熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立能楽堂・・・開場35周年記念公演 福の神・射狸・木実争

2018年09月30日 | 能・狂言
   九月の《開場35周年記念公演》は、この狂言の一夜で最後であったが、非常に充実したプログラムで、楽しませて貰った。
   8月10日のインタネット予約日に、5演目を続けて予約したので、後に行くほど思うような席を確保できなかったが、偶々、最後の2回は、前席が空いて居たり小さな人だったりで、助かった。

   演目は次の通り。
   狂言 福の神 (ふくのかみ)  善竹 忠一郎(大蔵流)
   狂言 射狸 (いだぬき)  山本 東次郎(大蔵流)
   狂言 木実争(このみあらそい)  野村 萬斎(和泉流)

   「福の神」以外は、岩波の日本古典文學大系の狂言集上下にも、岩波講座能・狂言の狂言鑑賞案内にも記載がなく、珍しい曲のようだったが、非常に充実した素晴らしい曲であった。

   まず、「福の神」だが、恒例の出雲大社に年越しにやってきた参詣人(善竹隆司、隆平)が、参拝し豆まきしているところに、福の神(忠一郎)が現れて、お神酒を要求して、楽しゅうなりたいかと聞く。なりたいと答えると、そのためには、元手がいると言われた参詣人は、福の神の言葉とは思えない、元手がないから来ているのだと答える。すると、元手とは、金銀米銭のことではなく、「朝起き疾くして、慈悲あるべし、人の来るのを厭うべからず、夫婦の中にて腹立つべからず、」と言って、中酒(食事時の酒)には古酒を、嫌と言う程盛るならば(これを何度も繰り返し)、楽しゅうなさでは叶うまじ。と言うハッピーエンド。
   中世とは思えない粋な計らいで、福の神の井出たちをした忠一郎の好々爺ぶりが実によい。

   「射狸」は、「一子相伝の秘曲」で、人間国宝の山本東次郎の81歳とは思えない至芸を鑑賞する一生一代の舞台。
   まず、舞台の正中に据えられた一畳台の上に設えられた素晴らしい秋の草原が目を引き付ける、真ん中に豊かなススキが靡いていて周りを豪華な美しい花で取り囲んでいる。
   この中に飛び込んだ尼姿のシテが、物着で古狸に変身して舞台に飛び出して、猟師(アド/山本則重)に、腹鼓を打てば命を助けると言われて、腹鼓を打って、踊り出すと言う至芸を披露する。

   この曲は、猟師に眷属を射殺されたので、老狸が、猟師の伯母のお寮に化けた尼姿で訪れて狸を射るなと意見し、伯母だと思い込んだ猟師が殺生を止めると約束する。しかし、誓言はしたものの、古狸だけは射たいと思って出かけると、ご機嫌になった伯母に追い付き、その伯母が古狸だと分かって射殺そうとしたので、古狸は、草原に飛び込んで隠れる。
   東次郎は、最初から、狸の装束の上に尼衣を着ているので、狸面は最初からそのままなのだが、一寸、その面の口先が尖っていて狐のような雰囲気である。
   
   この曲を観ていて、同じく最高峰の「釣狐」の舞台を思い出したのだが、プログラムによると、元々は、化けそこなった狸の失敗談だった民話劇的な作品だったが、「釣狐」の影響を受けて、高度な演技技術を擁するようになり、だんだん重い扱いになったのだと言う。
   実に優しくて情緒豊かな東次郎の腹鼓は格別だが、タヌキの縫い包み姿で、一畳台に俊敏に飛び上がったり飛び降りたり、舞台で転げまわったり、若々しくてエネルギッシュな演技はもとより、若くてはつらつとした甥の猟師を相手に、実に繊細な芸を見せていて、縫い包みで完全に素顔と姿を隠した演技だけに、その凄さが一層よくわかる。

   「木実争」は、実に楽しい。
   野村萬斎の演出・主演の萬斎あっての斬新な舞台であって、東京オリンピックの萬斎の手腕が期待できる、楽しさ素晴らしさを髣髴とさせてくれるような興味深い舞台である。
   冒頭は、吉野山の花盛りを見物に行こうとする橘の精(石田幸雄)と、行き会った茄子の精(萬斎)が、古歌「吉野山たが植初めし桜だに、数咲初むる花の走り穂」が、「走り穂」だ、「花の初めに」だと言い争い、系図や風味争いに進展し、橘が茄子に礼拝を求め拒否したので打ち据えてると茄子は怒って退場する。
   その後、このことを聞きつけた柿、桃、梅干、葡萄の精たちが橘に加勢し、茄子は、味方の武装した栗、胡瓜、西瓜、南瓜の精たたちを引き連れて登場し、両軍互いに入り乱れて激しく戦う。
   しかし、俄かに激しい山嵐が吹いてきたので、寒さに耐えきれずに、皆退場して行く。

   木の実や野菜と言った擬人化された人間の詰まらない争いや愚かな営みを、自然界の脅威が一蹴すると言う舞台だが、とにかく、茄子の精は那須与一と称して弓をつがえ、柿の精は柿本人麻呂と名乗って、歌の短冊を投げ捨てて、戦いに挑むと言ったパロディが随所に飛び出して、何処まで真面目か分からないところが面白い。
   囃子や地謡(万作師ほか)も登場する40分の本格的な舞台で、夫々思い思いの面をつけて綺麗に武装した装束を身に着けての多数の演者の登場であるから、とにかく、華やかで楽しい。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国立演芸場・・・国立名人会:小三治の「出来心」

2018年09月29日 | 落語・講談等演芸
   今日の「第421回 国立名人会」のプログラムは次の通り。

   落語 「黄金の大黒」 柳家三之助
   落語 「里帰り」 三遊亭吉窓
   落語 「質屋庫」 むかし家今松
    ―仲入り―
   落語 「禁酒番屋」 柳家はん治
   紙切り 林家正楽
   落語 「出来心」 柳家小三治
  
   とにかく、人間国宝小三治の高座のチケットを取るのは、至難の業。
   国立劇場ファンのあぜくら会員にしても、10日のチケット予約日には、インターネットで30秒間の勝負で、瞬時に完売してしまう。
   それはそれとして、今回は、予定時間を30分も越えての熱演で、名調子の泥棒の話「出来心」を語り切った。

   まくらで、世間は、78歳で、もうすぐ、79歳になる自分を年寄りと言う 
   と言ったら、付き人の女性に、
   20年前、78歳の人をどうお思いましたかと聞かれて、
   「めちゃめちゃジジイ、先が、可哀そう、だと思った」と答えたと言う。

   この頃、思い出す歌があると言って、歌い出した。
   渥美清の「泣いてたまるか」の歌である。

   天(そら)が泣いたら 雨になる
   山が泣くときゃ 水が出る
   俺が泣いても 何にも出ない
   意地が涙を・・・泣いて・・・泣いてたまるかヨ~・・・とおせんぼ

