6倍に達し、多くの輸出産業を抱え、最近では民主的に選ばれた政府の誕生が続いている。

   このハイチとドミニカ共和国につて、位置関係などを、google earthの航空写真を借用して掲載すると、国境の緑地の差が朧気ながらも理解できる。
   
   
   

   さて、この発展の違いはどうして起こったのであろうか。
   ドミニカ共和国に比べて、ハイチは山勝ちで乾燥が激しく土地は痩せていて養分が少ないと言った当初の環境条件の違いに由来している分もあるが、最も大きいのは、植民地としての歴史の違いだろうと言う。
   西側のハイチはフランスの、東側のドミニカ共和国はスペインの夫々の植民地であったのだが、その宗主国の奴隷制プランテーション、言語、人口密度、社会の不平等、植民地の富、森林破壊などに関して大きな違いを生み出し、これらの違いが、独立戦争への取り組みの違いを生み出し、次に海外投資や移民への受容性の違いを、そして、欧米各国による認識の違いを生み出した。さらに現代、独裁者の在任期間の違いを生み出し、最終的に両国の条件は今日全く異なってしまったのだと言うのである。
      
   ところで、この国境の景観の違いについては、ダロン・アセモグル&ジェイムズ・A・ロビンソンが、「国家はなぜ衰退するのか」で、ダイアモンドと同じように、アメリカとメキシコの国境を跨いで併存するレガノス市の景観が、アメリカ側とメキシコ側とでは如何に違うかを比較して、文化文明論を展開しているのだが、この見解とダイアモンドの主張とを比べてみると、非常に興味深い。
   アセモグルたちは、 国家が成長し、あるいは、衰退するためには、色々な要因が考えられるが、包括的な政治・経済制度が繁栄とのつながりがあると考えている。
   所有権を強化し、平等な機会を創出し、新たなテクノロジーとスキルへの投資を促す包括的経済制度は、収奪的制度よりも経済成長に繋がり易い。収奪的制度は多数の持つ資源を少数者が搾り取る構造で、所有権を保護しないし、経済活動へのインセンティブも与えない。
   包括的経済制度は、包括的政治制度に支えられ、かつ、これを支える。
   包括的政治制度とは、政治権力を幅広く多元的に配分し、ある程度の政治的中央集権化を達成でき、その結果、法と秩序、確実な所有権の基礎、包括的市場経済が確立されるような制度である。
   一方、収奪的政治制度は、権力を少数の手に集中させるために、その少数がみずからの利益のために収奪的経済制度を維持発展させることに意欲を燃やし、手に入れた資源を利用して自分の政治権力をより強固にする。収奪的経済制度は、収奪的政治制度と結びついて相乗効果を発揮して、益々、国家を窮地に追い込んで悲惨な状態を顕現する。と言うのである。
   前者をアメリカ、後者をロシアだと考えれば、よく分かるのだが、したがって、同じ後者の中国については、当然、その経済成長は持続しないと言っているのが面白い。
   いずれにしろ、ダイアモンドは、前近代的な文明について論じているので、アセモグル論とは次元が違うので、同列には論じられないであろうが、成長発展および衰退論については、私の関心事なので、これまでにも、このブログで、シュンペーターをはじめ多くの経済学者や、ニーアル・ファーガソンやグレン・ハバード、ティム・ケインなどの見解など、色々書いてきている。

   さて、ダイアモンドの後半の分析は、太平洋に点在する多くの島の中で、何故、イースター島だけが、完全に森林が破壊されてしまったのかである。
   太平洋の島々を、森林破壊に関する九つの環境変数について、詳細なデータセットが統計的に大きな効果を発揮して、その要因を突きとめ得たと言う。
   イースター島は、太平洋で最も壊れやすい環境に人が住み付き、厳しい環境の中で、木の再生産は何処よりも低いレベルにとどまっていたからだ。と言うのである。
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アレックス・ロス著「未来化する社会」コード戦争時代

2018年08月29日 | 書評(ブックレビュー)・読書
    先にレビューしたアレックス・ロス著「未来化する社会」のコード戦争時代の章は、トランプの中国との貿易戦争やロシアの大統領選挙介入などが、現実味を帯びてきて、その方面のことがビビッドに描かれていて、非常に面白い、

   トランプ大統領は、中国による知的財産権の侵害などを理由に通商法301条に基づき、中国からの幅広い輸入品に高い関税を課す制裁措置を発動と言うことだが、a presidential memoは、あくまで、 "targeting China's economic aggression.

   しかし、従来からも懸念されていたのだが、アメリカが、中国に関して、知的財産権に関してクレームをつけて、「知的財産権の正常化」を要求するのは、当然だと言うことは、この本を読んでよく分かる。
   読まなくても、中国が、アメリカにキャッチアップすべく開発してきた、例えば、自動車やステルス戦闘機などを見れば、アメリカの先行製品と寸分違わず、完全なるコピーであることからも、スパイ行為は一目瞭然である。

   中国が、手の込んだサイーバー攻撃を推進するようになったのは、2000年代初め頃からで、ルーツは産業スパイで、国有企業や国家支援企業に役立つ知的財産や企業秘密を盗み続けて来た、中国のサイバー戦略は、国家の軍事戦略および経済政策と一致している―――たとえ世界中の怒りを買おうとも、中国企業の利益を何が何でも後押しする。
  アメリカの企業、軍、政府当局の元高官たちからなる団体が、2013年5月に発表した結果によると、中国に盗まれた知的財産の年間損失額は、3000億ドルを超え、アメリカが全アジア圏への年額輸出額に匹敵すると言う。
   アメリカのサイバーセキュリティ企業が、中国人民共和国解放軍PLA61398部隊に焦点を絞って、中国のサイーバー能力の規模と実体について報告したが、拠点は上海の浦東地区、20のサーバー小隊を有し、潤沢な資金に裏打ちされた極めて高度な攻撃能力を保持しており、この部隊は、2006年以降、IT,運輸、金融、医療、教育、エネルギー、鉱業などあらゆる業界の企業―――大半がアメリカ企業―――を攻撃した張本人だと言う。
   勿論、中国政府は、告発されても、知らぬ存ぜぬの一点張り、
   しかし、興味深いのは、中国は、盗みはするが、市場を混乱させかねない完全性への攻撃にまで乗り出そうとはしていない。と言うこと。つまり、世界第2位の経済大国である中国にとっては、世界経済の安定性と経済成長は極めて重要なファクターで、サイーバー攻撃で世界を混乱させれば、損額を被るのは、中国そのものであるからである。
   中国は、世界を舞台にしたサイバー空間のグレイゾーンを巧みに利用している、この戦略戦術は、尖閣諸島や南沙西沙へのアプローチとそっくりの姑息な手段であろうか。

   さて、もう一つ、トランプが窮地に立っている問題は、ロシア疑惑の問題。
   この本で、参考になるのは、ロシアのアメリカ大統領選挙への介入があったのかなかったかの問題だが、ロスが克明に報じている、ロシアが、ウクライナに始まり、エストニアやジョージアへ、行った情け容赦のないサイバー攻撃を知れば、有り得て当然だと思えてしまう。
   ウクライナについては、クリミア占領以前に、ロシアは、「ウロボロス」と言うマルウエア感染を使って、偵察の能力や情報を盗む能力を手に入れ、将来の攻撃に備えた前線基地を構築していた。
   エストニアでは、ソ連時代の戦争記念碑の移設で問題が起きた時に、ロシア政府は、エストニア政府や銀行、メディアのウエブサイトにサイーバー攻撃を行い、押し寄せるDos攻撃の波に、エストニアの二つの銀行、エストニアの政府のすべての省庁、複数の政党のウェブサイトのサイーバーが約10日ダウンしたと言う。
   ジョージアでは、ロシア軍戦車が雪崩れ込んだ時に、すでにポットネットの攻撃が始まっており、ジョージア政府のウエブサイトにおびただしい数のアクセスが殺到し、Dos攻撃に加えて、大統領府や外務省、国立銀行など主要機関のウエブサイトが改ざんされて、ヒトラーのコラージュ画像に書き換えられるなど、この攻撃は、停戦協定が結ばれるまで続いたと言うのである。
   
   物理的な武器によるハードパワーの戦闘というよりも、はるかに安上がりで障壁の低い仮想世界でのサイバーで交戦することで、従来の武力衝突や戦争行為の定義は根本から変わってしまう。
   冷戦(コールドウォー)から、コード戦争へ、セキュリティ産業が、巨大化すると言うのだが、果たして、喜ばしいことなのかどうか。
   
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アレックス・ロス著「未来化する社会 世界72億人のパラダイムシフトが始まった」

