熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

わが庭・・・挿し木苗に椿式部咲く

2020年03月30日 | わが庭の歳時記
   一昨年、何の気なしに挿し木していた式部が、活着したようだったので、そのまま、小さな鉢に移植しておいたら、15センチほどの小さな苗木に、一人前の綺麗な式部の花を咲かせた。
   昨年も、同じように咲いたし、今年も、まだ、スタンドバイしている挿し木苗があるので、式部は、非常に生命力の強い椿なのであろう。
   わが庭の門扉横の花壇に植えてある式部は、まだ、2メートル足らずの木なのだが、今年は、何十という蕾をつけて咲き乱れ、まだ、咲き続けている。
   

   ダローネガが、面白い咲き方をした。
   千重咲きの花なのだが、綺麗に花弁が開く前に、中間の開花を待たずに、花心が勢いよく開いたのである。
   まだ、良く分からないが、蘂は完全に退化しているようである。
   本来なら、トムタムのように、千重咲きに開き来るのだが、こういう咲き方も面白い。
   千重咲きの椿を意識して育てているのは、やはり、当初の乙女椿の印象が強かった所為であろうと思っている。
   
   
   

   先日開花したバレンタインデーも、少し、花を開いて、千重咲きの雰囲気を醸し出してきたが、螺旋模様に綺麗に咲ききるのか、楽しみである。
   この椿を見ていると、牡丹やしゃくやくの花のような風情を感じて興味深い。
   どう考えても、解せないのは、玉ありあけの今咲いている花で、玉之浦の子孫とは思えず、むしろ、この花に似た唐子咲きの椿である。
   
   
   

   エレガンス・シュプリームの最後に咲いた花が、やっと、本来に近い唐子咲きに咲いた。
   ジュリア・フランスも、まだ、大輪の綺麗な花を咲かせてくれている。
   しっかりと咲き続けているのは、黒椿、シックで、美しい。
   
   
   

   クラブアップルの新芽に、花びらの蕾が現れてきた。
   花も清楚で美しいが、このように、咲く寸前の姿も味があって良い。
   
   
   

   ところで、余談だが、新型コロナウイルス騒ぎに対して、日本は、政府を筆頭にして、危機意識が低すぎると思う。
   歴史上、これまで、人類が如何にパンデミックで、文化文明の危機に陥ってきたか。
   既に、医療崩壊の心配さえ囁き始められており、それに、あの程度の政府の経済対策などの対応で、この難局を十分に乗り切れるとは思われないし、首相が豪語するようなV字回復など夢の夢。
   正常に走っていた車に、急ブレーキをかけて、急停止させたのと、全く同じ緊急事態、経済活動は壊滅的なストップ状態。
   この状態が、世界中で勃発、今は、欧米の先進国が阿鼻叫喚の瀬戸際に呻吟しており、さらに、貧しくて十分に対応できない新興国や発展途上国を巻き込めば、宇宙船地球号はどうなるのか。
   ただでさえ、経済成長から取り残されて、30年間も眠り続けて先進国の後塵を拝するような状態に落ちぶれて、普通の国になてしまった日本の艱難辛苦は計り知れない筈。
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わが庭・・・椿:バレンタインデー咲く

2020年03月28日 | わが庭の歳時記
   真っ赤な椿、バレンタインデーが、遅ればせながら咲き出した。
   唐椿「仏陀」とサルウィンツバキの交配種でアメリカ生まれのツバキで、この写真では、まだ、咲きっていないが、千重咲きの大輪の紅色の美しい椿である。
   
   
   
   

   先日紹介した黒椿に、綺麗な筒蘂の花が咲いた。
   前に咲いた花やナイトライダーと比べれば、良く分かるが、雌しべもよく見えているので、これなら、結実するかも知れない。
   
   
   
   
   

   他の椿も綺麗に咲き続けている。
   わが庭の椿は、園芸種ばかりなので、それなりに、雰囲気があるのだが、こんなに天気が荒れると、花弁が繊細でか弱いので、可哀想である。
   
   
   
   
   
   

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わが庭・・・椿:天賜、津川絞咲く

2020年03月27日 | わが庭の歳時記
   一重の淡いピンクの清楚な花の天賜が咲いた。
   「てんし」と読むのだが、ピンク地に底が白ぼかしで、太く短い筒しべ、椀咲きの中輪椿である。
   この椿には思い出があって、ロンドンから帰国したときに、長い間ルスをしていたわが庭に、忘れずに主を待っていて咲いてくれた乙女椿のあまりの美しくしさに感動して、椿栽培をはじめて、最初に園芸店で買った椿なのである。
   ほんのりとしたピンク地が、花弁の底に行くにつれて少しずつ白くなっていくグラデーションが気にいっていたのである。
   千葉の庭では、随分大きくなって、毎春、綺麗な花を咲かせて喜ばせてくれたのだが、多くの椿とともに分かれて鎌倉に移り、懐かしくなって新しく育てているのが、この椿で、それが咲き始めたのである。
   千葉の庭から、実生苗を10本ほど持ってきて庭植えして、まだ、花が咲いていない苗木があるので、その種の苗木が残っているかも知れないと思っている。
   
