熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

(30)チケットがありながらミスったオペラ:その2 METのパバロッティの「ばらの騎士」

2021年06月28日 | 欧米クラシック漫歩
   ヨーロッパへ赴任する前だったので、1980年代だったと思う。
   一番残念であったののは、この時、ニューヨークへの出張で、偶然にも手に入れたMETでの「ばらの騎士」のチケットで、開演に遅れて劇場に行き、第1幕のパバロッティのイタリア人歌手を聞き損なったことである。
   出張などでニューヨークに行くときには、勿論仕事優先だが、夜の会食などのスケジュールを避けるなど、出来れば、METやニューヨーク・フィルやカーネギー・ホールでのコンサートなどチケットを取得して行くことにしていた。

   この時は、午後の仕事に空きが出たので、METのボックス・オフィスに行ったところ、幸いにも、夜の「ばらの騎士」のストール席がとれた。開演まで大分時間があったので、ホテルに帰って仕事をしたのが悪かった。早く余裕を持ってホテルを出たのだが、丁度、夕方のラッシュアワーだったので、タクシーが捕まらない。焦って場所を移動すればするほどダメで、メトロに切り替えようとしたのだが、東西の連絡が悪くて間に合いそうにない。
   結局、METに着いたのは、開演時間少し後で、もう、広場には誰もおらず、正面のシャンデリアと大きな左右のシャガールの壁画が嫌に鮮やかに照明に映えていて空しい。静かになったホールに入ってロビーで足止めを食らうほど空しいものはない。
   仕方なく、地下に下りて、ガランドウの部屋に、申し訳程度に置かれた小さなテレビのスクリーンの前のパイプ椅子に腰掛けて見た。あのころは、まだ、スクリーンは白黒で鮮明ではなく、それに、舞台全体を定点カメラで写しているので歌手の姿は豆粒のようで動きなどは良く分からない。それに、サウンドなどは推して知るべしで並のテレビを見ているのと同じである。
   とにかく、ホールに入っておれば、全く、あのばらの騎士の第1幕の豪華な舞台を楽しめたのに、牢獄のような地下室で、こんな貧弱な映像で我慢しなければならないとは、残念であった。時計の針が少し戻ってくれないかと思った。

   舞台にイタリア人歌手が登場して歌い始めた。ルチアーノ・パバロッティである。その前に、イタリアオペラで、「リゴレット」のマントバ公爵の舞台を観て感激して、パバロッティのレコードを嫌という程聴いているので、音が悪くても聞き違いはない。あの張りのある美しいテノールが響き渡る。画面に堪えられなくて目を瞑って、出来るだけ現実のパバロッティの舞台姿を想像しながら聴こうと試みた。
   この、ほんの瞬間にも近い僅かなイタリア人歌手の登場だが、パバロッティのような天下の名テナーが登場するとなると、この公演自体が、一気にグレイドアップする。
   この後、ロンドンのロイヤル・オペラで、「愛の妙薬」や「トスカ」などで、パバロッティを聴いている。
   このばらの騎士のもう一つのお目当ては、キリ・テ・カナワの伯爵夫人ではあったが、最大の期待はやはりパバロッティであったので、残念であった分、次からの幕は、一生懸命観ようとする。最後の二重唱、オクタヴィアンのトロヤノスとゾフィーのブレゲンも上手かったが、キリ・テ・カナワの色濃く憂愁を帯びた陰影のある歌唱と魅力的な演技に感動した。
   とにかく、この「ばらの騎士」は、全幕通して鑑賞してこそ素晴らしいのであって、その素晴らしさを味わうのは、ロンドンに移ってからであった。

   もう一つ、遅刻して見そびれたのは、キリ・テ・カナワついでに、ロイヤル・オペラの「ドン・ジョバンニ」。
   この時は、時計の電池が切れてしまっていて、時間に気づかず、開演時間に間に合わなかった。
   ロンドンも交通事情が悪いので、遅れてくる客が結構居て、二階のテレビのある部屋は賑わっている。いつも混雑しているワインバーが広々としていて、ゆっくりと椅子に腰を掛けて、チビリチビリとやりながら、この第1幕もかなり長いので、全部待たされると大変だなあと思っていた。
   ところが、ボーイが上がってきて、入場させるから下に下りてくれと誘う。嬉しくなって従う。オーケストラ・ストールの後方のロビーを回り込み、狭い急な階段を上がり、一つ上のストール・サークルの背後に回り込んだ。本来、ここは、最上階の天井桟敷と同じ立ち見席であるが、この時は、何故か殆ど客がおらず空いていたので、我々を誘導してくれたのである。
   居を構えて舞台を観ると、丁度、ドンナ・エルヴィラのキリ・テ・カナワが登場したところであった。不実なドン・ファン:トーマス・アレンのドン・ジョバンニが、それとは知らずにドンナ・エルヴィラを口説こうとして、お互いに訳ありの相手同士と知ってビックリする場面である。
   とにかく、コンサートとは違って、オペラは、序曲から楽しむべきで、遅れてくると、それだけで興を削がれる。

   別の機会に、ワーグナーの「ジークフリート」の時も遅れたのだが、この時は、グランドティアのボックス席が空いていたので、ここへ誘導してくれた。ロイヤル・オペラは、結構気を使って融通を利かせて、遅れた客にサービスしてくれるのが有り難い。

   最後にもう一つは、イタリアのベローナのローマ時代の野外劇場での壮大なスペクタクル野外・オペラ、
   イタリア旅行の途中、ロメオとジュリエットで有名なベローナに二泊して、野外劇場の「アイーダ」と「トーランドット」を鑑賞した。
   二日目の「トーランドット」の時で、ヒョンナことで、第二幕の幕間の休憩で、入場が遅れたのだが、平土間の上等な席であったので、まだ、始まってもいないのに、係員が、頑としてメインの入場口からの入場を許さない。コロッセオ以上に巨大な青天井のアリーナなので、いつでも入退場自由だと思ったのがアダで、このままでは、ホセ・クーラの『誰も寝てはならぬ』(Nessun dorma)」を聴けなくなる。
   押し問答しても埓があかない。イタリアなまりの英語ででまくし立てるので良く分からないし、とにかく、入り口はここだけではないと思って、上階の横の手薄な出入り口で、今度は、ドイツ語やポルトガル語混じりのヨーロッパ語(?)を駆使して係員を説得して中に入った。大分、後方で距離があるが、平土間の自分の席までは、場内を相当歩かないと行けないので、階段状の通路には空間があったので、少し下に下りて適当な所に座って観た。

   まだまだ、いくらでもあるが、思い出したくないので、これで止める。
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佐藤賢一著「日蓮 」

2021年06月27日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   日蓮生誕800年】天変地異、疫病の流行……災難が続くいま、救いの道を示せるのはこの男しかいない。
   鎌倉中期。人々は天変地異や疫病、飢饉に苦しめられていた。僧侶・日蓮は、為政者が悪法に染まり、仏たちがこの国を去ったが故に災難が続くと結論づける。鋭い舌鋒で他宗に法論を挑むが、それは浄土宗や禅宗を重用する幕府の執権・北条氏を敵に回すことでもあった――。苦しむ民を救うため、権力者たちと戦い続けた半生を描く感動作。(新潮社)
   と言うのが、直木賞作家佐藤賢一のこの本。

   釈迦が本懐を明かされた真実正直の教えは法華経のみで、法華教以前に説かれた爾前経は、方便の経、真実を明かしていない仮の教えであると、真言亡国、禅天魔、念仏無間、律国賊として、エスタブリッシュメントたる幕府とそれを信仰する諸宗派を、徹底的に否定して糾弾するのであるから、誹謗中傷、弾圧は勿論、松葉が谷、小松原、龍ノ口など襲撃や法難に遭遇し、伊豆や佐渡への流罪など苦難の連続、
   しかし、上行菩薩であるとの悟りを得て、法華経の流布に、一切の妥協を排して、不倒不屈の精神で、心血を注いで邁進する。

   最明寺入道北条時頼に、1260年8月31日「立正安国論」を提出した。

   ”旅客来りて嘆いて曰く近年より近日に至るまで天変地夭・飢饉疫癘・遍く天下に満ち広く地上に迸る牛馬巷に斃れ骸骨路に充てり死を招くの輩既に大半に超え悲まざるの族敢て一人も無し、・・・
   (略)
   汝早く信仰の寸心を改めて速に実乗の一善に帰せよ、然れば則ち三界は皆仏国なり仏国其れ衰んや十方は悉く宝土なり宝土何ぞ壊れんや、国に衰微無く土に破壊無んば身は是れ安全・心は是れ禅定ならん、此の詞此の言信ず可く崇む可し。”(立正安国論)

   その後二回、三度に亘って幕府に正法への改宗を求めたが、相容れられず、幕府からのあらゆる懐柔策や妥協を蹴って、
   ”同じき五月の十二日にかまくらをいでて此の山に入れり。これをひとへに父母の恩・師匠の恩・三宝の恩・国恩をほうぜんがために、身をやぶり命をつつれども破れざれば候へ。又賢人の習ひ、三度国をいさむるに用ゐずば山林にまじわれということは定まれるれいなり。”(報恩抄)
   として、身延へ入山して布教活動に勤しむ。預言した他国侵逼難、蒙古襲来の報を聞く。
   此の小説は、ここで終っている。
   
   死後に西方浄土に行くのではなく、この現世こそ浄土であり、世の中の人総て、善人も悪人も出家者も在家も男も女も差別なく成仏できると説き続けた。

   ”抑 地獄と仏とはいずれの所に候ぞとたづね候へば、或は地の下と申す経文もあり、或は西方等と申す経も候。しかれどもしさいにたづね候へば、我等が五尺の身の内に候とみえて候。”(重須殿女房御返事)

   ”爾前の経経の心は、心より万法を生ず。譬へば心は大地のごとし、草木は万法のごとしと申す。法華経はしからず。心すなはち大地、大地即ち草木なり。爾前の経経の心は、心のすむは月のごとし、心のきよきは花のごとし。法華経はしからず。月こそ心よ、花こそ心よと申す法門なり。”(白米一俵御書)
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(29)チケットがありながらミスったオペラ:その1 ウィーン国立歌劇場の「こうもり」

2021年06月26日 | 欧米クラシック漫歩
   コンサートやオペラのチケットがありながら、何らかの都合で行けなかったり、あるいは、開演時間に間に合わずに、ホールで足止めを食ったりすることが結構ある。苦心惨憺して手に入れたチケットや、千載一遇のチャンスだといった演奏会の場合などでは、特に残念であるが、暇人でない限り頻繁に起こる。
   私の場合、シーズンメンバー・チケットを持っていながら行けなかったことが一番多い。海外にいたので、フィラデルフィア管弦楽団、ロイヤル・アムステルダム・コンセルトヘボウ、ロンドン交響楽団などのメンバーチケットを複数シリーズ、複数年持っていたが、半分も行けなかった年もあった。コヴェントガーデンのロイヤル・オペラのチケットも何回も無駄にした。しかし、当日券を入手するのが非常に困難であったし、少し安かったので、事前に手に入れておく以外に得策がなかったのである。

   残念さが増すのは、行けなかった時よりも、会場への到着が遅れて、コンサートの最初の曲や、オペラの前奏曲や第1幕をミスることである。コンサートの場合には、ピアノや歌手などのソリストが登場するのは、前半の最後であり、メインは休憩後なので、それ程、気にはならないのだが、オペラの場合には、前奏曲を聴き損なったり長い第1幕を観られなくなると目も当てられないほどダメッジが大きい。
   そんな残念な経験をいくらか披露しておきたい。

   まず、1973年のことである。ヨーロッパを旅行していて、ウィーン国立歌劇場の大晦日恒例のシュトラウスの「こうもり」を観たくてチケット売り場の長い列に並んでいた。
   全く幸いと言うべきか、私の前にキャンセルしたいという人が近づいてきて素晴らしい席のチケットを見せてくれたので、私と後ろのアメリカ人が、喜んでチケットを手に入れた。長い行列が出来ていて、尋常ではチケットなど取得できるはずがなく、手に入ったとしても立ち見席であろうから、まさに、幸運であった。
   当時、日本を離れてフィラデルフィアに住んでいて、長い間故郷の雰囲気を味わっていなかったし、ウィーンでの大晦日で、幼い娘帯同の家族旅行であったし、偶々日本レストランがあったので、和食をゆっくり楽しんでいた。ところが、これが災いしたという訳ではなく、開演時間を三〇分間違って理解していて、劇場に着いたらシーンとしていて、時既に遅し。もう後の祭りで、階上に上がったが入り口で制止されて入れず、あの夢にまで見たウィーン国立劇場管弦楽団、すなわち、ウィーン・フィルの「こうもり序曲」を聴けなかった。
   大晦日の「こうもり」は特別で、観客の殆どは、タキシードとイブニングドレスに正装したカップルで、インターミッションでは、一列縦隊に並んで、豪華なシャンデリアの美しい広間や廊下を、ゆっくりと歩いている晴れやかな風景は格別で、映画の中に入ったような錯覚に陥った。背広姿の私とアメリカ人は、場違いなところに迷い込んだ感じがしたこと、クリスタ・ルードウィッヒのオフロフスキー公爵に感激したことだけは、何故か覚えている。

   初めてのウィーンの大晦日で、ホテルは、ワーグナーが定宿にしていたカイザリン・エリザベート・ホテル、
   深夜の12時に、新しい年を祝って、町中に爆竹の音が鳴り響いていたが、いつの間にか寝入っていた。
   
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(28)ストラトフォード・アポン・エイボンでシェイクスピア戯曲を その3

2021年06月25日 | 欧米クラシック漫歩
   さて、この時の観劇記を残しているので、書き留めておきたい。

   帰国前でもあったので、貴重な機会だと思って、「リア王」を、二回続けて聴いた。
   ヘンリー4世のファルスタッフを演じたロバート・ステファンスが、タイトルロールを演じていて、非常に人気が高かった。イギリス人が最も愛するシェイクスピアのキャラクターの一人である無頼漢のファルスタッフを演じて、全くと言っても過言でない程性格の違った悲惨な主人公「リア王」を、それも、間髪を入れずに演じるのであるから、その力量の凄さは分かるというもの。観客の先入観を取り除く必要もあったのであろう、残酷な運命を畳みかけるように切々と語り続ける芸の確かさは格別であった。
   気が触れた後半、正気と狂気の間を、まさに鬼気迫る迫力でリア王を蘇らせるステファンスの役者魂が凄い。第4幕第6場のドーヴァーに近い野原の場で、眼を抉られて追放されたグロスター伯爵に再会したときに、リア王がグロスターに語りかけるのを聞いた伯爵の息子エドガーが、「ああ、意味のあること、ないことが入り交じって。狂気の中にも理性がある。」と独白するシーンがある。狂気か正気か、そのはざまで、リア王が、「人間、生まれてくるときに泣くのはなあ、この阿呆どもの舞台に引き出されるのが悲しいからだ。」と、肺腑を抉るような真実を述べる。理性と真実と正気の入り交じった狂気の世界を彷徨うリア王を、魂が乗り移ったように演じるステファンス、悲しくも辛い感動的な舞台である。大詰めで、コーディーリアの死体をかき抱き、断腸の悲痛に絶叫するリア王が、真実の父親に戻って絶命する場面も、真迫の演技で涙を誘う。
   この「リア王」は、エイドリアン・ノーブルの演出による素晴らしい舞台であった。

   「ヴェニスの商人」の舞台は、鉄骨むき出しの柱に二階のフロアーが乗っているようなモダンな舞台セッティングで、登場人物も、背広やスーツ姿で、現代劇に移し替えている。ヴェニスの商人シャイロックを演じるディビッド・カルダーは、リア王の舞台で、王の唯一の忠臣ケント伯爵を、実に骨太に演じていた、豪快な野武士のような風格のある役者で、黒澤映画の三船敏郎の役がよく似合う感じであった。このシャイロックという役は、特異なユダヤ人の金貸しという何重にも先入観の染みついた性格俳優的なキャラクターなのだが、カルダーは、チラリと人間の弱さを見せながら、激しさを抑制した理知的な役作りに務めていた。私自身、この芝居では、個人的にシャイロックには同情的であり、最後の裁判で、形勢不利になり始めてから、段々追い詰められていく姿を見るのが嫌なので、今回のカルダーの運命を甘受したようなからりとした演技が救いでもあった。普通にイメージされている狡猾で情け容赦のないユダヤ人金貸しシャイロックの悲劇の没落劇ではなく、きわめてスマートでシャープな現代感覚に訴える演出が小気味よい舞台であった。
   尤も、その前に、ロンドンで見た別バージョンのRSCの「ヴェニスの商人」の舞台は、追い詰められて胸の肉1ポンドを切り取られそうになって、腹の筋肉をピクピク緊張させて恐怖に戦くシャイロックのリアルな舞台を観ているのだが、それはそれで、素晴らしい舞台であったので、演出の差や役者の藝の妙を楽しむのも、シェイクスピアの奥深さだと思っている。

   先日書いた「ウインザーの陽気な女房たち」も素晴らしい舞台であった。
   ドイツ語圏では、年末にシュトラウスの「こうもり」を上演して笑い飛ばして年を越すのだが、先日、シェイクスピアでは、年末年初には、「間違いの喜劇」が面白いと書いた。
   しかし、この色好みの無頼漢ファルスタッフが、女房たちにモーションをかけて振られて散々虚仮にされていたぶられ、最後には、幻想的にセッティングされた夜の森の中で、大団円のハッピーエンドとなる「ウインザーの陽気な女房たち」を鑑賞しながら、新年を迎えるのも面白いのではないかと思っている。
   このRSCの舞台も、それなりに、趣向を凝らして楽しかったが、昔観たウィーン国立歌劇場の「ファルスタッフ」の夢のように幻想的で美しい舞台が現出されるのなら、最高ではないかと思っている。
   

   口絵写真は、シェイクスピアの生家、
   この写真は、シェイクスピアの妻アンの里である。
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わが庭・・・梅雨に咲くシルクロード

2021年06月24日 | わが庭の歳時記
   何株か庭に植えたカサブランカ系のユリで、律儀に咲き続けてくれるのは、先に咲いた黄色いコンカドールと、少し遅れて梅雨時に咲く白い縁のある赤いシルクロード。白いカサブランカは、いつの間にか消えてしまった。
   シーボルトが持ち帰って、オランダで改良されたと言うことだが、オランダにいたときには、キューケンホフ公園でも、時期が遅かったのか、咲いていなかったので、それ程、記憶には残っていない。
   それに、オランダの民家の庭には、所狭しと色とりどりの草花が咲き乱れていたのだが、何故か、すっくと伸びた豪華なユリの花が咲いているのを見た記憶はない。
   もう一つ、興味があるのは、海洋大国であり、一時期台湾を支配し、バタヴィア (Batavia)まで雄飛したオランダだが、陸路であるシルクロードには、それ程縁がなかったはずなのだが、何故、シルクロードの名を冠したのか。
   
   
   
   

   二番花のばらの花がちらほら、アジサイは最盛期。
   何となく、はっきりしない梅雨だが、台風五号が近づいてきている。
   
   
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(27)ストラトフォード・アポン・エイボンでシェイクスピア戯曲を その2

2021年06月23日 | 欧米クラシック漫歩
   ストラトフォード・アポン・エイボンは、私が住んでいたロンドン郊外のキューガーデンから、かなりの距離がある。
   ロンドンからは、列車でストラトフォードまで往復できるが、私は、自家用車で通っていた。
   宿泊せずに夜の観劇を楽しもうと思えば、どうしても、終演後、夜半に、二時間ほど田舎道と高速を飛ばして帰らなければならないので、やはり、ここは雰囲気のあるホテルに宿泊して、どっぷりとシェイクスピアに思いを馳せる方が良い。ストラトフォードでなくても、オックスフォードでもウォーリックでも何処でも近くなら良い。ヨーロッパには、古いシャトウやイン、それに、キャッスルや貴族の館を転用した古城ホテルなど旅情を誘う宿舎がかなりある。悲劇でも喜劇でも良い、シェイクスピアを楽しむ機会を利用してヨーロッパの文化や伝統を肌で感じながら余韻を楽しむのは良いものである。

   RSCは、ストップ・オーバー・イン・ストラトフォードと言うプログラムを持っていて、観劇券、宿泊料及び夕食ないし昼食がセットされていて、割安で便利であるのだが、相当前から予約する必要がある。泊まりたいホテルなども予約できるので良いのだが、今日はパリ、明日はマドリッドと言った多望な仕事をしていたので、日時をフィックスして予約するなど到底無理であった。
   従って、私の場合には、思い立ってぶっつけ本番でストラトフォードに行くことが多くて、普通は、事前に電話を入れて空席を確認して出かけることにしていたのだが、一度だけ、予約せずに直接ボックス・オフィスに出かけてチケットを手に入れたことがあった。年末の30日で、どうせ空席が多いであろうと高をくくったのだが、運悪く満席であって、幸い早かったのでキャンセルが出て、1枚チケットが手に入って、「ウィンザーの陽気な女房たち」を楽しむことが出来た。ロンドンでは、年末年始は劇場は比較的空いているのだが、ストラトフォードは観光のメッカ、それを忘れていた。開演前に隣の席の紳士が話しかけてきた。私の席は、彼の妻の席で、クリスマス前に亡くなったのでキャンセルした、比較的良い席で、生前は夫婦一緒にシェイクスピアを楽しんでいたのだと懐かしそうに語っていた。

   さて、今回は、ストラトフォードでのホテルについて、書いてみたいと思う。

   スワン劇場の向かい側、道路を隔ててアーデン・ホテルがある。古風でこじんまりしたホテルで、玄関へのアプローチは、色とりどりの花が咲き乱れていて、スワン劇場とマッチした茶色の煉瓦造りの建物が美しい。土曜日で、「ヴェニスの商人」と「リア王」を昼夜観る機会を得て、夜の「リア王」が長時間なので、ロンドンへ車で帰るのも遠いので、一泊しようと思ってフロントに駆け込んだが満室であった。尤も、当日は、雰囲気のあるホテルはことごとく満室で、仕方なく、深い霧の中を車を走らせて深夜遅くキューガーデンに帰った。

   別の日には、予約を入れて置いて、劇場から少し離れた中心街のシェイクスピア・ホテルに泊まった。この時も「リア王」を聴いたのだが、旧市街にある何百年も風雪に耐えた高級ホテルなので、床など傾いて軋んでいて、まさに歴史を色濃く感じさせてくれる雰囲気は、シェイクスピア観劇の余韻が残っていて中々良いものである。狭い踏み込みそうな暗い廊下を歩いていると、シェイクスピアの登場人物とすれ違っても気づかないかも知れない。ヨーロッパを旅すると好んで最古のホテルを探して泊まるのだが、階段の踏み面が大きくすり切れていたり床や柱が大きく傾いていたりする古い木造のホテルに泊まると、いつも、昔の人と隣り合わせに生活しているような錯覚に陥る。このホテルの部屋の名前は、総てシェイクスピア戯曲と関係があって、この時の私の部屋は、「ヴェニスの商人」であった。
   

   「テンペスト」を聴いたときには、街から数キロ離れた郊外のシャトウホテル「ビレスリーマナー・ホテル」に泊まった。大きな古い領主の館をシャトーホテルに改装したもので、内装は勿論、家具調度などもそのまま転用されていて中々雰囲気がある。普通、夕食は、このホテルで取ることになるのだが、この日は、劇場で予約を入れていたので諦めざるを得なかった。
   その前の夏休みに一週間ほど、スコットランドのシャトウホテルを行脚したので、その思い出を記すと、
   必ず、ネクタイ、ジャケット着用で、正式なディナーを頂くことになる。豪華なリビングルームで食前酒を楽しみ、人心地付いたところで、豊かなダイニングルームに案内されてフルコースのディナーを取り、再び、リビングルームに戻って食後酒やコーヒーを楽しむ。ピアノや室内楽の演奏があることもあって、雰囲気を盛り上げる。
   スコットランドでは、五カ所ばかり、ほんの短期間ではあったが、英国貴族の雰囲気を味わうことが出来た。このようなシャトーホテルは、岬の突端にあったり、荒涼とした荒野にあったり、山の中の鬱蒼とした森の中にあったり、とにかく、辺鄙なところにあって、旅情を誘ってくれるが、寂しい。
   尤も、ストラトフォードは、やはり観光地で、最初に泊まったのは、中心街から南へ10キロばかり離れた郊外のビクトリア朝のゴチック様式の大きな領主の館「エッチング・パーク・ホテル」で、ここは、何処へ行くのも便利で、昼間、街へ出て散策したりショッピングしたりする以外は、終日、このホテルでゆっくりしていた。

   スペインには、古城を改装したパラドール・ホテルがあって、パラドール デ グラナダなど予約を試みたが、勿論、キャパシティが限られていて不可能であったが、ヨーロッパでは、そんな歴史的建造物に泊まって旅情を楽しむのも良いと思って、尋ね歩いたのだが、あの頃が無性に懐かしい。

   他にも、ストラトフォードには、フッと、路地裏からシェイクスピアが飛出してきても不思議に思えないような懐かしささえ感じさせてくれるホテルの思い出などもあるのだが、長くなったのでこれで置く。
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(26)ストラトフォード・アポン・エイボンでシェイクスピア戯曲を その1

2021年06月21日 | 欧米クラシック漫歩
   ロンドンでのシェイクスピア観劇について書いてきたが、今回は、シェイクスピアの生誕地であり、RSCの本拠地であるストラトフォード・アポン・エイボンでの思い出について綴ってみたい。この記事は、ロンドンから帰国した1993年秋の備忘録からの書き起こしなので、随分前の話になるが、私自身のシェイクスピアの故郷での貴重な経験なので、非常に懐かしい。

   まず、RSCの劇場であるが、この街には、ロイヤル・シェイクスピア劇場とスワン劇場とジ・アザープレイスの3館がある。ロイヤルは、大劇場でシェイクスピア劇専用に近いが、他の小劇場の2館は、シェイクスピア以外の古典劇も上演している。

   メインのシェイクスピア劇場は、広々とした開放的な公園に面し、木漏れ日が美しいエイボン川のほとりの堂々たる大劇場で、クラシックな雰囲気のストラトフォードの町並には一寸違和感を感じさせるが、本拠地であると言う存在感であろうか、堂々とした佇まいが興味深い。
   この劇場はシェイクスピアの聖地でのメイン劇場であるからフォーマルな感じがするのだが、少し観光ずれしている嫌いがあって、通い詰めていたロンドンのバービカン劇場のRSCの劇場の方が、本当にシェイクスピアを楽しみたいファンが来ているような雰囲があったような気がしている。
   公園に面した玄関を入ると、横長のフォイヤーが伸びていて、ほんの10数メートル歩くと扉があって、平土間の客席に入る。劇場は、何処にでもある現代的な大劇場である。フォイヤーの右端にギフトショップがあって、反対の左側の階段を上ると、二階にボックスツリー・レストランがある。入り口を入ったところは、普通のレストランだが、エイボン川に面したテラス席は、開放的で外の景色が美しくて非常にシックなレストランである。特に、夏の晴れた日には、開演前、雰囲気をエンジョイしながら、ゆっくりとディナーを楽しんで、そのまま、階下に下りれば、シェイクスピア劇を満喫できるのであるから、非常に便利である。勿論、それ程高級なレストランではないが、5000円程度で、前菜から、メイン、デザート、コーヒーまで楽しめるのであるから、私などよく利用した。
   

   私が好きな劇場は、ロイヤル・シェイクスピア劇場の裏側に接して正面は町の方に向いているスワン劇場である。古風な概観で、壁面のファサードには、彫刻が施されているなど凝っていて、茶色の煉瓦造りの風格のある建物である。外観は、舞台部分は方形で、客席部分は半円形になっている。ファイヤーはこじんまりとしたクラシックな感じで、劇場に入ると、木組みが鮮やかで、舞台も客席も全く木製のシンプルな佇まいで、シックなムードが素晴らしい。
   舞台前方が、平土間の殆ど中央近くまで飛出していて、床の高さも客の目の高さよりも少し低いくらいで、その一階部分を二層の角張った馬蹄形の客席が囲んでいる。屋根がなければ昔サザックにあったグローブ座に近いと思われ、バービカンにあるもう一つのシンプルなシェイクスピア劇場ピットも、この劇場のように、日本の田舎の小屋がけのような簡素な雰囲気が残っていて中々良い。この劇場で観た古典劇カントリー・ワイフが印象に残っている。

   もう一つの劇場ジ・アザープレイスは、入ったことがないので分からない。
   

   ストラトフォード・アポン・エイボンの中心街は、これらの劇場から少し離れているので、開演前や幕間には、前の公園で時を過ごすのが良い。グリーンの芝生に、色とりどりの花々が英国式花壇に映えて美しく、川面に浮かぶ白鳥の白、それに、一斉に芽吹く落葉樹の若芽が目に染みる頃など、散策するのが楽しい。
   ストラトフォードの街全体がシェイクスピアを中心とした観光地だが、劇場から離れて街並みに入ると、古いイギリスの面影が随所に残っていて、タイムスリップした感覚に襲われる。大通りに沿っても、路地裏に迷い込んでも、沢山の工夫を凝らした洒落た店が並んでいて、シェイクスピアと全く関係なく、そんな街の雰囲気やショッピングを楽しむためにやってくる観光客も多い。
   ほんの五分も歩けば街外れに出てしまう、そんな小さな街だが、この町には、イギリスがぎっしりと詰まっている。
   シェイクスピアは、この故郷の町とその近郊、そして、ロンドン以外は行ったことがないと言う。シェイクスピアは、色々な異国や色々な時代を舞台にして36の戯曲をかいているのだが、結局は、このシェイクスピア・カントリーを軸として、素晴らしい多くの作品を作ったと言うことであろうか。
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デヴィッド・ウォルシュ 著「ポール・ローマーと経済成長の謎」

2021年06月20日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   
   この本のタイトルは、Knowledge and the Wealth of Nations: A Story of Economic Discovery
   「知識と国民の富 経済的発見の物語」と言うことであろうか、アダム・スミスから、ノーベル経済学賞受賞者ポール・ローマーの画期的な経済成長論「内生的発展理論」までの軌跡を綴った経済発展の経済学史と言えようか。

   ポール・ローマーは、技術革新を経済成長論に取り込んだことで2018年にノーベル経済学賞を受賞した。このローマーの経済成長論への推移を縦糸に、アダム・スミス『国富論』以来の「謎」として残された収穫逓増の「ピン工場」と収穫逓減の「見えざる手」の矛楯から説き起こして、その後の経済学における、この「収穫逓増」と「収穫逓減」の対立をめぐる経済成長論の変遷を横糸として、壮大かつ克明な経済学史を綴っている。

   経済成長理論は、1960年代にはマクロ経済学で隆盛を極めた分野だが、1970年代以降は景気循環論が主流となっていた。ところが、ローマー教授が1986年に有名な論文“Increasing Returns and Long-run Growth”をJournal of Political Economyに発表して以降、経済成長論は再び脚光を浴びることになる。
   ロバート・ソロー教授の経済成長理論への貢献に対して、ノーベル経済学賞が贈られているが、このソロー教授の成長モデルでは、経済成長をもたらす3つの要因(資本、労働、技術進歩)のうち、技術進歩は経済主体の意思決定のリストには含まれておらず、新たな技術のアイデアによって生産技術が上昇するとして、「ソロー残差」と称していた。技術進歩率、または全要素生産性(TFP)上昇率は研究開発投資によって上昇するといったことが確認されてはいたが、研究開発投資による知識の蓄積によって長期的な成長率が変わってくるというマクロ経済学的な結論は、得られていなかったのである。
   ローマー教授の最大の功績は、この外生的とされていた技術革新が経済主体の意思決定の中で決まるという形の、技術革新を内生化した経済成長モデルを、構築したことにある。この技術革新の要因としては、さまざまなものがあげられ、研究開発の蓄積による技術知識、研究者に蓄積された知識でもよく、技術革新が経済成長にとって非常に重要であることは、ソロー教授のモデルでもローマー教授のモデルでも同様なのだが、ソロー教授は、技術革新による成長が経済の体系内でコントロールできないのに対し、ローマー教授のモデルでは、経済の体系内の意思決定によって技術革新を通して経済成長率をコントロールできるとする。このことから、ローマー教授が提示した成長モデルは「内生的成長理論 Endogenous growth theory」と呼ばれる。

   ローマー・モデルがソロー・モデルと異なるもうひとつの点は、経済成長が減速しない、すなわち成長率が下がっていかない収穫逓増という点である。ソロー・モデルでは、資本の限界生産力逓減がはたらくため、1人当たりGDPは長期的には一定の水準に落ち着く。しかしながら、ローマー・モデルでは、研究開発や人材投資によって得られた知識は、ほかの生産要素に置き換えることができないため、知識を蓄積していっても生産への貢献度が低下することがないため、経済は一定の1人当たりGDP成長率を維持し続ける
   発展途上国間では経済成長率の格差は非常に大きい。ローマー教授の成長モデルの場合は、技術進歩に影響を及ぼすさまざまな要素の(研究開発、人的資本など)配分が異なることで、長期的な生産性上昇率の違いや1人当の所得上昇の差が生じ、この各国の長期的な経済成長率の違いを、教育による人的資本の蓄積、研究開発投資による知識の蓄積等で実証的に検証されている。競争過程を通したヨーゼフ・シュンペーターの「創造的破壊プロセス」を取り入れた内生的成長モデルや、経済社会制度の選択が経済成長に及ぼす影響を考察した成長モデルなど発展途上にある。
   内生的経済成長モデルは、現在の経済に対して、成長戦略の基礎となる理論として捉えて、どのような要素に資源を投入していけば、より生産性を向上させ、高い経済成長率を持続させて長期停滞を脱するかその指針ともなり、技術に関する知識やアイデアなどの無形資産が、新たな技術革新を起こし、生産性を向上させ、長期的な経済成長につなげる役割を果たしている。このような技術革新のプロセスは、まさに米国におけるICT革命とデジタル革命が、GAFAを生みだしたと言えよう。

   さて、このデヴィッド・ウォルシュ 著「ポール・ローマーと経済成長の謎」だが、650ページを越える大著ながら、私見としては、何故、ローマー理論を説くのに、これだけの紙幅を割いて詳細に論じなければならないのか、
   それに、翻訳にも問題があろうか、回りくどくて良く分からないので、以上の纏め文章は、殆ど他の文献を参照して書いており、巷間の好評レビューとは違って、良い印象はない。

   それに、もう一つ、無知を承知で言わせて貰えば、ローマーの業績は評価するが、経済学的理論としては、確立していないかも知れないが、このような経済発展理論は、すでに、1世紀近くも以前に、ヨーゼフ・シュンペーターが、「創造的破壊」をメインにしたイノベーション論で経済発展の理論を展開して、殆ど言い尽くしており、実業の世界では、既知であり常識である。このローマー論も、経済学が付いて来れなかっただけで、概念的には、このシュンペーターの経済発展理論から殆ど一歩もでていないと思っている。
   セドラチェクが、数学偏重の経済学を痛烈に批判していたが、純粋経済学の埒外なのか、ガルブレイスの経済学が軽視され、経営学では、最も偉大であった筈のピーター・ドラッカーが、経営学界から無視され、学会や大学などから正当に評価されなかったのと同じで、学問とは何なのか、象牙の塔に疑問を感じている。
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映画「シェイクスピアの庭」

2021年06月19日 | 映画
   HPの冒頭に、
   ”ケネス・ブラナー悲願のプロジェクト 不朽の名作を生み出した文豪シェイクスピアの晩年をついに映画化”
   シェイクスピア役者として最高峰のケネス・ブラナー監督主演の映画「シェイクスピアの庭」である。
   ブラナーのシェイクスピアの舞台に接したのは、ロンドンでRSCの「ハムレット」だけだが、ブラナーの映画は、DVDを含めて「ヘンリー五世」「から騒ぎ」「ハムレット」や主演の映画などを鑑賞しており、著書「私のはじまり ケネス・ブラナー自伝」も読んでいるので、親しみを感じている。

   ”演出・出演をした『冬物語』で幼い息子を失ったリオンティーズを演じたブラナーは、先ず、シェイクスピアと彼の夭逝した愛息ハムネットとの関係をリサーチしたという。49歳という若さで執筆活動を引退したシェイクスピア。「何故、こんなに才能に溢れた男が早くに引退したのだろう?」というブラナーの抱いた疑問から本作は生まれた。”という。
   したがって、この映画は、1613年、「ヘンリー八世」の上演中に舞台用の大砲撃ちが失敗して、木の梁や茅葺き屋根に点火してグローブ座が全焼してしまった。それをきっかけに、ウィリアム・シェイクスピアは引退を決意し、故郷のストラトフォード=アポン=エイヴォンに帰った。引退したシェイクスピアが亡くなるまでの3年間を主題にしている。
   風来坊のように故郷を出奔して20年以上の間、ほとんど帰らずに、顔を合わせることのなかった主人の帰還に戸惑う妻と娘たち、そして、田舎町の常連たちの対応、
   1582年11月29日、18歳のシェイクスピアは既に3ヶ月の身重の26歳の女性アン・ハサウェイと結婚し、すぐに、長女スザンナが生まれ、1585年に、長男ハムネットと、次女ジュディスの双子が生まれたのだが、その後、故郷を離れて音沙汰なく、時たま帰ってきたり仕送りはしていたようだが、芝居一途の生活を送り、適当に浮名を流して入れ込むが、可哀想なのは、アンと子供たち、
   その辺りの心の行き違いや人生の思いへの激しい落差がビビッドに美しいストラトフォード・アポン・エイボンの田園風景をバックに描かれている。
   しかし、シェイクスピアにとって一番知りたかったのは、17年前に9才で幼くこの世を去った最愛の息子ハムネットの死であり、悼むために、妻アンの導きで庭を造る決心をする。
   ハムネットが、シェイクスピアを感激させていた詩は、実は、姉のジュディスが詠んで口述筆記させていたもので、父シェイクスピアに褒めて貰いたい一心のハムネットは苦に病んで入水、シェイクスピアが真実を問い詰めても、アンは流行っていた疫病で亡くなった、運命だと言い張る。
   「真実の愛はすぐそばにある」、ハムネットの庭で、シェイクスピアに、妻アン、長女スザンナ、次女ジュディスとその子供たち家族が、あたたかく寄り添うラストシーンが感動的である。

   さて、途轍もなき栄光を捨てて故郷へ帰ってきたのは、飽きたからだと、ブラナーは語っている。
   All the world’s a stage, And all the men and women merely players. この世は、舞台。男も女も、登場しては消えてゆく役者に過ぎない。
   最後の憩いのステージを、人間らしく家族との安らぎの場で終りたいというシェイクスピアの希いであろうか。
   
   キャストは、次の通り。
   監督:ウィリアム・シェイクスピア: ケネス・ブラナー - 引退した劇作家。
   アン・ハサウェイ: ジュディ・デンチ- ウィリアムの年上の妻。
   サウサンプトン伯爵: イアン・マッケラン- ウィリアムのパトロン。
   スザンナ・シェイクスピア: リディア・ウィルソン - ウィリアムの長女。
   ジョン・ホール: ハドリー・フレイザー - スザンナの夫。医師。清教徒。
   ジュディス・シェイクスピア: キャスリン・ワイルダー- ウィリアムの次女。
   トム・クワイニー: ジャック・コルグレイヴ・ハースト - 酒などの貿易商。プレイボーイ。ジュディスの夫に。

   鼻を高くして額を広くしたメイキャップのブラナーの姿や仕草など芝居の総ては、ブラナー自身のシェイクスピアのイメージなのであろう。
   人間国宝とも言うべき超ベテランの英国俳優DBEの
   デイム・ジュディス・オリビア・デンチとサー・イアン・マーレイ・マッケランの、燻し銀のような滋味溢れる渋い演技が光っている。
   
   

   脚本:ベン・エルトン、撮影:ザック・ニコルソン、美術:ジェームズ・メリフィールド、衣装:マイケル・オコナー、音楽:パトリック・ドイル
   この映画のタイトルは、「ALL IS TRUE」、しかし、エルトンの脚本は、かなり、創作が入っていると思うのだが、劇作家シェイクスピアとは違った生身の人間シェイクスピアを描き出そうとしていて、その息遣いさえ感じさせてくれる。
   カメラワーク・映像の美しさは、流石で、ストラトフォード・アポン・エイボンの美しい田園風景や田舎町の佇まい、それに、僅かに差し込む外光や室内灯に浮き上がった薄暗い古風な室内の雰囲気など、いやが上にも、懐かしさを催させる。

   私は、RSCの公演を鑑賞するために、随分、ストラトフォード・アポン・エイボンを訪れており、シェイクスピア ホテルなど、シェイクスピア当時の雰囲気を持っているホテルに泊まっていたり、イギリスは勿論ヨーロッパ各地でも、古色蒼然とした歴史の古いホテルに好んで泊まっていたので、この映画の醸し出す雰囲気は、涙が零れるほど懐かしくて胸に染みる。

   素晴らしい映画でありながら、見過ごしていた。WOWOWで録画鑑賞したのである。
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わが庭・・・梅ジャムを作ってみた

2021年06月17日 | わが庭の歳時記
   今年は、温かいのか、梅の実の完熟が早くて、わが庭の梅の実は、殆ど落果してしまっている。
   毎年と比べて、二週間ほど早く、梅酒と梅ジュースは仕込んだのだが、残っていた完熟梅を利用しようと思って、梅ジャムを作ることにした。
   
   梅ジャムは、要するに、梅の実を煮て潰して砂糖と混ぜるという単純な作業をすると言うことだが、インターネットを叩けば、沢山のレシペが出てきて、決定版と思しきものがなく、どれが良いのか悩む。
   最も手間暇が掛からなくて簡単なのを探したら、【梅ジャムレシピ】梅を冷凍すれば30分で完成!とろ〜り美味しい
   と言うのが出てきた。
   ニチレイの「冷凍で食を豊かに ほほえみごはん」のコラムの吉田瑞子さんのレシペである。
   先日、梅ジュースを作るときにも、この冷凍庫一晩保存法を使って便利であったので、これを試みた。(口絵写真は、この記事から借用)

   完熟梅のヘタを綺麗にとって洗い、ひと晩冷凍する。鍋に冷凍梅と半分の砂糖を入れて中火で煮る。梅肉がトロトロに溶けたら火を止め、種を取り除く。残りの砂糖を入れ、15~20分ほど弱火で煮込む。熱いうちに瓶につめてふたをする。
   私の場合は、梅800g グラニュー糖800gを使って、この作業を遂行して、約1時間弱。
   厄介であったのは、種を取り除く作業で、先年のレシペでは、煮あげた梅を手で握り潰して果肉を分離したのだが、これで良かったのかも知れないと思っている。
   前のは、一寸甘酸っぱい大人の味の梅ジャムが出来上がったが、今年は少し甘さが増した。
   日頃、朝食に使っているスコーンのジャムはブルーベリーなのだが、時々、この梅ジャムに代えようかと思っている。

   さて、仕込んだ梅酒と梅ジュースだが、梅が浮き上がって、角砂糖も溶けて透明でクリアな液体が瓶の下に広がっている。
   ジュースは、何時、梅を取り去っても良さそうだが、梅酒の方は、少なくとも10月くらいまで、そのままにしておこうと思う。
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(25)ロンドンでシェイクスピア戯曲を鑑賞する その3

2021年06月16日 | 欧米クラシック漫歩
   シェイクスピアのオペラやバレエについて書いたが、やはり、興味深い大作は、ベルディで、それも最晩年に挑戦したという「マクベス」、「オテロ」、それに、「ウインザーの陽気な女房たち」を改題した「ファルスタッフ」である。私は、主に、ロイヤル・オペラとイングリッシュ・ナショナル・オペラでだが、それぞれ、複数回は劇場で観ているのだが、何故か、最も印象に残っているのは、ウィーン国立歌劇場の幻想的で美しい「ファルスタッフ」の舞台である。戯曲の舞台の方は、RSCだが、その度毎に演出が変っていたが、ウィンザーの方は喜劇なので、ファルスタッフのキャラクターや振り付けのバリエーションが面白かった。

   晩年のヴェルディが、悲劇ではなく喜劇に興味を示して、シェイクスピアのタイトルの陽気な女房たちの代わりに、無頼漢のファルスタッフを題名にして、主役を入れ替えて作曲までしたのが興味深い。ここに出てくるサー・ジョン・ファルスタッフやサー・フォードも、紳士のジャンルからは程遠い俗物で、フォード夫人もページ夫人も、いわゆるレイディではさらさらなく、これらの泥臭い生身の人間たちが、恋と欲のドタバタを演じて、最後は笑い飛ばして幕となる。
   エリザベス女王が、ファルスタッフが恋をする芝居が観たいとご所望になったのでシェイクスピアが書いた芝居だと言われているが、徹底的に虚仮にされているのだが、ヘンリー4世やヘンリー5世に登場するファルスタッフよりは、随分血の通った人間的と言おうか、好意的に描かれているのが面白い。
   いずれにしろ、まだ、ところどころ中世の面影が残っているウィンザーの街を歩きながら、どの辺りで、ファルスタッフが陽気な女房たちを口説いたのか、どの河畔で、ファルスタッフがテームズ河に投げ込まれたのか等と考えてみるのも散策の楽しみである。

   さて、観劇記だが、「ロメオとジュリエット」、
   RSCの舞台は、どの場面にも使える大きな幕を壁にしたシンプルなものであった。
   ロメオとジュリエット、乳母、そして、牧師の演技に注目してみていた。ロメオは、ヘンリー4世の舞台で、ハル王子を演じていたマイケル・マロニーで、少し小柄でドスの効いたしわがれ声ながら、若くて溌剌としたロメオを骨太に演じていた、クレア・ホールマンのジュリエットは、美人ではないのだが初々しくて可愛くてイメージ通りの仕草が印象的であった。乳母のシエラ・リードは、そこはベテラン、どこか間の抜けたワンテンポずれた演技が、この悲しい悲劇の救いであった。
  それから、大分経ってから、この戯曲の舞台となったベローナを訪れて、ジュリエットの家と称される館などを訪れて、戯曲の雰囲気を楽しんだのだが、二度訪れていて、一度は、アレーナ・ディ・ヴェローナ、すなわち、ローマ時代の壮大な野外劇場でのグランド・オペラの鑑賞で、「アイーダ」と「トーランドット」を楽しんだ。

   バレエの「ロメオとジュリエット」は、プロコフィエフの作品。
   ロイヤル・バレーで、ジュリエットは、実質的には引退していたナタリア・マカロワだったが、信じられないほど初々しい感動的な公演であった。
   この日の公演は、ロイヤル・ガラで、ダイアナ妃が、グランド・ティアの中央右寄りに座っていて、ブルーのワンピースが映えていた。舞台がはねてもオペラハウスの正面は立錐の余地もないほどの人だかりで、動けないのを幸いに仲間に入って待っていると、ダイアナ妃が出てきて、微笑みながら、ほんの数メートル先でジャガーに乗り込んだ。
   もう一度、ロンドン交響楽団の定期でベートーヴェンの第九のコンサートの時、開演前に少し遅れて劇場に行ったら、ロビーにロープが張られて通路を人が遠巻きにしており、誰が来るのだと聞くとダイアナ妃だと言う。偶々、私の隣に、彼女の親戚がいて「マム」と呼びかけると、ダイアナ妃が近づいてきて、小さな花束を受け取り二言三言。上が銀鼠色で下が黒のツートンカラーの裾の長いワンピースが優雅で、実に美しい。
   実は、この少し前に、ある建設プロジェクトのレセプションで、会場入り口で、お出迎え4人の内の1人で列に並んで握手をして、お話申し上げる機会を得て、儀式中ずっと、ダイアナ妃の真横に立っていたと言う貴重な経験をしている。大きなブロマイドにサインされている間、許されると思って、ご尊顔を拝したが、しとやかで凄い美人であったのを強烈に覚えている。

   ところで、オペラは、ベルリーニのタイトルを替えた、「キャプレッティとモンテッキ」。
   これは、ロイヤル・オペラの公演で、メゾソプラノのアンネ・ゾフィー・フォン・オッターのロメオと、英国の若いソプラノのアマンダ・ロークロフトのジュリエットであった。ズボンもので人気絶頂のフォン・オッターが、実に壮快なロメオを演じて、スターの居ないキャストながら素晴らしい舞台であった。悲劇そのものであるRSCの舞台とは違って、リアルさにはかけるが、音楽で表現する分、それだけ想像と雰囲気で補うので、オペラの場合は、どうしても情緒的で美しく終ってしまう。

   もう一つ、新年になって、バービカン劇場に行って観たのは、RSCのシェイクスピアの「間違いの喜劇」。
   この戯曲は、船の難破で別れ別れになった二組の双子が成人してから出くわして、取り違えられて巻き起こすドタバタ喜劇である。
   ドイツ語圏では、年末年始に、シュトラウスの喜歌劇「こうもり」が、上演されるのが恒例となっているようだが、(私は、ウィーン国立歌劇場で観る機会を得たが、)シェイクスピアの方も、喜劇で笑い飛ばして、新年を迎えるのも趣向であろう。
   この舞台は、サルバトール・ダリの振り付けで、とにかく派手な、しかし、きわめてシンプルであった。三面の壁面は、長屋形式のドアだけで、正面だけメインドアになっていて、これが、邸宅の入り口になったり、教会の入り口になったりして、二幕の芝居が展開される。衣装は、派手な現代風のセビロ、スーツ姿であり、非常にエロチックな娼婦まで登場する。
   シェイクスピア戯曲の場合、舞台が僅かなシーンの展開で、場所や時間が次々と飛んで進行するので、舞台を、オペラや普通の芝居のように固定できないので、とにかく、それに適応した瞬時に舞台転換が可能な、シンプルで多様性のあるセットが必要となる。
   蜷川シェイクスピアは、それを意図して、非常に素晴らしい舞台展開をしているが、やはり、日本の多くの舞台は、大劇場で演じられることが多いので、固定式の派手な舞台セットが多いような気がする。
   私は、初めて、イギリスで、RSCのシンプルで簡素な舞台で、照明やスポットの移動等で展開されるシェイクスピアを観て、やはり、シェイクスピアは聴きに行く戯曲なのだと言うことが分かったような気がしたのである。
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映画「ラ・ボエーム (2008年)」

2021年06月14日 | 映画
   見損なっていた映画の「ラ・ボエーム」(2008年製作/114分/ドイツ・オーストリア合作)が、NHKで放映されたので、鑑賞した。
   私にとっては、映画を観ると言うよりは、オペラを観るオペラを聴くと言うのが目的で、ミミ(ソプラノ) -をアンナ・ネトレプコ、ロドルフォ(テノール) をローランド・ビリャソンが歌うという願ったり叶ったりのオペラ映画なので、大いに期待した。
   監督等、キャスト等は、次の通り、
   監督・脚本:ロバート・ドーンヘルム、指揮:ベルトラン・ド・ビリー、合唱:バイエルン放送合唱団、演奏:バイエルン放送交響楽団
   ミミ(ソプラノ) - アンナ・ネトレプコ: お針子。
   ロドルフォ(テノール) - ローランド・ビリャゾン: 詩人。
   ムゼッタ(ソプラノ) - ニコル・キャベル: マルチェッロの恋人。
   マルチェッロ(バリトン) - ジョージ・フォン・ベルゲン(声:ボアーズ・ダニエル): 画家。

   映画なので、オペラの舞台とは異なって、かなり、雰囲気が違うのだが、実写のリアリズム感は秀逸で、音楽劇と行った感じのストーリー展開が捨てがたい。音楽は、プッチーニそのままだが、やはり映画なので、役者は、マルチェッロなどかなりの人物が入れ替わって、歌は本職のオペラ歌手のアフレコを利用しているのが面白い。
   ミミのネトレプコも、ロドルフォのビリャソンも映画俳優並みに演技が上手く芝居を魅せてくれる。
   オペラなら、指揮者が重要な役割を果たすのだが、映画は、監督が総てを仕切るので、表現の仕方が微妙に変る。
   舞台設定は、METバージョンのゼフィレッリの演出を踏襲している感じで、お馴染みの雰囲気なのだが、定点鑑賞のオペラとは違って、アップで二重写しになったり、急に、映像がモノクロに切り替わったり、巧妙な映像技術の駆使で、視覚芸術としての魅力が増している。
   METのゼフィレッリの演出舞台は、第二幕の豪華絢爛たるクラシックなパリの繁華街の賑わいなど、まさに、パーフォーマンスの極致とも言うべき素晴らしさで、今もそうだと思うが、METでは、何十年も定番舞台として生き続けているのだが、他の演出でも、これに触発されて華麗な舞台展開であるだけに、赤貧洗うが如しの中で必死に芸術を夢見て生き抜いてきたボヘミアンたちの悲劇を浮き彫りにして胸を打つ。

   初めて観た「ラ・ボエーム」は、1970年代に上野でのイタリア・オペラであった。「ムゼッタのワルツ」の印象が強烈だったのか、アントニエッタ・グリエルミのコケティッシュな可愛いムゼッタだけ覚えており、METで何回かゼフィレッリの演出の舞台を観ており、やはり、これも、印象に残っているのは、イタリアの名ソプラノ・レナータ・スコットのムゼッタである。ロイヤル・オペラや他でも、「ラ・ボエーム」は、何度か劇場に行って、あの甘美で痺れるように美しいプッチーニ節に酔いしれて楽しんではきたが、個々の歌手や舞台については良く覚えては居ない。

   私は、結構、オペラを観ていながら、最近は遠のいているので、残念ながら、アンナ・ネトレプコの舞台を直接劇場で観たことがなく、総ては、METライブビューイングでの印象である。しかし、2004年に、小澤征爾音楽塾オペラ「ラ・ボエーム」で、ムゼッタ役を演じたと言うことであるから、小澤オペラは必ず行っていたので、聴いているかも知れない。(このブログは、2005年3月からなので記録は残っていない。)
   Official websiteを開くと、今、ウィーン国立歌劇場で、「マクベス夫人」を演じており、続いて、故郷のマリンスキー劇場でも歌うと言う。
   1971年生まれだから、やっと、50才になったばかりで、世界中のトップ・オペラハウスを総ナメにして、そのレパートリーの広さには舌を巻く。
   この映画の撮影時には、35を少し越えた頃であるから、歌もそうだが、美女の魅力満開である。
   
   

   ロドルフォのローランド・ビリャソン は、このブログの”文化三昧ミラノ・ロンドン旅・・・16 ロイヤル・オペラ、女王陛下の席から「リゴレット」”で紹介したように、素晴らしいマントヴァ公を聴いている。
   第3幕ののアリア「女心の唄」を聴いて、初めて上野文化会館で聴いて感激したパバロッティの歌声とダブってしまって、感激しきりであった。
   2005年に、ザルツブルグ音楽祭に、ネトレプコのヴィオレッタで、アルフレードを歌って喝采を浴びて、続いて、「愛の妙薬」で、ウィーン国立歌劇場で共演しており、この時期、共演の機会があって、この映画が企画されたのであろうか。しかし、ビリャソン は、2007年に、喉の調子を崩し、予定をキャンセルして、2009年に手術を受けているので、映画が撮影されたのは、丁度、その前であったのであろう。
   その後、モーツアルトに精力的に取り組んだらしいが、最近、オペラ出演のニュースがないので、Official websiteを開いたら、
   Directing La Sonnambula at Théâtre des Champs Elysées
   ディレクター・デビューだということである。

   マルチェッロは、歌手が黒衣なので、何とも言えないが、ムゼッタのニコル・キャベルのパンチの効いたエキゾチックでコケティッシュな演技が素晴らしかった。
   特異な魅力を備えた風貌で表情が豊かなので、調べてみたら、
   She is of African American, Korean and Caucasian ancestry, and was brought up in the California beach town of Ventura.As a child, she did not listen to classical music,・・・BBCカーディフ声楽コンクールで優勝した歌手で、イギリスデビュー、
   オペラ劇場で聴きたいと思っている。
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わが庭・・・コンカドール、フェイジョア、アガパンサス

2021年06月13日 | わが庭の歳時記
   ユリが咲き始めた。
   我が庭は、結構、広いのだが、花壇というのがなくて(あったが、潰して花木に植え替えたので)、草花は、植えっぱなしで一切世話をしないので、毎年、自然に芽を出して花を咲かせる。
   このコンカドール、黄色いカサブランカだが、大分、球根が大きく育っているのか、花を咲かせてくれる。
   何十個も球根を庭の花木の片隅に、植えたのだが、生き残っているのは僅かで、何株かは、毎年、忘れずに、すっくと茎を伸ばして豪華な花を咲かせてくれる。
   まだ、何株か大きな蕾を付けてスタンドバイしているが、先日、咲きかけた茎の根元を害虫にやられて、バッサリと折れてしまったので、咲ききるのを願っている。
   
   

   フェイジョアは、植木屋が強剪定してしまったので、今年は、貧弱だが、それでも、特異なエキゾチックな花を咲かせた。
   ブラジルでは、普通の花だと言うのだが、何故か、4年間も住んでいながら全く記憶がない。
   やはり、ブラジルは別天地で、イグアスの滝のジャングルでの鮮やかなブルーの蝶やアマゾンの森の鮮やかなオウム、綺麗な花壇で飛び交うハチドリなど、フェイジョアの花を見ながら思い出している。
   
   

   そして、アガパンサス。
   
   
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(24)ロンドンでシェイクスピア戯曲を鑑賞する その2

2021年06月11日 | 欧米クラシック漫歩
   私が、ロンドンで最初に観たRSCのシェイクスピア戯曲は、「ヘンリー4世 第1部」で、この舞台の印象が強烈であった。シェイクスピアは、決して大劇場で演じられるような華麗な芝居だけではないことを思い知らされたのである。
   この当時は、テームズ河対岸のグローブ座は、まだ姿を現していなかったので雰囲気は良くは分からないのだが、バービカンのこじんまりとした小劇場では、色と欲に突っ張った無頼漢たちの生き様を活写するためには最適で、酒気がムンムン漂った下町の雑踏が似つかわしい。日本の能や歌舞伎の舞台は、虚実皮膜と言うべきか、舞台は美しいし観客に不快感を与えることは少ないが、このシェイクスピアの場合には、写実もいいところで、生身の人間の姿がそのまま演出されており、タイム・スリップして、16世紀のイギリスの田舎町のうらぶれた居酒屋で、教養の欠片もないファルスタッフたちと一緒に酔い潰れて居るような錯覚に陥るほどリアルであった。必要なら、腸を曝け出すこともあると言う実にリアルな舞台に洗礼を受けて、私のシェイクスピア行脚が始まったということである。

   尤も、演出にも依るであろうし、シェイクスピアは、戯曲だけでも、史劇、悲劇、喜劇等バリエーションに富んだ36有余の作品を残している。その後、シェイクスピアの舞台は少なくとも24~5くらいは鑑賞したので、エイドリアン・ノーブルの「冬物語」などメルヘンチックの美しい叙情的な舞台や起承転結の激しいドラマチックな舞台など、流石にシェイクスピアで、奥行きと幅の広さ、戯曲の豊かさに感激し続けたのは、勿論である。

   1980年代の後半であるから、もう、30年以上も前の青臭いシェイクスピア戯曲観劇初期のロンドンでの独白だが、幼稚は幼稚として、懐かしいので、以下に転記しておきたいと思う。

    これまで、日本でもそれほど芝居を観たわけでもないが、ここにきて、芝居をする、演技をすると言うことがどう言うことか、観劇に少し馴染んできたような気がする。舞台では、丁度歌舞伎のように、大きな声で少し大仰な演技をする。台詞にしても、何千人かの総ての客に分かるように喋らなければならないので当然無理が出る。これは、映画やテレビのように、きわめて自然な演技に比べて、全く違っており地で行くわけには行かない。映画やテレビは、沢山の映像の集合でありその編集であるので、やり直しが効き、どの方向からも撮影が可能であるが、芝居は、観客一人一人の個の一方向からの視点でしか見せられない一回限りの一瞬で消えてしまう演技である。その一瞬が勝負で、極論すれば、表情に万感の思いを込めて、時には思想や哲学をも込めて、この芝居がかった演技で、観客を引き摺り込まなければならない。全身をはっての真剣勝負なのである。
   少し後になって、ケネス・ブラナーの「ハムレット」をバービカン劇場へ聴きに行ったが、「To be or not to be, that is the question.」心して聴き入った。
   ブラナー監督主演の映画「ハムレット」を観たのは、その後のことである。

   余談だが、サー・アントニー・シャー(「恋に落ちたシェイクスピア」に出ていた変な腕輪を売りつけた占い師)が、RSCの「マクベス」で来日した時に、正に絶品のイアゴーを演じていたが、終演後のレセプションで会って色々話を聞きながら、次の大役は「オセロー」ですねと言ったら、あの役は黒人など有色人の役者がやることになっていて白人の自分はやれないのだと言っていた。(オリビエのオテロは映像で残ってはいる。)ついでながら、真田広之が道化で出演しナイジェル・ホーソーンなどイギリス人ばかりで演じたRSCのニナガワ「リア王」は、何故だったのか理由は聞けなかったが、一寸納得できないと言っていた。

   舞台俳優出身の役者が、映画やテレビに出ることが多いが、実に上手いと思う。映画出身の俳優との差は、このような藝の積み重ねの差のように感じている。栗原小巻はファンだったので、「肝っ玉おっ母とその子どもたち」など劇場にも行ったし、ロンドンで蜷川幸雄のマクベス夫人も観たが、あのような舞台での演技があって、寅さんの小巻があるような気がする。第36作の「男はつらいよ 柴又より愛をこめて」で、マドンナの小巻が、平凡なロシア語学者と結婚すると決心したときに、空を仰いで、「もう、身を焦がすような恋とも・・・」と独白するシーンがあるが、これは、舞台女優としての小巻の演技であって、なぜか、妙に忘れられなくて印象に残っている。

   イギリスでは、ローレンス・オリビエやリチャード・バートンなど多くの名優がシェイクスピア役者からスタートしている。また、このようなバックグラウンドの英国人が、ハリウッドの映画俳優のかなりを占めている。
   RSCの公演に通い詰めていて、シェイクスピア役者が、芝居は勿論、歌も歌えて踊りも踊れる、芸達者であることを知って驚いた。
   このイギリスに於いて、シェイクスピア劇が、オペラやミュージカル、バレエ、あるいは、その他の劇場での演劇や映画やテレビに与えた影響は計り知れず、沢山の素晴らしいパーフォーマンス・アーツのみならず、文化芸術への貢献には著しいものがある。特に感じ入っているのは、イギリス出身のオペラ歌手が、総じて、演技が秀逸で、役者顔負けであることである。

   あのヴェルディでさえ、晩年になって、シェイクスピアに挑戦した。シェイクスピアの戯曲で、オペラやバレエになっている例がかなりある。オテロ、マクベス、リア王、ロメオとジュリエット等々、とにかく、シェイクスピアは、人間にとって永遠のテーマを提供しているのであるから、オペラ作家など芸術家をインスパイアするのは、当然なのであろう。ダンテの「神曲」や、ゲーテの「ファウスト」が、文化芸術に多大の影響を与えたのと同様である。
   観劇記は、次の項にしたい。
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ジャック・アタリ:コロナで観光は富裕層だけのものになる

2021年06月10日 | 政治・経済・社会
   ジャック・アタリが、日経朝刊の”「観光」でうらなう産業の未来”というコラムで、
   我々はコロナ危機から得た教訓を忘れてはならない。新たな疫病のまん延を防ぎ、化石燃料の消費を減らし、文化遺産や自然環境を保護するには特に外国旅行を規制する必要があるということだろう。誰もが気軽に外国旅行に出かけるような以前の観光スタイルは、疾病のまん延や地球温暖化、自然環境の破壊などの原因の一つといえる。いままでの観光スタイルを改めなければ、問題解決のための取り組みは徒労に終わる可能性がある。
   と、述べている。
   さらに、コロナ危機後の観光について考えられるのはまず、「観光を楽しむのは富裕層だけ」という政策になる。正規運賃の航空券を購入可能で、(国や自治体は自然環境や景観などを保護するため、ホテルの部屋を供給制限するので)高額な宿泊費を負担できる人々だけが観光する。ほかには、毎年の上限の人数を設定し、抽選や割り当てによって観光客を受け入れるという民主的な政策がある。例えばパリのルーヴル美術館はこうした政策を選択するかもしれない。ルーヴルが(長期的に)選択すれば、フランス全体の外国人旅行者の人数にも大きな影響をおよぼすに違いない。
   と、畳みかけて、観光は、富裕層のみが楽しむものになるという。
   アタリの論文趣旨は、ホスピタリティの活用についてだが、この観光の大衆化からの後退について考えてみたい。

   私の場合、旅行と現地生活を通じて、特に、ヨーロッパで、1973年くらいから今世紀初め頃までに経験しているのだが、急速に、観光が大衆化したのを覚えている。
   一番顕著なのは、有名な観光スポットで、例えば、グラナダのアルハンブラ宮殿など、1970年代には、いつでも好きなときに行けば、スイスイ入れたし、何時行っても存分に旅情と静寂を楽しめたが、世紀末には、チケット売り場から長い行列が出来て、中に入っても部屋ごとに誘導されて短時間で移動させられた。ウフィッツィ美術館なども同様で、入館自体が至難のわざとなり、イタリアの観光地など、特に、混雑が激しく、予定通り移動など出来なくなってしまった。
   Japan as No.1から凋落して不況下にあった日本とは逆に、中国が台頭しアジアの虎:香港・台湾などが成長を謳歌していた時期で、中国系の観光客がワンサと押しかけていったのだが、ヨーロッパの文化や芸術を鑑賞して愛でると言った雰囲気には程遠かったので、大衆化が極に達したのである。

   ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会のドメニコ会修道院の食堂にあるレオナルド・ダ・ヴィンチの壁画『最後の晩餐』だが、今でも全く幸運だったと思うのは、廃墟の状態下にあった1970年代と、その後の修復期、そして、完全に修復を終えて綺麗になった状態の三回に亘って鑑賞出来たことである。
   そして、今世紀初めに、それまでのローマやナポリ、ミラノ、ヴェニス、ヴェローナなどとは違って、アッシジ、シエナ、ピサに足を伸ばして、田園地帯を電車とバスで歩いたのだが、中世にタイムスリップしたような、懐かしいイタリアを感じて幸せであったが、もう、そんな経験は出来ないであろう。

   いずれにしろ、ヨーロッパに8年間住んでいて、そのクリスマス休暇と夏休み休暇(休まないと秩序を乱すことになる)中に、自分自身の計画とアレンジで、ヨーロッパ各地を気ままに行脚したのだが、随分荒削りの旅だったが、若かったから強行出来たのであろう。写真を見ながら、望郷の思いである。
   やはり、異国の旅は、足腰がしっかりしていて頭が冴えている若い元気なときにこそ、やるべきだと思っていて、今なら、こんなヨーロッパ旅行は無理であろう。孫娘の幼稚園への送り迎えが終って自由になった来年春に、せめても、ニューヨークへ行って、METでオペラに通って、メトロポリタン美術館などに沈没して芸術鑑賞に明け暮れて、できれば、我が学び舎フィラデルフィアへのセンチメンタル・ジャーニーをしたいと思っているのだが、体力次第であろうか。
   
   ところで、アタリの言う観光の大衆化と、観光を楽しむのは富裕層だけと言う見解だが、既に、観光は思い出の彼方にある私にとっては、どっちでも良いことで、時代の流れで推移することである。
   米アマゾン・ドット・コムCEOのジェフ・ベゾスが、自らが創業した宇宙開発企業ブルーオリジン初の有人宇宙船「ニューシェパード」に搭乗して宇宙旅行に出発すると言うことだが、同時に宇宙船のチケットは1枚だけ、オークションで取引されており、現時点で入札価格は350万ドルだと報じられている。
   観光もカネだというアタリの見解には、嫌な予感がするが、昔の旅が懐かしい、
   京都での学生時代には、詩仙堂の3階の狭い小部屋にも入れて庭を鑑賞出来たし、嵯峨野の祇王寺も滝口寺も、鬱蒼とした森の中を踏み分けて訪れた。詩情豊かな世界が濃厚に残っていたのである。

   さて、話は関係なく飛ぶが、
   国立能楽堂で7月27日から8月3日にかけて公演される”東京2020オリンピック・パラリンピック能楽祭 ~喜びを明日へ~”は、能狂言の各流派の宗家や人間国宝などトップ能楽師が出演する、翁や道成寺など極めつきの記念公演なのだが、本来なら、今日の予約解禁日の10時には、瞬時にソールドアウトになってしかるべきチケットが、夜になっても、全公演でかなり残っている。
   これも、アタリ現象であろうか。
   昨年の2月から東京の劇場へは、一度も行っていないし、行けるかどうかも分からないのだが、コロナのワクチンも打ち終わった後だしと思って、一演目だけ予約を入れた。
   9月頃から、観劇を少しずつ初めてみたいと思っている。
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