2018年08月28日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   この本は、沢山出ている近未来の展望論の一書なのだが、ヒラリー・クリントンの元参謀として世界80万キロを行脚した未来学者と言うことで、現実的な経験と視野に立っての理論展開なので、その意味では、臨場感があって面白い。
   この類の本は、賞味期限が短くて、この本は、2015年なので、多少、時流から遅れている面はあり、他の未来学なり未来予測の展望とそれ程変わらないのだが、読んでみると、それなりに面白くて参考になる。
   翻訳本のタイトルは、「未来化する社会」となっているが、原書のタイトルは、「The Industries of the Future 」「未来の産業」であり、今後20年の経済と社会を変えて行くであろう、大きな流れの象徴でもある産業について書いており、ロボティックス、ライフサイエンス(ゲノミクス)、金のコード化、サイバーセキュリティ、ビッグデータと言う、これからの主要産業ごとに章を分けて、それらの産業の地政学的、文化的、世界的な面から、考察を加えて論じている。

   ロスのこの本で、類書と違う大きな特色は、最終章「未来の市場の地勢」での、80万キロの世界行脚によって得た貴重な知見の開陳で、特に、地政学的な展望なり、分析が、アフリカのイノベーションを無視しないなど、今日のグローバリゼーションの実際を垣間見せていて、興味深い。

   シリコンバレーが、ほぼすべての産業のスタートアップを引き寄せ、未来の産業がイノベーションの前途有望な培養地として隆盛を極めており、古代のローマのように世界帝国のキャピタルとして君臨し、周囲は属国みたいとなっていることは、周知の事実であろう。
   確かに、シリコンバレーのソフトウェアとアナリティクスの専門知識が産業界全体を飲み込み、巨大な集中化を引き起こしており、タクシー・サービスからフィンテック金融や農業さえ巻き込んでいる。
   しかし、この状態が継続して、新しいシリコンバレーが誕生しないのであろうか。
   ロスは、ビッグデータに関しては、他の産業を吸収したり乗っ取ったりするのではなく、現存するあらゆる産業の成長を後押しするような用途の広いツールの役割を果たすので、その市場が今後大きく成長すれば、昔からそこにある専門知識を活性化する起爆剤となるとして、
   ボストンがバイオテクノロジーの中心地として健康に関するデータ会社が集まり、テキサスではエネルギーアナリティクス会社が生まれ、ワシントンDC周辺には、法執行機関や情報機関の専門知識を基に、プライバシーや法医学に強い企業群が形成されるなど、傑出した企業が世界中に散らばる状態となり、ビッグデータの富の創造は、シリコンバレーに富が集中したインターネットの時とは、全く異なるものとなると述べている。

   さて、ケニアのモバイル送金サービスM-PESAは有名だが、ロスは、ルワンダ紛争で知られている世界最悪の紛争地帯で最貧国のコンゴのムグンガ難民基地を、2009年8月に訪れた時に、難民の14%が携帯電話を持ち平均3人が共用し、実質的には42%が携帯電話を利用して、金の送受など経済活動を行っているを見て驚いたと言う。以前は、村を襲撃された時に家族と音信不通となって困ったが、今では、何時でも仕事や食料探しに出られ、離れ離れになってもいつか会えるので、携帯電話は、何もなくても、必需品だと言うのである。
   また、80万人以上が大虐殺された悪夢覚めやらぬルワンダが、ハイテクを利用して大躍進をしている様子を、アメリカの小さな町のネットワークより上等な光ファイバーネットワークを敷設して全30地区1600キロに及ぶファイバーケーブルで結んでいて、ロスは、密林の中で、自分のスマホが生き返ったと書いている。
   その他、ビッグデータをアフリカ流に独自で開発するなどアフリカの新機軸について述べており、ロスは、アフリカで見聞きしたことから、シリコンバレーが、すべての優位にあった過去20年とは違い、未来の産業は、イノベーションの中心地も、富の創出場所も広く世界に分散されると信じていると言う。

   ロシアについては、外界に対するプーチンの強い疑念が、新しいアイデアを交換し創造的なプロジェクトを追求するオープンさを悉くシャットアウトし、イノベーションに繋がる文化を圧殺し、シリコンバレーの自由な気風と全く逆に、多くの統制の対象にしようとしており、未来は暗いと言う。
   ソ連の衛星国であったが、国をオープンにして勝ち組となったエストニアと、国を閉ざして全く進歩のない負け組のベラルーシの対比が面白く、ロスの先祖の故国である悩める境界国ウクライナのハイテク文化の描写も興味深い。
   余談ながら、私は、ソ連から独立直後に、ロンドンから経団連の北欧視察団に参加して、エストニアのタリンを訪問している。何でも見ようとひとりで裏町にも入って散策したが、当時は、貧しかったが、随所に北欧の名残の雰囲気が漂っていて文化と歴史を感じた。
   
   中国については、インターネット関連では、アメリカに大きく後れを取って、イノベーションや投資、商業化の中心となって富を創造する機会を逃したので、ゲノミクスやロボティクスやサイーバーなど未来の産業では、今度こそ自分たちが主役になろうと必死だと言う。
   インドは、民主主義国なので、中国のように中央指令によって製造業を強引に発展させることが出来ないため、その分、知識労働の分野が大きく伸びて、毎年150万人のエンジニアを養成しており、これはアメリカと中国を合わせたよりも多いと言う。
   インドは、エストニア方式を目指しているようだが、ネルーが高等教育に力を入れたように、モディ首相は、遅れている初等教育に力を注ぐべきだと言う。昔、インド大使として赴任した偉大な経済学者ガルブレイスが、インドの貧困問題の解決は教育からと言ったことを思い出す。
   
   日本については、政官財学、いずれにおいても、女性軽視で、女性の活用をミスっていて、その悪影響が、日本経済停滞の一因となっており、アフターファイブの飲み仲間からも排除されているなどと、実に真っ当な正論を吐いていて面白い。
   ロスは、全編を通じて、未来の産業の担い手は、すべからく、デジタルネイティブ世代、時流の風を読める若者であるべし、と強調している。
   アジアの多くの社会では、若者がいかにその国のイノベーションを加速するかに気づき始めているのだが、強固なヒエラルキーのある日本では、日経平均株価指数の企業のCEOの平均年齢は、62歳。
   尤も、殆どはレッド・オーシャン企業ばかりなのだが、これでは、お先真っ暗だと言わんばかりで興味深い。
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訪日客、暮らしかき乱すと言うのだが

2018年08月26日 | 地球温暖化・環境問題
   昨日の日経夕刊に、「訪日客、暮らしかき乱す 車道に広がり踏切撮影/病院トイレ無断使用」そして「観光公害」マナー対策急務 と言う記事が、大きく報道されていた。
   口絵写真は、稲村ケ崎から江の島へ向かう帰途、車窓から写した問題となっている鎌倉高校前駅の江ノ電の踏切あたりの写真だが、確かに、いつも、中国人と思しき観光客が屯している。

   最初は、そこから、江の島が綺麗に見えるのに、そっちのけで、何故、面白くもないこんなところで写真を撮っているのか不思議に思っていたのだが、1990年代に「週刊少年ジャンプ」で連載された人気バスケットボール漫画「スラムダンク」のアニメに登場した踏切のモデルとされ、数年前から人気の撮影スポットになっている。のだと言う。
   中国・四川省の10代女性は「交流サイト(SNS)でこの踏切を投稿すれば日本旅行の象徴になる」と満足顔。登場人物にふんしてバスケのユニホームやセーラー服を着ている姿も目立つ。と言うのだから、若者たちの夢の実感体験であろう。私が、はじめてパルテノンの丘に立った感慨と同じかも知れない。
   近くの踏切に観光バスが何度も止まり、数十人単位の中国人観光客がひっきりなしに訪れ、写真撮影のために車道に広がって交通を妨げたり、病院のトイレを勝手に使ったりと、観光客増加で生じる住民への悪影響は「観光公害」とも呼ばれ、行政などが対応に追われている。とも言う。

   いわば、ここは、中国人観光客にとっては、ミシュランの星ではないが、絶対に訪問して写真を撮るべき聖地のような存在なのであって、大仏や鶴岡八幡宮よりも、鎌倉観光では、マストの観光スポットなのである。
   問題は、この場所が、観光には何の縁も所縁もなく、何の準備も整っていない住宅地の真ん中であり、タダでさえ渋滞の激しい極めて交通のビジーなボトルネックである三差路であって、住民生活の安寧を妨げ、混乱を来しかねないことである。
   
   さて、中国の観光情報誌などが、この江ノ電踏切スポットをどう扱っているのかは知らないが、ミシュランのグリーン本などを参考にして、世界中を何十か国も歩いた私自身、やはり、観光案内書やガイドブックで、三ツ星スポットは勿論、星のついた見るべきとか行くべきとか表示されている場所には、極力足を向けて訪れる努力をした。
   ミシュラン・ガイドJapanを持った外人客が、鎌倉では、東慶寺や報国寺に多いのも、このミシュラン効果である。
   このように観光スポットを目指して訪れるのは、観光客の趨勢であろうから、受け取り手が、どう判断するかは、その人夫々だろうが、私は、今回の中国観光客の江ノ電の鎌倉高校前駅東寄りの三差路詣では、当分、止めることは不可能だと思っている。
   
