熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

大輪の白椿エレガンス・シャンパン咲く

2023年03月31日 | わが庭の歳時記
   門扉の両脇に椿を何株か植えているのだが、その一つエレガンス・シャンパンが咲き出した。
   エレガンス系でも、この花が一番大輪で、豪華な唐子咲きなので、咲き乱れると他を圧倒する。
   挿し木でしか株を増やせないので、何本か挿し木したが、
   他のエレガンス・シュプリームやエレガンス・スプレンダーの挿し木は、容易に着いたが、シャンパンは何故か枯れてしまって難しい。
   
   
   
   
   
   

   鴇の羽重が、一輪だけ咲いた。
   植え場所を誤ったのか、もう、10年くらい経つのだが成長が遅くて、まだ、小株で、か弱い。
   移植しようと思っているのだが、もう何年も根付いており、隣の花木への影響もあるので逡巡している。
   ごく薄い鴇色を帯びた白い綺麗な花で、名前からして優雅で、白い花の少ないわが庭では貴重である。
   
   

   クラブ・アップルも咲き出した。
   昨年、強剪定したので、木がこぢんまりしてしまって寂しくなったが、わが庭では、梅から菊垂れ桜への間の春の花である。
   イギリスに居た時に、綺麗に咲いて春を呼んでいたアップルの花の美しさに感動したので、思い出にと思って、小さな姫リンゴを植えたのである。
   
   
   
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椿が咲き続けている:鳳凰、卜半

2023年03月30日 | わが庭の歳時記
   鳳凰が咲き出した。
   成長が遅くて、まだ小株なのだが、木が細くて華奢なので、しっかりとした支柱で支えなければならない。
   「羽衣」と「チューリップ・タイム」との交配種のようなのだが、桃色の八重で蓮華咲きで、鳳凰のようにやや尾を引くのが面白い。
   
   
   
   
   
   

   卜半が咲いた。
   蘂が白い花弁状に変化した唐子咲きの綺麗な花で、ラッパ状に抱え咲く鮮やかな濃い赤い花弁が魅力的である。
   唐子の花弁は、木によってまちまちだが、わが卜半は白が基調で、白い部分に黄色が混じり、やや薄く朱が浮いているのが優雅である。
   複雑で派手な唐子咲きの洋椿を好んで育てているが、このようなシンプルで色彩の対比の鮮やかな唐子咲きもよい。
   
   
   
   
   
   

   ドウダンツツジが、釣り鐘状の白い花を咲かせた。
   地面には、一面にハナニラが咲いている。
   モミジの獅子頭が芽吹き始めた。
   椿も咲き続けている。
   
   
   
   
   
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私の場合、DIYの恩恵は写真

2023年03月29日 | 生活随想・趣味
   私にとって、DIY、すなわち、生産消費者としての最も貴重な恩恵は、写真である。
   中学生の頃から写真を撮り始めたので、写真は半世紀以上の私の趣味だが、昔と違って、デジタル化のお陰で、総べて自分で処理しており、シャッターを切ってから数分後にはプリントが出来上がる。
   カメラのSDカードから映像をパソコンにインポートして、写真を編集して、プリンターからプリントアウトすれば良いだけなのである。
   このブルログを書くのにも、写真の掲載に大いに役立っている。

   昔は、銀塩カメラで撮ったフィルムをDPAに持ち込んで、写真にして貰っていたので期待したような写真が撮れていたかどうかは現像しなければ分からなかったし、トリミングしたり調整したりして気に入った写真を得るためには専門家任せで何日もかかっていた。
   それに、今では、総べてカメラ任せで、シャッターを押すだけで期待の写真が撮れるし、いくらでも写真用のソフトで修正が出来るので、ズブの素人でもプロ並みの写真が撮れる。
   私は、パソコンに付随のソフトを使っていて、トリミングと多少の修正を加える程度で、写真を加工するのは邪道だと思っているので、カメラ任せだが、カメラにビルトインされている機能さえ満足に使えていないのであるから、いい加減なものである。
   カメラでもパソコンでもテレビでも何でも、最近の機器類は、イノベーターのジレンマよろしく、ユーザーの要望や能力をはるかに越えて、持続的イノベーションの繰り返えしで屋上屋を重ねて、機能を使いこなせないほどの高みに向上させているのだが、正直なところ、ついて行けないし資源の無駄である。

   それはそれとして、DIY、生産消費者とは、「影の仕事」とも言われているのだが、本来他のプロの仕事であったものを、消費者が自分で楽しみながら自分であたかも生産者のようにこなす、
   GDPに計上されないので、経済成長には貢献薄だが、この方が、文化生活の増進に繋がるであろうから、国民生活にはプラスであろう。

   ガーデニングと言うか、庭に出るのを日課としながら、花の写真を撮る楽しみを気楽に味わえるのも、デジタル化によるDIYのお陰、
   これ以外は、本を読むのも、コーヒーを煎れて嗜むのも、相変わらずアナログの世界、
   オペラや映画のDVD鑑賞は、デジタルの恩恵を受けてはいる。

   話は違うが、病院の採血だけは、相変わらずで、血管が出ていなくて、その度毎に四苦八苦している私には、どうにかならないのか、恐怖が去らない。
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椿の咲く庭:エレガンス・シュプリーム、トムタム

2023年03月27日 | わが庭の歳時記
   エレガンス系統で、2番目に咲き始めたのは、エレガンス・シュプリーム。
   タキイで買った親木は、半日陰の半坪庭の主木として植えているので、成長が遅くて、まだ、木が小さいのだが、挿し木苗がかなり生長していて、花を咲かせ始めた。
   しかし、挿し木と雖も、園芸種として作出された椿のためなのか、枝変わり現象で、花にかなりのバリエーションがある。
   花の色もピンクからかなり濃い紅色になったり、中央の鹿の子の形状にも結構違いが出ている。
   まだ、咲き始めた一部の花を見ているので何とも言えないが、木が大きくなってどんな花が咲き出すのか、楽しみではある。
   先に咲いていたエレガンス・スプレンダーの最後に咲いた花が、期待していたような形の、鹿の子が分離して現れ始めたので、先祖返りするようで期待している。
   昔懐かしい赤いヤブツバキは、最初から最後まで同じ花を咲かせ続けるのだが、新しく作出された園芸種は、咲く時期によっても花の形体がドンドン変化していって、タマ系統の洋椿など、最後になった今、平凡な赤い椿に変ってしまっている。
   
   
   
   
   
   

   綺麗なポンポンダリアのような花を咲かせるのが、白覆輪の千重咲きのアメリカ生まれのトムタム。
   至宝と比べて、トムタムの方が、かなり正確に螺旋状の模様に花を咲かせてくれるので、楽である。
   
   
   
   
   

   虫食いで弱っていたミリンダが、薬剤散布の効果が出たのか、綺麗なピンクの花を咲かせくれている。
   淡い匂うようなピンクの花が、清楚な雰囲気を醸し出してくれて嬉しい。
   
   
   

   わが庭には、椿が咲き乱れている。
   
   
   
   
   

   シャガが、下草で咲き出した。
   赤いトキワマンサクが咲いている。
   モクレンが咲いていたようだったが、頭上で白い花だったので気づかず、花が落ちてきて知ったが、写真は撮れなかった。
   一番近い鎌倉山の麓の桜が、見えていて、鶯がしきりに囀っている、春である。
   
   
   
   
   
  
   
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コーヒーは憩い以上の文化

2023年03月26日 | 生活随想・趣味
   今日の日経のGLOBAL EYEで、ベトナムのコーヒー文化についての記事が出ていた。
   「ベトナム「黒船」に動じず 国際的なコーヒーチェーン進出、価格や文化が壁に」と言うことで、スターバックスなどが苦戦を強いられていて、地元の競合店が、価格、味、そして、独特なベトナムのコーヒー文化を継承して繁栄を謳歌していると言うのである。
   何十年も前になるが、東南アジア各地を走り回って仕事をしていたことがあるが、喫茶文化を味わう余裕などなかったので、懐かしさ混じりで記事を読ませて貰った。

   このブログでも、随分、世界のコーヒー事情につては書いてきたので、蛇足は避けるが、日本のお茶文化と同じで、世界中に伝播したコーヒーは、最早単なる嗜好品や憩いの喫茶と言った枠からはみだして、その国の文化として根付いている。
   コーヒー王国のブラジルでは、エスプレッソ紛いの濃いコーヒーをデミタスカップに注いで、砂糖を同量加えて、甘さ加減に応じてかき混ぜて飲むと言う信じられないような喫茶の仕方で、最初は甘くて美味しいと感じたが、
   これが、日本のお茶と同じで、訪問先で必ず次から次へと出されるのであるから、真面に対応しておれば体が持たない。
   4年間、サンパウロに住んでいて、事務所のメイドも、捕虫網のような大きな濾し器に凄い量のコーヒー粉を投入してコーヒーを煎れてくれていたが、これも、ブラジル文化だと思って、アメリカンを作くってほしいとは言えなかった。

   さて、感嘆するのは、ウィーンのカフェ文化。
   ウィーンのカフェは、世界に類を見ないコーヒーを楽しむ公共の場となり、ウィーンの人々はコーヒーを愛飲する習慣を文化にまで発展させ、生活に不可欠なものとして昇華させた。オーストリア政府のガイドによると、
   ”カフェに一歩入ると、広々として親しみやすい雰囲気の店内では、大理石のテーブルを取り囲むビロード張りのシート、伝統的な木製の「トーネット」の椅子が寄木細工の床を擦る音や、柔らかなで温かみのある光を反射する鏡など、すべてものが貴方を優しく包み込んでくれます。それらのカフェの中には、時の流れに磨かれて黒ずんだ本物の調度類の名品に囲まれた、独特の重厚な趣を醸し出している店もあります。”
   学者や、文人・哲学者達の交流の場として、最高峰のハプスブルグ文化を育み、文化文明の揺籃の場であったのであろうか、
   私は、何度か有名なカフェに出かけて、アインシュペンナー(ウィンナーコーヒー)一辺倒で通したが、オペラハウスに近かったので、三越が経営していたカフェ・モーツアルトに行くことが多かった。
   
   カフェ・ツェントラル Café Central

   オーストリア・ハンガリー二重帝国の一方の都であったブダペストやプラハでも、ベルリンの壁崩壊直後に訪れて、戦争や荒廃から奇しくも免れた古色蒼然としたカフェに、現地の知人に誘われて訪れたことがあるが、腐っても鯛というか、その文化の凄さに感嘆したのを鮮明に覚えている。
   ウィーンまで侵攻して退却を余儀されたトルコ軍が、残して去ったコーヒーを、高度な文化にまで昇華させたのである。

   それに比べて、最先端の文化文明を謳歌していたはずのアメリカが、スターバックスが登場するまで、マックやケンタッキーなどで、不味いアメリカンしか飲めなかった喫茶文化のお粗末さ、
   ロイズ・コーヒーハウスが、七つの海支配の先導となったイギリスも、紅茶文化優先で進行していたのだが、その喫茶環境も、スタバに席巻されつつあると言うから面白い。
   ロンドンに5年居たが、美味しいコーヒーを飲んだのは、晩餐会や正式なレセプションなどで最後に頂いたコーヒーの記憶しかないと言うのが正直なところである。

   今や世捨て人のような生活を送っている私には、懐かしい思い出を反芻するのみで、
   椿をあしらったコーヒーカップにコーヒーを煎れて、庭に出て、鶯のさえずりを聞きながら読書するのが楽しみである。

   
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わが庭・・・白羽衣、王冠、赤加茂本阿弥

2023年03月25日 | わが庭の歳時記
   わが庭の椿も、今年は早い。
   東京の桜が、例年より9日早く満開を迎えたと言うから、今年は、異常に春の到来が早いのであろう。
   白羽衣が大分大きく育ってきて、優雅な花を開き始めた。
   千葉の家では、門かぶりの槇の木の対面に、白羽衣を植えていて華やかな雰囲気を醸し出していたので、懐かしさもあってこの鎌倉で苗木を買って育てている。本来のピンクの羽衣も素晴しい椿だが、私は、この清楚な白羽衣が好きである。
   八重の白い実生苗も咲き始めた。
   
   
   
   

   肥後椿の王冠も咲き出した。
   独特な花形の肥後椿の典型的な椿だと思うが、華やかさが気に入っている。
   肥後の殿様の花への思いは尋常ではなく、門外不出を守り通したと言うから凄い文化であった。
   
   

   ところで、鮮やかな濃い朱色の椿だが、わが庭のピンク加茂本阿弥の実生苗なので、先祖返りだと思って、私が勝手に赤加茂本阿弥と称している椿が咲いた。
   蕾の時から色付き始めると存在感抜群で、開花するとかなりの大輪の椿で、他を圧倒している。
   ついでながら、花富貴の実生苗だと思える木から、綺麗な大輪のピンクの花が咲き出した。
   実生苗なので、自家受粉と言うよりは他家受粉の可能性が高く、雑種として新しい椿が作出できるので非常に面白い。
   
   
   
   
   
   他の椿も咲きだした。
   青い珊瑚礁も咲き続けており、勢いよく新芽を伸ばし始めている。
   
   
   
   
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バイキングはメキシコまで到達していた

2023年03月23日 | 学問・文化・芸術
   ヴァレリー・ハンセンの「外国貿易反対派の抗議の歴史」を読んでいて、グローバリゼーションの起源を大航海時代だとするのは遅すぎる、西暦1000年だと言う見解に興味を感じた。
   1000年頃に、中国からインド、アラビア半島、アフリカに至るまで海上交通で繋がり、バイキングが北米に到達したことで、「世界一周交易路」が成立したからだという。
   ヨーロッパ人として初めてカナダのニューファンドランド島に上陸したバイキングは、南北アメリカ両大陸に張り巡らされていた交易路を、ヨーロッパ、アジア、アフリカ、つまり、アフロ・ユーラシア大陸の交易路を融合させた。こうして世界史上初めて、ものや情報が世界中を移動することが出来るようになった。

   ここで、ハンセンが問題視したのは、ヨーロッパ主導で描かれ続けてきた世界史で、これに疑問を呈して、グローバリゼーションの幕開けを、西欧とは関係のない史実を検証して書き換えようとしていることである。
   中国史の専門家であり、当時、宋代の世界最大にして最も栄えていた沿海州の泉州が、世界中から集積された財や高級品で溢れていた事実を活写して、すでに、国際交易のグローバル展開が成されていたとしている。
   グローバリゼーションの起源が、大航海時代だとするのもこのヨーロッパ至上主義の現れで、あたかも、世界の歴史が、コロンブスやマゼランによって開花したように論じられている。
   ポルトガルのリスボンのベレン港に大きな世界地図が地面に描かれていて、ポルトガル人が到達した年度を、インドや日本など各地に、あたかも発見年代と言わんばかりに打ち込まれているのはこの典型で、傲慢も甚だしいが、それ以降20世紀にかけて、ヨーロッパ列強が世界中を植民地化すべく派遣を競って乱舞した。
   しかし、このことは、それ以前に、大帝国を築いて文化文明の輝きを誇っていた中国などと比べて、15世紀までは、ヨーロッパが文化文明世界に至っていなかったことを示していたようなものである。
   アンガス・マディソンなど、1820年の時点で、世界のGDPの29%は中国、16%はインドで、2ヶ国で世界のGDPの半分近くを占めていて、18世紀、17世紀、16世紀とさらに時代を遡ると、両国のシェアは7割近くだったとして、欧米がアジアに追いついたのは、この100数十年だと言っていて、経済的にもこれであるから、文化文明度においては、西欧は、かなりビハインドであったと言うことである。

   私が注目したのは、「コロンブスより先にアメリカ大陸に上陸したバイキング」という項目で、バイキングは、メキシコのマヤの古代都市チチェン・イッツァにまで到達していたと言う見解である。
   同地にある「戦士の神殿」の壁画に描かれている捕虜は、ブロンドで目の色が明るく、肌の色は白い。バイキングの身体的特徴とかなり一致するので、仮説として証拠立て得るとする。

   これだけで、バイキングが、メキシコに到達した証拠とは言いがたいかも知れないが、マヤやアステカ文明は、スペインのコンキスタドール・コルテス侵攻以前に、既に、華やかな帝国を築いて栄えていたので、バイキングとの遭遇が興味深い。
   このチチェン・イッツァには、ウシュマルやパレンケなどのマヤ遺跡と一緒に、一度だけ訪れている。この口絵写真の建物には、階段の急斜面に恐怖を感じて残念ながら頂上まで上れなかった。インディオの戦士達は、重い甲冑をつけて駆け上がったのだが。
   何故繁栄を極めたマヤ文明が、ジャングルの中に忽然と消えてしまうのか、不思議で仕方なかったが、何かの本に、鋤鍬を発明出来なかったので、十分な農耕を行えなくて疲弊した土地を放棄せざるを得なかったのだと言うことが書いてあったの覚えているが、インカやアステカ文明など、南北アメリカの古代文明には、西欧世界史でもフォローできない未知の疑問が多い。

   東西交渉史、異文化異文明の遭遇は非常に面白い。
   
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WBC侍ジャパンが優勝を飾る

2023年03月22日 | 生活随想・趣味
   大谷投手が、フルカウントでトラウトを三振に仕留めた劇的な瞬間に、WBC2023における日本の優勝が決定した。
   無性に嬉しくなって、しばらく、感激感動のしきりであった。
   珍しく、今回は、最初から最後まで、WBCの日本の試合をテレビで観ていたので、劇的な瞬間など印象的なシーンを鮮明に覚えている。

   とにかく、この数日は、愛国心と言えるのかどうかは別にして、日本人に成り切っていた。
   日本人であるから当然なのであるが、このようなエポックメイキングな国際試合を観ると、日頃それ程意識していない日本に対する強烈な思いが刺激されて、日本人であることに心底感動するのである。

   若い頃から世界に憧れて、必死になって世界を飛び回ってきたのだが、異文化異文明のまっただ中で、人種のルツボに揉まれて、カルチュア・ショックに翻弄され続けると、いやでも、自分自身のアイデンティティの根冠である日本人を強烈に意識する。
   と言うよりも、海外に出たお陰で、より日本人になったような気がしている。
   そして、口幅ったい表現で恐縮だが、侍ジャパンのように、背中に日本国旗を背負っている気持ちで、日本人であることに誇りを持って頑張ってきたつもりである。

   アメリカ、ブラジル(永住ビザ)、オランダ、イギリス(永住ビザ)に住んでいたので、一宿一飯の恩義を十二分に感じており、海外との事業に携わったのは30年以上になるが、やはり、30歳以降に海外に出たので、根っからの日本人で、グローバル時代だとは言え、コスモポリタンからは程遠い。
   帰国してからは、オペラ、クラシック、シェイクスピアから一寸距離を置いて、能狂言、歌舞伎文楽、落語など古典芸能に入れ込んでいる。ダヴィンチやゲーテから世阿弥である。

   侍ジャパンが優勝した、嬉しくて仕方がない。

(追記)口絵は、伊能忠敬を借用。この地図一つをとっても、日本は凄い。

ニューヨークタイムズ
Japan Beats U.S. to Win World Baseball Classic


ワシントンポスト
With an epic ending, Shohei Ohtani and Japan reclaim the World Baseball Classic crown
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わが庭・・・黒椿、花富貴、天賜、ハイ・フレグランス

2023年03月19日 | わが庭の歳時記
   昨日は雨で真冬の寒さ、
   ところが、今日は一転してポカポカとした素晴しい春の陽気、
   ウクライナのように、天気も一進一退である。

   いつもなら、晩春に咲く遅咲きの黒椿が咲き出した。
   今年は、何故か、黒い椿のブラック・マジックもナイトライダーも蕾が着かなかったので咲かないので、この黒椿が唯一である。
   
   
   
   

   庭植えして10年、かなり、大きくなって、やっと一輪大きな花を咲かせたのが花富貴。
   やや抱え咲きの優雅なピンクの花で、千葉の庭でも目立っていたので、懐かしさに鎌倉でも庭植えしたのである。
   同じように植えた薩摩紅は、まだ、蕾さえ付けていない。庭植えすると、鉢植えとは違って大きく育つ大地があり、成長優先なので、相当大木にならないと花が咲かないのである。
   花木は、小さな鉢に植えるとか根を切るとか、木を虐めると生存本応を発揮して花を咲かせる。松笠が出来ると松の木が危ないとも言われているが、さて、動物はどうであろうか。
   
   

   もう一つ、千葉の庭で、一番最初に植えた椿の一本が、ピンクの天賜。
   外縁がピンクで、底白の優雅なコントラストが気に入って植えていたのだが、実を付けていたので、鎌倉に持ち込んだ実生苗の幾本かは、この子孫だと思うのだが、雑種となっているので、似た苗木はない。ピンクの優雅な一重椿はあるので、これが子供であろうか。
   
   
   

   ニュージーランド生まれの匂い椿ハイ・フレグランスが咲いている。
   寒風吹き曝す戸外に植わっているので、華奢なピンクの綺麗な花弁がすぐに傷むのが残念である。
   
   
   
   
   
   綺麗なポンポンダリアのような八重咲きの洋椿ミリンダ。白い花だが外縁に向かってほんのりとピンクに色付いて行く。
   咲き出したのだが、なぜか、この椿の蕾の殆どが、頂部から真っ黒い穴が開いて虫に食われて傷んでいる。中から毛虫状の小さな虫が飛出してきた。沢山庭には椿の木が植わっいて蕾を付けているのに、このミリンダの蕾だけがやられていて、それも、悉く殆どなのである。
   15日に薬剤を散布したのだが遅かったのであろう、やられた蕾十数個総べてを落として、今日、あらためて、残っている蕾にベニカを噴霧した。
   これからは、病虫害が激しくなるので、気をつけなければならない。
   
   
   
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ひま老人の徒然なるままの病気雑感

2023年03月17日 | 生活随想・趣味
   コロナが騒がれ初めて3年、漸く終熄に向かってきたのか、先日からマスク着用が自由意志になった。
   しかし、街の中、と言っても、大船の駅前商店街の雰囲気だが、9割方マスクを付けている。
   午前中、病院に行ったが、当然というか、完全マスクで、何も変っていない。
   欧米のように、規制なり法的拘束がなければ、自由意志に従うと言うのとは違って、日本人は、安全志向を維持して、マスクでも、自分のためのみならず世間を慮って、すぐに外せない律儀な国民である。

   さて、今朝病院に行ったのは、特に、病気があると言う訳ではなく、高血圧の定期診断というか、いわば、薬を処方して貰うための3ヶ月毎の通院である。
   眉唾だとは思ってはいないが、病院には行くな薬は飲むなと自由な生活を勧めている和田秀樹先生には靡かれずに、病院の権威ある先生の診断と処方に従っているのだが、3ヶ月毎に検査結果の報告を受けて、異常なしと言われると、この歳になると非常に嬉しい。とにかく、3ヶ月は安心できる。
   
   大船から病院への行き帰りは小型のシャトルバスだが、コロナ最盛期には、混み混みで、心配であったが、この頃では気にならなくなった。
   先生の予約は10時だったが、採血や心電図などがあるので9時には病院に行かなければならなかったのだが、いつもより早いので、かなり空いている。
   やはり、少子高齢化の社会であるから、患者の大半は老人である。
   病院に来ている人を見ていて、尤も待合室にいる人たちなのだが、いつも思うのは、どこが悪いのか分からないほど普通体であることである。
   千葉県のがんセンターでも、悲壮感と言うか、暗い感じは殆どしなかったのには、正直ビックリした。

   ところが、親しい知人友人の中には、殆ど体が動けなくなった人や、認知症で自己を失った人や、入院と手術ばかりを繰りしている人など、本当の病気の人がいるのを思うと、病院に診察や治療に訪れてる患者は、要介護などの重病ではなくて、私のように薬を処方して貰うのが目的であるなどシリアスではないと言うことであろうか。
   私の場合、壮年期までは、海外生活を含めて激務の日々ではあったが大病したことはなく、還暦をすぎて後期高齢者の手前まで、2回の大手術を受けて入院生活をしたが、不思議なことに、最近では、持病の高血圧くらいで風邪もひくこともなく、比較的安定した生活をおくれている。遠出の外出も減ったし、とりたてて仕事らしいこともしておらず、晴耕雨読の勝手気ままな生活を、鎌倉の田舎で過ごしていると言うことが良いのかも知れない。
   尤も、傘寿をすぎると、歯目足というか、足腰のガタつきとか、あっちこっちの衰えで少しずつ体力や機能の低下を意識しており、寄る年波には勝てないと実感しきりではある。
   老年にとっては、明日には何が起っても不思議ではなく、もう後何年か分からないが、少しでも多くの本を読み切っておきたいと、堆く積み上げた書斎の本を眺めながら、そう願っている。
   
   朝起きたときに、今日も元気で過ごせそうだと感じて、感謝して手を合わせている。
   しかし、実際のところ、どうすれば良いのか分からないし、運を天に任せる以外に方法がないと思っているので、元気で過ごせている幸せを、しっかりと噛みしめている日々である。
   
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わが庭・・・椿:マーガレット・ディビス、ジュリア・フランス

2023年03月15日 | わが庭の歳時記
   暖かい日が続くので椿が咲き続けている。
   風が止ると気持ちの良い雰囲気になるので、本を数冊抱えて庭に出る。
   マグカップにタップリとコーヒーを入れて、小一時間庭で過ごすのが楽しみである。
   この季節は、まだ、昆虫が出てこないので蚊などの心配がなく、一番快適なのである。
   周りには、色々な春の花が咲いていて、急に、鶯が身近で鳴き始めたので見上げると、梅の木をホップしながら囀っている。
   

   オーストラリア生まれの洋椿マーガレット・ディビスが咲きだした。
   白地に紅覆輪が入る牡丹咲きの派手な花で、中輪なのであろうが、開ききるとかなり大きく、赤系統の多い椿の中では、明るい色彩なので目立っている。
   
   
   

   10㎝を越える豪華な淡い鴇色をおびた白い椿は、フランスのジュリア作出のジュリア・フランス。
   フランスというタイトルを冠するだけあって、さすがにエレガント。
   しかし、華奢でナイーブな薄い白い花弁なので、春の嵐と異常気象には弱くて、すぐに傷がついてしまい、戸外での栽培には可哀想である。
   幸い、奥に隠れて被害を避け得た花のショットは、次の通り。
   
   
   
   

   ジュリアの他の椿ジュリア・バーも咲き出した。
   千葉から移植したので、もう、10年以上経つが、この方は木が虚弱で、花付きが悪いのだが、派手派手な洋椿に興味を持ち始めた最初の椿なので印象深い。
   洋椿といっても、この頃、この深紅で一重の紅茜にも引かれているので、ころころ、趣向が変っている。
   
   
   

   今回、実生苗で、珍しい花が開いた。
   種は、定かではないのだが、タマ系統なので、タマグリッターズかタマアリアケだと思うが、花は、先祖返りであろうか、玉之浦の形体なのだが、花の色が、どっちにも似つかない濃い黒みがかった渋い赤色なのである。
   まだ、鉢植えの小木で3輪咲いただけだが、今までに見たことのないような珍しい色彩の椿なので、大切に育てようと思っている。
   
   
   

   今日天気が良くて風が弱まったので、庭木に薬剤散布をした。
   これまでは、硫黄合剤を真冬に二回散布していたのだが、保存の硫黄合剤の有効期限切れのようであり強すぎるようなので諦めて、住友のベニカを使うことにした。
   他剤との薬剤混用に問題がなさそうなので、殺虫剤と殺菌剤と言うことで、GFオルトランとGFベントレートに展着剤ダインを加えてタンクで混合して、5ℓの溶剤を作って、適当に散布した。
   高木の梅など手の届かないところや病虫害に強い庭木などは残して、バラや椿など気になる花木には、丁寧に薬剤散布をした。
   八重桜の後くらいに、もう一度薬剤散布するつもりだが、後は、病虫害次第で、その都度対応しようと思っている。
   
   
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偶発的な衝突への夢遊病 Sleepwalking Toward Accidental Conflict

2023年03月14日 | 政治・経済・社会時事評論
   プロジェクト・シンジケートのスティーブン・S・ローチの「偶発的な衝突への夢遊病 Sleepwalking Toward Accidental Conflict」が興味深い。
   大国間の戦争のリスクを最小限に抑えるという議論、つまり今日のグローバル化され相互接続された世界は、大地震の崩壊の危険を冒すにはあまりにも多くの危険にさらされているという議論、これは、グローバリゼーションの第一波がピークに達した 20 世紀初頭になされたのと同じ議論である。
   あまりにも多くのオブザーバーは、第一次世界大戦の重要な教訓の 1 つを見失っている。第一次世界大戦は、ヨーロッパ列強間で長くくすぶっていた深刻な対立を背景に、1914 年 6 月のオーストリア大公フランツ ・フェルディナントの暗殺によって引き起こされた。 紛争の激化と政治的火花との間のこの相互作用は、今日、特別な反響を呼んでおりながら、ただ、導火線に火がついていないだけだ。と言うのである。

   ウクライナで戦争が激化して、冷戦心理が米国と中国を支配しているので、歴史的な類似性には誤解の余地はない。世界は対立と恨みで煮えたぎっていて、 欠けているのは、トリガーとなるイベントだけで、台湾、南シナ海、ウクライナで緊張が高まっており、憂慮すべき火花が飛び散っている。
   台湾問題が一番深刻で、習近平が意識的に再統一のタイムラインを短縮したという米国の見解を受け入れない場合でも、米国政府や主要政治家達の最近の行動を勘案すれば、彼の手を強制することになる可能性が多分にある。
   米国は、1972 年の上海コミュニケに盛り込まれた 1 つの中国の原則を擁護するために身もだえしているが、台湾が独立した地位を維持するための米国の政治的支援については、もはや疑いの余地はない。 これは中国にとっては危険なレッドラインであり、他のすべてにとっても地政学的な引火点である。

   ウクライナでの火花についても同様に心配である。 この恐ろしく、かつては考えられなかった紛争の 1 年後、プーチンは、中国巻き込みという春の攻勢に新たな不吉なひねりを加えた。 米国は、ロシアに対する中国の支援が非致死的支援 (ロシアのエネルギー製品の購入など) から致死的支援 (武器、弾薬、兵站兵器供給能力) へとエスカレートすることを警告している。
   中国がロシアの戦争遂行に致命的な援助を提供すれば、中国に深刻な結果をもたらすというバイデン政権の漠然とした脅しは、ロシアに対する前例のない制裁の発動に先立つ同様の米国の警告を思い起こさせる。 米国の政治家の目には、中国はロシアへの協力によって有罪となり、非常に高額な代償を払わされることになる。 台湾が中国のレッドラインであるように、ワシントンも、ロシアの戦争キャンペーンに対する中国の軍事支援についても同じだと信じている。

   スパークの可能性を評価するには、コンテキストが重要である。 専制政治と民主主義の闘いを政治的に主張する米国は、過去 6 か月間、台湾に対する熱を強める攻撃者であったことは明らかである。 同様に、中国の監視気球事件は、冷戦の脅威を米国民に身近なものにした。 そして、ブリンケンと王毅 -の会談は、古典的な冷戦戦士の役割を引き受け、 最近のミュンヘン安全保障会議での彼らの好戦的なレトリックは、ほぼ 2 年前のアンカレッジでの最初の会合のそれを反映していた。

   第一次世界大戦前と同様に、大規模な紛争のリスクを最小限に抑えたいという誘惑にかられているが、今日のグローバル化され相互接続された世界は、大地震の崩壊のリスクを冒すにはあまりにも多くの危険にさらされている。 この議論は、前述したように、グローバリゼーションの第一波がピークに達した20世紀初頭に作られたものと同じものである。

   2023 年との歴史的比較は、冷戦紛争の壮大な戦略を反映するように更新する必要がある。 ソ連との冷戦における決定的な転換点は、1972 年にニクソン大統領が中国に行き、最終的に毛沢東と協力してソ連に対する三角測量戦略を成功させたときであった。
   しかし、今日、米国は新たな冷戦の三角関係に突入し、中国が、米国の覇権を狙い撃ちする「無制限の」パートナーシップでロシアに加わった。 この極めて重要な変化は、1914 年の教訓をますます明確な焦点へと導いている。
   緊張の各ポイントは、深く対立する関係への付随的な影響を認識せずに、報復反応のカスケードの流れを引き起こすことである。
   アメリカ、中国、ロシアの 3 つの大国はすべて、深い歴史記憶喪失の感覚に悩まされている。 どの国も、簡単に発火する可能性のある高オクタン価燃料を運んで、集団で紛争エスカレーションの道を夢遊病状態で、1914年のように歩いている。

   以上ローチの論点は、米国と中ロが既に冷戦状態に突入しており、今日の国際情勢は、ヨーロッパ列強が火花を散らして覇権を争っていた一触即発の1914年と全く酷似しており、何かの導火線に火がつけば、一気に国際紛争に突入する。第一次世界大戦の貴重な教訓を忘れて、何時爆発してもおかしくない偶発的な衝突に向かって、夢遊病状態で突き進んで奈落の底への道を突っ走っている。と言うことであろう。
   アメリカは、あいまい戦略を既に放棄して台湾を死守すべく中国に対峙しており、中国もこれに対して、台湾統一を武力を行使してでも早急に実現しようと画策している。台湾問題は、米中直接戦争を引き起こす最も危険な徴候であり、代理戦争であるウクライナ戦争の比ではない。中国の対ロ政策は、この一事の帰趨に掛かっており、ロシアをどこまで惹きつけておいて、アメリカに対処するのか、中国の外交軍事戦略如何による。

   私自身は、いくら科学技術が進化発展した今日でも、台湾戦争が勃発すれば、戦場直近に位置する中国の心臓部が戦禍を受けて、中国社会の崩壊の危機を惹起するという地政学上の中国不利は、拭い言えないので、賢い中国が愚かな暴挙を犯すとは思っていない。国土や国民の10%が毀損すれば、国家機能が停止して崩壊するという。
   アメリカも、同様で、民主主義の旗頭と雖も、一瞬にして吹っ飛んでしまう。
   トップに立つリーダーが常軌を逸した人物でない限り、ギリギリの瀬戸際までは行くであろうが、ケネディとフルシチョフが直面したキューバ危機のような解決に向かって終熄するような気がしている。
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わが庭・・・椿:青い珊瑚礁、桃太郎、バレンタインデー

2023年03月12日 | わが庭の歳時記
   固い蕾であった青い珊瑚礁が、一気に開花した。
   青紫の花弁に特徴があり、青い色彩を浮かばせるのが結構難しいのだが、名前のイメージ通りのエキゾチックな花である。
   
   
   

   桃太郎が、綺麗に咲きだした。
   ピンクの花弁が、新鮮な桃のように美しいので、この名前がついたのであろう。
   庭植えをして、成木になるのに時間が掛かって、今年やっと蕾がついて開花した。
   
   

   バレンタインデーが咲き出した。
   日本の椿と違って、葉も花も派手な大型で、侘助椿趣味の日本人には、一寸異質かも知れない。蘂のない完全な円形の八重咲きなので、椿だとは思えないようなゴージャスさで、大木になれば庭を圧倒するであろう。
   洋椿は、どうしても、バラ趣味に引っ張られて華やかになるのだが、それに比べて、椿姫の椿が乙女椿だというのは興味深い。
   
   
   
   

   室内にも、椿を取り入れて楽しんでいる。
   今更、花道の初歩を学び始めるのも何なので、趣味で集めた花瓶に花を差し入れていると言うだけなのだが、若いときに、少しでも花道や茶の道に親しんでおけば良かったと、今になって、痛く後悔している。
   ただ、古社寺を行脚し続けて美しい生花を見たり、世界あっちこっちの庭園や美術館博物館を回ってきて、花に対する美意識を育ててきたつもりなので、多少はマシかなあと慰めている。
   
   
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わが庭・・・椿:荒獅子、式部、至宝一斉に咲く

2023年03月11日 | わが庭の歳時記
   この数日、ビックリするような陽気で、暖かい日が続いているので、わが庭の椿が、一斉に開花し始めた。
   まず、荒獅子。
   獅子が鬣を荒々しく振り乱したような雰囲気の花形で、花形が一定していない獅子咲きが面白い。
   
   
   
   
   

   華麗な唐子咲きは、式部。
   唐子咲きの唐子が面白いので植えた。唐子の真ん中の蘂が残ってるので、結実することがあり、面白い実生苗が生まれると思うのだが、まだ、成功していない。
   
   
   
   
   

   至宝。
   乙女椿なら比較的楽なのだが、至宝では、どこかが歪になって、完全な螺旋を画いた千重咲きの花を咲かせるのが難しい。
   しかし、まだ、咲き始めで、沢山蕾が残っており、未開花の苗も2本残っているので、気長に待とうと思っている。
   
   
   
   

   咲き始めそうな椿は、桃太郎、マーガレット・ディビス、ハイ・フレグランス、バレンタインデー
   桜が咲く前に、わが庭の椿は、皆開花しそうである。
   
   
   
   
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NHK交響楽団・・・ベートーヴェンの第3番2曲

2023年03月09日 | クラシック音楽・オペラ
   2023都民芸術フェスティバルのNHK交響楽団演奏会に出かけた。
   ずっと、昔に、定期会員として通っていたのだが、今は都響だけなので、久しぶりのN響である。
   プログラムは次のとおり、ピアノ協奏曲と交響曲第3番のベートーヴェンプロで、後続する都響が、第5番2曲だと言うから面白い。
   とにかく、あまりにもポピュラーすぎるベートーヴェンの2曲を、N響で聴けるのであるから、ファンにとっては期待のコンサートである。
出演
指揮 : 梅田俊明
ピアノ : 吉川隆弘
曲目
ベートーヴェン/ピアノ協奏曲 第3番 ハ短調 作品37
ベートーヴェン/交響曲 第3番 変ホ長調 作品55「英雄」

   ピアノ協奏曲は、第5番の「皇帝」を聴く機会が多くて、第3番は久しぶりである。
   N響の演奏も凄いのであろうが、この曲のピアノが、これほどまでに、ピュアーで美しかったのか、感動しながら聞き惚れてしまった。
   解説によると、ハ短調で、第1楽章は、堂々とした構えを持ち、どっしりとした安定感、第2楽章は、牧歌的な表情でメロディーが優しく奏でられ、その響きの移ろいには荘厳さ、第3楽章は、活気に満ちたフィナーレ、
   難しいことは分からないが、いつも、ぶっつけ本番で聴いていて、流れゆく曲に乗って感動を噛みしめている。この第3番は、聴き慣れているので、一層感興をそそる。

   ピアノが、こんなに美しく華麗で感動的なのは、ピアニスト 吉川隆弘が、イタリアで学び、ミラノスカラ座のバレエ公演のソロピアニストと言ったキャリアーが濃厚に影響しているのであろう。
   以前にシーズンメンバーチケットを持って通っていたロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団で、指揮者が、ベルナルト・ハイティンクから、イタリア人のリッカルド・シャイーに交代した時に、サウンドなど印象が変ったことを憶えている。同じベートヴェンのピアノ曲を弾いても、バックハウスやケンプと、マウリツィオ・ポリーニとは違って当然。
   オーストリアからブレンナー峠を越えてイタリアに入ると、一気に世界が変る、ゲーテが憧れた陽光燦々と照り輝く南の国、
   そんな風景を思い出しながら、2階席からピアニストの鍵盤を追っていた。
   
   ピアニストは、ミケランジェリに学んだポリーニに師事したと言う。完璧主義者で演奏会をキャンセルするのでコンサートの機会の少ないミケランジェリを、幸い、一度だけロイヤルフェスティバルホールで聴いた。ミケランジェリの影響がいかほどだったのか興味深い所だが、1995年になくなっており、もはや伝説上の物語であろうか。

   交響曲第3番の「英雄」だが、コンサートホールで聴いたのも、10回や20回ではきかないほどなので、いくら音楽音痴の私でもメロディを憶えている。
   重厚で芳醇なN響サウンドは、聴き慣れている都響サウンドとは、又、違った趣で、感動的。
   梅田俊明とN響のタッグは完璧で、素晴しい演奏であった。
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