熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

PS:ジョセフ・E・スティグリッツ「インフレと戦わない方法 How Not to Fight Inflation」

2023年01月30日 | 政治・経済・社会時事評論
   PSのジョセフ・E・スティグリッツ最新の論文「インフレと戦わない方法 How Not to Fight Inflation」が面白い。
   当初から、FRBの金利引き上げは、百害あって一利無しと主張し続けているスティグリッツ教授であるから、
   米国の経済状況を注意深く見ると、インフレは主に供給側の混乱と需要パターンの変化によって引き起こされたのであるから、さらなる利上げはほとんどまたはまったく影響を及ぼさず、それ自体が広範囲に悪影響を及ぼし問題を引き起こすだけである。と言うのである。

   まず、好調な指数だが、インフレが抑制されたかどうかを判断するには時期尚早だとしても、最近の価格急騰から 2 つの明確な教訓が生まれた。
   第一に、経済学者の標準モデル、特に経済が常に均衡していると仮定する支配的なモデルは事実上役に立たなかった。 第二に、システムからインフレを引きずり出すには 5 年間の苦痛が必要であると自信を持って主張した人々は、すでに反論されている。 インフレ率は劇的に低下し、2022 年 12 月の季節調整済み消費者物価指数は 6 月をわずか 1% 上回っただけである。

   今回のインフレの主な原因は、過剰総需要ではなく、パンデミック関連の供給ショックと需要パターンの変化であって、パンデミック支出によって生み出された追加需要ではないことを示す圧倒的な証拠がある。 市場経済を信じている人なら誰でも、それがいつなのかは分からないが、供給の問題が最終的に解決されることを知っている。
   パンデミックによる経済活動の停止とその後の急速な再開に耐えたことはないので、過去の経験に基づくモデルは役に立たないことが判明した。 それでも、市場は下方調整よりも急速に上方調整する傾向があるため、初期のインフレプロセスを即座にまたは完全に打ち消すとは限らないとしても、供給のボトルネックを解消することは、ディスインフレになると予想できる。

   政策立案者は、少なすぎることと多すぎることのリスクのバランスを取り続けているが、 金利上昇のリスクは明らかである。脆弱な世界経済が景気後退に陥る可能性があり、多額の債務を抱える新興国や発展途上国の多くがドル高、輸出収入の減少、金利の上昇という三重苦に直面しているため、さらなる債務危機が発生する可能性がある。
   金利の引き上げは、企業が現在の供給制約への解決策に投資する費用を高くすることにより、利益よりも害を及ぼす可能性がある。FRBの金融政策の引き締めにより、住宅建設はすでに抑制されているが、インフレの最大の原因の1つである住宅コストを引き下げるには、まさに供給の増加が必要である。さらに、住宅市場の多くの価格設定者は、ビジネスを行うためのより高いコストを賃借人に転嫁する可能性がある。 また、小売市場やその他のより広い市場では、金利が上昇すると、現在の価格上昇のメリットと比較して、失われた顧客の将来の価値を評価減するように企業が誘導されるため、金利の上昇は実際に価格の上昇を引き起こす可能性がある。

   確かに、深刻な不況はインフレを抑える。しかし、パウエルと彼の同僚は、経済を犠牲にして楽しんでいるようである。FRBは、 3 兆ドル以上の銀行準備預金残高に 4.4% の利子を払い、年間 1,300 億ドル以上のきちんとした収益を上げさせて、商業銀行の彼らの友人達を盗賊のように振る舞わせている。
   これらすべてを正当化するために、FRB は通常のおかしなことを指摘している。暴走するインフレ、賃金と価格のスパイラル、固定されていないインフレ期待である。 しかし、これらのボギーマンはどこにいるのか? インフレ率が低下しているだけでなく、賃金は物価よりもゆっくりと上昇しており (つまり、スパイラルは発生していない)、期待は抑えられている。 5 年間、5 年間のフォワード期待率は 2% をわずかに上回り、安定しているとは言えない。
   また、2% の目標インフレ率に十分早く戻らないのではないかと懸念する人もいるが、 しかし、この2%と言う数はどこからともなく引き出されてきた数字で、経済的な意味はなく、インフレ率が 2% から 4% の間で変化した場合に経済に大きな負担がかかることを示唆する証拠もない。 それどころか、経済の構造変化と物価の下方硬直化の必要性を考えると、インフレ目標をわずかに引き上げることを勧めたい。と言うから面白い。

   何が起こっているのか、どこで価格が下落したのかを注意深く観察すると、インフレは主に供給側の混乱と需要パターンの変化によって引き起こされたという構造主義的な見方が支持される。 これらの問題が解決されるにつれて、インフレは引き続き低下する可能性がある。
   いつインフレが完全に抑えられるかを正確に判断するのは時期尚早であり、どんな新たな衝撃が私たちを待ち受けているかは誰にも分からない。 しかし、 インフレはそれ自体で大部分は治まる(そして、供給制約を緩和するための政策によってプロセスが加速される可能性がある)と主張する人々は、明らかに高額で永続的なコストを伴う措置を支持する人々よりもはるかに強力な根拠を持っている。しかし、その利益はまだ分からない。