   したがって、これに対処する方法は、この現実を容認して、如何にして、近隣の住民の日常生活の安寧と秩序を維持するのか、そして、交通問題の悪化を避けるのか、その対策なり方策を考えて打ち出すことである。
   観光立国を標榜する鎌倉が、この問題を、観光公害などと言った後ろ向きの捉え方をして、対応を考えたら、根本から、臍を嚙む失政となろう。

   7月19日に、このブログで、同じような問題を抱えてアムステルダムが困っていると言うことで、「アムステルダム観光客急増で規制強化」を書いたが、今や、グローバリゼーションと経済成長のお陰で、世界中の人々が豊かになり移動が簡単になった所為もあって、世界中の観光地が、パンク寸前飽和状態になって、混雑を極めている。
   白洲正子が誘うような隠れ里といったような魅力的なスポットは、瞬時に、消えてしまうのである。
   余談だが、この傾向に鑑み、金と暇を持て余す団塊の世代の人に、足腰が弱ると旅の魅力は台無しになるのは必定なので、出来るだけ早い機会に、海外旅行に出立することを勧めたい。

   さて、世界中からの観光客が急増して、インバウンドの経済効果が日本経済を支えていることは事実であり、日本の国際理解と文化伝統などソフトパワーの発信にも大きく貢献しているのであろうから、外国からの観光客の受け入れは、前向きに精神誠意対処すべきだと思う。
   
   
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国立演芸場・・・上方落語会

2018年08月25日 | 落語・講談等演芸
   今日の国立演芸場のプログラムは、「上方落語会 春之輔改メ 四代目 桂春團治襲名披露公演」

   演題は、次の通り。
   落語 笑福亭べ瓶   時うどん
   落語 桂三若     宿題
   落語 桂きん枝     悋気の独楽
    ―  仲入り  ― 
   口上 桂春團治 三笑亭夢太朗 桂きん枝 桂三若
   落語 三笑亭夢太朗   目黒のさんま
   落語 春之輔改メ四代目 桂春團治  親子茶屋

   面白かったのは、桂三若の「宿題」。
   なかなかの美男子で、表情豊かにパンチの利いた語り口が秀逸。
   この三若が、口上の司会役も務めたのだが、上手い。
   「宿題」は、今様家庭劇を題材にした師匠文枝の新作落語で、三若は、オリジナルの短縮バージョンで熱演。

   小学6年生のはじめが、塾の宿題を持って帰って来るのだが、難しくて分からない母親は、仕事で疲れて帰ってきた父親に教えてやってくれと振る、算数の文章題で鶴亀算である。
   月夜の晩数えてみると、鶴と亀を合わせて16匹、足は44本、鶴と亀は何匹ずつでしょうかと言う問題で、x、yを使えば簡単に解けるのだが、小学生であるから、加減乗除の筆算なので、頭の問題であり、慣れない親は途惑って即答できない。
   翌日も、その翌日も、同じような文章題を宿題に持って帰って父親を悩ますので、頭にきた父親は、塾に怒鳴り込みに行く。先生は、「わかりました、もう難しい問題は出しません」。何でそう言えるんだと突っ込む父親に、「お父さんの学力の程度がわかりましたから」。

   Youtubeで、文枝のオリジナル・バージョンの高座を見ると、この部分は、きん枝の高座には抜けているのだが、翌日、父親は会社に行って、部下の京大を出た新入社員に聞くと、即答して計算の仕方まで教わるのだけれど、まだよくわからないのだが、急に部下に優しくなる。
   子供の能力や生活程度に合わせて子供のカリキュラムを考えると言うことのようだが、親も親としてのメンツがあって、夫婦や親子の対話や受け答えが、非常にビビッドで面白い。
  あの山中伸弥教授でさえ、お嬢さんが高校生の時に、数学の問題を聞かれたのが答えられなくて、「お父さんは京大教授でしょ。」と言われたと本に書いていた。
   

   桂きん枝は、色々な武勇伝の多い波乱万丈の人生を歩いてきた名うての上方の噺家とかで、来年、桂派の由緒ある名跡で師匠の前名である「桂小文枝」を継ぎ、「四代目 桂小文枝」を襲名する予定だとか、はりきっている。
   阪神の大ファンだとかで、まくらに、阪神ファンの常軌を逸した派手な行状をひとくさり。
   口上での、歯に衣を着せないきん枝の語り口が面白かった。
   
   この「悋気の独楽」は、何回も聞いている落語で、お馴染みだが、元々、上方オリジナルの話で、東京で演じられると少し話が変わっていて面白い。
   きん枝の語り口は、ウィキペディア記載と殆ど変わらないバージョンで、丁寧に語っていて面白い。
   妾宅へ通い詰める主人に気づいた妻が、お伴の定吉に白状させる話で、面白いのは、定吉が持っている3つの独楽(主人、妻、妾)で、妻と妾の独楽を回して、後から真ん中に主人の独楽を回して、近づいた方に主人が泊ると言うことなのだが、何度回しても、主人独楽は。妾独楽になびいて行く。「あ、御寮人さん、こら、あきまへんわ」「なんでやの?」「へえ、肝心のしんぼう(心棒/辛抱)が狂うてます」。
   独楽は、取って付けたような話だが、女性の嫉妬をテーマにした噺とかで、面白い。

   三笑亭夢太朗の「目黒のさんま」と 桂春團治の「親子茶屋」、
   合わせても30分ほどの高座。
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静かに音読すると言う読書の楽しみ

2018年08月24日 | 生活随想・趣味
   読書と言えば、私の人生そのものなのだが、随分、本を読んだものの、特に、感慨があるわけでもなく、本と共に突っ走って来たと言う感じである。

   若い時には、どんな読み方をしても気にはならなかったのだが、歳を取ってから、読みたい本がどんどん増えて買い込み過ぎたので、焦りを感じて、速読法を考えたことがある。
   しかし、速読して短時間に多くの本を読んで、知識情報の集積に寄与するとしても、やはり、自分には自分なりの読書のリズムがあって、それが、自分の頭や体にビルトインされていて、性に合っているのであろうから、それを続けて来た。
  
   ところで、最近、エンジェル・カレッジの今道友信先生のビデオ講座を聴いていて、先生は、ダンテの「神曲」講義で、ホメロスのギリシャ語の叙事詩や、ダンテの「神曲」のイタリア語の詞章を、美しい文章だと心から愛でながら朗詠して、聴講者にも唱和させて、講義されていた。
   また、「紫式部『源氏物語』とダンテ・アリギエーリ『神曲』の照応と背反」と言う講義でも、紫式部の「源氏物語」の宇治十帖の「総角」であろう、薫の訪れを悲しくも避ける大君との御簾ごしのシーンを、今道先生は、美しい文章だと静かに読んでおられた。

   恥ずかしい話、私自身、美しい文章、素晴らしい文章、感激的な描写だと思って本を読んでいても、実のところ、しみじみとした思いで、そのような文章を味わったことはなかった。
   やはり、大学で経済学、大学院で経営学を専攻して、無味乾燥な実学ばかりに拘ってきて、絵画や彫刻、建築や庭園などには興味はあったものの、文学方面の関心は薄かったと言うか、その方面の美学なり美意識の拾得鍛錬を欠いていたのを、遅まきながら、実感したのである。


   尤も、全く、文学を拒否したわけではなく、一応挑戦すべきだとは思って、「平家物語」や「源氏物語(これは、現代訳)」は読んだし、「古今和歌集」や「新古今和歌集」など古典の本は買いこんでおり、イギリスから帰る時には、結構、シェイクスピア関係の原本を買って帰っている。
   多少、万葉集など古歌を意識しながら、京や奈良、関西各地の歌枕を随分歩いてきたのだが、写真を撮ると言う視点はあっても、残念ながら、詩人や歌人に近い感性などは、皆無であった。
   しかし、この私でも、万葉集研究に生涯をささげ「万葉風土学」を確立した犬養孝教授の「万葉の旅」に憧れて、阪大に行こうとしたことがあるのである。

   さて、今道先生に倣って、日本の古典など、我流ながら、まず、音読と言うか、静かなリズムで読みながら味わって行く、そんな読書法を初めて見ようと思ったのである。

   幸い、この5~6年、能狂言鑑賞に能楽堂へ通っていて、毎回、角川の「能を読む」とか岩波の講座や多くの能楽解説本を読んで事前勉強をしており、詞章を読んでいるので、これをもう少し力を入れてやろうと思う。
   あの林望先生でさえ、最初は面白くなかったが、謡を習い始めてから能にのめり込んだと書いているので、分かっても分からなくても、詞章を、能楽師たちの口調に合わせて読んでおれば、多少は役に立つであろう。
   友人が、謡を習えば、もっと能が分かると同じ事を言って勧めてくれたのだが、もう、そんな元気はない。

