熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

坂村健著「DXとは何か 意識改革からニューノーマルへ」(1)

2021年08月31日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   本書の説明では、
   デジタルトランスフォーメーション、略して「DX」。現在および近未来のネットインフラを活用した高効率化だ。特に日本は少子高齢化で、人手や税金の不足を補うためにも必要不可欠である。しかし正しく理解し実践されているケースは稀だ。DXを推し進めるために必要なことは何か。世界に先駆けるコンピュータ学者が提言する。

   ところで、念のために、NHKでは、
   DXは「デジタルトランスフォーメーション」を略したことばです。変化や変換という意味があるトランスフォーメーションの「トランス」を英語圏では「X」と表記することがあるため、「DX」と略されるようになりました。日本語では「デジタル変革」とも訳されます。デジタル技術を使って、人手のかかっていたサービスを自動化したり作業を効率化したりするのが「デジタル化」だとすると、DXはデジタル技術やデータを駆使して作業の一部にとどまらず社会や暮らし全体がより便利になるよう大胆に変革していく取り組みを指します。

   旗振り役の経済産業省のDXだが、
   日本におけるDXは、2018年に経済産業省が「デジタルトランスフォーメーション(DX)を推進するためのガイドライン」を取りまとめた。同ガイドラインでは、DXの定義を「企業がビジネス環境の激しい変化に対応し、データとデジタル技術を活用して、顧客や社会のニーズを基に、製品やサービス、ビジネスモデルを変革するとともに、業務そのものや、組織、プロセス、企業文化・風土を変革し、競争上の優位性を確立すること」。

  以上の説明で、まず誤解を招くのが、経産省の定義の冒頭の「企業が」という言葉で、企業だけの高効率化だけではなくて、日本全体を巻き込んだ制度改革でなければ無意味なのであって、DXとは、NHKの説明のように、「社会や暮らし全体がより便利になるよう大胆に変革していく取り組み」であって、「現在および近未来のネットインフラを活用した高効率化」だと言うことである。

   著者の定義は、
   最近の進んだ情報通信技術やIoTを活かし、根本的な改革――産業プロセスはもちろん、私たちの生活、社会、企業、国家などすべてに変革を起こそうという動き――である。

   ICT革命で、最も大きな変革は、「オープン」という考え方、やり方で、これが、イノベーションの土台となりAIの爆発的進歩をもたらす。
   オープンによる研究開発の加速化は、通信の高速化で研究開発プロセスがスピードアップした効果のみならず、チャレンジ回数を増やす環境整備がイノベーションが起きやすい環境を生み、「オープンイノベーション」を促す。アメリカの「Innovate America」である。

   ところで、オープンデータは国民の財産である筈で、個人データを資源化するために、個人データの概念を確立し、扱いをルール化して、個人データの利用を促進しようとした「個人情報保護法」が、日本では、「個人情報は極力極秘にすべし」という意識を広めて、逆に、「塩漬け」、活用できずにお蔵入り。
   マイナンバーカードの取得、活用も進まず、制度的に利用が制限強く制限されているので、DXのために使えない。日本の課題は、まさに、「閉鎖性」。日本の行政オープンデータも、「オープンこそ正義」という真の「公開」の姿勢からは程遠い。

   さて、世界最先端の完全行政電子化を実現しているのはエストニアだという。
   フィンランドの南対岸にある旧ソ連領の北欧系の国で、面積は九州、人口は奈良県くらいの小国。私は、ベルリンの壁が崩壊した直後に視察団に加わって訪問し、首都タリンに数日滞在したが、疲弊した無残な状態であったが、歴史と文化の豊かで輝いていた時代の面影を残したしっとりとした街であった。
   この国では、行政窓口がなく、スマホやネットの画面手続きから――頭を冷やすためにわざと面倒なままに残している離婚など数種の手続き以外の――ほぼ全部の行政手続きが、24時間365日出来ると言う。その結果、エストニアの行政コストは、英国の0.3%で収まっており、役所の係員は殆ど皆無である。
   豊かな日本で、出来ないわけがないが、「コンピュータ」を使えない人はどうするのだと反対が出てダメだが、かけ声「e-日本」を徹底させて、デジタル化を押し切らない限り、DXの徹底など、夢の夢であろう。
   
   著者は、帶に、「その本質は、”制度改革”」と大書しているが、その前に、”意識改革”である。日本人のメンタリティを根本的に変えない限り、更なるデジタル化の進化にも齟齬を来し、著者の説く「意識改革からニューノーマルへ」、DXへの道程は厳しい。
   このままでは、普通の国どころか、常態化しつつある先進国集団の下位グループから抜け出せなくなってしまう。
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アンドルー・ワイル著「ワイル博士の医食同源」

2021年08月30日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   ”心とからだが癒やされる食生活 これが、究極の食事だ!”と言うアンドルー・ワイル博士のこの本、食ついでに一寸触れてみたい。
   冒頭の
   第1章 満足な食事の原理 から面白い。
   満足な食事とは何か 混乱する栄養情報をおして、たべものや栄養が健康に及ぼす影響について、博士はどのように考えているのか、7つの基本原則を興味深く説いて示しているのである。

   ①人は生きるために食べる
   ②食は快楽の主源である
   ③健康食と快楽食は矛楯しない
   ④食事は貴重な社交の場である
   ⑤食べるものを見れば、その人が分かる
   ⑥食は健康を左右する印紙のひとつである
   ⑦食生活の改善は健康対策と健康づくり戦略のひとつである

   まず、「満足な食事」とは、どう言うことか。
   からだや健康に良いというだけではなく、五感を満足させ、快楽と慰安をもたらす食事を意味する。満足すべき最適な食事とは、カロリーや栄養素など、からだの基本的な要求を満たした上で、さらに病気のリスクをへらし、抵抗力を高め、生まれつき備わっている治癒のメカニズムを強化するものでなければならない。人が世界をどのように感じ、どのように歳を重ねて行くかを決定する重要な要因は、その人の食生活にある。食べ物がクスリとしても機能し、多様な病気の発症や経過に影響を及ぼしていると信じている。と言う。

   食は快楽の主源だと言うこと
   心理学者は、食物を主要な強化作因だと考えている。たべものは行動を形成する本能的な力を強化するものだと言うのである。
   動物に餌を与えて訓練するのはその例で、サーカスや映画で、野生状態ではあり得ないような藝を動物に教えるとき、訓練士が道具として使う餌は、とりわけ、強力な強化作因になる。
   人間も動物と同じで、空腹の時にはたべものの誘惑には勝てず、それを口にするためにはどんなことでもしてしまいかねない。
   たべものは大分の人にとっては快楽の重要な供給源であって、食の快楽を犠牲にするような健康食はうまく行かない。と言う。

   健康食と快楽食は矛楯しない
   食べたいものに限って体に悪いと言う嘆き節は、悪いのは人間の味覚ではなく、かっては珍味であったものが容易に手に入るような環境を人間が作ってしまったから。
   面白いのは、「からだにいい食べ物が、何故あんなに不味いのか」との疑問だが、これは、健康にいい食べ物を説く人の多くが、たべることが本当に好きではないか、もっと正確に言えば、神経化学的にたべることから有意な快楽を引き出すプログラムが出来ていないからで、ダイエット本の著者、栄養学者、食事療法の指導者、食事指導をする医療の専門家の考えが、そのカテゴリーに当てはまり、彼らは、元来、美味しいものを愛する人ではない。と言っていることである。
   食に快楽を感じ、健康のためにその快楽を犠牲にしたいとは思わない。「満足な食事」という概念には、健康を促進し、かつ快楽を与えると言う食べ物の二つの要素が含まれている。好きなものを諦めることなく食生活を改善すれば、最適な健康と長寿への道に向かうことが出来る。と言うのである。

   ⑤たべるものをみれば、その人が分かる と言うのは、宗教によって禁忌がつきまとう食習慣を考えれば、この意味が良く分かる。
   勿論、地域や歴史的な展開などによって、社会的、文化的なアイデンティティを規定する食の力は、使われる特定の食材、食材の組み合わせ、舌触り、歯ごたえ、香味ですぐに分かる独特の調理法に負うところも多い。特定の文化に固有の香味は、母国を離れた人には恋しく、健康増進のために、食習慣を変えることは難しい。

   聖俗を問わず、特定の食べ物が重要な役割を果たして、儀礼的な食事が、仲間や家族や地域社会など、集団の成員同志の間の絆を更新する典型的なケースを、ユダヤ人の「過ぎ越しの祝祭」の儀式に参加して経験している。
   ウォートン・スクール留学の時に、学友のジェイコブス・メンデルゾーンが、このパスオーバーの日に、私をフィラデルフィア郊外のユダヤ人街につれて行ってくれて、自宅での儀式に招待してくれたのである。
   私も、あのユダヤ人特有のキャップを頭に頂き、一族郎党の居並ぶ長テーブルに位置して、経典の輪読の輪に加わり、見よう見まねで式を終えた。
   この時、酵母入りのパンではなくて、マツォー(種なしバン)を食べる。何故、これを食べるのか問うて、奴隷として酷使されていたエジプトから、パンを発酵する余裕もなく脱出した遠い祖先へ思いを馳せる。細かく刻んだ胡桃やリンゴ、ワイン、」香料を混ぜて作った、この日に食べるハローシスは、エジプトに捕らわれていたユダヤ人がファラオの王宮を建てるときに使ったモルタル。このハローシスのかけらをマツォーに乗せて、ピリッと辛い西洋ワサビを添えて食べて、人生に於ける喜びと悲しみを思い出すのだという。
   何を食べたのか、全く記憶はないのだが、貴重な経験であった。
   ついでながら、その後、ジェイの部屋に入って、壁を見たら、こんもりとして楠を描いたような額が掛っているのに気がついた。近づいて、よく見たら、枝の先には人名が書かれている。系統樹と言うか、家系樹だったのである。ここはフランス、ここはイタリア、ここはアメリカと説明しながら、ジェイは、自分はここだと教えてくれた。ところが、幹の真ん中あたりで、先が途切れて黒い塊のようになって、中心が空白になっているところがあって、これは何だと聞いたら、ドイツだという。
   ナチスの犠牲であったのは自明で、絶句して、それ以上聞かなかった。
   ユダヤ社会の一面を垣間見て、無性に感動して、フィラデルフィアに帰ったのを覚えている。
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老いを生きる・・・読書とワイン

2021年08月28日 | 健康
   先日、池田清彦の「欺されない老後」をレビューした。
   冒頭、地球温暖化などはウソだと暴言を吐いているので、一寸、読書をためらったのだが、元々、不良老人の生き方を語っているのだから、気にすることはない。
   私はこう思って生きているが、お前はどうか、そんな問題を投げかけて挑発していると思えば良いのである。

   歳を取れば、何を食べてもたいした差がない。しかし、アレルギーには注意。
   テレビや雑誌で、「この食べ物を食べれば良い」とか、(「この錠剤を1日一粒」とか、無知な大衆を煽り立ててこれ宣伝に努めているが、利いたためしがなく、(ここは、私の追加))サプリメントの必要など全くなくて、食べたいものを食べて「広食性」を維持すれば良い。
   至極尤もなことを言う。

   私の手元に、積読だが、「ワイル博士の医食同源」と言う大著がある。引退してから、読もうと思って買った本だが、ペラペラページを捲り始めている。
   ワイル博士のレシペ集に加えて、「粗食のすすめ」の陣内秀夫氏が、ワイル博士監修でレシペ集を掲載しているが、残念ながら、料理は、総べて家内任せなので、私には何も出来ない。
   粗食と言うことだが、歳を取った最近では、それに近いとしても、若くて元気でヨーロッパを飛び回っていた頃には、ミシュランの星付きレストラン行脚を続けていたので、やはり、高級レシペの味の凄さ奥深さの魅力には勝てなかったのを覚えている。高級食あっての粗食の魅力である。

   ところで、ワイル博士は、「健康のための食事と、快楽のための食事は互いに矛楯するものではないと言う認識である。」と述べていることを付記しておきたい。

   さて、著者は、色々な切り口から、老後の生き方を語っている。
   このブログで、何回も触れているので蛇足も良いところだが、飽きずに、読書と晩酌について書く。

   まず、読書だが、著者は、「真の知識があれば欺されることはない」として、純粋に「知識欲」を満たすことを楽しむ読書のメリットを語る。
   一冊読んでますます興味が湧いたら、そのジャンルの本をもっと読んで知識を得れば良い。特にゴールがあるわけではなくても、純粋に知りたいことだけを自分勝手に追いかけるのは、この上なく楽しい。むしろごーるがないほうが継続的な生きがいになる。と言う。
   私の場合、「知識欲」と言えば「知識欲」だが、少しニュアンスを変えて、「真善美」に会いたいという思いである。何か自分には未知であり経験をしていない真実や善いことや美しいことを知りたいと思っている。読書以外でも、例えば、旅や芸術鑑賞や自然観察などもそうで、そんな思いで対峙していると、思いがけない感動に遭遇する。

   雀百までと言うか、今でも、少しは専攻した経済学や経営学の専門書を読んでいるが、これは、やはり、知識水準をそれなりに維持して遅れたくないという気持ちからである。これに関連して、歴史や社会学、政治関連の本が絡まるので、やはり、カレントトピックスからは離れられないと言う人間の性かも知れないと思っている。
   最近は、コロナで、東京へ観劇やコンサートに行けないので、古典芸術やパーフォーマンス・アーツ関連の本とは疎遠になっている。
   しかし、昔から好きで離れられないのは、シェイクスピア。
   そして、ルネサンス関連と、レオナルド・ダ・ヴィンチ。
   それに、昔から、欧米の博物館美術館を回って、名画を追いかけ続けてきたので、どうしても、美術の本に目が行く。
   何度同じ関連本を読んでも、新鮮な感動を覚える。
   
   本の大半は、倉庫に眠っているのだが、書斎の本棚や机の上、それに、足下に堆く本の山があって、時々入れ替えたり積み替えたりしていて、どの本も読みたいと思いながら、ままならない。
   今になって、速読法を身につけておけば良かったと後悔しているが、後の祭りである。
   
   さて、元々、晩酌をしたことがなかったのだが、この頃は、毎夜の如く、主に、赤ワインだが、晩酌らしきものをしている。
   酒は、飲めないわけではなかったので、学生の頃のコンパから、付き合いや仕事の関係上、その時に応じて、適当に飲むことはあっても、付き合い程度であった。
   ところが、ヨーロッパに赴任して仕事を始めると、ワインは飲む食べ物という位置づけであるから、ワインはつきもので、これなしには、ヨーロッパ人との付き合いは成り立たないし、仕事に支障さえ来す。
   食前酒や食後酒は、色々だが、食事中は、ずっと、白ワインか赤ワインが伴奏するので、その絶妙な味の調和なりバランス、何とも言えないコラボレーションの良さが分かってくると、ワインなしには、会食など食が進まなくなってしまう。
   ヨーロッパでの出張や一人旅でも、ミシュランの星付きレストランを探してあるいていたので、その土地土地に合ったワインをソムリエのアドバイスを得て飲み続けていると、これが、実に素晴しいのである。旅情も加わって、良い思い出となった。
   ミシュランの星付きレストランは、オランダやベルギーやドイツに行くと、鄙びた田舎にあって、小さな旅籠を併設したりしているので、気持ちよくほろ酔い機嫌で一夜を過ごす旅の醍醐味は、また、格別であった。

   魚料理の時には、白ワインか日本酒に代えているが、休肝日を除いて、殆ど毎夜、赤ワインである。
   適量というのか、酔うまでには行かないが、健康上、200ccがmaxで、100cc前後に抑えようと努力はしている。
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人口爆発は徐々に終熄する

2021年08月27日 | 政治・経済・社会
   日経が、今日の朝刊に、「人口減で国力の方程式一変 量から質、豊かさ競う 人口と世界 成長神話の先に(5)」を掲載した。

   米中央情報局(CIA)分析官だったレイ・クライン氏が1975年に考案した国家が持つ力を算出する「国力方程式」
   国力=(人口・領土+経済力+軍事力)×(戦略目的+国家意思)
を示して、大国が人口増にこだわる理由を説明する。

   「実態に即して人口を公表すれば、中国は前代未聞の政治的な激震に直面するだろうと、米ウィスコンシン大の易富賢研究員が、中国政府は2020年の人口を14.1億人と発表したが、実態は12.8億人ほどで「18年から人口減は始まった」と推定して、中国の人口統計の水増し疑惑を指摘している。のが興味深い。人口急減を認めれば産児制限の失敗があらわになる。
   この人口減で中国も焦りを隠せず、習近平国家主席は17日の共産党中央財経委員会で、深刻な貧富の差、極端な経済格差を解消すべく「共同富裕」を強調した。生産年齢人口が減り成長力が低下すれば、社会の安定が崩れかねないとの危機感がある。と言うのである。

   中国ついでに、同日の日経特集の「海外専門家が描く 人口減の未来」において、
   英国人口学者のポール・モーランドは、「中国は、経済成長の際に、もしあの巨大な人口がなければ大国にはなれなかったであろう。」と述べ、
   しかし、中国の生産年齢人口は既にピークを迎え減少が始まっており、労働力の減少と高齢者の激増という二つの問題に直面する。とはいえ、中国は生産性の低い農業部門の割合が大きく、今後の産業構造の転換で経済成長の余地がある点は見逃してはならない。と言っている。
   同じく、先の易富賢研究員が、最近、1組の夫婦に、3人目の出産を認めたが滑稽で、2人目出産全面的容認も失敗しており、中国では1人子が当然になっており、出生率は今後も減少が続き、合計特殊出生率を1.25で安定させることも難しいと見ている。出生率が増えない中で経済成長率は高められず、この先GDPで、米国を抜くことはあり得ない。とまで述べているのが面白い。中国の覇権などあり得ないというのである。

   さて、前世紀中葉までは、マルサスの人口論が優勢で、ローマクラブの「成長の限界」レポートもあって、人口爆発で、宇宙船地球号が、危機に瀕すると言う雰囲気が強かったのだが、最近では、先進国に於ける少子高齢化などが進行して、アフリカや中東などを除いて、人口のピークアウトが近づいているという。
   口絵写真は、2100年の人口を、73億以下から、156億までのレンジで予測しているが、最も低い100億手前でピークアウトして低下して行く予測に傾く識者も多いのが興味深い。
   ワシントン大学のクリストファー・マレー所長は、今後世界では、より教育を受ける人が増え、中・高所得国では、医療サービスも拡充される。結果として合計特殊出生率は世界全体では1.5近くで収斂し、いくつかの国などではもっと低くなる。この水準に止まれば数百年後には人類は消滅する。と言う。

   さて、次表は、日経からの転用だが、日米豪だけではダメで、民主主義連合は、インドを抱き込んだQUADだと、中国にはボロ勝ちだということ、
   中国の人口減は、国力に影響をもたらす。と言うのが興味深い。
   弱小国である筈のロシアが、なぜ、これほどまでに、見せかけの国力が大きいのか、面白いところでもある。
   
   
   
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池田 清彦 著「騙されない老後-権力に迎合しない不良老人のすすめ-」

2021年08月26日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   健康も安全も何が最善かを決められるのは自分だけ。「不良老人」こそ「今」を楽しんで幸せになれる――『ホンマでっか!? TV』でおなじみの生物学者・池田清彦が説く、賢くしたたかに老後を生き抜く知恵と教養。と言うふれ込みがこの本。
   昨年末の執筆なので、「新型コロナウィルスの正しい情報を知る」から説き起こして、世の中の人がとりわけ騙されやすいテーマが、「安全」「健康」「環境」だ。これらは不安を煽りやすいので、政治権力者が国民を騙す際の格好の 大義名分として利用されるからだ。
新型コロナウイルス関連の情報や、長生きしようと煽るのはその典型で、例えばがん検診や健康診断を強制するのも、すべて「健康」を口実に利権を得るためでしかないと厳しく糾弾し、政治権力者に騙されない老後の生き方を指南する。

   ところで、私には全く解せないのは、著者が、冒頭、地球温暖化の原因が、CO₂の人為的排出であると言うのはウソだと証言して、地球温暖化による環境破壊を否定していることで、ここで、全く、著者の知見、知識教養を疑わざるを得なくなり、話半分にして、飛ばし読みしたことを記しておく。
   IPCC第6次報告書が「破局的温暖化」の現実を指摘して、地球の平均気温はすでに約1.1度上昇しており、熱波や激しい降水、干ばつといった極端現象や、氷河や北極圏の海氷の後退、海面上昇による沿岸部の洪水や海岸浸食、海洋酸性化、熱帯低気圧の強大化などに、人間活動による温暖化の影響が認められると明言した。この現実を認めないと言うのであるから話にならない。

   気づいたところを、すこし、列挙しておく。
   寿命に関与する遺伝子の発現を成業している領域の「DNAメチル化」を調べて算出された人間の「自然寿命」は、38歳である。老化自体を止めることは今のところ不可能なので、」この人間本来の寿命の2倍も生きれば、体のあっちこっちにガタが生じるのは仕方がない。しつこくそれに抗うことに余計なお金と時間を使い、食事や運動に気を使ったところで、劇的な効果があるとは思えない。

   葛飾北斎は、88歳まで生きた。飽くなき好奇心で、もっと絵が上手くなりたいと情熱を絶やさず、死ぬ間際まで絵を描き続けた。自分の好きなことをひたすらやり続けた結果が、88歳だったのであり、余生を生きるという感覚はなかった。好きなことをやって居れば、死んでいる暇はない。と言うのである。

   第4章の「健康診断はうけなくていい」では、
   やたらと医者に行くのは無駄である、「安全な生き方の基準」は自分で決める、脳卒中やがんの発症は「運」だと割り切る、
   ・・・メリットがあるとは思えない「早期発見」や「早期治療」が叫ばれるのは、我々の命を守るためでも、国の医療削減のためでもない。厚労省と医者の金儲けのためなのだ。だから僕はがん検診を受けないと決めている。と言う。

   第5章は、「人づきあいは必要だが「適当」ぐらいがちょうどよい 大事なのは頭の中の「多様性」です」
   第6章は、ボケても困らない時代の到来 テクノロジーは弱者の見方です」

   それぞれ、結構面白いが、箍が外れたと思えるような議論が多いので、これ以上のコメントは控えたい。
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フェルメールの原画が蘇った

2021年08月25日 | 学問・文化・芸術
   朝日が、「壁からキューピッド現る フェルメールの絵画修復が完了」
   産経が、「フェルメールの絵画、完全復元 幻のキューピッドよみがえる」と報じた。
   ドイツのドレスデン国立古典絵画館は24日、所蔵する17世紀のオランダの画家フェルメールの絵画「窓辺で手紙を読む女」の修復がすべて終わり、もともと描かれた恋愛を象徴するキューピッドが上塗りして隠されており、3年前から塗られた絵の具の層を取り除く作業が続けられていて、キューピッドが現われたオリジナルの作品を、9月10日から一般公開すると発表した。と言うのである。
   画像をインターネットから借用して表示すると、次の通りで、その違いは鮮やかである。
   
   
 
   何故、キューピッドが消されたのか分からないが、ザクセン選帝侯アウグスト3世のコレクションであったらしい。
   ウィキペディアによると、
   ルベルト・スナイデルはその著書『フェルメール、1632年 - 1675年 (Vermeer, 1632–1675 )』(2000年)で、開かれた窓について家や社会など「この女性が自身の置かれている境遇から逃れたいという願望」ではないかとし、果物は「不倫関係の象徴」だと主張した。さらにスナイデルはこの説の証拠として、X線を使用した調査でこのキャンバスにもともとはキューピッドが描かれていたことが判明したことをあげている。下絵の段階では画面右上にプットー(裸身の幼い天使)が描かれていたが、絵が完成した後のフェルメール死後に何者かによって塗りつぶされており、近年それを取り除く作業が行われている。
   マルクス・ガブリエルは、女の服と開かれた幕の色が同じであることから、鑑賞者は無防備な女の裸を窃視することになり、食べかけの桃が果物皿からこぼれてベッドに乱れて転がっている状態は性的暗示であり、女が光源の方向を向かずに頬を紅潮させていることから、神への罪悪から目を背けているのだと精神分析的に解釈している。
   そのような専門的な話は、良く分からないが、キューピッドがあるかないかによって、繪のイメージなり印象が随分変ってくることは事実である。
   ダ・ヴィンチにもミケランジェロにも言えるのだが、後に、手を加えられている名作が結構多いのだが、修復復元作業の貴重さが良く分かって面白い。

   さて、余談だが、私が初めてフェルメールの絵に接していたく感激したのは、1979年、アムステルダム国立美術館で「牛乳を注ぐ女」を観た時である。
   メイドが、牛乳をずんぐりとした陶器に丁寧に注ぎ入れている繪だが、オランダ典型のリンネルのキャップに、青いエプロン、肘まで捲りあげた分厚い作業着を着た健康そうな女性。この芥子色の上腕と捲りあげて層になった緑系統の微妙な色彩の醸し出すハーモニー、かすかに光っていて、眼を奪われてしまったのである。
   この美術館にはフェルメールは4点しかないが、ハーグのマウリッツハイス美術館の3点を皮切りに、ロンドン、パリ、ドイツ、ニューヨークと、手当たり次第に美術館を回ってフェルメール行脚、35点しか残っていないフェルメールを、ほぼ、30点くらいは観る機会を得た。
   

   オランダに、3年住む機会を得たので、フェルメールの故郷デルフトをよく訪れた。
   この口絵写真のフェルメールが描いたデルフト風景が、今でも、そのまま残っている。
   フェルメールは、この絵のように、左壁面の窓際に佇む人物を描いた繪が多いのだが、デルフトに行くと、昔の民家の雰囲気は全く変らず、電光などなく、薄暗い部屋を小さな窓から自然光で臨む雰囲気は繪の通りである。
   民家に入る機会は少ないので、デルフトに行くと、そのようなフェルメールの絵が醸し出す雰囲気の残っている小さな鄙びたレストランで、時間を過ごすことにしていた。


   この作品だが、第二次世界大戦中のドレスデン爆撃の被害の戦禍を避けるために他の美術品とともにザクセンスイス の坑道に保管されていたのをソ連赤軍がこれらを発見し接収したのを、スターリンの死後、当時の東ドイツに返還された。ドレスデンの、ツヴィンガー城 の中庭に面して、北側は歌劇場ゼンパー・オーパーに隣接したアルテ・マイスター絵画館、すなわち、このドレスデン国立古典絵画館に展示されていると言うことである。
   ベルリンの壁が崩壊した直後、東ドイツ視察時に、ドレスデンを訪れて、半日、この美術館で過ごしていたので、間違いなしに、この絵を見ているはずである。
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ジェフリー・サックス:Blood in the Sand

2021年08月24日 | 政治・経済・社会
   ”Blood in the Sand” Aug 17, 2021 JEFFREY D. SACHS 
   Project Syndicateに掲載されたジェフリー・サックスの興味深いアフガニスタンを通してみたアメリカの外交論である。
  
   もう、何十年も、米国の外交階級は、容赦なく遮二無二、劣等国だと思っている国に介入してきた。
   アメリカのアフガニスタンにおける敗北の大きさは、途轍もない。これは、民主党や共和党の失敗というのではなくて、政策立案者達が他国の社会に関心を欠くというアメリカの政治文化の永続的な失敗であり、これこそがアメリカ外交の典型なのである。
   殆ど、発展途上国に於ける米国の軍事的な介入は、腐敗に終っている。朝鮮戦争以来、この例外を見つけるのが殆ど不可能である。と言う。

   ところで、サックスは、アフガニスタンの政治的社会的腐敗の状態には触れずに、経済学者なので、アフガニスタンへのアメリカの資金投入が、殆ど米軍の軍事支出に回されていて、アフガニスタンの経済の成長発展や貧困解消や民生福祉や健康医療、インフラの整備などアフガニスタンの国民の生活水準向上には、雀の涙程度しか投入されて居らず、20年間の米国の軍事的政治的介入の間に、アフガニスタンの経済や国民の生活水準など、その状況が殆ど改善していなかったことを指摘して、厳しく糾弾している。

   米国支配の20年間は、アフガニスタンを無茶苦茶にしただけで、殆ど進歩発展、そして、平和に貢献しなかった。そのような視点から、タリバンの台頭を見れば、少し、歴史認識が変ってくるかも知れない。
   欧米文化文明が、世界史に君臨したのは、ほんの最近2世紀くらいで、その価値感に、人類の将来が振り回されて良いのかという気がしないでもない。