   58も78もないと言って、頚椎手術の話をして、右手で湯飲みを取り上げて、手術のbefor/afterを実演して見せた。

   物忘れが激しいことを嘆いた。今、一寸した前のことも分からなくなる。
   噺家も、特別ではなく皆と同じです。と言って笑わせた。

   今日は調子が悪い。皆さんんは不運だ。
   今日は泥棒の話だろ、話が決まっていると、自由を束縛されていて嫌だ。
   と言いながら、語り始めた。

   さて、「出来心」は、土蔵破りのつもりが、お寺の壁を破って墓地に入ったと言う間抜けな泥棒の話で泥棒の親分に弟子入りして、微に入り細に入り空き巣の手ほどきを受けて、捕まった時には、「80歳の母がいて、13を頭に5人の子供がいて、仕事がなくて生活に困って、出来心でやったので許してくださいと言えば、頑張れと言って1万円くらい貰えるかもしれない」と教えられて、留守宅を探して空き巣稼業に出る。
   頓珍漢を重ねながら、格子が開いている家があったので、上がり込んで上等のたばこがあったので吸って、お茶を飲んで、美味い羊羹を三枚重ねて頬張っていると、途端に2階から声が掛かってビックリした弾みに羊羹が喉に引っかかって七転八倒、出て来た主人に背中を叩いてもらい、親方に教えてもらった通りに「この辺に、サイゴベエさんは居ませんか」、「それはワシだ」、泥棒は、面食らって、下駄を忘れて玄関から飛び出す。
   次に、貧乏長屋に辿り着き、一番奥の長屋に忍び込んだが、部屋には空き家だと勘違いしそうなぐらい何もなく、腹が減ったので、鍋にあったおじやを美味そうに食べていると、家人の八五郎が帰ってきたので、逃げ場がなく、あわてて泥棒は縁の下にもぐりこむ。
   八五郎は、泥棒に入られたことを知って、家賃を払えずに困っていたので、「泥棒に入られ金を持っていかれたから」と家賃を免除してもらおうと考えて、 家主を連れて来る。
   八五郎からインチキ事情を聞いた家主は、「被害届を出すから」と何を盗られたのかと質問するのだが、八五郎は、元々、何もなかったので、口から出まかせで、家主が羅列した「泥棒が盗って行きそうな物」を総て盗られたといって羅列するのを、家主は調子を合わせて記録する。
   そこへ、隠れていた泥棒が出てきて、「出来心」と謝り、逃げていた八五郎も詰問されて、「ほんの出来心」。

   小三治の「出来心」は、YouTubeで聴けるが、30分のバージョンでは、真ん中の「サイゴベエ」の話が省略されていて、今回は、45分の完全バージョンを語った。
   若い頃のパンチが聞いた語り口とは趣が違ってきているが、しみじみとした滋味深い語り口が感動的であった。
   羊羹を頬張って咽て苦しむ様子や美味しそうにおじやをかき込む仕草など、国宝級の芸の輝き、
   とにかく、淡々と語る風情にも人間性が滲み出ていて清々しい。
   
   泥棒の落語は、結構、色々あるようだが、上方落語の「盗人の仲裁」が、江戸落語化した「締め込み」が面白い。
   泥棒は自分の金をそっくり博打ですった職人にやる「夏どろ」
   ヘボ碁試合に入れ込む碁の好きな泥棒の噺「碁どろ」

   落語だから笑っておられるが、実際に泥棒に遭遇すると恐ろしい。
   
   
   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブックオフの販売戦略:クーポン、値引き

2018年09月28日 | 経営・ビジネス
   東京へ行くのに時間に余裕があったので、久しぶりに、横浜のブックオフへ寄ろうと、ビブレ店のHPを開いたら、「本500円割引券プレゼント」と「500円以上のお会計で110円off」と言う」サービス表示があった。
  買うか買わないかは分からなかったのだが、とにかく、この部分をコピーして出かけた。
  割引券配布は、28日限りで、午後4時から配布で、250枚だと言う。

  4時には、長い列になっていたのだが、
  ビジャイ・ゴビンダラジャンの「ストラテジック・イノベーション  戦略的イノベーターに捧げる10の提言 (Harvard Business School Press)」が、非常に安くなっていたので、私も列に加わった。
   原著は、2005年出版で少し古いのだが、翻訳本は2013年の出版。
  「リバース・イノベーション戦略」の生みの親でイノベーション論の大家であり、その前の本なので、読みたいと思いながら、忘れていたので、好都合であった。
   売上カードがついている完全な新本で、定価2000円+税。
   これが、ブックオフ価格が1510円で、更に表示価格から30%offとなっていて、これに、110円offで、支払ったのは、947円。
   それに、500円の割引券をもらったのであるから、随分安い買い物である。
  
   尤も、このような経営学の専門書が、いくら安くても、おいそれと売れるわけでもないので、ブックオフでも、店頭ディスプレィが長くなって、止む負えず、30%offとなったのであろう。

   先日、書店員が立てた手書きの推薦ポップの元祖だと言う北海道の書店が、経営難で閉店したと言う記事がでていた。
   このポップが人気となり、ベストセラーのきっかけになったり、書店員の選ぶ文学賞ができたりと、それなりの書店起死回生の役に立ったようだったが、日本人の読書意欲の減退とネットショップの躍進に勝てず、どんどん、リアル書店が、消えて行く。

   私など、三省堂や丸善、八重洲ブックセンターなど、大型書店に良く出かけるのだが、出版の状況視察になっても、殆ど魅力を感じられないので、本を買うことは少なくて、結局、いまだに多くの本を買っていても、その大半は、アマゾンなどネットショップで調達している。

   一部店舗を閉鎖するなど、ブックオフの退潮が言われているが、最近では、本が綺麗になって新本交じりの良質な本が、安く売られるようになって来ており、定価販売の並みの書店が太刀打ちできる筈がなく、この一事だけでも、余程魅力がないと、薄利多売を旨とする街の書店は、消えざるを得なくなる。

   私など、外出した時、どうしても余裕時間が出来ると、暇つぶしに、書店に立ち寄って一時を過ごしたいのだが、ポストや公衆電話と同じで、どんどん、街の本屋がなくなって、喫茶店しか行くところがなくなってしまった。
   
   寂しいと言うか、日本人が、殆ど本を読まなくなったと言われて久しいのだが、私のような本漬けの人生を生きて来た人間には考えられないこと、
   しかし、これも時代の流れであろう。
   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わが庭・・・急に訪れた晩秋の気配

2018年09月27日 | わが庭の歳時記
   雨模様で、最高温度が18度と言う寒い日、一気に晩秋の訪れである。
   庭に出たら、一面に落ち葉が敷き詰めて、小雨に濡れている。
   落ち葉は、ヤマボウシとハナミズキだが、昨日は、風に吹かれて、ひらひら舞い落ちていたが、まだ、枝に残っているので、当分、掃除が大変である。
   宝塚の田舎にいた子供の頃には、落ち葉をかき集めて焚火をして、サツマイモなどを投げ入れて楽しんでいたのだが、この頃は、焚火さえ禁止されていて、昔懐かしい風情がなくなってしまった。
   それに、鎌倉の住宅街では、住民たちが、瞬時に、落ち葉を掃いて通りを綺麗にするので、落ち葉の雰囲気を味わえるのは、わが庭の中だけに限られて寂しい。
   

   金木犀が、あまい芳香を放ち始めた。
   わが庭の金木犀は、まだ、花を開いていないのだが、昨年のように剪定をしなかったので、沢山の蕾をつけていて楽しみである。
   
   
   相変わらず咲いているのは、沢山のツユクサ。
   気づかないようなところから、か細い茎を伸ばして、ひっそりと咲いているので、目立たないが、一つ一つの花の咲き方に個性があって面白い。
   そして、ハナトラノオ。
   
   

   つぼみが膨らみ始めたのは、酔芙蓉。
   白っぽい花が、夕方には、酒に酔ったように、ピンクに花色が変わって行く面白い花で、結構、ばらのように華やかだが、命が短い。
   もうすこしで、華やかに咲く。
   わが庭は、秋の草花が乏しいので、彩りがなく、ちょっと寂しいが、秋だから、それでよいと思っている。
   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安部 義彦、 池上 重輔著「日本のブルー・オーシャン戦略  10年続く優位性を築く」

2018年09月26日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   2004年に、INSEADのChan KimとRenée Mauborgne教授によって著された「Blue Ocean Strategy」の日本での展開を、チャン・キムの元で学んだ安倍義彦氏たちが、解説した本。
   「ブルー・オーシャン」と言う概念も、激変するビジネス環境で生き抜くために 『ブルー・オーシャン戦略』は、新たなステージへ進化する! として、両教授による「ブルー・オーシャン・シフト Blue Ocean Shift: Beyond Competing - Proven Steps to Inspire Confidence and Seize New Growth 」が、昨年9月に出版され、最近、翻訳本も出て、ベストセラーを続けており、経営戦略として完全に定着した感がある。
   
   この日本の本は、出版されて既に10年を経過しており、賞味期限切れかも知れないが、積読ではもったいないので、飛ばし読みして見たら結構面白い。
   ブルー・オーシャン戦略については、これまでも随分書いてきたので蛇足は避けるが、日本の場合は、概念そのものがよく理解されておらず、成功したブルーオーシャン企業も、偶々、その成功は、ブルーオーシャン戦略の体現であったと言った場合が多いような気がしており、例示されている殆どの日本のケースも、そんな感じである。

