熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

今日、ブログを始めて5022日

2018年11月30日 | 生活随想・趣味
   このブログを叩いていたら、ブログをはじめて5022日、との表示が見えた。
   花の歳時記(2005.3.21)を書き始めてからであるから、そうなるのであろう。
   月に10回以上は欠かすことがなかったので、総数4000くらいの記事で、大体、1記事2000字以上であったので、原稿用紙で2万枚以上ということになるから、内容はともかく、塵も積もれば山となるである。

   当時、ブログが少しずつ話題になり始めたころで、海外での長い生活も終わって落ち着きはめたので、波乱万丈とは言わないまでも、あっちこっちを飛び回って、歩いた国は40か国以上で、欧米人たちと切った張ったの激務、そして、文化探訪行脚あり、色々と興味深い経験を重ねてきたので、備忘録を兼ねて、ブログを書いてみようと始めたのである。
   撮りためた膨大な量の写真の整理や資料のチェックなどが、大変だった所為もあって、結局、日々書く記事なので、自分のこれまでの仕事や専攻でもあった経済や経営、その関連記事やブックレビュー、それに、通い詰めていた観劇記、ガーデニングや花鳥風月などが多くなって、海外生活の思い出は、それぞれの記事の中で触れる程度で終わっている。
   1990年代後半には、パソコンに、かなりの海外生活関連の記事と資料を残していたのだが、パソコンがダメになってしまって、残念ながら、すべてパーとなってしまった。
   その後の海外旅行は、わずかに4回だけで、それぞれ、文化三昧ミラノ・ロンドン旅、ニューヨーク紀行、晩秋のロシア旅、上海・江南紀行の記事にしているのだが、海外生活14年間は、若かった所為もあって、もう少し、波乱に富んでいたのである。

   日々の記事については、特にジャンルを決めて書いてきたのではなく、その時に意識にあって書こうと思ったトピックスを書き連ねてきたので、全く雑多で、脈絡がない。
   しかし、経済や経営に関する記事だが、絶えず、大学や大学院で、レポートを書く程度の注意を払って書いてきたつもりなので、他の記事でも、そのような気持ちで対応しており、手を抜いたとは思っていない。
   そして、このブログには、一切の宣伝広告といったものを排除して、すっきりしたページにすることを心掛けてきた。
   これは、私自身の自己満足というか、備忘録といった気持で、書きたいことを書いてきたので、硬いし面白くない上に、少し長いので、読者が少なくて、1日の訪問者は、500~1000の間だが、とにかく、13年も続けているので、ヒット数は、2~3000にはなり、結構、引用されたり利用して頂いているようである。

   さて、これからいつまで、続けられるか分からないが、この頃では、私自身の貴重な日課となっているので、できるだけ長く続けられればと願っている。

   第1回目の記事の口絵写真が、枝垂れ八重梅であったので、今回は、わが庭で一輪だけ咲いた鹿児島紅梅の写真を使うことにした。
   ガーデニングと写真が趣味でもあり、結構、このブログでもフォローしてきたが、今咲いている花は、エレガンスみゆき、
   椿の玉ありあけやピンク加茂本阿弥は、蕾が色づき始めてスタンドバイ。
   
   
   
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国立演芸場・・・「芸術祭寄席」

2018年11月28日 | 落語・講談等演芸
   11月27日の国立演芸場の公演は
   特別企画公演 明治150年記念
   芸術祭寄席 ― 寄席芸に映る明治のおもかげ ―
   プログラムは、次のとおりである。
   

   ― 寄席芸に映る明治のおもかげ ―と言うサブタイトルがついているのだが、特にその雰囲気を感じさせるのは、玉川奈々福 曲師沢村豊子の浪曲「英国密航」、そして、強いて言えば、 上野の停車場へ走る人力車を語った桂やまとの落語「反対俥」くらいであろうか。
   春風亭昇太の落語「権助魚」、桂雀三郎の上方落語「胴乱の幸助」、立花家橘之助の浮世節「たぬき」、柳家権太楼の落語「文七元結」も、明治と関連付ければ、そうかなあと思えるのだが、何も、明治にこだわらなくても、面白ければよいと思って聞いていた。
 
   それぞれ、選ばれた芸であるので、素晴らしかったが、やはり、感激して聞いたのは、トリの権太楼の落語「文七元結」。
   
   「文七元結」は、圓朝の人情噺で、
   長兵衛は、素晴らしい腕を持った左官職人でありながら、博打と酒で身を持ち崩して借金で二進も三進も行かなくなり、堪り兼ねた娘お久が女郎屋「角海老」に自ら身売りして拵えた50両を、持ち帰る途中で、回収金50両を盗まれて身投げしようとしていた白銀町鼈甲問屋近江屋の手代文七に「命はカネでは買えない」と言ってくれてやると言う、お人好しか馬鹿か男気があると言うのか、そんな気風の良い江戸の男の話である。
   赤貧芋を洗うがごとき貧しい生活をしていて、呼び出されて「角海老」の女将に会いに行く時にも、半纏しかなくて女房お兼の着物を脱がせて着て行き、金をなくして帰ってきて、腰巻も屑屋に売って裸同然の姿で衝立の陰に隠れているお兼と血の雨が降る大ゲンカ、
   そこへ、盗まれたと思っていたカネは置き忘れだと分かり、近江屋の主人卯兵衛が文七を連れてお礼に参上し、娘を身請けした上に、文七に暖簾分けをして独立させるので娘を嫁にと願い出るというハッピーエンドで終わる。

   これまで、この物語は、落語で聞くよりも、歌舞伎の舞台で、観る方が多かった。
   最初は、幸四郎(白鷗)の長兵衛に染五郎(幸四郎)の文七、
   しかし、何回か観ているのは、菊五郎の長兵衛と時蔵のお兼、それに、菊之助と梅枝の文七、尾上右近のお久、私には、菊五郎と時蔵の夫婦像が目に焼き付いている。

   落語では、三遊亭圓丈で、2回聴いている。
   歌丸の圓朝ものは、かなり聴いているので、聴いたか聴いていないかは別として、何となく、語り口は分かるような気がしている。

   歌舞伎では、大河端の直後は、長兵衛宅の凄まじい夫婦げんかで幕が開くが、落語では、文七が店に帰り、盗まれたと思っていた50両が置忘れで届いていたという話から始まり、舞台が近江屋に移って、大店の人間模様が描かれていて興味深い。
   お久が苦界に身を沈めた50両だという話でありながら、命の恩人の名前も住所も聞かなくて窮地に立った文七に、番頭の平助が、立て板に水、水を得た魚のように、吉原の女郎屋情報を開陳して店の名を羅列して思い出させる当たりなど、「固いと思っていた番頭さんが!」と主人卯兵衛を唸らせる当たり、怪我の功名としても、まさに落語の世界で、番頭はかくあるべきと江戸ビジネスの一端を垣間見せて面白い。

   圓丈の「文七元結」の独特な圓朝の世界に感動を覚えて、この噺の凄さを知った。
   おそらく、歌丸が語れば、昭和平成の語り部よろしく、しっとりとして胸にしみこむ圓朝の世界を再現させてくれたのであろうが、権太楼の「文七元結」は、真剣勝負そのものの剛腕直球の鋭く冴えた語り口で、登場人物が、権太楼に乗り移ったような臨場感あふれる熱演で、江戸落語の奥深さ、年季を重ねたいぶし銀のような芸の輝きを実感して感動した。
   子供の不祥事で、親が世間に頭を下げ続ける世相を語って、逆に、親が悪いと始末に負えないと、枕を端折って語り始めて、40分みっちりと「文七元結」を語り切ったのである。

   立花家橘之助の浮世節「たぬき」は、昨年の襲名披露公演できいていて二回目、しっとりとした、正に文明開化ムードで素晴らしい。
   非常にパンチの効いたエネルギッシュな落語「反対俥」を語った桂やまとが、下座でたぬきサウンドを奏しながら、たぬきのぬいぐるみ姿で舞台に登場して、器用に小鼓を打って、 橘之助の三味線と浮世節に唱和して、芸達者ぶりを披露していた。

   玉川奈々福 曲師沢村豊子の浪曲「英国密航」は、伊藤博文の機転と才知で、長州藩士5人が、ロンドンへ密航する話で、足軽ながら向上心に燃える伊藤俊輔が後に総理大臣に上り詰める秘密の片鱗を見せていて、下剋上、波乱万丈の明治維新が、革命なしに成し遂げえたワンシーンが見えて面白かった。
   上智をでた才媛でインテリ浪曲師、とにかく、パンチの効いたはつらつとした語り口が、最高で、新しい浪曲の世界を開いてくれるであろうと、期待している。

