熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

パソコンのない静かな日々(?)

2018年06月30日 | 
   愛用している富士通のノートパソコンが、fan error で、調子が悪くなったので、修理に出した。
   富士通のWEB MARTで買って、3年保証期間が残っていたので、これで対応したのだが、すぐに、親切に対応してもらって、帰ってきた。
   ほんの数日間だが、パソコンのない日が続くと、いっぺんに生活のリズムが代わってしまって、戸惑う。

   しかし、驚いたのは、一日の生活で、パソコンの前に座っている時間が如何に長いか、すなわち、パソコンに隷属している日々の生活の比重が如何に高いかと言うことに驚いたのである。
   私の場合は、スマホを使っていないので、これを併用しておれば、幸か不幸かは別として、まさに、インターネットの奴隷と言うところであろうか。

   さて、パソコン修理で空いた時間、何をしていたかと言うことだが、真っ先に増えたのは、読書の時間である。
   早く読みたいと思っていた「フラット化する世界」のトーマス・フリードマンの最新刊「遅刻してくれてありがとう 上下」。
   まだ、全部は読み切れてはいないが、ゆっくりと味わって読んでいて、非常に面白い。
   続いて、「ザ・セカン・マシン・エイジ」や「ロボットの脅威」を読むことになると思うが、私の場合、速読法を取っていないので、各々、400ページくらいの、かなり、内容のある本なので、時間がかかりそうだが、既知の知識情報の重複が多いので、それ程、苦痛でもない。
  
   先日、「働き方改革関連法案」が、参議院本会議で決議されて成立した。
   日経には、「迫られる生産性革命」と言うサブタイトルが踊っているが、人知や人能を凌駕してどんどん進化して行くAIや人間社会を雁字搦めに取り巻くIOTの将来を考えれば、如何に高度なプロフェッショナルな仕事であっても、早晩、ロボットやインターネットに駆逐されてゆくのは目に見えており、この法案の目指すところなど、すぐに陳腐化して時代遅れとなってしまう。
   早い話、フリードマンの言を借りれば、今や、ムーアの法則とデジタル・グローバリゼーションの加速によって、世界の趨勢は、「仕事が職と分離され、仕事と職が企業と分離されて、その多くがプラットフォーム化している」段階に達しており、加速の時代が定着すると、ムーアの法則が総てをデジタル化して、供給、デザイン、製造などすべての要素を分離させてグローバル化すると、職と言う概念そのものが激変して行き、ブラック企業に蹂躙されるなどと言った慣行は愚の骨頂となろうか。

   この法案が、働く人にとって幸か不幸か、日本にとって良いか悪いかは私には分からないが、現実のグローバル経済および経営環境は、そのような悠長な低次元の議論をはるかに超えたところで推移していると言う現実を直視すべきだと言うことである。

   労働賃金の安い中国や発展途上国に製造業が移動して日本の空洞化が心配されたのは、ほんの少し前の話で、今では、ICT,デジタル革命の恩恵を受けて産業構造は大きく様変わりして、低労働や低技術のみならず、専門的なプロフェッショナル・サービスでも、機械に駆逐されてしまい、従来の仕事がいつまで生き延びて雇用を維持してくれるのかは、時間の問題となって、不透明極まりない時代になってしまった。
   クリントン大統領時代には、「一生懸命働いて、ルールを守れば」、そして、適度な教育を受けておれば、人並みの中流生活ができたアメリカだが、高給で中スキルの仕事は、フィルム大手のコダックと共に消滅してしまった。
   今や、エスカレーターの速度より早く昇り、絶えず自分を作り直して、何らかの形の高等教育を受け、生涯学習に邁進し、新しいルールに従い、なおかつ新しいルールを作り直して、一層努力しなければ、ミドルクラスの生活は望み得なくなったと言うのである。
 
   AIやIOTが、人間にとって良いことかどうかと言うことは分からないが、仕事に関する限り、ロボットやインターネット、機械などが、どんどん、人間に変わって仕事を奪い、労働市場から、代替可能な労働から、労働者を駆逐して行くことは間違いなかろう。
   「ベーシックインカム」論が脚光を浴び始めたのも、この傾向を見越しての対策論であろう。
   
   ところで、フリードマンは、一つだけはっきりさせておこうと、「ロボットが雇用をすべて奪うことにはならない。」と言っている。
   そうなるのは、私たちが手をこまぬいていた場合――労働、教育、スタートアップの分野でのイノベーションを加速しなかったとき――だけだ。として、初等教育、仕事、生涯学習のコンベアベルトすべてを考え直さなければならないと、厳しい現実を直視しつつ、「AIをIAに変える」ことを説いている。

   失われた10年と言われて久しく、その後、失われた四半世紀と言われ、日本がどんどん世界の潮流に遅れて、今や、中国や多くの途上国にもキャッチアップされて、普通の国になってしまった感じで、ICT,デジタル革命分野で、大きく後れを取ってしまっていることが、このフリードマンの本を読めばよく分かる。
   遅れを取ったのは、経済だけではなく、文化文明、社会の進化においても、取り残されつつあり、Japan as No.1時代の、あの溌溂としたフロントランナーとしてのパワーとエネルギーが、どこかへ消えてしまっている。
   日本が、素晴らしい一等国であった国であると言うことが懐かしくなるのである。
   
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わが庭・・・ユリ・シルクロード咲き続ける

2018年06月26日 | わが庭の歳時記
   オリエンタル系のユリだが、カサブランカと一緒に買って、庭に植えたのだが、名前は不明。
   シルクロードか、トライアンファイターか、どちらでも、名前はどうでも良いのだが、勢いよく咲いて、背丈を超すほどで、伸びあがったアジサイにも負けていない。
   立てばシャクヤク、座ればぼたん、歩く姿は百合の花 と言う程であるから、鑑賞花としては文句なしなのであろうが、私は、何故か、椿の方が好きである。
   
   
   

   アガパンサスが、咲き始めた。
   満開になれば、線香花火のようにきれいなのだが、わが庭の花は、日当りの所為か、やっと、チラホラ咲きである。
   
   
   


   ガクアジサイの小花や、咲き始めたムラサキシキブの小さな花が美しくて、ムードがあるので接写して見た。
   こう言った楽しみ方は、ガーデニングの良さかも知れない。
   
   
   
   
   
   
  

   クラブアップルの小さな実、アサガオの咲き始め、やっと色づき始めた中玉トマト、etc.
   梅雨の合間に、わが庭は、少しずつ姿を変えている。
   
   
   
   
   
   
   
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ジョン・W.ダワー著「アメリカ 暴力の世紀」(2)

2018年06月24日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   この本は、1941年にヘンリー・ルースが発した「アメリカの世紀」に触発されて書かれた感じで、絶えず、ルースならどう考えるかと自問しながら、その後の暴力の世紀を展望しており、非常に興味深い。
   ルースが激賞した「民主主義の論理」「法の下における自由」「機会均等」と言う、アメリカ独立宣言、憲法、権利章典で謳われている価値は、今や、普遍的なものだが、果たして、現状はどうかと言うことである。

   さて、ダワーの指摘で興味深ったのは、アメリカには、第二次世界大戦の勝利感や正義感には、戦後まもなく、それとは裏腹に、深くて永続的な恐怖感と言う暗鬱で矛盾に満ちた側面があって、物質的にはあらゆる面で自信過剰で圧倒的に強大でありながら、他方では、容易に消滅するようなものでない病的に異常に満ちた怯えと不安に苛まれていた。と言うことである。
   不気味な存在である敵に対する恐怖は、大規模な軍事機構を保持すべきと言う考えに政治的支援を確保する呼び水となり、高レベルのこの種の不安は、政治家と大衆を見方につけておく支配装置の役割を果たしてきた。と言うのである。

   アメリカにとって、20世紀の大戦争はすべて海外の戦争であって、1941年の真珠湾攻撃など少数の例外を除いて、自国の土地で戦闘を行なったり砲撃に晒されると言った苦悩を舐める経験がなかった。
   したがって、9.11事件で、ニューヨークの世界貿易センターと国防総省ビルがアルカイダの攻撃を受けて、アメリカ人が、どれほど異常な精神的ショックを受けたか、この9.11に対する一般的な反応は、第二次世界大戦開戦への反応を即座に思い出させ、「第三次世界大戦」へ突入したのかと言う議論を始めたと言う。

   アメリカは、9.11事件に対して強烈な軍事的な反応を示して、その後、「テロとの世界戦争」「海外緊急軍事活動」「長期戦争」「永久戦争」戦略を打ち続けて、
   アメリカ軍は、アフガニスタンとイラクと言った小国で泥沼にのめり込み、中東圏のパキスタン、シリア、リビア、イエメン、ソマリアでも、終わりのない紛争に関わっている。
  
   この中東圏の紛争を見れば、過去の国家間紛争と似たように思えるが、実際には、様変わりで、
   このような国家の名前の背後には、そのような国家を保護している諸国家、代理戦争、代理軍隊、反乱軍、対抗するテロリストや凖軍隊の組織、派閥間の憎悪、部族・民族間紛争、明白な犯罪行為や汚職行為などと言った狂気じみた実態が隠されていて、この混沌とした状態を見ると、誰が誰と何のために戦っているのかさえ、さっぱりわからないし、解決の見込みさえ全く見えない。

   アメリカは、たった1回の9.11と言うテロ事件に対して高慢で大袈裟な反応を示して、強大な「国家安全保障国家」を作り上げて、国家を永続的に凖戦争状態に置き、民主主義に政治的危害を与えている。
   強烈な恐怖意識によって構築された「国家安全保障国家」体制ゆえに、アメリカは、巨額の戦費の浪費のみならず、将来何十年にもわたる負債を負い続けなければならない。と言うのである。
   

   この本で、ダワーは、多方面にわたって興味深い論陣を張っているが、経済学が専攻の私には、軍事の民営化が気になった。
   「テロリズム」に対する被害妄想で、警戒監視への強迫観念を生み出し、軍事費の削減の影響もあるのであろうが、戦略転換で、アメリカ軍事史にかって見られなかったような激しい度合いで、利益を追求する企業に下請けさせることを通して、傭兵を雇うと言ったことも含めて、「民営化」されるようになった。と指摘している。
   これまでにも、イラクなどで、軍人以外の米軍要員が、軍事トラブルを起こしたと報道されていたので、知ってはいたが、ダワーの指摘では、下請けと言った簡単な状態ではなく、かなり、程度が進んでいて、アイゼンハワーの「軍産複合体」とは、ニュアンスの差があるにしろ、経済に与える影響は軽微ではなかろうし、アメリカの軍事戦略や戦術にも影響を当たるだろうと思うので、注視すべきである。
   
   
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国立演芸場・・・一龍斎貞水の講談「累」ほか

2018年06月23日 | 落語・講談等演芸
   今日の国立演芸場の 第418回 国立名人会 は次の通り。
   チケットは早くからソールドアウト。

講談「馬場の大盃」 一龍斎貞友
曲独楽 三増紋之助
落語「中村 仲蔵」 三笑亭夢太朗
― 仲入り―
講談「累」 一龍斎貞水
制作協力:(株)影向舎

   人間国宝・一龍斎貞水の立体怪談「累」、
   薄暗い舞台には、お化けの出そうな墓場の幽霊屋敷を模した装置が設営され、中央に、苔むした講釈台が置かれて、貞水が座っていて、講談のストーリー展開や情景に合わせて、照明が変化し効果音が加わって、オドロオドロシイ実際の現場を見ているような臨場感と怖さと感じさせる立体的な舞台芸術。
   語りながら百面相に変化する貞水の顔を、演台に仕掛けられた照明を微妙に変化させて、スポットライトや色彩を変化させて下から煽るので、登場人物とダブらせて、凄みを見せる。
   暗闇の舞台の破れ提灯や行燈が微かに揺れて光を帯び、行燈が割れてドクロ首が飛び出し、寂びれた障子に幽霊の影が映ったり、人魂が宙を舞ったり、最後には、累(かさね)の亡霊が障子を破って飛び出す。

   主人公の累は、顔が醜いために夫に殺されて、怨霊となってとり憑く女の物語。
   怨霊は、化けて自由自在に登場して、復讐して恨み辛みを晴らすと言う特権を持っているので、どんな手を使ってでも、いくらでも悪を挫き正義の味方面が出来る虚構の世界の住人。この、いわば、庶民にとっては、無残に夢を絶たれて逝った悲劇の主人公が救世主のような蘇って留飲を下げてくれるのであるから、怖いけれど面白い。この逆転パラドックスが、怪談の良さかも知れない。

   さて、記憶が確かなら、「累」の話は、
   下総国岡田郡の百姓・与右衛門は、後妻のお杉の5才の連れ子を邪険に扱って、誤って川に溺れさせて、棒杭に顔を打ち付けて醜い顔になって土座衛門として上がってきたのだが、それが祟って、その後生まれた娘累もよく似た事情で、片足が悪くて醜い顔になって成人したのだが、息倒れで倒れていた流れ者の谷五郎を甲斐甲斐しく看病し、両親の死後、二代目与右衛門として婿に迎えて跡を継がせる。しかし谷五郎は、容姿の醜い累を殺して別の女と一緒になる計画を立て、累の背後に忍び寄って、川に突き落とし、必死に縋る累を残忍な方法で殺す。その後、谷五郎は幾人もの後妻を娶ったが、次々と死んでしまう。頑健な後妻・きよとの間に、娘菊が生まれたが、累の怨霊が現れて、少女になった菊を責めさいなむ。 
   最後は、弘経寺の祐天上人が累の解脱に成功するのだが、オドロオドロシイ累(後に、かさね)の怨霊の凄まじさに圧倒される。

   累ものとして、歌舞伎など色々作品はあるようだが、この累の死体が上がったところを累ヶ淵と言うようで、三遊亭円朝も、怪談噺「真景累ヶ淵」を作っている。
   落語の圓朝ものも、当然、立体落語になるであろう。
   歌丸の圓朝ものでも、効果音が入ったり、趣向を凝らした高座もあったりで、面白いことがある。
   一度、円丈の高座だと思うが、立体落語を見た記憶があるが、落語に、幅と奥行きを感じて、非常に面白かった。

   一龍齋貞友の「馬場の大杯」は、伊賀上野の藤堂高虎の子息2代目大学守高次公の酒の相手をした侍の話。
   名調子で面白かった。
   アニメのちびまる子ちゃんやクレヨンしんちゃんなどの声優なので、学校の公演に行くと、人気絶頂で、師匠を食うとか、貞水が語っていた。
   
   夢太朗の落語「中村仲蔵」は、歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」の五段目の(二つ玉の段)で、与市兵衛の財布を奪って、「五十両ォ~」と一言喋るだけの斧定九郎を、名優の演じる役どころにした「中村仲蔵」の革新的な芸の編み出し逸話。
   歌舞伎ファンであり、よく知っている話なので面白かった。

   曲独楽の三増紋之助
   器用な曲芸師だが、真剣の切っ先に独楽が移動する瞬間に、独楽を落としてしまった。
   わざとではないと思うが、やり直して成功、客は、むしろ、両方を見られて大喜び。
   後に高座に上がった、夢太朗が、万が一の失敗を枕に語っていたら、袖から、三増紋之助が飛び出してきて抗議したので、客席爆笑。
   
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ジョン・W.ダワー著「アメリカ 暴力の世紀」

2018年06月21日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   The Violent American Century: War and Terror Since World War II が、原書のタイトルなので、「アメリカ 暴力の世紀――第二次大戦以降の戦争とテロ」の表題は、正しいのであろう。
   しかし、アメリカが暴力の世紀であったと言うのではなく、ダワーのニュアンスは、アメリカが引き起こした暴力の世紀と言う意味合いが強く、暴力のアメリカの世紀と言う方が適切なのかも知れない。

   戦後数十年、「パックス・アメリカーナ」と言われているが、実際にアメリカが世界の覇権を得るのでは全くなかった。
   ソ連の崩壊とアメリカの「世界随一の超大国」としての出現にも拘わらず、21世紀には、「アメリカの世紀」と言う自惚れを退ける事件が多発した。
   湾岸戦争でのイラク軍に対する圧勝やデジタル技術と精密攻撃兵器を駆使する新しいアメリカ軍が、敵にとって攻撃不可能の能力を保持していることを確認することになったが、しかし、この二重の勝利は欺瞞であった。
   アメリカは、圧倒的な軍事力にも拘わらず、冷戦期の朝鮮戦争とベトナム戦争では停戦と敗北を経験し、冷戦終焉のわずか10年後に、アルカイダに、世界貿易センターと国防総省ビルを攻撃され、これに対する応酬として開始した「テロとの世界戦争」は拡大中東圏に終わりの見えない不安定と混乱を引き起こして、アメリカの軍事的失敗を再び証明した。
   アメリカにとって無念であり失望的であったのは、国防総省の先例のない技術的優位性が、主として低レベルの不規則な戦争に関わっていた、殆ど無秩序ともいえる非国家集団や国家集団に挫折させられたことである。
   と説く。

   アメリカは、いくつかの例外を除いて、朝鮮、ベトナム、最近の中東での戦争など失敗の典型であり、勝利を味わったことがないにも拘わらず、超大国意識と言う傲慢さは、そんな失敗から何の影響も受けず、究極的には、冷酷な軍事力の維持のために必要不可欠であると言う考えから脱却できない。
   核兵器廃絶を目指すどころか、核兵器の現代化に専念し、大量破壊のための「スマート兵器」やその他の通常精密兵器の更なる開発と整備で世界の先頭を切ることに、アメリカは狂信的と言う程熱心なのである。   

   さらに、注目すべきは、現今のテロについて詳細に論じる一方、一般的にはタブーとなっている、アメリカやその同盟諸国の行っている国家テロについても言及していることで、
   この国家テロの中には、人口が密集した市や町を意図的に攻撃目標として破壊し、敵の士気を挫くために、世界大戦時から1950年代の朝鮮を経て、1960年代、1970年代の東南アジアに至るまで、長年、広範囲にわたって行われていた戦略爆撃が含まれている。
   アメリカの戦略家たちは、冷戦時代を、核軍拡競争の「テロ恐怖の微妙な均衡」を、今日では、敵を脅迫するこの狂気じみた行動が、「核兵器の現代化」と言う形で復活している。と言う。

   第二次世界大戦以降を、比較的平和な時期であったという説は、不誠実だと糾弾しており、それは、実際に起きた、今も起きている大量の死と苦悩から目を逸らせることで、1945年以降の軍事化と破壊行為を低下させるのではなく、逆に促進させてきたアメリカの責任を不鮮明にさせることだと言う。
   アメリカは、大量破壊手段の増強を止むことなく先導し、その技術に対する脅迫観念がどれほど挑発的な世界的影響を齎したか、アメリカ型の「戦争活動」が、常に空軍力とそのたの冷酷な手段に依存していたか、全体的に無視され、過小評価されている。
   人民抑圧的な外国政府へのアメリカの支援、様々な目に見える形や秘密裡で狡猾な阿智での軍事化、巨大で押しつけがましい国家安全保障国家を常に拡大し続けるために資金を注ぎ込み、市民社会に暴力が齎されたと言うのである。 

   「冷戦期の核の恐怖」で、信じられないようなアメリカの核戦略が記述されていて、アメリカの戦略並びに戦術核兵器の大部分が、ソ連と中国の共産圏を「封じ込める」重要な手段として、主にドイツなど国外に、ピーク時には7300発配備されていたと言う。
   アメリカの核保有絶頂期には、貯蔵一覧目録には3万6000発あり、核地雷や核機雷、ジープから発射できる砲弾に装備する核弾頭まであって、ジョージ・バトラーの言を引用して、「人類は、核ホロコーストを起こさずに冷戦を乗り越えたが、それは、外交的努力と、偶然の運と神の介入、その二つの組み合わせであり、恐らくは、後者が果たした役割が大きいであろう」と結論付けている。

   キューバに核ミサイル基地の建設が明らかになり、ケネディ大統領が、カリブ海で海上封鎖を実施し、アメリカとソ連邦が対立して緊張が高まり、全面核戦争寸前まで達したキューバ危機は知っているが、
   アメリカが、最初に核兵器を使う可能性があったのは朝鮮戦争、その後、1950年代に二回にわたる台湾海峡を挟む中国との緊張事態、先のキューバ危機、ベトナム戦争、1991年の湾岸戦争だったと言う。
   しかし、核兵器関連の重大事故や事件でも、数百件に及んでいて、例えば、核兵器搭載のB52爆撃機がスペイン上空で燃料補給機と接触して4発の水爆を地上に向けて落下し、2発が破裂してプルトニウム汚染したと言う。
   
   この本は、世界の警察、パックス・アメリカーナ、アメリカの提供する世界の平和と言う公共財、アメリカの核の傘などと言った国土防衛、等々、一体どういう意味を持つのか、アメリカの国家防衛や軍事政策の実態を浮き彫りにしていて、重要な示唆を与えている書物である。

   ジョン・W・ダワー (John W. Dower ) は、アメリカ合衆国の歴史学者。マサチューセッツ工科大学名誉教授。専攻は、日本近代史。
   この本では、日本を主題にはしていないが、詳細な”The Violent American Century: War and Terror Since World War II”
   非常に興味深い本で、読んでいて面白いが、知らない世界なので、私には、なるほどと読んで納得する以外にない。
   
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映画「万引き家族」

2018年06月20日 | 映画
   第71回カンヌ国際映画祭で、最高賞であるパルム・ドールを獲得した是枝裕和監督の「万引き家族」と言うタイトルの映画だが、非常に強烈な印象を与える作品であった。
   はじめは、あまりにも可哀そうな映画の印象を受けたので、映画館に行くのを逡巡したのだが、行って良かったと思っている。

   監督は、”新作『万引き家族』の直接的なきっかけは、既に死亡している親の年金を、家族が不正受給していた事件を知ったことで、「犯罪でしかつながれなかった」というキャッチコピーが最初に思い浮かんだ。”と語っている。
   これに、幼児虐待事件を絡ませていて、日本の暗部を炙り出している。

   HPを借用すると、
   高層マンションの谷間にポツンと取り残された今にも壊れそうな平屋に、治(リリー・フランキー)と信代(安藤サクラ)の夫婦、息子の祥太(城桧吏)、信代の妹の亜紀(松岡茉優)の4人が転がり込んで暮らしている。彼らの目当ては、この家の持ち主である初枝(樹木希林 )の年金だ。足りない生活費は、万引きで稼いでいた。社会という海の底を這うような家族だが、なぜかいつも笑いが絶えず、互いに口は悪いが仲よく暮らしていた。冬のある日、近隣の団地の廊下で震えていた幼い女の子・ゆり(佐々木みゆ)を、見かねた治が家に連れ帰る。体中傷だらけの彼女の境遇を思いやり、信代は娘として育てることにする。

   息子の祥太は、捨て子であったのを治・信代夫婦が拾って育てて、治が万引きを教えた。治は日雇い労務者だが足を痛めて働けず、信代はクリーニング店を首になり、学校に行けない祥太とゆりは、万引きに出かけて行き、亜紀は、マジックミラー越しに客と接するJK見学店で働いていて、月に一度、初枝に付き添って年金を下ろしに行く。足が悪くても、治が祥太を連れて、万引きに出勤しなければ、生活が成り立たないのである。
   そして、この家族は、全く血が繋がっていないアドホックな家族なのであるが、普通の家族以上に結束が固く、丁度、終戦直後を彷彿とさせるような極貧生活だが、笑いが絶えない。この口絵写真は、つかの間の休息、海水浴に出かけた浜辺での幸せ家族の一瞬である。
   隅田川の花火大会で、全員縁側に出て首を伸ばして、音だけしか聞こえない花火を見上げるシーンなども胸に応える。

   しかし、店にある品物はまだ誰のものでもないと教えられたのだが、駐車場に止まっていた車の窓を割って人のバッグを盗んで嬉々として逃げて行く治の姿を見て、盗みに疑問を抱いた祥太が、わざと、音を発ててスーパーからミカンを持ち逃げして捕まる。警察が調べるうちに、安楽死した初枝の葬式が出来ずに床下に穴を掘って埋めたのが発覚し、年金詐欺などの罪を一切信代が被って収監されて、祥太は施設に送られ、ゆりは親元に戻され、治は寂しいドヤ暮らしに、幸せだった(?)家族が崩壊して、散りじりになる。
   事情聴取を受けた治が、何故、子供に万引きさせたのかと聞かれて、それしか教えることがなかったのだと答える悲しさ哀れさ。
   面会に来た祥太に、逡巡する治を制して、信代は、捨て子だった場所や状況を告げて後を祥太に託す母心(?)。全編、安藤サクラが、実に上手くて感動的。
   幼児虐待の態度が変わらない母親を避けて、マンションのベランダに立って寂しそうに外を眺めるゆりの姿を映して映画は終わる。
   
   
   幸せとは、一体どういうことなのか。
   不幸な運命と境遇に泣く幼い二人の子供(芝居とは思えない巧みな芸、涙がこぼれるほど上手い)を主人公にして、是枝監督は、平和ボケの日本人に、問いかけている。
   
   
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国立演芸場…6月花形演芸会

2018年06月19日 | 落語・講談等演芸
   6月の 第469回 花形演芸会 のプログラムは次の通り
      
落語「長短」 三遊亭楽天
曲芸 丸一小助・小時
落語「死ぬなら今」 三遊亭朝橘
上方落語「遊山船」 桂吉坊
―仲入り―
落語 「ちりとてちん」三遊亭圓楽
漫才 母心
浪曲「稲むらの火」 菊地まどか
宮本麗子=作 曲師=佐藤貴美江

   吉坊の落語と菊池まどかの浪曲を聞きたくて、出かけたのである。
   祖父がラジオで聞いていた浪曲が、私の最初の古典芸能への接触だが、別に好きでも嫌いでもなく、何の興味も湧かなかったのだが、最近、国立演芸場に通っていて、しばしば、聞く機会があって、面白いと思い始めたのである。
   それに、最近、女流の落語家など古典芸能で、女性芸人の活躍が目覚ましく、一寸、雰囲気のある芸を楽しめるので、注目しており、若くて綺麗なまどかが、新作ながら、あの有名な和歌山の「稲むらの火」を演じると言うのである。

   まず、吉坊の「游山船」
   天神祭りで賑わう夕暮れ時、喜六と清八の二人連れが、浪花橋の上から大川を見下ろして、賑やかに行きかう夕涼みの屋形船を見下ろして、無学な喜八が少し学のある清八に挑む頓珍漢な会話が世間離れしていて、実に面白い落語。
   喜六がボケで清八がツッコミと言う、正に、上方漫才の落語バージョンと言った感じで、テンポの速い小気味よい吉坊の畳み掛けるような大阪弁の語り口が秀逸。
   御大人が、芸者や舞子、太鼓持ち、料理人を従えての屋形船の模様を存分に聞かせて、最後は、
   碇の模様の揃いの浴衣を着て派手に騒いでいる稽古屋の舟に見とれた清八が、
   「さても綺麗な錨の模様」と呼びかけると、舟の上から女が「風が吹いても流れんように」
   感心した清八が、喜六に「お前のとこの嫁さんの”雀のお松”は、あんな洒落たことよう言えへんやろ」と言ったので、頭にきた喜六が、家に帰って、嫁さんに、無理に、去年の汚い錨模様の浴衣を着せて盥に座らせて、屋根の天窓に上がって声を掛けようとするのだが、どう見ても汚くて絵にならないので、
   「さても汚い錨の模様」 洒落た嫁はんのこたえは「質においても流れんように」

   殆ど内容のない噺で、毒にも薬にもならない人畜無害の落語だが、正に、語り手の話術の冴えが光る高座で、Youtubeで、ざこばや笑福亭松鶴の「游山船」が聞けて面白いが、吉坊のパンチの利いた爽やかな落語を楽しませて貰った。

   菊地まどかは、アラフォーの大阪市出身の浪曲師、演歌歌手。
   このタイトルの「稲むらの火」は、1854年(嘉永7年/安政元年)の安政南海地震の津波の時に、紀伊国広村の庄屋濱口儀兵衛(梧陵)が、自身の田にあった収穫直後の稲藁に火をつけて、村人たちを安全な高台にある広八幡神社への避難路を示す明かりとし誘導して助けたと言う実話をもとにした話で、小泉八雲が、「A Living God」として著わしており、有名な逸話である。
   30分弱の菊地まどかの名調子が、感動的であった。
 
圓楽は、歌丸の必死で高座を務める様子を笑いに紛らわせてまくらに語っていたが、心の交流があったればこそ、優しさがホロリとさせる。
   あまりにもポピュラーな「ちりとてちん」
   芸の年輪を感じさせて面白かった。

    三遊亭楽天も三遊亭朝橘も、圓楽一門会のメンバー。
   三遊亭楽天は、元ダンサーと言う特異なキャリアーで、02年の入門と言うから、落語歴は新しくて二つ目だが、既に、大物の風格のある堂々たる語り口。
   三遊亭朝橘 の「死ぬなら今」は、阿漕な商いで巨万を築いた伊勢屋の旦那が死んで、閻魔庁へ出頭して、閻魔大王ほか、冥官十王、赤鬼、青鬼など居並ぶお偉方に賄賂を握らせて天国行き。代々の伊勢屋の遺言で「地獄の沙汰も金次第」が定着して、その悪事が露見して、地獄の鬼たちお偉方は、すべて、天国にしょっ引かれて、地獄は空っぽ。「死ぬなら今」だと言う噺。
   三遊亭朝橘の話術の面白さが、冴えて楽しませてくれた。
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財布紛失:ドタバタ顛末記

2018年06月18日 | 
   先週の月曜日、外出時に持ち物を点検しようと思ったら、財布がない。
   これがなければ外出できない。
   時間がなかったので、仕方なく、あっちこっち家探しして、適当に、現金やカードなど揃えて外出した。

   帰ってきて、思い当たるふしを、あっちこっち当たったが、出てこないので、落としたか取られたか、とにかく、紛失したと言う前提で、手を打つことにした。
   前日、外出して、コープで買い物をして、そのまま、5分ほど歩いて帰って、その後外出していないので、この間になくしたことになる。
   何が、財布の中に入っていたのか、とっさには、思いつかなくて、困ったが、大切なものでよく使っていて分かっているのは、三菱のキャッシュカード、JALのグローバルカードなどのクレジットカード数枚、それに、健康保険証であった。

   これまで、一番困ったのは、ロンドンの事務所に空き巣が入って、財布を盗まれたことで、この時には、パリパリの猛烈ビジネスマンであったので、クレジットカードにしても、アメックスやダイナースなどのゴールドカードなども何枚も持っていたし、かなり、大きな財布の中に、色々なドキュメントなど貴重品を入れていた。
   ロンドンで助かったのは、某会社に、キャッシュカードやクレジットカードなど登録しておけば、盗難届とかカードの停止や再発行など、その処理に必要な手続きを一切やってくれていたので、真っ先に、ここに電話して事なきを得た。
   POLICEへの盗難届など、結構厄介であったのだが、結果的には、現金の盗難だけで済んだ。
   後日談だが、2か月後に、その財布は、別の階の給水タンクの中から、掃除のときに見つかったと言う。

   もう一度、日本に帰ってきてから、千葉のイオンで、財布を落として、この時も、何よりも、カードの事後処理に、大変苦労した。
   幸いと言うか、後日、イオンから、駐車所に捨てられているのが見つかったと電話が掛かってきた。
   取られたのが現金だけであったが、この時、無性に腹が立ったのは、イオンの女性係員の対応で、私の目の前に財布を出したのは良いのだが、何も言わずに、財布の中から、汚いものを出すように、中のものを全部引き出して前にぶちまけて、「現金は入っていたのか」と平然と聞いた。
   係員にとっては、単なる遺失物であろうが、私にとっては、大切に愛おしんで使っていた貴重な財布であり、わが子に会ったような思いであったので、邪険に扱われている財布が可哀そうで、腹が立つより悲しくなった。
   この会社は、ダメだと思って、翌日、少数株主であったが、イオン株を売った。

   腐れ縁なのか、鎌倉近辺には店舗もないのに、この会社のイオンカードをいまだに維持していて、今回もなくしたカードに入っていたのだが、JALカードや、VIEWのルミネカードなどは、紛失通知後すぐに新カードが送られてきたが、このイオンからは、当然であろう、いまだに、送ってこない。
   最も顧客に近接した小売業でありながら、カスタマーサービス精神欠如というべきか、他にも、嫌な思いを何度も経験しているのだが・・・。

   そんなことよりも、今回の財布紛失だが、まず、東京三菱UFJに電話して、キャッシュカードの差し止めを頼んだ。
   差し止めは良いのだが、郵貯と違って、キャッシュカードがなければ、通帳ではATMを使えないと言う不便。
   通帳とハンコを持って、窓口で振り込みや引き出しをしろと言うのだが、客に仕事をさせて手数料を取るATMは、始終混んでいるが、最近では、優しい係員が丁寧に対応してくれてタダの窓口の方が空いているこの不思議。
   翌日、大船の店舗に行って、キャッシュカード再発行の手続きをしたが、1週間か10日かかると言う。
   この銀行、Japan as No.1時代には考えられなかったのだが、三菱と東京と三和と東海が合併した銀行なのであるから、正に、今昔の観である。
   
   ところで、カードを紛失しても、その届け出の電話を何処に掛ければよいのか、インターネットを叩いてもよく分からないし、電話をかけても、音声案内が延々と続いて、ボタンを何回も押さされて、繋がっても、長い間待たされる。
   叩かれているが、即刻電話が繋がって、親切に対応してくれるアマゾンと雲泥の差である。

   国民健康保険証は、なければ、たちまち困るので、鎌倉市役所に電話したら、御成の本局へ行けば、即刻、発行すると言う。
   私用で、大船に出ていたので、鎌倉に向かった。
   まだ、盗難届を出していなかったので、丁度、手前の御成交番が、珍しく人がいなかったので、中に入って案内を乞うと奥から中年の婦人警官が出てきて、今日は、珍しく暇なのでと丁寧に対応してくれた。
   困ったでしょと言いながら、丁寧にノートにメモを取って、奥に入ってパソコンを叩いて、申告書を打ち出してきてくれた。
   最近では、何でも、パソコンで電子化するようにと言われているようだが、遺失番号を記した遺失メモは、何故か、手書きであった。
  
   鎌倉市役所では、免許書を返却して得た運転経歴証明書で身分確認をして、すぐに発行してもらえた。

   とにかく、大したものが入っているわけではないのだが、なければ、たちまち困る財布と言う存在。
   PASMOなどを入れている定期入れに、運転経歴証明書や病院の診察券などを入れていたのだが、これから、クレジットカードや現金を入れるなど、財布から分散しておいた方が良いと思い始めている。
   歳の所為もあって、物忘れや勘違いなどが多くなってきているので、結構、念には念を入れて日頃の行いに注意しているのだが、その程度では足りないのかもしれなと言う気がしている。
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映画「終わった人」

2018年06月17日 | 映画
   ”趣味なし、夢なし、仕事なし、そして、我が家に居場所なし”
   高学歴(東大卒)・高職歴(メガバンク)が邪魔をして再就職もままならない。
   定年退職は、「生前葬」だと言う、そんなサブタイトルが、画面を走る予告編を見て、ついつい、映画館に行ってしまった。
   サラリーマン人生を送った私にも、他人事の映画ではないのである。
   メガバンクではなかったが、会社を離れるまでは、主人公のケースとかなり似た道を歩んできたので、思うことが結構あったからである。
   尤も、私の場合には、アメリカ留学でMBAを取得して、14年もの欧米伯の海外経験があって、普通では遭遇できないような経験をしたと言うプラスかマイナスか分からない付加人生があったことであろうか。

   出世競争に負けて、出向会社の専務で定年を迎えた壮介(舘ひろし)が、社員に見送られて会社を去るところから映画が始まる。
   温かい家族の出迎えを受けて、その日は終わるのだが・・・

   ”仕事一筋だった壮介は、翌日から時間を持て余してしまう。公園、図書館、スポーツジムなど時間を潰すために立ち寄った先は、至る所に老人ばかり・・・。”
   この光景は、何処へ行ってもそうだが、少子高齢化日本の超現象で、別に、気にすることもないのだが、定年退職で暇になれば、特別目に入ると言うことであろうか。
   それよりも、気になるのは、これから暑くなると、百貨店やスーパーなどの休憩所などで、じっと何もせずに列をなして座り続ける老人たちが多くなることである。
   
   ”妻千草(黒木瞳)や娘・道子(臼田あさ美)から「恋でもしたら?」とからかわれる始末。ある日、大学院で文学を学ぼうと思い立った壮介は、勉強の為に訪れたカルチャースクールの受付嬢・浜田久里(広末涼子)に想いを寄せる。”
   熱海の高級ホテルのドア口まで誘うのだが、空振りで、ベッドに当たり散らす。

   通い始めたスポーツジムで知り合った新興IT会社ゴールドツリー社長・鈴木直人(今井翼)から会社の顧問になって欲しいと頼まれ、承諾したものの、社長が急逝して、後継者がいないために社長になるのだが、ミャンマーの提携会社が倒産して、3億円の負債を背負って倒産。順風満帆に思えたのも束の間、ずっと支えてくれていた千草からも愛想を尽かされ、「卒婚」を提案される。
   映画のHPを借用して纏めれば、そんな話である。

   この映画での良さは、最後に、壮介が、故郷回帰して、盛岡の高校時代のラグビー部の連中との邂逅とも言うべき出会いで、友人の主宰するNOP法人を助けることになることで、同窓生たちとの宴会で、全員で、さんさ踊りを歌って踊り故郷賛歌を演じることである。
   ここで、壮介が、これまで盛岡へ帰れなかったのは、キャプテンで、東大を出て、メガバンクに入って・・・意地を張っていたからだと明かすのだが、友の思いは、これをはるかに超えて温かった。

   自分のことを比較して語るのも面はゆいので止めるが、多少言えることは、冒頭の、「趣味なし、夢なし、仕事なし、」と言うことだが、
   趣味については、他人を巻き込まない自分一人の楽しみが大半だが、忙しくなるほどやることが沢山あって、不足はなかったし、
   仕事については、大学の同窓生と会社を立ち上げて、始動し始めた。
   しかし、このコンサルタントの新会社だが、私自身に営業力がなく鳴かず飛ばずであったので、身を引き、大学の同窓のパートナーが引き継いでいる。
   多少、役立つ仕事をしたのは、複数の大学の非常勤講師などをして、経営学やブラジル学などを講義講演したことであろうか。
   夢については、もう、知盛の心境とは言わないまでも、見るべきものは見つに近い経験をしてきていたし、最早、夢を描くべき立ち位置でもなかったので、問題になりそうもない。

   それでは、何を思って、引退後の日々を過ごしているのか。
   会社を離れて、最初に考えたことは、読書のことで、この膨大な蔵書を、どのようにして攻略するかと言うことであった。
   当時、5000冊は下らなかったと思うのだが、いくら暇になったからと言っても、やるべきことがいくらもあって、思いに任せず、思うように読み通すことが出来なかった。
   その後、あの3.11の大震災で、私の書斎や書棚が大崩落したり、鎌倉への移転で処置なしとなって手放すなど、過半は処理したものの、それでも、必要だとかどうしても読みたいとか思った千数百冊は残してあるのだが、それも、殆ど倉庫の中で、眠っていて、手の届くところにあるのは、精々200冊で、このブログを書く時には、倉庫をひっくり返して資料を探したりしている。

   経済学と経営学については、大学以来、欧米時代を含めて、ほぼ半世紀に亘って専門書を読み続けており、原書など並の学者よりもはるかに多く読んでいると自負しているのだが、だんだん、それも追い付かなくなってきており、寂しい限りだが、歳には勝てない。
   それでも、年に少なくとも、50冊以上は増えて行く蔵書、
   経済や経営以外に、歴史や文化芸術、トインビーも読みたいしホーキングも読みたいしシェイクスピアも読みたい・・・命との追いかけっこになりそうである。

   他の趣味については、このブログで書き続けているので止める。
   これまでに人生で、残念であったのは、お金に縁がなかったことで、正直なところ、問題の振り込みサギに引っかかっても、あのように、振り込む資金がないのでサギにかかりようがない。
   欧米伯生活が長かったので、旅に明け暮れ、文化・歴史や芸術美術音楽鑑賞に入れ込み過ぎたと言うことかも知れないのだが、それだけに積み重ねた情報や知識や、善意に解釈すれば、人間臭い教養のおかげで、今でも、真善美を追求しながら、人類の素晴らしい遺産に敬意を表し、その素晴らしさ美しさに感動を覚えて楽しませて貰っている、この人生の醍醐味ともうべき喜びに感謝している。

   
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わが庭・・・コンカドール咲く

2018年06月14日 | わが庭の歳時記
   やっと、ユリが咲き始めた。
   黄色い花の、カサブランカの色変わりのコンカドールである。
   何種類か、オリエンタル・ハイブリッドを庭植えしたのだが、このイエローカサブランカだけは、毎年元気に花を咲かせてくれる。
   庭の適当に空いている空間に、球根をねじ込んだと言った感じだったが、生命力の旺盛なユリである。
   ユリは、ボヘミアン・ガラスの花瓶に挿して楽しむのだが、この花は、衣服に着くと始末が悪いので、雄蕊を切り落として挿さなければならないのが、どうも無粋で興ざめではある。
   
   

   今は、丁度、梅雨で、しとしと降り続いて蒸し暑くて大変だが、それだけに、アジサイの美しさと何とも謂えない優雅な雰囲気が、たまらなく魅力的である。
   先日、雨の日に、大船からバスで明月院経由で、鎌倉駅に行ったのだが、JRの北鎌倉駅から明月院に向かっての道は、観光客で列をなしていたので、大変だと思った。
   この西鎌倉にも、結構、街路沿いや公園に、アジサイが植わっていて、それなりに、雰囲気があって面白いので、今年は、鎌倉のアジサイ散策は止めることにした。
   わが庭のアジサイも、それなりにムードがあって良く、和室の縁先から眺めて、お茶を楽しんでいる。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   

   イングリッシュローズのグレイスが咲き始めた。
   南天の花も咲き始めたのだが、わが庭では、木陰などではなく、オープンスペースに植わっているので、花が雨にやられるんで、残念ながら殆ど結実しない。
   まだ、黄色いビュウヤナギが咲き続けている。咲いた後の実も美しい。
   
   
   
   
   
   
   
   
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国立能楽堂・・・能「雲雀山」

2018年06月13日 | 能・狂言
   能「雲雀山」は、初めて観る能であった。

   ストーリーは非常にシンプルで、物売りの芸能が主体なので、狂女物として扱われて、四番目物。
  横佩(ワキ/森常好)右大臣豊成は、人の讒言を信じて娘の中将姫(子方/岡桃果)を雲雀山に捨てて殺させようとするが、忠義な家臣(ワキツレ/森常太郎)と乳母(前シテ/岡久広)が、姫を匿って養育する。雲雀山に狩りに出た豊成は、姫を養うため、歌をおもしろく歌って花を売る女(後シテ/岡久広)に出あって、その女を乳母の侍従と分かって、養育しているのを聞き知っていたので、会わせろと迫る。父は、自分の浅はかな振る舞いを悔いたので、乳母は、姫と再会させる。


   ウイキペデイアによると、継母である照夜の前に憎まれ折檻などの虐待を受け、14歳の時、父の豊成が諸国巡視の旅に出かけると、照夜の前は、今度は家臣に中将姫の殺害を命じる。しかし、命乞いをせず、亡き実母への供養を怠らない、極楽浄土へ召されることをのみ祈り読経を続ける中将姫を、家臣は殺める事が出来ず、雲雀山の青蓮寺へと隠す。翌年、豊成が見つけて連れ戻す。と書かれており、この逸話が、能「雲雀山」作曲の元になっているのであろう。
   中将姫は、美貌と才能に恵まれ、9歳の時には孝謙天皇に召し出され、百官の前で琴を演奏し、賞賛を受け、13歳の時に、三位中将の位を持つ内侍となり、16歳の時、淳仁天皇より、後宮へ入るように望まれたと言う程有名人であったので、能「雲雀山」の世界とは縁遠い筈なので、能のテーマとしての常套手段の一つ、親子の生き別れと再会、を踏襲して、このようなストーリー展開となって、さらに、中将姫を一途に思い続ける乳母を狂女風の花売りに仕立てて、非常にカラフルで花尽くしの美しい謡を鏤めて、能の世界を作り上げたのであろう。
  
   解説の田中貴子教授は、花売りと言えば「大原女」を思うと言って、花売りは、元は薪売りであったと、色々説明されていたが、私は、マイ・フェア・レディのコベントガーデンのイライザを思っていた。
   室内装飾は勿論のこと、イベントの度毎に、花飾りを楽しみ、プレゼントには花を選ぶなど、何時でも花が主人公となっている欧米人とは違って、日本人は、仏事などの花のイメージが強くて、一寸、花への姿勢が違うので、この能のように、花売りが前面に出て、サブテーマになっているのは、珍しいのではないかと言う気がしている。

   さて、若い頃に、私自身、何度か、中将姫が尼となって入山したと言う二上山の山麓にある当麻寺を訪れているのだが、京都や奈良の古社寺からは一寸離れたところにあるお寺なので、行く度ごとに、改まった気持ちになって、由緒ある境内の佇まいの静けさが印象に残っている。
   特に、優雅で美しい国宝の西塔と東塔の三重塔が好きで、これを見たくて行っていたと言う気がするのだが、塔頭の一室でお茶をいっぷく頂きながら憩う一時も楽しかった。
   中将姫が織り上げたと言われている「当麻曼荼羅」は、本物か複製か、記憶は定かではないのだが、どこかで、見たように思う。
   相撲の祖と言われている野見宿禰と当麻蹴速に関係する遺跡があるのも、この当麻であり、けはやの塚が、駅から当麻寺への街道沿いにあった。


   能は、想像を逞しくして、謡を拝聴すべきであろうが、やはり、雑念であろうとも、何でも良いから、知らないよりは知っている方が良いのではないかと、無理に思っている。
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六月大歌舞伎・・・「夏祭浪花鑑」

2018年06月11日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   夜の部は、
  一、夏祭浪花鑑 鳥居前 三婦内 長町裏

団七九郎兵衛 吉右衛門
お辰 雀右衛門
一寸徳兵衛 錦之助
お梶 菊之助
下剃三吉 松江
玉島磯之丞 種之助
傾城琴浦 米吉
団七伜市松 寺嶋和史
大鳥佐賀右衛門 吉之丞
三河屋義平次 橘三郎
堤藤内 桂三
釣船三婦 歌六
おつぎ 東蔵


   宇野信夫 作 大場正昭 演出
   二、巷談宵宮雨
     深川黒江町寺門前虎鰒の太十宅の場より深川丸太橋の場まで

龍達 芝翫
虎鰒の太十 松緑
おとら 児太郎
おとま 梅花
薬売勝蔵 橘太郎
徳兵衛 松江
おいち 雀右衛門

  夏祭浪花鑑は、1745年8月に大坂竹本座で初演された人形浄瑠璃で、その後歌舞伎化された。
   全九段の通し狂言だが、今日では、今回の舞台のように、三段目「住吉鳥居前」・六段目「釣船三婦内」・七段目「長町裏」が通して上演されており、それなりに、きっちりとした歌舞伎になっている。
   この舞台の主人公であ団七九郎兵衛は、浮浪児であったのを三河屋義平次に育てられて、娘のお梶と所帯を持って子供も生まれて、堺で行商の魚屋をしている。義侠心が強く、老侠客釣船三婦らとつきあっていて、恩人の泉州浜田家家臣玉島兵太夫の息子磯之丞の危難を救うため、大鳥佐賀右衛門の中間を殺したので、入牢となるのだが、
   今回の舞台は、兵太夫の尽力で、団七が、住吉鳥居前で、釈放されるところから始まる。
   「釣船三婦内」では、徳兵衛女房お辰が国許に帰るための暇乞いに来たので、三婦の女房おつぎが、磯之丞を一緒につれて帰ってほしいと頼むのだが、三婦が「色気があり過ぎてダメだ」と言ったので、、妾の顔が立たぬと焼き鏝を己の頬にあて美貌を醜くしてしまい、女ながらに気風の良さ心意気を示す壮絶なシーンがある。
   そして、義平次が駕籠を従えて門口に現れ、団七に頼まれて磯之丞の愛人琴浦を引き取りに来たと言って、琴浦を駕籠に乗せて連れて行く。後に来た団七は、お辰から事情を聞かいて、琴浦に執心の佐賀右衛門が欲深い義平次を使って琴浦を攫う算段だと悟って、急いで駕籠のあとを追う。
   「長町裏」では、堺筋の東側にある長町裏で、団七は駕籠に追いつき義平次を詰り琴浦を返すよう懇願するが、断られて散々悪態をつかれて、団七の雪駄で額を打たれて眉間に傷を負わせられたので堪忍袋の緒が切れて争ううちに、義平次を殺してしまう。

   さて、この「夏祭浪花鑑」だが、大坂を舞台にした浄瑠璃・歌舞伎で、このブログでは、海老蔵と吉右衛門の団七の舞台について、書いている。
   夫々、素晴らしい舞台であって感激して観たので、それはそれでよかった。
   しかし、何も大坂に拘ることもないのだが、この時にも書いたので引用すると、
   天神祭の頃の大阪の盛夏は、耐えられない程むし暑いのだが、この歌舞伎の題名が、夏祭浪速鑑と銘打った以上、あの地面の底から湧きあがってくるようなムンムンした気が狂いそうな程のむし暑さを滲みだせなければ、舞台のイメージが出てこないのではないかと言うことで、江戸のアウトローを主人公にした侠客物とは違って、この舞台のように侠気のある市井の平凡な庶民を主人公に仕立てた人間臭い、それにしてどこか粋な雰囲気を醸し出した土壌あっての作品だと思うからである。
   悪い人でも舅は親。南無阿弥陀仏。凄惨な親子の殺戮劇の後の団七の言葉だが、正気を逸して気が狂っても当然かも知れないと思えるほど暑くて耐えられない、どろどろした大阪の大地と空気の香りが滲み出て来なければ、この芝居の良さは分からないような気がしている。
   それに、団七と義平次の殺戮の場では、塀の向こうを、だんじり囃子に乗ってだんじりや山車が通り過ぎて行く演出の冴えなど、正に、夏祭の雰囲気がムンムンして、宵宮の太鼓かつぎの連中が、団七をその輪の中に巻き込んで行くシーンなど、正気と狂気とを綯い交ぜにした舞台であり、効果抜群である。

   ところで、私は、吉右衛門の舞台で、好きなのは、終幕の刺青と赤褌の団七の華麗な舞うように演じて絵になる見得づくしの殺戮の舞台よりも、序幕の牢から釈放された無残な冴えない犯罪人が、住吉神社の境内に店を出す髪結床に入って男を上げて颯爽と再登場する変わり目の鮮やかさで、これで、一挙に舞台展開が見えて、ストーリーが本筋に入る。
   この店の暖簾に、播磨屋の家紋が描かれていて、その家紋をつけた浴衣姿のいい男が団七なのである。

   前に見た吉右衛門の舞台では、一寸徳兵衛を仁左衛門、傾城琴浦を孝太郎が演じており、やはり、大阪弁の雰囲気は格別であった。
   先の仁左衛門が、上方色の乏しい東京の役者の舞台を見て、藤十郎(当時扇雀)に、「上方歌舞伎の冒涜や、あんさん手本に、団七をやっておくれやす」と指示したとかウイキベディアに書かれてあるのを読んだのだが、こてこての大阪弁尽くしの「夏祭浪花」を観たいと思っている。
   
   その意味では、大阪弁で語られて、本拠地を大阪に置く文楽での「夏祭浪花鑑」は、一味も二味も違って、また別な素晴らしさがあって良い。
   東京での舞台は、少なくて、このブログでは2回しか記録はないのだが、2回とも、徳兵衛の女房お辰は簔助で、火鉢で真っ赤になった鉄弓で顔を焼くシーンでは、身体を張って生きている任侠の女房としての心意気、気丈夫なお辰の心の揺れを実に鮮やかに人形に託して演じて感動した。
   桐竹勘十郎の団七と吉田玉也の義平次との殺戮シーンは凄かったし、釣船三婦は桐竹紋寿、一寸徳兵衛は吉田玉女が遣っていた。
   6年前の舞台では、玉女の団七と勘十郎の義平次で、二人の井戸端での殺戮シーンの迫力は流石であったし、釣船三婦を遣った桐竹紋寿の風格も凄かったが、残念ながら、もう見られなくなってしまった。

   「巷談宵宮雨」は、初めて観る歌舞伎で、面白かった。
   龍達は女犯の罪で寺を追われた妙蓮寺の住職だった龍達を演じた芝翫が、実に上手かった。
   虎鰒の太十の松緑と、おいちの雀右衛門の息のあった夫婦のドタバタ模様も秀逸。
   怪奇めいた結末が興味深い。

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ワインの楽しみ方が変わってきた

2018年06月09日 | 生活随想・趣味
   この頃、良く、酒を飲むようになった。
   と言っても、家でのことで、少し酒の飲み方が変わったと言うことでもある。
   特に酒量が増えたと言うことではなく、食事時期とは別に、リラックスしたい時に、ワイン、それも主に赤ワインなのだが、ワイングラスに注いで、佃煮、今日は、エビ入りちりめんくるみだったが、色々なさつま揚げ、魚のみりん干しや西京漬けなど、冷蔵庫にあるものを適当に酒の肴にして、飲むのである。
   余り綺麗な飲み方ではないのが恥ずかしいのだが、無聊を慰めるのには格好である。

   コンサート会場などでは、ワイングラスを片手に、休憩時間を過ごす人が多いが、欧米の劇場でもそうだったが、私には、そんな趣味はない。
   しかし、能や歌舞伎など、観劇が終わって東京から帰ってきた夜などには、結構、先のやり方で楽しめる。
   尤も、量も精々、ワイングラスに2杯くらいで、それで、満足できるのだから、特に、問題にはならないと思っている。
   こんな時には、これまで、甘いものをお供にして、コーヒーや紅茶を入れて、憩いの時間を楽しんでいたのだが、これが、酒に変わったと言うことなのであろう。

   酒は、どうしても、昼日中は慎むべきで、夜に限るべきであると言う意識があったのだろうが、私など、欧米人とのビジネスランチでは、結構、ワインを飲んでいたし、昼食をパブで取っていた時には、当然、ギネス1パイントくらいは飲んでおり、何も、昼に拘ることもなかったのであるが、結構、抵抗があった。

   みんなで、日中などで、酒盛りを楽しむと言うのは、やはり、典型的なのは、春の花見など、行楽の時であろう。
   最近では、殆どそんな機会もなくなってしまって、一人静かに気に入った散策道で、花や紅葉、自然の移ろいを愛でると言った風情だが、酒からは縁遠くなった。

   海外では、そんな花見の機会はなかったが、イギリスの友人たちの招待を受けて、グラインドボーン音楽祭のオペラ観劇に良く出かけて、美しい庭園で、イギリス風のピクニックを楽しんだ。
   ロンドンの南方イースト・サセックス州ルイス近郊の、お城のようなカントリーハウス、壮大な庭園を要した領主の館に、私設のオペラハウスがあって、ここで、本格的な質の高いオペラが上演されるのだが、午後早くに開演されて、長い休憩をはさんで、深夜まで続く。
   早くから庭園が開放されるので、常連のジムやマーゴット夫妻などは、庭園の一角にシートを敷いて場所を設営して、素晴らしいピクニックスタイルの中食とディナーを楽しませてくれた。
   手間暇を省いて、オペラハウスに常設されているレストランで食事や喫茶を楽しませてくれるのは、マイクとブレンダ夫妻で、モダン志向であった。
   この両者併用のスタイルもあったり、人夫々の楽しみ方が面白い。

   私が通っていた頃には、まだ、前の古風でエキゾチックなオペラハウスだったが、その後、在英中に新しいオペラハウスが建設中となって、帰国後完成して、ジムが何度か誘ってくれたけれど、タイミングが合わず、行く機会がない。

   このグラインドボーンには、シーズン中、ロンドンから観劇用の特別列車が往復しているのだが、私は、最初は、ハイヤーを使ったが、途中から、キューガーデンの自宅から、ベンツで往復した。
   初夏から初秋にかけて、美しいイギリスの田舎を通り抜けて、結構、長いドライブが続くのだが、360度まっ黄色に輝く菜の花畑を通り抜けたり、メルヘンチックな藁屋根の美しい農家を車窓越しに眺めたり、咲き乱れるバラや野の花などを楽しみながら、早い午後のイングランドのドライブは楽しい。
   尤も、オペラが跳ねると、月と星影しかない殆ど漆黒の気の遠くなるような田舎を車を走らせて帰るのだが、高速に入るとほっとしたりする。

   いずれにしろ、欧米生活で覚えたワインの味、
   色々、面白い思い出があるのだが、そんなことを思い出しながら、異国で集めたワイングラスを傾けている。

   ところで、ワインと何の関係もない口絵の写真、メトロポリタンで撮ったクレオパトラかネフェルティティか定かではないのだが、欧米では、自由に写真を撮っても良い博物館や美術館が多くて、随分、撮った。
   マドンナをイメージしたわけでもないのだが、パソコンを叩いていて、結構好きな彫刻だったので、取り入れただけである。
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橋爪 大三郎他著「おどろきの中国」(1)

2018年06月08日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   社会学者橋爪 大三郎、大澤 真幸、宮台 真司の鼎談による中国論で、これまで読んでいた経済や政治的、軍事的観点からの中国ではない、一寸切り口の代わった視点からの話なので、結構興味深く読んだ。

   まず、冒頭第1章の「中国とはそもそも何か」について、考えてみたい。
   最初に問題としたいのは、中国は国家なのかと言うことについて、中国は、EUに似ていると言う論点である。
   しかし、ヨーロッパは、やっと今になってEUとなって纏まりかけているのは、アルプスがあり地中海があり地勢が複雑で移動のコストが高すぎる交通の困難にあったからで、中国は、フラットで、戦争もやり易く、政治的統合のコストが安くて、戦争の不幸な経験を清算して一つの政権に統一すべきだと人々の意思統一が出来上がって、二千年以上も前に、中国が生まれた。のだと言うのだが、このタイミングの問題である。
   ずっと昔から、ローマが、ブリテン島の奥深くまで進行して、バイキングが地中海に攻め込み、スペイン王朝やナポレオンなど国家横断的な版図拡大もあったし、とにかく、国境は天気図のように移動を続け、それに、民族の大移動が頻繁に行われていたヨーロッパで、地勢的な複雑さが、ヨーロッパの統一を妨げたと言う話は、全く納得がいかない程可笑しな論旨だと言うことである。
   チベットやウイグル地区では、紛争が絶えないが、これは、異民族地域であって、中原の本土の大部分は中華民族地域であり易姓革命などで支配者は変わっても変化のない中国とは違って、ヨーロッパの場合には、宗教はキリスト教であろうとも、民族や文化や歴史的背景が大きく異なっていて、国民感情や利害の対立など相容れない要素が多すぎて、統一できなかったと考えた方が、筋が通っていると思う。

   例えば、これは、私の8年間のヨーロッパ在住経験からだが、あの1時間車を走らせれば、どこからでも国境を越えてしまう小さなオランダでさえ、地方間の言葉などが違っていて、トップ建設会社の社長が、8つの別々な支店を置かなければ仕事にならないと言っていた程であり、オランダの領土の中にベルギーの飛び地があって、同じ長屋でも国境を挟むと、ガス水道電気など公共サービスは、夫々の国が行っていると言った信じられないような状態であった。
   このケースをヨーロッパ全土に置き換えれば、五万と異質な異文明異文化のモザイク模様が、ヨーロッパを分断している筈であろう。
   イギリスに5年住んでいたが、イギリスの友人の中には、ヨーロッパ人だと思っている人は非常に少なかったし、連合王国4か国の国民意識、独自意識は非常に強く、特に、スコットランド人などイギリス人だとさえ思っていなかったし、独立心が非常に強かった。

   イギリス以外に、スペインのバルセロナやバスクなどの独立運動を筆頭に、ロシアや東欧を含めて、ヨーロッパ中で、民族の対立軋轢が頻発していて、いつ爆発しても不思議でない程、ヨーロッパには、国家間、民族間の親和力が欠如していて、民族自決意識が強い。
   二度の不幸な世界大戦の惨禍を二度と繰り返すまいと犬猿の仲の独仏が主導してEUが誕生し、競ってヨーロッパの国々が参加して、疑似国家連合体のEUが存在するが、これも、思想的な心情が先行し、かつ、経済的な利点を享受できると期待しての参加国のEUであり、所詮は、政治統合しない限り成功の見込みのないEUで、その見込み薄であることを考えれば、ユーロの破綻は勿論のこと、EUの崩壊の可能性さえ考えざるを得ない。
   Brexitやヨーロッパ全土で吹き荒れている反EUのポピュリズムのうねりなどの台頭は必然だと言えようか。
   人為的に成立したEUそのものの方が、異質であったと考えるべきであっただろうと思う。
   もう一度言う。何を考えて、中国とEUとは、同じだ似ていると言う発想が出てくるのか。

   さて、面白い本だと思って読み始めたが、冒頭から、躓いてしまった。
   中国については、専門家であっても、グローバルな地政学を論じるには、バランスの取れた知見が必要であり、とにかく、現地感覚皆無での異国文明論の展開は、非常に神経を使うと言うことであろうか。
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大船フラワーセンター・・・花菖蒲、ユリ、睡蓮

2018年06月07日 | 鎌倉・湘南日記
   今は、菖蒲の季節で、このフラワーセンターの一列の川床の菖蒲が咲き乱れている。
   やはり、菖蒲と言えば、潮来や佐原の水生植物園などが、私には馴染みだったのだが、鎌倉に移ってからは、遠くなってしまった。

   趣味人には、種類も多くてバリエーションに飛んだ菖蒲の夫々の趣の違いとか姿かたちなどに思い入れがあるのであろうが、私には、その方面の理解がなく、綺麗な咲き具合の花だけを追っている。
   しっかりとしたあやめ系統の花と違って、菖蒲は、花が大きくて花弁が華奢で薄いので、風にあおられたり、太陽に照り付けられて萎れたりして、鑑賞に堪える花は、非常に少ない。
   堺の黄金と言う非常に浮世をぎらつかせた様な俗っぽい名前の黄色い花が、咲いていたので、これだけは、名前を覚えた。
   
   

   菖蒲とあやめとカキツバタの区別を覚えて、その違いは分かっていたのだが、今では、すべて、菖蒲と言った調子で、アイリスとの区別くらいしか出来ないのだが、わが庭には、あやめが何株か植わっていて、春の随分早い時期に咲く。
   とにかく、アトランダムに、撮った菖蒲の写真を並べて置く。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   

   ユリだが、沢山咲いているのは、スカシユリ。
   それも、大半は、オレンジ色と黄色。
   群植されていて、華やかで、所々に植えられているブッドレアとの対比が面白い。
   巨大な夾竹桃に花が咲いていて、サウジアラビアの街路樹を思い出した。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   まだ、遅咲きのバラが咲いている。
   殆ど萎れた花ばかりなのだが、蕾も残っていて、わずかだが、整った形をしたバラの花が残っている。
   ベルサイユの薔薇が、まだ咲いていた。
   
   
   
   
   
   

   睡蓮も、今、シーズンなのであろうか。
   キューガーデンの温室に合った巨大なオオオニバスなど、華麗な蓮の花を見て来たのだが、何処で観ても、睡蓮と言うかハスと言うか、違いはあるようだが、この種類の花は美しい。
   
   
   
   
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