熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

PS:J・スティグリッツ「アメリカのサイレント・プログレッシブ・マジョリティー America's Silent Progressive Majority」

2022年11月30日 | 政治・経済・社会
   プロジェクト・シンジケートのJ・スティグリッツ教授の新しい論文「アメリカのサイレント・プログレッシブ・マジョリティー America's Silent Progressive Majority」が非常に興味深い。
   今回の米国中間選挙について、トランプ嫌いが徹底している教授の論考であるから、私など大いに溜飲が下がって面白かった。

   今回の米国中間選挙での共和党の勝利という恐れられていた「赤い波」が実現しなかったので、世界は安堵のため息をついた。共和党が下院を僅差で制したのに対し、民主党は上院を維持した。共和党の業績は予想より悪かっただけではなく、ホワイトハウスを支配していない政党にとっては、数十年で最悪の中間選挙であった。
   今年の有権者は共和党の過激主義と偽善を拒否したようで、トランプ前大統領が支持した多くの候補者の勝利を大部分否定した。彼らは、トランプの支持を得るために、2020年の選挙が「盗まれた」という彼の嘘を受け入れ、平和的な権力移譲や無党派の選挙管理など、基本的な民主主義の原則に公然と疑問を投げかけて立候補したのだが、アリゾナ、ミシガン、ペンシルベニアなどの主要な激戦州を含め、ほとんどで敗北を喫した。
   しかし、楽観してはならない。
   ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルバが、ブラジルでジャイール・ボルソナロ に勝利したときのように、心強い選挙結果によって、権威主義の台頭というより広範な傾向から気をそらしてはいけない。イタリア、スウェーデン、ハンガリーでの最近の選挙から、中国共産党による中国の習近平国家主席の「再選」まで、右傾化、強権化が進展して、世界が民主主義にとって安全になったと考える理由はない。それが実現するのは、民主主義政府が一貫して有権者の利益に貢献し、21 世紀の決定的な問題に取り組んでいることを示したときだけである。

   ここで、スティグリッツ教授は、2年間のバイデン政権の善政と業績について詳細に論じていて
興味深いが、省略する。
   面白いのは、 COVID-19のパンデミックについては、少なくともバイデンは、トランプとは異なり、それを封じ込めるためにできる限りのことをしたし、インフレも、パンデミックとその後のロシアの戦争が、多くの供給側のボトルネックと部門別の需要の変化を引き起こしたからであって、バイデンの所為ではない。「より良い」議会があれば、バイデンはもっと多くのことができたかも知れない。などと述べていることである。


   さて、今回の選挙で、アメリカの有権者が共和党の過激主義を拒否したように見えるとして、アメリカ人が直面する課題を察知し、情報に基づいた市民の議論と適切に設計された公共政策を通じて、課題に対処するより良い仕事ができるであろうと、持論を展開している。
   共和党が社会主義だと糾弾している民主党左派のリベラルな政策について、これらの進歩的なアジェンダのほとんどは、1948 年の世界人権宣言など、すでに世界的に認められている権利を促進することを目的としており、絵に描いた餅ではない。これらの目的は、他の多くの場所で常識と見なされていて、一貫してより高い生活水準と幸福を追求している国では、これらの原則を反映した政策の採用に成功しており、それは偶然ではない。と一蹴している。
   多くの社会問題などに対して政策的解決策を要求したり、環境を保護したり、経済的安全を強化したり、競争を強化したり、すべての人の声が政治システムに反映されるようにしたりすることは、左翼の過激主義ではない。右派は、この進歩的なアジェンダを急進的な行き過ぎだと主張しているが、ほとんどの有権者はそれを受け入れていない。進歩的なアジェンダは既に中道的なアジェンダになっていて、これらの前線での進歩に反対しているのは、過激派の保守主義者、盲目的なイデオロギー信奉者、および特権を維持することに専心している特別利益団体だけである。と言う。

   進歩的なアジェンダを支える基本原則の 1 つは、特に 21 世紀の大きな問題は、個別にではなく、集合的に取り組むのが最善であるということで、もう 1 つの原則は、成功する集団行動は民主的かつ包括的に動員されなければならないということであるが、今日のテクノ・リバタリアンは、これらすべてを無視している。
   革新的で適切に設計された公共政策は、すべての人の行動範囲を拡大し、自由の領域を根本的に拡大することができる。
   今日の分断された社会においてさえ、有権者の抑圧は道徳的に間違っているという広範な合意がなされるべきである。 2020 年と 2022 年の選挙で注目に値するのは、政治はゲーム以上のものであり、取引よりも深いものであることを認識した政府高官 (その多くは共和党員) の数の増加で、彼らは正道を歩み、選挙プロセスを弱体化させて結果を覆そうとするトランプの努力に屈することを拒否した。

   2022年の選挙は、少なくとも、有権者の大部分がトランプの政治からの移行を望んでいることを示した。彼らは我々が直面している課題を察知しており、市民的で情報に基づいた議論を通じて、より良い解決策を一緒に講じることができると信じている。アメリカ人は悪口や脅しにうんざりしている。意識しているかどうかにかかわらず、ほとんどの人が進歩的なアジェンダと、すべての人により高い生活水準を提供するという約束を支持している。
   と、スティグリッツ教授は結んでいる。

   この論文は、スティグリッツ教授の希いと言うかアメリカの民主主義に対する限りなき期待が込められているが、トランプの悪気とも言うべき「赤い波」が空振りに終って、民主党が上院で勝利し、下院でも敗北が小差に終ったのは、強烈な逆風に抗しての民主党にとっては幸運であった。
   ジョージアでの上院議員選挙では、トランプを嫌って民主党が勝利するであろうから、ミンチンのような造反議員を心配しなくて済むので、ねじれ国会ながら、バイデンにとっては、多少余裕を持って大統領選挙に臨めるはずである。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わが庭・・・椿久寿玉咲く

2022年11月28日 | わが庭の歳時記
   くす玉と言った雰囲気はないが、枝変わりというか、咲く花それぞれに違った色合いや花姿を見せる椿で、神楽咲き・牡丹咲き・抱え咲きと三様に咲き乱れると言うことで、興味深い椿である。
   わが庭の椿は、まだ、小木なので、それ程変化はないが、それでも、ピンク地の紅色の吹掛絞り牡丹咲きと赤い抱え咲きが咲き始めている。
   秋が深まる頃に咲き始めて、春まで咲き続けるようだが、華やかな椿である。
   
   
   
   
   

   もう一輪、凜とした濃いピンクの一重咲きの花を咲かせたのは千葉から持ってきた実生苗の椿、
   植木鉢に無造作に残していた種が発芽した実生苗が10株ほど残っていて、鎌倉に持ちこんで植えたもので、当然、雑種であるから親と同じ花は咲かないが、そのかわりに、どんな花が咲くのか分からない楽しみがある
   少なくとも2~30種類の椿が植わっていたが、赤い花の椿は小磯だけであったので、種は小磯であろう、
   しかし、この花は小磯より少し大輪で、それに、すぐに落花する小磯より花持ちが良く、しっかりとしている。
   椿は、鉢植えだと若木でもすぐに花芽を付けるが、庭植えにすると、実生苗だと10年以上経っても花が咲かないことがあり、まだ、3本くらいは花を見ていない。
   鎌倉でも実生苗を育てているが、どんな花が咲くのか楽しみにしていて、蕾がつくと嬉しくなる。
   尤も、ビックリするような新種はおいそれとは生まれない。
   

   モミジ鴫立沢の紅葉が残っている。
   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

相曽賢一朗&ヴァレリア・モルゴフスカヤ デュオ・リサイタル

2022年11月26日 | クラシック音楽・オペラ
   11月25日 浜離宮朝日ホールで、「相曽賢一朗&ヴァレリア・モルゴフスカヤ デュオ・リサイタル」が開かれた。
   相曽賢一朗(ヴァイオリン)&ヴァレリア・モルゴフスカヤ(ピアノ)
   プログラムは、
   ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第1番 ト長調 op.78/アザラシヴィリ:追憶,ガシャイレバ,ノクターン/
   ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第2番 イ長調 op.100/ヴィタシュヴィリ:詩曲/ツィンツァゼ:サチダオ,メロディー,ホルミ
   ブラームスのソナタに、ジョージアの民族的旅情豊かな小曲を鏤めたエポックメイキングなコンサートである。
   アンコールは、先月以降、相次いで逝去された相曽さんのご両親の冥福を祈り、追悼の意を込めて、タイスの瞑想曲"Méditation"

   重厚でオーソドックなブラームスのヴァイオリンソナタをメインにしたウクライナ音楽の夕べ
   「追憶」を冒頭に据えて、ジョージアの現代作曲家の「心に響くジョージアの調べ」を鏤めた、遠く離れた異国のサウンドとは思えないほど懐かしい相曽賢一郎独特の美音が、ヴァレリア・モルゴフスカヤの美しいピアノに伴われて感動を呼ぶ。
   そんな、実に温かくて優しく心に染みる素晴しい2時間であった。