   
   
   

   もう一つ咲いたのは、津川絞。
   新潟のユキツバキで、きれいに螺旋形に花弁が並ぶ列弁咲きの千重咲きの椿だが、まだ、完全に開花する前に写真を撮ったので、その美しさは表れていない。
   桃色地に紅の絞りが一寸入っているのが面白い。
   この椿は、まだ、幼苗なので、鉢植えのままだが、トムタムのような雰囲気で咲くのであろう。
   
   

   べにばなときわまんさくが、一斉に咲き出した。
   白花もあったのだが、植え場所に困って、この紅花だけ、庭うえにしたのだが、アクセントになって面白いと思っている。
   
   
   
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イベント中止で、METさえ危機的状況

2020年03月26日 | 政治・経済・社会
   昨日、METのPeter Gelb General Managerから、ファンにメールが送られてきた。
   ”Support the Met Now and Protect Its Future”
   As you know, we recently had no choice but to cancel performances in order to protect our audiences, artists, and staff from the spread of the coronavirus. As devastating as it is to have to close the Met, this was the rare instance where the show simply couldn’t go on.
   But we are determined to weather this storm and are looking ahead to the 2020–21 season, opening in September, since it is now clear that we will not be able to resume operations before the scheduled end of our current season in May. The financial threat to the Met is immense, and we cannot ensure the future of Met performances or seasons without your help. I am writing today to ask you to consider making an urgent gift to the company to help us address the overwhelming economic implications of the pandemic.
   In these extraordinarily challenging times, opera and the arts offer solace to a frightened nation and our fellow citizens around the world. That’s the reason why last week we began streaming a different encore performance from our Live in HD series each night, for free. It’s a reminder that the arts are part of the soul of a civilized society, and without cultural institutions like the Met, our lives would be diminished.
While we are cutting expenses in every way possible in the coming months, including my own decision to take no salary, we need your help now. The stock market is down, but it will rebound. The Met will recover too, but only with the assistance of our most loyal fans and donors.
   I am forever impressed and grateful for your passion and support. We need it now, more than ever before. Thank you.
With great appreciation for your help,

   ニューヨークのパンデミック対応は、危機的な状態であり、METは、3月14日から閉鎖されていて、5月のシーズン末までの閉幕による経済的損失が甚大で、9月の2020–21 seasonの開幕が危ぶまれていると言うことで、ファンのサポートを求めているのだが、感動的な指摘は、
   the arts are part of the soul of a civilized society, and without cultural institutions like the Met, our lives would be diminished.
   芸術は、文明社会の魂であり、METのような文化事業団がなければ、我々の人生は、生きる価値や喜びを徐々に失って行くであろう、とでも言うことであろうか。
   文楽への補助金を叩き切った橋下某には、分からない世界であろうが、文化人の誇りが息づいている。

   さて、日本も、オリンピック・パラリンピックが来年に延期され、政府のイベント自粛要請を受け、急遽、多くのスポーツや文化イベントが中止されて、ことごとく公演が中止ないし延期されて、その混乱ぶりは大変なものであり、被害なり経済的損失は計り知れない。
   私の場合には、精々、国立劇場や都響などからのキャンセル通知を受けて一喜一憂する程度で済んでいて、自分で行かないものは別にして、払い戻しがあるので損失も限られている。
   しかし、アスリートや芸術家、イベント当事者などを襲ったダメッジは大変なものであろう。

   Business Insider Japanの竹下 郁子さんの記事”新型コロナ「イベント中止なら倒産」「政府は保証を」の声続々と」を読むと、直近のレポートなのでその辺の事情が良く分かる。
   イベントの主催者は、公演を中止すれば、チケットは払い戻し、会場へは使用料を、出演者には違約金を払わなければならないと言った直接的な経済的損失があるのであろうが、これまでの準備や今後の処理など考えただけでも、キャンセルで売り上げが減ったという単純な話では、なくなってしまう。
   イベントに伴って動く周辺関係の事業者や組織、働く人々への波及効果を考えれば、
   「政府はイベント中止要請を出すなら、セットで補償や融資を決めてくれないと、バタバタ倒産するのは目に見えてる。収入は途絶える。払いはある。そんなのに耐えられるのはよほどの大企業だけ。主催者、出演者だけじゃない。周辺業者、近隣宿泊飲食施設、交通機関…全部影響する。政府は中小支援を!」(@nest1989)と言う切実な訴えとなる。
   「興行中止保険」だが、新型コロナウイルスの感染が原因で中止になった場合は「原則、補償の対象外」だという。
   政府は、どのような救済措置を執るのか、非常に難しい問題である。