   私が、幼少年から青年時代を送ったのは、敗戦の混乱期から、神武景気を経て東京オリンピック、やっと、日本が立ち上がりかけた時代であったから、正に、第二の明治維新。
   敗戦で荒野と化した国土で、食うものも真面に食えずピーピー言って子供時代を過ごした私自身が、幸運に恵まれたというべきか、学生歌の文句ではないが、”フィラデルフィアの大学院を出て、ロンドンパリを股にかけて”、企業戦士として欧米人と闘いながら地球を歩いて来れたのは、今思えば、夢の夢。
   しかし、修羅場を潜っての苦難の連続、
   玉川奈々福の浪曲を聴いていて、涙する思いであった。

   春風亭昇太が、落語「権助魚」を語る前に、まくらに、幕末に、薩摩や長州が、無謀にもイギリスと戦端を交え、やっと、国家として立ち上がりかけた新生日本が、大国中国やロシアに挑んでそれも勝ったと言う話をしながら、豊かに成り過ぎて、新鮮味を有難みも薄れてしまった今の世相を、笑いに紛らわせながら、語っていた。
   初めて食べたピザの途轍もない美味しさ、欲しくても食えなかった寿司を、初月給を握って寿司屋に行って食べた時の興奮、
   幼いガキが、回転寿司屋で器用にパネルを操作し、そして、高級寿司屋で、トロやウニなどを食っている昨今・・・何が人間にとって幸せなのか、
   「権助魚」も中々の話芸開陳であったが、昇太のぼやきマクラも面白い。

   桂雀三郎の上方落語「胴乱の幸助」は、喧嘩の仲裁をするのが道楽の割り木屋の親父の幸助が、、浄瑠璃の稽古屋の前で、「桂川連理柵」お半長右衛門帯屋の段の嫁いじめの所の稽古を聞いて、浄瑠璃を知らなくて本当の話だと思って、大阪の八軒屋浜から三十石船に乗って伏見で降りて、尋ね歩いて、柳の馬場押小路虎石町の呉服屋に行って仲裁を試み、お半と長右衛門をここへ出せと言ったら、桂川で心中したと言われて、汽車で来れば良かった。と言ったとぼけた話。
   米朝の名調子を、YouTubeで見られるが、桂雀三郎の大阪弁も冴えていて面白かった。
   
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METライブビューイング・・・「サムソンとデリラ」

2018年11月27日 | クラシック音楽・オペラ
   カミーユ・サン=サーンスのオペラ「サムソンとデリラ」を観るのは、久しぶりである。
   と言っても、1992年6月20日だから、もう、随分前の話で、それも、ロンドンに居た頃で、ロイヤル・オペラの舞台で、サムソンはプラシド・ドミンゴ、デリラはオルガ・ボロディーナ、指揮はボリショイのマルク・エルムレルと言う凄い舞台であった。
   その直後、ロンドン郊外のケンウッド公園の野外シアターで、ROHのコンサート方式のこの同じ公演を聴いたが、サムソンがウラジミール・ポポフに代わっていて、印象が随分違ったのを覚えている。

   さて、今回のMETライブビューイングの「サムソンとデリラ」は、サムソンが、現在絶好調で最高のテノールの一人フランス人のロベルト・アラーニャで、デリラは、実に魅力的な美貌のメゾソプラノのプリマでラトヴィア人のエリーナ・ガランチャ、
   METライブビューイングのビゼー「カルメン」の二人の舞台を観て、圧倒されたのだが、今回のこの舞台も、正に、火花の炸裂する壮大なドラマを展開していて、感動的であった。
   ガランチャは、凄い歌手であると同時にシェイクスピア役者のようなプロ級の役者でもあり、良く物語る目の表情の豊かさは抜群で、それに、コケティッシュな魅力を醸し出す蠱惑的なムードを漂わせた凄い歌手であり、ドン・ホセやサムソンのアラーニャを手玉に取って篭絡させるのは当然だと思わせるところが面白い。
   随分前に、ロイヤル・オペラで、アグネス・バルツァのカルメンが、雌ヒョウのような精悍な出で立ちで突如として舞台に踊り出して、ホセ・カレーラスのドン・ホセを誘惑して篭絡させる凄いオペラを観たが、その時のバルツァ登場の衝撃に似たショックを覚えた。

   さて、そのアラーニャだが、下世話ながら、アンナ・モッフォのような才色兼備の美女ソプラノと言われていたアンジェラ・ゲオルギューと結婚した果報者で、オペラの舞台とは言え、そう簡単に誘惑されても靡く筈がないと冗談ながらに思っていたのだが、このMETライブビューイングで、ポーランド出身のソプラノ歌手アレクサンドラ・クルザクが奥方だと紹介されて、ゲオルギューと離婚していることを知って一寸びっくりした。
   尤も、余談ながら、ロンドンのパーティで、お出迎えして握手までして頂き、2~3回身近にお見受けしたあの絶世の美女ダイアナ妃を、袖にする尊いお方もおられるのだから・・・と変なことを考えてしまった。

   このオペラは、次のようなストーリーである。
   旧約聖書の時代のイスラエルのガザで、先住民のペリシテ人に支配され囚われの身となっていたヘブライ人の英雄で怪力の持ち主サムソンは、人々を鼓舞して立ち上がらせ、襲ってきたガザの太守を殺す。怒りに燃えたダゴンの神殿の大司祭が、ペリシテ人の美女デリラに復讐を唆し、復讐のみに燃え立ったデリラは、サムソンを篭絡し破滅させようと手練手管の限りを尽くしてサムソンを誘惑。誘惑に負けたサムソンは、怪力の秘密が彼の長い髪にあると白状したので、その髪を切り取られて神通力を失う。デリラに裏切られ、怪力を失ったサムソンは、ペリシテ人に捕らえられ、目を潰されてさらし者にされる。ダゴンの神殿で、ペリシテ人たちが、勝利の宴に酔いしれているところへ、引き出されたサムソンだが、神に許しを求めて祈ると、奇跡が起きて怪力が蘇り、神殿の巨大な柱を揺すると、柱は真っ二つに裂け、神殿は崩壊して、ペリシテ人は、サムソンもろとも神殿の下敷きとなって息絶える。
   サムソンが髪を切られる瞬間を、ルーベンスが描いた劇的なシーンが、下記の絵である。
   

   デリラの、第一幕第六場の隠れ家に誘い込んで必死に耐えるサムソンを媚態の限りを尽くして迫って歌うアリア「春きたりなば」、
   第二幕冒頭のサムソンを待ちながら、決死の覚悟で篭絡させようと本心を独白するモノローグ「恋よ、弱気われに力を与えよ」、
   神に背いて恋に落ちたサムソンに、さらに追い打ちをかけて怪力の秘密を聞き出そうと歌うアリア「君が御心にわが心ひらく」、
   その前の大司祭と二重唱の凄さなど、ズボン歌手のメゾソプラノとしては、異例とも言うべき素晴らしいアリアの連続で、ガランチャの魅力満開のオペラである。
   ところが、終幕で、哀れな姿でダゴンの神殿に引き出されたサムソンを揶揄して勝利に歓喜するペリシテ人の大合唱の中で、ガランチャのデリラ一人が、悲しそうな引きつった表情をしていたのを見て、ガランチャ独自の芸の表現か、デリラもサムソンに恋をしてしまった、ミイラ取りがミイラになったのではないかと思ったのは、私だけでもなさそうな気がしている。

   サン=サーンスは、この題材に興味を持って、最初は、オラトリオにする心算であったのだが、遠縁のフェルディナンド・ラメールの示唆で、オペラとして、まず、最初に、第一楽章の冒頭と第二楽章全体のスケッチを描いたと言う。
   初演が1870年で、フランスではなく、ドイツのワイマールなので不思議に思ったのだが、リストが公演を約束していたのを実現したまでで、フランでの初演は、7年後のルーアンだと言うのが興味深い。

   魅惑的で美しいプッチーニやヴェルディのイタリアオペラ、重厚で果てることなく上り詰めて行くようなワーグナーの楽劇などと違って、オリエンタリズムの雰囲気を醸し出してエキゾチックな、一寸、粋で洗練されたフランスの素晴らしいオペラ、サン=サーンスの「サムソンとデリラ」の魅力は格別であった。
   
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国立劇場11月歌舞伎・・・通し狂言「名高大岡越前裁」

2018年11月26日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   通し狂言「名高大岡越前裁」を観るのは、この舞台と同じであったかどうかは定かではないのだが、2回目だと思う。
   越前一家の切腹の場のシーンだけは記憶にある。