   それに、幸い、親友が贈ってくれた、京都の後輩が著わした「万葉集難訓歌」と言う凄い大著が、手元にあって、少しづつ読み始めている。
   遅ればせながら、美しい日本語の良さ素晴らしさを、多少なりとも味わえる読書に目覚めたいと思っていると言うことである。
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野上素一著「ダンテ 人と思想」

2018年08月22日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   もう少し、「神曲」のダンテを知りたいと思って、この本を読んでみた。
   
   まず、ルネサンスが始まる少し前、中世の詩人であったダンテの途轍もない学識の豊かさで、その寄って立つ由縁を知りたいと思った。
   生半可な知識なので、恥ずかしいが、どうしても、西欧の中世については、それ程評価していないし、殆ど知らないからでもある。

   普通のフィレンツェの子供のように、義務教育の初等教育を受けて、ラテン語文法、修辞学、論理学を学び、上級の中学校で、算術、幾何、音楽、天文学を学んだ。それ以外に、聖マリア・ノヴェッラ教会で、フラ=レミジョ=ジロラミ師から聖ヨマス=アクィナスの思想について、聖クローチェ教会では修道士フラ=ジャン=オリュー師から、聖ボーナヴェントゥーラの哲学とジョアキーノ=ダ=フィオレの神秘哲学を学んだ。
   知識欲の旺盛なダンテにとって幸運だったのは、スペインとフランスで修業した「修辞学」や「宝典」の著者」ブルネット=ラティーニと言う学者を家庭教師に得て、学んだことで、詩人として大成する基礎をつくるのに役立ったと言う。
   そして、ダンテは、自然科学の知識も大変なもので、その中でも、特に、関心を抱いたのは、医学で、血液循環や心臓の問題と目と光の問題で、そう言えば、「神曲」の地獄や煉獄や天国のビビッドな描写が頷けて興味深いのだが、これらは、ボローニア大学で勉強したのである。
  
   このボローニァ大学は、1088年の創立で、学生時代に、羽仁五郎に、世界最古の大学だと聞いてよく覚えているのだが、私事ながら、ずっと以前に、少し遅れて創立された、マルコポーロが行ったと言うスペインのサラマンカ大学を訪れた時に、その何とも言えない学び舎の崇高な雰囲気に感激して、ボローニアを思ったことがある。
   そう思えば、眠っていたように思われるヨーロッパの中世は、ギリシャ・ローマとルネサンスの谷間で、素晴らしく開花していたのであろう。
   ダンテの「神曲」の中で、ギリシャやローマが、息づいていたのも当然なのである。

   それに、ダンテは、1301年にフィレンツェを追放されて、ラヴェンナに定住したのは1319年だと言われているから、その間、各地の宮廷の食客として渡り歩いており、不安定な生活ながら、多くの知識情報を集積するチャンスに恵まれていて、勉強をし続けている。
   
   人文主義(ヒューマニズム)は、もう少し新しい思想だと思っていたが、最初の人文学者と言われているのは、ダンテだと言う。
  ダンテは、古代ギリシャやローマの文化や文学を記した書物を読み、その内容を紹介したのみならず、正義、慈悲、叡智、徳を重んじて、それらの回復を目指したのである。
   その後、勢いを得た人文主義思想が、15世紀のルネサンスの誕生の導火線となった。

   さて、もう一つ興味があったのは、ダンテの女性遍歴。
   永遠のマドンナであり聖女であった憧れのベアトリーチェについては、「神曲」で、こっぴどく、ダンテは、その不実を糾弾されているのだが、どうであったのか。
   放浪の途中、トスカナのプラート・ヴェッキオに滞在した時、そこで、一人の女性と恋に陥り、彼女のことを詠んだ「石の詩」を贈ったと言う。野上教授の新しい指摘は、これのみ。
   「饗宴」の中で、ダンテは、金星を動かす天使たちに呼びかけて「ベアトリーチェとの恋を捨てて、窓辺の貴婦人との新しい恋愛を援助してほしいと言う願い」を謳っていると言う。この「窓辺の貴婦人」と言うのは、本物の恋で、「神曲」で、ベアトリーチェに揶揄されるのも故なしとはしないのであろう。
   「神曲」煉獄篇第三十歌で、地上の楽園で再会した時に、窓辺の貴婦人との恋愛について、ベアトリーチェは、
   「・・・私が第二の年齢の域に達した時、生命を終えるに及んで、すぐに私を離れて、体を他の者に委ねた。私は、肉体から霊に登り、・・・」として、私が死んだらさっさと窓辺の貴婦人に乗り換えたと詰問しているのだがこれは、作者ダンテの著作であるから、ダンテ自身の正直な告白なのであろう。

   いずれにしろ、私には、ダンテの女性観、恋愛観は、よく分からない。
   
   この野上教授の「ダンテ」だが、「放浪の旅路の詩」で、放浪時代などで歩いた、「神曲」で謳われているイタリアの都市や田舎や野山などの詞章の部分を抜粋して紹介しており、興味深い。
   「ダンテとローマ教皇」の章は、当時の教皇や皇帝との抗争など政治関係の推移だが、都市国家時代のイタリアの分権政治と、教皇や皇帝の位置づけなどが分かって面白い。
   最後の「ダンテと自然科学」は、中世からルネサンスへと言う副題がついたストーリーであるが、やはり、アラビア人、すなわち、イスラム文化の介在にも触れていて、面白い。


   (追記)下記写真は、ウィキペディアから借用したボローニア大学の1350年代の絵。丁度、ダンテがなくなった少し後で、当時の大学は、学生が、著名な学者を、教授として招聘してきて授業を受ける組合制度のような形式であったと言う。
   
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八月納涼歌舞伎・・・「盟三五大切」

2018年08月21日 | 観劇・文楽・歌舞伎


   この「盟三五大切」は、四世鶴屋南北が『東海道四谷怪談』の続編として書いた、並木五瓶の「五大力恋緘 」を脚色して加えた「忠臣蔵外伝」。
   凄惨な殺しの場など、南北ならではの世界が展開される生世話物の傑作だと言うのだが、落語の「お化け長屋」を上手くアレンジして、夜中に家主が幽霊になって化けて出て店子を追い出して店賃を巻き上げて回転を速める悪どい商売をすると言うドタバタ喜劇を挿入するなど、結構面白い。
   この家主くり廻しの弥助を演じる中車の、老練な惚けたコミカルタッチの演技が、冴えていて実に上手い。直球勝負の獅童と七之助相手であるから、余計にアンバランスが面白いのである。
 
   塩冶家の侍だったが御用金紛失の咎で勘当の身となった浪人の薩摩源五兵衛(元不破数右衛門 幸四郎)は、芸者の小万(七之助)に入れ込んでいるのだが、小万には、相思相愛の笹野屋三五郎(獅童)という夫がいる。源五兵衛は、名誉挽回し、亡君の仇討に加わるため伯父富森助右衛門(錦吾)が用立てた100両を借り受けるが、三五郎の罠にかかって騙し取られる。自分が騙されたことを知った源五兵衛は、鬼と化して、三五郎夫婦を追って、次々と殺戮劇を繰り広げて行く。
   三五郎は、源五兵衛から巻き上げた金100両を、父の了心(松之助)に渡すのだが、この金は、父の旧主:不破数右衛門の危急を救うためだったのだが、それを知らず、源五兵衛は、小万と嬰児を殺し、後悔するも既に遅し、小万の兄(家主)を殺している三五郎も自害、
   ところが、そこへ、塩谷の同志が結集して登場し、薩摩源五兵衛すなわち不破数右衛門を、高師直討ち入りに誘って旗揚げ。
   いかにも取ってつけたような結末だが、猟奇殺人鬼の不破数右衛門を、討ち入りの同志に加えると言う奇天烈さを、江戸の庶民は、どう観ていたのか。

   確かに、薩摩源五兵衛の繰り広げる凄惨な殺し場は、写楽などの歌舞伎絵を見ているような絵になるシーンの連続で、幸四郎の派手な見得や顔の表情など、江戸の浮世絵の世界の再現である。
   特に、薩摩源五兵衛が小万と嬰児を、愛しさ(可愛さ余って)憎さ百倍、殺戮のシーンは凄くて、正に、悪夢の絡繰り絵図さながらで、嬰児の首にくし刺しの刀を握りしめて引き抜こうとする小万の断末魔。

   幸四郎は、スマートゆえの線の細さは否めないが、やはり、天下の千両役者。
   ニヒルなヤクザの役を地で行く獅童の上手さ、進境著しい七之助の艶姿。
   それに、お母さん三田寛子によく似て来た橋之助が薩摩源五兵衛の付き人若党六七八右衛門を演じて正攻法の丁寧な芸を披露していて好感。

   歌舞伎の世界も、随分世代が新しくなったなあと思える舞台であった。
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ダンテ「神曲」(平川祐弘訳)天国篇を読む

2018年08月19日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   やっと、一応、ダンテの「神曲」を、最後の天国篇まで読み終えた。
   今道友信先生のダンテ「神曲」連続講義を聴きながら読んだので、幸いにも、かなり、理解が進んだので助かったのだが、ほんの数行の解説だけでも、随分内容の深い講義なので、この「神曲」は、途轍もない作品なのである。
   ホーマーやギリシャ神話、プラトンからアリストテレス、トマス・アクィナスなどから、勿論、根本のキリスト教、それに、天文学をはじめ自然科学など、相当深いヨーロッパ文化文明に関する知識なり逸話なりの知識がなければ、字面を追っただけでは、到底理解できない程難しく、今でも、何だかよく分からないのが正直なところだが、とにかく、ページを繰っただけだとは言え、読み通したのである。
   あの偉大な哲学者:今道友信先生が、毎土曜日2~3時間かけて何十年も読み続けて、そのノートを基にして、ダンテの「神曲」を、1時間半の講義を15回続けたのが連続講義であるから、あだやおろそかで、凡人が理解できる筈がないのである。

   この「天国篇」は、地球を中心に同心円状に惑星が取り巻くプトレマイオスの天動説宇宙観に基づいて、天国界を、十天に分けて、地球の周りをめぐる惑星を、月から、水金太陽火木土、その上に、七つの惑星の天球を内包し、十二宮のある恒星天、万物を動かす力の根源である原動天、神の坐す至高天を積み上げて構成されている。
   ダンテから、それ程、経っていないと思うのだが、近代以前には、地球は惑星ではなく、宇宙の中心だとする天動説で、惑星としては、肉眼で天球上を動く様が観察できる7つの天体、太陽、月、水星、金星、火星、木星、土星が数えられ、ダンテは、これを踏襲していて、その外周の天王星、海王星、冥王星は、その後の発見なので、当然抜けているのが興味深い。
   この最終の第10天の至高天(エンピレオ)まで、ベアトリーチェに案内されるが、エンピレオではクレルヴォーのベルナルドゥスが三人目の案内者となり、この至高天において、ダンテは、諸天使、諸聖人が集う「天上の純白の薔薇」を見て、永遠なる存在を前にした刹那、見神の域に達して、この世を動かすものが神の愛であることを悟る。
   天国へ入ってからのダンテは、天界毎に、色々な聖人たちと遭遇して、ベアトリーチェの導きを得ながら、高邁かつ深遠な神学の議論や問答を交わしながら少しずつ悟りを開いて、天国を上って行くのだが、私には、ペトロやヨハネなどとのキリスト教の教義にも触れる議論もあり、この道程の方が、地獄篇や煉獄篇より、はるかに難しかった。

   天国篇の最後は、
   ”・・・突然、私の脳裏に稲妻のように閃きが走り、私が知りたいと望んでいたものが光を放って近づいてきた。・・・愛ははや私の願いや私の意を、均しく回る車のように、動かしていた。太陽やもろもろの星を動かす愛であった。”
   著者は、「天国篇」は、「萬物を動かす者の栄光」に始まり、「太陽やもろもろを動かす愛」で終わっている。神は愛であり愛をもって天球の動きを規制している。壮大で静謐な、」宇宙の存在を感じさせる結句と言えるだろう。と述べている。

   地獄は「神から永遠に離れ、永遠の責め苦を受ける状態」なのだが、その地獄でさえ、亡者たちには愛が生き続けている。
   私など、家族への愛やマドンナへの愛など卑近なケースには、関りを感じていても、形而上学的な、高度な宗教的な愛や高邁な人類愛と言ったダンテの意図した愛については、縁遠くて理解の域を超えているが、この「神曲」では、全編、愛で貫かれているような感じであり、宗教的、哲学的な愛について、襟を正して勉強しなければならないと感じている。

   いずれにしろ、ダンテの「神曲」を読み通したと言っても字面だけ、
   もう一度、今道友信先生の連蔵講義をじっくり聞いて、平川教授の本書を、懇切丁寧な脚注を詳細に検討しながら読みたいと思っている。
   シェイクスピアの場合には、幸い、イギリスに居て、RSCなど本場の最高峰の舞台を観ながら入ったので、それ程、苦労を感じなかったのだが、ダンテは、更に周辺知識を十分に仕入れて挑戦しなければダメで、努力をしようと思うのだが、次のゲーテの「ファウスト」までの道のりは、かなり、遠い感じである。
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ブックオフが業績悪化だと言うのだが

2018年08月18日 | 経営・ビジネス
   ブックオフについては、これまで何度かこのブログに書いたことがあるが、以前に、二束三文と言うよりも、もっと酷い状態と言うか、相当数の本を無価値として跳ねて、残りの本を、殆ど、1冊10円で買い取ると言う状態だったので、100冊持って行っても、新本1冊も買えないくらいだったので、もう、2度と行かないと思ったことがある。
   私の場合には、主に、経済や経営などの真面な本が多いのだが、それでも、私だけが読むだけで、結構、綺麗な状態なので、それが、10円では、優秀な著者に申し訳ないと言う思いも強かったのである。

   今回の経営悪化の理由として、「ブックオフが業績不振 利用者からは買い取り価格に不満の声も」とか、「 ブックオフ、深刻な客離れの兆候で赤字転落…ヤフオクのほうが「高く売れる」ことが判明」と言う記事があることから、買い取りの不手際で、想定した仕入量を確保できなかったことも、業績悪化の原因だと言う。
   沼田利明氏の説明によると、安い本をブックオフで購入して、ヤフオクで転売する「セドリ」と呼ばれる手法で利益を上げている人がいるとか、「良い物はブックオフには持ち込まない」という流れが定着し始めている」と言うことである。

   ブックオフの価格付けが、分からないので、何とも言えないが、私が時々散歩途中に立ち寄るブックオフは、確かに、買いたいと思う良い本は全くと言ってよい程ないが、経済や経営の本でも、殆ど、300円均一で、古い本は108円と言ったところで、これでは、10円で買い取るのも当然だと思える。

   最近、店内の模様替えをして、ブックオフの店舗は、コミックなど娯楽書が前面に出て大きく場所を占めて、私の行く政治経済などと言った固い本棚は、奥の片隅に追いやられて小さくなっている。
   本の質が、どんどん落ちていることは事実で、これまで、最近の出版状況や、忘れていたり見落としていた本を探すなど、それなりに、ブックオフを訪れる楽しみがあったのだが、最近では、それも殆ど無理になった。

   私が、時たま、ブックオフで本を買うのは、他人の手が触れていないと思える最新刊の新刊本で、それ等は、横浜か東京の大型店でしか見つけられないが、定価の7割くらいであり、神保町の古書店で買うのと同じようなものである。

   ところで、情報源として、アマゾンの本の検索を結構やっているのだが、中古書を販売しているマーケットプレイスでの、このような新古書(コンディションが、新品同様 とか 非常に良い)の価格は、これらよりはるかに高く、送料を入れるとほぼ新本価格と変わらない時がある。
   このマーケットプレイスにも、ヤフオク同様に、個人の出店もあるようだから、ブックオフを蚕食しているのかも知れない。 
   それに、メルカリでも個人が中古書を売っており、ネット・ブックショップが多数あって競争が激しい上に、ブックオフは、実店舗が主体なので、百貨店やスーパーなどが、アマゾンやネット・ショップに追い打ちを掛けられて窮地に立っているように、既に過去のビジネス・モデルとなってしまっているので、バーチャルなネットショップには、所詮勝ち目がない。

   私が、大型店舗をあまり評価しないのは、つまらないベストセラーや話題書ばかりを前面に出して売らんかなのディスプレィ商法をしており、余程のことがないと古い本は置いてないのだが、神保町の古書店やブックオフは、売れる売れないに拘わらず、無造作に、新旧そして硬軟取り混ぜて書棚に本を並べていて、一覧できて、時々、思いがけない本に出合う確率が高いからである。
   ところが、神保町の古書店も浮沈が激しく退潮気味で、ブックオフも悪化の一途となると、その楽しみもなくなって来る。

   しかし、世は、ICT革命、デジタル時代。
   アマゾンのページを開いて、興味のある本を検索すると、数珠繋ぎ、芋ずる式に、埋もれていた本やその方面の関係本や、周辺知識拡大情報が一気にディスプレィされ、その上、毎日のように、本の案内メールが届き、嫌でも、新しい気づきを喚起される。
   したがって、最近では、新しい本の情報は、居ながらにして、手に入ることになって、神保町の古書店で、本に出合う楽しみを、アマゾンが、代替してくれている。
   神田のスーパー源氏などでも、本を検索することがあるが、アマゾンの情報量は桁違いで、アマゾンで探せなければ諦める。

   尤も、アマゾンは、バーチャルで、現物を見ずに買うことになるので、結構当たりはずれがあるのだが、絶版の古書など、まずまず、安いので諦めがつくし、とにかく、思いがけず、期待以上の本に遭遇できるのが良いのである。
   