   以上が、スティグリッツ教授の主張であるが、需要サイドの問題なので、ケインジアンの出る幕はないのであろう。
   いずれにしろ、アメリカ経済そのものが、それ程悪くないので、自然と落ちつくところへ落ち着きつつあると言うことであって、表題の「インフレと戦わない方法 How Not to Fight Inflation」が、機能していると言うことであろう。
   ところで、日本だが、円安であろうとサプライチェーンのボトルネックであろうとサプライサイドの問題による急速な悪性インフレであって、政府は為す術もなくメーカーや企業の値上げを容認しており、異常な物価の上昇で国民生活を圧迫し始めている。
   政府の物価上昇以上の賃上げというハーメルンの笛に踊って、経団連も総評も喜々として(?)お題目を唱えているが、日本経済の実情を注視すれば、中小企業など弱小経済はついて行けず、経済格差を益々悪化させて、窮地に追い込むだけである。インフレが4%オーバーだというのに、国民年金を23年度中に68歳以上になるケースで1.9%増ということだが、どの様に生きよと言うことであろうか。
   トリクルダウンなどなくなった時代、弱者を切り捨てる政治から脱却すべきだが、言っても無駄であろう。
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尾上菊五郎、脊柱管狭窄症と言うのだが

2023年01月28日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   メディアが一斉に、「尾上菊五郎、脊柱管狭窄症で療養 「三月大歌舞伎」を休演」と報じた。
   先日、国立劇場公演「遠山桜天保日記」の東山金四郎の舞台を観て鑑賞記をブログしたところなのだが、そう言われれば、颯爽とした筈の白砂のお裁きの時に示す足捌きに優雅さが掛けていてぎこちなかったのを思い出した。菊五郎もご老体であるから仕方がないのであろうと思っていたが、脊柱管狭窄症だとすると、良くあそこまで耐え得たなあと、芸魂に感服する。
   私も同病なので、治療も何もしていなければ、突然襲う痛みの鋭さなどは耐えられないほどきつい筈で、欺し騙し耐えても舞台に立つのは難しいはずだが、まだ、脊柱管狭窄症だと分かっていなかったので、多少軽度だったのであろうか。

   「三月大歌舞伎」で演じる予定だった第二部「身替座禅」の山蔭右京は、尾上松緑が代役を務めるということだが、この山蔭右京は菊五郎の当たり役で、東西切っての絶品の至芸なので、ファンにとっては残念であろう。
   私は、奥方が、吉右衛門と仁左衛門で、菊五郎の山蔭右京を2度観ているのだが、仁左衛門の山蔭右京の舞台などもレビューしているのでお読み頂ければ有り難い。それに、この歌舞伎の「身替座禅」のオリジナルである狂言の「花子(はなご)」を、二人の人間国宝である野村萬の吉田某、山本東次郎の奥方で、一度だけ観たことがあるのだが、芝居っ気を削いだ透徹した芸術的な舞台で、華やいだ歌舞伎の舞台とは好対照で、古典芸能の芸の奥深さを感じた。

   ここでのトピックスは、菊五郎の芸ではなくて、脊柱管狭窄症のことである。
   前にも書いたが、わが脊柱管狭窄症対策が、今でも有効なので、書いてみたい。
   もう、5~6年前になるのだが、急に足腰に痛みが走ったので、心配になって観て貰ったら脊柱管狭窄症だと診断されて、神経が脊柱管で狭窄状態になっているレントゲン写真を見せられた。
   それまで、足腰が痛くなると、「セレコックス」と言う痛み止めの錠剤を飲んでいてすぐに治ったのだが、この時には、一向に効き目がなくなり、薬を強化しても治らず、コルセットを嵌めるなど医者の指示に従ったが、何回病院に通ってもレントゲンを撮ったり検査するばかりで、治療と言えば痛み止めの処方を継続するだけであり、悪化すれば手術をすれば良いと言う。
   この病院は、鎌倉屈指の総合病院なのだが、手術など以ての外なので、この病院に見切りを付けて他の治療法を探すことにした。

   ずっと若い頃に腰痛で悩んだことがあり、この時は、コルセットと体操で治ったので、人体には自動的な治癒力があることを学んだので、その方法がないかと考えたのである。
   新聞には、脊柱管狭窄症に関する雑誌広告が満載だし、インターネットを叩けば冒頭のページからその治療方法の成功記事が表われるなど、派手な脊柱管狭窄症広告のオンパレードだが、私は、完全無視。
   一度、利きそうかも知れないと思って、ピート・エゴスキューの「脅威のエゴスキュー」を買って、エゴスキュー体操を試みたことがある。
   NHKのテレビ体操とを組み合わせて自分なりのメニューで続けた。突発的な痛みや強烈な痛みから解放されて、欺し騙して日常生活には支障がなくなったのだが、しかし、脊柱管狭窄症からは一向に解放されない。