   ところで、最初に「ブルー・オーシャン戦略」を読んで感じたのは、形を変えたクリステンセンの「イノベーターのジレンマ The Innovator's Dilemma」の焼き直しと言わないまでも、イノベーション戦略を首座に据えた経営戦略論ではないかと言うことである。
   
   まず、この本で説明されている「レッド」と「ブルー」の違いだが、
   「レッド・オーシャン戦略」は、
   マイケル・ポーターの競争戦略論やコトラーのマーケティング論など欧米ビジネスパーソンの「常識」、パラダイムの競争戦略で、
   業界の条件は所与、競合他社を打ち負かすため、競争優位性の構築で既存の需要を引き寄せる、価値とコストがトレードオフの関係――差別化・低コスト、どちらかの戦略を選択し、企業活動の総てをそれに合わせる
   「ブルー・オーシャン戦略」は、
   競争のない市場を主体的に創造 競争を無関係にする 買い手のバリューを創造し、新しい需要を創出 バリューとコストのトレードオフを打ち負かす――差別化と低コストをともに追求し、その目的のために企業活動の総てを推進する

   日本企業のブルー・オーシャン例として、まず、任天堂のWiiにつて詳細に説明し、
   iモード、明光義塾、ネスレ、QBハウス、ユニクロ、NOVA、セコム、シマノ、アスクル等々を例示しているので、大体のイメージは分かるであろう。
   
   クリステンセンのイノベーターのジレンマは、
   優良企業は、戦略的に優位なベストセラー製品を、益々競争力をつけるために、その製品の改良を進めるべく技術を洗練深堀りする「持続的イノベーション」に傾注するが、その価値を破壊して価値を生み出し全く新しい製品を開発すべく「破壊的イノベーション」を追求する新規企業が出現して、従来製品にとって代わろうとする。既存の優良企業は、既存の顧客重視で、持続的イノベーションの推進で自社の事業を成り立たせているために、破壊的イノベーションを軽視して対応を怠る。優良企業の持続的イノベーションの成果は、ある段階で顧客のニーズを超えて、それ以降、顧客は、その対価を払わなくなって収益を圧迫する一方、製品の質を向上させ安価となった破壊的イノベイターの新製品の価値が、市場で広く認められ、優良企業の従来製品の価値は毀損し、競争力を失って、取って代わられる。
   
   破壊的なイノベーションで優位に立ったはずの優良企業が、その成功ゆえに、持続的イノベーションを追求して競争力を維持し、既存の顧客重視で既存製品に執着して、破壊的イノベーションを軽視して、結局、台頭してきた新しい破壊的イノベーターに駆逐されて行く、先行優良企業イノベーターの経営のジレンマ。
   トランジスターに真っ先に挑戦したソニーが、膨大な投資をした真空管に固守した大手電機メーカーをしり目に快進撃をしたケースや、ウォークマンのソニーが、アップルの破壊的イノベーションに連戦連敗し続けたケースを考えれば、よく分かるであろう。

   必ずしも一致しないし、両理論ともはるかに進化しているのだが、ポーターやコトラーの理論が、「持続的イノベーション」とダブり、チャン・キムたちの説が、「破壊的イノベーション」を想起させると考えても、それ程間違ってはいないと思う。
   クリステンセンの「破壊的イノベーション」は、シュンペーターの「創造的破壊」を想起させ、ローエンドからの台頭を説き起こしているが、キム・チャンたちの「ブルー・オーシャン」は、「バリュー・イノベーション」の追求なので、段階は問わない。

   既存の散髪屋を駆逐したQBハウスを考えればよく分かる。このブログでも書いたが、私がウォートン・スクール時代のフィラデルフィアのイタリア人理髪店で経験した「カット・オンリー」そのものであって、アメリカでは、イノベーションでも、ブルー・オーシャンでも何でもない。
   よく分からない外人に、剃刀を当てられるのが不安で、アメリカの散髪屋は、段階的なサービスなので、最初のプロセスである髪だけカットしてもらって、寮に帰って、髭を剃り、頭を洗えば、安上がりで充分だったのである。
   ドラッカーが「ブルー・オーシャン」だと褒めたたえたスターバックスも、何のことはない、無粋な場所で不味いアメリカン・コーヒーしか飲めなかったアメリカではそうであっても、日本の喫茶店やミラノやウィーンのカフェー文化を知っているコーヒー・ファンにとっては、イノベーションでも何でもないのである。
   ブルー・オーシャン戦略は、「バリュー・イノベーション」であるので、単なる発想の転換で、いくらでも生み出せるのであるから、クリステンセンの「破壊的イノベーション」の追求よりも、はるかに簡単な経営戦略だと言えば、言いすぎであろうか。

   クリステンセンの理論も、チャン・キムたちの理論も、もっともっと奥深いので、こんな安直な議論では失礼なのだが、一寸気づいたので綴ってみた。
   安部義彦、池上重輔両氏のこの本は、「ブルー・オーシャン戦略」を、噛んで含むように懇切丁寧に説明しており、それも、日本のケースを扱っての解説なのでよく分かる。
   日本の大企業、特に製造業は、殆どレッド・オーシャン企業で、新しい時代の潮流が読めない経営陣に支配されているので、社内ベンチャーやイノベーターの買収戦略が有効であろうが、機動力のある中小企業など、発想を変えて、「ブルー・オーシャン戦略」に軸足を移せば、活路が開けるのではないかと思っている。
   
  
  
  
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国立能楽堂…開場35周年記念公演 求塚・見物左衛門・清経

2018年09月25日 | 能・狂言
  この日の《開場35周年記念公演》は、

   仕舞 求塚 (もとめづか)  髙橋 章(宝生流)
   狂言 見物左衛門 (けんぶつざえもん) 深草祭(ふかくさまつり) 野村 萬(和泉流)
   能  清経(きよつね)  音取(ねとり)  友枝 昭世(喜多流)
   
   人間国宝野村萬の20分の独演で魅せる「見物左衛門」と、同じく人間国宝の友枝昭世の「音取」で見せる「清経」が、素晴らしい至芸の披露で、観客を魅了。
   3年前に、人間国宝で弟の野村万作の「見物左衛門」を観て感激したので、和泉流の至芸を、2度も鑑賞できるのは、幸せの限りであった。

   能「清経」は、何度か鑑賞の機会を得ているが、「替之型」で、「音取」は、初めてであった。
   シテ/平清経(友枝昭世)の霊が、囃子の笛の音に導かれて登場する演出で、この日、惜しくも急逝された笛界の至宝藤田六郎兵衛宗家に代わって、松田弘之師が笛に立ち、いつもの笛座から一歩正面に前進して、地謡前に陣取って揚幕方向を向いて端座し、しっとりとした美しい音色を響かせて、清経を誘う。
   天国からのような美しい笛の音と水を打ったような無サウンドの静寂が、交互に舞台に期待と緊張の高まりを増幅させる中を、揚幕から顔を覗かせた清経が、ゆっくりと橋掛かりを歩み、妻の夢の中に姿を現す。
   時間が止まったような、永遠に時がフリーズしたような、神懸りとも言うべき能の凄い世界に引き込まれて行く。
  
   ところで、この能「清経」は、平家物語を題材にしており、
   平家物語 巻第八「太宰府落」に、清経入水の状況が次のように描写されている。
   小松殿の三男、左中将清経は、もとより何事も深う思ひ入り給へる人にておはしけるが、月の夜、心を澄まし、船の屋形に立ち出で、横笛音取り朗詠して遊ばれけるが、「都をば源氏のために攻め落とされ、鎮西をば維義がために追ひ出ださる。網にかかれる魚のごとし。いづくへ行かば逃るべきかは。長らへ果つべき身にもあらず」とて、静かに経読み念仏して、海にぞ沈み給ひける。男女無き悲しめども甲斐ぞなき。