   
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ジム・オニール:BRICSについて語る

2018年08月17日 | 政治・経済・社会
   2001年に、BRIC's(その後BRICS)をコインしたジム・オニールが、 Project Syndicate のinterviews記事”New Rules for the New Global Economy”で、BRICSについて、少し語っているので、記して見たい。

   途中で、BRICSグループが結成されて以降、リーダーが会合を続けているが、個々のメンバー国の経済成長なり、相互貿易や投資実績などの改善に向けて努力がなされてきたのか、問う必要があると言う。
   最初の10年間は、かなり高度成長であったが、最近の10年は、南ア、ブラジル、ロシアは、厳しい状態で、ブラジルは、依然10位以内の経済大国だが、問題を抱えている。
   相対的に、この10年くらいのBRICSの業績は、それ程、パッとしたものではないにしろ、ヨーロッパと比べれば、ずっとましである。と言う。

   因みに、2017年度IMF発表の世界GDPランキングは、
   第1位   アメリカ 19,390,600百万US$
   第2位   中国   12,014,610
   第3位   日本    4,872,135
   第6位   インド   2,611,012
   第8位   ブラジル  2,054,969
   第12位  ロシア   1,527,469
   第33位  南アフリカ  349,299

   南アは、問題外としても、ロシアの経済的パフォーマンスの悪さは特筆もので、欧米先進国型の資本主義体制の確立は到底不可能であり、中国のような、国家資本主義的な、新しい計画経済的な政治経済施策が必須な筈にも拘らず、それを推進する経済的テクノクラートが育たず、徹底的な政治腐敗から脱曲できない限り、何度も書いてきたが、ロシアの経済発展は、お先真っ暗であろう。
   ブラジルには、1974年から1979年までいたのでよく知っているが、前近代的と言うかポルトガル人による建国以来の政治経済社会体制およびそれから派生したブラジル人気質から殆ど脱却していないアミーゴ型腐敗政治がいまだに支配的で、永遠の未来の国に甘んじている。
  オニールは良く言ったが、ブラジルのように、神がブラジル人であるに違いないと言う程、BRICSは、天然資源に恵まれているなど、これ以上神から愛されて恵まれた国はない筈。
   どうしたら、国家の繁栄をもたらすことが出来るのかは、出来の悪い経済学者や経済学者でも分かっている程周知の知識、これを活用して目覚められないのであるとすると、何をか況やである。

   さて、オニールは、中国には、コメントしている。

   中国の政治経済改革は、多くのチャレンジの結果良好で、トランプの貿易戦争のレトリックに対して、中国の経常収支の黒字は、GDP比は、世界的金融危機当時の2008年の10%から、1%にダウンしていて、当時より貿易依存度が小さくなり、大いに好転していることに留意すべきである。
   むしろ、経済危機が幸いして、中国の指導者たちが、付加価値の低い輸出依存経済構造から脱却して、内需拡大など経済構造の変革に軸足を向けたのである。
   10%から6%への経済成長のスローダウンは、むしろ、経済収支の黒字を軽減して好都合であった。

   消費の拡大は、経済成長の明るいサインで、国内経済のサービス・オリエンテッドなビジネス拡大が、世界の先端テクノロジー企業の投資を誘発して、今や、テンセントやアリババなどは、シリコンバレーの競争企業に引けを取らず、中国の経済グローバル対応とその変容は、欧米メディアの報道のはるか先を行っている。
   
   Made in China 2025 (中国制造2025)政策推進の一方、一党独裁やメディア・インターネットなどの思想情報統制、中国政府の強権政治が、国民の起業家精神やイノベーションの発露を妨げるのではないかとの質問に対して、オニールは、黒白ハッキリすべきではなくて、WhatsAppを模した中国版のWeChatが、WhatsAppの10倍以上複雑化高度化していることを考えれば、中国の体制システムが、創造性を殺すなどは考えられないと答えている。

   オニールは、最大の問題だとしているのは、Hukou system(中華人民共和国の戸籍制度)である。
   都市戸籍を取得できずに、田舎から都市へ流れてくる二級国民扱いの地方民の存在で、年間所得4万ドル以上の20%には入れない国民のことである。
   15~20年くらいの間に、政府は、この制度を改めない限り、4万ドル所得の40%内にも入れない無産階級の国民が蜂起して大暴動が勃発して大混乱を引き起こすこととなろうと言う。

   中国経済については、これまで、随分、問題点などを指摘されてきたが、市場経済システムを適度に上手く活用して、国家資本主義体制でありながら、かなりうまく運営されていて、深刻な問題を避けて成長を続けて今日に至っている。
   ロシアと違って、アメリカで高度な最先端の経済学や経営学などの教育を受けた沢山のテクノクラートが実際の実務に携わっており、国民自身が、経済オリエンテッドで、利に敏い気質に満ちているので、サーバー攻撃も含めて、科学技術の導入など、最先端の国家操縦術に、ショートカットで、アクセス可能であり、余程のことがない限り、共産党政府が、国家資本主義の舵取りを誤らなければ、このまま、進んで行くのではないかと思っている。
   実際にも、購買力平価で換算すれば、GDPはアメリカに接近しており、アメリカを凌駕するのも、それ程遠くない、恐らく、2020年代であろうと思われる。

   中国は、人口が巨大なので、まだ、新興国並みの経済を内包した状態であろうが、GDP世界一ともなれば、マスとしての威力が炸裂するので、経済的覇権の確立は可能であり、グローバル成長発展軌道も、欧米流から脱皮して、中国型に大きく修正されるであろう。
   トランプが、アメリカの落日促進政策(?)を進めて、このトレンドを、どんどん加速している感じなので、良いのか悪いのか分からないが、新時代の到来は、そう遠くないであろうと思われる。
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わが庭・・・サルスベリ、タカサゴユリ

2018年08月16日 | わが庭の歳時記
   わが庭は、夏には、彩りが一気に寂しくなって、緑一色になる。
   僅かに咲いているのは、サルスベリ2本と、タカサゴユリ(台湾ユリ)。
   タカサゴユリは、植えた記憶もないのだが、毎年、少しずつ株が増えて行くのだが、このユリは、生命力が旺盛で、殆どの住宅の庭に咲いていて、野生化をしていて、路傍にも咲いている。
   中心のべったりした雌蕊に、周りの雄蕊の花粉が、昆虫が仲立ちしなくても、風に揺れるとべったりとつき、それに、小さな種を沢山つけ、風で飛ばされるので、どんどん、繁殖していくのであろう。
  アメリカアワダチソウとは違って、美的にもまずまずで煩くはないので、ほっておかれるので、増える一方なのである。
  
  
  
  
   

   夏の庭を華やかにするには、サルスベリで、小さな株もブッシュ状で、それなりに美しいが、かなり大木になってすっくと聳える様子は、中々風情があって良い。
   花の色に、かなりのバリエーションがあり、パステルカラー状の花など、真夏には似つかわしくないが、涼しい感じで良い。
   我が家のサルスベリは、かなり、大きな白色と、ピンク。
   まずまずの雰囲気で満足している。
   
   
   
   
       


   いずれにしろ、今年の夏は異常に暑い。
   私など、老骨に鞭を打って、朝夕、孫娘をベビーカーに乗せて、30m以上はある高低差の激しい坂道を1キロメートルほどの距離を、保育園に送り迎えしているので、特に堪えるのだが、多少助かるのは、江の島方面から吹き上げてくる潮風があることであろうか。

   私が、これまでに、熱いと思った思い出は、大阪と京都の蒸し暑い夏で、関東に移ってからは、随分過ごし良くなったと思っている。

   外国では、何度も行っているが、サウジアラビアでは暑いと思った思い出がない。
   僅かに残っている記憶では、タイのバンコックで、空港を降り立った時の足元から吹き上げる蒸し暑い熱風。
   それに、オランダのアムステルダムに初めて出張して泊った時、当時、最高級のアムステル・ホテルだったのだが、暑くて眠れなかったこと。
   もう、何十年も前のことだが、ロンドンやパリでも、アメリカ系のホテルは兎も角、超高級ホテルでも冷房の空調設備はなかったし、ロイヤル・オペラハウスでさえ、暑くてどうしようもなかったのを覚えている。

   私自身、合計8年、オランダとイギリスに住んでいたが、勿論、冷房などなかったのだが、暑くて困るようなことがあったとしても、年に10日以下であったように思う。
   今でも、殆どの住宅には、冷房設備などはないのではないかと思うのだが、それだけ、ヨーロッパの夏は快適だと言うことである。
   エコシステムの破壊、地球の温暖化が、この異常気象の元凶なのだが、トランプと言う最悪のカードを引いてしまったので、この暑さについては、お先真っ暗かも知れないと思うと、孫娘たちが可哀そうで仕方がない。
   