   さて、今日の日経夕刊を見ると、4月から、METライブビューイングの「ポーギーとベス」「アグリッピーナ」「さまよえるオランダ人」は上演するらしい。
   しかし、こんな時期であるから、残念だが、映画館へ行くのは、諦めようと思っている。
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わが庭・・・黒椿:ナイトライダー、そして、源平桃、フリージャー咲く

2020年03月25日 | わが庭の歳時記
   先日蕾だったニュージーランド生まれの黒椿ナイトラーダーが咲き始めた。
   千葉からの移植で、長い間、育てている数少ない椿の一株なのだが、成長が遅く、それに、木が華奢なので、花が咲くと嬉しくなる。
   先日咲いた黒椿と、全く雰囲気が違って面白い。
   
   
   
   
   

   他の椿だが、長く咲いていたタマグリッターズの今年最後の花が咲いている。
   至宝の花心が乱れて、核が二つの花が咲いた。まだ、沢山の蕾が着いているが、完全な形で咲ききったのは、最初の時の一番花だけで、今年は、どうであろうか。
   
   

   ひな祭りの3月3日には咲かなくて、梅より遙かに遅れて咲くのが桃の花。
   何本か植えたのだが、活着せず、垣の外、小川の斜面に植えた垂れ源平桃が咲き始めた。
   千葉の庭にも、かなり大きく育ったのだが、桜と同様に虫に弱く、枯れてしまったが、成長が早いので植えてみたのである。
   下草で咲き出したのが、フリージャーで、わが庭には、黄色一色だが、六波羅蜜寺の空也上人像のようで面白い。
   
   
   
   

   いつの間にか、びわの実が膨らみ始めた。
   昨年は、沢山実をつけたので、梅酒と同じようにびわ酒を作ったのだが、梅酒より淡い色の果実酒が出来て、結構甘くて美味しかった。
   柿の木、モミジ、山椒、梨、椿、新芽が芽吹き始めた。
   椿は、これから、新芽が出て、肥培を上手くすれば、一気に成長をはじめるので、鉢苗は、それに気をつけて、5月末頃から水を切って蕾付きを図るという仕事が始まる。
   バラとアジサイが、葉を茂らせ始めたので、楽しみになってきた。
   
   
   
   
   
   
   
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わが庭・・・黒椿咲く、そして、シャガ、ユキヤナギ

2020年03月23日 | わが庭の歳時記
   黒い椿の開花は、いつも遅いのだが、黒椿が開き始めた。
   黒椿と言っても、和名があるはずなのだが、園芸店から買ったときにその名札だから、実名は分からない。
   以前に、洋椿のブラックオパールとナイトライダーを育てていて、ナイトライダーだけ鎌倉に持ってきて、移植したのだが、まだ、蕾が堅い。
   黒い花に魅力を感じて、ずっと以前に、黒いチューリップを沢山植えていたのだが、椿も、その延長で、一寸変った雰囲気が魅力であった。
   
   
   
   
   
   

   椿は、今、千重咲きのトムタムとダローネガと至宝が美しく咲いている。
   花弁が華奢なので、風雨にやられなければ綺麗なのだが、花心の真ん中まで咲ききると、美しい。
   先日、新聞に美人は結婚運に恵まれないと書いてあったが、この椿は、蘂が現れないので蜜がないのか、虫もつかないというか、メジロさえ寄りつかないのが面白い。
   
   
   
   
   
   

   アヤメに先駆けて、シャガが、ひっそりと、下草で咲き始めた。
   結構派手な花形をしているのだが、控えめな風情が好ましい。
   ユキヤナギが、すっくと伸びた枝に咲き始めた。
   園芸店で買ったときには、小鉢で、淡いピンクの花を咲かせていたのだが、いつの間にか、白い花になった。
   樹勢の勢いが強いので、強剪定しないと、どんどん広がって行く。
   
   
   
   

   ブルーベリーにも、花芽がつき始めた。
   相当大きな木に育たないと、収穫には至らないのだが、何本か大きくなって花芽をつけているので、孫のブルーベリー摘みには役立つかも知れない。
   クラブアップルも、花芽をつけたので、来月には、花を楽しめそうである。
   一気に春めいてきて、花木が動き出すと、毎日の庭仕事が面白くなる、そんな、今日この頃である。
   
   
   
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わが庭・・・椿:ハイフレグランス咲く

2020年03月22日 | わが庭の歳時記
   もう、2メートル近くなるのだが、花付きが悪く、やっと咲いたのが、ニュージーランド生まれのハイフレグランス'High Fragrance'。
   ところが、この椿は、淡桃色で弁端ピンクぼかし、牡丹咲きの中輪の花が咲くはずだったのが、咲いたのは、ピンクの綺麗な椿ではあるが、蘂は、牡丹咲きではなく整った普通の形をしていて、昨年咲いた花とは様変わりである。
   匂い椿なので、かすかに香りがするのだが、先祖返りか、今年は、他の椿もそうだが、本来のイメージとは違った変った花が咲くのでびっくりすることが多いのだが、それも、椿を育てる楽しみの一つであろう。
   昨年咲いた花と比べると違いが良く分かるのだが、地球温暖化による異常気象の結果であろうか。
   上手く活着するかどうか分からないし、時間がかかるのだが、枝変わりなのかどうか確かめるために、この花の咲いた枝を挿し木してみようかと思っている。
   