   しばらく、サックスの説明を聞こう。

   1960年代から1970年代初めまでの、インドシナ・・・ヴェトナム、ラオス、カンボジアでの、ジョンソンとニクソンの戦い、
   同年代におけるラテンアメリカやアフリカでの独裁政権の擁護、1961年CIAバックのルムンバ暗殺後のコンゴでのモブツ独裁政権の擁護、1973年アメリカ操作によるアリエンデ政権の転覆後のチリーのピノチェット殺人軍政、
   1980年代には、レーガン政権が、中央アメリカの左翼政権を代理戦争を仕掛けて倒そうと画策、今もその混乱が続いている。

   1979年以降は、このアメリカの馬鹿で残虐な外交政策の矛先が中東と西アジアに向かう。42年前の1979年に、カーター大統領が、ソ連援助の部隊と戦っているイスラムジハード派を援助し始めてから、アフガニスタン戦争が始まった。CIAバックのイスラム・ゲリラ軍が、ソ連の侵入を撃退し、ソ連を消耗戦争から解放したが、アフガニスタンを、その後、42年間に亘る暴力と残虐の悲惨なスパイラルに追い込んでしまった。
   全域に亘って、アメリカの外交政策が、益々地域の大混乱を増幅していった。1979年のアメリカ支援の独裁者イラン皇帝の退位に呼応して、レーガン政権は、イランのイスラム共和国との戦いに、イラクの独裁者サダム・フセインを軍事強化した。大量虐殺とアメリカバックの化学兵器戦争が続いた。殺戮のエピソードは、フセインのクゥエイト侵略で、1990年と2003年のアメリカ主動のイラク戦争が勃発した。

   アフガンの悲劇は、2001年に始まった。9.11のテロ攻撃1ヶ月後、ブッシュ大統領は、それ以前はバックアップしていたにも拘わらず、イスラム・ジハード撃退への侵略を命じた。民主党の後継者オバマ大統領も、戦争を継続し軍隊を増派遣したのみならず、CIAにサウジアライアに協力してシリアのアサド大統領引き下ろし命令を出し、その紛争がいまだに続いている。オバマは、NATOに命じて、カダフィ追討も画策した。
    これら総てに共通するのは、政策の失敗ではなくて、アメリカ外交の権威者達が、どのような政治的挑戦に対しても、軍事介入ないしCIAバックの政権揺さぶり工作で十分だと考えていたのである。
   この信念は、益々増進して行く貧困から脱出したいと言う他国の願いを無視した米国外交のエリートに対する箴言である。このような米軍やCIAの介入は、大抵、深刻な経済的苦境から脱出したいと苦闘している発展途上国で起こっている。しかし、その苦境を緩和し当事国の国民の支援を得るのではなく、アメリカは、その国が保有するなけなしのインフラに損傷を与え、教育を受けたプロフェッショナルを命の危険を避けようと国外逃避を余儀なくさせている。

   さて、アフガニスタンだが、アメリカのアフガニスタンでの支出を見れば、外交政策の、その馬鹿さ加減が良く分かる。
   最近のSIGARの報告によると、アメリカは、2001年から2021年にかけて、9660億ドルを、アフガニスタンに投入している。
   このうち、86%の8160億ドルは、アメリカ軍の軍事支出に使われている。アフガニスタンに使われているのは、ほんの1300億ドルだけで、アフガニスタン治安部隊に投入されているのは、830億ドル。他の100億ドルは、麻薬禁止措置に、150億ドルは、アメリカの他のエイジェンシー運営に使われている。残りの貧弱な210億ドルが経済援助基金となっている。プログラムには、テロリズム対策、国民経済の支援、有効な利用しやすい独立した法制度の確立などが含まれているが、殆ど資金は残っていない。

   要するに、アメリカのアフガニスタンへの支出のほんの2%以下しか、基本的にインフラや貧困救済事業といった形で、アフガニスタンの人々に届いていないと言うことである。
   アメリカは、クリーンな上下水道、学校建設、デジタル連結、農業器機や整備、食糧プログラム、その他、国を経済的な苦境から救済するために投資する方法はいくらであったはずである。
   しかし、アメリカはそうせずに、平均寿命が63歳、新生児生存率10万人誕生に638人、幼児発育不全率38%と言う惨憺たる状態に放置している。

   アメリカは、これまで、1979年においても、2001年においても、そして、その後の20年間においても、アフガニスタンに軍事介入すべきではなかった。
   しかし、一度関わった以上は、母体保護医療、学校、安全な水、栄養等々に投資して、アフガニスタンを、もっと安全な繁栄した国になるよう助けるべきであった。特に、アジア開発銀行や他の国々などと協力して人道的な投資をしておれば、アフガニスタンを、流血状態に終止符を打ち、他の貧困地域を救済し、将来の戦争を避け得たであろう。
   アメリカのリーダーは、このような些細なことにカネを使うべきではないとアメリカ国民に強調するやり方から離れるべきである。悲しい真実は、アメリカの政治階級やマスメディアが、自分たちが見下しているより貧しい国の人々を、容赦なく遮二無二、介入して打ちのめしておきながら、何も向上させずにそのままに放置していることで、勿論、多くのアメリカのエリートも、同じように見下した自国民の貧困もそのままにしている。
   カブールの崩壊後、アメリカのマスメディアは、予想通り、アフガニスタンの救いようのない崩壊をアメリカの失敗と糾弾している。アメリカの自己認識の欠如は驚くべきである。イラク、シリア、リビア等々、何兆ドルを費やしながら、アメリカは、その努力の成果もなく、残したのは砂漠の流血のみである。

   もう、半世紀上も前だが、アーノルド・トインビーの論文を読んでいて、あれだけ、大盤振る舞いをして他国を助けているのに、何故、アメリカ人は嫌われるのか、それは、PXの例を引いて、アメリカ人は、進出した先の国や文化に同化せずに、その国に背を向けて、独善的な生き方をしているからだ、と言うようなことを言っていたのを思い出す。

   これとは一寸違うが、日本のグラントや円借款などの日本始動の経済援助が失敗したり暗礁に乗り上げているケースがあるが、これなども、当事国の実情調査の不十分さだとか、本当のニーズが何なのか、相互理解の不十分さが影響しているように思う。
   もっと典型的なのは、海外での建設工事など、ビジネス慣行や国情の違い以前の問題として、その国の土壌や気候条件など建設プロジェクトのおかれた環境を十分に調査して理解せずに、失敗するケースが結構多い。
   アメリカなど、最も豊かで世界一の文明国であるから、唯我独尊となるのは当然で、劣等国として見下している国への援助支援など、アメリカ人の価値観や気質を前面に押し出しているのであるから、当初から上手く行くはずがないと考えるべきであろうか。

   単一民族(?)単一文化(?)を誇る日本であればあるほど、異文化異文明とのハザマで、落とし穴に遭遇する。
   米国外交の真実は、他山の石であろうか。
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コスタンティーノ ドラッツィオ 著「レオナルド・ダ・ヴィンチの秘密 天才の挫折と輝き 」(1)

2021年08月22日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   イタリアの新進美術史家の本だというが、分かりやすくて非常に面白い。
   結構、これまで、レオナルドの本を読んで、ブックレビューしているのだが、今回は、違った視点からレオナルドの偉業について考えてみたい。
   ナショナル・ジオグラフィックのダ・ヴィンチ本の帯に、
   レオナルドは、野心家、人たらし、軍師、科学者にして美術家、マキャヴェッリの友人、ラファエロが慕い、ミケランジェロが嫌った男、と書かれていて、この本でも、多彩な顔を持った多能な天才ぶりが活写されていて、興味深い。

   1481年10月に、レオナルドの最も身近にいた仕事仲間達、フィレンツェの名だたる画家達が、バチカンのシスティーナ礼拝堂の壁の装飾のために、ロレンツォ・デ・メディチにローマへ派遣されたのだが、レオナルドは外された。当時、レオナルドは、作品製作において、あまりにも独創的で何をやらかすか計り知れないし、もし、大胆すぎる繪を描いたり作品が期限までに出来なかったら、教皇シクストゥス四世の抗議に立ち向かわなければならないので、そんなリスクをロレンツォは冒すわけにはいかなかったのだという。と言うよりも、その少し前に、レオナルドは、恥ずべき男色行為の罪で告発されていて、完全無欠の信心深い教皇のいるヴァティカンに、そんな男を送り込めなかったと言うのだから面白い。

   ところが、翌1482年に、レオナルドは、ロレンツォに、ミラノのルドヴィーコ・スフォルツァ(イル・モーロ)の宮殿に、銀製のリラ・ダ・ブラッチョと言う楽器を届けるために派遣された。レオナルドは、この楽器を自作してよく弾いたと言う。ロレンツォには、東方三博士の礼拝など繪で才能をアピールしてきたが、メディチ家には、レオナルドは、優秀な金細工師か音楽家としてしか映っていなかったであろうが、レオナルドは、この命令を受けてミラノに向かった。

   何が幸いするか、レオナルドは、このミラノで、祝宴とショーのプロモーターとして、多忙を極めることになったのである。
   イル・モーロは、強力な偉大な将軍ではあったが、生涯を通じて頭から離れない夢があって、それは、ヨーロッパ全土で名声を得たロレンツォ・デ・メディチと同等のレベルに達することであった。
   外交戦略家や芸術のパトロン、とりわけ、華麗な公的セレモニーの開催者と、早変わりして行くのだが、レオナルドは、ヴェロッキオ工房のフィレンツェ時代から、元々、得意としており、イル・モーロには、記念すべき祝宴やショーを企画するのに相応しく映ったのである。
   ミラノ滞在の最後の数年間は、このような仕事がレオナルドの主な収入源となり、肖像画や壁画ではなく、ミラノ宮廷の上流社会を活気づける催しの舞台芸術に邁進したという。
   彼の絵画などの傑作には殆ど記録は残っていないのだが、彼の演出した舞台芸術は、その舞台装置が、あまりにも印象的で人々を魅了したために、
年代記作家、各国大使貴族が語らずにいられなくなって、沢山の記録が残っている。
   
   最も成功を博したのは、イル・モーロの甥でミラノ公のジャン・ガレアッツォ・スフルツァとイザベッラ・ダラゴーナのために行われた婚礼式典だという。
   花嫁の故国ナポリで結婚式を挙げて数週間後にジェノヴァにつくと、そこからミラノへ向かって婚礼行列を始める。途中のトルトーナのスフォルツア城で正装したイル・モーロが彼らを迎え、城には、レオナルドが華々しい式典を用意している。このイベントの何から何まで、たとえば、衣装のデザイン、音楽の創作、舞台装置の制作、俳優の演出、総てをレオナルドが作り上げる。

   オリンピックやパラリンピックの式典なども、この類いのショーであろうが、レオナルドならどのような演出をしたのか、興味のあるところである。
   バチカンの衛兵の服装も、レオナルドのデザインと言うことだが、雰囲気は何となく分かって興味深い。
   絢爛豪華な祝祭と舞台芸術が花開き、贅沢な宴会が続く。その後、結婚を祝福するための花飾りと綴れ織りの布で飾られた家々の並ぶヴィジェーヴァノの町に立ち寄って、レオナルドが、重厚で堅固な要塞を悦楽の庭に変えたスフォルツァ城に入場する。ビャクシンの花で覆われた七本のポーチを通り抜けると、それは、ミラノ宮廷でこれから何日も何日も続く祝宴の始まりである。
   祝宴のためにレオナルドが準備した総てのスケッチが残っている。タペストリー、寓意的なモチーフ、持ち運びの出来る舞台、ビャクシンの花のポーチ、等々。

   現在なら、舞台芸術、例えば、オペラにしても、演出家は演出だけであって、衣装や照明や音楽や舞台といった専門家が協業するのだが、レオナルドは、助手を使ったとしても、それらを総て一人でやってのけたというマルチタレントの権化だったのである。
   
   

   
   
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ツユクサのつぶやき、楽天の無線基地局撃破

2021年08月20日 | 経営・ビジネス
   梅雨明けで、急に夏空が顔を出すと、一挙に暑くなる。
   木陰でひっそりと涼しげに咲いているのは、ツユクサ。
   朝咲いた花が昼しぼむことが朝露を連想させることから「露草」と名付けられたというのだが、私には、梅雨に咲く鮮やかなブルーの綺麗な花だと言うイメージの方が強い。
   夏の草には、朝に咲いてその日に萎む Dayflower が多いのだが、暑さに抗して咲く花であるから、大変なエネルギーである。

   ところで、世の中は、オリンピックが終ってパラリンピックまでの中休み、
   しかし、相変わらず、コロナコロナで、それに、アフガニスタンを制覇したタリバンの話ばかり、
   陰に隠れて低空飛行か、日本にとって一大事の筈の自民党総裁選挙と衆議院議員選挙は影が薄く、国民の期待も大してなさそうである。
   横浜に市長選挙など、政治の迷走としか思えない。

   さて、7月初旬からの6週間、私にとっては、大変な戦いの6週間であった。
   降って湧いたような楽天モバイルの携帯基地局建設に対する反対運動である。
   学校が犇めく閑静な住宅街に、9月に基地局を建設するという。

   日本の電磁波規制が緩くて欧米の趨勢に遅れていることもあって、基地局からの電磁波による健康被害が危惧されていて、日本各地で熾烈な建設反対運動を惹起して問題を起こしているが、楽天にしてみれば、国策に沿った合法的な建設工事であるから、携帯3社に遅れをとらないためにも、必死に推進しようとする。
   運動して思い知らされたのだが、電磁波の健康被害には、殆どの人が無知で無関心であり、楽天から、政府が認めている事業であり益々便利になりますよと説得されて、スマホにさえも縁のない町内会の重鎮達を抱き込む。原発反対という運動さえ、国民の無知無関心に遭遇して、世論を盛り上げることが如何に難しいか、身に染みた戦いであった。

   流石に鎌倉で、民度が高い。
   インターネットを叩いてください、危険情報が無数に出ますから、と御願いした御陰か、携帯基地局の電磁波被害の深刻さに目覚めた隣人達が、ことの重大性を知って、積極的に反対運動をもり立てようと運動の輪が広がっていった。EUの電磁波による健康被害を糾弾するThe 5G appealの高度な知見など、感動的でさえある。
   こんな時に役に立ったのが、大袈裟に言えば、ビジネス・スクールで学んだ戦略・戦術、そして、欧米人を相手に切った張ったの熾烈な戦いなどで体得したビジネス経験で、協力者の知見と経験を総動員して、大波を起こして対抗しない限り、良識ある住民の反対を押し切って何百何千と無線基地局を建て続けてきた百戦錬磨の楽天と対峙することなど到底無理で、我々素人集団に勝ち目などある筈がない。

   この基地局の真下を小中学生が通学路として学校に通い、小学校が至近距離にある。
   無邪気に遊ぶ我が孫達の明るい笑顔を眺めながら、最後のご奉公と、これらの小市民の健康と命を守ろうと、とにかく、必死であった。

   8月中旬 楽天は、役所に、「携帯電話等中継基地局設置等計画廃止届出書」を提出した。建設計画を取り下げたのである。
   差し障りがあるので、これ以上詳細には触れられないが、久しぶりにビジネス戦士として戦っていた懐かしい日々を思い出した。
   
(追記)このブログの2021.9.12に、詳しく経緯等を「楽天モバイル基地局撃破:黒塗りの行政文書の公開」で記している。

   
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民主主義の優位性が後退している

2021年08月18日 | 政治・経済・社会
   今日の日経で、成田悠輔・エール大学助教授が、「民主主義の未来(上) 優位性後退、崩壊の瀬戸際に」という興味深い論文を発表した。
   そのポイントは、
   ○民主国ほど経済成長もコロナ対策も失敗
   ○政治家報酬や選挙制度の抜本改革は困難
   ○富豪が民主主義国から逃げ出す可能性も

   論じる前に、一目瞭然のグラフを借用する。
   
   世論に耳を傾ける民主的な国ほど、21世紀に入ってから経済成長が低迷している。低迷のリーダー日本のほか、欧米や南米の民主国もくすぶっている。逆に非民主陣営は急成長が目覚ましい。中国に限らずアフリカ・中東もだ。「民主国の失われた20年」は、中国と米国を分析から除いても、先進7カ国(G7)諸国を除いても成立するグローバルな現象だ。この「民主主義の呪い」は21世紀特有の現象だ。1960~90年代には、すでに豊かな民主国の方が貧しい専制国より高い成長率を誇っていた。富める者がさらに富む傾向が強かった。この傾向が21世紀の入り口前後に消失し、貧しい専制国が豊かな民主国を猛追するようになった。
   20年に人命と経済をあやめた犯人もまた民主主義だ。民主国ほどコロナで人が亡くなり、19~20年にかけての経済の失墜も大きい。平時だけでなく有事にも民主主義は故障しているようなのだ。
   と言うのである。

   なぜ民主主義は失敗するのか。
   ウイルス感染やITビジネスの成長、ウェブ上の情報拡散など、21世紀の主成分は、常人の直感を超えた速度と規模で反応が爆発することで、そこでは爆発が起きる前に、徹底的な投資や対策で一時的に強烈な痛みを引き受けられるかどうかが成功の鍵になる。超人的な速さと大きさで解決すべき課題が爆発する世界では、常人の日常感覚(=世論)に配慮しなければならない民主主義は科学独裁・知的専制に敗北するしかないのかもしれない。世界の半分が民主主義という政治的税金を金と命で払わされているかのようだ。と貴重な指摘をする。

   では、重症の民主主義が21世紀を生き延びるためには何が必要なのだろうか。その2つの処方箋は、民主主義との闘争、そして民主主義からの逃走だ。
   闘争は、民主主義と愚直に向き合い調整や改善により呪いを解こうとする営みである。政治家の目を世論よりも成果に向けさせるため、国内総生産(GDP)などの成果指標にひもづけた政治家への再選保証や成果報酬を導入したり、政治家の任期や定年、政治版ガバナンス(統治)改革案に加え、選挙制度の再デザインなども有効かも知れないが、既存の選挙制度で勝つことで今の地位を築いた現職政治家が、なぜこうした改革を進めたい気分になれるのか、その実現可能性は心もとない。
   国家からの逃走は一部ではすでに日常である。一例が富裕層の個人資産。ルクセンブルク、ケイマン諸島、シンガポールと、より緩い税制や資産捕捉を求めてタックスヘイブン(租税回避地)を浮遊する見えない資産は、世界の資産全体の10%を超えるともいわれる。既存の国家は諦め、思い思いに政治制度を一からデザインし直す独立国家・都市群が、個人や企業を誘致や選抜する世界へ、どの国も支配していない地球最後のフロンティアである公海を漂う新国家群を作ろうと言う「海上自治都市建設協会」の企てがあり、お気に入りの政治制度を実験する海上国家に逃げ出す未来が具体的な建設案になり始めている。
   20××年、宇宙や海上・海底・上空に消えた上級市民は、民主主義という失敗装置から解き放たれた「成功者の成功者による成功者のための国家」を作り上げてしまうかもしれない。選挙や民主主義は残された者たちの国のみに残る、懐かしくほほ笑ましい非効率と非合理のシンボルでしかなくなるかもしれない。そんな民主主義からの逃走こそ、フランス革命、ロシア革命に次ぐ21世紀の政治経済革命の本命だ。そして私たちに問いかける。民主主義からの逃走との闘争はいかにして可能か、と。
   言うのである。

   成田助教授の論点は、
   超人的な速さと大きさで解決すべき課題が爆発する世界では、常人の日常感覚(=世論)に配慮しなければならない民主主義は科学独裁・知的専制に敗北するしかないと言うこと。
   これまでに、このブログで何度も触れているように、米国型の民主主義による資本主義制度よりも、中国のような専制体制ではあるが国家主導型の国家資本主義の方が、現下のグローバル経済においては、有効なのではないかと言うことである。
   自由主義的な資本主義体制では、従来型の経済のテイクオフは殆ど不可能となってしまっているので、新興国や発展途上国が経済成長や発展を目指すためには、中国型の国家資本主義体制が見本になり得るであろうと書いてきたが、現実的になりつつある。
   個人としては、自由で平等で平和な民主主義体制の方がはるかに素晴らしいと思っているし、中国の体制は好みではないが、時代の潮流には逆らえないとすれば、否でも応でも、厳粛なる現実は無視するわけには行かない。
 
   さすれば、ノーベル賞が近いと言われているダロン ・アセモグル の「自由の命運  国家、社会、そして狭い回廊」の理論的根拠が、吹っ飛んでしまう。
   「専横」と「不在」のふたつのリヴァイアサンに挟まれたどちらにも属さない不安定な「狭い回廊The Narrow Corrido」のハザマで、強力な国家と強力な社会のせめぎ合いによって民主主義的な「足枷のリヴァイアサン」を生み出した国だけが、自由と繁栄を維持できる。中国は、自由と繁栄への道筋にある「足枷のリヴァイアサン」の埒外にある「専横のリバイアサン」であるから、ある程度成長しても、今後の更なる持続的成長は、到底無理である。と言うのが、アセモグルの結論である。
   自由と繁栄とはワンセットだというのだが、現実はそうではない。
   自由はあるが民主主義国ほど、経済成長が悪くて繁栄への道は遠くなるという、アセモグルは、どう答えるのか?

   最も単純な話は、文化文明も、歴史も、そして、全く価値観の違う発展途上国に、独りよがりの民主主義らしきシステムを押しつけて十分にフォローせずに、良しとした米欧の能天気ぶりが如何に危険でありこれらの国民を恐怖に追い込んできたのかは、アフガンの現実を見れば一目瞭然であろう。

   民主主義の危機という前に、資本主義体制の見直しが迫られていると言うことであろうかとも思っている。
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アフガン空港、脱出のために死者が出る大混乱

2021年08月17日 | 政治・経済・社会
   ロイターが
   アフガニスタンの反政府武装勢力タリバンが15日に首都カブールの大統領府を掌握したことを受け、16日には国外脱出を図る人々が空港に殺到、米国は混乱解消に向けカブールから退避する航空機の運航を停止した。米軍撤退を巡り、バイデン米大統領への批判が強まっている。と報じている。
   同じく、 サウジアラビア外務省は16日、アフガニスタンの首都カブールの大統領府を掌握した反政府武装勢力タリバンに対し、「イスラム教の原則」に則り、人命や安全を保護するよう求めた。声明で「イスラム教の崇高な原則に基づき、タリバンの活動とアフガンのあらゆる当事者が安全、安定、人命、財産の保護に取り組むことを望む」と指摘。状況が可能な限り早く安定化することを願うとした。と報じている。

   テロ集団として、9.11後に一時崩壊したタリバンが、米軍撤退に呼応して、一気にカブールに進軍してアフガニスタンを掌握したのである。
   アフガン政府は30万の精鋭部隊を持っているがタリバンは7万5000人、負けるはずがないと豪語していたバイデンが如何に能天気であったか、ヴェトナム撤退時の悪夢(?)を彷彿とさせるが、今回のタリバンのアフガニスタン制圧は、従前と代わらないタリバンなら、まさに、民主主義・自由主義の屋台骨を倒しかねない危機で、途轍もなく歴史的な脅威は大きい。

   心配すべきは、中国の王朝が代わるときには、前王朝の係累を悉く抹殺して根絶やしにするするという例に漏れず、タリバンが、前政権に関わった人間総て、特に、民主化され知識教養などを積んだ虎の子とも言うべきテクノクラートなど有能な人材に危害を加える可能性が非常に高い。燭光が見え始めていた女性の地位向上を死守すると共に、世界中挙って、これらの保護救済に万全を期さねばならない。
   タリバンは否定したが、テロ行為で亡くなった中村哲医師の例もあり、日本はアフガニスタンには経済協力などによって多くの人材を育成してきており、これらのアフガニスタンの将来を託した有意な人材が日本との経済協力などで関わったと言うだけで危害を受けると言うことを、日本政府は、万難を排して回避すべきである。
   
   ニューズウィークが、「タリバンが米中の力関係を逆転させる」と報じた。
   アフガニスタンにタリバン政権が誕生するのは時間の問題だろう。米軍撤収宣言と同時に中国とタリバンは急接近。一帯一路強化だけでなく、ウイグル問題のため習近平はアルカイーダ復活を認めないだろう。となると、アメリカができなかったことを中国が成し遂げ、中国が世界の趨勢を握ることにつながる。と言う。
   7月28日、タリバンが天津で王毅外相と会談しており、既に、タリバンを認知した形であり、
   アフガニスタンは、シルクロード、すなわち、中国とヨーロッパを結ぶ最も重要な経済及び交易回廊の結節地点であって、「一帯一路」のピボタルポイントであり、地政学的にも、非常に重要な位置を占めており、ここを確保できれば、中国にとっては、欧米に対峙する政権であれば、タリバンであろうと、親密な関係を維持して自国陣営に取り込めるいう千載一遇のチャンスを得たのである。
   これで、中央アジアおよび中近東の勢力図が大きく逆転する。
   マッキンダーのハートランド理論が蘇りそうな雰囲気である。ハートランドであるアフガンや中央アジアを抑えれば世界を制覇できるというユーラシア論である。

   さて、余談になるが、タリバン支配を恐れたアフガニスタン人が国を脱出しようと空港に殺到している映像を見て、思い出したのは、サウジアラビアのリヤド空港での騒動である。
   丁度、日本に帰ろうとして、空港のカウンターでチェックインして待機していたら、急にその飛行機がキャンセルだという。
   良く分からなかったが、その飛行機に王子が乗り込んだとかで、一般乗客は総てキャンセルされた。
   大分経ってから、代わりの便の搭乗手続きが始まったのだが、乗客が一気にカウンターに殺到して大混乱、収拾がつかなくなった。今回のアフガン空港の混乱ぶりの小型版であろうか。
   案内が、殆どがアラビア語で、たまに、アラビアなまりの英語であるから殆ど理解できなくて、右往左往、アラビア人を掻き分けてチェックインするなど私には出来るわけがないのだが、しかし、その日にバーレンで乗り継がないと東京へ帰れない。
   随分前の話になるので、記憶が定かではないのだが、呆然として待機していると、大分経ってから、律儀にも背広を着ていたので日本人ビジネスマンと分かってか、実情を分かったのか分からなかったのかは分からないが、エアラインの係員が近づいてきて話を聞いてくれて、チケットを手配して待合室に案内してくれた。間一髪の解決であった。

   とにかく、アラビアと言うかイスラムの世界は、まさに、典型的な異文化異文明の世界で、毎回訪れる度毎にカルチュア・ショックの連続であった。
   
   しかし、タリバンはともかく、人類の歴史上燦然と輝いているイスラム文化文明の凄さは、十分に知っているつもりであり、その栄光を取り戻すことがありやなしや、宇宙船地球号の運命とともに、思いを馳せている。
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映画「ノア、約束の舟」

2021年08月16日 | 映画
   昨日、ミケランジェロで、「創世記」にインスパイアされたので、録画していた映画「ノア、約束された舟」を見た。
   「シュメルの洪水神話」や「ギルガメシュ叙事詩」にも登場する「ノアの洪水」の「創世記」の記述を元にした映画である。

   聖書にどのように書かれているのか、良く分からないので、ウィキペディアの「創世記」の要約を映画のストーリー風に纏めると、
   主は地上に増えた人々の堕落(墜落)を見て、これを洪水で滅ぼすと「主と共に歩んだ正しい人」であったノア(当時500~600歳)に告げ、ノアに方舟の建設を命じた。ノアは方舟を完成させると、妻と、三人の息子とそれぞれの妻、そしてすべての動物のつがいを方舟に乗せた。洪水は40日40夜続き、地上に生きていたものを滅ぼしつくした。水は150日の間、地上で勢いを失わなかった。その後、方舟はアララト山の上にとまった。40日後、ノアは鴉を放ったが、とまるところがなく帰ってきた。7日後、もう一度鳩を放すと、鳩はオリーブの葉をくわえて船に戻ってきた。ノア601歳の1月1日に水が乾き始め、2月27日に全ての水が乾いた。(創世記第8章13~14)ノアは箱舟から出て良いとの指示を受け、家族と動物たちと共に方舟を出た。そこに祭壇を築いて、焼き尽くす献げ物を主に捧げた。主はこれに対して、ノアとその息子たちを祝福し・・・

   主なキャストは、
   監督:ダーレン・アロノフスキー、ノア:ラッセル・クロウ、ノアの妻ナーマ:ジェニファー・コネリー、ノアの祖父メトシェラ:アンソニー・ホプキンス、
   クリント・マンセルの音楽が感動的

   創世記の時代、原罪をおかしたアダムとイブはエデンの園を追われた後、唯一神の創造物を大切に守り続けてきたセトの子孫、メトシェラの孫である成人したノアは、妻と3人の男子といっしょに、父の仇敵トバルが支配する社会から隠れて住んでいた。ある日、ノアは洪水で人々が死ぬ夢を見る。神が世界を滅ぼそうとしている事を知ったノアは、祖父のメトシェラに会うため、家族を連れて旅に出る。途中、賊に襲われ怪我をしている少女イラに出会い助けるが、トバルたちの仲間に襲われる。そこに泥の塊の巨人となった堕天使の生き残りが現れ、泥の巨人の長であるシェムハザはノアたち人間を信じなかったが、泥の巨人のオグがノアを信じて逃がしてくれたおかげで、ノアらは無事にメトシェラの住む山にたどり着く。そこでメトシェラに会い、再び神の啓示を受けたノアは、世界は滅びるが、そのあとに楽園がやってくる事を知る。そのためにあらゆる動物を巨大な箱舟に載せて救う事が、自分に与えられた神の使命だと知る。

  重要な役割を果たすのは、重傷を負った少女イラで、妻のナーマの願いとメトシェラの祝福によって、イラは子どもが産める体になっていて、イラとノアの長男セムは互いに愛し合っていて、ある日子どもを妊娠した事がわかる。ノアは祝福するどころか、神の命に背いた家族に怒りを表して激怒して、生まれて来る子供が女であればその場で殺すと、家族に告げて驚愕が走る。人類絶滅を神の意志だと信じて、その意志を全うすべき使命を与えられたノアにとっては、子供を産む女児の誕生など許されるべき所業ではないと言うことである。
   ノアは、洪水によって溺れて死んで行く一切の人間を救わなかった。ノアの家族はそんなノアに疑問を持って責めるがが、洪水が治った後に再び楽園が戻ってきたときに、そこに人間が存在しては再び悪がはびこってしまうので、そこに住めるのは汚れなき動物たちだけと言うのである。
   そして双子の姉妹が生まれる。生まれた子どもを殺すなど惨いと必死にしがみついて命乞いを懇願して諌めるナーマや抵抗するセムにもとりあわず、ノアはイラが抱いている子どもを殺そうとするが、殺す事はできなかった。幼気な赤子を目にして、ノアは短剣を握りしめながら、慈悲と愛に目覚めてその場を離れてゆく。
   セム のダグラス・ブース、イラ の エマ・ワトソンの若い夫婦が、実に新鮮で素晴らしく、特にエマ・ワトソンが、愛に目覚めたノアのラッセル・クロウに、切々と語る言葉は感動的である。
   ノアは神がノアに託した使命を果たせなかったこと、家族を苦しめたことを後悔して一人離れて洞窟で暮らす。イラはノアに対して、神があなたを選んだのは、人間を救う価値があるのかどうか、それをあなたに委ねたからだと言い、そしてあなたは慈悲を選んだとのだ説く。ノアは子供たちを集め、神がアダムに託したことを継承していくのだと言って祝福し、「生めよ。ふえよ。地を満たせ」と唱えると、空に大きな虹の輪が拡がって幕。

   ところで、レイ・ウィンストン演じるトバル・カイン だが、 カインの子孫たちの王でノアの父の仇。沢山の軍勢を引き連れてノアを襲撃して、ノアが作った船を奪おうとする悪役だが、
   「動物より人間の命の方が大切だ、神の命令ではなく、人間の運命を決めるのは人間だ」と、ノアに託された神の意志よりも、真っ当なことを言う。
   禁断のリンゴを食べて原罪をおかしたというアダムとイブの物語をどう解釈すれば良いのか、キリスト教徒ではない私には分からないし、非常にセンシティブな重要な問題なので、何とも言えないが、この映画は、私には、宗教を超えて、人間の愛とは何か、正しく生きると言うことはどう言うことなのか、ヒューマニズムの香りの高い映画だったような気がしている。

   方舟は、ゴフェルの木でつくられ、三階建てで内部に小部屋が多く設けられていた。方舟の内と外は木のタールで塗られた。ノアは方舟を完成させると、妻と、三人の息子とそれぞれの妻、そしてすべての動物のつがいを方舟に乗せたと言う途轍もない巨大な方舟をどうして作ったのか、
   神の意志に逆らって人間を助けて、光が変えられた泥の塊の巨人となった堕天使が、カインの軍勢を蹴散らせて、方舟の建造に携わったのである。
   CGを駆使したダイナミックな映像や迫力のある動物の群像など映像技術の素晴らしさも特筆ものである。

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木下 長宏 著「ミケランジェロ」

2021年08月15日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   ルネサンス期の最も偉大な芸術家であるはずで、存命中に、ジョルジョ・ヴァザーリが著した『画家・彫刻家・建築家列伝』などが残っているわりに、レオナルド・ダ・ヴィンチと比べて、巷の著作物が格段に少ないのが、ミケランジェロ。
   帶に、「混沌カオス」を生きる芸術家がここにいると言うタイトルがつき、芸術活動の核心に迫り、時代と切り結ぶ、新たな人間像を提示するという木下 長宏 教授の新書「ミケランジェロ」を読んでみた。
   ミケランジェロの作品を追いながら、ミケランジェロの伝記に及ぶ簡便な解説書で、独自の評論にも踏み込んだ興味深い本である。
   レオナルド同様に、かなり多才な芸術家だが、やはり、傑出しているのは、彫刻家であり画家であり建築家であると言う側面で、偉大な作品を残している。

   まず、幸いにも、随分前の話になるのだが、結構、イタリアを訪れていて、サン・ピエトロ大聖堂・バチカン宮殿にも通って、ピエタ像やシスティーナ礼拝堂の壁画「最後の審判」や天井画「天地創造」を見ており、フィレンツェでは、アカデミア美術館の「ダビデ像」やウフィツィ美術館の「トンド・ドーニ」、そして、礼拝堂や美術館などの彫刻、それに、ローマでは、サン・ピエトロ・イン・ヴィンコ聖堂の「モーゼ像」やユリウス二世の墓廟、その他ルーブルなど博物館美術館でも、意識して、ミケランジェロ作品を鑑賞し続けてきたつもりである。
   尤も、頼りない記憶なので、今となっては、図録や本の繪や写真を見ながらの追体験だが、細かく説明されると、なるほどと、感動を新たにしている。

   何を置いても、驚嘆したのは、彫刻家であったはずのミケランジェロの描いたシスティーナ礼拝堂の天井画「天地創造」と正面の壁画「最後の審判」で、最初に観た時には、しばらく、感動して動けなかった。
   3回ここを訪れているが、私の移動の仕方が悪かったのか、バチカン美術館の鑑賞ルートの一番奥にあって、焦れば焦るほど近づけずに時間が経ってしまって、憔悴しきって辿り着いたのを覚えている。
   尤も、この美術館は、素晴らしい美術作品の宝庫で、伊達やスイキョで見過ごせない大作が多くて、十分時間を取るつもりで訪問しないと罰が当たるのだが、旅人である以上、時間がないときには、鑑賞目的は、このシスティーナ礼拝堂しかない。
   (以下、インターネットから、写真を借用させて貰う)
   
   
   

   礼拝堂の入り口を入ると、まず、目に飛び込むのは、天井画の「天地創造」、
   実際は、9面の巨大な絵画で、描かれているのは「天地創造」「人類の誕生」「ノアの洪水とその後」など「創世記」の舞台で、著者は、有名な「ノアの洪水」を見ていると、ミケランジェロは、ノアをテーマにしたかったのだと思うという。
   興味深いのは、「創世記」を暗記するほど読み、法王庁に出入りする神学者や司教達とも議論し、十分に知識を積んで理論武装しておきながら、ミケランジェロは、イメージを繪にして、確信犯的に、「創世記」を裏切るような絵を描くなどしたにも拘わらず、これらの絵をローマ法王にすら間違っているから描き直せと言われなかったという。
   この天井画は、エントランスからは、ストーりーの逆方向に描かれていて、実際に、ミケランジェロもこの方向で絵筆を採ったという。

   やはり、注目は、書面の巨大な壁画「最後の審判」である。縦17メートル、横13.3メートル。
   
   
   天国行きか地獄行きか、我が世界では、冥界の王として死者の生前の罪を裁く神は閻魔大王であるが、この壁画では、正面のキリストが、最後の審判を下す。
   上昇する人体と落下する人体が入り乱れて、喧噪と混乱を繰り広げる群像の正面に鎮座するキリストは、オーケストラの指揮者の身振り、
   筆者は、この「最後の審判」の壁画の前に佇つと聞こえてくるのは、イエスという指揮者が演奏する壮大な終末のシンフォニーで、裸体の人物は、まるで音符のように、和音や不協和音を騒然と奏でている。と言う。

   この壁画だが、キリストのイメージは、神としてではなく全く独特で、この絵自体、神々しさなど全くなくて、ダンテの神曲の「天国篇」など程遠くて、「煉獄篇」と「地獄篇」の挿絵を見ているような感じがして、異様な感じがするのだが、ミケランジェロの想像の世界と創造力に圧倒されてしまって、驚嘆の一語である。
   ダンテの「神曲」を読んだので、この壁画の冥府の河の渡し守カロンや地獄などイメージそっくりで、ミケランジェロのこの絵でインスパイアされたロダンの彫刻が彷彿として興味深い。
   
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アメリカ海洋大気庁(NOAA):July 2021 は歴史上地球で最も暑い月となった

2021年08月14日 | 地球温暖化・環境問題
   ワシントン・ポストのKasha Patelの”July 2021 was Earth’s hottest month ever recorded, NOAA finds”である。
   短い引用だが、昨今話題のトピックスなので、一寸、触れてみたい。

   金曜日に、アメリカ海洋大気庁NOAAが、2021年7月は、142年の歴史の上で、最高温度の月であったと宣告した。
   この新記録は、気候変動が地球に刻み込んだ道程へ、更に悪の里程標を刻むことになった。
   
   陸海混合温度は、20世紀平均を1.67度越え、2016、2019、2020年の7月を括った以前の記録より0.02度高く、記録上、2021年の高温は、トップ10にはいる。
   NASAの月例地上温度観察によると、2021年7月の地球温度の中央値は、1951-1980年7月平均より1.66度高い。
   7月に、特に、熱波は北半球を襲い、北半球の地上温度は、平均より2.77度高く、記録破りの高温が続いた。

   この月、少なくとも同時に、5つの heat domes「ヒートドーム(熱のおおい)」が、北半球を覆った。最悪はトルコで、大規模な山火事を引き起こした。北日本では、記録破りの高温で、オリンピック選手を汗だくにし、北アイルランドでは、5日間に2回も前代未聞の高温を惹起した。
   熱波は、6月下旬からこれまでにない高温をもたらし、北米の太平洋岸北西部を襲い続けた。更に、このヒート・ドームが、全米に広がり、大陸中央の州では100度Fを越える高温をもたらした。
   ヒートドームとは、下図のように、高気圧が広範囲にわたって鍋の蓋のように上空を覆い、熱い空気を閉じ込めた状態をいう   
   
   NOAAのデータによると、アジアが、史上最高温を記録し、ヨーロッパは、史上第2位の高温で、北米、南米、アフリア、オセアニアは、トップ10の高温だった。
   国連のIPCCが、shows clear evidence on how humans have changed our climate — including with extreme heat events.
   これら極端な高温熱波問題も含めて、気候を変動させて、地球環境を破壊している元凶は人類だと宣告したのである。
   8月になっても、高温と熱波はおさまらない。シチリアの気象庁は、伊シチリアで48.8度 ヨーロッパの観測史上最高気温を記録したと報道した。ギリシャも同様で、アテネデ48.0度で、大規模な火災が大地を蹂躙している。

   資源エネルギー庁によると、パリ協定では、
   世界の平均気温上昇を産業革命以前に比べて2℃より十分低く保ち、1.5℃に抑える努力をする
   そのため、できるかぎり早く世界の温室効果ガス排出量をピークアウトし、21世紀後半には、温室効果ガス排出量と(森林などによる)吸収量のバランスをとる
   ところが、先のIPCCの報告では、
   地球の2011~2020年の地表温度は、1850~1900年に比べて摂氏1.09度高かった 過去5年間の気温は1850年以降、最も高かった
   温室効果ガス排出量がどう変化するかによる複数のシナリオを検討した結果、どのシナリオでも、地球の気温は2040年までに、1850~1900年水準から1.5度上昇する
   と言う。

   更に、
   全てのシナリオで北極海は2050年までに少なくとも1回は、ほとんどまったく海氷がない状態になる
1850~1900年水準からの気温上昇を1.5度に抑えたとしても、「過去の記録上、前例のない」猛威をふるう異常気象現象が頻度を増して発生する
2100年までに、これまで100年に1回起きる程度だった極端な海面水位の変化が、検潮器が設置されている位置の半数以上で、少なくとも1年に1度は起きるようになる
多くの地域で森林火災が増える
   と言うから、現在のような生ぬるい温暖化対策をしていては、宇宙船地球号は無茶苦茶になってしまうと言うことである。
   今、梅雨の最後の時期で、日本中が、線状降水帯の恐怖に戦いているというのに、益々、状況が悪化して行くと言うことでもある。

   茹でガエル状態で、どんどん、人類が窮地に追い詰められて行くのか、それとも、起死回生のイノベーションの到来でブレイクスルーとなるのか、人類の英知が試されていると言えようか。
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ロンドンでの英人との付き合いはイベントや観劇が多かった

2021年08月12日 | 海外生活と旅
   今日の日経の永山治氏の「私の履歴書」の記事は、「金曜夜にワインの集い 日本と異なる物の見方学ぶ」というタイトルで、白洲次郎のアドバイスで外人との付き合いが多かったと、その思い出を語っていて面白い。
   私も、アムステルダムに3年、ロンドンに5年住んで仕事をしていたので、似たような経験をしており、久しぶりに懐かしく思いだした。

   ロンドンだと、駐在員の場合には、どうしても、私のようにゴルフを全くやらない人間にとっては、日本人社会との付き合いは、いきおい、希薄になる。麻雀はあったのかどうかも知らないし、囲碁や将棋、テニスや卓球などと言ったスポーツ等々、カラオケやナイトクラブ、およそ日本人サラリーマンが興味を持つ殆どのことをやらなかったので、仕事上付き合う日本人や米国留学時代の仲間など限られた人たち以外との親しい付き合いは殆どなかった。
   親しく付き合っていたのは、オペラやクラシック音楽愛好家との交歓くらいであろうか。
   営業上、特定の企業とは密な接触が必要ではあったが、その他では、特に、日本人社会との特別な付き合いや接触がなくても、支障がなかったのである。
   ゴルフをやらない、シェイクスピアやオペラやクラシックにうつつを抜かす駐在員など殆どいなかったであろう。

   従って、仕事の関係もあるが、私が親しく付き合っていたのは、殆ど、イギリス人であり、イギリス人の営むイヴェントへの参加などが多かった。
   まず、オペラでの付き合いで、ジム夫妻は、私たちを、毎年、グラインドボーン祝祭オペラに招待してくれたし、他の英国人の友人が、珍しいアリーナを舞台にしたオペラや野外オペラに招待してくれ、私も、お返しにロイヤルオペラに招くなど、オペラ好きの英人夫妻達と頻繁にオペラ劇場に通って、オペラ鑑賞に明け暮れた。

   興味深かったのは、2年間招待を受けて通ったアスコット競馬で、会社など組織が保有する観覧席付きの個室で宴会をしながら楽しんだことである。勿論、モーニング、シルクハット姿である。
   遠くのゲートから、クラシックな馬車に乗って、女王陛下が入場し着席されるとレースが始まる。
   女王陛下の観覧席のある正面の横長の建物の上階に、セル状にかなり大きな個室があって、我々は、その1室を占めていて、レースが始まると外の観覧席に出て鑑賞する。馬券は、廊下に出てその階にある特設馬券売り場で買う。テレビなどで放映される綺麗な帽子を被った貴婦人然とした淑女や紳士の華麗で晴れやかな姿をした人々は、観覧席ビルとレースコースの間の広場に犇めいているのだが、下に下りて仲間に潜り込んでお祭りムードを楽しみ、独特な出で立ちをした予想屋と掛け合うのも面白い。マイフェアレディの世界である。
   もう一つ、同じような、少し簡素な観覧経験をしたのは、イギリス特有のクリケットで、これも、延々と続くクリケットを横目に、ワイン片手の談論風発、とにかく、楽しかった。

   イギリス人達は、何かというと、理由をつけて、レセプションや大パーティやイベントを開いて、集まっては、飲食と歓談を楽しむ。
   私の担当は、イギリスだけではなく、ヨーロッパなので、今日はパリ、明日はマドリードと言った調子で多忙を極めていたので、ロンドンには半分も居なかったが、イギリス人達との付き合いは大切にした。
   家庭で接待するのが最高のもてなしなので、呼びつ呼ばれつ、私たちも、英人達を我が家に招待して、何度もディナーやレセプションを開いてもてなした。

   シティのレセプションで、RAPE OF BRITAINと言う大演説をぶつことになったチャールズ皇太子を、私は、エントランスで、4人のお迎えの列に並んで握手しご挨拶が出来たのも、また、別の機会に、レセプションで、皇太子と日本の経営について語り得たのも、
   そして、別な建設プロジェクトで、同じく、レセプション会場のエントランスで、ダイアナ妃をお出迎えして握手したのも、イギリス人社会に入り込んでいたからであろう。

   ギルドホールでの大レセプションで、主賓のフィリップ殿下の演説が何十何分で終るか、スピーチ途中に平然と帽子を回して、掛け金を集めるのは、何でも賭けようかと言うギャンブル好きのイギリス人。
   公設ギャンブルが最も盛んで、スポーツの殆どはイギリス生まれという闘争心丸出しのジョン・ブル気質の中で生活していると、和を以て尊しとする我が精神もおかしくなってくる。
   今の天皇陛下がご出席になったシティのレセプションにも参加したが、とにかく、年中、晴れの舞台が開かれている感じである。
   偶々、イギリスにいた御陰で、良い経験をした。

   余談だが、次女に英語を学ばせようと、ジム夫妻は、2ヶ月自宅で預かってくれたし、幸い、大学と大学院をカンタベリーのケント大学で学ぶことになったら、ジム夫妻やマイク夫妻など英国の友人が、カンタベリーを訪れたり、陰に日向にと娘の面倒を見てくれていた。
   イギリスの永住ビザを持っていたので、日本に帰国してからも、継続の意味もあって、しばらくイギリスに行って旧交を温めていたが、昨年、ジムが逝ってしまった。
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