   興味深いのは平家物語も最終巻の「灌頂巻」の最後の最後、「大原御幸」と「大往生」に挟まれた「六道」に、建礼門院が、
   さても筑前国太宰府といふ所にて、維義とかやに九国の内をも追ひ出だされ、・・・昔は九重の雲の上にて見し月を、今は八重の潮路にながめつつ、明かし暮らし候ひしほどに、神無月の頃ほひ、清経中将が、『都をば源氏がために攻め落とされ、鎮西をば維義がために追ひ出ださる。網にかかれる魚のごとし。いづくへ行かば逃るべきかは。ながらへ果つべき身にもあらず』とて、海にしづみ候ひしぞ心うき事の始めにて候ひし。
   と述懐しており、この清経の入水が、「心うき事の始め」、すなわち、平家滅亡のさきがけだったと嘆いていることである。
   崩れ行く運命に過ぎないのだが、最後でトドメをさすなど、平家琵琶法師の鋭い詠嘆でもあって興味深い。

   この能は、能楽文化振興協会のHPには、
   貴公子でプライドも高い平家の公達が戦い敗れることを恐れ、悩み苦しみ精神的に追い詰められる様子が見事に描かれていて、・・・修羅物でありながら夫婦の恋慕の情を色濃く表現した幽玄能

   「思想としての無常」をテーマにした曲だと言うのだが、テーマは兎も角、平家にとっては、門院や妻が、清経に責めるように、最後まで運命に任せて戦い抜くのが男であって、敵前逃亡など「なさけない」と言うのが、正直なところであろうか。
   世の無常を悟得したとかで、勝手に入水して遺髪を残し、その形見の遺髪を妻が受け取りを拒否して送り返したので、霊となって登場して妻を難詰すると言う女々しさも面白いが、とにかく、清経夫妻の痴話げんかを、高尚な能に仕立てた世阿弥が偉大なのであろう。
   清経が、死後、修羅道に陥ったのは当然としても、それも一時的なもので、「静かに経読み念仏して、海にぞ沈み給ひける」と、入水直前に唱えた念仏の功徳によって、成仏することが出来たと言って終わる。と言うのも、取って付けたような話なので、随分、シェイクスピア劇を読み観続けた人間にとっては、ストーリー展開などつまらないことが気になって、能鑑賞のイロハさえミスっているので苦労している。

   友枝昭世師の能舞台は、「羽衣」を皮切りにして、もう、10回以上は鑑賞させて貰っている。
   国立能楽堂の公演が主だが、最高峰の能舞台を、少しでも脳裏に刻み付けておこうと、分かっても分からなくても、一生懸命に聴いて観ている。
   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秀山祭九月大歌舞伎・・・昼の部「河内山ほか」

2018年09月24日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今月の秀山祭歌舞伎で観たのは「昼の部」。
   演目は、
   祇園祭礼信仰記 金閣寺
   鬼揃紅葉狩
   天衣紛上野初花 河内山

   当然、吉右衛門の大舞台であって、「河内山」も「俊寛」も何回か観ており、「俊寛」は、来月の国立劇場での芝翫の「俊寛」に期待していることもあって、今回は、吉右衛門自身が地で行って名演を見せる「河内山」と、五年ぶりに舞台復帰を遂げる福助の「金閣寺」の慶寿院尼を観たくて、「昼の部」に出かけた。
   一日中雨が降って寒い日であり、こんな日は、観劇に限るのかも知れないが、その後、しばらく時間があったので、東京駅azoaの丸善で、本を探して過ごし、向かいの神戸ベーカリーで、軽食を取って、能楽堂に向かった。
   
  
   吉右衛門は、歌舞伎美人で、「河内山」について、黙阿弥が講談を元に書いた作品で、「(それを芝居として)立体的にお見せするわけでございますから、皆さんに喜んでもらって最後に溜飲を下げていただくもの。巨悪に対する庶民の味方の悪人の生きざまが描かれた作品です。自分が楽しんでやらなければいけません。野村萬さんが和楽の気持ちという言葉をおっしゃったのを聞き、私も和楽の気持ちで河内山をやらせていただけたらと思っております」。と言っている。
   和楽とは、「みんなでなごやかに楽しむこと」と言うことで、確かに、毒にも薬にもならないと言うか、人畜無害の芝居で、正体を暴かれても抗弁できずに、手も足も出せずに玄関口で見送る松江公以下重臣たちをしり目に、「馬鹿め!」と捨て台詞を残して花道を去って行く幕切れまで、とにかく、河内山宗春の小悪人らしからぬ悪賢さ、知恵と頓智に興味津々で、楽しい舞台である。
   腰元に手を懸ける出雲守の一寸した出来心が天下の名藩松江18万石に傷が付くと、じわりじわりと慇懃無礼に甚振りながら締め上げる宗俊、威厳と強がりを見せながらも、切羽詰まってぐらりと揺れて臍を噛む松江候、その後、宗春は、饗応の御膳を拒否して、「山吹色のお茶」を所望して金を強請る強かさ、とにかく、ネズミを前にした猫を演じる宗春が痛快で面白い。

   歌舞伎では、九代目市川團十郎がつとめた型が現在に伝わっていると言うから、これまでに、その芸の継承である團十郎、そして、最近では、海老蔵の河内山を観ており、そのほか、複数回観たのは、当然、吉右衛門で、それに、白鸚であるから、同じ伝統芸の舞台であろう。
   この18万石を背負った色好みながら威厳と風格を備えた松江候を、幸四郎は、実に上手く演じていたが、その直前の舞台では、「鬼揃紅葉狩」で、妖艶で美しい更科の前と変身した戸隠山の鬼女を演じて観客を魅了していたのであるから、大した役者である。

   「鬼揃紅葉狩」は、普通に演じられている歌舞伎の「紅葉狩」と一寸趣が異なっていて、能「紅葉狩-鬼揃」を、殆ど踏襲している松羽目ものの舞踊劇。
   したがって、大きく違っているのは、後場では、更科姫の侍女たちも、みんな鬼になって、束になって、惟茂たちと立ち回りを演じると言う舞台で、冒頭のシーンも、更科姫たちが紅葉狩りの宴を張っているところに惟茂たちが行き会うのではなくて、惟茂たちの紅葉狩りに更科の前たちが行きかう。
  厳つい隈取をしているのだが、女形の侍女たち(米吉、児太郎、宗之助)の、子供のように可愛い鬼たちの表情と姿が、ご愛敬である。

   ストーリーは、
   平維茂たちが、戸隠山で紅葉狩で憩っているところへ、美しくて妖艶な更科の前とその侍女たちが行き交う。女たちに酒宴に誘われた維茂は、誘いを受けて楽しむうちに眠りこけてしまう。寝込んだのを確認して、女たちが引っ込むと、男山八幡の末社の神が現れて、惟茂たたちを起こして妖魔を斃す刀を授けて去る。女たちは戸隠山の鬼女の正体を現して登場して、維茂たちを倒そうとと大立ち廻りを繰り広げる。

   戸隠山の鬼女は、玉三郎の舞台が、今でも目に浮かぶほど印象的であったが、3年前に、染五郎時代の「紅葉狩」の更科姫を観ているので、幸四郎の妖艶な女形は、久しぶりである。
   最初に幸四郎の女形を観たのは、もう、30年ほども前のロンドンでの公演「葉武列土倭錦絵(はむれっとやまとのにしきえ)」で、染五郎は、確か、ハムレットとオフェリアを演じた筈で、そのオフェリアの赤姫姿を見たように記憶しているが、二十歳前だったと思うので、美しかった筈である。
   その後、「春興鏡獅子」のお小姓弥生を観ており、とにかく、高麗屋の艶やかな女形は貴重だが、新しい染五郎にも、大いに期待できるのではないかと思っている。
   相変わらず、惟茂の錦之助の男ぶり、侍女かえでの高麗蔵の風格、が素晴らしい。
  