   
   
   
   
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コロナウイルス騒ぎでMETライブビューイングも中止

2020年03月21日 | クラシック音楽・オペラ
   METより、コロナウイルス騒動のために、今シーズンのMET公演を中止したので、後半のMETライブビューイグをキャンセルするとのメールが入った。
   Dear Opera Lover,
   In light of the coronavirus pandemic, we regret to inform you that the Metropolitan Opera has canceled the remainder of the 2019–20 season, which was to have ended on May 9, 2020. This includes the upcoming Live in HD transmissions of Puccini’s Tosca and Donizetti’s Maria Stuarda.
   その前に、3月14日のニューヨーク等でのWagner’s Der Fliegende Holländer のMETライブビューイングはキャンセルされているので、都合によっては、最後の、「さまよえるオランダ人」「トスカ」「マリア・ストゥアルダ」の3演目が、上映中止だと言うことになる。
   残りの4月初中旬上映の「ポーギーとベス」「アグリッピーナ」については、上映されるのであろうが、こんな時期なので、劇場へは行きたくないので諦めようと思っている。

   念のため、ロンドンのRoyal Opera House のHPを開いたら、劇場を閉鎖して全公演をキャンセル、
   In light of the COVID-19 pandemic, we have taken the decision with a heavy heart to close the building to the public and cancel all performances in Covent Garden with immediate effect.
   
   大分前から、ピカデリーのミュージック・シアターが閉鎖された映像がテレビ放映されていたので、ウエストエンドのミュージカル上演もキャンセルされているのあろうが、ニューヨークにしろロンドンにしろ、博物館や美術館なども含めて、芸術鑑賞が最高の楽しみの一つであるから、大変な損出であろうと思う。

   さて、頻繁に劇場へ通っている観劇ファンにとっては、芝居を見たり音楽を聴いたりするだけではなく、臨場感や劇場の雰囲気のみならず劇場へ行く過程を楽しんだり、下準備の勉強などで悦に入ったり等々付随的な楽しみが伴っているので、今回のように、劇場の閉鎖だけではなく、外出自粛で劇場へ行くのも憚られると言うことになると、一挙に、楽しみというか、趣味娯楽の時間が吹っ飛んでしまう。
   しかし、不思議なもので、これが、1ヶ月以上も続いてくると、何となく慣れてきて、それ程気にならなくなってくる。
   私の場合、読書やガーデニング、写真など趣味の比重の移動意外に、日頃殆ど見向きもしなかった録り溜めたオペラや能狂言、映画などの鑑賞に時間をかけられるようになって、むしろ、新しい発見などがあって、結構楽しんでいる。
   とにかく、DVDだけでも、相当な量があって、これまでの蓄積であるから、中には、貴重な質の高いソフトもあるので、この方が、良かったと思うこともある。

   諸般の事情があって、オペラ劇場へあまり行けなくなった昨今、METライブビューイング鑑賞は、楽しみの一つであったが、それも、行けなくなって寂しい限りだが、幸い、10年以上も録り溜めたMETライブビューイングや、NHK放映のスカラ座やロイヤルオペラなどの貴重なオペラ公演を、4K画像でハイレゾサウンドで楽しむのも悪くないと思っている。
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新型コロナで観光客減りベネチアの運河がきれいに

2020年03月20日 | 地球温暖化・環境問題
   AFPニュースで、「ベネチアの運河がきれいに 新型コロナで観光客減り」というタイトルの記事が報じられて、人気の全く消えた綺麗に水の澄んだヴェネツィアの風景写真が掲載された。
   先日、このブログで、F・ブローデルの「都市ヴェネツィアー歴史紀行-」をレビューした後でもあり、印象的である。

   新型コロナウイルスの影響によりイタリア全土で封鎖措置が敷かれる中、水の都として世界的に知られる同国のベネチア(Venice)では、観光客の出すごみがなくなり水上交通量もほぼ皆無となって、きれいに澄んだ運河の水が住民の目を楽しませている。ベネチアは3月9日以降、他の国内各都市と同様にいわゆる「危険区域」とされた。ホテルや飲食店、大半の会社は閉鎖され、住民は自宅にとどまり移動を控えるよう命じられている。ベネチアの運河の水は通常、底にたまった泥がモーターボートで巻き上げられたり、観光客の捨てたポリ袋やごみが浮かんでいたりと汚染された状態だが、移動制限により劇的な効果が出ている。と言うことである。
   この記事の写真をいくらか借用して掲載させて頂くと、
   
   
   
   

   ブローデルは、ヴェネツィアの水は、石同様に重要だが、安全を保証すると同時に呪いであり、豊かさであると同時に悩みの種であり、類い希なる美であると同時に死の脅威でもある。と言っている。
   水害や地盤沈下で水没する危険が有名だが、ヴェネツィアは、ラグーナのまっただ中で、呪いに他ならぬ塩に囲まれており、飲料水の確保は絶えざる拘束で、井戸や雨水を貯めたり、幾層もの砂で濾過したりしたが埓があかず、数え切れないほどの水運び船が行列をなして運航されていたが、それでも足らず、供給制限をして鐘を鳴らして分配していたという。
   今日では、近代的な水道設備で、この飲み水問題は解決したが、自動車が全く使えないヴェネツィアでは、ラグーナや運河を走る水上輸送が命で、船乗りたちが操る大きなはしけペオーテが、リアルト市場へ物資を運んでいるという。
   上の写真のドカーレ宮殿前の大運河やリアル橋前などの運河の水は、目を見張るように美しい。

   しかし、大分以前のことになるが、ヴェネツィアの町歩きはまさに迷路を歩くようなもので、間違って、路地裏に入ると、小さな運河が入り組んでいたり、殆ど通れないような細道に迷いここむと、綺麗な表通りと違って結構貧しい雰囲気に遭遇することがある。
   私の手元に、1977年刊のライフ社の世界の大都市ベネチアがあるのだが、その中に、”宮殿や巧妙に作られた眺望はなく、あるのはごみごみした小さな運河、狭いとおり、崩れ落ちそうな橋などで、夏だとひどい悪臭が立ちこめる。”と記されている。
   今も、それ程変らないのかどうかは分からないが、このあたりの環境も、新鮮な水が流れれば、綺麗になるのであろう。
   ロンドンに、僅かに小川が流れる簡素な住宅街に、リトル・ベニスと名づけた高級地があったが、水の都ヴェネツィアは、やはり、世界中の憧れなのであろう。

   さて、今回問題にしたいのは、人々の生活が、いかに、自然環境、エコシステムにダメッジを与えているかと言うことである。
   生活環境は、ともかくとして、自然のエコシステムに任せて、自浄作用で運河やラグーンを元に戻せば、ほんの数週間で限りなく美しくなって、水が澄んで魚や生き物たちが帰ってくると言うことである。
   しかし、これらの写真を見ていて、美しいが、何の味も感動もないし、なぜか、無味乾燥で面白くない。
   往時の繁栄と観光客のメッカとしての雰囲気があってこそのヴェネツィアなのである。

   この美しい景観と雰囲気を維持しつつ、人類の営々と築き上げてきた貴重な文化文明の遺産を、如何にして、守り続けていくか、人類の重要な課題であろうと思う。
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わが庭・・・椿:ジュリア・フランス、ダローネガ咲く

2020年03月19日 | わが庭の歳時記
   フランスのジュリア社作出のジュリア・フランスが、大きな花を開いた。
   先に咲いたジュリア・バー程の派手さはないが、淡いピンクの八重咲きで、年によって、花弁化した蘂部分の形が変って面白い。
   
   
   
   

   昨年咲かなかったダローネガが、今年は、咲いた。
   かぎけん花図鑑によると、
   アメリカで育種されたジャポニカ(Camellia Japonica)です。春咲き品種で、花は淡黄色、千重咲、中輪花を咲かせます。 花名は椿としては珍しい黄色の花色に関係し、アメリカ先住民の言葉で「金」を意味し、初めてゴールドラッシュが起きたジョージア州の町名が付けられました。黄色い椿の花言葉は、「円満」です。ということだが、黄色というよりは、淡いクリーム色と言った感じである。
   中国の黄色椿とは関係ないようで、白い椿の突然変異であろうか。
   千重咲きで、実を結び難いので、挿し木や接ぎ木で増やす意外に仕方がないのであろう。
   
   

   モミジが、芽吹き始めた。
   それに、牡丹の蕾も姿を現してきた。
   一気に、春めいてきた感じで、陽がまぶしい。
   美しくて感動的な花の乱舞も、自然界のなせる技。
   コロナウイルスなど無関係と言った風情だが、パンデミックを引き起こす総てのビールスは、ジャングルなど自然界に眠っていた病原菌を、人間が誤って叩き起こしたためだという。
   地球温暖化による環境破壊も含めて、エコシステムを破壊し続ける傍若無人な人間に対する自然の報復と言うことであろうと思うと、文化文明の進歩、そして、人間の幸せとは何なのかと考えざるを得ない。
   
   
   
   
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わが庭・・・椿:マーガレット・ディビス咲く

2020年03月18日 | わが庭の歳時記
   白地に紅の覆輪、牡丹咲きのオーストラリア生まれの椿マーガレット・ディビスが咲き始めた。
   この写真は、まだ、満開ではないが、咲きかけた花弁を、メジロに落とされたので、その前にと思ってシャッターを切った。
   
   
   
   

   ところで、不思議であったのは、咲き遅れていた玉ありあけが、開花したのだが、玉之浦の子供である特徴の白覆輪の白が消えて、赤花の唐子咲きの雰囲気の違った花を咲かせた。
   1ヶ月ほど前に咲いたときには、かすかに白覆輪が残っていたのだが、今咲いているタマグリッターズやタマアメリカーナの花も白覆輪の白部分が、随分狭くなってきているので、だんだん、紅化して行くのであろうか。
   昨年の花と比べると良く分かるのだが、蘂の花化はこの花の性格であろうから、唐子咲きになっても不思議はないのであろうが、大木になったら、どのような花の咲き方をするのか興味深い。
    
   
   
   
   

   咲き乱れていた梅の、花が消えたと思っていたら、小さな実が結実し始めている。
   今年も、梅酒を楽しめそうである。
   
   

   今月は、コロナウイルス騒ぎで、国立能楽堂など国立劇場の公演がキャンセルされ、映画にも行けなかったので、家に釘付けの所為もあって、わが庭の歳時記の記事ばかりになってしまった。
   それでも、天気の良い日には、日頃以上にガーデニングに気を遣っていて、今春は、少しは自然との対話を楽しめそうかもしれないと思っている。

(追記)翌朝の開花したマーガレット・ディビス。
   
   
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わが庭・・・椿:ブラックマジック、トムタム咲く

2020年03月17日 | わが庭の歳時記
   大型の黒椿ブラックマジックが咲いた。
   他の黒椿は、小輪が多いのだが、この椿はアメリカ生まれで、流石に、バラ以上のボリューム感のあるたっぷりとした花弁の花である。
   わが庭の椿は、非常に華奢な木で、地面を這うような感じで、大きな蕾をつけると垂れ下がって、支柱で支えないと鑑賞できない。
   この椿は、千葉の庭から移植したのだが、苗木を買ってから10年は経つけれど、まだ、1メートルに達せず、木に体力がないので、蕾をつけても、途中で落としてしまい、わが庭で咲くのは1輪くらいである。
   しかし、今朝も写真を撮ろうと思って支柱で支えてよく見えるようにした途端に、メジロがやってきてつつき始めた。
   
   
   

   トムタムも咲き出した。
   乙女椿に雰囲気が似た洋椿だが、外縁に行くほど白がかってくるのが面白い。
   
   
   
   
   木蓮が一気に咲き始めた。
   エニシダ、スノードロップ、ハナニラ 少しずつ賑やかになってきて、もう、春たけなわと言うべきであろうか。
   
   
   
   
   
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わが庭・・・椿:エレガンス・シュプリーム咲く

2020年03月15日 | わが庭の歳時記
   エレガンス系3種のうち、最後に咲いたのが、エレガンス・シュプリーム。
   この口絵写真の花は、挿し木苗の花だが、花心の鹿の子なども、本来のエレガンス・シュプリームの花の形に近い。
   
   

   ところが、大分大きくなった親木には、蕾が大分着いたのだが、咲いた花は、例年とは全く違って、鹿の子がシンプルになって、黄色い蘂がかって、普通の花のような咲き方になったのである。
   花弁は、いつものとは違って、やや薄いピンクの勝った綺麗な色である。
   しかし、幸いというべきか、雌しべがはっきりしているので、受粉して、種が取れる可能性もある。
   
   
   
   
   

   挿し木していた至宝の小苗木に、はじめて花が咲いた。
   何本か挿し木して育った苗木の一本だが、これで、スペアが出来たので、安心である。
   実生苗の一本に、ピンクの一重の蕾をつけて、その花弁に、知らない昆虫の幼虫が張り付いていたので、面白いと思って、シャッターを切った。
   足が8本であるから、蜘蛛であろう。
   
   

   遅ればせながら、バラの鉢増しをした。
   小さな鉢から大きな鉢へ植え替えるのだが、根鉢を崩さずに抜いて大きな鉢に移して、土を追加するだけであるが、それ程、根が張り詰めていなかったので、3鉢だけにした。
   要するに、根の生育が十分ではなかったので、綺麗な花が咲かなかったのかも知れないので、肥育に注意しようと思っている。
   
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中野 順哉著「うたかた 鶴澤寬治が見た文楽」

2020年03月14日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   この本は、先に逝った人間国宝七代目鶴澤寬治の自伝風の文楽に対する警醒の書である。
   数えで90歳、戦前から現在までの文楽の道のりを知っているのは自分しかおらず、それをせめて書き残しておきたい、と薫陶を受けた著者が、真摯に向き合って聞き書きした、文楽への激しい熱情を秘めた鶴澤寬治の遺書とも言うべき貴重な書である。
   これまで、文楽の三業の中で、人形遣いや太夫の著した、あるいは、その関係の本を読むことが多かったので、三味線方の役割や動向なり、演者の心情などがよく分からなかったのだが、この本で、文楽における三味線の位置づけが、少し分かったような気がする。
   25年以上、毎回、国立劇場に通っているので、鶴澤寬治師の三味線は、何十回となく聴いているはずだが、文楽は三業の共演なので、特に強烈な印象が残っていないのが、残念ではある。

   文楽の歴史や鶴澤寬治の生涯については、非常に貴重な示唆に富む記述が多くて感銘深く読んだのだが、ここでは、鶴澤寬治が、最晩年に至って、どのように文楽の現状と将来に対して憂いと真情を吐露したのか、その点だけについて書いてみたい。

   まず最初に文楽の存続の危機を現出させたのは、GHQの介入によって生まれた組合の設立問題。
   自腹を切って存続を維持してきた松竹に、給料を寄越せ、労働条件を良くしろなど、義理人情を題材とする文楽で、真逆のことを、言えないと言う古典芸能の心の領域を、GHQは、直撃し、さらに、切腹はダメ、仇討ちもダメ、帝への忠誠もダメ、と言う知性のない暴力の押しつけ。
   このとき、「時代が変ったのだ。舞台に立つ人間も人権が守られ、より良い労働条件を雇用者に要求するべきだ」という人間が半数出てきて、昭和23年に、文楽は、組合に入る者が「三和会」で独立し、入らない者が「因会」で松竹に残り、二派に分裂した。
   安い給料を「チリ」として意に介せず文楽の舞台を修練の場として純化する考え方と、舞台を「仕事」と考えてその対価として給料を取る考え方との哲学の差で、この水と油の溝は、和解後も長く尾を引いたという。
   若手は師匠を離れれば勉強が出来ないので、師匠に従うほかなく、寬治は、父・鶴澤寛治郎に従って「因会」に所属した。

   鶴澤寬治の心情は、舞台を純粋な修練の場とすべきであって、今のように、職場と考える人間が多くなると文楽は廃れると言うことで、
   精神論を教えず、基礎を完璧に重ねあげさせずに、ステージを与えて徐々に学べば良いと言った指導方針で「手が回る」ようにトレーニングすれば、頭数を揃えるには効率的だが、本当の芸人は育たない。
   以前の稽古は、まず、最初は姿勢からで、一番強調されたのは、内面の指導で、「優しい気持ちを持て」ーーそれが三味線の内面に求める根幹である。と言う。
   内面を鍛えなければならないのは、自力で感じることが出来なければ何も生み出せないからで、厳しい稽古は、自力で独り立ち出来るようにする「愛」である。
   確かに、「床本」には必要なことは書いてあるが、それは、最低限のヒントであって、後世の人間の持つ想像力を否定することになるので、この作品はこうだと絶対に示してはならず、その先人が信じて残した最低限のものをもとに、想像力を膨らませて新たに自分自身で描いて、後進に示して行き、その「心の震え」の感銘を共振させる、それが伝統芸能の道を選んだ者の使命である。と言う、価値ある創造の継承であるから厳しい。

   もう一つの問題は、太夫と三味線の分裂によって露呈した文楽の伝統からの逸脱で生じた危機である。
   以前は、伝統的に、浄瑠璃を語る太夫の修行は、三味線奏者の指導を受けるところから始まり、三味線奏者が声の質や品などを見極めて将来どのような場面を得意とする太夫に育てるかをそれを師匠になる太夫に伝えて、太夫はそれに基づいて弟子を指導していた。
   ところが、三味線の重鎮であった鶴澤寛治郎と喜左衛門が亡くなると、つばめ太夫、住太夫、南都太夫、津太夫の4人が、入門時にしごかれた腹いせもあって、「何でも語るのが太夫だ」と、このシステムを解消したいと言い始めて、国立劇場も承諾したので、両者は、「ともに培う」という関係から決裂した。
   繊細な人材の育成には段階がある。赤ちゃんの段階は、「母性=三味線」が育て、独り立ちできるようになってから、「父性=太夫」が育む、ーー先人の師匠たちが言っていたように「父親だけでは育たん」と言うシステムを、いとも簡単に消滅させた者たちの罪は重く、それを自力で制止し、回復できない国立劇場という組織にも問題がある。と言う。

   鶴澤寬治は、平成9年に人間国宝に認定されたのだが、この頃から実感したのは「今の舞台は面白くない」と言うこと。
   「独立」した太夫は、音階を理解していない。三味線について行くのが精一杯。まるで「唱歌」を聞いているような気がする。かってであれば、「音階はこうなっているが、ここはこう言った方向で入る」と、太夫は巧みに音階の間を泳いでいたが、張り扇一本の稽古では、そんなことはもはや望めない。
   舞台はあくまでも「仕事」。芸を深めることよりも、まずはこれをこなすこと。そんな哲学が大勢を占めている。とにかく形だけ整えれば良い。舞台の現場がなんとなく整えば良い。太夫も語ればそれで良い。そして三味線も手が回れば良いーーー
   これが、事実なら、文楽の危機であるが、鶴澤寬治は、次代へ託す期待も吐露していて、夢を描きつつ逝った。
   非常にシンプルな小冊子だが、鶴澤寬治の魂が籠もった素晴らしい警醒の書である。

   古典浄瑠璃は、詞章は残っていても、復曲するためには、三味線奏者が、作曲しなければならない。
   「曽根崎心中」の復活のために、野澤松之輔が、寛治郎に相談しながら作曲した模様が述べられているが、まさにオペラと同ジャンルの古典芸能、
   サウンド音曲が命であり、三味線は、文楽の舞台では、単なる伴奏でないことがよく分かった素晴らしい本であった。
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新型コロナウイルス騒ぎで公演中止

2020年03月13日 | 生活随想・趣味
   安倍首相の、新型コロナウイルスの感染拡大を踏まえた全国的なスポーツや文化イベントの実施自粛要請の結果、2月24日頃から3月19日、ないし、3月末、4月初旬頃まで、多くのスポーツや文化公演が中止されたり、無観客で実施されたりしている。
   ギリシャでは、オリンピックの聖火リレーまで禁止されたという。
   
   私の場合は、文化鑑賞の方の影響だけだが、コンサートや能楽堂などの国立劇場の公演がキャンセルされて、この期間、鑑賞できなくなった。
   チケットの払い戻しがあるので、経済的な損失はないにしても、やはり、楽しみにしていたので、残念である。

   ところで、公演のキャンセルが続く場合に助かるのは、東京都交響楽団のチケット振り替えサービスである。
   定期会員だと、都合が悪くなると、2回、チケットを、4シリーズあるその後の適当な公演を選択して振り替えることが出来るので、これまでに、このシステムを利用して、助かっている。
   尤も、都合のみならず、鑑賞したいと思う公演にチケットを切り替えるという利便性もある。

   今回、公演があるかないか分からなかったのだが、第899回 定期演奏会Cシリーズ  2020年03月27日(金)14:00 開演 東京芸術劇場コンサートホール
【 出演者 】・指揮/小泉和裕
【 曲 目 】・モーツァルト:歌劇『魔笛』序曲 K.620
      ・湯浅譲二:交響組曲《奥の細道》(1995)【湯浅譲二90歳記念】
      ・ドヴォルザーク:交響曲第8番 ト長調 op.88 B.163
   を、
   第908回 定期演奏会Bシリーズ 2020年09月16日(水)19:00 開演 サントリーホール
【 出演者 】・指揮/大野和士
      ・ヴァイオリン/矢部達哉
      ・チェロ/宮田 大
      ・ピアノ/小山実稚恵
【 曲 目 】・ベートーヴェン:ピアノ、ヴァイオリン、チェロのための三重協奏曲 ハ長調 op.56
      ・ベートーヴェン:交響曲第3番 変ホ長調 op.55《英雄》
   に振り替えた。
   尤も、今日の都響からのメールで、3月27日の公演は、キャンセルされた旨の連絡が入ったのだが、間一髪で、無駄にせずに済んだと言うことである。
   特に、私は、ベートーヴェン:ピアノ、ヴァイオリン、チェロのための三重協奏曲 ハ長調 op.56 を聴きたかったので、願ったり叶ったりの振り替えであった。
   このトリプルコンチェルトは、3人の素晴らしいソリストが揃わないと上演できないので、私も、ヨーロッパで一回聴いたかどうか、そんなところである。

   ベートーヴェンのこの三重協奏曲については、ダヴィッド・オイストラフ&ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ&スヴィアトスラフ・リヒテルをソリストに迎えたヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のCDが好きで、何度聞き込んだことか。
   この3人のソリストのコンサートは、オイストラフは1回だけだが、リヒテルは3回、ロストロポーヴィチは、数回のチェロのみならず、指揮や、妻君のガリーナ・ヴィシネフスカヤのソプラノ・リサイタルのピアノ伴奏公演まで聴いていて、これほど凄い音楽家たちはいなかったと思っている。
   余談だが、このCDほど素晴らしい演奏はないと思っているので、この超絶技巧の3人を縦横無尽に競わせてベルリンフィルを天国からの音楽のように歌わせたカラヤンを、先日書評で紹介したが、命の通わない朴念仁のようにこき下ろす小三治の審美眼を疑問に感じている。
   カラヤンは、その後、アンネ=ゾフィー・ムター & マーク・ゼルツァー & ヨーヨー・マ & ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 で、この三重協奏曲 ハ長調のCDを出しているが聴いていない。

   いずれにしろ、新型コロナウイルス騒動の一幕である。
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