熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

混沌とした世界情勢に思う

2022年12月31日 | 
   2022年も今日で終る。
   ロシアが、ウクライナに侵攻するという想像を絶するような自体が発生した。
   前世紀末に、ベルリンの壁とソ連が崩壊して、自由民主主義が世界を席巻して歴史の終わりが唱えられ、ICT革命による急速な経済発展と呼応して、中国やインドなどの新興国の台頭とグローバリズムの進展によって、人類社会は発展と平和を謳歌してきた。
   少なくとも、第二次世界大戦終結後、長い間、世界情勢は幾多の危機に直面しながらも、成長発展平和基調で推移して、今回のように第三次世界大戦瀬戸際まで追い詰められるようなことはなかった。
   その平安が、ロシアのウクライナ戦争によって、一瞬にして葬り去られてしまったのである。

   このあたりの世界情勢につては、昨日の日経の「2023 混沌を読む」の、リチャード・ハース米外交問題評議会議長の見解がかなり正鵠を射ているように感じている。
   ウクライナ戦争は、双方が妥協の用意があると思えないし、停戦が望ましいと思わないので、長期化する。
   ロシアは核兵器を使わないだろう。使用すれば、米国、NATOが直接介入する可能性が高い。ウクライナに勝てないロシアが米国、NATOに勝てるはずがない。通常兵器による戦争継続が最もあり得るシナリオだ。と言うことだが、全く異存がない。

   今回のウクライナ戦争で、ハッキリしたことは、ロシアが、世界が考えていたような強国でも大国でも何でもなく、弱い国であると言うことである。
   しかし、同時に分かったことは、国連などの動きから観ても世界は分断状態にあって、最早、アメリカを中心とした自由民主主義陣営が世界の体制や秩序を支配する時代ではなくなってしまったと言うことである。
   ロシアについては、石油や天然ガスなど豊かな自然資源などに於ける世界的な影響力は当分続くとしても、既に、国力の低下と世界の孤児への地位転落による国威失墜などにより、ドンドン弱体化して行かざるを得ないであろうと思う。

   中国に関する見解については、ハース議長と少し違っている。
   台湾防衛に関して、戦略的曖昧さを止めて、米国が台湾防衛に乗り出すと中国に理解させるのが重要だと言うことについては、既に、バイデン大統領がそう宣言しているので既成事実であろう。
   しかし、中国との経済関係について、日本は、台湾有事で対中制裁を制約しかねないので、デカップリングを主張しているのではなく依存を低減すべきであるとか、日米台の軍事連携を強め、合同演習を真剣に考えるべきだなどとタカ派的な見解を述べているが、これはどうかと思っている。

   習近平が優先する課題は、新型コロナウイルスへの対処と国内経済の回復だ。と言うことで、
   台湾への侵攻については、台湾周辺の演習や領空侵犯を続けても、大規模紛争は起こらず、23年に行使することはない、
   心配なのは数年後、潜在的に行使可能になる中国の軍事力で、危険なのは、26~27年を含む今後10年間だ。と言う。
   これについては、そうかも知れないが、経済政策については、
   私は、これまで、著名な経済学者などの見解を紹介しながら、習近平一頭支配下に移行して中国経済は打撃を受けて下降傾向になって、2030年代にアメリカを凌駕するのも怪しくなったと言った悲観的な考えを述べてきた。
   多言は避けるが、イエスマンばかりの政治体制を敷き、突出した経済トップやブレイン、テクノクラートなどを重用せず、確たる経済政策を明示し得ない状態では、習近平が、国内経済の回復を優先しているとは思えない。
   コロナ対策についても、中国製ワクチンが信用できないとか医療体制の崩壊など致命的な危機に瀕しており、更に、感染爆発で最近益々深刻な状態に陥って世界の空港から排除されるなど、ゼロコロナ対策時以上に状況が悪化している。
   いずれにしろ、中国の国内経済の悪化とコロナ危機の深刻化で、ロシア同様に、世界情勢のお荷物になっている。

   Gゼロ時代だとか、G2時代だと言われて既に久しいが、私は、政治体制としては多くの問題があるとしも、世界秩序の維持安定のためには、覇権国が存在して、かってのPaxBritannicaやPaxAmericanaのような体制を構築することが好ましいと思っている。
   今回、世界的安定には役不足とはいえ、ウクライナ戦争の勃発で、アメリカを中心にEU、日濠などの先進民主主義国家が結束して対処するなど、体制維持の環境が整っているのは、歓迎すべきであろう。
   私は、ウクライナ戦争については、ロシアもウクライナも後戻りは利かないので、体力勝負であり、ドンドン国力を疲弊消耗して行くロシアの体力次第だと思っている。
   イエレン財務長官がいみじくも言ったが、国際貿易はフレンドショアリング、
   国内経済は、出来る限り自給自足を意図した自立体制、
   グローバリゼーションの一挙後退に伴って、同盟関係の再構築など、国家間の合従連衡等々、
   世界中は大きく鳴動して行く、
   新しい年は、そんな年になろう。
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NHKの大河ドラマと「鎌倉殿の13人」

2022年12月29日 | 映画
   NHKの大河ドラマだが、今年の「鎌倉殿の13人」が第61作目だという。
   第1作の「花の生涯」が、1963年だと言うから、もう随分歴史のある記念的なテレビドラマである。
   私の大学時代からのスタートであるから、殆ど記憶がなくなっているが、この間、14年間、海外生活を送っているので、15~6回は見ていないけれど、かなり、熱心にテレビの前にかじり付いていたと思う。
   しかし、録画は続けていたものの、最近では、2016年の第55作の「真田丸」の後半から何故か見なくなっていたのだが、今年は、我が町「鎌倉」が舞台なので、珍しく、ほぼ最初から最後までずっと見続けてきた。
   息の長い連続ものなので、途中で途切れてしまうと見なくなってしまうのだが、見始めると途中で止まらなければ最後まで続く。

   「鎌倉殿の13人」は、少し、殺伐としていた所為もあって、視聴率は良くなかったようだが、私は歴史物が好きなこともあって、違和感なく楽しませて貰った。
   史実とは多少違った筋立てや、フィクション場面があったりして、物語性を増幅してはいたが、器用な脚色で魅せてくれた。お笑いや娯楽性を意識して削いだのか、正攻法の歴史物語としてストレートに演じていたようで、私には、好ましかった。

   主役「北条義時」を演じた小栗旬については、もう、20年近く前から、蜷川幸雄の一連のシェイクスピア戯曲に出演して、シェイクスピア役者としての素晴しい舞台を観ていたので、非常に期待して観ていた。
   イギリスでは、ローレンス・オリヴィエ、ケネス・ブラナーを初めとして、名優の多くはシェイクスピア役者であり、私など、RSCの舞台に通いつめていた頃があるので、特に、舞台でのリアルな演技に感銘を受けている。
   私は、小栗旬の義時には、テレビであるからアップが多いので、微妙な仕草や特に顔の表情などの心理描写を注視していて、その表現の豊かさやその繊細さに魅せられていた。シェイクスピアの舞台ではないので、重要な台詞回しは大分雰囲気が違っていて、映画同様の会話調なのだが、いずれにしろ、何の夢も野心もない平々凡々とした田舎の若侍から、徐々に試練を潜り抜けながら権力の頂点に上り詰めて行く義時の数奇な運命を巧みに演じきっていて壮快であった。
   今日の放映の「総集編」を観ていると、早回しの映像のように微妙なニャンスは消えてしまっているが、義時の生きとし軌跡が良く分かって面白かった。

   もう一つ興味深かったのは、歌舞伎役者の登場で、実際に舞台で観たときの印象と大分違っていて、別な人物像が見え隠れしていて非常に新鮮であった。
   彌十郎、猿之助、愛之助、松也、獅童、染五郎などの突出したキャラクターの表出など出色で、シェイクスピア役者や宝塚歌劇出身の女優など舞台経験を経た役者の演技には、それなりに舞台で積み重ねや年期以上の蓄積があらわれるのであろう、実に芸達者である。