   この話は、享保13年、天一坊改行が、八代将軍・徳川吉宗の御落胤と称して、大勢の浪人を集めて捕らえられ、その翌年に獄門に処せられた実在の事件を脚色した歌舞伎である。
   実際には、大岡越前とは関係ないのだが、「大岡政談」として、初代神田伯山が講釈としていたので、それを基に河竹黙阿弥が改作して、明治8年(1875)初演されて、明治150年記念として、国立劇場が、通し狂言「名高大岡越前裁」として上演した。と言う。
   ご落胤を騙って江戸に乗り込んだ右團次演じる天一坊を、梅玉の越前守が、紆余曲折を経ながら、大岡裁で破却すると言う話である。

   ストーリーは、国立劇場のHPから大略借用すると、次の通り、
   しかし、史実とは関係なく、一寸毛色は違うが、ラスプーチンや弓削道鏡などと言った極悪人が実在する世の中であるから、かなり、良くできたフィクションであって面白い。
   紀州平野村感応院の小坊主・法沢(右團次)は、隣村の老女お三(歌女之丞)から、亡き孫が実は八代将軍・徳川吉宗の落胤だという話を聞き、偶然にもその孫と自らの生年月日が同じだったことから、悪心を抱き、お三を殺して証拠の墨付と短刀を奪い、師匠の感応院も毒殺してその罪を下男・久助(彦三郎)になすり付け、出奔する。
将軍の御落胤になりすまして美濃国常楽院に現れた法沢は、元関白家の家来・山内伊賀亮(彌十郎)に出会い、朝廷や武家の礼式に詳しいので味方に引き入れる。法沢は、一味に加わった住職・天忠(嵐橘三郎)[の機転で過去を塗り替え、天一坊と名を改め上京して幕府と対峙する。
老中の調べを受けて御落胤と決まった天一坊だが、大岡越前守(梅玉)だけは納得せず、再吟味を願い出るが、却って謹慎を申し渡される。大岡は池田大助(彦三郎)ら家来の力を借りて秘かに屋敷を抜け出し、水戸藩主・徳川綱條(楽善)に助力を求めて、再吟味に漕ぎつけるが、伊賀亮が巧みな弁舌で大岡の鋭い追及をかわし、大岡は、将軍と天一坊の親子対面の実現を約束するも、十日の猶予を得る。
猶予期間中に家来を紀州へ調査に向かわせたが、一向に報告が入らず、猶予の刻限を目前に控えた大岡は妻・小沢(魁春)と嫡子・忠右衛門(右近)とともに覚悟を決め、切腹しようとする。最早最期と言う直前に、家来が紀州より戻り、天一坊の騙を暴く証言と確証を得たので、大岡は、再び天一坊と対峙し、悪事の一切を暴き屈服させる。

   私は、この歌舞伎を観ていて、1956年の映画「追想」を思い出していた。
   17歳で、ニコライ2世皇帝と共に殺害されたはずのロシア皇帝の末娘アナスタシア皇女が生き残っていると言うアナスタシア伝説をもとにした素晴らしい映画で、
   ロシアの元将軍のユル・ブリンナー演じるパヴロヴィッチ・ボーニンが、 アンナ・コレフ役のイングリッド・バーグマンを教育してアナスタシア皇女に仕立て上げて皇太后と対峙する話である。デンマークで甥のポール王子の下で暮らす皇太后・アナスタシアの祖母(ヘレン・ヘイズ)との劇的な対面が成功して、ポール王子とアンナの婚約も決まったのだが、ボーニンとアンナが愛し合っていたと言う驚天動地の結末で、結婚発表披露の場に二人は現れなかった。皇太后の「芝居は終わった」と言う幕切れの言葉は、正に、ドラマチックで、言い得て妙であった。
   「追想」の場合は、皇太后に、少女時代のことを聞かれ、アンナは、ドギマギして帰ろうとするが、皇太后は、アンナが時々する妙な咳に気づき、彼女が本物のアナスタシアと知ると言う意外な展開をするのだが、
   本物を装って、首実検の場に及んだ当事者が、息を呑むような丁々発止、虚々実々の駆け引きを演じるシーンの迫力は、格別であり、この歌舞伎の緊迫した舞台にも相通じて興味深い。

   この舞台の越前守は、加藤剛演じるテレビの胸のすく様な格好の良いお裁きではなく、再吟味を願っても謹慎を命じられたり、水戸公の執り成しで再吟味に臨んだ絶好の機会に、伊賀亮ごときに論破されて舌を巻き、切羽詰まって10日間の猶予を得て家来を紀州に差し向けて証拠を暴こうとするも成功せず、切腹しようとするまでに追い詰められると言う体たらく、
   芝居だから良くできたもので、正に、切腹寸前に紀州から家来が証拠と証人を携えて駆け込んでくると言うドラマチックな展開で、
   その後は、天下の大岡裁きで、梅玉の天下一品の晴れ舞台。

   このように、颯爽たる品格のある大岡越前は、梅玉のはまり役だと思うが、その傍に付き添う魁春の妻小沢の存在も貴重で、それに、右近の凛々しくて可愛いい嫡子・忠右衛門が出色であり、何よりも、悲愴な舞台を、ドラマにしていて素晴らしい。

   それに、凖タイトルロールを、風格のあるしっかりとした役どころにし立てて、面白い舞台にしていた天一坊の右團次の活躍も、見逃せない。

   歌舞伎座では、顔見世興行で、華やかな舞台を展開していて、この国立劇場は、空席が多くて、少し寂しい感じだが、彌十郎や楽善などのベテランが舞台を支え、彦三郎や松江など若手の活躍もあって、纏まった芝居となって、通し狂言の魅力を見せて楽しませてくれた。
   
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わが庭・・・モミジと桜エレガンスみゆき

2018年11月25日 | わが庭の歳時記
   ダメだと思っていたモミジが、色づき始めた。
   塩害と風害で、殆ど散ったり枯れてしまった筈なのだが、残っていた葉か、その後に芽吹いた葉かは分からないが、ところどころに、綺麗な葉が紅葉してきたのである。
   全体としては、この写真ような状態なので、モミジの木を写そうと思うと、枯れ葉が大部分なので、絵にはならない。
   

   かなり大きなモミジの木で、イロハモミジかヤマモミジか、他の種類かは、分からない。
   しかし、鎌倉のモミジは、厳しい寒さに晒されることがないので、京都や奈良のモミジのように、同じ紅葉でも、目の覚めるような鮮やかな色にはならない。
   普段なら、葉っぱの先が枯れていたりして、真面な形の紅葉したモミジを見ることは少ないのだが、今年は、雨が多かった所為か、残っているモミジの葉は、かなり、綺麗な形で残っている。
   
   
   
   
   
   
   

   もう一つ、咲き始めたのは、2期咲きで、秋には、葉のない裸の木に、蕾が膨らんだかと思うと、5ミリ足らずの小さな八重咲のピンクの花を開く。
   エレガントで、可愛らしいが、4メートルくらいの若木なので、花付きはそれ程でもなく、まだ、咲き始めなので、華やかさには欠ける。
   秋咲きの桜と違って、一寸変わった面白い花である。
   
   
   

   ところで、私の楽しみの一つは、わが庭に咲く花を摘み取って、その時の雰囲気に応じて花瓶を選んで、そこに活けること。
   この日は、柿右衛門の一輪挿しに、寒椿、ぼけ、小菊、ツワブキなどを挿してみた。
   ユリや芍薬などになると大きな花瓶が必要だし、ばらや椿になると、一輪挿しでも、ガラス器か首の長い花瓶が面白い。
   生け花の素養も何もないが、これまで、随分、欧米の美術館で、素晴らしい花の絵画を観ており、日本の古社寺行脚で、生け花を見ているので、我流ながら、楽しめばよいと思っている。
   
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パソコンのトラブル顛末の記 その2

2018年11月24日 | 
   昨日、パソコンの不具合について、修正の顛末の記を書いたが、インストールした筈のWindows 10 October 2018 Updateが、失敗していて、インストールされていないことが分かったので、今日、再インストールを試みた。
   朝、立ち上げ時に不都合があったのは、その所為で、治っていなかったのである。

   タスクビューのWindows 10 更新アシスタントが残っていたので、クリックしたら、最新のWindowsに更新されていないと表示されたのである。
   このページから、すぐに更新のボタンをクリックして、昨日の通り、手順を進めたのだが、何故か、途中で、ウィルスバスターのリアルスキャンが起動して邪魔をして、前に進まなくなってしまった。
   その日に、スキャンしたにも拘わらず、何回も、ウィルスバスターが障害となるので、すべての作業を止めて、「スキャン」のボタンをクリックしてスキャンして、「システムは保護されています」「最新の保護機能が適用されています」という表示が出たのを確認して、何時まで持つか分からなかったが、とにかく、
   Windows 10 更新アシスタントをクリックして、更新プロセスを開始したのである。
   いずれにしろ、パソコンが、ダウンしたりフリーズしなければ、画面の指示通りにパソコンを操作しておれば、作業が進むのであろうと思って、半信半疑、パソコンの画面の動きに任せた。
   ただでさえ、パソコンの動きが重くて遅くなっており、完了まで〇〇%と言う表示が同じ%のまま、止まって長い間動かなくなると気が気ではなくなり、それに、準備や検証や更新やと、1から何回も作業手順が繰り返される上に、最後には、何回も途中で再起動するので、パソコンが正常に機能していると思っていても、完了するまで、気が抜けない。
   結局、何時間も、随分長い時間がかかったが、更新が完了した時には、ほっとした。

   このブログを書く前に、色々、作業を試みたが、これまでのような不都合は起こらず、正常に動き始めたので、Windows 10の最新版への更新が、効果を発揮したのであろうと思う。

   パソコンの不具合で四苦八苦していたのに、富士通の「PCカルテ 定期診断結果」が、毎日のように、総ての判定項目が、💛印で「問題ありません」と報告してくるのだが、何処をどう判断しているのか、いつも、疑問に思っている。
   もう一つ疑問に思うのは、昨日のブログに書いたが、保証期間内に、故障修理に出した富士通から、工場に送って4~5日後に、電話があって、
  「機械には全く問題はないので、問題の解決には、初期化をするのが良い、見積では、そのための費用が、1万2千円だが、どうするかと言ってきた。」ことである。

   初期化すると、元のwindows 8.1に戻るのは良いとしても、パソコンの一切が消えてしまうので、回復の手間暇を考えれば、ITデバイドの後期高齢者には極めて重荷となることを慮って、ハードに問題なく、ソフトの問題ならマイクロソフトの方が良いと思ってそのまま、パソコンを返してもらった。
   結局、マイクロソフトの「年間サポート」のアシストで、Windows10の最新版をアップデートして、不具合を解消した上に、ソフトやアプリなど一切手を付けずに、全く、以前と同じ状態で、Windows 10を使えるようになった。

   マイクロソフトを信用するか、富士通に任せるか、私にとっては岐路であったが、結果は、雲泥の差である。
   カスタマーサービスとは、どういうことか、ビジネスのイロハかも知れない。
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パソコンのトラブル顛末の記

2018年11月23日 | 
   この1週間、パソコンは、富士通の工場に行っていたので、パソコンなしの生活が続いた。
   なければないで、生活には支障がないのだが、慣れ親しんだ日常の生活が出来ないので、その意味では生活のリズムが狂って、戸惑ってしまった。
   このブログを書いているパソコンが手元になかったので、ブログを書けなかったのだが、この点では、困った。

   ところで、先月、Trend Micro Anti- malware Solution Platformが災いして、パソコンが殆ど起動しなくなったことについて書いた。
   しかし、この問題を解決しても、まだ、このパソコンが思うように動かない。
   朝、パソコンの起動時に、壁紙は表示されるのだが、スタートボタンをクリックしても、edgeやoutlookを叩いても、ページが開かず次に進まなくなり、仕方なく、良くないことは分かっていても、電源ボタンを何回か切ったり入れたりして起動して機能するのを待ったり、また、使用中に、フリーズしてしまって、全く作業が止まってしまって、これも、スタートボタンが機能しないので、電源を切り入れしたり、それに、電源をシャットダウンで切っても再起動モードとなって、何時までも切れないと言った状態が続いた。
   こんな状態でも、時々、忘れたかのように、パソコンが機能する時があるので、その時を利用して、騙し騙し、パソコンを使っていた。

   この解決のために、マイクロソフトの年間サポートを利用しているので、何度か、この問題の解決と起動修正などを試みてもらった。
   このサポートは、遠隔操作で、マイクロソフトのプロが、訪問修理のように、私のパソコンに乗り移って作業してくれるので、極めて便利である。
   しかし、それでも、一進一退で問題の解決には至らず、保証期間、ギリギリだったので、これまでにも、何回かコンタクトしていたので、富士通に、ソフトの回復を図っても機能しないので、故障だと思うので修理してほしいと連絡して、半信半疑、乗り気ではなかったと思うのだが、工場で見てもらうことになった。

   富士通から、4~5日後に電話があって、機械には全く問題はないので、問題の解決には、初期化をするのが良い、見積では、そのための費用が、1万2千円だが、どうするかと言ってきた。
   保証とは、機器の故障なり部品等の欠陥の保証であって、その他の故障は、保証に入らないと言うことで、一寸解せない気持ちになったが、それよりも、初期化すると、元のwindows 8.1に戻るのは良いとしても、パソコンの一切が消えてしまうので、回復の手間暇を考えれば、ITデバイドの後期高齢者には極めて重荷となる。
   しばらく、工場に留め置いて、マイクロソフトに連絡して、ハードは問題ないと言っているので、どうするかと問い合わせたら、解決できるかどうかは分からないが、最新のwindows 10をダウンロードして上書きして見ようと言うことになった。

   パソコンが帰ってきたので、外出の日を避けて、1日中家にいる日を待って、マイクロソフトにサポートをお願いした。
   Trend Micro Anti- malware Solution Platform問題以降、パソコンの動きが、非常に悪くなってしまって、修復作業も遅々として進まず、随分時間を要し、インストールの準備段階で時間が長引いて、いつ終わるか分からない状態になったので、後の作業の手順を教えてもらって、エンジニアのサポートを終えた。
   その後、とにかく、Windows 10 October 2018 Updeateの段階まで達して、アップデートを終了した。

   これで、良いのかどうかは分からないのだが、今日は祭日で休みなので、明日、マイクロソフトに電話して、指示を仰ごうと思っている。
   朝の起動時には、まだ、問題が残っていたが、問題のいくらかは解決しているようで、動き始めたので、このブログも書けている。
   幸い、Windows 10 そのままなので、以前と全く同じ状態で、このパソコンを使えている。
   
   私の場合、このパソコンが、3代目で、かなり、丁寧に長く使えていると思うのだが、最初は、NEC、次は、富士通だったが、これは、テレビ機能付きでブルーレイ仕様など高級機を使っていたので、結構故障が多くて、途中で、修理もせずに廃却してしまったのだが、どの程度で、見切りをつけるのか、難しいと思っている。

   このパソコンが、騙し騙しだとしても、何時まで使えるのか、
   それよりも、今回の修理が有効だったのかどうかが問題で、ボツボツ、新しいパソコンを手配しなければならないのかなあとも思っている。
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ボジョレーヌーヴォー 2018

2018年11月15日 | 
   今日、11月第3木曜日は、ボジョレーヌーヴォー2018の開襟日である。
   私は、毎年、秋になると、適当なネットショップで好みのボジョレーヌーヴォーを何本か選んで予約しているので、この日の朝に、間違いなしに送られてくる。
   今年は、皆、留守をしていたので、再配達で夕方にボジョレーヌーヴォーを受け取った。
  ボジョレーヌーヴォーは、ペットボトル容器でスーパーなどで売られている安物から、随分高いものまで、かなりバリエーションがあるのだが、その年の新酒なので、高いと言っても、私の買うのは、精々、1本3~4000円程度のものだが、このくらいだと、まずまず、楽しめるのである。

   ヨーロッパに、8年住んでたのだが、特に、解禁日にボジョレーヌーヴォーを買って意識して飲むようなことはなく、パブなどで、その時に気がついて、飲んで楽しむと言った程度であった。
   日本のように、鳴り物入りでボジョレーヌーヴォーを、ヨーロッパ人が味わっていたのかどうかは知らずに過ごしてきた。

   新酒については、ウィーンなどのホイリゲで、白ワインの新鮮なものを飲みながら、旅情を慰めていた頃を思い出して懐かしいのだが、結構、楽しかった。
   私は、ミシュランの星付きのレストランを、あっちこっち、意識して行脚していたので、特に、ワインを飲む方ではなかった所為もあって、ソムリエの勧めを仰いで、適当にワインを嗜んでいたが、門前の小僧お経を習うで、少しずつ、ワインに興味を持つようになって、今日に至っている。
   
   ところで、この日、有楽町の綴で、会社時代の同期会があって出かけて、ボジョレーヌーヴォーの話をしたのだが、海外経験者が半分いたにも拘わらず、誰も、ボジョレーヌーヴォーには関心もなく意識もしていなかった。
   テレビなどでは、ボジョレーヌーヴォーのことが放映されるが、一般の日本人は無関心、そんなものである。
   洋風レストランであったので、日本酒のサーブがなくて、ビールで進んでいたが、私自身が、まず、白ワイン、そして、赤ワインに切り替えて、ワインで通していたので、途中で付き合ってくれた。

   日本では、まず、ビールと言って、ビールが主体となる場合が多いのだが、私は、あまり好きではないので、すぐに、ワインか日本酒に移る。
   勿論、イギリスに居た頃には、昼食などで、ギネスの黒ビール1パイントとラザニアなどで通すこともあったので、かなり、常温の冴えないビールを飲んできたが、やはり、ビールが美味しいのはドイツ。
   ドイツのビールは、泡がきめ細かくて、グラスの規定の位置まで泡が達するまで、辛抱強くサーブしてくれるのだが、これが、日本のビールより遥かに美味いのである。
   しかし、日本のように、ビールは、どれも、殆ど同じものだと思っていたのだが、ミュンヘンで、ストロングのビールを一気に仰いで、フラフラになった記憶がある。
   また、スエーデンかノールウェーか忘れたが、レストランで、食事に、強い酒アクアビットが出てきて、水の代わりにビールが出て来たので驚いたことがある。
   中国で、茅台酒を飲んだことあるが、これも、65度とか、強い酒である。

   ブランディは、ストレートで飲むことが結構あるが、イギリスでは、ウィスキーも、偶には、ストレートで飲んでいたが、何故か、イギリス人と随分会食やパーティで付き合ってきたが、彼らが、ウィスキーを飲んで居るのを見たことがない。
   とにかく、イギリス人は、パブで、常温のビールで、何時間もだべりながら過ごしていると言う感じで、リンゴ種のシードルも、結構人気がある。
   田舎町に行っても、風格のある歴史を感じさせる骨董的なパブがあって、楽しませてくれることがあるのだが、やはり、パブ文化の国である。
  
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秋の読書を楽しむ憩いのひと時

2018年11月13日 | 生活随想・趣味
   陽が短くなって、少し寒くなりかけた晩秋が、読書には、ベストシーズンであろうと思う。
   尤も、私のように、毎日、暇を見ては読書に勤しんでいる人間にとっては、シーズンなどはなくて、何時でも、どこでも良いのだが、
   それでも、和室に寛いで、窓の外の秋の花木や草花を眺めながら、時には小鳥の囀りを楽しみ、好みのカップに淹れたコーヒーをすすりながら、古典芸能や芸術書などを紐解くのも、一寸した、憩いの時間となって楽しい。
   書斎に籠って、経済学や経営学などの専門書を読む楽しみとは違った、まさに、娯楽に近い、しかし、美や人生の奥深さをしみじみと味わう至福のひと時となることもあって、捨てがたいのである。

   読書と言うべきかどうかは分からないが、先日、倉庫を整理していたら、外国でのオペラやコンサートのパンフレットをびっしりと詰め込んだ箱に気づいて、開いてみた。
   一番多いのは、A5版の立派なロイヤル・オペラの赤拍子のパンフレットで、5年以上、シーズンメンバー・チケットを持って通っていたので、50冊以上もある。
   懐かしいプラシド・ドミンゴやルチアーノ・パバロッティの公演や、ベルナルド・ハイティンクの振った殆どのワーグナーの楽劇など、ページを繰るごとに、当時のことを思い出して、読み始めたのである。
   METのプログラムは、もっと簡単な小冊子で、オペラ劇場は、まちまちだが、コンサートでは、もう40年以上も前のフィラデルフィア管弦楽団のパンフレットが出てきて、必死になってMBAの勉強に四苦八苦していた頃、唯一最大の息抜きであったユージン・オーマンディのコンサートを思い出した。

   音楽好きだったので、留学命令が出た時に、「お前はコンサートに行くから、ヨーロッパはダメだぞ」と人事部長から釘を挿されたのだが、どうしてどうして、フィラデルフィアに着いて、真っ先に行ったのは、アカデミー・オブ・ミュージックで、フィラ管のシーズン ・メンバー・チケットを買って2年間通い、ここで、マリア・カラスも、小澤征爾指揮のボストン響も聴いたし、せっせと、ニューヨークに行って、METやニューヨーク・フィルハーモニックの公演に出かけていた。

   グラインドボーンのパンフレットは、中身はそれ程のものではないが、大型本。
   ドイツ語やイタリア語、ハンガリー語などのパンフレットは、理解ずらいが、懐かしい思い出を、走馬灯のように映し出してくれて感激である。

   こんなことも、秋の読書の楽しみであろうか。
   とにかく、この陽気の最高のシーズンに、倉庫に詰め込んだ本を整理して、懐かしい本を探し出そうと思っている。
   
    
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鎌倉国宝館・・・戦時下の博物館1937-1945

2018年11月12日 | 展覧会・展示会
   鎌倉国宝館では、
   開館90周年記念特別展 「鎌倉国宝館1937‐1945」を開いている。
   日本が日中戦争から太平洋戦争に突き進む中、鎌倉国宝館は、収蔵品の一部を疎開させるなどの苦難に直面したが、そのような状況下でも、館員たちは近隣社寺などと協力しながら、終戦まで休館することなく博物館としての活動を続けており、
   この特別展では、国宝、重要文化財をはじめとする、当時開催された展覧会の出品作品などと併せて、館員たちが書き残した業務日誌など、館の様子を伝える史料も展示いたし、鎌倉国宝館が、戦時下でどのような博物館活動を展開し、貴重な収蔵品を守り抜いたのか、その知られざる軌跡を辿る。と言うわけである。
   

   冒頭の展示は、「日中戦争と元寇展」で、国威発揚のためであろうか、極楽寺の釈迦如来座像と十大弟子立像から始まって、「太平洋戦争の開戦~国宝の疎開~」「戦時中の展示」「終戦へ」と展開して行く。
   時間がなかったので、展示物を一通り見ただけで、説明などを十分に見なかったので分からないが、
   戦時中の疎開と言うのは、焼失などを恐れてのことであろう。
   先日、エルミタージュの絵画などが、ナチスの略奪を恐れて、列車で内地へ大輸送されたことについて触れたが、あの第二次世界大戦の独ロ戦争は、ヒトラーとスターリンの絵画彫刻など美術品の争奪戦争でもあったので、その帰趨に思いを馳せたり、国民党の故宮博物館の台北への大移動など、戦争は、多くの芸術品を危機的な状態に追いやる悲劇であることを思って、考え込んでいた。

   国宝は、建長寺の蘭渓道隆像一幅、鶴岡八幡宮の太刀 銘正恒
       光明寺の当麻曼陀羅縁起絵巻 下巻 一幅 は、残念ながら、後期展示で出ていなかった。
  
   私が興味を持ったのは、東慶寺の水月観音菩薩坐像で、地面についた左足の膝に右足を乗せた砕けた調子で寛いでいるようなスタイルの綺麗な仏像である。
   いつも、東慶寺は、花目当てに庭を素通りするだけなので、ついど、拝観していなかったのである。

   仏像は、やはり、本来、安置されている寺院の然るべきところで、拝むべきだと思っているのだが、展示会場などに出ると、非常に身近に鑑賞できるので、有難味には欠けるが、親しみを感じてよい。  
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鎌倉市川喜多映画記念館を始めて観る

2018年11月11日 | 鎌倉・湘南日記
   鶴岡八幡宮から直近、観光客で銀座以上に雑踏で賑わう小町通りを、わずか100メートルほど横道をそれたところに、実に、閑静な佇まいの「鎌倉市川喜多映画記念館」がある。
   映画好きの私でありながら、初めての訪問で、丁度、しばらくの間は、客が私だけしかいなかったので、十分に楽しませて貰った。
   映画そのものと言うよりも、何故か、ポスターを見ながら、その映画を見た当時の懐かしい思い出が、走馬灯のように駆け巡ってきて、しばらく、佇んでいたのである。
   まず、川喜多夫妻の映画関係の活躍ぶりが、写真で紹介されていて、マリア・カラスやデイヴィド・リーンなどの姿も見えて興味深かった。
   
   
   

  この日の【特別展】は、「ミステリー映画大全集 横溝正史 vs. 松本清張」

   会場を入ると、展示場では、横溝正史の「犬神家の一族」など金田一耕助シリーズものの小道具やポスターが展示されていた。
   映画館でと言うよりは、テレビで見た方が多いのだが、アガサクリスティーどまりで、ミステリーものには、関心が薄い所為もあって、この方面は、あまり見ていないので知識も薄い。
   
   
   
   ところが、松本清張ものについては、ミステリーと言うよりも、社会性に比重を置いた感じの作品が好きで、また、古代史などにつての歴史随想にも興味を持って、結構、小説や著作本を読んでいて、作品も映画館やテレビで観ている。
   この特別展のチラシに書いてあるように、
   ”1950 年代後半、「点と線」をきっかけに一躍ブームとなり、「張込み」「ゼロの焦点」「砂の器」など次々と映画化された松本清張の作品は、ミステリーの要素のみならず、貧困や差別、反権力など、犯罪の背景に潜む社会の奥深さを浮き彫りにし、社会派ミステリーの代名詞となりました。”と言うところが、私にとっては興味深いのである。
   山田洋次監督の映画「霧の旗」と、海老蔵のTVドラマ「霧の旗」については、レビューしているが、映画の方は若い頃、歳を経てからは、殆どテレビ作品となった松本清張ものを見ている勘定になる。
   
   
   

   今回、この記念館で、無性に懐かしかったのは、映画「砂の器」。
   しかし、この映画は、1974年製作であり、私が、アメリカへの留学から帰って、すぐに、サンパウロへ赴任した年であるから、実際に観たのは、そのずっと後、テレビの放映を録画してからだと思うのだが、強烈な印象が残っており、今でも、加藤剛が、コンサート会場で、美しいテーマ曲でもある「ピアノと管弦楽のための組曲 宿命」を、一心不乱に弾くラストシーンを覚えている。
   私には思い出なり好きな日本映画が色々あるのだが、この「砂の器」が、最高傑作の一つだと思っているので、今日は、この映画「砂の器」のポスターのある部屋で、ずっと、バックグラウンド・ミュージックとして、この「組曲 宿命」が流れていて、感激の限りであった。
   この曲は、芥川也寸志監修で、菅野光亮が作曲、本格的な協奏曲である。
   
   
   
   会場には、野村芳太郎監督の自筆の「砂の器 演出ノート」のコピーが展示されていて、冒頭、「此の映画の成功失敗の鍵は、⓵に音楽、⓶に画の面白さである」「此の作品のテーマは、映画のラストシーンが示している如く、親と子とのかかはり合い・・・その宿命である」と言っているから、「組曲 宿命」の果たす役割は大変なものなのであろう。
   それに、乞食同然の姿で、ハンセン病を患った父親と幼い子供の二人が彷徨う旅姿の、あまりにも詩情豊かで美しい風景描写の素晴らしさに、涙が止まらない程感動した。
   観劇記はともかく、素晴らしい時間を、この記念館で過ごさせて貰った。
   
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わが庭・・・椿:ピンク加茂本阿弥一輪

2018年11月10日 | わが庭の歳時記
   わが庭で、一番最初に咲いた椿が、この加茂本阿弥一輪。
   普段なら10月初めから開花する椿もあるので、決して早いことはないのだが、春の花が秋に咲くと何となく雰囲気が違って途惑う。
   白い花の加茂本阿弥を差し置いて、枝変わりのピンクでもないのだが、何故か、私の庭にはピンクの花が多い。
   これも、春の椿だが、小輪のフルグラントピンクの蕾が色づき始めているので、もうすぐ咲くであろう。
   
   

   狂い咲いた姫リンゴの花も、まだ、どんどん咲き続けている。
   小さな昆虫が集まってきて蜜を吸っているので、受粉するのかも知れないが、これから、寒い冬に向かうので、枯れてしまうのであろう。
   
   
   
   
   

   ホトトギスも、優雅な花を、ひっそりと咲かせていて面白い。
   小菊が、咲き始めた。
   ツワブキも最盛期で、わが庭のツワブキは、殆ど斑入り葉である。
   
   
   
   
   
   

   柑橘類の実が、色づき始めた。
   今年の豊作は、夏ミカンと柚子、たわわに実って壮観である。
   木が小さいので、ミカンは、まだ数個。
   4本ほど庭植えしたレモンは、まだ、小木だが、一個だけ大きな実がなった。
   イギリスに居た時、友人のジムの庭に咲いていた優雅な紫の花に魅せられて、植えたのだが、花が咲いたかどうかは気が付かなかった。
   
   
   
   
   
   
   
   小さな実をつけているのは、モチノキ、ハナミズキ、アオキ、万両
   花が咲き始めたのは、枇杷。
   
   
   
   
   
   
   
   
   今年は、台風来襲で、塩害と風害で、モミジや銀杏の葉が、枯れたり吹き飛ばされて、殆ど秋の紅葉を台無しにしてしまった。
   唯一、私の庭で色づき始めたのは、ドウダンツツジだけ。
   モミジの獅子頭だけは、小木で葉が固いので、半分は枯れて、半分は緑色のまま、びっしりと葉が木に残っているのだが、どんな紅葉になるのか楽しみにしている。
   
   
  
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吉例顔見世大歌舞伎・・・猿之助の「法界坊」

2018年11月09日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今回の吉例顔見世大歌舞伎は、夜の部を観た。演目は、次の通り。
   猿之助の「法界坊」を観たかったからである。

   一、楼門五三桐(さんもんごさんのきり)
     石川五右衛門 吉右衛門
     真柴久吉   菊五郎
   二、文売り(ふみうり)
     文売り 雀右衛門
   三、隅田川続俤(すみだがわごにちのおもかげ)
     法界坊
     序 幕 向島大七入口の場より
     大喜利 隅田川渡しの場まで
     浄瑠璃「双面水澤瀉」
   〈法界坊〉
     聖天町法界坊 猿之助
     おくみ    尾上右近
     手代要助   隼人
     野分姫    種之助
     おらく    門之助
     番頭長九郎  弘太郎
     大阪屋源右衛門 團蔵
     道具屋甚三  歌六
   (双面水澤瀉)
     法界坊の霊/野分姫の霊 猿之助
     渡し守おしづ 雀右衛

    タイトルは、「隅田川続俤」
    悪党ながら茶目っ気とユーモアのあるどこか憎めない法界坊
    あの凄みの利いたお数寄屋坊主河内山宗俊とは違って、所詮は巷の小賢しい悪徳坊主の悲しさが見え隠れして面白い
    色と欲におぼれた聖天町の法界坊は、浅草龍泉寺の釣鐘建立の勧進と称して、集めた金を道楽や飲み食いに使ってしまう生臭坊主。永楽屋の娘おくみに恋慕しモーションを賭けるも、おくみは手代の要助と恋仲なので、相手にされない。要助は、実は京の公家吉田家の嫡男松若丸で、紛失した御家の重宝「鯉魚の一軸」を探すために身をやつしている。許嫁の野分姫が奴五百平を供に江戸にやってくるのだが、要助は、おくみの母おらくの尽力でようやく一軸を取り戻す。しかし、要助とおくみがいちゃついている間に、法界坊が、大事な一軸をすり替えた挙げ句、源右衛門と婚礼が決まっていたおくみの間男の嫌疑をかけるのだが、この恋愛騒動の証拠だと法界坊が懐から出した恋文を、甚三が、法界坊が書いておくみに差し出したが投げ捨てられていた恋文とすり替えて、皆の面前で大声で読んだのだから、法界坊は周章狼狽。甚三に万座の前で読まれて恥をかかされ、苛立ちが収まらない法界坊は、松若丸を追ってきた野分姫まで無理やり口説いて殺してしまうのだが、法界坊も、甚三憎さに掘った落とし穴に自分が落とされて、甚三に殺される。助け出された要助とおくみは、甚三に指示されて、妻おしづの待つ隅田河畔の渡し場へ逃げて行く。
   舞踊「双面」では、この渡し場から始まって、おしづと要助とおくみの前に、おくみの姿をした法界坊と野分姫の合体した霊が現れて3人を苦しめるが、おしづの術で調伏されて退散する。
   まず、猿之助は、おくみとそっくりの娘姿で登場して、妖艶な仕草で舞い踊り、女形の巧手であったことを思わせて、中々、魅せてくれる。
   この霊を猿之助が、おくみに対しては法界坊、要助に対しては野分姫の霊となって対峙し、顔の表情を変えてそれぞれに挑み、最後には、厳つい隈取をした悪鬼スタイルで登場して見得を切る。
   取って付けたような演出だが、ストーリーなどどうでも良くて、江戸時代の錦絵、歌舞伎絵の世界を見せればそれでよし、江戸歌舞伎の良さであろう。

   「えー浅草龍泉寺釣鐘の建立 おこころざしはござりませぬか」と、よれよれの僧衣をまとって妖しげな掛け軸の幡を持った、大きな銭禿を頂いた汚い坊主が花道に現われる、この「釣鐘」の建立寄進金を集めて、その金で遊びまくる尊い名僧だと称する助べえの悪徳坊主が、この舞台の主人公「法界坊」。
   勘三郎と、吉右衛門の法界坊を二回観ているのだが、同じ出で立ちながら、三人三様、微妙にニュアンスが違っているのが面白い。
   蜷川シェイクスピアでも、器用な芸を見せて、マルチタレント・タッチの器用さを見せる猿之助の芸は、何処までが地でどこからが芸なのか判然としないのだが、滲み出る可笑しさ滑稽さが出ていて、中々魅せてくれる。

   何と言っても面白いのは、法界坊が、間男の証拠として出した要助からおくみへの恋文を、客席までにじり出て表書きを見せて確認して甚三に渡すのだが、すり替えられたのを知らずに、自分の書いた恋文を読まれ、茶々を入れて聞きながらも、少しずつ自分の書いた恋文らしいと気づき始めて、表情を変えて慌てて制止するも、最後の自分の名前を読みだされて、頭を隠して地面に俯せになって伸びあがり、逃げようとする醜態と哀れさ。
   この恥が余程こたえたと見えて、法界坊は、一気に、甚三を恨んで悪の本性を現して甚三に対決して抗うも殺されてしまうのだが、歌六の貫禄が猿之助の芸を深堀して興味深い。
   この甚三を、吉右衛門の時に、富十郎と仁左衛門が演じていたが、法界坊と甚三の芸が拮抗していると、他の雰囲気の異なった場面と好対照となって面白くなる。

   この舞台で、法界坊のコミカル・イメージに呼応するのが、おくみに聟入りして永楽屋を継ごうと目論む番頭だが、歌舞伎定番の惚けた調子の道化役者よろしく、弘太郎が、いい味を出していて面白い。
   要助と恋仲で、源右衛門に嫁にと望まれ、番頭にも思われ、法界坊にも執心されるモテモテで、許嫁の野分姫をも突っぱねるおくみを演じるのが尾上右近、中々、クールでしっとりとした女ぶりである。
   なよなよした優男の要助を演じる隼人を見るのは初めてだが、右近のおくみと相性がぴったり合っていて好ましい。
   
   さて、世話物の「法界坊」に続いて、「浄瑠璃 双面」の常磐津連中と竹本連中の楽に乗せての華麗な舞踊劇に転換するのか、一寸、不思議な感じがするのだが、吉右衛門の時には、最初は、今の幸四郎が代わって演じていたが、秀山祭の時には、吉右衛門自身が演じて、久しぶりに吉右衛門の女形を観た。
   この時は、「双面水照月で、猿之助の今回の舞台は、「双面水澤瀉」なのだが、三囲土手で法界坊が宙乗りするのと同様に、澤瀉屋の型なのであろう。
   ラストシーンの猿之助の厳つい隈取姿とは違って、確か、吉右衛門の双面の霊は、白塗りの女姿であったように思う。

   「楼門五三桐」は、吉右衛門の石川五右衛門と、菊五郎の真柴久吉の名セリフと颯爽たる絵姿を観る舞台。
   「文売り」は、雀右衛門の舞踊、男女の良縁を願う恋文を売り歩くとは面白い。
 
 
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国立能楽堂・・・狂言「千鳥」:能「三井寺」

2018年11月08日 | 能・狂言
   11月7日の定例公演は、
   《開場35周年記念》
   狂言 千鳥 (ちどり)  野村 万禄(和泉流)
   能  三井寺(みいでら)  粟谷 能夫(喜多流)

   狂言の「千鳥」は、
   シテ/太郎冠者 野村万禄、アド/主 炭哲男、アド/酒屋 野村萬
   万禄の芸も素晴らしいが、いぶし銀の様な風格と冴えを見せて歳を感じさせない人間国宝の萬の酒屋を楽しむ舞台である。

   この「千鳥」は、
   太郎冠者は、これまでの支払いも滞っているのに、金を持たずに、主人から自分の才覚で酒を買って来いと命じられ酒屋に行く。その前にたまった酒代を清算しろと言われるのだが、酒代の代わりに米が送られてくると騙して酒樽に酒を詰めさせて、隙を見て酒樽を持って行こうとする。その米が着くまで面白い話をしろと言われた太郎冠者は、津島祭の話を始め、伊勢路で子供が千鳥をかぶせ捕っていたのが面白かったので、その様子を見せようと言い、酒樽を千鳥に見立てて捕る真似をし、持ち去ろうとするが、酒屋に取り返される。今度は、山鉾を引く体で、酒樽に綱を巻き付けて引っ張って行こうとするが、これも、見つかってダメで、太郎冠者は、最後に、流鏑馬を再現して見せると言って、馬に乗る真似をしながら、あたりを走り回り、これも見つかるが、酒屋がよそ見している間に、隙を見て酒樽を持ち上げて走って逃げ去り、その後を騙された酒屋が追い込む。

   千鳥のシーンは、酒屋に、「浜千鳥の友呼ぶ声は」と謳わせて、太郎冠者が、「ちりちりや、ちりちり」と舞いながら樽を掠め取ろうとする、これが、「千鳥」のタイトルとなった由縁であろうが、とにかく、あの手この手で、酒屋を出し抜いて酒樽を持ち去ろうとする太郎冠者と、騙されじと抜け目のない酒屋との、丁々発止の掛け合いが面白い。
   説明によると、当時は、酒屋は高利貸しも併営していたと言うことで、掛け売りは普通だったようだが、結局は、狂言ゆえ負けてしまうのだが、萬は、しっかり者の酒屋を、悪知恵の働く太郎冠者を相手に、毅然として、しかし、適当にいなしながら泳がせているのを、至芸の一挙手一投足を目に焼き付けておこうと凝視して鑑賞させて貰った。
   「千鳥」と言う何となく詩情豊かなタイトルの曲が、酒屋を騙して酒をくすねてくる雇人の、人を食ったような話とは面白いが、これが狂言と言うものであろう。

   能「三井寺」は、喜多流の舞台。
   清水寺に参籠した女(前シテ)が、生き別れになった息子との再会を願って祈っていると、近江国 三井寺へ行けとの夢のお告げを得たので、近江へと旅立って行く。三井寺では、住職(ワキ)たちが、新しく寺に仕えることとなった稚児(子方)を伴って、月見をしていると、そこへ女(後シテ)がやって来て、三井寺の鐘の澄んだ響きに感興して、制止を振り切って鐘を撞き、八月十五夜の美しい月光を浴びながら、舞い戯れる。それを見ていた稚児が母ではないかと悟って、話を聞くと、この稚児こそが女の息子であったと判明して、二人はめでたく再会を果たして帰って行く。

   三井寺の鐘は、弁慶の逸話で有名で、この「弁慶の引き摺り鐘」は、三井寺の伝説の説明によると、
   ”当寺初代の梵鐘で、奈良時代の作とされています。 むかし、承平年間(十世紀前半)に田原藤太秀郷が三上山のムカデ退治のお礼に 琵琶湖の龍神より頂いた鐘を三井寺に寄進したと伝えられています。 その後、山門との争いで弁慶が奪って比叡山へ引き摺り上げて撞いてみると ”イノー・イノー”(関西弁で帰りたい)と響いたので、 弁慶は「そんなに三井寺に帰りたいのか!」と怒って鐘を谷底へ投げ捨ててしまったといいます。 鐘にはその時のものと思われる傷痕や破目などが残っています。”
   他にも不思議な伝説があって、霊鐘として、現在は撞かれることもなく金堂西方の霊鐘堂に奉安されていて見ることが出来るが、一応、この能では、この鐘が撞かれたということであろうが、この曲では、弁慶の鐘のイメージとは違って、近江八景の一つ「三井の晩鐘」として親しまれ、日本三銘鐘のひとつに数えられている、「形の平等院」、「銘の神護寺」と並び称される「音の三井寺」の銘鐘のイメージであろう。

   十五夜の月が煌々と輝き、琵琶湖の湖面に美しい姿を映す静かな夜に、この素晴らしい鐘を、子を思って気のふれた物狂いの女が、無心に打ち鳴らす・・・そんな情景を想像すると、詩情豊かな一幅の絵となる。
   シテの優雅な粟谷能夫の千滿の母が舞い続ける。
   
   私は、京都で大学生活を送ったので、京都や奈良の古社寺は随分歩いたが、滋賀の旅は比較的少なく、滋賀を本格的に歩いたのは、働き始めて、それも、東京や海外に移ってからのことである。
   車で琵琶湖一周の旅、湖東三山、甲賀甲西、湖北十一面観音菩薩巡り、竹生島、長浜、それに、彦根は何回か訪れており、石山寺と、この三井寺では、夫々、朝から夕暮れまで、十分に時間を取って過ごしたので、かなり、巡り歩いている。
   しかし、この曲のイメージを増幅するのに、一番役に立ったのは、比良山の麓・琵琶湖西岸にキャンプを張って、何日か過ごして経験した、シーンと静まり返った湖面に乱舞する月光の美しさであろうか。
   それに、比叡山から山道を四苦八苦して下って、坂本についた時には、とっぷり陽が暮れてあたりは真っ暗、湖面が月に映えて美しかった。
   晩鐘の美しい音は聞こえなかったが、高台にある三井寺の鐘が撞かれて荘厳すれば、素晴らしい境地を味わえるであろうと思う。
   
   いずれにしろ、能のシテの舞は、ギリギリに切り詰められ昇華された殆ど動きがなく、この曲の美しくて情緒連綿とした感動的な詞章を聴きながら、「三井寺」の舞台を鑑賞するためには、空想をフル回転して、情景描写を豊かにイメージする、これに尽きよう。。
   私には、まだ、学生時代に蛮声を振り絞って歌っていた三高寮歌の「琵琶湖周航の歌」の琵琶湖のイメージの方が強くて、ピュア―な三井寺の月光と晩鐘のイメージには程遠かった。

   シテ/千滿の母 粟谷能夫、子方/千滿 大島伊織、ワキ/園城寺住僧 宝生欣哉、アイ/清水寺門前の者 野村万蔵、地頭/友枝昭世 ほか
   
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METライブビューイング・・・「アイーダ」

2018年11月05日 | クラシック音楽・オペラ
   9月に、METの2018-2019シーズンが開幕したので、それに合わせて、METライブビューイングも始まり、初日は、アンナ・ネトレプコがタイトル・ロールを歌う凄い「アイーダ」であった。
   実際のライブビューイングでなく、タイミングがズレるのは、字幕など日本の劇場での上演版の準備に時間を要するからであろう。
  
   オペラ「アイーダ」をオペラハウスで観た記憶はあるので、8年間に50回以上は通い詰めたロイヤルオペラのパンフレットを総て出して調べたが、見つからなかったので、次に多い劇場はMETなので、ニューヨークで観たのであろう。
   METのデータベースで調べると、結構、「アイーダ」の上演は多くて、40年近く前のことで、あの頃は、アイーダがレオンタイン・プライス、アムネリスがフィオレンツァ・コソット、ラダメスがジェイムス・マクラッケン、指揮がジェイムス・レヴァインだったようである。
   今回のMETライブビューイングは、口絵写真を見れば分かるが、まさに、エジプトのテーベの大神殿を再現したような大規模な舞台で、インターミッションで放映されていた大掛かりな舞台移動や設営を観ておれば、舞台上下に8メートル以上移動する巨大な昇降機が5基もあって上下して舞台展開しており、更に、本舞台と同じ大きさの舞台が左右と背後にあって移動して舞台展開を図ると言うことで、このような素晴らしいグランド・オペラは、MET以外では、再々の上演は不可能なのではないかと思う。

   先に、NHKで放映されたネトレプコ主演のザルツブルグ2017の同じオペラ「アイーダ」の舞台などは、モダンでシンプルであり、これに比べて、200人以上は登場していたのではないかと思われる、今回のMETの凱旋行進曲が高らかに鳴り響き群衆が熱狂する凱旋祝賀の舞台などのスケールの大きさは、あのベローナのローマ時代の野外アリーナのオペラ公演の舞台にも引けを取らないのではないかと思われるほど壮大な凄い舞台である。
   それに、ヴェルディのオペラの最大の魅力の一つである合唱の凄さ魅力がスパークして圧倒し、軽快なサウンドに乗って繰り広げられるバレエの優雅さ華やかさも、観客を魅了して止まない。

   このオペラは、アイーダの愛の物語である。戦いに敗れて奴隷となって、エジプトの王女アムネリス(メゾソプラノ:アニータ・ラチェヴェリシュヴィリ)の侍女となっているエチオピアの王女アイーダが、エジプトの将軍ラダメス(テノール:アレクサンドロス・アントネンコ)と相思相愛なのだが、アムネリスもラダメスを愛していて三角関係。このラダメスが侵入してきたエチオピア軍を追討するための大将軍に任命されて出撃し、アイーダの父エチオピア王アモナズロ(バリトン:クイン・ケルシー)を捕虜にして連れ帰る。アモナズロは復讐のためにアイーダに、エジプト軍の進路をラダメスから聞き出させるのだが、それを見ていたアムネリスの通報で司祭たちに囲まれ、二人は逃げるが、国家機密を漏洩したラダメスは捕まって地下牢に閉じ込められる。ラダメスの運命を察知していたアイーダは、先回って地下牢に隠れていて、再会した二人は、地下牢で抱き合って逝く。

   祖国エチオピア追討に立つ愛する敵将ラダメスに、「勝ちて帰れ」と群衆と唱和する苦衷と、権威を持った主人の王女の恋敵である辛さ、それに、故国と父のためとは言えラダメスを裏切らせて名誉を叩き潰す苦悩、何重にも苦衷に苛まれながら、愛一筋に生き抜くアイーダのピュア―な生き様を、華麗で甘美な、そして、壮大な音楽で荘厳し続けるヴェルディサウンドが、胸を締め付ける程美しい。

   ネトレプコにつては、レビューなど愚の骨頂であろうから止めるが、とにかく、感動と言った次元の話では説明できない程、凄い歌手である。私は、残念ながら、まだ、ネトレプコを劇場で聴いたことがない。マリア・カラスやレナータ・テバルディ、そして、エリザベート・シュワルツコップやレオンタイン・プライスなど往年の伝説的な歌手は、劇場で聴いているが、最近は劇場通いが少なくなってしまったので、若い名歌手については疎くなってしまった。
   ネトレプコのアリアで一番感動的であったのは、第三幕のラダメスとアムネリスの婚礼で絶望して死を覚悟して、再び見ることのないであろう祖国を偲んで、故郷の山河を回想して歌う美しいロマンツア「私のふるさと」である。何故か、ネトレプコが学び活躍したザンクトペテルブルグのネバ川の夕景を思い出して聴いていた。
   もう一度、昔のように、このブログの「ニューヨーク紀行」のような、METに何日か通い、フィラデルフィアの母校を訪ねるセンチメンタルジャーニーをしてみたいと思った。
   
   エジプトの王女アムネリスのメゾソプラノ:アニータ・ラチェヴェリシュヴィリは、ネトレプコと渡り合って全く遜色のない素晴らしい歌手で、旧ソ連のジョージアのトビリシ出身。2009年、ミラノ・スカラ座でバレンボイムの指名でヨナス・カウフマンのドン・ホセで、カルメンを歌って、それがTV放映されて、一気にスターダムに。アイーダは、2006年にパリオペラで歌って人気を博し、イタリアのロックバンドProfusionとアルバムを出していると言うから凄い歌手である。堂々たるタイプで、今回、アムネリスは、何も悪い(bad)女ではなく、ラダメスに恋一途で、アイーダに嫉妬しているだけと語っていたのが面白い。
   アイーダとの恋の鞘当てシーンが出色で、第一幕の二重唱「あなたのまなざしには」、第二幕の二重唱「戦いに敗れた国の、お前の苦しみはよく分かる」、そして、フィナーレの恋敗れて一人で歌う「あなたの上に平安がありますように」は、実に感動的なアリアで、ヴェルディは泣かせる。
   
   
   
   
      ラダメスのテノール:アレクサンドロス・アントネンコは、ラトビアのリガ出身のドラマチックなレパートリーを得意とした歌手。今43歳で、8年前に、ルサルカのプリンスでデビューしたと言うから一寸晩成型だが、スカラ座でトスカのカバラドッシ、ナブッコのイズマエーレ、METでオテロ等を歌うなど、欧米の劇場で活躍していて、マンリーコ、カラフ、ドン・ホセ、カニオ、サムソン等々数多くのテノールのレパートリーをこなす。
   第一幕でアイーダを思って切々と胸の内を吐露して熱情的に歌う「清きアイーダ」のアリアの素晴らしさから、観客の心を掴む。
   どのシーンが一番好きかと聞かれて、「最後の死ぬ場面」と応えて、何故だと聞かれて、「アイーダのために死ぬからだ」と応じていた。そんな好男子であるから、素晴らしいラダメスを披露してくれた。
   

   指揮者のニコラ・ルイゾッティは、イタリアの卓越したオペラ指揮者で、このアイーダは勿論、ヴェルディはじめイタリアオペラは得意中の得意で、 METにゆかりの深いプッチーニの「西部の娘」を、METの100年記念公演で振っており、METの今期も、ほかに、リゴレットと椿姫を振ることになっている。東京交響楽団の指揮者でもあったようだが、非常にオーソドックスなアイーダであったような気がする。
   

(追記)写真は、METライブビューイングのHPから借用。
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