   ジョージアは、かってのグルジア、
   北はロシア、南東はアゼルバイジャン、南はアルメニアとトルコに接し、西は黒海に面する東ヨーロッパの小国、
   新石器時代の遺跡が発見されていることからも太古からの文明発祥地で、ギリシャローマやペルシャ文明の影響を受けており、更に、モンゴルの支配下になり、隣国の強国トルコやロシアの圧政や蹂躙に翻弄されるなど苦難の歴史を経て、東西の文化文明を帯する複雑な国情を持っている。
   しかし、2008年、ロシアが軍事侵攻し、ジョージア北部の南オセチアとアブハジアの「独立」を一方的に承認しており、この暴挙に対して西側が十分に対応せずに見殺しにしたので、これに味を占めたロシアが、2014年にクリミアを占領し、今日のウクライナ戦争を引き起す遠因となった。

   相曽賢一朗は、ロンドン時代にジョージアとの縁が出来て、既に、10回以上もジョージアを訪れて音楽活動を続けており、第二の故郷の一つだと言っているほどだから、ジョージアには特別の思い入れがあるのであろう。
   伴奏ピアニストの奥方ヴァレリア・モルゴフスカヤは、ウクライナのキーウの音楽一家の著名なピアニストで、ジョージアとは、あい似た兄弟国家、
   ウクライナ戦争の悲劇を追悼する意味でも価値のある音楽会で、彼女の哀調を帯びたピュアーなピアノのサウンドが胸に響いて無性に愛おしい。
   
   これまで、相曽賢一朗の美音について書いてきたが、すで、欧米音楽行脚も30年を超えて円熟期の50代に入って、ヴァイオリンのサウンドにも、言葉には言い表せないほど、奥行きと幅の広さが増してきて、ビックリする。
   ブラームスのソナタなど、日本ベースで活躍する音楽家には絶対出せない土の香りがする本物のサウンドが響いている。
   相曽賢一郎については、ロンドンに留学直後の数年間の個人的付き合いの経験しかないが、
   元々、日本男児の典型のような好男子の相曽賢一郎が、日本人魂を胸に、クラシック音楽の故郷で本確定な教育を受けて、オーソドックスな音楽修行を通して欧米各国の音楽舞台で、おそらく、幾多の辛酸を嘗めて歩んできたのであろうから、異文化融合には練達しているのは当然であろう。

   ジョージアの小曲のアラカルト演奏は、相曽賢一朗が長い音楽行脚で経験した幸せな思い出の反芻のみならず、平和への限りなき願いを込めてのサウンドメッセージであろう。
   私には、ジョージアの民族色豊かな音楽というよりも、不思議にも、何となく優雅で優しいフランス音楽を聴いているような気がした。特に、「追憶」や「詩曲」など、情緒連綿としていて心に染みる。
   本格的なブラームスのソナタと民族色豊かなエキゾチックなサウンドを組み合わせて、違和感なくフィットしたコンサートを開くなどは、相曽賢一朗のキャリアが為せる技であろう。
   しみじみとしたコンサートで感動的であった。

   同時に、会場では、最新盤のCD「ジョージアの調べ 心に響くジョージアの小品集」が発売されていて、帰ってから、あらためてサウンドを反芻した。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わが庭・・・椿:菊冬至咲く

2022年11月24日 | わが庭の歳時記
   紅地白斑入りで千重咲の椿菊冬至が咲き出した。
   今年は、沢山蕾を付けすぎたので、かなり、間引いたのだが、中輪でこぢんまりした感じながら、華やかであり、秋咲きというのが嬉しい。
   何故菊冬至というのか、その命名の所以だが、GKZ植物事典によると、
   2説あって、
   その1は、菊花が、霜枯れでシーズンが終りかけた頃に咲くので「菊閉じ」、すなわち、菊冬至
   その2は、直垂の縫い目に付ける飾りの「菊綴じ」
   2の方は知識がないので分からないが、秋咲きの椿はそれ程多くないので、「菊閉じ」は感じが出ていて面白い。
   
   
   
   
   

   わが庭のモミジ
   鴫立沢は、ぼつぼつ終わりだが、   
   獅子頭は、やっと、先端が少し紅葉したところで、これから完全に紅葉すると、真っ赤に燃えるように美しくなる。
   
   
   

   やっと気づいたのは、ツワブキが日中運動をすること。
   小さな半坪庭に植わっている斑入りツワブキの花が、朝ガラス戸越しに見ると、こっちを向いているのだが、日中には明るい反対側の方向に首を振っている。夜に、部屋の明かりに引かれて内側に花を回転させるのであろう。
   ひまわりと同じようで興味深かった。
   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

デイズニー:ボブ・アイガーがCEOに復帰

2022年11月22日 | 経営・ビジネス
   WPが、Disney die-hards cheered Iger’s return. Now they’re demanding changes.と報じた。
   ディズニーの頑固者は、アイガーの復帰を歓迎。彼らは変化を求めている。と言うのである。
   先々週、ロバート・アイガー著「ディズニーCEOが実践する10の原則」を読んでブックレビューしたところなので、この記事に非常に興味を持った。

   ワシントン・ポストの報道の概要は、
   日曜日の夜遅くにディズニーの CEO 交代のニュースが流れたとき、ブランドの熱烈なファンは、「アナと雪の女王」や「ブラックパンサー」などの映画のクリップをソーシャル メディアに投稿して喜んだ。ある人気のあるミームは、ボブ・アイガーのカムバックを「ライオン・キング」に準えて、「王様が帰ってきた」と言った。
   そして、彼らは要求のリストを提示し、新しく復職した幹部に、企業収益ばかりに固執するので「ペイチェック」と揶揄されていた追放された CEO のボブ・チャペック の所為だとする過ちのいくつかを改めるよう懇願した。同社の発表によると、アイガーは2年間の任期に同意し、後継者を育成する任務を負っている。
   チャペックの辞任と アイガーのCEO再任は、同社がストリーミング事業の巨額の損失を報告してからほぼ 2 週間後に、ニュース リリースで発表された。ロイター通信によると、同社の株価は急落し、雇用の凍結と一時解雇の計画が続いた。
   ディズニーのテーマパークへの訪問者は、価格の上昇、以前は無料だった特典の廃止、複雑な新しいラインスキップサービスを嘆いて、ずっと以前から失望を共有していて、チャペックの解任を求める Change.org の嘆願書に、予算削減、人員削減、公園での経験の減少を理由に、117,000 人以上の支持者が集まった。
   2005 年から 2020 年まで CEO を務め、昨年末まで会長を務めた アイガーが戻ってきたというニュースにより、多くのファンはプリンス チャーミングが助けに来るのを見る思いをした。多くの人気のない決定が下されたときに彼が権力の座にあったという事実は、彼らを動揺させなかったようである。

   さて、デイズニーついては、アイガーの前述の本を読んだくらいで、一般的な知識しかないので、何とも言えないが、気になったのは、前述の記事の最後の部分、「多くの人気のない決定が下されたときに彼が権力の座にあったという事実」で、アイガーは、2019年末より2021年12月まで、流行した新型コロナウイルスによる混乱を理由に経営執行役会長としてウォルト・ディズニー・カンパニーの業務を指揮していたので、チャペック経営時代の業績悪化について、責任はないと言えないと言うことである。

   日経の報道では、
   経営悪化の深刻度を深めているのは、アイガーがCEO末期に最も力を入れて始めたストリーミング事業、動画配信サービスの「デイズニー+」である。会員を1億6420万まで増やした一方で、規模の拡大を重視して作品製作や宣伝に投資を重ねた結果、配信事業で過去最大の営業赤字を計上した。24年の黒字化を目指しているが、インフレ下での値上げが客の離反を招き、期待を掛ける広告付きプランで競業他者に先を越されるなど、動画配信事業などの将来像を示しきれず、株価は年初来4割落ち込んでいると言う。
   
   尤も、チャペックの経営姿勢も軋轢を生んでおり、コスト削減のため、マーケティング費用や出張費などの抑制と合わせて人員削減に乗り出す指示などで社内に不安を煽っている。
   チャペックがCEOになってからは、コロナの猛威で、テーマパークの閉鎖などで、メディアエンターテインメント業界に壊滅的な打撃を与えて、ディズニーの業績悪化は必然であったので、アイガーが毛嫌いしているMBAのチャペックが、理論通りに、コスト削減で経営指標の辻褄を合わせようとするのは、当然であって、批判するのはコクであろう。

   アイガーの中興の祖としての経営手腕には、注目すべきは勿論である。
   やはり、CEOに就任するに当たって打ち立てた3つの経営戦略、第1に良質なオリジナルコンテンツを増やすこと、第2にテクノロジーへの投資と発展、第3にグローバルな成長発展、を立て果敢に経営を推進して、ICT革命下の最先端を行く科学技術、デジタルテクノロジーを縦横に駆使したグローバル企業に成長させた業績は見上げたものである。
   しかし、業績の根冠となったのは、スティーブ・ジョブズを説得して成功したピクサー・アニメーション・スタジオを皮切りに、マーベル・コミック、ルーカス・フィルム、21世紀フォックスを買収して、大をなしたことで、デジタル化による科学技術の発展とグローバリゼーションの進展という時代の潮流に上手く乗ったことにもよる。

   ところが、今や、巨大なメディアエンターテインメント企業に生長拡大したディズニーは、最先端の技術戦略で成功を企図した動画配信サービス事業で暗礁に乗り上げている。
   しかし、この事業の収益化と同時に、最も喫緊の緊急問題、すなわち、アイガーの当面の重大業務は、経営の悪化したディズニーの経営の再建であって、攻撃型で事業拡大を策する彼の経営手法とは相容れない守りの経営なので、その手腕は未知数である。
   攻撃は最大の防御なりと言うが、北米市場では頭打ちムードの動画配信事業での拡大強化は、難しいとなれば、まだ成長軌道にあるクラウドとAIを活用して、新しい事業戦略を打ち立てられるのであろうか、それに対する戦略戦術如何に命運が掛かっているような気がしている。。
   
   さて、ブルームバーグが、Amazonが「ハリウッド化」と、次のように報じた。
   10億ドル(約1400億円)以上を投じて劇場公開用の映画を製作する計画だと、事情に詳しい複数の関係者が明らかにした。インターネット企業としては過去最大の劇場向け映画投資となる。この戦略はまだ最終的な調整の段階にあるとして、匿名を条件に話した関係者らによれば、アマゾンは最終的に年間12ー15本を製作し、劇場で公開することを目指している。そうなればパラマウント・ピクチャーズといった大手スタジオと肩を並べることになる。
   先行きは分からないが、将来的には、デイズニーの脅威となって競合市場を蚕食することは間違いないであろう。Amazonはデジタル事業では桁外れのメガ企業であり、デイズニーが太刀打ちできそうにないことは明らかであろう。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

NHK:自然にも“権利”を 法律は地球を救えるか

2022年11月20日 | 地球温暖化・環境問題
   NHK BS1で、「自然にも“権利”を 法律は地球を救えるか」を観た。
  「自然」を法人として扱い、川や森、野生動物の代理人として、企業や政府と司法の場で闘うという新たな発想に注目する。こうした環境保護の戦略は希望をもたらすのか…。と言う、非常に興味深い番組で、ポーランドの原始林保護や、エクアドルのガラパゴスのサメ、ニュージーランドのファンガマイ川やフランスのロワール川の法人化を題材にして、自然保護の現状を語っている。NGOの活動だけでは、埓が開かないので、自然も人間と同じ権利を持つべきで、法律で地球を救おうという試みである。

   NHKの概要説明を、そのまま引用すると、
環境保護活動の新たな手法として注目を集め始めているのが「自然」を法人として扱い、川や森、野生動物の代理人として、自然を壊す企業や自然を守る義務を果たさない政府と、立法や司法の場で闘うという発想だ。先住民が崇拝する川に法人格を認める法案が可決されたり、欧州司法裁判所が森林伐採の中止を命じたりした事例を取材し、新たな自然保護の戦略の未来を探る。 原題:Green Justice(フランス 2021年)

   殆ど死滅したと思っていた原生林が、まだ、ヨーロッパに残っていると知って驚いた。
   それは、ポーランドとベラルーシの国境にあるヨーロッパのAmazonと呼ばれているビャウォヴィエジャの森である。
   ポーランドの環境大臣が、害虫拡散防止と称して森を大々的に伐採したので、世界各地から集まった環境保護団体やNGOが積極的に抗議活動を行って阻止したが埓が開かず、EU委員会に提訴して勝訴して、法律違反でEUがポーランド政府に伐採停止命令を発した。しかし、伐採された森を回復するために100年掛かるという。

   もっと進んでいるのはエクアドルで、2008年に、憲法を改正して、自然にも権利があると定めたのである。
   新任のコレア大統領が環境保護団体の意見を採り上げて先住民も加わって、憲法に、自然の生存権を盛り込んだ。
   この法案での最初の原告は、ガラパゴス近海のサメで、中国船の常軌を逸したサメ乱獲に対してであった。
   ガラパゴスには、多くの絶滅危惧種が生息していて保護区への立ち入りが厳しく禁止されているのだが、2017年に、漁船の立ち入り禁止の海洋保護区に、中国の冷凍船が侵入したので拿捕して調べてみると、船内には膨大なサメの死骸、頭と鰭を切り落とされたサメの胴体を調べてみると、全数6226匹。
   大々的なデモや抗議活動が巻き起こり、船長以下乗組員に3年の実刑判決と600万ドルの罰金判決が下されて、世界中に横行する密漁禁止への一里塚となった。
   また、同国のロス・セドロス生物保護区では、280匹に激減して絶滅を危惧されているクモザルを保護するため、法に訴えて鉱山会社の破壊を阻止したという。自然の法人格を憲法で規定したエクアドルだから出来た快挙である。
   私は、ブラジル駐在の時に一度だけキトーを訪れたことがあるが、非常に貧しい最貧国であったが、リーダーが英明であれば、どんな国でも素晴しい指針になる査証で感激している。

   川の権利が認められたのニュージーランドのファンガヌイ川、
   マオリ人達が神聖な川として守り続けてきた川が、往来が激しくなり発電など開発で流れを変えられたりしたので訴えたところ、議会は、川も命ある実在物であると法人格を認めた。それ以降、マオリの代表者会議がこの川の権利を一切継承して保護することになった。

   このニュージーランドの例に倣って、立ち上がったのはフランスの唯一自然の流れを残しているロワール川。
   法学者が中心となって、ロワール川にも法人的な人格を持たせて保護しようとロワール議会を立ち上げて活動している。
   自然環境保護に対して裁判を起して、政府に勝利したフランスであるから、企業の利益至上主義と政府の怠慢故に、ドンドン、自然環境を破壊して、宇宙船地球号を危機に追い詰めている悲しい人間の性を、押しとどめてくれるであろう。
   このロワール川だが、流域に美しい古城が建ち並んでいて、車でハシゴすると人類の遺産の凄さを感じて感激の限りだが、レオナルド・ダ・ヴィンチの終焉の地に立ったときには、感動してしばらく動けなかった。
   このロワール川が原発事故で汚染されていると言うのだが、とうとうと流れるロワール河畔に広がるワインの葡萄畑を見ていると、そんな悲劇など分からないほど、牧歌的で美しい。

   もうこれだけで、蛇足は避けるが、
   自然に恵まれた日本は、自然に人格を認め得るであろうか。

   日本には、プレイもしない人格もないはずのゴルフに法人会員権を認めて、会員権を売りまくって、日本中の美しい国土を、あばただらけの哀れな姿に変えてしまった。
   私もジェントルマンクラブRACのメンバーであったが、イギリスのクラブは、選ばれた資格のあるメンバーのみの会員で構成されてており、入会は簡単ではない。普通2名の会員の推薦を受けて入会申請して、書類審査を受けて、長い間待って、厳しい面接試験をパスしてジェントルマン(?)と認められてメンバーとなれる。
   クラブのメンバーになるのは非常に難しくて何年も待たなければならないので、嘘か本当か、男子が生まれると、すぐに入会申請を出すという話もあるほどである。
   RACは、当然、ゴルフコースを持っているので、ゴルフ会員権は付属しているのだが、私はゴルフをしないので活用しなかった。
   私がヨーロッパに居た頃には、Japan as No.1の時代であったので、お金さえ払えば会員権を取得できて、自由にプレイできる日本から沢山のゴルフ中毒の日本人ビジネスマンが、ヨーロッパのゴルフ場に押しかけたのだが、メンバーではないし、出来たとしても、派手なコンペなどジェントルマンらしからぬ行為で風紀を乱したと言うことで顰蹙を買い、ゴルフ場から排斥されていたことがあった。
   勿論、カネにあかせて、日本の業者が進出して、新しいゴルフ場を作ったのだが、どうなったことか。   

   このような法人格を融通無碍に解釈する法治国家の日本だが、残念ながら、自然に対する法人格認定に関しては、何でもイチャモンを付けて妨害する団体が多いので、望み薄だと思っている。
   

   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

11月国立名人会 ~上方落語を味わう夕べ~

2022年11月18日 | 落語・講談等演芸
   コロナ騒ぎで、全く久しぶりだが、上方落語というので、懐かしくなって、国立演芸場へ出かけていった。
   啄木ではないが、元関西人として、そを聞きに行くと言う気持ちである。
   それに文珍も聴きたかった。

   プログラムは、次の通りである。聴いていて、「あくびの稽古」くらいしか分からないので、演目は、終演後に張り出されたビラの写しである。
落語 桂紋四郎 鷺とり
落語 桂三四郎 二転三転
落語 笑福亭仁智 ハードラック
- 仲入り -
落語 林家花丸 あくびの稽古
落語 桂文珍 持参金

   インターネットで見れば、演者が、「二転三転」は桂三四郎、「ハードラック」は笑福亭仁智だけなので、新作なのであろう。
   「二転三転」は、主人の転勤で、大阪から東京、東京から大阪へと移転する家族の身勝手な悲喜こもごも、
   家族達は、最初は行き先をコテンパンにけなして抵抗するが、慣れてしまって帰るのは嫌だと豹変・・・大阪と東京の言葉や生活や気質の違いを浮き彫りにして面白い。
   「ハードラック」は、不運。不幸。人生に絶望して、自殺しようと思った男が、いろいろ試みるが、幸か不幸か悉く失敗するという話。

   文珍は、枕で、テレビのことを話して、NHKのアナウンサーが、詳しくはQRコードで、と言うが詳しく説明しろ、
   面白かったのは、徹子の部屋を観ているのだが、これは、聞き取り能力のチェックだと語って、対照的な、徹子と丸山 明宏の声音を披露。
   失言で失脚した法務大臣に触れて、冗談についてひとくさり、落語を聞いて勉強せよ。

   時間が経ったので、登場人物の名前など忘れてしまったので、米朝落語の名前を借りて説明すると、
   不精者の辰のところへ、伊勢屋の番頭がやってきて、あるとき払いで返す約束の借金20円を至急返してくれと言う。返すカネなどある筈のない辰が困っていると、そこへ、金物屋太助がやって来て、嫁はんを貰えと言って、女性を紹介するが、「歳は32。体型は寸胴で、色は透き通るように黒い。繋がり眉毛、目は小さくて鼻は上を向いている。口は大きくて、ご飯は5杯食べる。・・・それに、お腹に来月産み月の赤ちゃんがいる。」と言うので断わると、持参金が20円だという。20円欲しさに即決して、その夜嫁が来て一夜を明かす。
   翌朝、伊勢屋の番頭がやって来て、辰がカネの工面ができたと言うので気が緩んで、何故20円が必要になったかを語り出す。店の代理で会合にでてシコタマ飲みすぎてヘベレケになって帰ったら介抱してくれたお鍋に手をつけて身ごもらせてしまった。困って、金物屋の太助に相談したら、早う宿下がりさせ!そんなおなごでも金の二十円もつけたらどこぞのアホがもらいよる。と言うことで20円が必要になった。仲立ちしたのが金物屋の太助で、色は透き通るように黒いと言う話で、昨夜貰った嫁がそのお鍋だと言うことが分かる。
   辰が、この手ぬぐいを20円だと思って、伊勢屋の番頭に返すと、その伊勢屋の番頭が、金物屋太助に渡し、お鍋の持参金として、その金物屋太助から、辰は20円のつもりで手ぬぐいを受け取る。と言う話になって、オチは、金は天下の回りもんやなぁ!

   これが米朝の「持参金」だが、文珍は
   寝物語であろうか、お鍋から、話を聞いて、つれない伊勢屋の番頭への意趣返しに身ごもったと嘘をついたなどと聞き、自分と同じ苦労人で、非常に性格も良く良いおなごで、気に入っていると金物屋太助に語ると、「ご縁(5円)やなあ」と応える。オチは、「20円!」
   元々、20円など、どこにもないのだが、辰の拘るのは、あくまで20円で、「嫁はんつきで、二十円、もらいまひょ」という辺り、嫁は来たが20円は忘れたと言われて、「それが肝心やないかいな!! 忘れるんなら、嫁はん忘れなはれ」などなど、辰が20円をセッツクのだが、ない袖は振れない金物屋太助が一向に良い返事が出来ない頓珍漢な会話、身勝手で調子外れの伊勢屋の番頭の言い分など、ナンセンスでとりとめもないストーリーながら、文珍は、丁寧にしっとりとした大阪弁で語り、面白かった。

   「鷺とり」は、金銭目的で鳥を捕まえようとして失敗した男の起こす騒動を描いた噺ということで、良くそんな馬鹿なことをかんがえるなあと言ったナンセンスな落語なのだが、笑わせるところが、噺家の芸、
   「あくびの稽古」だが、本当にあくび指南の教室があるのかどうか、ナンセンスを通り越して笑いの世界もここまで来ると、もう芸術、
   いずれにしろ、大阪弁の上方ムード満開の落語会を期待して行ったのだが、一寸拍子抜け、
   古典落語は、東西殆ど同じストーリーで、この日の噺家の中には東京ベースで活躍している人もおり、歌舞伎と同じで、上方芸能は、ドンドン消えて行くのであろうか。
   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

椿が咲き始めた、そして、ボジョレーヌーボー

2022年11月17日 | 生活随想・趣味
   朝早く、AEON de WINEから、ボジョレーヌーボーが届いた。11月第3木曜日は、ボジョレーヌーボーの解禁日である。
   最近では、殆ど毎日のようにワインか日本酒を晩酌にしているので、とりたてて、ボジョレーヌーボーに拘ることもないのだが、まあ、一種の季節のメリハリと言うことであろうか。
   欧米に長くいて、もう、何十年もワインを飲み続けていていながら、ワイン通と称する素人が、ワイングラスを粋に傾けて、「深い紫色。香りは力強く、ブラックチェリーや野イチゴなどの熟れた果実のアロマがあり・・・」などと蘊蓄を傾けて口ずさむ、そんな仕草さえ出来ずに、いわば、飲んでいるというだけという体たらく。
   それでも、飲む食べ物として、食事の伴奏よろしく、欠かせず飲み続けているのだから、好きだと言うことであろう。
   

   椿が、蕾が少しずつ色づきはじめて、一輪一輪と咲き始めてきた。
   まだ、木に一輪咲いただけなので華やかさはないが、これから、寒さに負けずに春に向かって少しずつ開花して行く。
   寒波に抗して咲き続けるので、自然の摂理で花弁を葉っぱが覆うのだけれど、か弱い綺麗な花が、可哀想に痛めつけられて傷を受ける。

   咲き始めたのは、まず、曙。
   ピンクの優雅な花である。
   
   

   もう一つ咲き出したのは、エレガンス・スプレンダー。
   この株は、園芸店で買った親木が病気持ちで葉が黄ばんで枯れ始めたので、残っていた真面な枝を取って挿し木で育てたものだが、正常な株として元気に育って、花を付けたのである。
   蛇足ながら、いろいろな育種業者から苗木を買って来たが、生き物なので当たり外れがあって、それに、良いか悪いか少し時間をおかないと分からないので、クレイムや交換も難しく、結構ロスがある。
   少し高いが、タキイだけは、間違いなく信頼できる良い会社だという印象を持ってる。
   
   
   菊冬至ほ、蕾が膨らみ始めてきた。

   落葉樹は、葉を落としている。
   わが庭のモミジは、どうしても綺麗なかたちで紅葉しきれないのが惜しまれる。
   
   
   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国立劇場11月歌舞伎公演 “歌舞伎&落語 コラボ忠臣蔵”

2022年11月16日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   国立劇場の11月歌舞伎公演は、 “歌舞伎&落語 コラボ忠臣蔵”
   次のような演目で、面白いと思って久しぶりに国立劇場に出かけた。
   歌舞伎座で、團十郎の襲名披露公演が掛かっている所為もあってか、劇場はガラガラ。

   落語 春風亭小朝の、一、殿中でござる と  二、中村仲蔵
   歌舞伎  仮名手本忠臣蔵
      五段目 山崎街道鉄砲渡しの場
         同   二つ玉の場
     六段目 与市兵衛内勘平腹切の場

   さて、「コラボ忠臣蔵」と言うことだが、この落語と歌舞伎で共通項のあるのは、中村仲蔵だけであるが、これが興味深い。
   私は、歌舞伎では何回も中村仲蔵案出の斧定九郞を観ており、文楽でも聴いて観て、そして、中村仲蔵は、落語でも聴いており、講談だけは縁がないが、神田伯山のビデオを観てこのブログで感想を書いている。
   それに、先日、NHK BS4Kで、中村勘九郎の「忠臣蔵狂詩曲No.5 中村仲蔵 出世階段」を観ており、それぞれに、バリエーションはあるが、話の筋は良く分かっている。
   歌舞伎の名門の血筋ではない役者が、己の才覚のみで出世していく下克上の物語である。
   中村仲蔵は、團十郎の贔屓で名題にまで出世するが、これが面白くなかった座付き作者の金井三笑が、嫌がらせに、仲蔵に、五段目・山崎街道の斧定九郞、ただ一役を振り当てて、台詞もただの一言「五十両」だけ。五段目は「弁当幕」と言って、客は芝居を観ていないし、汚らしい斧定九郞など眼中にはない。
   腐った仲蔵に、女房のお岸が、「客をあっといわせるような、これまでになかった定九郎を演じては」と発破を掛ける。
   着付けが悪いのは分かっても名案が浮かばない。
   柳島の妙見様に日参した帰り道、急に大粒の雨が降り出し、近くの蕎麦屋に駆け込む。そこへ歳の頃なら32、3歳の浪人風の粋な格好の武士が飛び込んできた。色は白い痩せ型の男で、着物は黒羽二重で尻をはしょっていて、朱鞘の大小落とし差しに茶博多の帯で、その帯には福草履を挟んでいる。破れた蛇の目傘を半開きにして入って来て、傘をすぼませてさっと水を切ってポーンと放りだし、伸びた月代を抑えて垂れた滴を拭うと、濡れた着物の袖を絞って、蕎麦を注文。
   この光景を見て感激した仲蔵が、趣向を考えて新しい斧定九郞像を作り上げて、大成功を収めて座頭にまで出世する。

   この中村仲蔵が考案した小野定九郞像が、歌舞伎の定番となって、今日の舞台に踏襲されていて、名優が演じる。
   今回の歌舞伎では、この斧定九郞を、重鎮中村歌六が演じていたが、実に絵になる素晴らしい舞台であった。

   蛇足ながら、歌舞伎の舞台では、
   中村仲蔵の脚色で、黒羽二重の着付け、月代の伸びた頭に顔も手足も白塗りにして破れ傘を持つという拵えの定九郎が、与市兵衛が、稲掛けの前にしゃがみこんだところを、突如二本の手を伸ばして、与市兵衛を引き込んで、与市兵衛を刺し殺して財布を奪う。財布の中身を探って、「50両!」。
   イノシシに向かって勘平が撃った二つ玉に当たって、死んでしまい、勘平に財布を持ち去られる。
   ところが、文楽では、オリジナルの浄瑠璃を踏襲していて、
   老人が夜道を急ぐ後を定九郎が追いかけて来て呼び止めて、「こなたの懐に金なら四五十両のかさ、縞の財布に有るのを、とっくりと見付けて来たのじゃ。貸してくだされ」と老人に迫って、懐から無理やり財布を引き出す。
   老人は、抵抗して抗いながら、これは、自分の娘の婿のために要る大切な金であるから許してくれと、必死になって哀願するが、親の悪家老九太夫でさえ勘当したと言う札付きの悪人定九郎であるから、理屈の通らない御託を並べて、問答無用と、無残にも切り殺す。
   NHKのビデオでは、三笑がこの舞台をバッサリと切ってしまって、勘九郎の仲蔵の出番を、二本の手を伸ばして財布に手を掛けるところからにしてしまう。

   春風亭小朝の落語は、やはり、こじんまりした寄席で聴いてこそで、大きな大劇場では、全く無理。
   「殿中でござる」は、忠臣蔵総論だが、浅野内匠頭を思慮を欠いた殿にして吉良上野介のどこが悪い!と言った雰囲気の話をしていた感じであった。
   別に赤穗贔屓というわけではないが、元兵庫県人としては、あまり面白くない。
   しかし、小朝の話では、最近では、「忠臣蔵」を読めない若者が多くいて、人気がなくなっていると言う。客入りが悪ければ、オペラなら「カルメン」、芝居なら「忠臣蔵」を上演すれば大入り満員と言われていた時代は、遙か昔。
   落語の「中村仲蔵」は、講談の話と筋は殆ど同じなので、メリハリの効いた小朝の名調子が心地よい。
   後で国立演芸場の上方落語で、ナラティブ崩れの新作落語を聴いたが、やはり、このようなストーリーがしっかりとした落語の方が、はるかに好ましいと思っている。

   さて、歌舞伎の方だが、大仰なオーバーアクションの芝翫の勘平には一寸違和感を感じたが、これまで観た勘平像とは違った意欲的な舞台が新鮮であった。
   久しぶりに観た市川笑也の女房おかる、猿之助一座の花形女形の面目躍如で、瑞々しくて色香を感じさせるしっとりとした舞台に脱帽、
   母おかやの中村梅花はじめ、歌六、萬次郎、歌昇、松江など脇を固めた名優達が舞台を盛り上げていて楽しませてくれた。
   翁家社中の太神楽が、一服の清涼剤。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

PS:ダニ・ロドリック「地政学で世界経済を殺してはいけないDon’t Let Geopolitics Kill the World Economy」

2022年11月15日 | 政治・経済・社会
   ダニ・ロドリックの「Don’t Let Geopolitics Kill the World Economy」が、米中貿易の深刻さを語っていて興味深い。
   グローバル化された世界において、自国の利益を追求しようとして、大国は、貿易と技術の政策を慎重に調整し、競争相手の発展成長の可能性を弱体化させようという明確な目的を持って設計された措置を取るべきではない。中国に対する最近のアメリカの動きは、これに反して危険である。と言うのである。

   バイデン大統領は、「中国に対する本格的な経済戦争」を開始して、米国は中国企業への高度な技術の販売に関する膨大な数の新しい制限を発表し、ファーウェイなどの個々の企業を標的にしたトランプよりもはるかに先を行き、新しい措置は、ハイテク大国としての中国の台頭を阻止することを目的としており、その野心は驚くべきものである。
   米国はすでに、高度なチップの研究や設計などの「チョークポイント」を含む、世界の半導体サプライ チェーンの最も重要なノードのいくつかを管理している。この新しい措置は、難所の管理を維持するだけでなく、中国の技術産業の大部分を積極的に絞殺するという新しい米国の政策を開始するための、前例のない程強烈な政府の介入を伴っている。
   バイデンの戦略には相互に関連する 4 つの部分があり、サプライ チェーンのすべてのレベルを対象としている。目標は、中国の人工知能産業によるハイエンド チップへのアクセスを拒否すること、米国のチップ設計ソフトウェアと米国製の半導体製造装置へのアクセスを制限することにより、中国が国内で AI チップを設計および製造することを阻止すること、米国製部品の供給を禁止することで、中国による独自の半導体製造装置の生産を阻止する。
   このアプローチは、中国が米国にとって重大な脅威となっているという幅広い超党派の合意があり、バイデン政権の見解を動機付けている。

   いずれにしろ、科学技術強国を目指しているものの、中国の高度な工業製品の内、40%近くが西側諸国の部品を使用していると言うから、中国には、アメリカに対抗できる能力は十分に備わっていない。

   しかし、何に対する脅威なのか?
   中国が脅威であるのは、米国の基本的な安全保障上の利益を損なうからではなく、より豊かになり、より強力になるにつれて、世界の政治的および経済的秩序のルールに影響力を行使したいと考えているからである。
   米国は、責任を持って両国間の競争を管理することに引き続き取り組んでいるとしており、これは、米国が技術、サイバーセキュリティ、貿易、および経済における世界的なルールを形作る上で、揺るぎない力であり続けたいと望んでいることを意味する。
   こうした対応によって、バイデン政権は、ポストユニポーラ世界の現実に対応するのではなく、米国の優位性を倍増させている。この新しい輸出規制は、米国において、中国軍を直接支援する技術 (したがって、米国の同盟国に脅威を与える可能性がある) と商用技術 (中国だけでなく他の国に経済的利益をもたらす可能性がある) を区別することをあきらめ、軍事用途と商用用途を切り離すことは不可能であると主張する勢力が勝利を収めたことを明確に示している。

   米国は今や、一線を越えてしまった。中国の商業部門と軍事部門の絡み合った性質によって部分的に正当化できるとしても、このような大雑把なアプローチは、それ自体が重大な危険を引き起こす。米国の新たな規制を、積極的なエスカレーションだと捉えれば、中国は、報復の方法を見つけ、緊張を高め、相互の恐怖をさらに高めるであろう。

   大国 (そして実際にはすべての国) は、必要に応じて他の大国に対して対抗措置を講じて、自国の利益に気を配り、国家の安全を守る。安全で繁栄し、安定した世界秩序には、これらの対応が適切に調整されている必要がある。相手側のポリシーによって与えられた明確な損害に関連付け、それらのポリシーの悪影響を軽減することのみを意図する必要があり、競争相手を罰したり、長期的に弱体化させるという明確な目的のために、対応を追求すべきではない。ハイテクに関するバイデンの輸出規制は、この基準からは程遠く、失格である。

   中国に対する米国の新しいアプローチは、他の盲点も生み出している。国家安全保障戦略には、気候変動や世界の公衆衛生など、中国との協力が重要となる「共通の課題」も重要である。しかし、中国に対する経済戦争を追求することが、信頼を損ない、他の分野での協力の見通しを損なうことを認めていない。それはまた、より価値のある目標よりも中国を打ち負かすという目標レベルを引き上げて、国内経済の課題を歪めている。米国の産業政策が現在焦点を当てている、非常に資本集約的でスキル集約的な半導体サプライ チェーンへの投資は、米国経済で雇用を最も必要としている人々のために良い仕事を生み出すための最も費用のかかる方法である。

   ハイパーグローバリゼーションの問題点は、大手銀行や国際企業に世界経済のルールを書かせたことであったが、それが我々の社会構造にどれほどのダメージを与えたかを考えると、脱グローバル化で、今そのアプローチが弱体化していることは良いことである。より良いグローバル化を形作る機会が我々にあるのだが、残念ながら、現実には、米中対立がその典型であるが、大国は別のさらに悪い道を選んだようで、現在、世界経済の鍵を国家安全保障機構に手渡して、世界の平和と繁栄の両方を危険にさらしている。

   さて、「グローバリゼーション・パラドクス」の著者で国際貿易の権威とも言うべきダニ・ロドリックだが、このブログでも何度も取り上げているのだが、ロドリックの選択する道は、ハイパーグローバリゼーションを犠牲にして、民主政治の中心の場として国民国家を維持し、ブレトンウッズ体制を再構築することで、グローバル化を適度に調整して適切なグローバルなルールに基づいた体制を作り上げ、国民国家を維持しながら、より水準の高い国民民主主義を築き上げるべきだと言うことで、中庸を得た穏健な考え方である。

   この論文では、ロドリックは、貿易においては商業部門と軍事部門と区別して規制せよと言うことだが、ウクライナ戦争で証明されているように、現実には民生用製品が軍用に転用されており、民軍の振り分けなど無理である。
   また、ロドリックは、中国経済については、
   先月の全人代で、習近平による独裁体制が完全に確立された。共産主義の中国は決して民主主義ではなかったが、毛沢東後の指導者たちは耳を傾け、下からの声に注意を払い、悲惨な事態になる前に失敗した政策を覆すことができた。しかし、習近平による権力の集中化は、これまでとは異なるアプローチを表しており、タンキング経済、費用のかかるゼロ COVID 政策、人権侵害の拡大、政治的弾圧など増大する深刻な問題にどのように対処するかについては、良い前兆でははない。と先行きを悲観している。
   タンキング経済(tanking economy)とは、経済が落ち込み、人々が景気後退を恐れていることを意味と言うことらしいが、中国経済は、不況局面に突入しつつあると言うことであろうか。
   いずれにしろ、これまで紹介したように、西側の学者や識者のあいだでは、習近平中国の経済の先行きに期待する見解は皆無であったのが興味深い。
   米中首脳会談が行われたが、何の進展のもなかったものの、一触即発の危機は避けたので、まず、安心という所であろうか。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

帝国の遺産 ――何が世界秩序をつくるのか ロシアの場合

2022年11月13日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   かって、その国を支配していた帝国の歴史が、その国の今日に大いに影響を与えているという。
   サミール・プリ の「帝国の遺産 ――何が世界秩序をつくるのか」The Great Imperial Hangover: How Empires Have Shaped the World

   世界の帝国の遺産が、我々が直面している最も厄介な問題、ロシアのウクライナ侵攻からブレグジット、 トランプの「アメリカ第一」政策から中国のアフリカ進出、モディのインドから中東の火薬庫まで、世界の複雑なライバル関係と政治を形成しているとして、大胆な新しいフレームワークを提供しながら、地域ごとに、安全保障、外交政策、国政、通商などの重要なトピックをカバーして論じており、歴史論としても興味深い。
   hangoverと言うタイトルが面白い。和訳すると、二日酔い、残存物、遺物 と言うことだが、言わんとすることは何となく分かる。

   ロシアが帝国を作ったのか、それとも帝国主義の発展過程がロシアを作ったのか、ロシアの発展は、領土拡大と表裏一体の関係にあった。ロシアは歴史的に帝国的な性格を持ち、伝統的に独裁政治を続けている。なぜ現在に至るまで隣国を力尽くで抑圧してきたのかは、その性格に追うところが大きい。したがって、ロシア皇帝あるいはロシア帝国のいずれに注目しても、そこには帝国の遺産の影響が見られる。
   ロシア政府の高官達は、ウクライナ紛争におけるロシアの行動を批判する声を聞いても、全くの無関心で、外部から血相を替えて憤慨したところで、何も変らないと思っている。
   ロシアのヨーロッパに近い地域の歴史は、9世紀から13世紀にかけて、バルト海と黒海に挟まれた、西はヴィスワ河までの地域で暮らしていたスラブ系民族を統合して出来たキエフ大公国から、本格的に始まっている。すなわち、ロシア、ベラルーシ、ウクライナの歴史的遺産は、キエフ大公国にまで遡るのである。と言う。
   ノボロシアの説明よりも、この方が、3国が同根だというプーチンの持論が理解しやすい。

   その後、征服に征服を重ねて、1860年代には、東方はアラスカ、西方はヨーロッパ、南方は中央アジアと多方面に拡大して、多様な文化を吸収した。地理的には東洋と西洋に跨がってはいるが、ロシアの支配階級の文化は、ヨーロッパ的な王朝文化とキリスト教に根ざしており、それを身を以て体現したのはピョートル大帝とエカテリーナ二世で、ヨーロッパ列強と隣り合わせにあるロシアの地理的状況を敏感に嗅ぎ取っていた。
   革命後、レーニンもボリシェヴィキも体制を替えようとしたが、帝国のDNAを脈々と受継いでいるロシアで、帝制に代わる政治体制を打ち立てようとしても、そのDNAを書き換えることは出来なかった。共産政府を樹立してソ連を誕生させたボリシェヴィキだったが、中身はまるで帝国で、ロシアが目指したのは国民国家ではなく、姿を変えた帝国の再スタートだったのである。

   その帝国主義的な性格は、衛星国や共和国の扱い方に鮮明に現われ、周辺地域を服従させ搾取した。
   スターリンの圧政は筆舌に尽くしがたいが、
   1932年から33年にかけて、独立運動が高まっていたウクライナを妨害するため、政策によって人為的なウクライナ大飢饉を引き起こしたが、
   この「ホロドモール  ウクライナ語で飢え・飢饉を意味するホロド (holodo)と、殺害、絶滅、抹殺、または疫病を意味するモル (mor) との合成語・造語 で、飢餓による殺害 (death by hunger) を意味する」が典型的な事件で、長年に亘るロシアの圧政に対して、ウクライナ国民の恨みは凄いはずである。

   ところで、ソ連崩壊後、ロシア経済は破綻寸前まで落ちこみ国家存亡の危機に直面したが、それを逆転するために、誇り高いロシアは、欧米世界を模倣したりせず、ロシア人を触発して導いてくれる数々の帝国の遺産が存在するので、それを利用した。その遺産を上手く利用できるのは、ロシアの政治システムを知り尽くしたインサイダー、情報機関だという。
   情報工作員のように考えるには、独特の思考回路を必要とし、他の職業では使わないようなスキル、諜報部員の得意とする偽装や隠蔽を指す「権謀術」を活用することで、プーチンがロシアにもたらしたのは、この「権謀術」を国政術に変えたことである。こうして彼が率いるロシアは、帝国の遺産の綻びかけた糸を何本も拾い上げては結び直して、新しい時代を築いていった。そして、ロシア帝国の遺産を受け入れて、国政術に情報機関の操作力や機動力を吹き込んでいった。と言うのである。
   このKGBで育ったプーチンのテクノクラートとしての卓越した政治力の開眼については興味深い指摘である。

   プーチンが支配を固め、独裁の伝統が復活して、20年以上の権力は保証されている。
   ロシアには広大な国土に、他民族や多様な言葉を話す民族が存在し、それを束ねる強力な支配者が何世紀にもわたって存在し、権力が行使されてきた。ロシアの伝統は、この国になぜ独裁政治が根付き、今もそれが続いているのかを説明している。

   著者は、最近のロシアの状況やプーチンの政治手法など詳細に論じているが省略する。
   ウクライナ戦争については、目的のためには手段を選ばないロシア帝国の外交政策であり政治手法の発露であり、プーチンは、これまでのロシア皇帝にならって振る舞っているだけだと言うことである。
   「ロシア帝国の二日酔い」であろうか。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋日和のわが庭でのひととき

2022年11月12日 | 生活随想・趣味
   この数日、素晴しい秋日和の日が続いている。
   昨日は、久しぶりに東京に出て、国立劇場で歌舞伎を観て、その後、国立演芸場で上方落語を聴いて、古典芸能をハシゴした。
   今日は、孫達の小学校の運動会であったので、朝から、いつものように写真係として学校に出かけていった。

   早く運動会が終ったので、帰ってきて、木漏れ日の気持ちの良い午後を、いつものように、本を持ち出して読書に時を過ごした。
   鳥のさえずりは聞こえないが、メジロとシジュウカラが、傍の木々をハシゴしてどこかへ去って行く。
   まだ、少し残っているアメリカハナミズキとヤマボウシの枯れ葉が、ポトリと私の肩に落ちる。
   モミジが色付き始めているが、これも散ってしまう頃には、もう、晩秋、
   落葉樹が綺麗に裸になって、鬱蒼と茂っていたわが庭も、一気にオープンで明るくなる。
   しかし、寒い冬に入るので出不精になるが、わが庭では、椿が咲き始めてくるので、春の息吹を感じながら、春の到来を待つこととなり、多少は救われる。

   庭に出て、本を読むのは、気持ちが良いと言うこともあるが、パソコンに居座っている時間が多すぎるので、家族が喧しいと言うこともあり、それに、電気の光ではなくて自然光であるので、明るくて年寄りには良いと言うこともある。
   それに、コーヒーを必ず煎れて持って出るのだが、何故か、空気の所為か雰囲気の所為か、美味しいのである。
   昔は、コーヒーならブルーマウンティン、紅茶ならダージリンのファーストフラッシュ、などと凝って、煎れかたも本を読んで拘ったが、この頃では、一切銘柄や品質など無頓着だが、それが実に馴染むのである。
   時には、赤ワインを好みのグラスで憩うこともあるが、晩酌とは違った味わいを感じて、ホッとすることがある。
   私だけでは、この庭は、単なる書斎代わりであるが、次女家族たちは頻繁にバーベキューをしているので、別な生活空間でもある。

   確かに、ヨーロッパに居たときには、一寸したフランス料理でも、戸外に出て頂くこともあった。
   欧米では、インテリアの凄いレストランも多いのだが、結構、街路にとび出していたり、庭にテーブルが設営されていたりして、戸外での飲食機会も多く、また、これほど、ピクニックを好む民族も少ない。
   ミシュランの星付きレストランでは、パリなどでは、宮殿のような佇まいの店もあるが、結構、周りに何もない辺鄙な田舎屋のような旅籠がレストランになっていたりしていて、自然にどっぷりの雰囲気を味わうこがが出来て、感動することがある。

   さて、友の多くは、庭仕事が大変なので、一戸建てを売って、マンションに移転している。
   私はまだ庭仕事をしてガーデニングを続けているが、悠々自適の身になってみると、自分の庭があって、自然との対話を楽しみながら、神秘的な四季の移り変わりに感動する、この時間をなくすことなど考えられない。
   勿論、歳なので、時間の問題であるので、考えたくないと言うことの方が正直なところである。
   欧米に居た時には、随分意識して有名な名園や素晴しい庭園を回って、その美しさ素晴らしさを鑑賞してきた。
   それが、この頃では、自分でガーデニングに勤しんだ手作りの庭が、例え、小さくて貧弱なものであっても、自分と同じ呼吸をしているような感じがして、そのリズム感が、何にも変えがたい価値を持っていることが、少し分かってきたような気がし始めたのである。
   先日も、庭に出て、皆既月食を眺めていたのだが、何となく特等席で観ているような気がした。

   読書という日常そのものなのだが、庭に出ると、閉鎖された空間の書斎とは違ったことを、フッと感じたり考えてしまう、
   宅急便のかけ声も、インタホンではないので、一寸違って聞こえてくるのが新鮮で面白い。   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロバート・アイガー著「ディズニーCEOが実践する10の原則」

2022年11月09日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   2005年10月から2020年2月25日まで、マイケル・アイズナーの後任としてウォルト・ディズニー・カンパニーのCEOであったロバート・アイガーの自叙伝を軸とした経営論で、簡潔かつ明快な叙述の冴えが絶妙で、非常に面白い。
   カリスマ経営者アイズナーの印象が強くて、アイガーはよく知らなかったのだが、就任後、2006年にピクサー・アニメーション・スタジオを、2009年にはマーベル・コミックを、2012年にはルーカス・フィルムを、2018年には20世紀スタジオ(21世紀フォックス)を買収して、子会社化して、ウォルト・ディズニー・カンパニーを巨大なメディアエンターテインメント企業に作り上げて、今日を築き上げた手腕は、見上げたものである。
   CEO就任時に、3つの目標戦略、すなわち、第1に良質なオリジナルコンテンツを増やすこと、第2にテクノロジーへの投資と発展、第3にグローバルな成長発展、を立て果敢に経営を推進して、ICT革命下の最先端を行く科学技術、デジタルテクノロジーを縦横に駆使したグローバル企業に成長させたのである。

   ヒョンナ切っ掛けから、ABCテレビに入社して、最低賃金の雑用係のスタジオ管理者からスタートして、周りのみんなが、自分より学歴も家柄も良い職場の中で、自分が誰よりも汗水垂らして一生延命働く人間だとと言うことが自分にとって一番大切で、人一倍働いていることに誇りを持って仕事に打ち込んだ。
   転機が訪れたのは、ABCスポーツに移ってからで、世界を見せてくれ、より洗練された人間にしてくれたという。パリで、正式なフランス料理を食べ、「モンラッシェ」を注文し、モナコで高級スポーツカーに乗るなど、労働者階級しかいない郊外の質素な家で育った自分には、クラクラするような経験であった。
   この職場で出会ったのが完璧主義者の上司ルーン・アーリッジで、「もっといいものを作るために必要なことをしろ」という「完璧への飽くなき追求」、そして、「イノベーションを起さなければ死ぬ」という貴重な教訓を教えてくれて、アイガーの経営哲学のバックボーンとなった。

   そのABCが、弱小企業のキャップ・シティーズに買収された。
   幸い、経営者のトムとダンが理想の上司で、馴染みのない領域であっても、才能ある人を成長できる立場に置けば、自然に上手く行くはずだという「才能に掛ける」方針であり、アイガーを身内として扱ってくれたので、どんな仕事のチャンスも頼まれたら拒まない信条を通してきたので、ABCエンターティンメントのCEOに任命されて、業界で首位奪還を果たし業績を上げた。
   ところが、次期CEOだと言われていたこのキャピタル・シティーズ/ABCも、ディズニーに買収されてしまった。

   ディズニーに入社するかどうかへの葛藤、入社してからの空席のナンバーツーのCOOを置かずにアイガーを阻害するアイズナーとの経営の軋轢など、それに、コーポレートカルチュアの違いや吸収された社員の悲哀など吸収合併の問題点を克明に描いており、この苦難な苦い経験が、アイガーのピクセル以降の買収戦略に教訓を与えて成功させたのであろう。
   和解してナッバツーになってからは、アイズナーの経営の晩年でもあり、アイズナーの細部に拘るマイクロマネジメントやピクセルに纏わるスティーブ・ジョブズとの諍いやデイズニーの直系ロイ・ディズニーとの係争など内紛塗れの経営について書いており、
   その後の後継者選びで、アイガーが艱難辛苦を耐え抜いて、デイズニーのCEOに就任するまでの経営の裏舞台の展開が面白い。
   アイガーのこの辺りの取締役たちのリアルな動きを読んでいて、学問上でしか知らなかったアメリカの取締役会の姿が、ビビッドに分かって興味深かった。

   この本の紙幅の半分を占めているのは、CEOとしての最初の100日と、ピクサー、マーベル、スターウォーズすなわちルーカス、そして、フォックスの買収に関する記事で、まさに、アイガーのイノベィティブな経営者の真骨頂をを見るようで感動的である。

   やはり、一番印象的な買収は、ピクサーの買収で、スティーブ・ジョブズとの邂逅である。
   有効な提携関係で業績を伸ばしながら推移していたディズニーとピクサーの関係を、前任者のアイズナーがズタズタにした後での買収交渉であるから、本来なら上手く行くはずがないのだが、ブランドそのものであるディズニーアニメーションが惨憺たる状態であり、アイガーとしては、ディズニーを立て直すためには、ジョン・ラセターとエド・キャトマルの協力が必要であり、ピクサーの持つ重要な資産である人財の能力と芸術的な志の高さ、良質な作品への拘り、ストーリーテリングにおける創意工夫、テクノロジー、経営陣の構成、そして温かい協力的な雰囲気など、すべてがディズニーには必要であり、どうしても買収して子会社化したい。

   興味深いのは、ピクサー買収発表直前のジョブズの対応である。
   散歩しようと誘われて、中庭のベンチに腰を下ろすと、ジョブズは、アイガーの背中に手を置いて、妻と主治医しか知らないので他言するなと言って、すい臓ガンの再発を語った。
   どうして私に? どうして今打ち明けるんだ?
   これから私はディズニーの大株主になり、取締役になる。だから、病気のことを知らせた上で、君に買収から手を引くチャンスを与えなくちゃならないと思った。
   ガンが肝臓に転移して、生存確率も教えてくれ、死期が迫っていることが分かったが、後数分で買収が成立するという直前、
   アイガーは煩悶したが、買収は中止しないと結論した。
   ジョブズが、何としてでも息子が高校を卒業するのを見届けたいと言っていたが、卒業まであと4年と聞いて愕然とした。と述べている。

   ピクサー買収後、何か大きいことをしたいときは、取締役であり最大株主であるジョブズに相談し、取締役会に正式に提案する前に助言と支援を貰っていた。取締役達は彼に一目置いており、その意見には影響力があった。と言う。
   マーベル買収の時も、ジョブズがCEOに口添えして助けてくれたし、何か頼み事があると、「大株主の君にお願いしたいんだが」というと、いつも、「そんな風に見ないでくれよ。失礼だぞ。僕は君のともだちなんだから」と返したという。

   アイガーは、さらに先を考えて、「自分たちのコンテンツを、中間媒体を挟まずに自社のテクノロジープラットフォームを使って、直接消費者に届ける」ことだと考えて、GAFAとのアプローチを考えたり、ジョブズがいきていたら、アップルとの合併の可能性を考えていたと言うから、もし実現していたら、今とは違った展開をしていたであろうから興味深い。

   誠実一途の買収交渉や買収企業のコーポレートカルチュアををそっくりそのまま尊重して温存して無理にディズニーカラーに染めようとしなかったことなど、アイガーの企業買収の極意が淡々と語られていて、経営学書としても興味深い。
   MBAコースの格好のケース教材になりそうだと思いながら読んだ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

インフレーションが老いを直撃

2022年11月07日 | 政治・経済・社会
   世界中のインフレの高進が止まらない。
   インフレの主な要因は、2月24日に勃発したロシアによるウクライナ侵攻を受けた資源価格の高騰で、一気にエネルギーや光熱費が上昇して、さらに、世界中のサプライチェーンをズタズタにして、食糧価格の高騰を招くなど、コストプッシュの悪性インフレが、世界経済を窮地に追い詰めている。
   デフレデフレで騒いでいた日本も、この潮流に抗せず、期せずしてインフレの波を受けて、インフレ基調に経済が転換したものの、所得賃金の上昇を伴わないので、実質所得賃金が下落して、更に国民生活を圧迫している。
   それ以上に深刻なのは、インフレの余波が、低所得者や年金生活者や失業者などの無所得層など、インフレをヘッジできない国民の生活を直撃して、一層窮地に陥れている。

   私は、社会主義者でも過激な経済政策推進派でも何でもないが、現在の民主主義なり資本主義の最大の問題点は、経済格差の異常な拡大、富の極端な富裕層強者への集中偏在だと感じているので、あらゆる財政政策金融政策など経済政策を総動員して、更に政治的手段を強行してでも、富と所得の再分配を図って、弱者を救済し、健全な中間所得層を再構築することだと思っている。

   それはそれとして、私自身を取り巻くインフレの影響を考えてみたい。
   傘寿を超えて、生活そのものに動きが止まってきたので、それ程影響はなさそうだが、それでも、インフレは堪えている。

   まず、気にしたいのは、後期高齢者医療の保険料の負担率が、ほんの僅かの所得オーバーで、2割負担になったこと。
   企業年金を受けていたので、長い間3割負担を続けていて、1割負担になったのはほんの束の間で、これが2割に上がったのだから、支払いは2倍になった。
   鳴かず飛ばず、何の印象も残さなかった管内閣で、どうせMMT理論など知らない総理だろうが、この決断だけは!?。

   観劇やコンサートチケットはどうか。
   東京都交響楽団の定期公演の予約は、Cシリーズを来期も更改したが、料金には変化がなかった。
   国立劇場の古典芸能系は、1割か2割か上がったようである。
   歌舞伎座は知らないが、コロナで数年ご無沙汰していると興味が失せて関心がなくなったというか、20年以上も熱心に通い続けていて、襲名披露公演と言えば欠かさずに行っていたが、今回の團十郎には、行くつもりがなく、チケットの手配もしていない。もう、観るべき舞台は観たと言う気持ちでもある。

   さて、口絵写真の「オレゴン産 ブルーベリー シロップ漬け 680g」だが、これは、私の重要な朝食のお供なので欠かすわけには行かない。
   ブルーベリーは目に良いというので、朝食の時に、これをタップリと大きなマグカップにいれてコーヒー牛乳にして、スコーンのお供にして頂いている。昔は、スコーンの代わりに、レーズンブレッドを使っていたが、ブルーベリー主体の朝食は、もう、随分長く続けている。
   果物なのでシーズンがあって、先日やっと市場に出たのだが、輸入品であり、円安の影響を受けているはずだが、成城石井もAmazonでも価格に変化はなかった。
   成城石井のスコーンを始め殆どの商品は、軒並み値上がりしていて、私の食費を圧迫している。

   本は、上がっているのか上がっていないのか分からないが、私の読んでいる一寸専門書に近い学術書関連の本は、いつの間にか、2000円以下の本は消えて、3000円から4000円台に上がっている感じで、インフレの影響であろうか。本については、60年前の学生時代から考えても、5000円になったとしても、10倍以下であるから、初任給もその程度以上なので、特に、高いとは思わない。本は、私にとっては、趣味以上に人生そのものであるから、価格は超越している。

   最近、散歩の途中で、スーパーに立ち寄って、家族から頼まれた買い物をすることがある。
   スーパーの商品の値動きは、連日、テレビで放映されるとおりであり、驚きも何もないが、生活必需品の殆どは、凄まじい勢いで値上がりしており、全面的にインフレ状態である。
   まだ、インフレが始まったところなので、影響は少ないが、寒くなって本格的な冬になる頃には重圧を感じはじめて、生活不安を覚えてくるであろう。
   年金収入がドンドン下がって、インフレが高進して行くのは間違いないので、私自身も、真面目にインフレに備えなければならないと思っている。

   前世紀のJapan as No.1の時代、上昇段階にあった日本経済では、各企業とも必死になってコスト競争に奔走して、企業努力で吸収していたが、今や、右から左へコストを転嫁するだけで、安易な値上げ競争・・・悲しい時代になってしまった。
   経済大国として世界に勇名を轟かせた日本が、かくまで疲弊して、経済で崩壊して行く姿を、生きている間には絶対に見たくないと言っていた友がいたが、失われた10年が、20年になり、30年になり、40年も目前、経済状態が先進国で最低水準に落ちぶれた今や、それに似たような死に体に近いのではなかろうか。

   日本のインフレの最大の要因は、ウクライナ戦争でも、グローバルサプライチェーンの破綻でもない。日本経済の成長エンジンである日本企業の活力と國際競争力の著しい衰退によって、所得賃金を伸ばせず需要拡大が頭打ち状態となり、サプライサイドにおいても、生産性が上がらず経済成長から見放された日本経済の苦境が、悪性のコストプッシュ要因を吸収出来ないのでインフレが進行する。
   アベノミクスの最大の欠陥は、金融財政政策に安住して、ゾンビ企業や在来型の大企業温存政策を維持して、グローバル経済の潮流に即応した未来指向型の産業構造への転換への根本的改革を怠り新陳代謝を図れず、国際競争力の強化涵養に後れを取ったことであった。
   岸田政権も、新しい資本主義のお題目だけは唱えるが、日本の産業構造を根本的に革新する姿勢は、残念ながら希薄であり、日本経済の復興は期待出来そうにはない。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サービスエリアでの憩いの一時

2022年11月06日 | 
   素晴しい秋日和の今朝、久しぶりに佐原の菩提寺を訪れた。
   鎌倉を朝早く出て、武蔵小杉で長女達に合流して、車に乗り換えて千葉に向かった。
   当然、途中で休憩を取るのだが、大体、成田空港の手前の酒々井のサービスエリアに入ることが多い。

   後期高齢者になってから、すぐに運転免許証を返納してしまったので、最近では、車で、高速道路にも出ることも、地方をドライブすることも、貴方任せで殆どなくなったのだが、やはり、出てみると、この高速道路のサービスエリアや、地方の道の駅などで小休止する楽しみに思い及ぶ。

   この酒々井のサービスエリア下りは、能書き通り、「東京から成田空港へ向かう道中最後のPA。地元千葉土産だけでなく、東京銘菓をはじめ幅広いラインナップを取り揃えているのが魅力!」と言うだけあって、狭いスペースに面白いここ限定商品などがディスプレィされていて興味深い。
   レストラン・フードコートには、いろいろな軽食コーナーがあって、結構賑わっているが、私は、いつも、戸外に出て、スターバックスに行く。
   今朝は、スターバックスラテとスコーンを取って、小休止した。

   スターバックスの店舗横の広場に、カナディアンメープルが2株植わっていて、鮮やかに紅葉して朝日に輝いていた。
   快晴で風もなく20度以下の気温で、非常に快適な雰囲気の元で、憩っていた。
   別に、何かするわけでもなく、深刻に考えることのある筈もなく、無為に時間を追っているだけである。

   しばらくすると、大きなエンジンを轟かせながら、一群のツーリング仲間の若者達が集まってきた。
   周りの紅葉し始めた木々に映えて、カラフルなオートバイ群が、輝いている。
   その後から、どんどん、オートバイの若者達が何十人も集まってきてパーキングスペースに列をなした。別に、騒いで屯するのでもなく静かで礼儀正しかったので、何かの集であろうか。
   時間が来たので、サービスエリアを離れたので、後の事情は分からないが、いろいろと日頃とは違った非日常の世界が、見え隠れするようで面白い。
   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする