熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

河合 隼雄、松岡 和子 「快読シェイクスピア」

2021年01月31日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   松岡和子が、シェイクスピア戯曲の翻訳を、蜷川幸雄が、シェイクスピア全作品の舞台化を本格化していた頃、そして、講談社の雑誌「本」に、安野光雅の表紙絵と松岡和子の「シェイクスピア物語」が連載されていた頃、世紀が変る20世紀末に、舞台を鑑賞し戯曲を読み通しての対談集である。その少し前の5年間、ロンドンでシェイクスピア行脚に明け暮れていたので、楽しませて貰った。
   二人のシェイクスピア談義が続いておれば、面白いのだが、その後、河合隼雄が文化庁長官となり、高松塚古墳壁画問題での心痛か脳梗塞の発作を起こして倒れて間もなく逝かれたので、この一冊で終っており、残念である。
   河合隼雄は、箱庭療法でも高名な心理学者で、日本文学にも詳しく、ロメオとジュリエットから、リチャード3世など6作品について、松岡和子の絶妙な誘導によって、蘊蓄を傾けての、それも、肩の凝らない語り口でのシェイクスピア論であるから、非常に興味深い。

   第1話は、「ロメオとジュリエット」で、種本のジュリエットは16才だったのをシェイクスピアは、14才の誕生日を迎える直前のジュリエットに引き下げたことに関しての対話が面白い。
   14才に引き下げたのはシェイクスピアの天才たる由縁で、人間の考える最も完成された恋愛を書こうとすると、14才になってくる。この年齢は怖い年頃で、殺すか、死ぬか、という年齢で、死ぬしか仕方がない。普通はそこで死なないから、もう少し人生を不純に生きている。14才になると乱闘が始まる、皆、それを何とかごまかして生きている。と言う。
   この舞台では、四日間で14才の少女から大人の女に急成長するのだが、その成長のキッカケは、恋をしたことと、秘密を持ったからだと言うことで、その凄まじさは、子供が大人になるときには、大人に知られてはならない秘密を持つことは絶対条件であり、シェイクスピアは、その元の形を描いたのだから凄い。と言う。
   もう一つ、河合隼雄は、「恋愛の根本は、全く不可解に好きになると言うものだと思いますね。」それが上手く書けている。と言う。一目惚れというか直覚の愛というか、理屈抜きで好きになる。と言うことであろうか。
   この辺りの叙述については、カミソリの刃を触れただけで、鮮血が迸り飛ぶような鮮烈な経験をしているので、感慨に堪えない
   
   さて、「夏の夜の夢」で、全体が夢の構造になっていて、眠りというのは深まると、森へ行く、そこが凄い。と言う。
   森は、無意識の世界そのもので、それ故に、森は昔話にでも何でも必ず出てくる。と言うのである。
   ここで、ヨーロッパの森は、山の中にある日本と違って、ドイツのシュヴァルツヴァルトは勿論総ての森が平らに続いていて、入ったら奥がどうなっているか、何処まで行ったらどうなるか分らない。入ったら出てこられるどうか分らない不安感は、この平ら故で、それだけに無意識の世界の、出口がどこか分からないと言う状態が森というもので表されている。と言う話題に花が咲く。

   このヨーロッパの森は平らだから入ったら抜けられないということにについては、多少違和感を感じている。
   シェイクスピアの描く森は、「お気に召すまま」に登場するアーデンの森が一番典型的で、原作の舞台はフランスとベルギーの国境付近のアルデンヌであるが、それをシェイクスピアの故郷ウォリックシャー州エイボンあたりの森林をモチーフとしており、イングランドの森には、奥が深くて底なしの森というものはないと思うし、実際に外国に行ったことがなくて、原生林ではない故郷の森をモチーフにしてヨーロッパ各地の森を舞台にしているシェイクスピアの戯曲には、芝居を育む場であったとしても、そのような出口の分からない無粋な暗黒のイメージの森は出てこないように思う。
   ジェイクイズが次の有名な台詞を語る森である
   「この世は舞台、男も女も人は皆、出ては消えて行く役者にすぎない」
   All the world's a stage, And all the men and women merely players.

   スコットランドやウエールズなど山がちの国土には、まだ、古い森が残っているとしても、そして、少し前のシェイクスピア時代はまだしもとしても、今では、イングランドは、世界に雄飛すべく造船等で原生林を切り倒して森を徹底的に破壊し尽くして、綺麗な田園地帯に自然景観をイギリス人好みに馴化してしまっているので、ここで議論されているような森のイメージとは程遠い国土になっている。
   尤も大陸ヨーロッパは別で、グリム童話などは勿論、ドイツの物語には、森は、入ったら抜けて出られない暗黒の森のイメージが主体で、シュヴァルツヴァルトのような森がこれに近いであろうか。
   日本の森も、山があるからいくらでも出てこられるというのは誤解で、富士山原始林やその青木ヶ原樹海に入り込めば出てこられないのではなかろうか。

   この森については、先日来勉強を続けている今道友信先生の「ダンテ神曲講義」で、森に触れているので、参考にしたい。
   「神曲」の冒頭で述べられている森である。
   人生の道なかばで、
    私は正しき道をそれて
    暗き森の中をさまよっていることを知った。
   暗い森は、入ったら迷い込んで出られない深い森である。ドイツやオーストリア、スイス、フランス、イタリアなどに行くと、中に入ると抜けられなくなる鬱蒼とした森が、割合に都市の近くにある。いまは自動車道路が出来ていて、迷い込む恐れも少なくなったが、自然のままの森は踏み込むと行き先が分からなくなる。富士山麓の青木ヶ原はそのような森の一つである。ダンテは、そうとは知らずに人生の暗黒の場に入った。と言う。
   原生林の森は道もない。森林の奥に入ると外が見えない。方角を知らせる山が近くにあっても、森林の中に迷い込めば見ることが出来ない。そこを歩いている内に、いつの間にか正しい道-----行人としての人間が神に向かって進む正しい道を踏み外しているのに気がついた。それは、森林の暗さの中で見えなくなってしまっていた。森林の暗さが、自覚への道であった。
   ダンテは、この森で、豹、獅子、牝狼三頭の獣に遭遇するのだが、この森は、異教的、異域的要素よりも、キリスト教の中で踏み迷う罪の森であって、日常の誘惑がある悪魔が棲むところ、まったくキリスト教の悪の場の象徴であり、現代の悪魔は都会にいるが、中世は妖魔は森にいた。と述べている。

   どう解釈すれば良いのか。
   分かったようで分からないのが、文学の解説。
   いずれにしろ、道に迷って、肝心のブックレビューにならなかったが、この「快読シェイクスピア」は、実に参考になる面白い本である。尤も、シェイクスピアの舞台を観て、戯曲を熟読して後のことではあるが。
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わが庭・・・鹿児島紅梅咲き出した

2021年01月30日 | わが庭の歳時記
   元旦に、数輪咲き始めた鹿児島紅梅が、晴天が続くと、一気に、固かった蕾を開き始めた。
   花が濃紅色の八重咲き中輪の梅で、それほど、大きくならないと言うことなので、気に入って買って、千葉の庭に二本植えて、かなり、大きくなって綺麗に咲いていたが、移植を諦めて、鉢植えで残っていた一本を鎌倉に持ってきて、門扉の片隅に植えたものである。
   まだ、満開ではないのだが、もう、二メートルを超えていて箒状に広がっているので、道行く人が綺麗ですねえと愛でてくれた。
   普通の紅梅よりも、濃紅なのだが、個体差があるようで、わが庭の梅は、やや、紅が淡いようであるが、気に入っている。
   
   
   
   
   
   
   

   白梅も、遅ればせながら、数輪咲き出した。
   しかし、かなり、高木で、庭の奥に植わっているので、私の好きな近づいての接写は難しい。
   こちらの方の木には、メジロが飛んできて花をつついている。
   梅は、隔年結実ではなく、今年も、沢山蕾が着いているので、豊作になりそうで、また、梅酒造りを楽しめそうである。
   鹿児島紅梅も、小さな実を付けたので、昨年は、良いかどうかは分からなかったが、面白いと思って、梅酒造りの瓶に加えておいた。味は、変っていないようであった。
   
   
   
   
   タマグリッターズの実生苗が、花を咲かせた。
   白覆輪は、親木よりも、白地が広がっているかんじである。
   実生苗は、雑種となるので、親と違った花が咲いて、面白いし、楽しみなのだが、花が咲くまでに時間が掛かるのが難である。
   今年も、実生苗が何株か蕾をつけているので、どんな花が咲くか楽しみにしている。
   
   
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安野光雅画伯の平家物語とシェイクスピアの繪本

2021年01月28日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   安野光雅画伯は、昨年末亡くなられてしまったが、愛読者でありファンであったので、結構色々な思い出もあって、寂しい。
   大判の立派な本なので飛び出しているが、私の書棚に、安野光雅画伯の繪本平家物語と繪本シェイクスピア劇場が並んでいて、時々ページを繰っている。
   平家物語もシェイクスピアも、全編、そして、全作品にわたって、作品をイメージした繪が一枚ずつ描かれていて、その発想の豊かさに驚かせられる。
   両方とも、四半世紀ほど前に出版された本だが、天下の古典であるから、色あせるどころか、益々、詩情豊かに迫ってくる。
   それに、平家物語は、学生時代から京都や奈良を歴史散歩しながら追い求めた日本文化スタディのメインテーマの一つであり、シェイクスピアは、ロンドン在住中に小田島 雄志の翻訳本を小脇に抱えて、RSCやロイヤル・シアターに通ってシェイクスピア戯曲鑑賞に明け暮れていたので、私にとっては、趣味という以上に貴重な本なのである。

   このシェイクスピア繪本では、安野光雅画伯の繪の対面の見開きページに松岡 和子 要約のシェイクスピア物語が展開されているが、松岡和子の翻訳との付き合いは、蜷川 幸雄の彩の国シェイクスピア・シリーズの舞台鑑賞からである。
   元のシェイクスピアの繪は、講談社のプロモーション雑誌「本」の表紙に連載されていたもので、良く通っていた神田神保町の古書店の店頭に無料で並べられていたので、良く覚えている。
   松岡和子の記事が掲載されていたのであろうが、全く覚えていない。

   ロンドンから帰ってきてから少し経った1995年に、NHKテレビで、「安野光雅 風景画を描く -趣味百科-」が放映されていて、時に及んで見ていたので、ヨーロッパなどで素晴らしい風景をバックにしてスケッチする画伯の映像を思い出す。
   安野光雅の本は、ヨーロッパの絵画などを含めて結構持っていて、このブログでも、何冊かブックレビューしているが、いつも、ほんわかとした温かいムードが漂ってきて懐かしささえ感じている。

   15年ほど前に、日本橋高島屋で「安野光雅の世界」展が開かれていて、私が歩いたヨーロッパや奈良の田舎の風景など懐かしい繪を鑑賞しながら、次から次へといくらでも思い出が蘇ってきて感動的な一時を過ごして、帰りに図録にサインを貰ったときに、「写真を撮らせて頂いてよろしいでしょうか」と伺ったら、「どうぞ」と言ってポーズを取って貰ったり、
   故郷の津和野を何回か訪れて、安野光雅美術館に行ったこともあり、
   特に私自身ヨーロッパ生活が8年と長くて、画伯のヨーロッパの風景画の舞台などでの思い出も沢山あって、安野光雅画伯の繪の世界に遊ぶことが多かった。

   私は、子供の頃から、漫画やアニメには、殆ど縁がないのだが、ダンテやゲーテは勿論、著名な世界文学作品の挿絵には、特に興味を持っており、これなどは、ギリシャやローマ神話や聖書などのテーマを画題にした西洋絵画を見続けてきた影響もあるような気がしている。
   神話や聖書、それに、偉大な文学作品などにインスパイアーされて、画家たちが絵画を描き、音楽家たちが、オペラやミュージックを作曲したりするなど、遙かに芸術空間が広がっていった、その軌跡が素晴らしい。

   参考のために、下図は、繪本の一部、
  「ウィンザーの陽気な女房たち」ファルスタッフが、洗濯籠に入れられてテムズ川に捨てられる
  「ハムレット」御前劇中劇で毒殺芝居を演じて、王位を奪った叔父の表情を凝視
   
   
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わが庭・・・椿トムタム咲く

2021年01月27日 | わが庭の歳時記
   雨にも負けず、風にも負けず、と言うのか、蕾がほころびかけた椿が、少しずつ咲き始めている。
   トムタムは、桃色の地に白覆輪、千重咲きの椿で、開ききると、至宝のように花弁の重なりが鮮やかな洋椿なのだが、綺麗な花を咲かせるのが結構難しい。
   ニュージーランド生まれと言うので、トムタムという名前は、マオリの言葉なのであろうか、昔、ニュージーランドに行ったときに、マオリの民族舞踊であるハカを見て感激した。
   ロイヤル・オペラで、マオリの血を引く素晴らしい名ソプラノ・キリ・テ・カナワの舞台を何度か観たことを思い出した。

   この咲き始めた花は、この気候では、華奢な花弁が堪えられそうにないので、次の花を待つことにして、中途半端だが、シャッターを切った。
   
   
   

   同じ白覆輪のタマカメリーナ、タマグリッターズが咲いている。
   兄弟のタマアメリカーナは、まだ、蕾が堅い。
   ときおり、メジロが訪れてきて、椿の花をはしごしている。
   
   
   
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今道友信著「ダンテ『神曲』講義」(4)天国篇

2021年01月26日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   今道先生の高邁な本も、どうにか、最後まで辿り着いた。
    
   多くの人は地獄変を褒めるが、ダンテは地獄のために書いたのではない。天国にこそ特色はあるのだと思う。
   天国は、教理を想像で拡大したというよりも、自由な想像を教理で引き締めて書いている。何か一つでも真心からのよいことをキリストの聖旨に従った人は天国に行けるらしいことも、何とも言えない安緒である。天国を聖者の場として限定してはならない。我々もキリストの十字架の死によってつまりは神の愛によって行けるところで、それが宗教の力なのである。と、今道先生は言う。

   今回の天国篇の講義で、いたく感激したのは、今道先生の次の指摘である。
   ”誤解を恐れずに言うと、ダンテがベアトリーチェに言わしめている考え、すなわち「嵐を待望している天国」という素晴らしい思想で、下界の大転換が天国から見て絶体に必要だと言うところに、しかし、その嵐は全人類の一つになった方向転換をするのだ、と言うあの四行は本当に大切な目標である。”
   ダンテは、この天国篇において、天国が如何に素晴らしいところか、光り輝く広大な天国模様を描いているが、ベアトリーチェをして、天国に上ったものは、この至高の天国に安住せずに、目を地上に転じて革命を巻き起こして、下界を大改革せよと檄を飛ばしているというのである。

   今道先生の説く四行とは、天国篇 第二十七歌 145-148で、
   待ちに待っていた嵐がおこり、
    艫をば舳の方にめぐらせ
    そして船団が直航すれば
   花の後から実がなるでしょう。

   天国での舟出の喜び!天国は何という広い自由な広がりなのであろうか。
   ベアトリーチェは天国にいて、さらに天国でこれから本当に幸せなことがあるためにはどうなったら良いのかを考える。そして、ベアトリーチェが希望するところは、運を呼ぶような大嵐が吹き立つこと、下界の大革命なのである。

   待ちに待った嵐がやってきて、その嵐が、舳先と艫とをひっくり返すようなことをして、船団が早くまっすぐに動いて行くようになる、すなわち、天使や天国にいる総ての魂を含めて、今までの世界の動きと違った動きをして、世界・人類を救っていくような動きがここで起きてこなければならないと言う。
   この船団は人類のことであって、全人類の方向転換を希望するという壮大な気宇であり、素晴らしいアドベンチャーの精神、クリエーションの精神である。天国に達したらもうそこで望みを満たして終わりというのではない。ベアトリーチェのこの積極的な希望がダンテに浸透してきている。と説くのである。

   天国をこのように書く以上、政争に敗れてもまだダンテは革命の精神を持っていて、地を良くすることを考えていることも、ここでくみ取らねばならない。
   キリストにしても、神にしても、地上の状態が良くなることを望んでいるでしょうし、天国にいる人は、この地上を見捨てるのではなく、やはり望みを持つべきで、個人の救いとは別に、全人類に宗教の問題を広げたときにはダンテの考え方の方が良いのではないかと思われる。と言う。

   次の第二十八歌の冒頭で、ダンテは、先のベアトリーチェの内から湧き上がってくるような励ましを、「私の心を至福にさせる」と喜んでいる。
   どんな恐ろしい嵐が来ても、それを神の力によって、神を信ずることによって、果敢に挑戦して良い動きに転ずる。自らは天国にいても、地上の動きを少しでも神の方向につれて行かねばならず、そこに天国での希望がある。どんなことが来ても、それはfortuna嵐だ、「これを待っていたのだ」という気持ちになって生きて行かなければならない、それが、ダンテの天国経験の一つだ。と、今道先生は結んでいる。

   私には、偉そうなことを言うつもりも、その能力もないが、
   今道先生の指摘のように、ダンテは、大詩人ではあるが、思想家としても非常に重要な人物で、「詩人哲学者ダンテ」である。そして、実際にフィレンツェで政治の場にあったのであるから、この「神曲」は、地獄、煉獄、天国を描いた壮大な詩と言うだけではなくて、ダンテのこの世に対する政治哲学なり世界観というかあるべき理想像を描こうとしていたのは明白だと思っている。今道先生の、「嵐を待望している天国」と言う指摘は、ダンテの思想の一つの表現であり、尤もだと感じており、ダンテが、我々俗人が住む地上界を如何に天国界に近づけようと考えていたのか、その思想に思いを馳せることが必要ではないかと思っている。

   今道先生は、 2012年10月13日に天国に行かれた。
   ダンテやベアトリーチェとお会いになったであろうか。
   白い山羊鬚の似合う仙人のような最晩年の今道先生の講演を、何度か聴講する機会を得て、大変幸せであったと感謝している。

   ところで、参考のために併記すると、私が読んだ平川祐弘教授の本では、この四行を、次のように訳している
   待望の順風が吹き、
    艫を舳のあったところへ回すでしょう。
    それで船体は正しい路を走りだし、
   花の後から真の実が熟するに違いありません。
      脚注として、船体、すなわち人類は、今までとは正反対の正しい善の路を進むであろう。と言う予言である。としている。
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13・アムステルダム・コンセルトヘボウの思い出(2)

2021年01月25日 | 欧米クラシック漫歩
   さて、通算4年間ほど、定期コンサートに通い詰めたコンセルトヘボウだが、2年間通ったフィラデルフィア管弦楽団と同じように、お馴染みのオーケストラという感慨があって懐かしい。

   私が最初に聴いたコンセルトヘボウの演奏会は、アムステルダムに来た年にはチケットが取れなかったので、翌年のサマー・コンサートであった。
   どちらかと言えば、カラフルで明るいフィラ管とは違った重厚でどこか暗い感じのサウンドが印象的だったが、一番驚いたのは、演奏が終ると、観客が総立ちになってスタンディング・オベーションすることで、ハイティンク指揮のみならず、他の指揮者の時にもそうなので、オランダの観客の常だと言うことが分った。

   私が、シーズンメンバー・チケットを持って通っていた途中で、ハイティンクが、ロイヤルオペラへ転出してしまったので、イタリア人のリカルド・シャイーが、その後を継いだ。
   当時、カルロ・マリア・ジュリーニも健在であったし、クラウディオ・アバード、リカルド・ムーティ、ジュゼッペ・シノーポリと言ったイタリア人指揮者が人気を博しており、トスカニーニ以来の盛況であった。
   シャイー指揮で、チャイコフスキーの交響曲第5番を聴いたのだが、特に異質感はなく、美しいサウンドで感動したのを覚えている。
   このオランダは、フィリップスの本拠地でもあり、シャイー指揮コンセルトヘボウでCDが発売されていたが、シャイーに変ってから、サウンドに明るさと輝きが出てきたと言われていたが、演奏の幅と多様性に豊かさが出てきたように感じた。
   尤も、オイゲン・ヨッフム、クラウス・ティーンシュテット、ニコラス・アンノンクルト、ウォルガンク・ザバリッシュなどのドイツ系の指揮者の客演指揮も多くて、やはり、このオーケストラは、ゲルマンで、ベートーヴェン、モーツアルト、ブラームス、シューマン、それに、ワーグナー、マーラー、ブルックナー、シュトラウスと言ったドイツ系のプログラムとなると実に感動的な演奏を聴かせてくれる。
   亡くなる少し前に、ヨッフムが、ブルックナーの交響曲第5番を演奏して感動したり、ザバリッシュのブラームスのピアノ協奏曲と交響曲の演奏会で、フィラデルフィアでの思い出が蘇ってきたり、倉庫に紛れてしまっている当時のプログラムを探し出して見れば、涙が零れるかも知れない。
   やはり、オーケストラも観客も一番熱狂するのは、ハイティンク指揮のコンサートで、私の一番印象に残っているのは、ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱」で、ソプラノのルチヤ・ポップしか覚えていないのだが、欧米で聴いた数少ない「合唱」であった。一連のマーラーが凄かったが、その後、伝統であったオランダ出身の指揮者が育っていない。

   ところで、今でも強烈な印象が残っていて忘れられないのは、1987年の冬に聴いたレナード・バーンスティン客演指揮のシューベルトの交響曲「未完成」とマーラーの交響曲第1番の演奏会であった。
   未完成の最初の出だしを聴いたときに、天国からのサウンドかと思うほど美しく、上手く表現できないが、素晴らしいベルベットのように艶やかで滑らかで、それに長い眠りから目覚めた高級ボルドーワインのような、芳醇なまろやかさをを感じる、今までに聴いたことのない途轍もなく美しいサウンドであった。休憩後のマーラーになると、一転して、どこか土の香りのする荒削りでメリハリの効いた起伏の激しい演奏になった。
   その数日後、再び、バーンスティンのシューベルト交響曲第8番とマーラーの「子供の角笛」を聴く機会を得たのだが、あの素晴らしい天国のサウンドは戻ってこなかった。
   バーンスティンとコンセルトヘボウでマーラーのCDが出ているが、比較的ユダヤ人の多いアムステラルダムで、ブルーノ・ワルターからマーラーを伝授されたバーンスティンが指揮すると特別のマーラーになるのかも知れない。バースティンが振っても、ハイティンクが振っても、コンセルトヘボウのマーラーは素晴らしく歌う。
   バーンスティンは、ニューヨーク・フィルとの公演を含めて何度か聴いているが、最後は、最晩年に、ロンドンで、ロンドン交響楽団を振ったコンサート形式の自作「キャンディード」であった。
   
   コンセルトヘボウの演奏会で何時も感じていたのは、フルサウンドで最高のボリュームでオーケストラが演奏するときでも、決して、違和感なく、何時も、豊かで深みのある温かいサウンドで包み込んでくれることで、特に、渋くてくすんだ燻し銀のようなオーケストラの音色は、私には、格別であった。
   これは、アムステルダムのコンサート・ホールが、世界一素晴らしいからと言うことだけではないことは、後年、ロンドンのアルバート・ホールでのプロムスのコンサートでも感じたので、私の実感であり、それ故に、アムステルダムの音楽ファンは、演奏後に、総立ちのスタンディング・オベーションをするのであろうと思っている。
   
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日経を飛ばし読みから始める日々

2021年01月24日 | 生活随想・趣味
   朝、真っ先にやるのが、日経の朝刊を飛ばし読みし、8時からのNHK BS1の「キャッチ!世界のトップニュース」を見ること。
   朝、孫娘を幼稚園へ送っていかなければならないので、ニュースは録画であったり、やり方は、多少は前後する。

   新聞は、まず、最終ページの伊集院静の小説「ミチクサ先生」を読み、辻 惟雄 の「私の履歴書」に移る。
   ロンドンに居た時にも、Financial Timesは、オペラの記事などcurture面から読んでいたので、まず、1面のトップ記事に目を通して、すぐに、文化面に移るのが常であった。
   伊集院静の新聞小説は、先の『琥珀の夢 -- 小説、鳥井信治郎と末裔』に興味を持ち、今回の夏目漱石を主人公にした「ミチクサ先生」にも大いに期待して読んでいたところ、途中で病気休稿となり心配していたが、再開されたので、楽しませて貰っている。
   ただ、今になって、残念だと思っているのは、5年間もロンドンに居ながら、夏目漱石記念館に行かなかったことである。
   普段は、新聞小説は殆ど読まず、記憶にあるのは、渡辺淳一の「失楽園」くらいだが、朝ドラと同じで、興味を感じて見始めると、途中で止められなくなるのと同じである。
   伊集院静は、いくらか著作を読んでいるが、良かったのは、フランスやスペインの博物館美術館を行脚して著した『美の旅人』である。

   さて、日経の「私の履歴書」だが、私が読むのは、政治家や経営者などではなくて、一芸に秀でた芸術家や俳優やスポーツ選手など突出した異色の人たち、それに、素晴らしい学者や技術者と言った人々の履歴書である。
   ただ、よく知っている経営者などの履歴書は別で、例えば、ゼロックスの小林陽太郎さんなどは、有馬稲子が「私の履歴書」で、映画俳優に勧誘したと書いていたので、本人に確かめたら、「ご愛敬、ご愛敬」と照れていた。

   今月の私の履歴書の辻 惟雄は、私の関心事でもある日本美術に関する偉大な学者であるから、第1日目から熱心に読んでいる。
   今日の履歴書で、東北大学の助教授に赴任して、担当したのが「日本美術の通史」で、その時の勉強が、口絵写真の「日本美術の歴史 」執筆に生かされたと書いている。
   この本は、岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曾我蕭白、長澤芦雪、歌川国芳の「発見」を通して、日本美術の独創的なおもしろさ、新しさを論じた著者が、いま、縄文からマンガ・アニメまで、360枚の図版とともに日本美術の流れと特質を大胆に俯瞰する・・・日本美術史研究の第一人者による書下し通史。オールカラー。装丁・横尾忠則。
   2005年刊であるから、20年ほども前の出版だが、時に及んでは、紐解いているので、私にとっては、貴重なガイドブックである。
   あるブックフェアで、大学出版部協会のブースで、サイン入りのこの本を買ったのである。
   辻教授には、怪奇やあぶな絵なども含めて随分興味深い沢山の本が出版されているようだが、私は、岩波 日本美術の流れの「日本美術の見方」など、限られた本しか読んでいない。
   
   新聞は、端から端まで全部読むのだと言っていた学友がいたが、私は、日本の政治や経済の記事は、タイトルや前文の要約を読んで特に新鮮でなければそれで飛ばして、どちらかと言えば国際関連の記事に移って、ロンドン・エコノミストやファイナンシャル・タイムズの翻訳記事などを読むことが多い。
   むしろ、新聞より、日経の電子版を開いて見る方が、記事が一覧できて興味のある記事に一気にアプローチできて便利だし、
   時々、NYTやWPの電子版を開くと、それ以上に、パンチの効いた記事が多く、動画や連続写真が見られるなど、遙かに面白い。
   1月20日までは、ハチャメチャなトランプ劇場を楽しませて貰ったが、最近では、常識的な無難な記事が多くなった。
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今道友信著「ダンテ『神曲』講義」(3)煉獄篇

2021年01月21日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   煉獄篇は、地獄篇4講、天国篇5講に対して、3講である。
   絵画集などを見ていると、地獄篇の絵が圧倒的に多くて、ドレもブレイクも、同様で、煉獄篇、天国篇の順で少なくなているのだが、平和を希求し続けた今道先生にとっては、天国篇が一番重要だと言うことであろう。

   ダンテは、地獄を出て煉獄に入るのだが、地獄と煉獄は、いずれも死後に行くところだが、その違いは、
   第一に、地獄は、「絶望の府」であるのに対して、煉獄は、「希望」がある。
   第二は、「星の有無」である。地獄では、「星なき空」が広がり暗黒の中を「嘆きの声がこだましている」のだが、煉獄では星が見える。星は、四つの精神の力――「目標・道しるべ」「希望」「理想」「憧れ・愛」の象徴だが、最も重要な星は、天国へ上れるという可能性、希望である。ここで、罪を償い,自分を鍛えて行けば、救われるかも知れないという希望がある。
   さらに、煉獄の山を登って行くと、煉獄は閉塞した地獄と違って、海を望む開けた展望が見えてくる。そこにおいて、人々はしばしば天使を見かけ救いを待つことが出来、星の煌めく天を仰ぎ見ることが出来る。煉獄は高い山で、山の頂から天の星に繋がる空間が開かれる。地獄が、奥深く地底に沈んでいくのとは反対のイメージである。  

   ところで、煉獄にも、七つの罪の層がある。
   「傲慢」「嫉妬」「忿怒」「怠惰」「貧欲」「貧食」「邪淫」である。それぞれ、地獄と同じように、煉獄模様が展開されていて興味深い。
   煉獄にも門があるのだが、希望を捨てて暗黒の世界へ潜らなければならない地獄門と違って、例えその資格のない地獄からの脱走者であろうと罪人であろうとどんな悪人でも拒んではならない、総て通せと言う。後ろを振り向いたものは、門の外に出されてしまうと言うのだが、これは、新しい世界への旅立ちであるから過去への執着を断ち切れと言うことだが、自分がどう言う間違いを犯したのか反省し、自分がどんな人間か,自分が誰なのか汝自身を知れと言うことだ。と言う。
   
   煉獄つまり浄罪の火で焼かれ清められるという概念は、アウグスティヌスが先駆けだが、ラテン語の名詞形purgatoriumは、12世紀に成立した語である。
   煉獄という言葉が一般化されていなかった僅か100年後の14世紀に、ダンテは、この煉獄を描いたのであるから、実に偉大な先駆的な仕事だった。。
   女神ミューズの歌を人間の言葉に翻訳しただけのホメーロスとは違って、「私は歌う」と自己主張して誰にも書けないローマ建国の叙事詩を書いたウェルギリウスと同じように、ダンテは、自分が初めから創らなくては、煉獄の詩はないばかりではなく、煉獄の神学もないであろうと思索者としての責任を感じていたのである。と言う。
   面白いのは、死を迎えると棺の中の真っ暗なところにずっといると考えると息苦しくなるが、向こうに海が打ち震えるのが見え、星が見えるというほのかな希望のある煉獄の絵画的な眺望を残してくれたことは、ダンテの想像力の御陰だという今道先生の指摘である。

   さて、ダンテの「神曲」が描くような地獄、煉獄、天国があるかどうかと言うことだが、現世を基点にして、それらを地理的・空間的に位置づければ、そんなものはないし、多くの人は、そのような世界はないというであろうが、今道先生は、地獄への門は、現世に立っており、生き地獄というように、もしも絶望に陥ったらこの世にいながら地獄にいると言って良く、我々は、実際に、この世で、地獄、煉獄、天国に生きている。「神曲」は、全編現世の中にあることの象徴的な物語である。と言う。
   戦争は地獄であり、マドンナに愛されていると分ったときは天国であろうし、この世に、地獄と天国のあることは、何となく分かるが、さて、煉獄は?
   例えば、カントの言うように、星を見て失いかけた理想への憧れを思い出し、「もう少し立派に生きなければならない」と思う。それは煉獄の営みに等しく、じつは、現世のこの世自身がそういうもので満ちている。と言う。

   地獄篇で描かれている、地獄にありながら、キリスト教以前のホメーロスやアリストテレスなど偉人のいるリンボ(辺獄)との関わりも面白いし、地獄と煉獄が同居するような日本の地獄の世界も興味深いのだが、さて、ダンテの「神曲」で、煉獄に蠢いていた霊魂の誰が、どのようにして、天国に上れたのか興味を感じている。
   良く分からないのだが、ダンテは、地獄、煉獄、天国へと遍歴を続けたのだが、この「神曲」では、天国行きを許された死者は、そのまま天国へ行くとして、一方、地獄に入った者は絶対に出られないと言うことであるから、その他の死者は、地獄か煉獄に振り分けられて、煉獄へ行った者で、罪が清められた者のみが天国へ行く。さすれば、ダンテは歌ってはいないが、死者の前には、地獄、煉獄、天国へ振り分けるもう一つの総門があって、閻魔大王のような判定者がいると言うことであろうか。
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12・アムステルダム・コンセルトヘボウの思い出(1)

2021年01月18日 | 欧米クラシック漫歩
   私が、アムステルダム・コンセルトヘボウのシーズンメンバー・チケットを持ってコンサートに通っていたのは、1986年から1990年にかけてであって、当時のメモを元に思い出を書いてみたい。
   アムステルダムに赴任したのは、1985年の9月であったが、フィラデルフィア管弦楽団のチケット取得で書いたように、大げさに表現すれば、子孫末代までチケットが相続されて市場に出ることが殆どないので、極めて取得困難で、その年はコンサートに行けなかったのである。
   コンサートは、定期演奏会が主体であって、単発のコンサートや当日券の取得は、殆ど無理で、日本と違って、チケットもかなり安かったし、大指揮者の客演や高名なソリストの登場など目白押しだったので、行けても行けなくてもメンバーチケットを抑えておくのが、欧米でのクラシックなりオペラ鑑賞の定石なのである。
   当時、定期公演は、5シリーズほどあったのだが、幸いにも、相当前から申し込んでおいたので、キャンセルがあって、3シリーズの予約が出来たのである。そのうち、Cシリーズは、現代音楽で、他の2シリーズは、従来のクラシック・プログラムの組み合わせであった。
   勿論、座席の選択など不可能であったが、コンセルトヘボウのチケットは、全席同じ価格で、S席、A席で慣れている私にはショックだったが、ウィーンの楽友協会ホールと同様に、世界最高の音響効果を誇るホールで、何処で聴いて頂いても、最高のサウンドで楽しんで頂けます。と言うことなのである。
   客席のあっちこっちで、コンサートを聴いていて、確かに、音響については、それ程文句はなかったし、定期的に、このホールで指揮していた小林研一郎氏に伺ったら同意されていた。
   しかし、一度だけ、内田光子のピアノ指揮のイギリス室内管弦楽団のモーツアルトのピアノ協奏曲を、オーケストラ後ろの舞台後方の座席から聴いたときには、あの能面のように美しい顔が、モーツアルトに没頭して神懸かりのように表情を変える豊かな色彩に富んだ内田の演奏を、真正面から鑑賞出来たし、ピアノは美しかったが、如何せん、オーケストラは逆方向を向いていて、サウンドが飛んだような感じで違和感を覚えた。

   この大ホールは、ウィーンの楽友協会ホールと形態がよく似ていて、それ程大きくない長方形のホールで、短い辺の一方に舞台があって、田舎の学校の講堂のように平土間は傾斜がなく,やや下から舞台を見上げるようになる。正面舞台のオーケストラの後方の高みに大きなパイプ・オルガンがあり、その左右にかなり急な階段状の客席がある。客席の大部分は平土間だが、左右の壁面に1列客席があり、二階席は、それ程深くなく、正面に向かってコ型に配置されており、客席総計2037人。
   ウィーン楽友協会 大ホールのように豪華ではなく、天井の高いシンプルなホールで、装飾として壁面にずらりと沢山の音楽家の名前が彫り込まれているのが面白い。
   指揮者やソリストは、正面右側の高い上階に開口している右側のドアから、パイプオルガンとひな壇の客席の間にある長い急な階段を下りて来て舞台に登場するのだが、ピアニストのラローチャが、途中で転びかけたり、晩年のオイゲン・ユッフムなどは、一階の平土間から登場して舞台に上がっていた。

   さて、日本では、元旦の夜に放映されるウィーン・フィルの「ニューイヤーコンサート」が有名だが、ヨーロッパでは、ユーロヴィジョンで、まず、コンセルトヘボウの「クリスマスコンサート」、続いて、大晦日のベルリン・フィルの「ジルベスターコンサート」が放映されて、元旦に、ウィーン・フィルの「ニューイヤーコンサート」で終るのが恒例となっていて、楽しませてくれた。
   日本では、ウィーン・フィルやベルリン・フィルの影になって存在感が薄いのだが、イギリスの音楽誌「グラモフォン」の評価で、両楽団を凌駕して1位に躍り出ることもあって、すごい楽団なのである。

   このオーケストラだが、1988年に、創立100周年を迎えたので、ベアトリクス女王より「ロイヤル」(Koninklijk)の称号を下賜され、「ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団」に改称された。
   私が、メンバーチケットを持って通っていた頃で、この創立100年を期に、ハイティンクは常任を退き、イタリア人のリッカルド・シャイーが跡を継いで、重厚で燻し銀のように渋かったサウンドが、一気に明るく輝き始めた。
   ハイティンクは、その前年から、ロンドンの「ロイヤル・オペラ・ハウス」の音楽監督に就任していたのだが、私もロンドンに移って、ロイヤルオペラのシーズンメンバー・チケットを買って通っていたので、コンセルトヘボウ、そして、ロイヤルオペラの黄金時代を、ハイティンクのタクト捌きで楽しんだと言えよう。

   コンサートの思いでは、次回に回したい。
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今道友信著「ダンテ『神曲』講義」(2)地獄篇

2021年01月16日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   地獄篇は、第4から第7までの4篇。
   「神曲」は、平川祐弘教授の翻訳本を最後まで通読したのだが、良く分からないままにやり過ごし、その後、野上素一訳編の「ダンテ神曲 詩と絵画に見る世界」を読んだところで終っている。
   これと並行して、どうしても、イメージを摑みたいと思って、絵画集を探していたら、国会図書館のアーカイブ画が出てきて、ポール・ギュスターヴ・ドレ(Paul Gustave Doré, )の絵であることが分った。「日本の古本屋」で検索して探し出して買ったのが、中山 昌樹編「ダンテ神曲画集」、昭和17年6月刊であるから、戦前の本で古色蒼然とした古本。何のことはない、The Doré Illustrations for Dante's Divine Comedy (Dover Fine Art, History of Art)1976/6/1版の洋書を買えば、綺麗な新本が、半値以下で買えたのである。
   その後、迷うことなく、William Blake's Divine Comedy Illustrations: 102 Full-Color Plates (Dover Fine Art, History of Art)を買った。
   本当は、ボッティチェリのThe Drawings by Sandro Botticelli for Dante's Divine Comedyが欲しいのだが、高価な上に、古書はアメリカからの購入なので、一寸逡巡しており、今道先生の本を読んでからにしようと思っている。
   
   さて、今道先生の本だが、地獄篇の第1講は、第一歌で、冒頭からウェルギリウスとの出会いまでである。
   第2講は、なぜ、ウェルギリウスが登場したのかの問いかけから第3歌までで、地獄門を語る。
   これだけ詳しく懇切丁寧に説明されると、読み飛ばしだけでは見えなかった世界が、霧が晴れたように浮かび上がってくるので、勉強しているという気持ちになって嬉しくなる。

   事情はともかく、今道先生でも,途中で倦み疲れて諦めたくなったとのことであり、我々に対して、
   とにかく、本書を読み進めながら、「神曲」を本書と共にまず飛び飛びに読み、今はともかく「神曲」から何か少しでも、史実ではなく、「詩」実を学ぼうという態度で、作者とともに、ヴィルジリオの後に従い、地獄巡りから始めようと思っていただきたい、と言う。知ろうと思えば注釈が山とあって,邦訳は、十近く全訳が出ているので、のんびり構えて、ダンテに学ぶべきところを学ぶようにしていくことは可能である。と言うのである。

   今道先生は、岩波の山川丙三郎訳の「神曲」をテキストに使っているが、私は、もう少し、現代的口語訳の平川教授の訳本を、並行して、今回は、脚注までも丁寧に読んでいるので分りやすい。

   「神曲」の原題であるLa Divina CommediaのCommediaについてだが、「喜劇」というわけではなく、能や浄瑠璃も謡われるように、古典劇は、洋の東西を問わず全部本来「詩劇」であって、「劇詩」「詩」と言って良く、ギリシャ語のコーモイディアは、喜ばしい集まりの時に演じられる劇で、喜劇のみならず悲劇も演じられて「祝祭詩劇」という意味にもなるという。
   ところで、ダンテについて、大詩人ではあるが、思想家としても非常に重要な人物で、「詩人哲学者ダンテ」という呼び方がもっともふさわしいと思う。と言って、日本の世界文学全集には、詩人哲学者の中で、ニーチェの「ツァラトゥストラかく語りき」だけ収容されていて、ダンテの「神曲」が排除され、ゲーテの「ファウスト」さえも入れていないのはおかしいと説いている。
   私など、幼少年の頃に、原典の翻訳本ではなく、物語本に要約された本を読んでいたので、シェイクスピアの「戯曲」も、ゲーテの「ファウスト」も、総て、同列の偉大な世界文学の本だと思っていたが、単純なジャンルわけで、世界の古典を扱っていた日本の出版界なり学者の対応がお粗末さだったのかどうか不思議である。

   ダンテは、地獄の定義を、詩的に表現している。
   地獄とは、一切の望み、希望のないところである。その地獄の入り口は、我々の地面と同じ高さのところに立っていて、我々は、地獄門の外に、一切の望みを残しておかなければならない。地獄とは絶望の府なのである。
   我々が、この世に絶望でなくても、希望を失うことがあったら、それだけ地獄に近づいていることになり、もし、完全に絶望したならば、生きながらに地獄にいることになる。
   したがって、「人間として在る」と言う述語は、「希望を持っている」という述語と同じであって、「希望」は、人間存在の存在論的証であって、存在論的徴である。
   それを喪失した時には、人間は餓鬼道に堕ち、神との繋がりが絶たれてしまうので、地獄に行かないようにするために、希望を持つことで、したがって、希望とは、徳目なのである。
   われを過ぎひとは、嘆きの都市に、
   われを過ぎひとは、永遠のなげきに、
   われを過ぎひとは、亡者にいたる。
   地獄門を通ったならば、地獄へ行かなければならない。その門を通るには、そこに一切の望みを残し置いていかなければならない。そして、絶対に地獄からは抜け出し得ない。と言うのである。

   ダンテは、「正義のために地獄は作られている」と書いていて、ダンテの地獄図は、「神の正義を地獄を通して知れ」と教えている。
   尤も、ダンテの地獄巡りは、天への憧れを強めるために、本当の地獄を見て罪の恐ろしさを知るのが良いというベアトリーチェの計らいであって、地獄に落とされたのではなく、地獄を抜け出て、煉獄を経て、天国に上る。

   私は、この地獄門を読むと、ヴェネツィアのドカーレ宮殿の嘆きの橋, Ponte dei Sospiri を思い出す。
   ドゥカーレ宮殿の尋問室と古い牢獄を結んでいる橋で、この橋には覆いがあり、石でできた格子の付いた窓が付けられているのだが、独房に入れられる前に窓の外からヴェネツィアの美しい景色の見納めで、囚人がため息をつくのでため息橋とも言われている。
   

   もう一つ思い出すのは、ロダンの「地獄の門」
   東京の上野にあるが、私は、パリとフィラデルフィアでも観て感激した。
   「考える人」を頂点にして、その下の多くの群像の中に、ダンテの「神曲」の地獄篇に描かれている「パオロとフランチェスカ」と「ウゴリーノと息子たち」のドラマチックな彫刻が彫られていて目を引く。
   
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WPーABC調査:国会襲撃反対&トランプ復活排除

2021年01月15日 | 政治・経済・社会
   WPが、次の見出しで、WP-ABCの世論調査の結果を報じた。
   Post-ABC poll: Overwhelming opposition to Capitol attacks, majority support for preventing Trump from serving again

   Washington Post-ABC News pollによると、
   多数のアメリカ人が、1月6日に国会議事堂に乱入して荒らし回った暴動行為に反対したが、僅かだが半数を超えた過半数のアメリカ人が、トランプは、その暴動に責任があり、職務から排除されるべきであり、再度の就任には不適格であると意思表示している。
   大抵のアメリカ人は、国会は、トランプを職から排除すべきだとするが、共和党支持者は、殆ど、それに同意しない。
   すなわち、
   成人の56%は、トランプ排除に同意し、民主党支持者の89%も同じく同意であるが、共和党の支持者の同意は、12%に止まっている。

   今回の国会乱入で、ペンス副大統領が、間一髪で、迫り来た暴徒から救われたとWPが報じているくらいだから、まさに、アメリカの民主主義が、危機寸前に追い込まれていたと言うことである。

   上院が良識の府だとすれば、12%よりもう少し多くの共和党議員がトランプ排除に廻ると、弾劾が成立する。トランプの政治生命は終わりを告げることとなり、世論と一致する。

   アメリカ世論も、完全に分断している感じだが、20日に、バイデンが大統領に就任し、マコーネルの態度如何に掛かっているようだが、上院で、トランプの弾劾が決するとなれば、雲行きも変ろう。
   わたしは、この狂想曲の終演は時間の問題だと思っている。

(追記)2021.01.16
Bloombergが、”トランプ氏が政界から消え去ることを望む、米国民の3分の2が回答”と報道した。1/16(土) 6:20配信
ニュアンスには差があるが、参考になる。
(ブルームバーグ): トランプ米大統領に対する国民の評価は既に低いが、任期切れを間近に控えてその評価をさらに落としたようだ。米国民の68%が、トランプ氏の政治家としてのキャリア終了を望んでいることが調査で示された。
ピュー研究所が15日公表した調査結果によれば、トランプ氏の支持率は29%と就任以来最低。先週起きた暴徒化した支持者による連邦議会議事堂への乱入事件と、事件を扇動したとしてトランプ氏の弾劾訴追が決まったことが背景にある。
全体の75%は、5人の死者を出した議事堂乱入事件を巡りトランプ氏に一部責任があると指摘。共和党支持者の間でも52%がそう回答した。
昨年11月の選挙で投票した有権者のうち、選挙以降のトランプ氏の行動が「適切」ないし「素晴らしい」と回答した人は23%にとどまり、11月時点での31%から低下した。
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J・スティグリッツ・・・アメリカは萎むのか Whither America?

2021年01月14日 | 政治・経済・社会
   Project Syndicateが、Jan 12, 2021に、JOSEPH E. STIGLITZの”Whither America?”を掲載した。
   幸いにも、1月20日に、バイデンが、大統領に就任するが、アメリカが長期にわたって直面する挑戦を克服するには、一人の力や、大統領一期で解決できる問題ではない。と言う。

   スティグリッツが、トランプ批判を続けていることは、周知の事実であるが、ここでは、アメリカの再生のためには、一刻も早く、トランプを公職から追放し、トランプの害毒を排除して、トランプが破壊したアメリカの民主主義と経済社会の回復に邁進することが必要だと説いている。共和党への不信感も極に達している。
   尤も、スティグリッツの問題意識は、トランプが悪化させたかも知れないが、本来、アメリカの政治経済社会に内在する民主主義や資本主義の欠陥や問題点を修復して健全化させると言うことで、トランプ現象の出現で、より明確になったと言うことであろうか。  

   論文の主旨は、多少間違いや異動はあるかも知れないが、ほぼ、以下の通りだと思うので、参考に記しておきたい。

   トランプ自身によって扇動されてトランプ支持者によって引き起こされた国会襲撃は、多くの共和党議員たちによって補助され教唆されて行ってきた民主主義組織に対する、彼のこれまでの四年間の暴虐を考えれば、十分予測できた。
   トランプは、我々に警告を発しなかったと言える人は誰もいないであろう。平和な政権移行も認めていなかった。減税で利したのは企業や金持ちであって、環境基準を悪化させ、悪魔と取引すると思しきビジネス・フレンドリーの裁判官を指名した。彼が解き放った極右勢力をコントロール出来ると信じていた。

   アメリカは、これから何処へ行くのか? トランプは精神異常か、それとも、より深刻な国家的病弊の徴候か?アメリカは、信じられるのか? 4年後に、トランプが力を得て、共和党が熱狂的にサポートして、トランプが蘇るのか? それとも、それを避け得るのか?
   トランプは、色々な力が混じり合って生まれた産物である。少なくとも4半世紀、共和党は、選挙人増加抑制や自党に有利なように選挙区を区分けするゲリマンダリング制度などの反民主主義的な手段によって、ビジネスエリートの利益のみに、そして、宗教的原理主義者、白人至上主義者や国家主義的なポピュリストなどを包含した支持者たちのために、利する政党であることを自任してきた。
   勿論、ポピュリズムは、ビジネスエリートに取っては相反する政策かも知れないが、多くのビジネスリーダーは、何十年間も、国民を欺し続けてきた。巨大たばこ会社は、法律家やインチキ科学者に膨大な報酬を支払って健康には害のない製品だと吹聴させ、巨大石油会社も同様に、化石燃料は環境悪化の害にはならないと宣伝し続けてきた。
   科学の進歩が、誤った情報の急速な拡散手段を提供し、また、米国の政治システムが、金に権力を振るわせ,台頭するテック大手の責任逃れを許してきた。この政治システムが、停滞を伴いながら、膨大な所得を、一握りの富者強者に貢ぐネオリベラリズムの徴候を帯び、科学の進歩が,むしろ、寿命を下げ、健康不均衡を引き起こした。

   ネオリベラリズムは、富者が富めば、富と所得は、貧者にもお零れが落ちると言うトリクルダウン説を説くが、これは真っ赤な嘘で、貧者弱者は、ほったらかしにされ、不平等の代償、人、権力、利益という害毒がミックスして、扇動政治家を跋扈させる危険を生む。

   アメリカの企業家スピリットは、すでに、モラル欠如のために、いかさま師や搾取師や煽情者たちを生み出す格好の土壌となっている。トランプは、嘘つきで、自己愛過多の社会病質者で、経済も分らなければ、民主主義も擁護できない時の申し子であった。
   喫緊の課題は、トランプが振りまいている恐怖を排除すること。下院は、トランプを弾劾したが、上院は、トランプを公職追放すべきで、いかなる個人も、大統領さえも、法を超越できないと言うことを示すことは、民主党のみならず、共和党にとっても良いことである。誰もが、選挙を信頼し政権の平和的移行は、厳然たる摂理だと言うことを理解すべきである。
   暴動を煽り人種や宗教的憎悪を政治的小細工に仕立て上げたメディの冒した大きな罪の責任と、表現の自由とを調和させなければならない。眼前の深刻な問題を解決しない限り、安閑としておれないのである。

   我々アメリカ人は、基本的な投票権と民主主義的代表制度を確保すべく政治システムを改革しなければならない。新しい選挙権法案が必要である。
   旧法は、南北戦争後、白人支配を維持するために、アフリカ系アメリカ人の公民権を剥奪していたのを修正するために、1965年に、南部に修正を加えられたものである。
   (日本では、誰でも選挙通知が送られてくるのだが、アメリカは、登録制なので、投票するためには、選挙人名簿に自分の名前を載せてもらうよう選挙管理委員会に申請をしなくてはならないので、身分証明の難しい、多くの非白人や貧者が投票できずに排除されていると言う信じられないような制度なので、先のゲリマンダリング同様、改変が必須なのであろう。)

   
   政治における金の力の影響を減殺しなければならない。社会におけるアメリカの酷い不平等を修正するには、チェックアンドバランス・システムが有効である。人によるのではなく、1ドル1票に基づいた制度では、1票は、ポピュリストのデマの餌食になり、そのようなシステムでは、国全体として何の益にもならない。

   国会を襲撃した白人の暴徒への対応の緩さと、アメリカの人種差別に対して世界中に巻き起こった平和なBlack Lives Matterプロテスターへの扱いのあまりにも違う落差、このようないくつもある不平等を糾弾すべきである。
   the COVID-19 pandemicによって引き起こされた国家の経済的および健康への不均衡を、軽視している。システムのどんな小さな歪みでも、取り返しのつかない深い不平等へと突き進む。
   アメリカが、国会襲撃への対応如何が、国家の行く末を決する。トランプに責任を取らせ、トランプがまき散らした害毒で生じた問題を糾弾して経済的かつ政治的改革への困難な道に乗り出さない限り、明るい未来への希望はない。
   幸いにも、1月20日にバイデンが、大統領に就任する。しかし、アメリカの積年の挑戦を克服するためには、一人や、大統領一期で、やりおおせるはずがない。
    Fortunately, Joe Biden will assume the presidency on January 20. But it will take more than one person – and more than one presidential term – to overcome America’s longstanding challenges.

   NYTとWPの電子版を開けば、トランプが教唆して引き起こされた国会襲撃暴動とその後遺症のニュースばかりが乱舞しており、アメリカの民主主義が危機に立っている。
   アメリカなればこその危機かも知れないが、二つの大世界戦争で、人類を塗炭の苦しみに追い詰めた20世紀から、人類は、いかなる教訓も学べなかったと言うことであろうか。
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今年の10大リスク「TOP RISKS 2021」の環境汚染問題

2021年01月13日 | 地球温暖化・環境問題
   ユーラシアグループの今年の10大リスク「TOP RISKS 2021」の第3は、気候問題:ネットゼロとGゼロの交差 そして、第4は、米中の緊張は拡大する
   バイデン政権に移行すると、即時に、パリ協定に復帰すると報道されているので、地球環境問題がどのように進展するのか、そして、最大の温暖化ガス排出国であり環境保護に影響の大きい米中の協力が必須であることから、この問題で、イアン・ブレマーが、どう考えているのか、興味を持って、この項を読んでみた。

   ユーラシアグループの、これらに関する記述を纏めると、ほぼ次のとおりである。

   バイデン政権のアプローチは、気候に関する長期的なコミットメントや目標を次々と生むことになり、その多くは、今世紀半ばまでに排出量を実質ゼロにすることを目指す。2021年の気候変動に関するコミットメントは、未だかつてないほど重要となる。
   しかし、報道を彩る見出しの先では、エネルギー転換は各国間の競争の場と化し、協調を欠く。
   要は、気候変動は、世界各国が協力して取り組む友好的な場から、世界的な競争の舞台へと変化するのだ。クリーンテクノロジー全体で、特に電池や電力制御システムなどの21世紀型エネルギー経済の「管制高地(競争優位)」において、中国が掲げる長期的な産業政策に対抗し、米国も太 平 洋の向こう側で同 様の政 策を打ち出す。クリーンエネルギーのサプライチェーンの一部は、変換機器など、これまで以上に複雑なグリッドのセキュリティに関わる場合、5Gのサプライチェーンと同様の二分化への圧力にさらされる恐れがある。
   ネットゼロの推進が、民間資本、特に蓄積するドル建て・ユ ーロ建ての E S G( E n v i r o n m e n t / 環 境 、S o c i e t y /社会、Governance/ガバナンス)資金にとって、莫大な機会となることは間いない。しかし、政治が決定的な役割を果たすことが予想され、純粋な市場原理以外の要素が勝者と敗者を決するようになる。
   その結果、すでに分断されている世界は、一層細分化されていくのだ。もちろん、新たなネットゼロ宣言が続く中で、協力に向けての勝ち誇った握手は交わされ、気候変動対策の進展があるように見えるだろう。皮肉なことに、2021年ほど温度上昇を産業革命前のレベルの摂氏2度未満に抑える力が強まることはない。しかし、Gゼロを無視してネットゼロだけに注目すると、企業は大きな損失を被る恐れがある。

   また、緊張している米中関係だが、
   トランプの退陣により、米中間の対立は今までほどあからさまではなくなり、双方が一息つこうとする。しかし、事態の沈静化につながるこうした要因も、米国の対中関係の緊張がもたらす同盟諸国への波及、世界を回復させようとするなかでの競争、そして世界をよりグリーン化するための競争という、新しくこれまであまり注目されてこなかった三つの要因によって相殺されるだろう。全体としては、今年も昨年同様、緊張に満ちたライバルとしての米中関係は続くのであって、それは危険をはらんでいる。
   その新たな緊張要因となるグリーンテクノロジーをめぐる競争だが、中国は、2030年までに炭素排出量を減少に転じさせ、2060年までにカーボンニュートラルの実現を目指すと表明し、バイデンの就任前にパブリック・ディプロマシーで点数を稼ぎ、米国を劣勢に立たせようとしている。中国はまた、バッテリーから電気自動車、太陽光や風力発電を含め、21世紀の主要なクリーンエネルギーのサプライチェーンの多くで、すでに米国を大きくリードしている。ここでも米国は、第二次世界大戦後に続いてきた新自由主義からの脱却となる産業政策ツールを活用して、ひたすら中国に追いつこうと躍起になるだろう。また米国は、クリーンエネルギーのサプライチェーンを自国に取り戻すために大規模な投資を行い、海外で石炭に投資する中国の面目を潰し、気候変動とクリーンエネルギーの問題について中国にさらに圧力をかけるために、同盟国を結集させる。中国も、トランプ時代に気候変動対策におけるソフトパワーの活用になじんでいるため、こうした米国の動きを容易に看過することはしない。
   
   このユーラシアグループの見解では、米中協調して、地球環境の保全のために協力するというニュアンスではなくて、グリーンテクノロジーの熾烈な開発競争によって、両陣営の分断化が、さらに進展するという予測だと言えよう。
   アメリカが、パリ協定に復帰しても、あまり期待できないということであろうか。

   さて、問題のパリ協定だが、
   パリ協定では、次のような世界共通の長期目標を掲げている。
   ★ 世界の平均気温上昇を産業革命以前に比べて2℃より十分低く保ち、1.5℃に抑える努力をする
   ★ そのため、できるかぎり早く世界の温室効果ガス排出量をピークアウトし、21世紀後半には、温室効果ガス排出量と(森林などによる)吸収量のバランスをとる
   この国際的な枠組みの下、主要排出国が排出削減に取り組むよう国際社会を主導し、地球温暖化対策と経済成長の両立を目指す。ということで、トランプが、脱退したが、バイデン・アメリカは、この世界的なイニシアティブに復帰してもとの鞘に収まるということである。

   世界政府が成立していない以上、また、確固たる国際機関が機能していない以上、幾ら高邁な理想を歌った協定でも、各構成メンバー国の善意ある協調協力がないと絵に描いた餅に終わる。
   哀しいかな、地球温暖化の悲劇は、学者が騒ぐだけで、時折、襲ってくる大自然の脅威的な破壊行為たる地球を揺るがす大災害に遭遇して恐れおののくくらいで、目に見えて地球環境を破壊するのではなくて、少しずつ徐々に、宇宙船地球号を蝕んで破壊に追い込むので、まさに、人類は、茹でガエル。自分が生きている間は、問題が起こりそうにないので、子孫の未来などサラサラ考えない。

    話を元に戻すと、パリ協定を前進させて、地球環境を保全するためには、高邁な哲人政治のような理想に燃えた高潔なリーダーあってこその協定だと思っているので、グリーンテクノロジーの開発競争に目の色を変えるようなグローバリゼーションの展開が予測されるという不幸を、どう考えたらよいのか。
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11.ペンシルベニア大学での名ソプラノ:シュワルツコップ

2021年01月11日 | 欧米クラシック漫歩
   我が母校ウォートン・スクールは、アイビーリーグの一つペンシルベニア大学に属する。
   この大学は、口絵写真のベンジャミン・フランクリンによって、1740年に設立された米国最古のユニバーシティ(総合大学)で、宗教とは一切関係のない唯一の大学でもある。

   さて、ここで二年間学んでいたのだが、大学の構内のホールや教室で、時折、コンサートが開かれることがあって、何度か鑑賞する機会があった。
   エリザベート・シュワツコップが、ジェフリー・パーソンのピアノ伴奏で、キャンパスの小さなホールで、ドイツ・リートのリサイタルを行った。
   日本に居た時に、一度、シュワルツコップの演奏会に行っていたので、二度目になる。
   小さなホールで、席も自由であったので、シュワルツコップが、ピアノの前に立って歌うと思って、一番前の列のやや右寄りに席を取ったので、シュワルツコップの息遣いを感じ、表情が良く分かった。
   カラヤン指揮の「バラの騎士」のマルシャリンの印象が強烈であったのだが、歳を取ったと雖も、やはり、気品に満ちて美しかった。
   日本の田舎の中学校の講堂のような、しかし、教室の平土間の小さなホールの中で、オペラでは輝くように華麗な舞台を演じていた大歌手が、静かに語りかけるように歌う・・・それに応えるように、控えめではあるが温かい拍手が続く・・・そんな心温まる演奏会であった。
   何曲かのアンコールがあった後、「もう オシマイ」と、駄々っ子を宥めるように微笑みながら、自分からピアノの蓋を閉めて舞台から去って行った。
   外は暗い静かな大学のキャンパス、星が美しく瞬いていたのを覚えている。

   ウィキペディアによると、
   シュヴァルツコップは1971年12月31日、ブリュッセルのモネ劇場で当たり役であるマルシャリン(第一幕のみ)で最後のオペラに出演した。以後、彼女はドイツ歌曲に専念し、1979年3月17日にチューリッヒで最後のリサイタルを行った。と言うことで、私の聴いたのは、1974年であるから、殆ど、最晩年であったのであろう。
   ヴィルヘルム・フルトヴェングラー 指揮:バイロイト祝祭管弦楽団 & 同合唱団のベートーヴェン : 交響曲第9番「合唱」のレコードで、ソプラノがシュワルツコップ、
このレコードと、シュワルツコップの歌う歌曲集を何度も聴いたのを思い出す。

   もう一つは、別のホールであったが、ボロディン弦楽四重奏団のベートーヴェンのカルテットのコンサートの思い出である。
   シーンと静まりかえった大学の構内の質素な教室での重厚なベートーヴェンは、何か、虚飾がすべて吹っ飛んでしまって、ビンビンと胸に迫ってきて感動を呼ぶ。
   大きなコンサート・ホールでしか聴いたことのない四重奏を、本来なら、室内楽としてサロンで楽しまれていたのであるが、まさに、そんな雰囲気で聴けるなどとは夢にも思っていなかったので、貴重な経験であった。

   その後、アムステルダムやロンドンで過ごして、結構、沢山のピアノやヴァイオリン・ソナタや室内楽を聴く機会を得たのだが、やはり、このシュワルツコップやボロディン弦楽四重奏団のような臨場感十分のリサイタルには遭遇できなかった。

   一つ残念であったのは、まだ、シェイクスピアへの関心が薄かったので、折角、キャンパスに、アンネンバーグ・シアターという立派な劇場があって、シェイクスピア戯曲などが演じられていたにも拘わらず、行かなかったことである。
   総合大学の良さで、大学の時には、経済学部でありながら、学内で催される湯川秀樹博士や桑原武夫教授などの講演会を聴いたり、人文科学研究所の発表会を聴講するなど、学際教育の機会に恵まれていたのと同様に、ペンシルベニア大学も世界に冠たる総合大学であるので、その気になれば、随分豊かなキャンパス生活を送れたのかも知れない。
   尤も、MBAを取得のために、昼夜脇目も振らずに勉強に追いまくられていたのであるから、夢の夢ではあった筈だが、今に思えば、無知というか無関心というか、折角、色々なところを歩いて貴重な経験をしていながら、随分、大切なチャンスを棒に振ってしまったと思うことが多い。

   下の写真は、ウィキペディアからの借用だが、カレッジ・ホールをバックにしたフランクリン像だが、コンサートの終演後、この広場を通って家路につくのだが、すぐ隣にウォートンスクールの当時の本拠地バーンス・ホールがあって、住んでいたハイライズ・アパートのグラジュエイト・タワーも近かった。
   ペンシルベニア大学は、病院は勿論、大きなアメリカンフットボールの競技場や巨大な博物館もあり、何ブロックにもわたる広大なキャンパスで、全く外部とオープンで街と混在していて、地下鉄の駅もあればホテルや教会もあり、他の由緒正しいアイビーリーグの古色蒼然とした大学とは違った世俗化した雰囲気である。
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今道友信著「ダンテ『神曲』講義」(1)

2021年01月10日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   今道友信先生の「ダンテ神曲講義」紐解きながら、そのベースとなったほぼ25年前の「ダンテフォーラム」の講義録を聴きながら、高邁なダンテの世界に学んでいる。
   エンジェル財団の「ダンテフォーラム」の講義録は、各90分の講義15篇で編成されており、その冒頭の3篇は、第1回 序とホメ-ロス 第2回 ホメ-ロスとウェルギリウス-神謡と創られた神話-第3回 ダンテへの道としてのキリスト教 で、『神曲』講義の導入部となている。
   書籍の方は、実際の講義よりは多少簡略化されているのだが、私は、まず、講義を聴いて、その後、本書を読んで、両方並行して勉強している。

   まず、何故、ダンテの『神曲』を読むのか。
   第1に、「クラシックを勉強する。クラシックに学ぶ。」
   第2に、ヒューマニズムを体得すること。
   興味深いのは、ラテン語のクラシクスは、「軍艦の集合体」という意味で、ローマの国家の危機の時に、軍艦の艦隊を寄付できるような富裕で国家の役に立つ人のことで、これが転じて、人間の心の危機において本当に精神の力を与えてくれる書物のことをクラシックというようになったのだという。更に面白いのは、国家の危機に、自分の子供しか差し出せない人をプローレータリウスと言い、この言葉から、貧困な労働者階級を表すドイツ語のプロレタリアートが派生したのだという。
   ヒューマニズムは、「人間主義」とか「人間愛」と訳されているが、人間に特徴的なこと、「人間的」ということで、「言語を理解し、言語を使い、言語に生きる」ということだという。
   ダンテを学ぶことによって、われわれは、西洋の代表的な古典をまなび、そして、ヒューマニズムの人、ヒューマニストになるわけである。

   中世末期に生きたダンテを学ぶためには、西洋文化文明を学ぶ必要がある。
   ダンテは、ギリシャ・ローマの古典文化の伝統と、キリスト教の伝統の双方を統合しているので、ダンテを研究することを通じて、この両方を合わせ学ぶことになる。
   この指摘は、私は、欧米にいた時に、意識して、美術館や博物館を行脚して、できるだけ多くの素晴らしい絵画作品を鑑賞しようと思って努力したのだが、単純な話、ギリシャローマ神話とキリスト教の新旧約聖書やその周辺知識がなければお手上げだということを痛いほど感じた。予備知識をつけ刃で仕入れて、ペンギンのガイドブックを前から後ろまで丹念に読みながら、一つ一つ絵画を追いながら、ロンドンのナショナル・ギャラリーを2日かけて歩いたのを懐かしく思い出している。

   まず、そのために、「西洋文化の源流」であるホメーロスを読破しなければならない。
   それまでに、エジプト文明、メソポタミア文明、ヒッタイト文明など素晴らしい先行文明があったが、なぜ、ギリシャ・ローマ文明を、西洋文明の始めとするか、それは、祖霊動物神からの脱皮が、ギリシャに始まっているからである。ギリシャ・ローマ古典文化を境に人間は、動物神を信仰していた粗野な時代から、人間以上の知性と力を持った神々を尊敬するという考えに変わってきた。ギリシャ・ローマ古典文化は、人間の生物的優位を自覚した時代、その始まりだということで、西洋文化の始まりなのである。
   キリスト教も、人間は、イマーゴ・ディ(神の似姿)だという考えを持って、人間は神ではないが、神の似姿に肖って作られており、神の持っている知性や言葉を人間は規模を小さくして持っているのだという考えである。

   著者は、ホメーロスについては、「イーリアス」のアキレーウスの情誼などについて詳しく述べており、続いて、ローマ建国を美化するために、ウエルギリウスのトロイヤ戦争後の後日譚を描いた「アエネーウス」に話が及ぶ。
   ここで重要なのは、ホメーロスでは、書き出しの「女神よ、ベーレウスの子アキレーウスの憤りを歌いたまえ」と言って、女神ムーサが歌うのを聞いて、ホメーロスは人間の言葉に翻訳したのだが、
   ウェルギリウスは、「ミューズの女神よ、私に事の由を思い起こさせたまえ」とあるように、あくまで事件のあらましは女神が教え示すが、ホメーロスのように、神が歌うのをそのまま人間の言葉にではなく、自分の言葉で作詞した。という違いである。
   このホメーロスとウェルギリウスの二人の先駆者について、この異動が特に特徴的で、ダンテ自身、ホメーロスのように、神の歌をそのまま訳したのではなく、ウィルギリウスの立場、すなわち、自分でミュートスを作った大詩人、しかし、ミューズの女神に支えられて歌ったという、詩人として誇りを持った、人間的な自覚をしたウェルギリウスを模範として、西洋叙事詩の伝統に従ったのである。
   また、ウェルギリウスの歌は、自分の祖国が敗北した挫折から始まって、そして、逃亡して流浪の旅を続けるのだが、ダンテ自身、人生の中で、幾たびも挫折を経験したので、運命的にホメーロスよりも、挫折から始まるアエネーアスを歌うウェルギリウスにより親しみを感じたであろう、という。

   さて、キリスト教であるが、キリスト教は、西洋文明のバックボーンであり、ダンテ自身キリスト教徒であり、キリスト教には、経典として聖書があるので、ダンテ研究には必須の知識である。
   今道先生は、ダンテ神曲の勉強に必要なキリスト教について懇切丁寧に説明しているが、仏教徒の私には、知識として理解するという程度の理解しかない。
   しかし、一つだけ、知らなかったので衝撃を受けたのは、今道先生が、「詩篇」に、「わが神、わが神、なんぞ我を見すてたまうや」と」いう句があって、獣の叫びのような叫び声を上げて息絶えたと書いてある、ということである。イエズスの場合、十字架上の死で終わるのではなく、復活するので、それと結びつけて考える必要があるが、十字架上での最後の言葉が「なりおわりぬ」で、動物としての死苦の彼方に救い主としての確信が表明されており、・・・絶望の極致の経験を経ながら、本当に身をゆだねた子としての神という像ができるのではないかと私は思います。と今道先生は結ぶ。

   ブックレビューと言っても、今道先生の高邁な講義を理解するのが精いっぱいであり、次から、本題に入るので、この姿勢で続けようと思っている。
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