   頼朝の大泉洋や政子の小池栄子初めとして殆どの役者は、映画やテレビでしか観ていないのだが、流石にNHKで、非常に人を得た見事なキャスティングである。
   一人一人に感慨を覚えながらも上手く表現できないのが残念なのだが、演技とは言え、その人物に成り切っていて、何の抵抗もなく物語に引き摺り込まれて、喜怒哀楽を共にして観ていて、歴史を追体験しているつもりになるのだから、たいしたものである。
   能面を付けた能楽の舞台と同じで、時代劇であるために髪型や衣装など登場人物が今様でないので、その分、現実離れしていて余計に劇的効果が増幅されて、役者の地が消えてしまう感じで都合が良い。

   やはり、大河ドラマは、それだけの値打ちがあり、1年間通して観ていると色々教えられることがあって、それに、日本の歴史に触れて、古典芸能とは違った日本文化の息吹を感得して楽しむ良さがある。
   総集編を見ながら、オリジナルの映像を思い出しつつ、物語を追っていた。
   
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良いお年をお迎えください

2022年12月28日 | 
中村さま

 今年も押し迫りました
「熟年」を 都度拝読していますが 益々 ご壮健のご様子  何よりと存じます
今年は「熟年」のおかげで これまでとは違った一年を過ごすことができました
お礼を申し上げます
世界全体を見ると 経済面では 日本を除く各主要国が永年の低金利政策から脱却し
成長に軸足を移し始めた年でありました
ただなんといっても最大の問題は ウクライナであり 世界全体が大きな影響を
受けているということでしょう 経済的な面は無論ですが 私が一番憂いているのは
特に日本において 突如として軍備拡張の動きか高まったことです そして世論調査の
結果を見ると専守防衛 exclusive defense にとどまらず 敵基地攻撃能力の保有に
賛成と答えた人の比率が なんと一番高かったことです
心穏やかならぬ年の瀬ですが 新しい年が 平穏な一年でありますように祈るばかりです
よいお年をお迎えくださいましように
年末のご挨拶まで                     中根 


中根さん

ご連絡有り難うございます。
生きている証として書き始めたこのブログも、来年3月で丸18年、
備忘録のつもりでもありましたので、時々読み返して感慨に耽っています。お読み頂き感謝しております。
1年下の日銀に行った安木君が、生きている間に、日本の経済的凋落を見たくないと言っていましたが、日本が、これだけ、失われた30年に苦しみ抜き成長発展から見放されるなど、Japan as No.1として快進撃していた日本国をバックにして、欧米人を相手にして、切った張ったのグローバルビジネスに明け暮れていた我々には信じられません。
それに、誰も気にはしていませんが、いくら人類の文化文明が発展したと言っても、ヒトラーやスターリンと言ったような人物が登場して気が触れれば、人類社会が一気に吹き飛んでしまうということ、そうでなくても、地球温暖化によって、茹でガエル状態になって人類が消滅すると言う危機線上にあると言うことを忘れてはなりません。
現に、プーチン一人の悪魔の振る舞いによっって世界中が塗炭の苦しみに呻吟しているにも拘わらず、制止し得ない人類社会の不幸を、どう考えれば良いのか。そんな脅威的悪徳為政者に囲まれた唯一の当事国である日本が、お粗末限りない国内問題や政争に明け暮れて迷走する悲しさ浅ましさ。
慚愧の極みですが、もうすぐに去りゆく老人の戯言と言うことで、笑い飛ばしております。
色々あった1年でしたが、少しは明るい年になることを祈って、新年を迎えたいと思っております。
良いお年をお迎えください。
益々のご多幸を祈っております。
    中村
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渡辺 順子著”「家飲み」で身につける 語れるワイン”

2022年12月26日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   渡辺 順子の”「家飲み」で身につける 語れるワイン”を手に取った。
   ワインについては、欧米生活に始まって沢山の本を読んで飲み続けてきたのだが、いまだに、良く分かっていない。
   系統立てて教養として積み重ねるのではなく、その場その場刹那的な知識の蓄積なので、何時も振り出しに戻る。
   それでも、かなりの経験のお陰で、それなりに満足してワインを嗜んでいるのだから不思議である。

   イギリス人達との会食や宴会の機会が多かったので、ロンドンに居たときに多少ワインの知識がないと困ることがあったので、ワインのイロハを勉強して、ヒュー・ジョンソンの「ワインブック」を年次毎に買ってワイン選びの参考にしたりしていた。
   一人で旅をしていて、ミシュランの星付きレストランへ行った時などには、ワイン選びはすべてソムリエに任せることにしていたのだが、これが、重宝で便利であったので、客との会食の時などでホストの時には、ソムリエにアドヴァイスして貰った。大概、客によってそれぞれ注文する料理が異なり、食前酒と食後酒はべつとして、精々、白と赤くらいの選択なので、ソムリエに従うと客も納得しておさまる。イギリス人でも、ワイン通はそれぞれ難しいが、普通の人は、よく見ていると、毎回決まっていて同じワインをオーダーしている感じであった。
   イタリア旅行をしていたときに貴重な経験をしたのは、ソムリエが、その食事にマッチした地場のワインをアドバイスすることで、斜塔で有名なピサの高級レストランでのこと、もう少し高い上等なワインを選んでくれと頼んだら、これで間違いないから飲めと突っぱねられたことがある。これに似た経験は、日本でも地方料理は地場の酒が一番合っており、ドイツの高級レストランでもドイツワインや地ビールが一番美味しいことを経験しており、
   ニューヨークで、高級レストランだというので無理してロマネコンテを注文して、何が何だか分からずに終ったのを覚えている。
   しかし、いずれにしろ、食事が終ってしまうと、何を食べてどんなワインを飲んだのか、瞬時に忘れてしまうので、私には、何の勉強にもならなかった。

   さて、この本だが、ワインの発祥地は、旧ソ連領でコーカサスのジョージアであると言うことからはじめて、歴史的な軌跡を追いながら世界のワインを興味深い逸話を交えて語っていて、非常に面白い。
   ジョージア以降、古代では、メソポタミアやエジプトを経由して、ギリシャに伝播して、本格的なワイン文化が華開いた。
   神聖なものとして伝わったワインは、まず、ミケーネ時代には、文化、宗教、経済、医学など、様々な分野で重要な役割を果たす作物となったという。
   ギリシャの知識人、賢人は、大量生産・大量消費であった風習から「教養」として捉えるワイン文化を開花させ、哲学者は、ワインを芸術と表現して、知性と理性を持って嗜むように説き、ワインを飲みながら、哲学、文化、思想などを議論し高度な文明を生んだ。「教養としてのワイン」が根付いたことで、その後ワインは高貴なものと言うイメージが根付き、後年、その流れはキリスト教により絶対的な存在となり、その後、ヨーロッパの王侯貴族に受継がれ、「ワインはステータス」として考えられるようになったという。

  とは言っても、ディオニュソスは、ワインの神である。
  ギリシャは、地中海性気候に恵まれたブドウ栽培に理想的な立地で、ワインは大産業で広く民衆の生活に浸透しており、ワインで人々を狂乱させるなど素行の良くない冥界神ディオニュソスを崇拝する民衆が増えて、アクロポリスの丘に立つディオニュソス劇場では、ギリシャ悲劇・喜劇が上演され、ディオニュソスを崇拝する狂喜乱舞のお祭りが展開されていた。

   私など、寝椅子に寛いでワインを憩いながら清談に勤しむプラトンのような哲学者の雰囲気よりも、野外の大劇場で、ディオニュソスの祭りに狂喜乱舞するギリシャの庶民の方が、ギリシャの芸術文化の担い手のような気がして親近感を覚えるのだが、いずれにしても、ワインが仲立ちしてはるかに華やかに華開いたギリシャの文化文明のこと、興味深い話である。

   ところで、ワインボトルが750㎜lなのはギリシャ戯曲が由来だという。
   詩人エウブロスが書いた戯曲の一説で、ディオニュソスに、節度を保つためにはグラスに3杯まで、1杯目は健康に、2杯目は愛と喜びに、3杯目は良い眠りに、賢い客はここで家に帰る。(それ以上は、きちがい水?)と言わしめていて、これは、二人で3杯ずつ飲める適量であり、それが750㎜lだと言うのである。
   イギリスの宴会では、2人に1本ボトルを用意すると言っていたから、このギリシャ戯曲を踏襲していると言うことであろう。

   とにかく、なるほど、なるほど、ワイン談義に蘊蓄を傾けたこの本、小冊子ながら、冒頭から面白い。
   
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年末の国立名人会:松鯉の「天野屋利兵衛」

2022年12月25日 | 落語・講談等演芸
   今日、年末を笑って過ごしたくて、国立演芸場に出かけた。
   と言うよりも、神田松鯉の講談「赤穂義士外伝 天野屋利兵衛」を聴いて、廃れた年末行事の忠臣蔵の世界を感じたかったのである。 
   
   演目は、次の通り。
   第464回国立名人会
講談「天明白浪伝 悪鬼の万造」 神田阿久鯉
落語「宗論」 三遊亭遊雀
落語「二番煎じ」 瀧川鯉昇
 - 仲入り -
落語「蒟蒻問答」 桂南なん
ものまね 江戸家まねき猫
講談「赤穂義士外伝 天野屋利兵衛」 神田松鯉

   松鯉の「天野屋利兵衛」は、歌舞伎や文楽、落語で鑑賞する「天野屋利兵衛」とは一寸雰囲気が違っていて、講談では、最も義侠心に富んだ大阪商人の鑑をストレートに聴かせてくれるのである。
   天野屋利兵衛は、赤穂義士の吉良邸討ち入りのための武器調達を一手に引き受けた堺の廻船問屋の松永利兵衛で、厳しい奉行の取り調べにあっても、義理ある人から頼まれたのだが時が来るまで待って欲しいと懇願するばかりで、大石内蔵助との密儀を明かさず、可愛い子供を殺そうとされても、「天野屋利兵衛は男でござる。」と言って口を割らなかったと言う大坂商人の鑑。

   今回の松鯉の講談は、前回のものとは一寸違っていて、30分のバージョンで、ほぼ、次の通り。
   浅野内匠頭の刃傷事件と切腹を聞いた利兵衛は、妻を離縁して、城を枕に討ち死にする覚悟で、槍を背負って赤穂城に馳せ参じて、内蔵助に、御恩をお返ししたい何でもすると懇願したので、利兵衛の忠義と男気を信じた内蔵助は、口外するなと釘を刺して、大事を語って13種の討ち入り武具の調達を頼み込む。
   利兵衛は、堺に帰らずに市場の大きい大坂に居を構えて奉公人にカネ轡を嵌めて武具調達に勤しむのだが、たれこむ者がいて、家宅捜索をすると、忍び道具・改造ろうそく立てが出てきたので、 町奉行松野河内守助義により捕縛され拷問にかけられるが、利兵衛は、義理ある人から頼まれたのだが時が来るまで待って欲しいと懇願するばかりで、口を割らない。江戸でも噂になっており江戸の捌きで本件が発覚すると、大坂の番所は面目丸つぶれで切腹ものとなると、白状を迫るが、瀕死の状態になっても、動じない。
   町奉行は、一人息子を白州に呼び出し、親子抱擁させて子供が可愛くないかと迫り、子供の喉元に刃を突きつけ打擲し続けて白状を迫るが、親子の恩愛よりも義理が優先することがある、子供を殺してくれと叫ぶ、「天川屋の儀兵衛は男でござる」。
   そこへ離縁した女房・ソデが現れ、夫や息子の難儀を見かねて、赤穗藩に入れ込んでいたなど一切を暴露するのだが、町奉行は、利兵衛が城を枕にして討ち死に覚悟で槍を背負って赤穂城に馳せ参じた一件を、「あり得ない。狂女じゃ。」と言って取り合わず、それから一切取り調べをしようとしなくなった。
   ほどなく、討ち入りの成功を、牢番の立ち話で知った利兵衛は、安堵。利兵衛はすべてを白状するが、取り調べれば忠義の邪魔。と奉行は利兵衛を釈放したと言う。

   3年前の松鯉の講談レビューの時に、この「天野屋利兵衛」の歌舞伎、文楽、落語におけるバリエーションについて書いたが、講談や歌舞伎や文楽は内容に差があっても、メインテーマは天野屋利兵衛の義侠心だが、落語の奇想天外な発想の転換には笑いが止まらない。
   大石内蔵助が、天野屋利兵衛の女房の美貌に惚れて妾になれと強要したので、機転を利かした女房が、閨に誘うも、天野屋利兵衛をヘベレケニ泥酔させて自分の寝床に寝かせておく。そこへ喜び勇んだ大石内蔵助が忍び込んで来て、ことに及ぼうとした途端、天野屋利兵衛が飛び起きて、「天野屋利兵衛は男でござる」
   「英雄色を好む」と言うことであるから、大石内蔵助が、好色であっても、不思議でも何でもないのだが、こうなれば、大石も形無しである。

   松鯉は、 町奉行松野河内守助義は、城を枕に討ち死にする覚悟で赤穂に向かったことで、すべてを悟ったと語り、 討ち入り成功への松野河内守、それ以上に天野屋利兵衛の貢献を評価していた。
   詳しいことは分からないが、天野屋利兵衛の内偵を行えば、赤穗藩との関わりは明白であり、当時、吉良への叛逆は噂にもなっていたので、町奉行としては、天野屋利兵衛の武器調達は大石内蔵助のためであることは分かっていたはずである。
   松野河内守としては、天野屋利兵衛の自白にすべてを掛けていたはずで、たとえ自白を取っても、女房を狂女呼ばわりして切って捨てたように、狂人扱いにして見逃したように思う。切腹覚悟で義経を見逃した勧進帳の富樫のような義侠心ある侍である。
   リトアニアの在カウナス日本領事館領事代理であった杉原千畝が、外務省からの訓令に反して大量のビザを発給し、多くがユダヤ系であった避難民を救ったことで知られるあの快挙も、これに擬せられようか。

   ところで、余談だが、今回、チケットの予約の時間をミスって、後方の席しか取れなかったのだが、少し歳の所為で聞き苦しくなってきている。
   それで、気づいたのは、人間国宝の松鯉の講談は非常にクリアーに綺麗に聞けたが、やはり、ヘタな噺家の噺は、時々何を言っているのか、分からなくなることである。小三治や歌丸などは微に入り細に入り鑑賞出来たのだが、
   このことは、テレビでも経験していることで、プロのアナウンサーは良く聞こえるのだが、素人のコメンテーターや通訳者が聞きづらくてこまることがあり、話術でも大変な差異があることが分かって、修行の厳しさを感じた。
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師走も押し迫ってくると何となく気忙しい

2022年12月24日 | 生活随想・趣味
   傘寿を超えた老人には、これと言ったこともなく、何の制約も義務もないのだが、師走も押し迫ってくると何となく気ぜわしくなる。
   もう、年賀状も出したし、と思いながら、庭に出た。
   殆ど花木の世話は終っており、寒肥を施すのは、来月に入ってからやろうと思っているので、今日は、鉢植えのバラの冬剪定をすることにした。
   かっては、20鉢以上もあって、季節に咲き乱れていたバラだが、手抜きが祟って、今では、たったの8鉢、
   剪定も、普通のバラとイングリッシュローズの区別はあるが、ほんの数分で終るし、牛糞などの寒肥を施すのも造作なく、簡単なのだが、陽当たりを良くするために、鉢をあっちこっち移動、
   とにかく、レイジーなガーディナーには、年中を通じて世話の焼けるバラ栽培は、大仕事である。

   その点、鎌倉の気候では、椿の栽培には、特に注意することもなく、寒中でも戸外で育てて殆ど問題がないので、楽である。
   今、秋咲きの椿が咲いていて、殆どの椿は、びっしりと蕾を付けていて、少しずつ膨らみ始めており、色づき始めた椿もあり、春を待っている。
   動き始めたのは、梅の蕾で、少しずつ膨らみ始めて、もうすぐに花を開く。

   さて、老人にとっては健康第一で、体調が一番気に掛かる。
   先日、歯医者での定期点検を終えたのだが、今のところ問題がなく、4ヶ月後の定期健診まで無罪放免である。
   また、高血圧のための循環器系統の健診も問題なしの判定を受けているので、一応、無事に新年を迎えることができ、
   来春はじめまでは、平穏に過ごせそうであり、今年の締めくくりとして、ホッとしている。

   年賀状を書きながら、健康であることに、しみじみと感謝した。
   体調が思わしくなくて年賀状さえままならない友人には、返事は貰えなくても毎年年賀状を出しているのだが、この運命の落差が身に染みて辛いけれど、感謝以外の何ものでもない。

   大晦日に向かって、私の担当は、窓ガラス拭きなど家回りの片付けや掃除、
   それに、餅つきと鏡餅作り、そして、鯛の塩焼き、

   それよりも、本や資料などが積み上がって足の踏み場もない我が書斎をどう整理整頓するべきか、それが問題である。

   

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Slowdown 減速する素晴らしき世界(1)

2022年12月23日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   ダニー・ドーリングの「Slowdown 減速する素晴らしき世界」
   原題は、Slowdown: The End of the Great Acceleration - and Why It's a Good Thing スローダウン: 大加速の終焉 - そしてなぜそれが良いことなのか
   A powerful and counterintuitive argument that we should welcome the current slowdown—of population growth, economies, and technological innovation​
   The end of our high-growth world was underway well before COVID-19 arrived. In this powerful and timely argument, Danny Dorling demonstrates the benefits of a larger, ongoing societal slowdown
   人口増加、経済、技術革新の現在の減速を歓迎すべきであるという強力で直観に反する議論。高度成長の世界の終わりは、COVID-19 が到来するずっと前から進行していた。 この強力かつタイムリーな議論で、ダニー・ドーリングは、より大規模で進行中の社会的減速の利点を宣告する。
   と言う巷に蔓延する大加速時代を否定して、ドンドン減速化していく時代の到来を人類幸福の兆しとして謳歌する未来展望論を、豊富なデータを駆使して論じていて、非常におしろい本である。

   すなわち、豊富な地球規模のデータを基に、1970 年代初頭以降、出生率、1 人あたりの GDP の伸び、さらには新しい社会運動の頻度さえも、過去数世代にわたって着実に低下していることを示し、
   新しいテクノロジーが、日常生活を頻繁に再構築し、我々の文明を未知の海域へと駆り立てていると広く信じられているが、テクノロジーの進歩の速度も急速に低下しているという事実を実証して、
   ドーリングは、最近の歴史を特徴づけてきた進行中の古い偉大な進歩の多くが、広範な戦争、分断された社会、そして 大規模な不平等をもたらしたのとは違って、このslowdownの変化を嘆くのではなく、それを約束の瞬間と安定への動きとして受け入れよと説いているのである。

   さて、まず、世界中の人口だが、国連の推計では2022年11月15日に80億人に達したと報じられた。
   私が子供の頃には、人口は30億人と言われていたので、私が生きている間に、それも、1世紀も経たない間に、人類の人口が3倍にもなると言う驚異的な変化に驚嘆せざるを得ない。幸い、日本人であったお陰で、マルサス人口論の悲劇に直面せずに平穏な生活を送っているのだが、宇宙船地球号の収容力も、経済社会も良く機能したものだと思う。

   人口統計学者の一部の間では、人口のスローダウンは何十年も前に始まったのは知られてはいたが、転換点は1968年前後で、人口の増加が止まるという見方が始まり始めたのは、ごく最近で、2019年初めだという。
   それまで増加基調であった世界人口の増加ペースは、1980年以降、年間8000万人前後で安定して、国連予測では、年間増加量は、2020年以降着実に減少に転じて、2030年に7000万人、2040年に6000万人と、10年毎に1000万人ずつ減少して行く。それでも、国連は、2100年の人口を、最大値の112億人になると予測していた。
   最近では、たとえば、ドイツ銀行のサンジーヴ・サンヤルが、地球上の人口は、2055年にわずか87億人でピークに達し、2100年には80億人に減るだろうと調査報告を発表したが、他の著名な人口学者も、世界人口は90億人に達することはないなどと減少傾向を予測していて、今世紀中に、100億人に達する前にピークアウトするであろうとしている。
   ところで、最新の国連の『世界人口推計』2022年版では、2058年に100億人を超えたのち、2086年には約104億人でピーク(2019年版より前倒し)となり、2100年まで同水準を維持すると予測されている。
   今後、まだ人口爆発のアフリカは10億、20億と増加するであろうが、先進国では人口減少が急速に加速しており、中国や米国も減少に向かうので、ピークを打つと言うことであろう。

   いずれにしろ、「Slowdown 減速する素晴らしき世界」かどうかは兎も角、世界人口においても、ドーリングの説く如く、減速化現象が起こっていると言うことである。
   この程度で人口増が治るのなら、衰えたと雖も、人類の英知が積み上げてきたイノベーションパワーの炸裂で、地球温暖化の闇やマルサスの亡霊を駆逐できそうだと思うのであるが、あまいであろうか。
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都響定期コンサートで東京へ

2022年12月21日 | クラシック音楽・オペラ
   今日は、定期公演のチケットを持っている都響のコンサートで、久しぶりに東京に出かけたが、コロナでパーフォーマンスアーツの公演が中止されてから、一気に足が遠のいて、最近では、殆ど、出かけなくなってしまった。
   あれほど、熱心に通っていた古典芸能の舞台へも、殆どご無沙汰で、チケットの手配は限られている。
   興味がなくなったというのとは一寸違って、鑑賞するために劇場へ出かけて行く気持ちが少し萎えてしまったということであろうか。

   この気持ちは、美術鑑賞や海外旅行にも言えることで、歴史上屈指の芸術作品が来て東京で展覧会が開かれようとも、あるいは、イタリアの秘宝を巡る旅に誘われようとも、今更、それに参加しようとは思わなくなっていると言う気持ちに良く似ている。
   世界中の美術館博物館を巡り、世界各地を回ったと言っても、アフリカには足を踏み入れていないのでエジプトのピラミッドは見ていないし、中国の長安からイスタンブールの手前までシルクロードは知らないし、ペルシャもメソポタミアの故地を訪れたこともなければ、知らない世界は五万と有り、行って観たいと心から思っている。しかし、もう、そんな気力も体力もないので諦めざるを得ない。
   いずれにしろ、レオナルド・ダ・ヴィンチの特別展覧会が開かれようとも、特別魅力的なヨーロッパ旅行があろうとも、既に見たり経験したことについては、おそらく食指が動かないと言うことである。
   
   今日は、池袋の東京芸術劇場のコンサートホールであるから、大船まで出て、JRで横浜に行き、東横線と副都心線で池袋まで出る。帰りはその逆である。
   以前は、ついでに、横浜で書店に寄ったりぶらぶらしたり、時には、池袋や渋谷で沈没して買い物などしていたが、最近では、大船で多少のショッピングをする程度で、単純な家と劇場との往復である。それが、千駄ヶ谷の国立能楽堂であったり、三宅坂の国立劇場であるなど、劇場によって代わるだけである。
   コロナにかまけてと言うわけには行かないので、更なる老化を防ぐためにも、活動範囲を拡大すべきだと気にはなっている。

   さて、今日のコンサートは、
出演 指揮/エリアフ・インバル
   ピアノ/マルティン・ヘルムヒェン
曲目 ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 op.73《皇帝》
   フランク:交響曲 ニ短調

   インバル指揮のコンサートは、都響に通ってからは頻繁に聞いているが、欧米に10年以上いて沢山のコンサートに通っていたけれど、一度もインバルを聴いた記憶がない。
   今度のプログラムは、ドイツとフランスの音楽で、インバルはパリ音楽院で学んでいるから、フランクの交響曲には思い入れが強いのであろう、
   素晴しい演奏で、長い間聴衆の興奮が覚めやらなかった。
   ベートーヴェンの流れを継承した曲だとインバルは語っていたが、私は、フランクのレコードやCDを持っていないので、どこかのコンサートで聴いたのであろうか、第2楽章のイングリッシュホルン、ハープの奏でる美しいメロディを覚えていた。
   
   ベートヴェンの「皇帝」は、クラシック音楽に興味を持って最初に買ったレコードであるから脳裏に染みこんでいる。
   ウィルヘルム・バックハウスのピアノで、指揮:ハンス・シュミット=イッセルシュテットの ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のレコードで、続いて、同じくバックハウスで、ハンス・クナッパーツブッシュ指揮のバイエルン国立歌劇場管弦楽団のレコードであったが、何度聴いても感動していた。
   欧米のコンサートで何回か聴く機会があった筈だが、全く覚えていない。日本に帰ってからは、このブログの記録では、
   2017年に、この都響で小泉和裕指揮、ピアノ/アブデル・ラーマン・エル=バシャで、その前は、
   2007年に、新日本フィルでアルミンク指揮、ピアノ/ティル・フェルナー、 聴く機会はそれ程多くはない。
   コンサートでは、伝説的なバックハウスとは違ったモダンでダイナミックな若いピアニストのエネルギッシュな演奏を聴くことになるのだが、それぞれ、その美音に酔いしれて楽しんでいる。

   私は、小学生の頃に、偉人伝でベートーヴェンを読んでいて、音楽には興味はなかったが、最大の憧れであった。
   もう30年以上も昔になるが、ロンドンに住んでいたときに、ボンに行って、ベートーヴェンの生家(Beethoven's Geburtshaus)を訪れたことがある。
   音楽の難しいことや、ベートヴェンの作品の音楽的な知識理解は殆どゼロに近いが、とにかく、欧米伯を含めて、各地のコンサートでベートーヴェンを聴き続けて楽しんできたので、モーツアルトの時もそうだが、ここで、楽聖が呼吸をしていたのだと思うと、もう、時空を超えた世界で、いたく感激した。
   そんなことどもを思い出しながら、マルティン・ヘルムヒェンの華麗な「皇帝」を聴いていた。

   この都響のCシリーズの年間メンバーチケットは、かって持っていたフィラデルフィア管、コンセルトヘボウ、ロンドン響と同様、プログラムは選べないが、毎年切り替えるだけで予約の手間暇が掛からず同じ席を継続できるので、東京へ通い続けて行ける限り続けて行くつもりでいる。
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ワールドカップ:アルゼンチン優勝

2022年12月19日 | 海外生活と旅
    【FIFA ワールドカップ カタール 2022・決勝】で、アルゼンチン3-3(PK4-2)フランス
    アルゼンチンが、PKの激戦を制して36年ぶりに3度目の優勝!と、すべてのメディアで報道。

    アルゼンチンの過去の優勝大会は、 1978年のアルゼンチン大会(自国開催)1986年のメキシコ大会 であるから、今回の優勝は劇的な展開である。
    この1978年の大会の時には、丁度、ブラジルで仕事をしていて、サンパウロでテレビを見ていたので、記憶に残っている。
    隣のアルゼンチンで、アルゼンチンとブラジルの対戦があったので、ブラジル人のサポーターが大挙してブエノスアイレスに向かった。サンパウロのバス会社の社長が無料バスを提供したり、とにかくサッカー王国のブラジルの熱血ファンたちであるからその熱狂ぶりは尋常ではない。
    「サンパウロにいて、ブラジルを勝たせる応援の仕方」と言う信じられないような記事が載っていると、秘書が新聞を見せてくれた。
    役所も会社も休みで、車の流れも殆ど止まって、サンパウロ中テレビにしがみついているのであろう、街は水を打ったように静か。
    アルゼンチン 0 - 0 ブラジルだったが、アルゼンチンが得失点差でブラジルを上回り決勝へ進出したので、3位決定戦となって、ブラジル 2 - 1 イタリアと3位に終って、
    残念ながら、ブラジルの優勝はならなかった。

   もっと記憶に生々しいのは、それより少し前、万年最下位(?)で振るわなかった地元サンパウロのサッカーチーム・コリンチャンズが、奇跡的に快進撃した時の革命騒ぎのようなお祭り騒ぎである。
   優勝決定戦のときであったか、もう40年ほども前のことなので、記憶は定かではないのだが、この時も、街中、テレビに釘付けで、コリンチャンズに点が入ると、街中の高層ビルから紙吹雪と大歓声。当時ブラジルブームで、サンパウロには2~30階建ての高層ビルやアパートが2000本以上林立していて、その全ビルのすべての窓から紙吹雪、実際にはトイレットパーの切れ端や手当たり次第の紙切れなのだが、一斉に舞い上がるのであるから、壮観であった。その日の夜は、オープンにした車に旗をひらめかせた若者達が鈴なりになって、クラクションを鳴らしながら車列をなして大通りを走り回るのであるから、もう革命である。

   ブラジルがこれであるから、同じくラテン気質の更に激しいアルゼンチンのこと、この比ではなかろう、
   さぞかし、国家を上げて、大変なお祭り騒ぎが展開されているのだろうと思う。
   とにかく、資源に恵まれた豊かな国の筈のアルゼンチンでありながら、21世紀に入っても、相変わらず真面な政治から程遠く、万年経済不況とインフレに悩まされ続けていて、新興国か発展途上国か分からないようなIMFのお荷物民主主義国だが、今度の優勝で、国威発揚となると素晴しい。

   私は、隣のブラジルに長く住みながら、アルゼンチンには、出張と家族旅行を含めて4回しか行っておらず、短期間の仕事と観光の束の間の滞在なので、豊かな文化に触れる良い思い出しか残っていない。
   ブエノスアイレスの綺麗な街の雰囲気や、ボカでのビエホアルマセンやミケランジェロの噎せ返るようなタンゴ、テアトロ・コロンでのオペラ「アラベラ」、バリローチェでの休日、それに、素晴しい食事、
   いずれにしろ、ブラジルもそうだが、民度も高く古くからの文明国でありながら、何故、あれほどまでに政治が稚拙で迷走ばかりしているのか、不思議で仕方がない。
   「Don't cry for me Argentina」、あのエビータの時代からも70年以上、何故、眠り続けて何時までも覚めないのか、
   尤も、日本でさえ、失われた30年が40年になろうとしていて、人口減で経済成長は全く望み薄であるから、お先真っ暗、
   政治とは不思議な世界である。
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庭で何となく過ごすひととき

2022年12月17日 | 生活随想・趣味
   歳の所為でもないと思うが、書斎でパソコンを叩いたり、和室で本を読んでいるときなどに、休憩を兼ねて、フッと庭に出て、何となくぶらぶら過ごすことがある。
   そんな時には、マグカップにコーヒー牛乳をタップリ入れて出て、花が咲いていればカメラを持ち出す。

   週日には、学校に行き来する小学生達の賑やかな声が聞こえるが、古い住宅地なので、普段は人通りも少なくて、静かである。
   時々、飛行機の爆音が遠くに聞こえたり、宅配便など作業車が通るくらいで車も少なく、時折、散歩姿の老人に出会うが、寒くなってきたので、鎌倉山に歩く観光客もいなくなった。気の遠くなるような静けさが支配する。
   いわば、気分転換に過ぎないのだが、なぜか、歳を取ると苦しかったことや面白くないことばかりを思い出すことが多いので、庭の冷気に触れると妙に気が落ち着くのでホッとしている。
   
   
   
   
   

   庭園に出て、何もせずに無為にぶらぶらすることは、ロンドンのキューガーデンの傍に住んでいたときにも、良くやっていた。
   この時は、一眼レフを持って出たので写真を撮るつもりであったが、殆どは、観光客を避けて自然環境が残っているような林や裏庭に回って、目的もなくぶらぶら歩くのが好きであった。珍しい綺麗な野鳥が近づいてくることもあったし、小動物も足下を駆け抜けた。
   多忙を極めていたので、キューガーデンを訪れる機会も少なかったが、目と鼻の先であったし、年間パスポートも持っていたので、偶然取れた散策の時間は貴重であった。
   近くのリッチモンドの山間に入ると渓谷となるが、キューガーデンに接するテームズ川は、とうとうと流れていて、ロンドン近郊の僅かな距離でありながら、大都会有り田園地帯有り、幾重にも姿を変えて流れる不思議な大河である。
   このキューガーデンには、あっちこっちに生前の思い出のためにとファンに寄付されたベンチがあって、テームズの河畔で、小一時間座って瞑想に耽ることもあった。
   このキューガーデンは、世界最高の大植物園であって、古い昔から世界中にプラントハンターを派遣して植物を集めてきたので、日本の桜もモミジも椿も沢山植わっていて、日本の花木がシーズンには咲き乱れていた。
   これらの花木に癒やされながら、望郷の思いに浸っていた日々が無性に懐かしい。
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クリスマスカードと年賀状の準備

2022年12月16日 | 生活随想・趣味
   年末になると、何となく忙しくなって気になるのは、クリスマスカードと年賀状の準備である。
   年に一度の知人友人への挨拶であるから、嬉しくて当然な筈なのだが、歳の所為もあってか、少しずつ、億劫になって来ている。
   出し終わったときには、一仕事終ったような感じがしてホッとする。

   まず、クリスマスカードについて、
   私は、少なくなってしまってはいるが、今でも、イギリスとオランダに、カードを送っており、相手の宗教など非常に微妙な問題で聞けないし、すべてクリスチャンであるはずがないので、Season's Greetings Cardで通している。
   Season's Greetings! And best wishes for the New Year.である。
   勿論、相手からも、私が仏教徒であることを知っているので、Season's Greetings Cardである。
   ところが、日本では、そんなことにはお構いなく、クリスマスカードという認識しかないので、百貨店でもどこでも、クリスマスカードしかなくて、Season's Greetings Cardを探すのに苦労する。
   従って、私の場合は、能楽堂や歌舞伎座などで売っている汎用の白地のカードを買って、代用することが多い。
   何故か、ここ数年、ブラジルへは、年賀状も送れないし、今年、イギリスへ、日記帳を印刷物として送ろうとしたら断わられたり、とにかく、コロナの影響か、郵便局の郵送禁止リストの多さを見てビックリしている。
   昨年、船便でも良いと思ってブラジルへ年賀状を送ったが、郵便局から、返却通知と返金案内書が送られてきた。
   とにかく、いつ着くか分からないし、世界中で、郵便が正常に機能していないのである。
   今年は、適当な外出が出来なかったので、Amazonの通販で、Season's Greetings Cardを手配して送ったのだが、郵便局で受け取って貰うと、ホッとする。

   さて、年賀状だが、海外在住中以外は、毎年欠かしたことがない。
   最近は、パソコンに付属されている筆ぐるめのソフトを使って、毎年、新規に裏面のデザインを考えて作成している。
   写真を一枚挿入しているので、その年に撮った気に入った写真を使っていて、今回は、梅の花をあしらった図案にした。
   これまでは、挨拶文も丁寧に書いてきたが、今回は、傘寿を超えて歳を感じ始めていることと、晴耕雨読の日常を書くに留めた。
   裏面の図案さえ出来上がれば、後は、住所録を整理して、印刷するだけである。
   すこし、近況などを書き加えることもある。
   束ねてポストに投函するとホッとするのだが、いつも、投函は25日頃にしている。

   歳や病気などで無理になって、年賀状の交換を今年限りにすると言った知人友人が出てきて、だんだん年賀状の数が減ってきているのだが、特に親しかった親友たちへは、それに構わず出し続けることにしている。
   虚礼廃止だととか何とか言って、昔も今も、年賀状に対する風当たりが強いのだが、年に一度友に遭遇して古い思い出を反芻する、また、楽しからずや、であるので、書き続けられる限り、続けようと思っている。
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PS:ジョセフ・スティグリッツ「更なる高金利は害悪以外に何の益もなし All Pain and No Gain from Higher Interest Rates」

2022年12月15日 | 政治・経済・社会時事評論
   PSのJ・スティグリッツ教授の「更なる高金利は害悪以外に何の益もなし All Pain and No Gain from Higher Interest Rates」が面白い。
    金利を引き上げるというFRBの揺るぎない決意は、本当に驚くべきもので、 インフレを抑えるという名目で、彼らは意図的に景気後退を引き起こす道を歩み始めた。
   さらに悪いことに、適切な財政政策やより慎重に検討された対応はより効果的で、長期的な利益をもたらすが、今日の金融政策の引き締めは長期にわたる傷跡を残すことになるだけだ。
   さらに、FRBは、その矢面に立たされるのはウォール街の友人ではなく、貧しく疎外された人々であることを強調していなくても、その政策が引き起こす苦痛を公然と認めており、そして米国では、この痛みは有色人種に不均衡に降りかかる。と言うのである。

   この論文の大意を纏めてみると、
   FRBの追加的な金利主導のインフレ率の削減による利益は、いずれにせよ起こったであろうことと比較して最小限に抑えられている。
   コンピュータ チップの不足によって自動車の価格が高騰したが、ボトルネックが解消されると価格が下がり、自動車の在庫は実際に増加している。
   楽観主義者は、原油価格が上昇し続けるのではなく、下落すると予想していたが、 それもまた、まさに起こっている。実際、再生可能エネルギーのコストが低下していることは、石油の長期的な価格が現在の価格よりもさらに低くなることを意味しており、化石燃料価格の気まぐれからはるかにうまく隔離され、
   プーチンやムハンマド・ビン・サルマン皇太子のような石油国家の独裁者の気まぐれの影響を受けなかったし、 10月初旬に石油生産を大幅に削減することで、2022年の米国中間選挙に影響を与えようとした彼らの明らかな試みも失敗した。と言う。

   楽観主義のもう 1 つの理由は、マークアップ (価格がコストを上回る額) が、 米国経済の独占化が進むにつれ、ゆっくりと上昇してきており、COVID-19 危機の発生以来、急上昇している。 経済がパンデミックから(そして、戦争からも)完全に脱却するにつれて、経済は縮小して、それによってインフレが緩和されるはずである。 それに、賃金が、パンデミック前の期間よりも一時的に速く上昇していて、良い傾向である。

   金利が上昇すると、自動車用チップの供給が増えるのか、それとも石油の供給が増えるのか、食料の価格を引き下げるのか?
    もちろん違う。 それどころか、金利が上昇すると、供給不足を緩和できる投資を動員することがさらに難しくなる。
   適切に管理された財政政策やその他のより細かく調整された措置は、鈍くて逆効果になる可能性のある金融政策よりも、今日のインフレを抑える可能性が高くなる。 たとえば、食料価格の高騰に対する適切な対応は、農家が生産を増やすよう奨励する政策が、生産しないように農家に支払う数十年にわたる農産物の価格支持政策を排除する。
   同様に、不当な市場支配力による価格上昇への適切な対応は、反トラスト法執行の強化であり、貧しい世帯の家賃の値上げへの対応方法は、新しい住宅への投資を奨励することであって、金利の上昇はその逆である。 労働力不足が発生した場合(その標準的な兆候は実質賃金の上昇であり、現在見られているのは反対)、その対応には、育児サービスの提供の増加、移民促進政策、および賃金を引き上げて労働条件を改善するための措置が含まれるべきである。

   超低金利が 10 年以上続いた今、金利を「正常化」することは理にかなっている。 しかし、それ以上に金利を引き上げることは、インフレを急速に抑えようとする奇抜な試みであり、今は苦痛であるだけでなく、 それは長期にわたる傷跡を残す。対照的に、前述した財政およびその他の対応のほとんどは、たとえインフレが予想よりも抑制されたとしても、特に、これらの誤った考えの政策で苦しむ人々に、 長期的な社会的利益をもたらすであろう。

   さて、
   インフレとは、「供給よりも需要の方が多い」サプライサイド不足の状態であるが、今回は、これに、政策金利の大幅な引き下げや資金供給量の増大による「金融緩和」によるインフレが加わっている。
   インフレ抑制策として、FRBは何故利上げを行うのか、
   普通金利が上がると、企業は投資資金が減るので、賃上げや新規採用をストップするなど人件費削減を行い、そのような企業が増えるので、労働者の給与水準も停滞して、消費が抑制される。モノやサービスの売れ行きが鈍ると、価格を下げることで売上回復を図ろうとする企業が増え、物価が下がり、インフレの進行が抑えられる。
   まさに、FRBの金利引き上げ政策は、経済回復の芽を摘むだけであって、不況政策以外の何ものでもない。
   サプライサイドに異常があるのであるから、財政政策を駆使して、サプライサイドのボトルネックを解消して、経済社会を正常に機能するようにすべきである。と言うことであろう。
   アメリカ経済が、オーバーヒートしておれば、金利上昇政策は有効であろうが、現状では、ほっておいてもインフレは適当な水準に落ち着くという理解でああろうから、金融政策ではなくて財政政策の発動によって、経済構造の健全化が優先されて当然だと言うことである。
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夏みかんマーマレードを作る

2022年12月13日 | 生活随想・趣味
   今年は、夏みかんが鈴なりになった。
   多くの果物のように、一年おきに豊作が訪れるのだが、今年の実は、痛みも少なく綺麗なかたちで色付いている。
   昨年、初春に何度かマーマレード作りに挑戦して、それなりに楽しめたので、早速、手前にぶら下がっている大きめの実を5~6個取って、マーマレードを作ることにした。
   これまでに、他にキウイと梅のジャムを作って朝食のお供に賞味してきたのだが、今年は梅雨で梅がだめになって諦めたし、キウイは今年木を切って廃却してしまったので、今回は、久しぶりのジャム作りである。

   もう、大分前の作業であるから、どうすれば良いのか忘れてしまっているので、インターネットを叩いて「夏みかんマーマレードの作り方」を検索する。
   前回で使っていたレシペなど消えてしまっていて、全く違ったレシペばかりになっていたので戸惑う。
   しかし、手間暇掛けて苦労していたやり方と違って、簡便な方法があったり、電子レンジでマーマレードを作る方法なども紹介されている。

   今回、JAPANマーマレード協会の國分美由紀理事長の「英国式簡単マーマレードレシピの紹介」の動画を参考にして作った。

材料
夏みかん1kg
水2L
お砂糖1kg
レモン1個

作り方
果皮を使うため、果実を流水でよく洗い汚れを落とす。
全体を8等分にカットする。
レモンは半分に切って果汁をしぼり、皮はそれぞれ6等分にカットする。
分量の水と2と3の材料を鍋にいれ、柔らかくなるまで煮る。
煮ている間に瓶と蓋を煮沸消毒する。
果皮が柔らかく煮えたら、果皮と果肉を千切りにする。
煮汁と千切りにしたものを鍋に戻し、砂糖を入れ煮詰めていく。
途中で灰汁は取らない!
泡が飴っぽくなり、かき混ぜる手が重くなってきたら小皿に少量とり、冷蔵庫にいれ固まり具合をチェックする。指で押してみて、シワが寄ったら出来上がり。
出来上がったら熱いうちに瓶詰めをする。(リンクルチェック)
蓋を閉める前に、口についたマーマレードを拭き取り、速やかに蓋をする。
瓶詰めしたら鍋にいれ、瓶の型まで水を入れて10分ボイル殺菌する。
水気を拭いて完成。

   作り方だが、前に私が苦しんだのは、夏みかんの皮の処理で、8等分にカットした皮の内側の白いワタを包丁で剥がして取り去る作業であったが、このレシペでは、8等分にカットした皮付きの実をそのまま水で煮て、柔らかくなるまで煮るだけで済む。それに、皮の千切りも、煮立った皮をハサミで切り刻むだけで済むので、至って簡単である。
   その後の作業は、煮汁と千切りにした皮を鍋に戻し、砂糖を入れ煮詰めれば出来上がり。
   時間の管理は、カンで処理する以外になかったが、まずまず、対応できたし、レシペで代えたのは、砂糖の1㎏は多すぎるので7割程度に抑えたこと。
   他のレシペでは、砂糖は4割との指定があったので、一寸多いかなあと思ったが、夏みかんなので、それで丁度良かった。
   レシペに従ったとは言え我流で、適当に作ったマーマレードだが、我ながら上出来で、市販の物と比べても、それ程遜色ないと思っている。
   当分、朝のスコーンに使うブルーベリージャムと併用しようと思っている。

   この「英国式簡単マーマレードレシピ」だが、イギリス人のことだから、手間暇掛けて込み入った複雑な方法でやるはずがないと思ったのだが、やはりそおであった。
   ロンドンで親しくしていたエンジニアリング会社の会長ジムの奥方マーゴが、れっきとしたガーディナーというか広大な邸宅の庭を管理していて、家を訪れると、素足で庭を走り回って果物や花木の世話をしている。着飾って、一緒に行ったグラインドボーン音楽祭やロイヤルオペラを鑑賞したり、レセプションやパーティでの艶姿とは様変わりなのだが、イギリス人の庭好きは格別なのである。
   訪れる度毎に、彼女がサーブしてくれる茶菓のジャムは庭の果物で作った自家製の物で、結構美味しかった。どうして作るのだと聞いたら、簡単なので教えてやると言っていたのだが、チャンスを失してしまった。

   イギリス人の我が友は、田舎に広い庭付きの邸宅を持っていて、仕事はロンドンのアパート暮らしで週末は田舎に帰るという二重生活をしていたり、ジムのように、ロンドンの郊外ギルフォードに住んで、トカイナカの生活を営むなど、庭とキリ離れた生活などあり得ないと言わんばかりの、田園指向である。
   私もロンドンでは、普通の借家に住んでいたが、それぞれ、庭の面積は、家屋面積の、前庭は1倍以上、後庭は少なくとも5~6倍はあるくらい広くて、大きなサクランボの木がたわわに実を付けていたし花も咲き乱れていた。
   コンスタブルの世界に憧れて、暇が出来ると、湖水地方などに出かけて自然を満喫するイギリス人の国民気質も分かる気がする。

   しかし、世界を制覇するために造船で原生林を悉く切り倒すなどして、イギリス全土を自分好みの人工的な自然に変えてしまったのだが、いくら、イギリスの自然や田園風景が美しいとは言っても、文化文明に取っては、良いことだったのかどうか。
   世界に冠たる民主主義の旗頭、高度な文化文明を生んだ最先端国だが、情け容赦のない植民地政策で築き上げた大英帝国の残照、
   複雑な気持ちで5年間ロンドンで暮らしたのを思い出す。   
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本屋さんがドンドン消えて行く

2022年12月11日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   先日、日経が、「書店の無い市町村26%に 店舗10年で3割減 文化発信の場、消失に懸念」と報じた。
   書店のない市町村が全国で26.2%に上ることが出版文化産業振興財団(JPIC)の調査で8日、分かった。全国1741市区町村のうち456市町村が書店の空白域となっている。人口減少による経営難や活字離れ、スマートフォンの普及による娯楽の多様化が背景にあり、全国の書店数はこの10年で約3割も減少。地方では文化発信の場が失われるとの懸念も強い。と言うのである。
   

   書店は売り上げの約8割を出版社や取次会社に支払うため、粗利益は2割程度とされている。人口減と活字離れに加え、雑誌を扱うコンビニの増加が書店の経営を圧迫。電子書籍やネット通販の台頭も影響する。地方のみならず、東京都内でも10年で約3割も書店数が減少している。と言うことで、最早、尋常では、商売にはならないと言うことであろう。

   さて、読書が人生そのものである私だが、傘寿を超えた今でも、専門書を含めて月に3~4冊は中身のかたい新本を買っているので、本離れとは無縁である。
   若いときには、暇があればしょっちゅう書店に立ち寄って時間を過ごして、読めないのが分かっていても、何時か読めるであろうと期待して本を買い続けてきた。
   読んだ本の数も膨大だが、宿替えが頻繁であった所為もあって、随分処分してきたが、今でも、倉庫には1000冊近くは残っていて、フィラデルフィアとロンドンから帰国するときに買いそろえた本も少しになったが、まだ残っている。
   それに、わが書斎には所狭しと本が積み上がっていて、まだ増え続けている。

   ところが、本の調達方法なり調達先が、全く変ってしまっていて、本屋に直接行って本を買うことがなくなって、殆どAmazonなどインターネットで処理している。
   コロナ騒ぎ以降、観劇などで頻繁に出かけていた東京へも足遠くなって行く機会も殆どなくなって、東京都心の大型書店や神田神保町、それに、横浜などの書店に行くこともなくなってしまった。
   文化都市であるはずの鎌倉も書店不毛地帯で、近所の書店が消えてしまって、バスや電車に乗って行くほどの魅力的な書店もない。

   勿論、リアル店舗に行って、実際に本を手に取って、知の遭遇を楽しみながら本を探す醍醐味に勝るものはないのだが、それには、東京の都心にあるような何でも揃っている大型店舗に行かないと満足できない。
   書店では、本の中身をチェックするので、買い間違いはないのだが、ネットショッピングだと、結構当たり外れがあって失望することもあるが、仕方がない。
   尤も、Amazonだと、試し読み機能があり、かなり、本の中身を確認出来るし、それに、解説やレビューなど、結構関連情報も記載されていて、翻訳本だと、USA Amazonを検索すれば、更に詳細な情報が得られるので、それ程不自由はなくなっており、とにかく、ロングテール、どんな本でも手に入るシステムが良い。
   
   本屋が、ドンドン消えて行くと言う現象は、地方都市の駅前通りがシャッター通りに変っていくのと同じで、小売り産業の構造変化の一環であることは間違いなく、これに、活字離れが加速しているのであろうから深刻である。
   「地方では文化発信の場が失われるとの懸念も強い。」と言うのなら、公立図書館や役所に本屋を併設したり、公共機関が調達する本をすべて地元書店で調達させるなど、地方政府が、本気になって本屋救済の行政指導に乗り出すべきであろう。
   極論かも知れないが、イギリスではビル開設時には必ずパブを付設することになっていたように思うが、日本も大型開発案件の時には、書店併設を義務づければ良かろうと思うがどうであろうか。
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ピクサー流 創造するちから――小さな可能性から、大きな価値を生み出す方法

2022年12月10日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   「トイ・ストーリー」を作出して一世を風靡したピクサーの創業者エイミー・ワラス エド・キャットムルの素晴しい本である。
   原題は、Creativity, Inc.: Overcoming the Unseen Forces That Stand in the Way of True Inspiration
   Creativity, Inc.: 真のインスピレーションを阻む目に見えない力を克服する
   Creativity, Inc.は、創造性を生む会社と言うことであろうか。

   ピクサーのことについては、スティーブ・ジョブズとの絡みで、
   ウォルター・アイザックソンの「スティーブ・ジョブズ」
   ロバート・アイガーの「ディズニーCEOが実践する10の原則」を読んでいるので、これで3度目であり、買収の経緯など3つの側面からピクサーを観察できて非常に面白かった。
   しかし、スティーブ・ジョブズもアイガーも技術者ではないイノベィティブな経営者であるので、技術面から、どの様にブレイクスルーしたのか、この驚異的なCGでアニメを創造するイノベーションを生み出す秘密なり技法を、生粋の科学者であり技術者であるキャットムルから聞きたかったのである。

   キャットムルの場合は、1950年代の子供時代にディズニーのアニメに憧れた、どうしたらアニメーターになれるのか分からなかったが、その夢を追いながら、直感的としか思えないが、当時新しい分野だったコンピュータ・グラフィックス(CG)に夢を掛けた。と言う。
   手書きで動画が作れないなら、別のやり方があるはずだと考えて、大学院に通いながら、コンピュータによる最初のアニメ映画を作るという目標を密かに胸に抱き、以来、その実現に向けて20年間コツコツと取り組んできた。と言うのである。

   アニメとの出会いは、ウォルト・ディズニー本人が登場してデイズニーの魔法を解説するテレビ番組「ザ・ワールド・オブ・ディズニー」で、ある日、一人のアーティストがドナルド・ダックを画いていて、生命が吹き込まれたようなシーンを観て、本当に優れたアニメとは、画面上のキャラクターが考える能力を持っているように思わせるものだと感に打たれて、テレビの画面をまたいで、その世界の一員になりたいと思った。
   物理学とコンピュータ・サイエンスの学位を取ってユタ大学を卒業し、その後、対話的コンピュータ・グラフィックスの草分けの一人アイヴァン・サザーランドの元で、当時スプートニク対策として設立されたARPAのバックアップを受けた環境下で、作業スペースとコンピュータを宛がわれ、好きなテーマを自由に追求できた。最先端のCG研究と探索のチャンスを存分に享受できたということである。
   この時、最も刺激を受けたのは、優秀な同級生の存在で、上下関係のない平等で協働的な雰囲気は、研究の質にも非常に大きな影響を与えてくれ、個人の創造的貢献と、集団としての力との鬩ぎ合いは、クリエイティブな環境に必須だと感じた。個人で素晴しい仕事をする天才がいる対局には、いろいろな優秀な考えが集まるからこそ卓越した知的集団となる。この二つの対局をどう両立させるか、それに応えるメンタルモデルはどう構築すべきか、それを熱望し始めたのはこの時で、ピクサー経営の要諦ともなったと言う。
   このブログで、何度も書いているが、文化文明の十字路フィレンツェでルネサンスを開花させたメディチ・エフェクトの創出であり、その後、自由平等なブレイントラスト・システムなど、飽くなきクリエィティブ集団へのキャットムル経営成功の要となった。
   しかし、別なところで、
   持続する創造的な企業文化を築く方法ーー率直さ、卓越さ、コミュニケーション、独自性、自己評価と言ったものが重要だと口先で言うのではなく、それがどれほど不快な思いを伴っても、それを実行することーーは、片手間では出来ない、日々努力のいるフルタイムの仕事だ。といっており、ミンツバーグの言うように、経営はアートだと言うことであろうか。

   ところで、興味深いのは、あれほど憧れていたキャットムルのディズニーとの関係だが、ユタ大学が、ディズニーとの公式の交流プログラムを作って、デイズニーから、コンピュータ・レタリングの技術者を受け入れ、大学からストーリーテリングを学ばせる学生を派遣することにして、キャットムルを説明に行かせたら、ディズニーは興味を示さず、逆に、テーマパークデザインの仕事に誘われたが、CGアニメを目指していたので断わったという。
   その後、NYITで、コンピュータで物語を語る機能を開発したが、ストーリーを語れる人がいなかったので、実績のある映画の制作者やストーリーテラーと組むつもりで、デイズニーや他のスタジオを訪れて交渉したが、1976年当時、ハリウッドの映画の製作にハイテクを導入すると言うアイデアは、全く相手にされなかったという。

   NYIT時代に、「スター・ウォーズ」で一世を風靡したジョージ・ルーカスからアプローチがあった。
   1979年、ルーカスは、コンピュータ部門を立ち上げることを決意して、適材を探していたのである。彼のコンピュータに対する興味は、CGであれ何であれ、それを使うことが映画製作のプロセスに付加価値を与える可能性があるかどうかがすべてであった。ルーカスは、キャットムルの正直さと「視界の明瞭さ」、そしてコンピュータの能力に対する揺るぎない信念を気に入って採用した。
   グラフィック部門が独立して、ピクサーが誕生した。ディズニー・アニメのジョン・ラセターが、ピクサーのスタジオ見学に来て劇的な出会い、
   しかし、ルーカス・フィルムは、ルーカスの不如意で経営が悪化して、ピクサーは売りに出されて、スティーブ・ジョブズが買収する。
   スティーブ・ジョブズについては、何度も書いているので、今回は省略する。

   ピクサーのクリエイティブを特徴づける2つの基本的な考え方があって、第1は、ストーリーが一番(Story is King)、第2は、プロセスを信じよ(Trust the Process)だとしており、「トイストーリー2」の制作で、暗礁に乗り上げて藁にもすがりたい思いで必死に戦った苦い経験を克明に記している。
   続編であるから本編より簡単であろうと高をくくって、プロジェクトチームを「バグズ・ライフ」に振り向けて新編成で対応して失敗して、作品を一から全面的に作り直すことにして、2人の監督を差し替えるなど、スタッフ全員を、数ヶ月無休で限界まで働かせるなどして、映画にとって心臓移植とも呼ぶべき事態を乗り切ったという。
   ピクサーは、まさに、イノベィティブな時代を画する典型的なベンチャー企業だが、イノベーションを創出する頭脳的な能力のみならず、血の滲むような努力を傾注して今日を成したのである。

    キャットムルは、最初からピクサーの社長であり、科学者技術者バックグラウンドの経営者として、如何に創造的な企業を経営して行くか、その経営哲学など克明に開陳していて、非常に興味深い本である。
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