   豪華絢爛な義太夫狂言の傑作と言う「金閣寺」。
   今回は、三姫の一人と言う雪姫を、先代芝翫の孫、福助の長男の児太郎が、挑戦し、福助が、5年ぶりに復帰すると言う記念の舞台である。
   児太郎は、流石に、両先輩の薫陶を受けた成駒屋の伝統の芸を踏襲し披露して、しっとりとした素晴らしい舞台を務めあげて感動的。降りしきる桜吹雪に浮かび上がる、桜の木に縛り付けられて優雅に独演する雪姫の姿が、正に、浮世絵錦絵の世界である。
   幽閉されていた慶寿院尼役の福助が登場すると満場の拍手喝さい、凛とした口調も、美しくて品のある風貌も、以前と全く変わらず、ただ、まだ、右手と足が不自由のようで、左手で数珠を捧げ持っていた。
   児太郎の雄姿を眺めながら、歌右衛門・福助のダブル襲名披露の舞台が待ち遠しいと思った。

   舞台を支えたのは、此下東吉 実は 真柴久吉を演じた梅玉の貫禄と風格、そして、松永大膳を演じた松緑の偉丈夫などベテランの演技。

   とにかく、楽しい秀山祭のひと時であった。   
   
   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

都響・・・定期演奏会C ホルスト「惑星」ほか

2018年09月22日 | クラシック音楽・オペラ
   東京芸術劇場での「第861回 定期演奏会Cシリーズ」は、
   指揮者を予定していたオリヴァー・ナッセンが逝去したので、急遽、指揮者とプログラムを変更して、次の通り。

指揮/ローレンス・レネス
チェロ/ジャン=ギアン・ケラス
女声合唱/ヴォクスマーナ、女声合唱団 暁 *
合唱指揮/西川竜太

ナッセン:フローリッシュ・ウィズ・ファイヤーワークス(1993)
武満 徹:オリオンとプレアデス ─チェロとオーケストラのための(1984)
ホルスト:組曲《惑星》op.32 *
アンコール曲
デュティユー:ザッハーの名による3つのストロフより第1曲(チェロ/ジャン=ギアン・ケラス)

   冒頭の曲は、シェーンベルクの「5つの管弦楽曲op.16」であったのだが、ナッセンへの追悼のために、ナッセン作曲の「フローリッシュ・ウィズ・ファイヤーワークス(1993)」に変わった。
   この曲は、1988年、クラウディオ・アバドの後任として、マイケル・ティルソン・トーマスがロンドン交響楽団首席指揮者に就任した記念に、ナッセンが作曲したと言うことなので、当時、私は、ロンドンに住んでいて、ロンドン響のシーズン・メンバー・チケットを持っていて、バービカン劇場に通いつめていたので、聴いていたかも知れないと思って、何となく懐かしくなって聴いていた。
   4分足らずのダイナミックな曲だったが、指揮を終えたレネスが、指揮台上で、青い表紙の楽譜を譜面台から取り上げて、胸に当てて客席に向かって楽譜を優しくたたいた。

   武満 徹のこの曲は、初めて聴くのだが、これまで、コンサートで、結構、武満の音楽を聴く機会が多くなったので、あの独特の美しいメロディが、大分馴染んできて、楽しめるようになってきた。
   和楽器が加わる日本的な曲も興味深いが、今回は、曲想が、オリオンとプレアデス星団であるから、次のホルストの「惑星」と相通じる宇宙空間の描写と言うことでスケールが大きい。
   レネスは、武満のこの曲だけ、タクトなしの素手で指揮をしていた。
   わたしには、端正な好男子のジャン=ギアン・ケラスが弾く独奏チェロが、非常に美しくて感動的であった。
   アンコールに弾いたギアン・ケラスの「デュティユー:ザッハーの名による3つのストロフより第1曲」が、非常にユニークで、私など、左右に弓をボーイングするイメージしかないのだが、この曲は、ボーイングの豊かさのみならず、弦を器用に爪弾いたり、弓を小刻みに絃に叩きつけてメロディーを奏でたり、私にはよく分からないのだが、あらゆるチェロ奏法のテクニックを駆使した演奏のようで、それが、実に美しくて感動的なので、チェロの魅力と言うか、ロストロポーヴィッチやフルニエ、ヨーヨーマ、ジャクリーヌ・デュ・プレなどとは違ったものを感じて嬉しかった。
   弱音の美しさなど格別なのだが、10mほどの距離で聴いている私でさえ、必死になって聞き惚れるのがやっとなので、ブラボーと叫ぶ大向こうには聞こえている筈がないのである。
  
   ホルストの「惑星」は、ヨーロッパで、何度か聴いた。
   傑出したクラシック音楽の作曲家のいないイギリスにとっては、ホルストは最高峰で、ナッセンが、プログラムに選んだのも分かるし、私が感動した演奏も、指揮者は忘れたが、ロンドン交響楽団かフィルハーモニアであったような気がする。
   しかし、マルタ系オランダ人だと言うレネスは、ヨーロッパ各地の劇場でオペラ作品を振り続けていると言うから、とにかく、ドラマチックな音楽の展開は流石で、都響を縦横無尽に歌わせており、素晴らしく色彩豊かなスケールの大きな1時間を楽しませてくれた。

   この「惑星」だが、太陽系の惑星8つの天体のうち、地球を除いた7つの天体(水星、金星、火星、木星、土星、天王星、海王星)を1曲ずつ割りふり全7曲で構成される組曲である。
   冥王星は、2006年に準惑星に格下げされたので、これで良いとして、ダンテの「神曲」の天国では、当時未発見で、天王星と海王星が抜けているのが面白い。
   ホルストの惑星には、夫々テーマが設定されていて、第一の火星は、戦争をもたらす者、で、第一次世界大戦勃発の頃の作曲とかで、冒頭から巨大な破壊力が炸裂したような激しいオーケストラの咆哮が、圧倒的で、第二曲の金星は、平和をもたらす者で、穏やかで安らぎを覚える美しい曲と言った感じで、とにかく、全曲、「展覧会の絵」のように、次々と変わって行く楽想の変化が、無性に楽しくて興味深い。
   最終曲の「海王星」は、舞台の背後に隠れた二つの女声合唱グループ(女声合唱/ヴォクスマーナ、女声合唱団 暁 )が、遥か彼方から、天国からのような美しい歌声を響かせて感動的。
   これまで、ダンテの「神曲」の天国篇を想起しながら「惑星」を聴いていたが、ここで、やっと、ダンテが、ベアトリーチェに導かれて天国に登り、神の愛を悟って至高の境地に至ったと言うイメージが湧いてきた。
   

   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍3選:殆ど変わらない日本

2018年09月20日 | 政治・経済・社会
   朝日新聞デジタルで、”総裁3選、財界から注文も「具体策あまり語られず残念」”のタイトルの記事が出ていた。
   そのまま引用すると、次の通りで、経済団体のトップが、このもの言いであるから、これまでと殆ど変化がなく、賞味期限切れのアベノミクスの焼き直し程度で、経済政策など、日本経済の将来については、多くを期待できないと言うことであろう。
   ここ何十年も、日本のGDPは、500兆円前後で、安倍政権の6年でも殆ど変わらず、鳴かず飛ばずの日本経済。600兆円などは夢の夢の空手形。
   「自民党総裁選で安倍晋三首相が3選を決めたことについて、経済3団体が20日、コメントを出した。政策の継続性から歓迎しつつ、社会保障などの改革の徹底を求めた。
   経済同友会の小林喜光代表幹事はコメントで「持続可能な日本の将来像とその実現に向けた具体策があまり語られなかった点は残念」と指摘し、経団連の中西宏明会長は「社会保障改革などの重要政策課題を実行していただきたい」と訴えた。日本商工会議所の三村明夫会頭も、地方創生などの課題に正面から取り組むよう求めた。」

   選挙結果については、国会議員票は、所謂、権力者に靡く人々の選択であるから論外として、今回の自民党の投票結果は、地方票に体現されているように、安倍55%、石破45%と言うのが、正直なところであろう。
   党派を超えて日本全体の選択であれば、結果はどうなるか、押して知るべしで、非常に興味のあるところである。

   先日、NHKの国際報道2018で、パナソニックのインド子会社が製造したMade in Indiaの自動炊飯器が、日本で売り出されると報道していた。
   厳しい日本の品質基準を満たしたうえに、炊飯器が生まれた日本市場に、炊飯と同時にチキンカレーなど多用途の調理ができる"Made In India"の炊飯器を、9000円程度で輸出すると言う、インド事業において一つの大きな金字塔を打ち立てたと言うのである。

   これは、これまで、このブログで、何度も論じて来た、ゴビンダラジャン教授などの唱えたリバース・イノベーションの一種なのだが、私の言いたいのは、この一事においても、時代の潮流は、最早、レッドオーシャンの日本の大企業の時代ではなくなってしまっていると言うことであり、この路線を踏襲する日本の政治には、明日はないと言うことである。

   先日、日経に、自動運転については、グーグルがトップで、トヨタが後塵を拝していると報道していたが、これなどは、当然の趨勢で、ハードな機器としての自動車の時代はとっくに過ぎ去ってしまって、コンピューターの塊とも言うべきICT技術ノウハウの集積となっており、ハードは、下請け業務にしか過ぎなくなってしまっていて、主役は交代してしまっており、持続的イノベーション線上の経営に汲々として、破壊的イノベーションに果敢に挑戦できなくなれば、時代の激流にさえキャッチアップ出来なくなるのは必定である。
   世界最高峰の技術と経営資源を擁するトヨタでさえ、このような危機に直面しているのであるから、他の日本企業の将来は、推して知るべしで、まして、司令塔の政治に、新時代への果敢な方向転換の兆しさえ期待できないとなると、まさに、悲劇である。

   次世代産業技術をめぐる覇権争いの象徴とも言うべき「中国製造2025」を、トランプは、必死になって叩き潰そうとしているが、2Gの熾烈な次代への経済戦争の谷間で、普通の国になってしまい、益々、萎縮して行く日本の将来はどうなるのか。
   トランプも、マクロンも、Brexitも、全く予想外の結果であり、極端な右傾化を伴って、世界中の政治が、予想をはるかに超えた大激動とも言うべき地殻変動を起こしており、全く新しい予測のつかない現象が起こっており、明日が見えなくなってしまった。

   しかし、幸か不幸か、日本だけは、変わりそうになく、憲法だけが、ひよっとして、変わってしまうかもしれないと言うこの現実。
   良いのか悪いのかはわからないのだが、安倍三選の今日、こんなことを考えたのである。
   
   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わが庭・・・ツユクサが美しい

2018年09月19日 | わが庭の歳時記
   今、わが庭も路傍も、ツユクサが綺麗に咲いている。
   英名Dayflower は、「その日のうちにしぼむ1日だけの花」と言う意味で、朝綺麗に咲いたかと思うと、午後には、萎んでしまう、実に儚い花である。
   命短し 恋せよ乙女 と言う歌があるが、女性の場合には、歳それぞれに、時分の花があるので、乙女だけに拘ることはないのだが、ツユクサの場合には、ほんの朝だけと言う束の間の命。
   その間に、昆虫が近づいていたところを見たことがないのだが、雄蕊と雌蕊が大分離れているので、どのようにして受粉するのか、いつも、心配して見ている。

   「花おりおり」によると、古名は、つきくさ、青色で紙や布をつき染めたと言う。
   今でも、京都の友禅の下絵描きに使われているようである。

   雑草で、50センチほど茎を伸ばして地面を這ったり、庭木を覆うので、多くは間引いているのだが、しかし、このツユクサだけは、意識して、多少は、株を残して楽しんでいる。
   
   
   
   
   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大船フラワーセンター・・・萩、ヒガンバナ、ひまわり

2018年09月18日 | 鎌倉・湘南日記
   久しぶりに訪れる大船フラワーセンター、
   まだ、夏の雰囲気が残っていて花は寂しいのだが、秋の気配が漂っている。  
   

   真っ先に目についたのは、黄色いひまわりの花。
   ひまわりについては、やはり、ヨーロッパの風景で、強烈な思い出が残っている。
   例えば、フランスで、ロワールへ抜ける細い街道で、広大なひまわり畑に入り込んで、真っ黄色の海の中に潜り込んだ感じで、四面極彩色のチューリップ畑に埋没したオランダのリセの春を思い出したこと。この時印象的だったのは、やはり、ヒマワリで、一輪も違うことなく、太陽の方角に向いて花が開いていることであった。
   もう一つは、イタリアのアッシジからシエナへ列車で向かう途中、乗り継ぎ列車が運休して臨時バスに乗り換えて田舎道を走った時に、車窓から見た見事なひまわり畑で、こぼれた種が開花してあっちこっちの川岸や土手に咲き乱れていたことである。
   
   
   
   

   やはり、秋は、萩である。
   このフラワーセンターには、一列渋滞に色々な種類の萩が植えられているのだが、ミヤギノハギとセンダイハギくらいしか知らないので、名前など覚えられないのだが、花色が赤紫か白交じりか、それに、花の大小くらいしか見分けがつかない。
   
   
   
   
   
   
   
   
   

   もう一つの秋の花は、当然、ヒガンバナ。
   この花は、不思議にも、間違いなしに、何もなかった地面から茎を伸ばして、彼岸前後に咲く。
   これと同時に、ススキの穂が靡き始めた。
   
   
   
   
   
   
   
   酔芙蓉やムクゲなども咲いているが、花弁がか弱いので写真には撮り難い。
   
   
   
   
   温室は、真夏の風情で、開けっ放し、花の種類も一気に少なくなった感じだだが、それなりに、咲いている。
   何時ものように、睡蓮が、、咲いている。
   花の先端に、イトトンボが止まっていた。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   ばら園は、ちらほら、咲き始めているが、まだ、蕾も小さくてかたい。
   一番古いHTのラ・フランスが、一輪だけ咲いていた。
   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国立能楽堂・・・開場35周年記念公演 嵐山・猿聟・定家

2018年09月17日 | 能・狂言
   今度の《開場35周年記念公演》は、次の通り。
   能 嵐山  白頭働キ入リ 金春 安明(金春流) 
   間狂言 猿聟       野村 万之丞(和泉流)
   能  定家        浅見 真州(観世流)

   この公演で、楽しみにしていたのは、能「嵐山」の替間として本格的な狂言「猿聟」が演じられることで、本来、それ程長くない曲が、2時間近くの舞台となって、特別な雰囲気を醸し出しているのである。
   能「嵐山」と狂言「猿聟」は、夫々、別々の公演で観ていたのだが、幸い、3年前に、今回と同じように同時に上演された舞台を観ており、   
   厳粛で精神性の高い神がかり的な能「嵐山」の前場と後場との間に、上質なパロディ版とも言うべき吉野の猿が嵐山に聟入りして目出度く酒宴を催して舞い納めると言う本格的な狂言「猿聟」を替間にした能「嵐山」が演じられるので、それを楽しみにしていたのである。

   能は、観世流で、今回の金春流と演出が、大分違っていた。
   前シテ/老翁(金春安明)と前ツレ/姥(金春憲和)が登場して、ワキ/勅使(飯冨雅介)たちと会うのは同じだけれど、
   前場のシテの老翁が、後場では、後ツレとなり、後シテは、蔵王権現として登場するのだが、今回の金春流では、後ツレの勝手明神と子守明神は、子方が舞っており、白頭働キ入リの小書のある舞台だったので、後シテは、通常の赤頭ではなく、白頭を着けて位が重くなり、観世流にはなかった舞働を舞って舞台を盛り上げていた。

   能「嵐山」は、嵐山の桜が勅命によって吉野から移植されたので、その見事な桜を泰平の御代の象徴として、その吉野の蔵王権現、木守明神、勝手明神らの神々守護すると言う、御代の安寧を祈念する脇能である。
   しかし、実際には、吉野から移植されたのは、後嵯峨院が嵐山の対岸の仙洞御所へ移植した桜であって史実とは違うようだが、吉野詣では遠くて大変だから、吉野の神木桜を1000本も移植したのであるから、ご利益も同じであろうと言う簡便法であろうか。

   前の公演の狂言「猿聟」の方は、萬狂言であったので、同じ野村万蔵家の舞台で、聟猿は、野村太一郎が、舅猿は、野村祐丞が演じていた。
   狂言の「猿聟」は、通常の人間の「聟狂言」でも良いのだろうが、猿の聟入りと言うことなので、登場人物は、総て猿の面をつけて、キャーキャーキャーと言った猿言葉で演技をするのがご愛敬である。
   他の「聟狂言」とは違って、失敗談や滑稽味などはなくて、聟入りして酒宴を催し、舅(野村万蔵)と聟が目出度く舞い納めると言う、正に、祝言コメディであり、万蔵・万之丞親子の息の合った演技が見事であった。
  
   さて、能「定家」は、初めて見る曲である。
   旅の僧(ワキ/宝生欣哉)が、にわか雨を避けて東屋に向かうと、一人の女(前シテ/浅見真州)が現れ、この地は藤原定家が雨の風情を眺めるために建てた“時雨亭”であると教えて、式子内親王の墓に案内し、石塔を覆っている葛こそ定家の執心が変じた“定家葛”だと告げる。かつて内親王と定家とは恋仲であったが、世間に浮名が立ったため逢うことが叶わず、亡くなった内親王を定家が恋い慕ったために、こうして今なお定家葛に纏わりつかれているのだと語り、女は、自分こそ内親王の霊だと明かすと、束縛の苦しみからの救済を願いつつ、姿を消す。
   僧が弔っていると、塔の内に憔悴した式子内親王の霊(後シテ)が現れた。僧は法華経の功徳で葛をほどいて彼女を抜け出させる。内親王は感謝の舞を舞うが、自らの衰えを恥じて、人知れず定家との愛欲の苦海に生き続けることを選び、自ら石塔へと戻って行く。
   
   この能では、式子が、死後も定家の盲愛に縛られて苦しめらている姿を、定家の思いが葛の蔓となって式子の墓をを縛り付けている姿で現されている。
   式子は、後鳥羽院の御宇の方で、加茂の斎宮になったが、まもなく退いて歓喜寺に住んでいた時に、定家が通ってきて深い仲になった。
   斎宮の未婚の内親王として自由な恋は許されなかった身であった所為もあってか、定家との恋に溺れ込んだのであろう。
   しかし、後鳥羽院の知るところとなって二人は逢えなくなり、式子は亡くなり、定家の盲愛冷めやらず、死後に、定家の執心が、式子の墓に蔦葛になって絡みつき、式子の霊を苦しめ続ける。と言うのである。
   年齢的に、定家の方が幼過ぎて恋にはならないと言うことだが、両者とも歌の名人で、歌での交流があったとか、色々、恋の交歓の逸話が残っていて面白い。

   大歌人定家の能であるから、詩情豊かな歌のある曲だと思っていたのだが、期待に反して、実に暗い能であって、意外な感じがした。
   後場の後シテ/式子内親王は、痩女の面をつけた老醜を恥じる女性なので、序ノ舞と言っても、優雅で美しいと言う雰囲気ではなく、恋の妄執に苛まれる姿そのままで、何となく陰鬱な感じで、最後は、作り物の細い竹の柱にまといつくように中に入ったり出たりしてまわり、橋掛かりに出て、ゆっくりと幕へと消えて行く。

   この能の舞台となっている時雨亭については、
   嵯峨に時雨亭三ヶ所あり、常寂光寺・二尊院・厭離庵これなり。
いずれも定家山荘跡とうたい、後世好事家により造営されしもの、その跡なり。昭和10年代には国文学者の考証ほぼ出揃い、定家の造営せる小倉山山荘跡は常寂光寺仁王門北、即ち二尊院南にして・・・と言われていて、定かでないようだが、私は、一応、二尊院の本堂裏の山道を登って、「時雨亭跡」として石組が残っている跡地を訪ねている。
   いずれにしろ、この3か所とも近くにあり、小倉山の山懐の山深い山里の中にあって、何処と特定しなくても、定家の小倉百人一首や時雨亭のゆかりの地は、このあたりであったと思って歩けば、それで十分ではないかと思う。
   私は、京都の学生の頃、百万遍には向かわずに、桂から沈没して、嵐山や嵯峨野を歩き回っていたので、このあたりは良く知っているのだが、秋の紅葉は言うに及ばず、自然の織り成す風景の美しさと限りなく詩情を誘う風情の豊かさは、格別である。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わが庭・・・ハナトラノオ咲く

2018年09月16日 | わが庭の歳時記
   四方に紫の小花をつけて伸びるハナトライオが、庭のあっちこっちに咲き始めた。
   しそ科の草花で、バージニア生まれだと言うから、比較的日本では新しい花である。
   私の植える花は、何故かピンク系統が多いのだが、青紫の雰囲気も良い。
   
   


   花もそうだが、私の関心は、椿。
   ぼつぼつ、来年の春に咲く椿の蕾がはっきりと姿を現して充実してきた。
   蕾のふくらみを見て、順調に育っているのを確認して、来年の春を思うのが楽しみになっている。
   蕾は、至宝、青い珊瑚礁、タマグリッターズ。
   沢山の実をつけた枝からは、適当に蕾を間引いた。
   綺麗な花を楽しみにしている。
   
   
   
  
   まだ、紅葉には早いのだが、少し傷み始めた柿の木の錦繍の葉が、綺麗に色づき始めた。
   この木は、葉の美しさを愛でて葉を利用するようだが、私は、鮮やかな紅い紅葉よりも、このような色彩の入り組んだ歪な色模様が好きである。
   さて、雨が多い所為か、もみじの獅子頭が、まだ、真面な葉を維持している。
   このもみじが、真っ赤に色ずくと非常に美しいのだが、関東の気候には合わず、紅葉する前に、葉がちじれたり枯れたりして、鑑賞には耐えられなくなるので、今年は頑張ってほしいと思う。
   ジョロウグモが、網を張って、獲物を待っているが、小さな虫が少なくなったような気がする。
   
   
   
   

   さて、余談だが、先日、ワットマンで、16年前の古い望遠レンズ70-300ミリ、F4.0-5.6、を安かったので、ダメもとで買った。勿論、デジタル用でもなければ、手振れ補正もないのだが、試みに、今日のこのブログの写真は、そのレンズで撮った。
   私は、三脚を遣わず、手持ちで撮っているので、手振れが多いのだが、まずまずであったと思う。

   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国立劇場・・・「増補忠臣蔵 本蔵下屋敷の段」

2018年09月14日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   「増補忠臣蔵 本蔵下屋敷の段」は、明治に入ってからの浄瑠璃で、一幕もので短いものではあるが、正に増補で、名舞台である九段目の「山科閑居」のストーリーを補完して余りあるほどよく分かって面白い。

   高師直に賄賂を与えて主君若狭之助の命を救った本蔵は、そのとばっちりを受けて刃傷に及んだ塩冶判官を、殿中で背後から抱きかかえて制止したので、いわば、若狭之助を諂い大名にし、塩谷家や大星にとっては、本懐を邪魔した憎き張本人。
   塩冶判官の本懐を遂げるべく仇討に向かう大星由良之助の息子大星力弥と本蔵の息女小浪とは許嫁関係にあり、破談を回避して娘の願いを叶えるために、本蔵は、力弥に討たれるべく山科の大星邸に向かう、その前日の若狭之助との感動的な別れの一幕である。
   若狭之助は、本蔵の忠義に感謝し、娘可愛さに力弥に討たれるべく死地に赴く本蔵の本心を悟って、本蔵に暇を与えて、山科の大星家に向かうために、虚無僧衣装など旅支度を準備してやり、更に、高師直邸の絵図面を与えるのである。
   今回も国立劇場のHPを借用するが、この写真は、若狭之助に見送られて本蔵が旅立つラストシーンである。

   前半には、悪臣・井浪伴左衛門が、主君の殺害を目論んで茶釜に毒を仕込んだり、塩冶判官の弟縫之助の許嫁である若狭之助の妹三千歳姫を拉致しようとするのを、本蔵が救うシーンが描かれているのだが、蛇足とは言わないまでも、本筋とは関係ない。しかし、三千歳姫が縫之助への思いを吐露したり、本蔵を送るために、暇乞いの琴を奏すると、若狭之助の命で、本蔵も尺八で唱和して別れを惜しむ、抒情的なしっとりとした雰囲気が実に良い。
   
   文楽で記憶のある「増補忠臣蔵」の舞台を観たのは、七世竹本住大夫引退公演の時で、若狭之助を遣ったのは、今は亡き文壽で、その前も文壽であり、それ以前は、初代玉男が遣っていたのだが、毎回間違いなしに、文楽劇場に通っているので、これらの舞台も観ている筈だが、記憶はない。
   今回、若狭之助を遣ったのは、襲名間もない玉助で、非常に風格のある端正な殿様然とした重厚な人形で、流石の見せる舞台であった。
   加古川本蔵は玉志、井浪半左衛門は玉佳、三千歳は一輔であった。

   凄かったのは、浄瑠璃で、前 呂太夫と團七、切 咲太夫と燕三、琴燕二郎、
   今回の3演目の内、義太夫と三味線は、この「増補忠臣蔵」に極まった感じの熱演であった。

   歌舞伎では、人形浄瑠璃で上演されていたのを、明治30年12月京都南座で、初代中村鴈治郎が若狭之助を勤めて好評を博し、その後、二代目、三代目の中村鴈治郎に引き継がれ、東京の大劇場では65年ぶりの上演だと言う当代四代目の中村鴈治郎が初役で若狭之助を勤めた今年3月の舞台を、この国立劇場の大劇場で観たのだが、素晴らしい舞台であった。
  
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国立劇場・・・文楽「南都二月堂 良弁杉由来」

2018年09月13日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   実に崇高な感動的な人形浄瑠璃である。
   この浄瑠璃は、明治150年記念作品として上演されており、石山寺の開基として崇拝されている良弁僧正の伝記を脚色した明治期新作浄瑠璃の佳作であり、ストーリーもモダンで極めてストレートであるから、当然であろう。

   菅原の臣水無瀬の後室渚の方は、茶摘み見物の時、遺児光丸を鷲にさらわれ、狂気してわが子を探して諸国を流浪の果て、30年後、淀の船上で、鷲にさらわれたと言う東大寺の良弁僧正の話を聞き、一縷の望みを胸に東大寺に彷徨い辿り着き、親切な伴僧の助力によって、二月堂の杉の大木にわが子を探す貼紙を張り付け置いたところ、二月堂を訪れた良弁僧正がその張り紙に気づき、その主を尋ねると、年老いた女乞食が現れ、話の内容と子供の身に着けておいた家伝の如意輪観音が証拠となって、女乞食は渚の方で、良弁が探し求めた光丸だと分かって、母子は涙の対面を果たす。
   この口絵写真も、国立能楽堂のHPからの借用だが、親子の再会を果たした瞬間である。

   この同じ舞台を、今年の1月、大阪の国立文楽劇場で、観ている。
   口絵写真通り、玉男が良弁僧正を、そして、和生が渚の方を遣っていた。

   しかし、私が初めて文楽で「良弁杉由来」を見たのは、8年前で、良弁僧正を和生が、渚の方を文雀が遣っていて、非常に感動したのを覚えていて、次のように書いている。
   子を思う母の切ないまでの艱難辛苦の30年の日々が、証拠となる如意輪観音のお守りの仲立ちで、高僧となった雲の上の人の純粋無垢の親を思う気持ちが一つとなって昇華して行くラストシーンが感動を呼ぶ。
   和生の良弁の神々しく上品な佇まいが秀逸で、殆ど動きのない人形遣いなのだが、和生の顔までが輝いて見える。
   玉男が、良弁の首は、能面のような面差しで目も描き目で動かない上に、殆ど動きのない役どころなので、頭の微妙な角度や目線一つで感情の表現するなど非常に難しいと言っているが、和生は、文雀の左で玉男の芸を学んだのであろう。
   文雀の渚の方は、最初から最後まで出ずっぱりだが、品の良い奥方から、全国を流浪するうらぶれた老婆まで、しかし、襤褸を纏った乞食に落ちぶれようとも、心は錦、文雀の遣う人形が、苦しさに号泣しながらも高貴さをどこかに保ちながら、ただ一途に子を思うひたすらな生き様を髣髴とさせて感激しながら見ていた。

   もう一つ忘れられないのは、12年前に観た歌舞伎の舞台で、仁左衛門の良弁僧正、先の芝翫の渚の方で、顔の表情までもビビッドに覚えていて、印象記は次の通り。
   良弁僧正は日本屈指の偉大な高僧だが、仁左衛門は、実に厳かに威厳を持って登場し、正面右手の石段途中で立ち止まり、杉の木の因縁を語り師の厚恩と父母への思いを語る。この辺りから大僧正ではなく無垢の人間に戻って、杉の木に張られた一枚の紙切れが縁で、乞食に落ちぶれた実母渚の方との涙の対面を果たす。
   仁左衛門は、筋書で「本当に純真で母を思う気持ちはほとんど童心に近いと私は解釈して演じています。」と言っている様に、張り紙の場から最後まで、大僧正と言う威厳と権威をかなぐり捨てて、しかし、高僧としての品格と品位を実に上手く保ちながら、捨て身で母と子を演じている。
   渚の方が語る話を、大きく身体をその方向に傾けて身じろぎもせずにじっと渚の方を見据えて聞き続けている。錦の守り袋に収められた如意輪観音の話を聞くと大きく身体を崩して胸に手を入れる。母だと分かると駆け寄ってしっかり母を抱きしめ涙にくれる。
   渚の方を演じる芝翫が、実に上手い。プロンプターの声が大き過ぎることと多少タイミングがずれる点を差し引いても、哀切の限りを尽くして語る悲哀と良弁との親子の対面での込み上げる喜びを表現する至芸は実に感動的である。今でも、嗚咽を必死に抑えて顔を引きつらせて良弁に縋りつく芝翫の感極まった表情を思い出すのである。
   仁左衛門は、「菅原伝授手習鑑」の菅丞相を彷彿とさせるのだが、同じ品格と格調を要求される役柄でも、あの場合は殆ど感情を表面に出さずに抑えた演技なのだが、この良弁は、童心に返って嗚咽に咽び母と子の愛情を表す。

   さて、余談が長くなったが、それ以前に上演された「良弁杉由来」は、初代玉男の良弁、文雀の渚の方が続いていたのだが、今年から、夫々の一番弟子である玉男と和生が人形を遣っていて、本格的な芸の継承がなったと言うことであろう。
   和生は、良弁僧正と渚の方と両方の舞台を観ているのだが、流石に人間国宝、今回は、貴人の奥方から、狂人紛いの乞食、僧正に会ってからの母心への回帰へと実に雄弁に女人を演じきった。

   初代玉男は、「人形有情」の「良弁の威厳」で、「じっと動かないで立っている間がエライ、首自体は軽いが、衣装の袈裟が重く、下がドシーっとしてバランスが悪く、遣いにくい。首を動かそうとしてもなかなか思うように動かない。慣れて来んかったら遣えませんで。」と言うなど、舞台の相当長い時間、直立不動で立ち続ける良弁人形の大変さを語っている。一度だけ、首を動かすのは、渚の方が、「恐れ多くも僧正の」と言いながら平伏する時で、それまでじっと渚の方の顔を見ているのだが、自分のことをいうてるなと思って、一寸首を逸らせるのだと言う。
   良弁で一番難しいところは、「この品にてはあらざるか」と守り袋を見せた後、「そんならあなたが」「そもじが」と言って、見つめ合って前に出て抱き合うシーンで、絶対に母への目線が外れてはならない。良弁があんまり涙を流すのも良くない。良弁が泣くのは、渚の方と抱き合う時など計4回にしています。と言っている。

   ところで、忠実で初代に傾倒している玉男のことであるから、この初代の芸をそのまま舞台で継承していたのであろうが、実際に、玉男の良弁人形を観ていて、感動すれども、初代の指摘していた細かいことは総て忘れてしまって、玉男がこのあたりをどのように遣ったのか全く気付かずに、夢中で舞台に惹き込まれ続けていた。
  
   二月堂の段の義太夫は千歳太夫、三味線は富助、実に素晴らしい、しばらく、感動が冷めやらなかった。
   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする