熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立劇場初春歌舞伎~「三人吉三巴白波」「奴凧廓春風」

2012年01月22日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   初春の国立劇場の歌舞伎は、河竹黙阿弥の作品で、三人吉三は全編通しの狂言であり、奴凧の方は82年ぶりの復活上演と言うのであるから、非常に熱の入った密度の高い舞台で、楽しませてくれた。
   三人吉三は、大体、序幕の「大川端庚申塚の場」だけ演じられることが多く、三人の白波・悪党が勢ぞろいする舞台に人気があるのだが、乙女姿のお嬢吉三(福助)が、夜鷹・おとせ(高麗蔵)から百両を奪って川に突き落とし、その後で、謡うように語る「厄払い」の台詞が有名である。
   これまで、色々な役者の三人吉三を見て来たが、本来の、役者を揃えて見せる舞台を演出する従来のものよりは、幸四郎の和尚吉三、染五郎のお坊吉三、それに、この福助のお嬢吉三は、物語的にも、非常にバランスの取れた適役だと思っている。

   お嬢吉三がポーズを取って身構えると、待ってましたとばかりに、観客は、河竹黙阿弥の流麗な美文調の台詞を拝聴して感激する。
   ”月も朧に 白魚の 篝も霞む 春の空 冷てえ風に ほろ酔いの 心持ちよく うかうかと 浮かれ烏の ただ一羽 ねぐらへ帰る 川端で 竿の雫か 濡れ手で粟 思いがけなく 手に入る百両 ・・・”
   正月14日の節分の夜のこと、舞台後方に14夜の月がかかっている。

   百両を持った客・手代十三郎(友右衛門 実はおとせの実兄)が、夜鷹と遊んで百両を落として、それを返しに夜鷹が歩き回ると言う冒頭の話からおかしいのだが、この芝居は、単なる盗賊たちの白波ものには終わらず、義理人情や人間の業・宿命など、この百両の他に、将軍からの預かりもの・庚申丸と言う刀が絡んだどろどろした入り組んだ人間模様が描かれていて、今回のように、通し狂言で見ないと理解し難いし、たとえ、全部見ても複雑で良く分からないと言うのが正直なところであろうか。

   私が面白いと思ったのは、三人の白波たちの義兄弟の契りの関係や、二人の双子の兄妹の愛に対する当時の道徳観なのだが、このあたりの因果は、後半の第3幕の巣鴨在吉祥院本堂と墓場の場で、語られている。
   まず、おとせと十三郎は、和尚吉三の実の弟妹なのだが、双子は縁起が悪いと言うので弟は貰い子として捨てられたが、その後、百両を落として身投げしたのを偶然にも、土左衛門伝吉(錦吾 実父)に助けられ、同居している間におとせと恋に堕ちる。
   ところが、この兄妹が夫婦になると言うのは近親相姦で、当時の道徳から言えば「畜生道」の罪悪で、許されるべき罪ではなく、それを知った伝吉と和尚吉三は苦悶する。
   思い余った和尚吉三は、追われている義理ある義兄弟二人を捕まえて差し出すよう役人と約束したので、身替りに死んでくれと拝み倒すふたりを、吉祥院うらの墓場で手にかける。

   この場合、和尚吉三は、二人の弟妹には、二人が実の双子兄弟であり近親相姦の畜生道にあるとはあまりにも悲惨故口に出せずに、おとせの金を取ったのはお嬢で、伝吉を殺したのはお坊であり、二人はお前たちの仇であり、必ず仇を取ってやるが、二人を助けなければならないと言う義兄弟への義理を通さねばならないので、死んでくれと説得するのだが、
   義兄弟のお坊とお嬢からは、何故、無惨にも弟妹を殺したのかと詰問されて、畜生道に落ちた弟妹を手にかけたのは、兄貴の慈悲だと説明する。
   この前に、和尚吉三の述懐を隠れて聞いていたお坊とお嬢が、おとせから百両を取ったのはお嬢で、実父伝吉を殺したのはお坊だと言うことが和尚に分かってしまったのを知って、和尚に義理が立たないとして二人で切腹を試みようとするのだが、そのことも含めて、当時の義理の重さとアウトローの掟と言うものに触れて、一寸、江戸時代を感じていた。
   そんな悪党たちでも、死を前にすると、自分のこれまでの人生や親への思いを吐露するところなど、黙阿弥は、七五調の流麗な台詞で語らせていてしんみりとさせる。

   ところで、最後の「本郷火の見櫓の場」では、偽首がばれて追い詰められたお坊とお嬢が、捕り手を相手に立ち回り、そこへ、和尚が合流して、結局、そこへ、実直な八百屋の久兵衛(寿猿)が通りかかったので、庚申丸と百両を託して後事を頼む。
   久兵衛は、お坊の実家安森家出入りの八百屋であり、庚申丸を届けてお家再興を願い、百両は金貸しに返すと言う寸法。物語は、もうこれまでと、三人は、三つ巴になって刺し違えて果てるということらしいが、舞台は、雪の降りしきる火の見櫓の前での捕り物の見得で終わる。
   この最後の幕切れだが、やはり、女形の福助の流れるような綺麗な立ちい振る舞いが優雅で美しいのが、印象的であった。
   
   ところで、この芝居は、あっちこっちで、八百屋お七の物語が見え隠れしていて、実際に和尚たちが住んでいるのも吉三郎の居た吉祥院であり、お七を名乗っていたお嬢が、最後に火の見櫓に上って鐘を打つ。
   刀を盗まれてお家断絶と言うのも、定番のお芝居ネタ。
   河竹黙阿弥の芝居は、上手く偶然を絡ませて入り組んだ人間関係を器用に錯綜させながら、人間の義理人情、喜怒哀楽、悲しさ虚しさなどを、底辺のぎりぎりの生活に蠢く人々の生き様を展開しながら、舞台を作り上げている。
   時代の変化で、話の筋にも違和感が拭えないのだが、それを、歌舞伎の伝統と様式美、それに、巧みな人物表現や風俗、情景描写などで、魅せる舞台にしていて、楽しませて貰った。

   「奴凧廓春風」は、染五郎が、福助の大磯の虎を相手に曽我十郎の華麗な舞台、空に舞い上がる奴凧でくるくる回転しながら演じる中空での奴さん、暴れまわる大きな猪を相手に大立ち回りで退治する富士の仁太郎の3役を熟すと言う奮闘ぶりで、正月らしい華やかな舞台で、観客を魅了する。
   幸四郎に連れられて奴凧を持って国立劇場初登場の金太郎が、可愛くて凛々しい姿を見せて、お客さんは大喜び。
   高麗屋三代が揃った舞台で、ロビーにも、福助が加わった大きな額が掲げられていて、華を添えている。
   
   今回は、特に、役者の演技には触れなかったが、夫々、適役で、幸四郎を座頭にして、染五郎と福助が脇を固めて、非常に密度と質の高い舞台を展開していて、新年のスタートに相応しい舞台であったことを付記しておきたい。
   ロビーには、大きな三人吉三凧と奴凧がぶら下がっていて、壁面には、歌舞伎役者をあしらった沢山の羽子板が展示されていて、新春気分を盛り上げていた。
   国立劇場の良いところは、やはり、ロビーの広さだが、段々、建物の姿を現してきた新歌舞伎座も、ロビーが豊かであればと思っている。
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1 コメント

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傾き  (もののはじめのiina)
2023-02-22 10:11:21
和尚吉三を尾上松緑、お坊吉三を片岡愛之助、お嬢吉三を中村七之助が演じる『三人吉三巴白浪』を観てきました。

はじめて歌舞伎を観た者としては、物語りの詳細は帰って調べて知りました。
そもそも3人の「吉三」登場人物が、みんな過去に何らかの奇縁があるという傾(かぶ)いたストーリーなのですね。

超有名な演目なのですね。^^

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