熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

PS ヌリエル・ルービニ:ウクライナのロシア戦争とグローバル経済

2022年02月27日 | 政治・経済・社会
   ルービニ教授は、Project Syndicate に「Russia's War and the Global Economy」を投稿して、今回のロシアの仕掛けたウクライナ侵攻が、如何にグローバル経済に深刻な影響を与えるかを警告している。

   ロシアとウクライナの紛争は、軽微で一時的な経済的・財政的な影響しか与えないだろうと考えるのは魅力的である。言うなれば、ロシアは世界経済の3%に過ぎない(そしてウクライナははるかに少ない)と言うことだが、しかし、1973年にアラブ諸国が、そして、1979年の革命的なイランが、石油禁輸措置を発動してグローバル経済に深刻なダメッジを与えたときには、今日のロシアよりも、世界のGDPに占めるシェアはもっと低かった。
   プーチンの戦争は、石油と天然ガスをチャネルに伝播して行くであろうが、それに止まるはずがなく、そのノックオン効果(ドミノ的な波及効果)は、パンデミックからの脆弱な回復が、すでにより深い不確実性とインフレ圧力が上昇に転じた時期に、世界的な信頼に大きな打撃を与えるであろう。ウクライナ危機のノックオン効果は、より広範な地政学的不況を惹起して地政学的リスクをますます深刻化させるであろう。と言う。

   もう一つ注目すべき指摘は、新旧の不況要因の違いによる経済政策の差である。
   2008年の経済不況は、需要サイドの不況であったが、ロシア戦争の今日は、スタグフレーション下の供給サイドの経済不況であるので、当然、経済政策は違ってくると言うのである。

   今回は、西側の指導者は、ウクライナショックの成長抑止効果に対抗するためには、財政政策に頼ることはできない。一つには、米国や他の多くの先進国は、COVID-19パンデミック対策にすべての抑止手段を使い果たして、財政的な対応手段を欠いてしまっている。政府は、ますます持続不可能な赤字を蓄積しており、これらの債務に対するコストは、さらなる金利上昇の環境下で、はるかに高価になって財政を圧迫する。
   要するに、財政刺激策は、スタグフレーション下の供給ショックに対しては間違った政策対応となる。ショックによるマイナス成長の影響を減らすかもしれないが、インフレ圧力を増大させることになる。また、政策当局者が、ショックに対応する上で金融政策と財政政策の両方に頼れば、インフレ期待への影響が高まって、スタグフレーションはさらに深刻化するであろう。
   2008年の世界金融危機後に政府が展開した大規模な金融・財政刺激政策は、インフレ率が低くて目標を下回った時期での信用収縮であって、そのショックの原因が需要側にあったため、インフレにはならなかった。しかし、今日の状況は全く違う。インフレ率がすでに上昇し、目標を大きく上回っている世界で、われわれは、逆の供給ショックに直面している。
   従って、経済刺激的なディマンドプルの財政政策は取りがたいとと言うのである。

   まず、ロシア戦争による、ロシアやウクライナからの、石油や天然ガスをはじめ、農産物などの供給不足をどう補うか、パンデミックスでズタズタになったサプライチェーンや流通の混乱などによる供給不足を修復すべく、サプライサイドの経済回復を図らない限り、スタグフレーションが、益々、進行して行く。
   市場原理主義的な自由競争経済が隆盛を極めていた頃のサプライサイド経済とは、かなり違った様相を呈しているが、この機会に、イノベーション開花爆発のブレイクスルーを実現できれば、グローバル経済も大きく方向転換できるのではなかろうか。と思っている。
   需要不足の経済不況には、お馴染みの強力な財政出動によるケインズ政策が、かなり、即効性があり、有効である。
   一方、サプライサイドの起動のためには、多岐の手法があるとしても、私自身は、勝手ながら、生産性の向上と言うか技術進を伴うものであるべきだと思っているので、単純な資本増強に止まらず生産構造や経済構造そのものの改革など複合的かつ長期を要する施策なども必用であると思っている。
   イエレン米財務長官も、バイデン政権の掲げる経済アジェンダを「現代のサプライサイド経済学」と命名して、米潜在成長率押し上げとインフレ圧力緩和につながる労働供給の拡大や、インフラ・教育・研究の改善を推進すると述べている。

   我々は今、この歴史的な展開の経済的、財政的影響を真剣に考慮しなければならない。と言う。
   重要な地政学的リスクは、新冷戦時代の今、大きくエスカレートして、中国やロシアなどの4つの修正主義勢力が、第二次世界大戦後に作りあげた米国の長い世界的支配と西側主導の国際秩序に挑戦している。その中において、我々はウクライナをはるかに超えて大規模な経済的、財政的な結果をもたらす地政学的不況に入った。
   特に、今後10年以内に大国間の熱い戦争が起こりそうである。米中の新冷戦の対立がエスカレートし続けると、台湾もますます潜在的な引火点となり、西側諸国は修正主義勢力の新興同盟への対応を迫られる。と言う。
   激烈な地政学的リスクの台頭で引き起こされるであろう経済的、財政的不況を、どう乗り切って行くのか、グローバルベースの対応が求められていると言うことであろう。

   米中対立に加えて、ロシア戦争で、一気に新冷戦の深刻さが増して、グローバル経済の先行きは、益々、暗澹としてきた。
   習近平は、「大唐帝国」の再興を、そして、プーチンは、「ソ連」の復活を目指しているというのだが、両帝国の今様皇帝やツアーリが、このデジタル革命下のグローバル世界で、そんな夢を、いつまでも見続けられると思っているのであろうか。
   いずれにしろ、体力の衰え著しい自由と民主主義を標榜する米欧等の先進国に、中ロ等の修正主義勢力が挑戦と応戦を迫っていると言うことである。

   さて、米欧諸国は、ロシアの銀行をSWIFTから排除することを決定した。
   これまでのロシアに対して金融やエネルギーやハイテク分野の経済制裁に加えて、最も厳しい措置の1つとされるSWIFTからの排除を実施するのであるから、即効性には問題があるとしても、単独では自立不可能のロシア経済には痛撃となり、ロシアを、前世紀末のような経済崩壊の瀬戸際まで追い込むこととなろう。その前に、日常の経済システムに齟齬をきたし、ロシア人民の生活を一気に混乱に陥れて、生活と安寧を脅かす。
   しかし、この措置は両刃の剣で、世界経済全体に深刻な打撃を与える。
   ロシア戦争で物価は上昇を続ける一方で、更に米欧などの強力な経済制裁とロシアの対抗措置でインフレが勢いを増し、同時に経済成長が一気に減速する。これは標準的な金融政策では容易に解決できない状況であり、状況次第では、益々スタグフレーションを悪化させて恐慌状態に陥る心配も出てくる。
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ウクライナ:プーチンがオリバー・ストーンに語る

2022年02月24日 | 政治・経済・社会
   ウクライナ危機が、とうとう、現実になった。
   プーチンが、ウクライナなどについて、どう考えているのか、別な視点から知りたくて、積ん読の「オリバー・ストーン オン プーチン」を引っ張りだして、読んでみた。
   クリミアを併合した後の2015年と16年に3回行われたオリバー・ストーンのプーチンに対するインタビュー記事なので、一寸、古きに過ぎるのだが、参考になるので、少し、考えてみたい。
   今日のロシア軍のウクライナ攻撃については、直接触れているはずもないし、断片的な情報しか得られないのではああるが、
   プーチンにとって、何が最も重大な問題意識なのかが、炙り出せると思ったのである。

   やはり、プーチンにとって最大の懸念は、ウクライナのNATOへの加盟であった。
   オリバー・ストーンが、「新たな兵器があれば、NATOがウクライナと合意を結んでもそれほど脅威にはならないのではないか」との質問に、
   「私はやはり脅威を感じる。その脅威とは、ひとたびNATOがある国に入ってしまえば、その国の政治指導者も国民もNATOの決定に口を出せなくなることに起因する。そこには軍事インフラの配備に関わる決定も含まれる。極めて重要な意味を持つシステムが配備されることさえある。」として、私が念頭に置いて問題視しているのはABMシステムで、われわれの核抑止システムへの脅威になる。と言う。
   別なところで、  
   「ある国がNATOに加盟すると、二国間交渉が行われる。二国間ベースであれば、どんな話も比較的簡単にまとまる。わが国の安全保障を脅かすような兵器システムも含めてだ。ある国がNATO加盟国になれば、アメリカほどの影響力のある国の圧力に抗うのは難しく、その国に突如としてあらわれる兵器システムが配備される可能性がある。」として、ABMシステム、新たな軍事基地、必要があれば新たな攻撃用システムだって配備されるかも知れない。そうなれば、対抗措置として、新たに脅威となる施設に対してミサイルシステムの照準を合わせる必用が生じるなど状況は一段と緊迫化する。誰がそんな事態を望むか。と言っている。

   ソ連の崩壊で冷戦が終結して、ソ連の衛星国であった東欧諸国が独立して民主化し、NATOへの加盟によって、NATOは一気に東進して、ロシアの西部国境に隣接するようになった。プーチンのみならず、ロシアにとっては安閑としておれない。NATOは、いわば、ソ連なりロシアなり東西対立を想定した北大西洋条約機構、アメリカをトップとするヨーロッパと北米の30カ国による政府間軍事同盟であるから、プーチンにとっては最大の関心事であり、ロシアにとってはその動向は死活問題である。
   したがって、今回のウクライナへの侵攻攻撃は、いかなる理屈をつけようとも、ロシアにとってはNATO加盟粉砕阻止が総べてであって、欧米が、ウクライナのNATO加盟如何の決定は独立国の当然の権利だと、正論を繰り返して主張して突っぱねたことは、ロシアにとってはレッドラインを超えたことになった。

   さて、下図は、AFPから借用したNATO加盟国の地図である。
   ロシアとの歴史的関係を慮ってなのであろう緩衝地帯となっているフィンランドとスエーデン、そして、永世中立政策をとるスイスとオーストリアはNATOに加盟していないが、旧ソ連の支配下にあった東欧諸国が雪崩を打ってNATOに加盟したのが良く分かる。
   そのうち、ウクライナとジョージアが加盟候補国となっていて、ロシアにとっては死活問題であって、絶対に許せないので、その動向に最も神経をとがらせて対応している。
   
   ロシアが、南オセチアとアブハジアに侵攻して、南オセチアとアブハジアを共和制独立国にしたのが、ロシア戦略の前哨戦だとするならば、ウクライナに対するロシアの戦略も明確になってくる。
   今回は、ウクライナ東部のドネツク,ルガンスク両州のロシアの実質的な支配地域を独立国として承認して侵攻を開始したが、私が、2019年05月21日にこのブログで「ロシアにとってウクライナは生命線か」で書いたように、ウクライナは、ロシア発祥の故地であり、経済的にも科学技術的にも重要な国でありロシアの将来にとっても生命線である。弱小なジョージア方式のように2地区の独立分離で満足するはずはなく、ウクライナ全土をロシアの友好国緩衝地帯として改変することを目論んでいるのであろうと思っている。
    プーチンは、T・マーシャルの「初心者のための外交述」における基本ルール、「国の存続にかかわる脅威に直面した時、大国は武力行使をする」を実行しただけだと言うことであろうか。
   
   ところで、余談だが、クリミア併合の時に、ロシアの重要な目的は、軍港のセバストポリだと思っていたのだが、オリバー・ストーンの「セバストポリのロシアの潜水艦基地を失うのは脅威ではないのか」と問いに対して、「セバストポリの基地を失うことは脅威だが、そこまで重要な問題ではない。われわれは、それ程遠くないノボロシースク(口写真)に、新たな軍事基地を稼働させようとしている。」と応えている。
   
   更に興味深いのは、これに付随して、「厄介だった問題は、軍事企業との絆を断ち切ることだ。ソ連時代には、ウクライナとロシアの軍事システムは単一のシステムであったので、関係を断ち切るとなると当然ロシアの軍事産業にもある程度マイナスの影響が出る。それでもわれわれはインプット代替という新たなシステムを考案して、こうした問題に果敢に立ち向かっている。ゼロから全く新しい企業を立ち上げ、次世代の軍装備を開発させている。一方、かってロシア軍にサポートを提供していたウクライナの軍事企業は、今、消滅しようとしている。ミサイル、航空機、エンジン建造などすべてだ。」と語っていることである。
   プーチンのこの発言で重要なポイントは、ソ連時代の軍需産業の拠点はウクライナのドンバスにあったと言うこと、そして、
   先日紹介した、在日ウクライナ大使館が広報していた、「ロシアによって、 ドンバスの経済は完全に崩壊した。ドンバスの主要工業施設の設備は解体され、ロシアの領土に輸送された。浸水した鉱山の状況は環境災害を脅かす。ロシア当局は、脅威の評価や状況改善を模索しようとする専門家達のアクセスを許可していない。」と言うことで、ロシアが、ウクライナの軍需産業を跡形もなく解体したと言うことである。

   軍事的な技術ノウハウなり、軍事産業施設も、すべて、ウクライナからロシアに移管移譲してしまったから、ウクライナは用済みとなり、攻撃してダメッジを与えても問題なかろうということであろうか。
   チェルノブイリもあり、かっては大量の核兵器もウクライナにあった、
   ウクライナは、ヨーロッパ最大の穀倉地帯でもあり、ウクライナは、ロシアにとっては宝庫であった。
   ロシアは、ウクライナの安全を補償するとして核を放棄させたブダペスト覚書を破ったが、国際法無視は常連で、法治国家ではないロシアが、安全保障理事会の常任理事国であること自体で、既に国連は機能不能に陥っており、なすすべがないのがMISERABLEである。
   ウクライナとロシアの関係を、もっと勉強すべきだとは思うが、
   問題の根幹は、今様ツァーリ・ピョートル大帝と化して絶対的な権力を握ったプーチンを、どう排除するか、ウクライナの解決は、これに尽きる。

   エマニュエル・トッドは、一時、ロシアの人口減を見て、ロシアの没落を予言したが、私自身は、今回の米欧日などの強力な制裁によって、GDPが日本の3分の1にしか過ぎない経済弱小国にも拘わらず、石油や天然ガス頼みで、経済構造の高度化近代化そして経済成長政策を怠ってきたロシアの落日は、急速に訪れてくると思っている。ソ連崩壊後、ロシア経済が崩壊寸前にまでに至って、ロシア人が塗炭の経済苦境に呻吟したあの経験を、プーチンが忘れたはずはないと思うのだが。
   尤も、ロシアをSWIFTから排除しないと報道されたら欧米日の株価が上昇したと言うし、中国がロシア経済をサポートすれば、米欧日の制裁効果もすっぽ抜け、
   予断を許さない状態である。
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わが庭・・・一重咲き紅梅咲き始める

2022年02月23日 | わが庭の歳時記
   寒い日が続いているが、週末から温かくなると言う。
   3本あるわが庭の梅の木のうち、最後の一重咲きの紅梅が咲き始めた。
   庭植えして間もないので、小木のため、昨年は、ちらほらしか咲かなかったのだが、今年は大分成長して結構蕾をつけていて、どんな実を結ぶのか楽しみにしている。
   先に咲き始めていた八重咲きの鹿児島紅梅は、散り始めている。沢山の花を付けたので、今年も実が鈴なりになるのであろう。
   
   
   
   

   鹿児島紅梅
   

   白梅も、ほぼ満開間近で、メジロが頻繁に訪れて来ている。
   
   

   秋から咲き始めて、春まで咲き続ける息の長い桜は、エレガンスみゆき。
   思ったより花数は少ないのだが、小さな花弁が愛らしい。
   桜の木は、大きく成長し過ぎるし、虫にやられる公算が強いので、個人家屋の庭には植えるべきではない。千葉の庭に、八重桜の普賢象を植えて苦労したのだが、桜の魅力には勝てず、一寸変った桜なら良かろうと、菊垂れ桜とこのエレガンスみゆきを植えたのだが、いずれは、ばさばさ、切らざるを得ないであろうと思っている。
   この住宅街には、当初、開発会社が、各戸の庭にソメイヨシノを1本ずつ植えて、桜並木の風情を醸そうとしたようである。桜の季節には綺麗なのだが、最初に切った家もあれば、そのまま残した家もあるのだが、残っている家は、巨木になった桜の処理に苦労をしている。
   
   
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ウクライナ紛争:ドンバスの悲劇

2022年02月21日 | 政治・経済・社会
   国際情勢の最大の関心事は、ウクライナ問題、ロシアが何時ウクライナに侵攻するか。
   その戦争の導火線となると考えられるのが、ウクライナ東部のドネツク,ルガンスク両州のロシアの実質的な支配地域、
   しかし、私が関心があるのは、子供の頃に学んだ、この両州とドネプロペトロフスクの3州,およびロシアのロストフ州にまたがるドネツ大炭田地帯に立地するソ連時代の大工業地帯であったドンバスのことで、ここがどうなっているのかと言うことである。
   

   Britannicaを引用すると、ドンバスは、
   ・・・石炭以外に天然ガス,水銀,岩塩,耐火煉瓦用粘土,石灰岩などの資源がある。ドンバスはまた,旧ソ連有数の工業地帯として知られていた。 1870年代より鉄冶金業が発達しはじめ,第1次世界大戦前はロシアの銑鉄の4分の3を生産していた。革命後,さらに重工業地帯として発展し,第2次世界大戦の戦災にもかかわらず復旧,その後の発達は著しかった。現在,ウクライナの鉄鋼業,重機械工業の中心地で,コークス製造による副製品と岩塩をもとに化学工業,セメント工業もあり,近年工業の一面的な発展を是正するため,食品工業や軽工業も導入されている。ドネツク,ルガンスク,ゴルロフカ,マケエフカ,クラマトルスクなど多数の都市が集中する都市集合地域であり,鉄道路線密度の高さはウクライナ第1である。
   このウクライナの生命線とも言うべき産業の中心をロシアが抑えている。

   ところが、このドンバスだが、在日ウクライナ大使館のHPの「ウクライナに対するロシアの武力侵攻について、10の知っておくべき事実」には、
   現時点では、ロシアはウクライナのクリミア自治共和国(26, 081平方km)、セヴァストポリ市(864平方km)、ドネツクとルガンスクの一部地域(16799平方km)の合計43744平方km、つまりウクライナ領土の7.2%を違法に占領している。
   ドンバスの経済は完全に崩壊した。ドンバスの主要工業施設の設備は解体され、ロシアの領土に輸送された。浸水した鉱山の状況は環境災害を脅かす。ロシア当局は、脅威の評価や状況改善を模索しようとする専門家達のアクセスを許可していない。
   ウクライナ東部のウクライナ国境およびロシア国境にまたがる409.7kmの区間はウクライナ政府の支配が及ばない。
   と記されていて、ウクライナ経済の柱であったはずのドンバスの経済、すなわち産業が、ロシアによって完全に破壊されて崩壊したと言うのである。
   
   これまで、ソ連なりロシアが行ってきた旧ソ連圏や東欧諸国の工業資産や施設の収奪破壊は凄まじいと言われており、第二次世界大戦終結後の占領下の東ドイツからは、工業施設は勿論、鉄道の線路から枕木まで剥がしてソ連に持ち帰ったということであり、科学技術や工業化が進んでいたチェコなどの収奪も酷かったという。
   昔、これとは違うが、ソ連兵が、満州で捕虜になった日本兵の腕時計を取り上げて、腕に時計を何個もつけていたという話を聞いたことがある。

   さて、問題のウクライナであるが、ソ連の軍需産業の拠点でもあったが、ヨーロッパのパン籠(the breadbasket of Europe)と言われるほど恵まれた穀倉地帯を持った農業大国であり、本来なら、最も資源などに恵まれた経済大国であっても不思議はなかったはずである。
   ところが、そのウクライナの経済状態は、今や惨憺たる状態である。
   詳細は省略するが、Wikipediaの英語版から借用して示すIMFなどの下記の表で十分に示されているであろう。
   旧ソ連の他の国家と比べて、GDPベースで、経済成長が殆ど停止状態であり、また、世界的にも最貧国の域を出ておらず、人口は異常に減少している。(世界地図の青い部分はウクライナより豊かな国で、オレンジ色は、それより貧しい国であり、最貧国であることが明瞭である。)
   ソ連の軛から一刻も早く脱出して、EUに即刻加盟して、経済を建て直したいという国民の願いは痛いほど良く分かる。
   
   
   
   

   ところで、問題のロシアだが、
   ロシアのGDPは、アメリカの14分の1,中国の10分の1、日本の3分の1で、桁外れに経済力は弱体である。
   これまでにも、ロシアの経済については、ロシア紀行でも触れたし何度も論じてきたが、ソ連の崩壊以降、壊滅的な状態に陥り、その後プーチン以降も、石油や天然ガスの輸出で経済を維持し、めぼしい工業化や産業の近代化を推進してこなかったので、国際競争力は非常に低く、ロシア経済は惨憺たる状態である。
   軍事大国であることは間違いなかろうが、経済力が国力の根幹なら、ロシアは最早張り子の虎である。

   中国がどう動くか、予測は難しい、
   それに、ロシアには、暴走を抑える国民パワーの炸裂は全く期待出来ない、
   しかし、ロシアが、アメリカとEU相手に戦いを挑むのなら、今度は、クリミアとは事情が全く異なっているので、その帰趨はハッキリと見えている。
   米欧日などの自由主義先進国の空前絶後の厳しい経済制裁の実施で、経済的に孤立すれば、自立能力を欠いたロシアの経済の命運は、火を見るより明らかであろう。
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江里康慧 著「仏師から見た日本仏像史:一刀三礼」仏像の誕生

2022年02月19日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   江里康慧 著「仏師から見た日本仏像史:一刀三礼」だが、話題が豊かで面白い。
   仏像を見慣れているので、何故、いつ頃、仏像が生まれたのか全く知らなかったのだが、宗教によって違うと言うことで、イスラム教は偶像崇拝やアッラーやムハンマドの擬人化を禁じているので、像などあるはずもないし、キリスト教もユダヤ教も偶像崇拝を禁止しているとのことなので、おおらかに仏像が許されているのは、三大宗教では、仏教くらいのようである。
   ところが、その仏教でも、仏像は、紀元前の教団ではあり得なかったことで、仏像が製作され始めたのは、釈尊入滅後約500年を経た西暦一世紀末からだという。
   仏像以前には、仏伝図という表現で、仏塔などの浮き彫りに、釈尊の姿はなく、釈尊を法輪や菩提樹、仏塔、足跡などのゆかりの象徴物に置き換えて表現されていた、「無仏像」「仏像不表現」であった。

   ところが、インドを支配したクシャーン朝のカニシカ王が、仏陀を人の姿で表してこの世に再来させる仏像の造顯を奨励し、仏像の製作が本格化した。この仏像の造顯が、分舎利と等しい功徳があるとされ、仏教は文化を伴って国境を越えて、中央アジアから東アジアへ伝わり、やがて、世界宗教として発展していった。
   仏陀は 仏像で人の姿を持ったが、常人と同じではなく、常人には見られない三十二相の瑞相を付加することによって、仏像不表現の清新は受継がれた。
   原初は、釈尊のみを仏陀として礼拝したが、釈尊の悟りは、出家され厳しい苦行の結果、得られただけではなく、当世に於ける出家前のゴータマ・シッダールタの頃からの堅固な求道心とともに、何代もの過去世において、忘我自他を実践してきたことから生まれており、
   輪廻転生が信じられるインドにおいて、釈尊の菩提心を尊ぶ中から菩薩の資格が生まれた。
   その後、大乗仏教から、仏陀釈尊以外に、数々の如来が生まれ、ヒンズー教と仏教が融合した密教が興って、明王という尊格が生まれるなど、仏像の幅が広がっていった。 

   仏陀の再来を願った人々には、仏像を拝顔して、おそらく、生きた仏陀が眼前に映り、説かれる法が聞こえたことであろう。
   しかし、本尊が安置されている金堂(本堂)には、僧侶以外は入れず、人々は、堂の前の礼堂か灯籠や礼拝石にの位置から礼拝したと考えられ、後に、御堂は内陣と外陣とに分けられたが、いずれにしろ、仏の世界と衆生とが厳しく結界されていた。
   いまだに、本尊を秘仏として、厨子の扉を固く閉ざす寺院は多い。
   余談だが、東大寺の三月堂で、不空羂索観音立像の背後に安置されている執金剛紳像(秘仏)を拝観できたときには感激した。
   

   さて、日本の仏像だが、著者は、609年に完成した飛鳥寺の止利仏師作の丈六釈迦如来坐像(飛鳥大仏)から説き起こしている。
   法隆寺金堂の釈迦三尊像も止利仏師の作だが、細長の顔の表情のエキゾチックな尊像である。
   この当時は、金銅仏が主体で、塑像、乾漆像と入れ替わり、鑑真和上の来朝の影響もあって、木彫像が復活して、日本の仏像は殆ど木造へと変化を見せた。
   現役の高名な仏師なので、木彫仏について、一本造、内刳り(背刳り)、割矧造、寄木造等について詳述し、実際の仏像について説明していて、非常に興味深い。
   朝鮮半島や中国から受容した仏教とその文化は、その後目覚ましい発展を遂げて、仏像においては、それまでの大陸風、異国風から徐々に離れて、日本人の美意識、感性に沿った親しみやすい様式に変化して、平安時代に至ると定朝によって極められた和様の仏像は、日本の芸術文化を体現した最高の水準に達した。
   しかし、定朝様式の継承が表面の模倣に終止し始め、マンネリに陥りかけていたのを改革したのが、運慶快慶などの慶派の仏師達。南都奈良の東大寺の復興を通して、前時代の様式を打ち壊し、はるか天平彫刻に迫ろうとした古典の再生と、新たに宋の仏教文化を摂取するという、来たるべき新時代を見据えた改革をして、鎌倉彫刻と評価される力強い写実的な新様式を生み出した。

   口絵写真仏像は、薬師寺東院堂本尊の聖観音立像(銅造観音菩薩立像)である。
   もう、半世紀以上も前に、はじめて薬師寺を訪れたときに、その素晴らしさに感動した最初の仏像である。
   当時、薬師寺の国宝の建物は、この東院堂と東塔だけで、現在威容を誇る金堂も再建前で、西塔などもその後の再建であり、今のように整った伽藍を仰ぎ見るのは今昔の感である。築地は破れて一部穴が開いていたし、西塔の心柱の穴の水溜まりに映る東塔の姿をカメラに収めた記憶がある。
   教養部の上野照夫教授の美学の授業で、薬師寺を訪れて、教えを受けた師弟だという若かりし頃の高田好胤師の美学談義、
   天武天皇が鵜野讃良皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈願し建立を発願したのが薬師寺であり、裳階を備えた美しい三重塔は、二人の天皇の愛の結晶であるからかくも美しい、と言う話と、私は美男なので罪が深いのだ、と言う話だけ、何故か鮮明に覚えている。
   学生時代へのセンチメンタルジャーニーで京都は頻繁に訪れてきたが、奈良の御仏を訪ねて、斑鳩の法隆寺、西ノ京の薬師寺・唐招提寺、そして、東大寺・興福寺、室生などの大和の古寺へも、随分歩いてきた。
   本を読みながら、懐かしい昔の思い出を懐古する、
   また、楽しからずやである。
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江里康慧 著「仏師から見た日本仏像史:一刀三礼、仏のかたち」

2022年02月17日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   久しぶりに、仏像の本を読んだ。
   日経の読書欄に、この本の紹介が出たので、早速手配したのである。

   学生時代を京都で過ごしたので、あの頃は、暇に任せて、歴史散歩というか、神社仏閣、古社寺行脚に明け暮れていて、片っ端から、有名な古社寺を訪ねて、堂塔伽藍や庭園や仏像や絵画や、とにかく、日本文化の粋に触れたくて、古美術鑑賞に歩いていた。
   和辻哲郎の「古寺巡礼」や亀井勝一郎の「大和古寺風物誌」や入江泰一の写真本などは当然で、仏像関係の本も、専門書なども含めて随分読んで勉強した。
   ここ数年で訪問したのは、東寺と薬師寺と唐招提寺くらいであるが、若い頃から、京都や奈良、近畿一帯のめぼしい古社寺は殆ど回っており、それに、各地の古社寺や博物館や国宝展などにも通い続けたので、国宝級の仏像の多くは鑑賞しており、好きな仏像は何度も訪れている。
   
   私が、仏像にはじめて対面したのは、幸いにも、宇治の平等院鳳凰堂の阿弥陀如来坐像であった。
   大学に入って最初に通ったのが教養部の宇治分校であったので、宇治の駅前に下宿して、はじめて、文化財としての平等院を訪れて、定朝作の平安時代の国宝阿弥陀如来坐像を仰ぎ見たのである。
   これが切っ掛けとなって、京都近辺を皮切りに、私の古社寺散策をメインとした日本の古美術鑑賞の旅が始まった。宇治河畔が、日々の散歩道でもあったので、平等院には頻繁に訪れた。近くの親鸞の誕生地日野の法界寺には、定朝の流れを汲む良く似た阿弥陀如来坐像があったので、ここを訪れて、醍醐の三宝院から小野を経て山科経由で蹴上げに抜ける京都への散策も好きであった。
   京都の仏像では、太秦の広隆寺が好きで、弥勒菩薩半跏像を筆頭として魅力的な国宝の仏像が沢山あって、何時も長い間、ここで時間を過ごした。
   私のお気に入りの仏像は、木造不空羂索観音立像である。一番好きな仏像の一つが、東大寺三月堂の不空羂索観音立像であるから、偶然にも呼応している。
   嵐山嵯峨野から嵐電に揺られて太秦に出て、その後、様子を見て、仁和寺や竜安寺を経て北野に抜ける。
   京都には、東寺の豪快な仏像群にも圧倒され、素晴しい仏像が随所にあるが、
   やはり、私の仏像行脚は、奈良やその近郊が主体であった。

   下宿先の宇治からは、JRで至近距離なので、まず、法隆寺と中宮寺、そして、唐招提寺と薬師寺、東大寺と興福寺、
   その素晴らしさに圧倒され続けて、
   新薬師寺、室生寺、浄瑠璃寺、飛鳥寺、秋篠寺、法華寺、聖林寺・・・
   尤も、私の場合、古社寺を訪れるのは仏像だけが目的ではなかったので雑多ではあったが、兵庫の浄土寺、小浜の羽賀寺、湖北の渡岸寺にも足を伸ばしたし、とにかく、日本全国を回っているので、北海道から沖縄まで、めぼしい日本の文化遺産や名所旧跡は訪れて、かなりの仏像にはお目に掛かっているはずである。
   しかし、惜しいことに、日本の過酷な風雪に耐えずに消えていった仏像が、無数にあると言う。

   さて、そんなことよりもこの本だが、能書きは次の通り。
   平安時代中期にその後の仏像の祖型を完成させた定朝、鎌倉時代に最高峰を極めた運慶と快慶。今なお模範であり続けるこの仏像群は、現在の仏師の目から見てどう映るのか。仏師として長い経歴を持つ著者が、インドにおける仏像の濫觴から日本の慶派に至るまでの流れを通観しつつ、独自の視点で新たな日本仏像史を描き出す。

   現役の凄い仏師なので、鑿を振る視点から展望して詳述する作仏の仏像史の精緻な描写は、手に取るような迫力があって感動的である。
   日本仏像史と言うことだが、その本体である寺院の興隆を詳細に描いているので、非常に丁寧な仏教史でもあり、鎌倉時代くらいまでの日本の歴史を反芻する感じで面白かった。
   結構、訪れてよく知っている寺院や仏像の話が随所に登場し、親しみを覚えながら読む楽しみも味わえて、以前のように、知識を装備しながら仏像を鑑賞すると言った読み方と違って、味があって新鮮でもあった。

   感銘を受けたのは、序の「一刀三礼、仏のかたち」、
   一刀三礼とは、仏像を刻むとき、一鑿入れる毎に三度礼拝しながら行うことで、仏像が仏陀に対する恭敬の心の表現だと言うことである。
   入門時に、「仏像は礼拝の対象であり美術作品ではない」「彫るのではない。木の中に、すでにおわしますほとけをお迎えするのだ」「往古の仏師は斎戒沐浴をして、一刀三礼しながら鑿をふるった」と厳しい教えを受けた。
   仏教の仏像は、釈尊の悟りの境地、つまり、凡夫には見えない心身脱落の境地を目指し、仏像という「かたち」を通して、その奥にある真理に目を向け信仰せしめる対象であるから、清浄さと尊厳が何よりも大切である。僧侶が、釈尊の悟りの境地にいたる修行の道として、仏像を創るのであり、だからこそ、仏像には崇高にして深い精神性と生命観が宿り、こうした純粋な環境の中から生まれる仏像には美という光が宿るのであろう。
   神として国土安穏、天下泰平を祈る能の「翁」においては、能楽師たちは精進潔斎をして臨むという厳粛な舞台、
   演能中は、見所への出入りは一切禁止され、水を打ったような静寂の中で、なごやかな心で厳粛に神に感謝して祈る
   この世界であろう。

   ところで、私の場合は、罰当たりながら、仏像に対しては、祈りの対象と言うよりは、芸術品美術品として、その美や匠の技の凄さなど造形美とその仏像が醸し出す世界を、日本の歴史を反芻しながら鑑賞すると言う姿勢であった。
   神への祈りが昇華したエキスと言うべき美を鑑賞すると言うことであろうか、
   世界のあっちこっちを周りながら、教会や寺院などの宗教施設や博物館美術館や歴史的な遺跡などで、結構、異宗教の多くの彫像や絵画などを鑑賞してきたが、むしろ、宗教意識がなかった分、無心に美に触れることが出来たのではないかと言う気もしている。

   
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わが庭・・・椿エレガンス・シュプリーム咲き始める

2022年02月16日 | わが庭の歳時記
   実生苗や挿し木苗を集めて置いてある裏庭の椿の鉢の中に、赤い花弁が見えたので取り上げてみると、エレガンス・シュプリームの苗木である。
   わが庭のエレガンス・シュプリームの開花は、普通、3月の中旬で、1ヶ月も早い。
   半坪庭の主木として植えてある親木は、まだ、蕾が固くてひっそりとしているのだが、挿し木苗なので、枝変わりで開花が早まったのであろうか、
   しかし、中々手に入らない豪華な洋椿なので、苗木が育ったことが嬉しい。もう少し花が開いて花の様子を確認出来れば、苗木の生長を促すべく摘花して、苗木を肥培したいと思う。
   
   わが庭には、このほかに、エレガンス・シャンパンとエレガンス・スプレンダーが植わっていて、エレガンス3種が揃っているのだが、シュプリームとシャンパンは、ほんの20センチ足らずの小さな挿し木苗をタキイから買って育ててきたのだが、その時、タキイのスプレンダーを買いそびれてしまって、長い間、探してきた。
   偶々、花育通販から出品されたので、2株買ったのだが、枝変わりの苗木の所為か、花弁の中央が豪華な唐子咲きの八重咲き椿ではなく、唐子が花弁と同化して牡丹咲きと千重咲きが合わさったようなピンクの綺麗な花が咲いた。
   しかし、私には、平板な感じの椿で、色彩や花弁化した蘂の入り組んだ複雑な造形の唐子に魅力を感じていたので、イメージが合わず、根気よく、わが庭のシュプリームやシャンパンに似た花弁のスプレンダーの登場を待とうと思っている。
   この咲き始めたシュプリームは、挿し木で親木のクローンであるから、開き始めた花弁の真ん中に鹿の子が見えている。
   

   わが庭で、咲き続けているのは、かなり、この鎌倉の庭にも慣れて大きく育ってきた椿で、玉之浦系の、タマグリッターズ、タマカメリーナ、
   それに、ピンク加茂本阿弥
   今年も、何株か、新しい椿苗を買おうかと思ったのだが、もう、庭には空間の余裕はないし、挿し木苗や実生苗がどんどん増えているので、これらの幼苗を整理して、銘椿の株数を増やすことにした。
   
   
   

   わが庭の梅は、今最盛期である。
   北野天満宮の梅も、月ヶ瀬の梅も、花盛りであろうか、
   せめて、鎌倉の古社寺や近隣の花どころを訪ねてみたいと思っているのだが、これほど、オミクロンが隆盛で騒がれていると、ワクチン3回目を接種したとしても、もう少し様子を見ようと思う。
   
   
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日経:学校パソコン、もう返したい 教師の本音「紙と鉛筆で」

2022年02月14日 | イノベーションと経営
   今日は、新聞休刊日、
   日経電子版に気になる記事「学校パソコン、もう返したい 教師の本音「紙と鉛筆で」」が掲載された。
   時代に逆行する由々しき問題なので、コメントしたい。
   多少簡略化して纏めると下記の通り、図表は簡潔明瞭なので借用。

   義務教育の子どもにパソコンやタブレット端末を1人1台ずつ持たせる「GIGAスクール」構想が空回りしている。国の予算でばらまかれた端末を持て余す現場からは「もう返したい」との声も出る。日本の教育ICT(情報通信技術)はもともと主要国で最低レベル。責任の所在がはっきりせぬまま巨額の税金を投じたあげく、政策が勢いを失いつつある。「紙と鉛筆でなければ頭に残りませんよ」とは、中堅教師から本音。日々の業務が山積みの学校現場にとってGIGAスクールは「国から降ってきた話」であり、前向きに受け止めるムードになりにくい。
   一部の若い教師が関心を寄せても、学年や教科で足並みがそろわなければ「保護者から『不公平』というクレームがくるかもしれない」といった組織の論理が優先されがちだ。「結果的にパソコン授業をやりたくない先生やデジタル機器を扱うのが苦手な先生に合わせる流れができてしまう」のが実態。調べもの学習で子どもに自由にネット検索させると、授業の統率が取りにくい。ネットいじめも深刻な社会問題だ。「手間の割に効果がなく、なぜリスクを負ってICTを取り入れるのかと考える教師もいる」と言う。

   GIGAスクール構想は2019年10月の消費増税に伴う経済対策として前倒しで進められた。タッチパネル機能付きのパソコンやタブレットに約3000億円の予算を計上し、全国自治体の98%で「1人1台」が実現。校内の通信ネットワークを整備したり、ICT支援員を雇ったりする費用を含めて総額で約4800億円の税金を投じている。
   大がかりな政策の狙いは、教育ICTの遅れを挽回することだった。
   ところが、国から自治体、教育委員会、さらに学校という歯車はかみ合わない。それが露呈したのがコロナ緊急事態宣言下のオンライン授業で、「自宅にネット接続環境がない児童もいてルーター不足。
   関係省庁にも温度差がある。約4800億円の予算は表向き文部科学省の所管だが、目玉政策として1人1台を仕掛けたのは経済産業省だ。生徒それぞれの学習の進捗に合わせて人工知能(AI)で問題を作成するような「エドテック」を振興する意図がある。一方、文科省はリーマン・ショック後の09年、教材を大型モニターに映し出す「電子黒板」などの導入を進めた「スクール・ニューディール」のトラウマがある。電子黒板は教師らにメリットが伝わらず、「宝の持ち腐れになってしまった」。
教室や家庭で端末を具体的にどう使うか国に強制力はなく、成功事例を積み重ねて社会の支持を広げるしかない。端末は25年前後に更新時期を迎える。責任体制を明確にして政策を再起動しなければ、めったに使われないパソコンに巨額の税金を費やし、子どもたちの教育機会も奪うことになる。
   

   世界ではSNSでの公私の区別、フェイクニュースに振り回されないためのリテラシーといった「デジタル・シチズンシップ」の教育が盛んになっていて、デジタル社会を生きる子どもたちに自律的なコミュニケーションや批判的な思考を教えるべく、デジタル・シチズンシップの教材も多い。
一方、日本の学校教育では、スマートフォンやゲームに依存することへの注意喚起が多い。デジタル・シチズンシップを教えるよりも、学習の妨げになるネットから遠ざけたいという意図がうかがえる。民間調査で保護者が「1人1台」のGIGAスクールに慎重なのも端末が「遊び道具になる」と懸念しているからだ。いまや10代の主な情報源はSNSであり、「なるべく使わせない」という教育はむしろリスクを増幅しかねない。法政大学の坂本旬教授は「情報を疑う訓練が十分ではない」と警鐘を鳴らす。(DXエディター 杜師康佑、嶋崎雄太)
   

   結論から言おう。
   先の図表から日本の学校教育のデジタル率は、先進国では最低レベルであり、それも異常に劣悪だと言うことが分かったが、何度もコメントしているが、一人あたりのGDPが韓国に抜かれるなど、今や、日本のグローバルベースでの経済指標の多くが先進国で最低レベルに落ち込んでしまっていて、繁栄を謳歌していた昔日の面影は全く消えてしまい、普通の国以下の悲しい状態になってしまった。
   更にこれに輪をかけて、歴史上これまで経験しなかったような急速かつ爆発的なICT、デジタル革命の巨大な激動の渦中にあるにも拘わらず、その最強のドライブエンジンたるデジタル革命を軽視して後れを取れば、日本の将来はどうなるか、火を見るよりも明らかである。

   先日来、GLOBOTICS (グロボティクス) 時代に突入して、ホワイトカラーの職務の多くが、遠隔移民と「ホワイトカラー・ロボット」に駆逐されると書き続けてきた。
   多くの先進国では、ホワイトカラー・ロボットが、スタッフの椅子に座ってホワイトカラーの職務を代替しており、どんどん、高度化して上級ホワイトカラーを職から駆逐しつつある。
   また、機械翻訳の驚異的進歩によって、言葉のバリアーが消滅しつつあり、グローバルベースで、最高峰の高度な知見やスキルを備えた技術者や専門スタッフなどを、格安で遠隔移民(国を移動せずに現地に止まって移民のように働く)として雇用できる。これまでは、言葉の壁や移動のコストや困難さや通信技術の制約から、遠隔移民は極少数に限られていたが、機械翻訳の進歩が人財の津波を一気に引き起こし、更に、ビデオ会議や拡張現実(AR)、柔軟なチーム編成や革新的な協業ソフトなどの通信技術の飛躍的向上によって、世界中のあらゆる部門の有能な専門家や人財を、あたかも自社の職場の事務室や会議室で同席するスタッフのように雇用できる、のである。

   既に、世界では、海外のワーカーを発掘し採用し管理する人材とプロジェクトやjobsをマッチングするオンライン・サイトが多数生まれており、
   中国でさえ、最大のプラットホーム猪八戒は、フリーランサーの登録者数は1600万人で、600万社以上が利用していて、ビザは勿論物流や税関の心配もない雇用斡旋で前途有望であり、国際展開しているという。中国の大卒者数は、2022年1000万人超、この多くが真面な職に就けず、超優秀な若者達が、フリーランサーの遠隔移民として、日本にラッシュしてくれば、どうするのか。

   話は飛んでしまったが、私は、万難を排して、デジタルキッズを育てるべきで、紙と鉛筆をパソコンに代えるべきだと思っている。
   小学生と幼稚園の我が孫達は、何の抵抗もなく、喜々としてパソコンを叩いている。こうでなければ、世界に挑戦できない。
   我が年代の過半は、デジタル・デバイドなのだが、酒と同じで、味わえなければ、すなわち、パソコンを使えなければ、人生の半分は棒に振ったも同然だと思っている。
   
   何の備えもなく、戦争は起こらないと信じて安閑としている平和ボケの日本人、このデジタル革命でも、悲しいかな、救いようもないデジタルボケ。
   余談だが、藤井聡太の将棋は、ディープラーニング系の将棋ソフト(dlshogi)を導入していると言うから、AIと最高峰の人知を融合したAI将棋であることを忘れてはならない。
   いずれにしろ、国境など政治経済社会が課す多くのバリアーを取り払った遠隔移民とホワイトカラー・ロボットが、雪崩を打って、ワーカーの過半を占めるホワイトカラーに挑戦を挑むのであるから、今回の雇用破壊は極めて深刻であり、世界の潮流から後れを取りつつある日本には、致命的な打撃となるのは必定である。
   最低限、国際競争力を維持するためには、AIを凌駕する知見やスキルを欠いた上司や専門家などが吹っ飛び、多くのサラリーマン・ホワイトカラーが雇用破壊の大津波を受ける、しかし、受けて立たざるを得ない。
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機械翻訳の驚異的な進歩発展

2022年02月13日 | イノベーションと経営
   先にレビューしたリチャード・ボールドウィンの「世界経済 大いなる収斂 ITがもたらす新次元のグローバリゼーション」だが、遠隔移民とグロボティクス転換の章で、機械翻訳の飛躍的な進歩発展について書いている。
   結論はともかく、私の経験では、どこの翻訳ツールか分からないのだが、window11で叩いているからMicrosoftなのかも知れないが、ニューヨークタイムズやワシントンポストなどの和訳では、誤訳と言うよりも意味をなさなくて困ることが多くて英語の方が良く分かるし、また、この私のブログの英訳も、殆ど真面な英文には程遠くて、納得出来ない。
   いずれにしろ、何処まで許容出来るかの問題だと思うのだが、日本語への翻訳、日本語の外国語への翻訳など、公式文書としては使用できる状態ではないし、まして、日本語の独特なニュアンスをどこまで翻訳できるかは、非常に難しい問題のように思われる。 

   面白いのは、冒頭で、アイスランドで、違法に釣をしていたフランス人が、英語が分からないふりをしてやり過ごそうとしたら、警官が、グーグル翻訳で尋問して多額の罰金を払わされたと語っていることで、イギリスの法廷では、中国人被告のために、グーグルの北京語通訳を使っており、アメリカ陸軍は機械翻訳ソフトを購入して、スマホやラップトップを使って、アラビア語やパシュトウ語を話すイラク人と会話が出来、外国語の文書を読んだり、映像を見たりすることが出来る。
   最近では、AIで訓練されたアルゴリズム「グーグル翻訳」の点数は、満点6に対して、平均的な翻訳者の5.1には見劣りするが、2016年には、5点をつけて急速に進歩しているという。
   しかし、機械翻訳については、多くの識者やプロの翻訳家は懐疑的で、見習い翻訳者が言葉の壁を大幅に引き下げて行くにしても、最高仕様の翻訳は今後も人間の手で行われると言うことである。
   どんなスマホでも、機械翻訳が利用でき、YouTubeでも海外の動画が機械翻訳で見られる機能があり、MicrosoftやAmazonも、この競争に参加しており、どんどん、機械翻訳の裾野が広がっていくと言う。

   さて、一寸話がわき道に逸れるが、これまでに、何度か調査団や視察団に参加して困った問題は、使った通訳の質や能力の問題である。
   随分昔のことになるので、今はどうかは分からないが、端的に言えば、その通訳が日本語と現地語両方に堪能であって、通訳するサブジェクトや内容に十分に知識があって精通していることである。サイマルの専門家などはたいしたものだと思うのだが、観光なら別だが、現地人と結婚した日本人妻と言った専門業務に詳らかでない通訳などに頼むと大変なことになる。
   機械翻訳の場合には、ディープラーニング機能が働くので、専門知識や用語の進化発展は問題ないのであろうが、あまり進むと人間の理解を超えてしまう心配はないのであろうか。

   いずれにしろ、言語間の翻訳なり通訳などで困るのは、全く同じ意味なり同じニュアンスの言葉などある筈がなくて、当たらずと雖も遠からずと言った言葉を使って、誤解を招いて国際紛争になった外交交渉もあれば、全く真意が通じなくて話にならなかったり、折角の意思疎通が台無しになることである。
   「旧約聖書」には、言葉の分断は、神が考えたと言う逸話があるようだが、とにかく、私も國際ビジネスの経験が長いので、言葉の違いによる意思の疎通には辛酸を嘗めており、その増幅作用であるカルチュアショックに苦しんできたので、機械翻訳の進歩発展には大いに期待している。
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GLOBOTICS (グロボティクス) 時代に生き残る仕事

2022年02月11日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   リチャード・ボールドウィンの「世界経済 大いなる収斂 ITがもたらす新次元のグローバリゼーション だが、
   この本の指摘で興味深いのは、GLOBOTICS (グロボティクス) 時代に突入して、ホワイトカラーの職務の多くが、遠隔移民と「ホワイトカラー・ロボット」に駆逐されるのなら、生き抜ける職務はどのようなものなのかについて触れていることである。
   勿論、この著者が言わなくても、既知の情報で別に新鮮味はないのだが、グロボティクスの衝撃的な展開を描いての記述なので、インパクトが大きい。

   まず、グロボティクスで問題になるのは、ムーアの法則で象徴されるようにデジタル革命の異常なスピードによる破壊的なムーブメントだが、それと同時に進行する、欧米のミドルクラスのホワイトカラーにとって衝撃となる、グローバリゼーションによって台頭してきた遠隔移民(テレマイグランツ)との熾烈な競争である。
   これまでは、言葉の壁や移動のコストや困難さや通信技術の制約から、遠隔移民は極少数に限られていたが、機械翻訳の進歩が人財の津波を一気に引き起こし、更に、ビデオ会議や拡張現実(AR)、柔軟なチーム編成や革新的な協業ソフトなどの通信技術の飛躍的向上によって、
   世界中のあらゆる部門の有能な専門家や人財を、あたかも自社の職場の事務室や会議室で同席するスタッフのように雇用できる、
   このような、遠隔移民を在宅大量移民に代える現象が進行しつつある。
   こうした新しい競争相手は、欧米のホワイトカラーのように、税金を支払わないし同じ厳しい就業規則に従うこともなく、厚生福利や社会保障経費などの支払いもないなど、低い報酬にも甘んじるので、一気にコストダウンできる。
   トランプ現象やブレグジットは、一歩前段階の労働者の雇用破壊現象への反作用であったが、今度は、知的スキルに甘んじていたホワイトカラーの雇用破壊で、雇用システムの根幹を直撃することになるので、今後の選挙で、どのようなポピュリズム現象が生じて世界的な波乱を巻き起こすのか、まさに、資本主義と民主主義の屋台骨を揺るがしかねない。

   さて、AIからもRIからも守られて生き残る仕事は、どのような仕事なのか。ホワイトカラー・ロボットに代替される可能性も、遠隔移民にも代替されない可能性も低くて、グロボティックを免れる仕事は何なのか、著名な学者達が多方面から調査報告しており興味深い。
   まず、マネジメントに関する業務だが、人々に物事を迅速かつ的確に遂行させる仕事で、複数の人同士が協力して働くように仕向けることが含まれていて、あらゆることに社会的知能が拘わってくるのでAIが得意ではなく、また、個人的な信頼関係の構築やモチベーションが必用で、RIが得意ではないので、デシジョンメイキングなどはAIが処理できても、仕事の多くは代替不可能だという。
   専門職・科学系専門職では、高度な認知力と操作、創造的知性、社会的知能が関わっている仕事で、じかに会ってのやり取りが得意であったり、あるいは、不安定な状況や未知の状況に対応できることが必要になる仕事などが残るとして、会計士や、編集者、弁護士を除外しているのが面白い。エンジニアは、物事を動作させる仕事であり、科学者は、未知のもの、あるいは、理解されていないものを扱うので、AIから守られている。と言う。
   人間を対象とする社会科学では、様々なタイプの心理学者などは、集団とのやり取りが含まれる場合にはAIは対応できないし、生身の人間相手で臨機応変に対応しなければならないヘルス・ケアなどは、作業はロボットに代替されても、グロボットには向かない。
   代替されにくい職業は、多くの教育の分野であり、
   芸術、エンターテインメント、娯楽産業でも、サービスの提供に人と接することが不可欠であることが多く、多くのパーフォーマーなども代替されにくい職種が多い。と言う。

   著者は、グロボティック時代は、より良い社会になると言う。その根拠は、
   いずれにしろ、残る仕事は、
   第一に、顔と顔をつき合わせて意思の疎通が必用なもの、
   第二に、人間ならの強みを活かしたもの。社会的知能、感情知能、創造性、革新性、あるいは、未知の状況への対応力、であって、
   第三に、新しい仕事、新しい業種へ移行できた暁には、グロボットによって豊かな社会が実現する。
   からだという。

   グロボットでものが安く出来ると生活費は下がり、物質的には豊かになる。グロボット革命とは、生産性が大幅に上昇して、新たに理想郷――やりがいのある仕事を提供し、思いやりや分かち合いの精神を育む、より良い社会への突破口へ資金を回せると言う意味でもあって、医学と生物工学に革新的方法が取り入れられると、寿命がかなり延びる。と説く。
   更に、新たなローカリズム――地域、社会、家族、コミュニティの絆を重んじるトレンドの台頭を引いて、職場は地域性が高まり、より人間的となり、それが、結束力のある協調的なコミュニティを育むとして、地域優先主義の未来を展望している。

   例に漏れず、未来学者の常として明るい未来展望であるが、問題は、政治であって、益々悪化の一途を辿るグローバルベースの格差拡大と深厚な大分岐・大分断下の世界にあって、そんな暢気で悠長な展望が出来るのかと思うのだが、面白い本であることには間違いない。
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古い時代の中国文化への憧れ

2022年02月08日 | 学問・文化・芸術
   金文京京大教授の「李白――漂泊の詩人 その夢と現実」を読み始めている。
   冒頭から、李白が、ソグド人またはバクトリア人であってもなんら不思議はないと言う思いもしなかったような叙述。李白の故郷と言われている天山北路の砕葉(スイヤブ)やアフガニスタンの条枝(ガズニ)について語り、一気にシルクロードの故地に話が飛ぶ面白さ。
   先日、NHKの「空旅中国「李白 長江をゆく」」を見て、久しぶりに「李白」の世界に浸りたいと思ったのである。
   この番組は、
   唐代の詩人、李白は大河、長江流域の出身。都で活躍も失敗し長江に戻り、旅が始まる。古都、南京から上流へ。都での活躍ゆえ各地で歓待され…村人から「万の酒屋」の誘い文句で訪れた美しい村、桃花潭。動乱から身を隠し大自然のすごみを詩に著した廬山。やがて反乱の一味として流刑!さらに上流、三峡の断崖へ。言葉を信じ続けた李白の旅をたどる。李白に欠かせぬ“酒”も登場。
   語り・宇崎竜童、小谷直子 音楽・関美奈子が、素晴しい。

   もう一つ、素晴しいと思ったNHKの番組は、「空旅中国「孔明が挑んだ蜀の道」」
   武将たちの攻防と生き様を描き、人気を博してきた中国の歴史大作「三国志」。その歴史舞台を風の如くドローンで飛び偉人たちの足跡をたどる。今回は天才軍師として名高い「諸葛孔明」が、宿敵、魏を倒すため進んだ「蜀の道」を行く。そこは四川省の成都から、大巴山脈、秦嶺山脈を越える約1000kmの道。大絶壁あり、谷にかけられた桟道あり、世界遺産の石窟あり、大自然の絶景溢れる新感覚の歴史紀行だ。
   語り・さだまさし,小谷直子
   この番組は、丁度、日経夕刊の連載小説、宮城谷昌光の「諸葛亮」が始まったところであり、非常に興味を持ってみた。
   それに、偶然にも、今、日経の朝刊の連載小説も、安部龍太郎の「ふりさけみれば」で、阿倍仲麻呂を主人公とした中国の歴史小説。
   玄宗皇帝や楊貴妃、李白も登場する盛唐期の巨大なスケールの絵物語で非常に面白い。

   これに並行して、三国志の「赤壁の戦い」を、名匠ジョン・ウー監督が壮大なスケールとアクションで描き大ヒットしたスペクタクル史劇2部作シネマ「レッドクリフ Part Ⅰ & Part Ⅱ」も一緒に鑑賞した。
   世界史の授業で得た中国史の知識くらいで、まだ、「三国志」さえ読んでいないのだが、諸葛亮孔明については、土井晩翠の「星落秋風五丈原」が強烈な印象として残っている。

   李白と杜甫については、数年前に、宇野 直人 &江原 正士の「李白」「杜甫」を読んで感激したのだが、学生時代に読んだのは、「紅楼夢」と「金瓶梅」くらいで、中国史についても、教養の域を超えていなかった。
   しかし、京大の学生であったお陰で、教養部での宮崎市定教授の中国学に関する感動的な授業を受け、それに、何らかの形で講演などで、貝塚茂樹や吉川幸次郎や小川珠樹と言った最高峰の教授達から中国文学の話を聴くなど、恵まれていた。
   今から思えば、経済学部より、文学部に行くべきだったと思っている。

   中国へ初めて行ったのは、1979年の夏、中国が外国へ門戸を開放した直後で、文革が終って疲弊が極に達していた極貧の中国を見た。今思えば、この40数年の中国の躍進は驚異以外の何ものでもない。
   当時は、北京にある外人用の最高級ホテルの空き室の数に合わせて入国ビザを発給していたので、数が極めて限定されていて随分待たされた。それに、役人との交渉は、役所に接客設備などある筈がないので役人がホテルにやって来て我々の部屋で行うのが常であったし、いつ来るのか分からず、延々と伸ばされて、それに、先方にビジネス感覚がないので、中々埓が開かなかった。
   当時は、紫禁城や頤和園や天壇などには、何の制限もなく自由に入れて、それに、監視の役人も殆ど見かけなかった。紫禁城など丸1日十分に見ることが出来た。映画「ラスト・エンペラー」の撮影後の放置された巨大なセットのような風情で荒れ果ててはいたが、中国史の本質に触れた思いで感動しきりであった。
   いくら待たされて時間を持て余したと言っても、何時役人達が来るのか待機の必要があったので、遠出の万里の長城行きは遠慮した。
   紫禁城や天壇は、昔のままだったと思うが、頤和園の悲惨な状態は、欧米に破壊蹂躙された歴史の傷跡が如何に熾烈悲惨を極めたか、胸が痛くなって長い間佇んでいた。
   残念だったのは、短期間だと思って軍資金を十分に持って行かなかったので、折角、沢山の貴重な骨董に接しながら、景徳鎮の花瓶くらいで、何も買って帰れなかったことである。勿論、クレジットカードなど使えるはずもなく、現地通貨元への交換も、外人用の元は特別な紙幣であったし、外人専用の店舗で買い物をすることになっていた。
   その後、時間を空けて上海や近郊を訪れているので、中国の変貌ぶりは、身近に感じている。最後の中国旅は、このブログの「初春の上海・江南紀行」で書いている。
   その前の旅では、杭州の西湖に行く機会があって、中国文化の美学の一端に触れた感じがして感激した。

   さて、何故、李白に触れながら中国について書いたかと言うことだが、私には、学生時代から、中国の文化文明については、分からないながらも、一種の憧れというかその偉大さに感銘する思いがあった。
   4大文明の発祥地で、紆余曲折や浮沈はあったが、太古から文化文明を途切れることなく維持継承してきた歴史上稀な唯一の大国であり、そのスケールの大きさや質の高さは驚異とも言うべきであろう。
   好き嫌いは別にして、日本の文化文明の発展進化の多くは、中国抜きにしては語れないほど影響を受けてきた。

   尤も、今の中国なり習近平政権の中国が好きかと言われると、尖閣や南沙、ウィグル人権問題など許せないし、大いに違和感があって、スンナリとは承服しかねる。
   しかし、その誇り高い中国が、アヘン戦争を皮切りに、欧米列強に無残にも破壊され蹂躙された屈辱的な100年の歴史に義憤を感じて、2049年の100年マラソン計画で大唐帝国の再興を目指す国是は分からないわけではない。昇り龍状態の中国にとっては、今こそ、歴史転換への千載一遇のチャンスなのである。
   いずれにしろ、中国の歴史が大きく動いたのは、良かれ悪しかれ、絶対的な権力を握った専制的支配者の時代であって、習近平もいわば現代版の皇帝だと言えよう。絶対的権力者の支配体制がビルトインされた中国においては、
   豊かになったら中国が民主主義国家に変貌して行くなどと言った幻想は、欧米の勝手な文化的歴史観であって、豊かな歴史と伝統を築き上げてきた中国が、全く異なった世界観や理想を打ち立てて前進して行くのは歴史の必然であって、新たなグローバル秩序が形成されるのは間違いないであろう。
   米中の冷戦紛いの深刻な対立もそうだが、日本においても、かなり対中関係が悪化しているのだが、私自身は、歴史的な密接な関係に鑑みても、日本としては、もう少し良識のある、寛容かつ冷静な対中関係であるべきだと思っている。

   
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ファイザーワクチン3回目接種

2022年02月06日 | 生活随想・趣味
   今日、鎌倉武道館のワクチン会場で、第3回目のファイザーワクチンの接種を受けた。
   昨年5月と6月にかけて2回接種を受けているので、8ヶ月後の3回目である。
   孫達の小学校や幼稚園で、オミクロンの感染が報告されているので、正直なところホッとしている。

   第1回目のワクチン接種の予約では、申し込みに苦労したが、それ以降は鎌倉市から接種日を指定してくれたので助かっている。
   市からタクシー利用券が送られてきているので、足の苦労がないぶんは、老人には優しい対応であり、会場に出かけて流れサービスラインに乗れば良いだけである。
   幸い、私には、接種後の副反応や後遺症などなくて、平生と変らないので助かっている。
   第1回目には、夜、ワインを飲んでしまったので、これだけは注意した。

   私自身ワクチンの有効性などには何の疑問も持っていない。
   従って、米欧で、あまりにも多くの市民達が、接種するかしないかを決めるのは自己の権利だと言ってワクチン接種に反対して騒いでいるのを見て、彼らの知見や良識の程度を疑わざるをえない。
   これに加えて、貧しい発展途上国でのワクチン接種の大幅遅れで、世界全体でのワクチン摂取率が上がらなくて、コロナとの戦いがいつまで続くのか先が見えない。
   COVIC-19は、グローバリゼーション故に、地球上全体で撲滅しない限り終熄しないことを、絶対に忘れてはならないにも拘わらず、先進国の市民さえこの厳粛なる現実を理解しえない体たらくであるから、救いようがないのが悲しい。
   尤も、オミクロンが、感染力は強いが死亡率や大病率が低いので、ピークアウトするにつれて、コロナ対策が急速に緩和されはじめて、コロナとの共生までささやかれ始めている。そんなに簡単に、気を許して良いのであろうか。

   自分自身に取っては、ワクチン3回目の接種は、嬉しいが、先を思うと暢気に喜んではおれない。
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庭で過ごす憩いのひととき

2022年02月05日 | 生活随想・趣味
   コロナ騒ぎの所為もあるが、外出がめっきりと減って、書斎と庭を行き来する日々が続いている。
   私にとっては、庭の存在が大きくて、友人知人の何人かは、庭の手入れなどが億劫になってきたと言って、一戸建てを処分してマンションに移ったのだが、その心境が良く分からない。
   一頃のように派手な庭仕事は出来なくなったが、花木の植え替えや剪定、薬剤処理など日頃の手入れくらいは適当に出来るし、季節の移り変わりに敏感に反応してくれる花々や小動物の伊吹に接していると、穏やかな幸せを感じられるし、その対話の世界を失うなど考えられないのである。

   アムステルダムやロンドンにいた壮年期には、大きな庭付きの家に住んでいたが、仕事が多忙でヨーロッパを飛び回っていて、庭の花木の手入れは勿論、季節の花の移ろいにも殆ど無関心であったのだが、
   それでも、結構、各地の名園を訪れたり、オランダの壮大な花畑やイギリスのローズガーデンや民家の庭、荒れ果てた東欧の鄙びた田舎の果樹園など、あっちこっちで見た花々の印象が残っていたのであろうか、
   長いヨーロッパ生活を終えて帰国したとき、留守の間も忘れずに咲き乱れて主を迎えてくれた八重桜の豪華さ、ピンクの美しいパラソルのように咲いていた垂れ梅、清楚で完璧な乙女椿の美しい姿など、わが庭の花々の暖かさに感激して、少しずつ、ガーデニングに勤しみ始めた。
   それから、殆ど四半世紀になるのだが、日々、花木や草花との交流が続いている。

   最初の庭は、印旛沼に近い千葉の庭で、やはり、好きな椿からはじめて、徐々に、バラに移って行き、近くの京成バラ園に行ってバラに親しみ、花咲き実なる講座と言った通信教育を受講するなど、少しずつ本格的になっていった。
   わが庭のバラも、最盛期には、バラ園並に綺麗に咲いたし、殆ど園芸種の銘椿の木が30種類以上にもなり、春には、庭一杯に椿が咲き乱れた。
   私好みに育てたこの一種ジャングルのような花の園は、去ってからは、グーグルアースで見ると、無粋な駐車場に変って、咲き乱れていた花木は跡形もなく消えてしまっている。

   8年前に移ってきた今の鎌倉の庭は、既に、日本庭園として綺麗に整備されていたので、その後に、私好みの花木を加えたり植え替えたりして今の庭になっている。
   やはり、椿など花木が多くなったので、日本的な庭に色彩が豊かになったという感じであろうか、
   バラを植え付ける空間は殆ど残っていないので、バラの多くは鉢植えで育てている。

   今、わが庭に咲く花は、紅白の梅、そして、何株かの椿と日本スイセンくらいで、色彩に乏しい。
   しかし、鹿児島紅梅は咲き乱れているし、白梅は徐々に開花し始めているので、大分明るく成ってきた。
   
   
   
   
   

   書斎に篭って、パソコンを叩き、本を読んでいると、時に及んで外に出たくなる。
   陽が照っていて、風がないときには特にそうである。
   外温が5度を切っていても、緑に囲まれた日だまりに出ると、結構寒さが気にならないので、寒気をものともせずに綺麗に咲く花の神秘に感動しながら、しばし佇む。
   日頃のように、庭に出て本を読む気にはならないが、雰囲気を楽しむために、アウガルテンのカップにティーを入れたり、ウエッジウッドのカップにコーヒーを入れたりして庭に出てしばしい憩う。緑茶は、煎れ方が難しくて時間を取るので、九谷の湯飲みを使いかねている。
   貴重な時間を、庭に出て、美しい花を愛でながら、しばしのひときを憩う、楽しからずやである。
   何故か、ヨーロッパの田舎町の鄙びたレストランやカフェーで過ごした旅の思い出が、走馬灯のように頭を駆け巡る。
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GLOBOTICS (グロボティクス) 時代に日本は「ジョブ型雇用」と言うのだが

2022年02月03日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   ボールドウィン著の「GLOBOTICS (グロボティクス) グローバル化+ロボット化がもたらす大激変」は、冒頭からショックに満ちた問題提起の本で、非常に面白い。
   これまでのICT革命の雇用に関する脅威にについては、インターネットやロボットに置き換えられるような仕事は、悉く取って代わられると言う両面作戦の展開が主体であったが、この本は、特に、ホワイトカラー・ロボットが巻き起こす大旋風について論じている。

   AIの一形態「機械学習」が、コンピューターに読む、書く、話す、微妙なパターンを認識するといった、かってなかった能力を与え、この新しい能力の一部は、オフィスで使えることが分かり、最近まで、認知能力という人間の独占的な能力によって自動化から守られていたホワイトカラー、サービス・センター、専門職の多くに、一部業務で熾烈な競争相手になった。
   著者は、このような新たな形態のグローバル化と、新たな形態のロボット化(ロボティクス)の組み合わせを「GLOBOTICS (グロボティクス)」と称する。最も際立った過去との違いは、製造業や農業ではなくサービス業で働く人々への影響であり、この雇用破壊を通して、我々の社会・政治・経済システムに強烈な圧力を掛けている。という。

   著者は、スウェーデンの銀行SEBのオンラインと電話相談窓口で働いているAmeliaというホワイトカラー・ロボットを紹介している。
   300ページのマニュアルを30秒で暗記し、20か国語を話し、数千本の通話を同時に処理できるという。
   人工知能ロボットのAmeliaは、高速ラップトップ・コンピューターや改良されたデータベース・システムとは違って、労働生産性を高めるのではなくて、労働者にとって代わることを目的に設計されている。本物の労働者並みに優れているわけではないが、コストが格段に安い。
   こうした思考するコンピューターが、自動化の新たな局面を開きつつあり、オフィスで働く人々に、自動化の功罪両面を齎しつつあるが、直撃を受ける職種の人々には、その準備ができていない。雇用破壊は、デジタル技術の爆発的なスピードで進むが、かたや、人間の知恵で進む雇用創出は、ゆっくりとしか進まないので、この雇用破壊と雇用創出のスピードの恐ろしいミスマッチが、深刻な雇用不安を引き起こすという。
   Ameliaの能力の進化は日進月歩で、大手銀行、保険会社、通信企業、メディア、製薬会社等20社以上で活用されていて、バンカメのErica、JPモルガンのCOIN、IBMはWatson等々多数のライバルが生まれているという。私の使っているアマゾンのAlexaなどもこの種の最たるホワイトカラー・ロボットであろう。

   さて、この本のブックレビューは、後刻行うとして、このトレンドで気になったのは、「ジョブ型雇用」を高らかにうたいあげている経団連などの動向である。
   ジョブ型雇用よりも、早晩現実化する「ホワイトカラー・ロボット」問題など、日本の雇用のあり方に根本から変革を迫っているデジタル革命、ICT革命によって急速に変わろうとしている雇用形態に対応したシステムを考えることの方が喫緊の問題ではないのかと思ったのである。
   すでに、何十年もアメリカ、そして、一部のヨーロッパで常態化していて、良い経営システムかどうかさえも疑問であるジョブ型雇用システムを、あたかも、最先端を行く雇用形態であり、これを導入すれば、経済成長から見放された日本企業の起死回生を図れるかのように説く不思議さである。
   先にも書いたが、半世紀上も前にアメリカのビジネススクールで学び、これは、日本企業に馴染めないシステムだと感じたのだが、
   もし、経団連が、デジタル対応の優秀かつ有能な専門的知見やスキルを持った人材を日本企業に取り込む便法だと考えているならば、日本経済にビルトインされて息づき続けてきた雇用システムにスンナリと同化出来る筈がなく、既存の米欧のジョブ型雇用システムとは似ても似つかない形態であり、クリステンセンが説くジョブ理論とも全く異質だと言うことを付記しておきたい。

   経団連の説明を聞いていても、「ジョブ型雇用」の理論的説明が不明であり、それに、一番影響を受けるべきはずの連合には、「ジョブ型正社員」という良く分からない概念を説明するだけで、本件に関する正面きった明確な見解や意思表示がないように思う。

  昨日日経が、”ジョブ型雇用、認識に差 春季交渉労使代表に聞く”を報じ、 
   経団連の大橋副会長が、
   ――春季労使交渉の指針で、ジョブ型雇用について「導入・活用の検討が必要」と明記した。
  「日本型の新卒一括採用や年功賃金なども決して悪いやり方ではなかったが、急速にデジタル化が進む中、専門的な人材を集めて働くことがより重要になる」
  連合・芳野会長が、
   ――ジョブ型雇用へのスタンスは。
  「大手企業で導入しているところがあるが、それぞれどういう制度かしっかり検証する必要がある。連合の考え方はまとめられていないが、ジョブ型の定義や目的、運用を労使で話し合っていく。現状では慎重に研究する必要性があるという立場だ」
  騒がれている割には、理解も不十分なら説明にさえもなっていない。

   何か、ちぐはぐな議論になってしまったが、私が問題にしたかったのは、前述の急速なデジタル革命、ICT革命によって、一気に変質する労働環境への対応、特に、ボールドウィンの説く「ホワイトカラー・ロボット」の対応などが喫緊の課題であって、労使双方、この問題に正面切って向かうべきではないかということである。
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ビル・ゲイツの家畜の糞尿作戦

2022年02月02日 | 地球温暖化・環境問題
   ビル・ゲイツは、先にレビューした「地球の未来のため僕が決断したこと」で、僕の家族にはチーズバーガーの血が流れている、との書き出しで、
   第6章の「ものを育てる」で、動植物の食品の生成について興味深い展望をしている。
   Wikipediaにも、ビル・ゲイツは、”小食として知られ、妻によると朝飯は食べない。食事はファーストフードが好物で、食生活はマクドナルドが中心だという。”と書かれていて興味深い。

   問題は、この牛肉を作る過程での、食用に動物を育てることは、温室効果ガスの排出の大きな要因であり、環境問題に深刻な問題を惹起していることである。
   この部門には、家畜の飼育から作物の栽培、木の伐採まで広範囲に及ぶ人間活動が含まれるが、農業での最大の悪者は、二酸化炭素ではなく、メタンガスと亜酸化窒素で、二酸化炭素と比べると、メタンは100年間で分子一つあたり28倍、亜酸化窒素は265倍の温暖化を引き起こす。このメタンと亜酸化窒素の年間排出量を合わせると、二酸化炭素70億トン超に相当し、農業林業その他の土地利用部門の全温室効果ガスの80%を超える量で、これに歯止めをかけなければ、今後人口が増えて豊かになって行く世界に合わせて食糧を生産するうちに、排出量は更に増えて行く。
   排出実質ゼロに近づくためには、温暖効果ガスを減らして、最終的には除去しながら、動植物を育てる方法を考え出さなければならない。

   このメタンだが、世界中でおよそ10億頭の牛が牛肉と乳製品のために育てられているが、その牛が1年間にげっぷやおならで出すメタンには、二酸化炭素20億トンと同じ温室効果があり、これは地球上の全排出量の約4%にあたる。この現象は、反芻動物すべてに固有の問題で、これに、更に、糞尿の排出が加わる。
   糞が分解されると、強力な温室効果ガスの混合物、主に亜酸化窒素で、それにメタン、亜硫酸ガス、アンモニアが加わったもので、豚の糞が約半分である。
   新技術で、排出量を減らす試みがなされており、豊かな先進国では食糧の改良など排出を削減する方法や糞尿処理技術の向上など行われているが、南アメリカの牛は、北米の牛の5倍の温室効果ガスを出し、アフリカの牛はそれを更に上回る。
   この南北格差の解消は、何処まで行っても環境問題の難問である。

   さて、肉食を減らしながら肉の味を楽しむ一つの選択肢は、様々な方法で肉のアジに似せた植物製品の代替肉である。
   ビル・ゲイツは、植物由来の肉の製品を市場に出している二つの会社に投資しており、人造肉はかなり美味しく、きちんと調理すれば、本物に引けを取らない牛挽き肉の代替物になる。それに、これらの代替肉は、すべての分野において、本物の肉より、地球環境にやさしい。と言う。
   しかし、現時点では、初歩段階なので、牛挽き肉の代替物は本物より86%高価で、グリーン・プレミアムは高い。
   それに、人造肉の最大の課題は、価格ではなくて味で、ハンバーガーの食感を満足させ得ても、ステーキや鶏の胸肉となると、本物感はずっと難しく、切り替えたいと思うほど、人造肉に人気が出るかは疑問だという。
   
   先日の日経に、”タイ・ユニオン、植物性「魚肉」に的 資源保護の波高く ツナやエビ、欧米向けOEM 自社ブランドも展開”と言う記事で、
   ツナ缶世界最大手のタイ・ユニオン・グループが代替シーフードの事業化に本腰を入れる。植物由来の原料を使った代替ツナや代替エビのOEM(相手先ブランドによる生産)を欧米向けに受託。自社ブランドの展開も始めた。世界的に水産資源保護の機運が高まる中、投資家らが求めるESG(環境・社会・企業統治)への対応を迫られている。と報じていた。
   いずれにしろ、植物由来の肉や魚と言った動物性タンパク質の食材が、どんどん、植物から生産されて行くことは、トレンドであろうから、科学技術の進化、イノベーションによってブレイクスルーすると期待しても良いではないかと思っている。

   もうひとつビル・ゲイツが指摘する方法は、実験室で肉そのものを育てる方法、「細胞肉」「培養肉」「クリーンミート」である。
   実験室で、生きた動物から細胞を少し採取して、その細胞を増やして、人間が食べなれている組織になるように導く方法で作る肉なので、偽物の肉ではなく、本物の動物のように脂肪、筋肉、腱が総べてついている肉である。温室効果ガスは一切排出せず、使用するのは電気のみである。
   既に、20数社のスタートアップ企業が商品化を目指しており、スーパーには、おそらく2020年代半ば以降に出るだろうという。

   ところで、イノベーションには、魔の川・死の谷・ダーウィンの海の越えなければならない難関があるが、実現に成功したとしても、善悪は別として、政府組織や消費者団体など色々な組織から、横やりや反対運動が起こってくる。
   例えば、産業革命時のラッダイト運動、遺伝子組み換え植物への反対運動、などである。
   アメリカの少なくとも17州で、これらの製品を肉と言う名称で販売するのを議会が禁止しようとしている。また、ある州では、」人造肉の販売そのもを禁止するよう提案している。技術が進歩して製品が安くなっても美味しくなっても、しれを如何に規制して、パッケージ化して、売るかについては、しかるべき公的な議論が必要になると言うのである。
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