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ダンテにとってのベアトリーチェ

2018年08月13日 | 学問・文化・芸術
   ダンテにとっては、やはり、ベアトリーチェ。
   まず、口絵の絵だが、ヘンリー・ホリディが、1883年に描いた「聖トリニータ橋でのダンテとベアトリーチェの邂逅 Dante meets Beatrice at Ponte Santa Trinità」(リバープール国立博物館蔵)
   ヴェッキオ橋の近くのアルーノ川河畔で、ダンテが、18歳の時、2回目に、愛するベアトリーチェに会った運命的な出会いの瞬間を描いたものである。
   ホリディは、時代考証のために、1881年に現地へ出向いて調査して、ヴェッキオ橋とトリニータ橋との間はレンガ舗装されており、左右に店舗が並んでいたこと、そして、水害で崩落したヴェッキオ橋が、13世紀末には再建されていたことなどを調べて、絵に描いている。
   アルーノ川の聖トリニータ橋のたもとで、二人の女友達にはさまれて歩いているベアトリーチェに再び逢ったが、その時彼女は、ダンテを意識して優しく優美に会釈した。と言うのだが、この絵で見る限り、魅力的な女性像ではあるものの、じっと見つめるダンテに目もくれず、つんとすまして通り過ぎて行こうとする雰囲気である。

   さて、「神曲」でのベアトリーチェだが、
   前述のベアトリーチェをモデルにしたという実在論と、「永遠の淑女」「久遠の女性」としてキリスト教神学を象徴する象徴論があるようだが、難しい話は別として、前者では、ベアトリーチェを、ダンテは「永遠の淑女」として象徴化しており、後者では、ダンテとベアトリーチェが出会ったのは、2人が9歳の時で、再会したのは9年の時を経て、18歳になった時であり、三位一体を象徴する聖なる数「3」の倍数が現われているので、ベアトリーチェも神学の象徴であり、ダンテは見神の体験を寓意的に「永遠の淑女」として象徴化したという。

   ところで、他の記述は分からないが、野上素一教授の「ダンテ」と「ダンテ その華麗なる生涯」を読んで得たベアトリーチェの記事を纏めて興味深いベアトリーチェ像が浮かび上がってきたので、それを考えてみたい。
   
   ダンテが、最初にベアトリーチェに会ったのは、1274年、フィレンツェの少年少女の祭りの日で、真っ白な服を着て色白の美少女ベアトリーチェを一目見るや、雷に打たれたように我を忘れて彼女に執心し、その愛は一生変わらなかったと言う。
   神秘的な婦人ベアトリーチェは、じつに清新体の詩の女主人公としてはふさわしい人物で、ダンテは、彼女を主題として詩を書き、熱愛していたが、プラトニック・ラブに終わったのは、同じ貴族なので身分上の差からではなく、フィレンツェ第一の銀行家大富豪と貧しい両替業との経済的な落差の大きさだったのだと言う。

   さて、18歳のアルーノ川河畔での邂逅以降、ダンテのプラトニック・ラブはつのる一方で、面白いのは、それを他人に気づかれるのが嫌で、彼女を教会で発見した時に、自分が彼女を凝視しているのを隠すために、二人を結ぶ直線状に座っていた一人の貴婦人に関心がある様に装い、そのスケルモ(隠れみの)の婦人が居なくなると、別の貴婦人をスケルモにして凝視し続ける、それを知ったベアトリーチェが、その夫人に迷惑をかけたと言ってダンテを非難して、それ以降は路上で会っても会釈を拒否したと言うのである。

   ピサへの従軍から帰ったダンテに、ベアトリーチェの父フィルコ・ポルティナーリが病没したと言う知らせが入り、その後、それを追うように、ベアトリーチェも、心労と産褥熱で、25歳の生涯を閉じる。
   ダンテは、ベアトリーチェの死去のニュースに、愕然として、この重大ニュースを世界中の人に知らせる必要があると思って、「地上の君主たちに告げる」と言う詩を書いて発表したと言うのである。
   この部分での、次の野上教授の文章が面白い。
   ”ベアトリーチェは、それ程美人ではなかったが、見る人に好感を抱かせるような姿をしており、当時、フィレンツェでは、珍しく有徳な婦人であった。
   だが、ダンテが彼女の行為を記録したものを読んだ限りでは、死後天堂界に昇天し聖母マリアの傍らに行ける程聖性に富んだことは一つもしていない。また、詩人ダンテに対して彼女が与えたインスピレーションとしては、ダンテが彼女の信頼を裏切ったことの復讐として、彼のした挨拶に対して挨拶をするのを拒んだことくらいである。そして、「神曲」の中での彼女は、ダンテが地上の楽園で逢った時も未だ冷淡に振舞っている。これは女性らしい意地悪い行為である。”と書いている。
   あばたもエクボとも言わんばかりの表現だが、そうであっても、私は、ダンテの気持ちは、理解できる。直覚の愛を信じているので、理屈抜きなのである。
   ベアトリーチェが、素晴らしい美人であって、聖女のような清らかな婦人であったと言うのは、ダンテを読む読者が考えればよいことである。
   
   悲嘆に暮れるダンテを同情的な眼差しで凝視していた隣の家の窓辺の婦人に慰められ、ダンテは、心を癒すために、哲学書に没頭したと言う。
   その後、ダンテは、意気消沈して病人のように窶れ果て、それを心配した家人の手配で、子供の時からのフィアンセであった、フィレンツェの名家ドナーティ家の娘ジェンマと持参金200リラ付きで結婚した。
   女嫌いの独身者であるボッカチオが言うのだから割り引いて考えないといけないのだが、ジェンマは、利己的で、平凡で、面白みのない、年中めそめそしている婦人で、ソクラテスの妻クサンティペに似ていると言ったと言うことだが、実際には、何処にでも居る平凡な女性だったが、ダンテが少しも面倒を見なかった息子たちの養育に励み、主婦としてやるべきことは立派にやっており、ダンテが真剣に彼女を愛したならばそれに応えたであろうと言う。
   そのダンテは、ベアトリーチェの死がショックだとは言え、生活はひどく乱れて、家を顧みずに、下等な女たちとの交際に入れ込み、低俗な生活に溺れて、ジェンマの従弟のピッチの悪行にも関わったりしていたと言うから、一時的とは言え、モラル最低のグータラ詩人であったと言うことであろうか。

   煉獄篇の第三十歌と第三十一歌で、エデンの園で、再開したベアトリーチェが、ダンテに、正道を踏み外した過去十年間の行状を攻め立て、恋焦がれたのは美しい姿態であって、亡くなると、至上の喜びも脆くも失せて、現世の他のものに惹き付けられたとして、激しく糾弾したので、ダンテは、目をベアトリーチェへの愛から逸らせたことへの罪を悟って激しい悔恨の情に苛まれ卒倒したと言うストーリーは、このあたりのダンテの反省をも反映しているのであろうか。

   ダンテが、「神曲」を書き始めたのは、1307年頃だが、「神曲」でダンテが、暗い森に迷い込んで地獄に入ったのは、西暦1300年の聖金曜日(復活祭直前の金曜日)で、人生半ばの35歳の時である。
   やっと、地獄篇と煉獄篇を読み終えたところなので、天国篇は、どうなるのか、楽しみに読み進めたいと思っている。
   
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ダンテ「神曲」(平川祐弘訳)煉獄篇を読む

2018年08月12日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   やっと、「神曲」の煉獄編を読むことになった。
   最初の地獄篇を読んで、1年かかったことになる。
   
   ブリタニカ国際大百科事典によると、「煉獄」とは、
   浄罪界ともいう。キリスト教において神により罪をゆるされ義とされたが,その罪の償いをまだ終っていない死者の霊魂が死後至福の状態に導かれるまで,残された償いを果すためにおかれると信じられる苦しみの状態。この状態にある死者のために祈ることが可能であり,またよいこととされる。ダンテの『神曲』第2編はこの信仰に基づく。この教義についてはカトリック神学者間にも解釈上の問題があり,プロテスタントでは概して煉獄の存在を否定している。 と説明している。
   天国は「最高の、そして最終的な幸福の状態」であり、地獄は「神から永遠に離れ、永遠の責め苦を受ける状態」なのだが、その中間にある煉獄は、天国には行けなかったが地獄にも墜ちなかった人の行く中間的なところであり、苦罰によって罪を清められた後、天国に入るとされている。

   今道友信先生によると、
   地獄と煉獄の違いは、両方とも死後の世界だが、前者は絶望の府であるが、後者は希望のあるところであるのだが、煉獄は、ヨブ記や詩篇にその片鱗はあったが、12世紀末まで、煉獄(purgatorium)と言う語は名詞として存在せず、煉獄は実在しなかったと説明されている。
   また、煉獄は、7つの大罪 傲慢、嫉妬、憤怒、怠惰、貪欲、貪食、色欲 の層に分かれていて、煉獄の山は、地獄の門の正反対に屹立する山で、その頂上には地上の楽園、Edenの園がある。
   煉獄のイメージが、1世紀を経て一気に、ダンテによって明らかになったのであろうが、地獄篇のように克明に描写されていて興味深いのだが、ダンテが遭遇する苦しむ人々たちやウェルギリウスに、政治や諸都市の悪徳、道徳や愛等々、正論を語れせており、ダンテの政治思想や哲学、人生訓などが、吐露されていて、非常に面白い。

   この煉獄編の第九歌に、煉獄の門が歌われている。
   三段の石段があり最上段に剣を持った天使が座っていて、ダンテの胸を三度打ち、罪を表すPと言う字を7個刻むのだが、その後、煉獄の7層を遍歴している間に、Pが一つずつ消えて行き、頂上に達して、第三十歌で、憧れのベアトリーチェに会う。
   ここで、ここまで、ダンテを導いてきたウェルギリウスが、姿を消す。ローマの偉大な詩人だが、BC生まれで、キリストの洗礼を受けておらず、人間の理性を以てしては天国へ上れないからで、ここからは、ベアトリーチェが先達を務める。
   
   ところで、このベアトリーチェだが、野上先生によると、ダンテは、同じ9歳の時に、フォルコ=ポルティナーリの広大な庭園で開催された花祭りの宴会で、令嬢のベアトリーチェに会って一目惚れして、詩物語「新生」を書き、9年後18歳の時に、アルーノ川の聖トリニタ橋のたもとで、二人の女友達にはさまれて歩いているベアトリーチェに再び逢ったが、その時彼女は、ダンテを意識して優しく優美に会釈した。と言う。
   ただそれだけで、ダンテが、恋焦がれて永遠の女性として、「神曲」で、天国への導き手として描き切ったと言うのであるから、プラトーンの神に攫われたダンテを触発した、ベアトリーチェのインスパイア―パワーの凄さは、格別だったのであろう。
   このベアトリーチェは、フィレンツェ第一の富豪の令嬢故、同じ銀行家のシモーネ=デ=バルディと結婚して、24歳で夭折したのだが、両替業でやっと生計を立てていた貧乏貴族の子息ダンテには、高根の花で、片思いに終わったと言うことである。

   しかし、このベアトリーチェの夭折が、ダンテに新曲を書かせたのであるから、ベアトリーチェは、ダンテにとっては、誰にも属さない孤高の存在として生き続けていたのであろう。 
   そう思ったのだが、先の歌で、正道を踏み外したダンテの過去十年間の行状を攻め立て、第三十一歌では、恋焦がれたのは美しい姿態であって、亡くなると、至上の喜びも脆くも失せて、現世の他のものに惹き付けられたとして、ベアトリーチェに激しく糾弾されて、目をベアトリーチェへの愛から逸らせたことへの罪を悟って激しい悔恨の情に苛まれ卒倒すると言うストーリー展開になっていて、非常に興味深い。
   この時も、ダンテは、現世でも余人を凌ぐ美しさだったが、眼前のベアトリーチェは、昔の美しさえはるかに及ばぬ美しさだと述べており、理想の極致を反芻していたのであろう。

   この「神曲」は、長編叙事詩なので、韻を踏むなど朗詠を聴くと、はるかに、その良さが分かるのであろうが、今道友信先生は、ダンテ「神曲」連続講義で、重要な詩のイタリア語の原文を示して、受講者たちと一緒に朗詠していて、その一端を感じて興味深かった。
   平家物語を、朗読で読むよりも、上原まりの越前琵琶の朗詠で聴く楽しさに匹敵するのであろう。
   

(追記)神曲の煉獄のイメージ図としては、フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂にある、ドメニコ・ディ・ミケリーノの絵画《ダンテ、『神曲』の詩人》が一番よくわかる。ダンテの背後の三角錐の山で、中央下に天子の座る門があり、頂上はエデンの園である。
   
   
   
   小さい画像だが、ダンテハウスに展示されている次の煉獄図もイメージとしては恰好かもしれない。
   
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シェイクスピア、ダンテ、そして、ゲーテ

2018年08月11日 | 生活随想・趣味
   私も後期高齢者なので、ぼつぼつ、終活を考えた方が良い。
   と言っても、残すべきものは何もないので、自分勝手なことばかりである。
   
   私のような凡人にとっては、恵まれたというか、とにかく、仕事を通して世界中を歩き回って、考えられないような経験をしたり、美しいもの素晴らしいものにも沢山触れたり、見るべきものは見つと言った知盛の心境を感じた瞬間もあったし、まずまずであったと思っている。
   尤も、逆に、反省すべき慙愧に堪えない思い出も多くて、心苦しい思いの方が、強いのも正直なところで、長い人生、色々なことがあったと言う感慨に耽ることも多くて、複雑な気持ちであるだけに、終活くらいは、真面目に対応したいと思っているのである。

   何も、だからと言って、大上段に振り被ることもないのだが、最近、今道友信先生の連続講義を聴きながら、ダンテの「神曲」を読み始めて、その周辺知識を学ぼうとし始めたのも、その終活の一環である。
   西欧文学では、シェイクスピア、ダンテ、ゲーテが、最高の巨匠であることは、言うまでもないのだが、これに挑戦してみようと思ったのである。
   幸い、シェイクスピアについては、フィラデルフィア時代にシェイクスピアに触れ、ロンドンに移ってからは、随分本も読んで、これ幸いと、小田島雄志先生の訳本を小脇に抱えて、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーやロイヤル・シアターのシェイクスピア戯曲の公演に通い詰めて、ストラートフォード・アポン・エイボンなど何回も訪れるなど、かなり、シェイクスピアの世界は楽しませて貰った。
   しかし、専攻が経済学と経営学であったので、どうしても、意識の中で、文学には縁遠く、ダンテの「神曲」も、ゲーテの「ファウスト」も積読で、手を触れることもなかったのだが、ここに至って、このまま、ダンテもゲーテも知らずに死に行くことが、如何に惜しいことかを悟って、挑戦しようと思ったのである。

   この興味如何に拘わらず、価値あるものに挑戦すべきだと言う姿勢は、大学生の時に、クラシック音楽で経験済みであり、同じ意気込みである。
   洋の東西、時代を越えて、世界中の人々から愛し続けられているベートーヴェンやモーツアルトの音楽の良さを味わえなくて、何が人生かと思って、当時、リーダーズ・ダイジェストを購読していたので、そこから出していたクラシック名作全集と言う12枚のレコードを買って、分かっても分からなくても、聴き続けたのである。
   おかしなもので、チャイコフスキーのバレエ音楽やヴァイオリンやピアノの三大名曲も聴きたいと思い始めて、はじめて、レコード店に行って、スイスロマンドのアンセルメの「白鳥の湖」や、カラヤンの協奏曲など買って帰った。
   走り出すと早いもので、コンサートにも出かけて行き、その数年後には、月給の大半を費やして、来日していたピエール・ブーレーズ指揮のバイロイト音楽祭のワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」に出かけた。その前に、カール・ベーム指揮のバイロイト・オリジナル版の「トリスタンとイゾルデ」のレコードを聴き込んで予習をしており、憧れの同じ歌手ビルギット・ニルソンやヴォルフガング・ヴィントガッセン、ハンス・ホッターが、目の前で演じているのだから、感激の極みであった。
   このようなことどもがドライブして、私を、音楽の素晴らしさ楽しさに開眼させてくれ、一つの貴重な世界が広がったのである。
   その後、合わせて14年欧米で過ごしたので、ウィーン、ミラノ、ベルリン、ニューヨーク等々、観るべき舞台、聴くべきオペラやクラシック音楽を、存分に楽しむことが出来た。
   
   さて、ダンテだが、知らなかったが、当時、京大には、野上素一教授と言う素晴らしいイタリア文学者がおられたのだが、ろくに経済学部の講義さえ行かなかったのに、今なら、授業に潜り込んで聴講するのにと残念に思って、遅ればせながら、「ダンテ」や「ダンテ その華麗なる生涯」など教授の著書を買って読み始めている。
   ダンテについては、その後のイタリア・ルネサンスへの影響など、絵画鑑賞にも膨らみが出るので、興味深く、当分、イタリアの歴史勉強にも傾注して、フェルナン・ブローデルの「地中海」あたりにも挑戦できたらと思っている。
   悪い癖で、読みたいと思うと、どんどん、関係本を買いこむので、老骨に鞭を打ってどこまで読めるか、幸い目は悪くないので、やれるところまでやろうと思っている。

   次のゲーテだが、ずっと、前に買った池内紀のゲーテ『ファウスト』(全2巻)が積読状態にあり、小塩節のゲーテ関係の本などもあるので、挑戦したいと思っている。
   幸い、ダンテやゲーテの世界であったヨーロッパの地をこの足で踏んでいて、多少、雰囲気なりバックグラウンドを知っているので、理解の後押しをしてくれるのではないかと思っている。

   とにかく、ダンテで、地獄や煉獄や天国を勉強したのだから、このまま、走り続けて元気で往生できればと願っている。
   
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