   友人と話していて、強烈な腰痛が、カイロを腰に当てて、サラシでしっかりと巻きつけて、これを続けて治ったと聞いた。
   温暖化療法の本を探していると、坂井学先生の「脊柱管狭窄症」を自分で治す本 に行き着いた。
   痛みのある場所に「カイロ」を貼ろうと言うインストラクションだが、私の場合には、痛む箇所が、あっちこっち移動していて、それを追跡するのは不可能なので、脊柱管狭窄症の痛みの原因は、腰骨に直近の脊柱管の閉塞であるから、その根元を温めれば良いのではないかと考えた。
   直接肌に近づけて貼ると火傷をするので、試行錯誤して、3重にした毛の腹巻きの上から、腰の脊柱管の左右に1枚ずつ縦長に並べて貼り付けた。貼るカイロは、ホカロンでもホッカイロでもアイリスでも何でも良い。
   毎朝、新しいカイロを張り替えて夜風呂に入るときに外すのが日課になって、数ヶ月すると、少しずつ、激しい痛みが消えていって、朝起きたときも、しばらくは痛くて困ったが、それも、少しずつ良くなっていった。
   今でも、完全に、脊柱管狭窄症の症状が消えたかというと、まだ、問題は残っており、朝起きて立ち上がったときの痛みは続くものの、しかし、しばらくすると足腰の痛みは消えて気づかなくなって、日常生活には全く問題がなくなった。
   
    総合病院の対応が最新の近代医学なのかはどうかは分からないが、この脊柱管狭窄症に関する限り、私の経験では、針灸、漢方薬、接骨院や治療師の世界と言うか、庶民によって昔から培われてきた民間療法の方が、はるかに信用できるような気がしている。
    尤も、問題の脊柱管の神経の狭窄は治っていないので、今後どの様な状況になるかも分からないし、その時は最後の手段として手術しなければならないかも知れないが、体力に耐える力があるのかどうか、
    いずれにしても、幸い小康状態が続いていることに感謝しなければならないと思っている。
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わが庭・・・厳寒に咲き続ける椿

2023年01月25日 | わが庭の歳時記
   今、わが庭に咲く椿花は、まだ、少ない。
   つぼみが膨らんで色づき始めた椿も増えてきてはいるが、寒さの所為もあってか、開花に時間が掛かっている。
   真冬の椿の蕾は、葉っぱに覆われていて、開花してもよく見えないことがある。自然の摂理であろうか、花を寒害から少しでも守ろうとして葉が花を覆っているのである。
   花を撮そうとして、葉を避けるのだが、可哀想に寒さに耐えられなくて、大概、花に傷がついていて変色したりしている。
   
   椿は、花が咲くとすぐに首からポトリと落ちるので武士が嫌ったとか、薩長が椿を愛でていたので嫌ったとか、色々言われているのだが、各地の城郭や神社仏閣などでは、結構、椿の古木が植わっているし、肥後のお殿様を筆頭に椿を愛した君主もいたなどを考えれば、椿が愛さていない筈などないと思う。
   それに、桜やサザンカのように花弁がバラバラになって散って地面を絨毯のように敷き詰めるのではなくて、落ち椿でさえも、その醸し出す風情は中々のもので、詩情豊かで絵になるのである。

   ところで、椿花にも色々バリエーションがあって、咲き出すとすぐに散る椿もあれば、何日も咲き続ける椿や、咲いたままで黄変して枯れて行く椿まで、花の命はまちまちである。
   しかし、いずれにしても、椿の花の命は短いので、花屋さんでも扱っていないし、室内で生けて、瑞々しい椿の凜とした美しさを愛で得るのは、自分の庭で育ててこそ可能な贅沢なのである。
   色付いた蕾の茶花も良いが、中天に煌々と輝く月と同じで、開花寸前の椿や咲ききった満開の椿花の華麗さ豪華さ、その美しさは格別であって、捨てがたいと思っている。

   今咲いている椿で、すぐに散ってしまうのは紅茜である。
   明日、咲き切るであろうから、朝、写真を撮ろうと思っても、早朝にメジロが訪れて花をつつくと、もう落ちてしまっている。
   尤も、何年か前に、偶然にも、咲いた紅茜にメジロが止って蜜を吸っていたときに写真を撮っているので、一概には、言えないかも知れないのだが。
   抱え咲きで深紅の花弁が気にいっており、この椿は私には貴重なコレクションなのである。
   
   
   
   
   逆に、今咲いている椿で、花持ちが良いのは、この写真の実生椿である。千葉の庭に咲いていた椿の種から発芽した実生苗で、雑種の名もなき椿なので、親のDNAを引き継いだのであろうが、何も分からない。
   典型的なヤブツバキとは、蘂の形が違うし一部花弁化しているので、追跡出来たとしても、親木そのものが殆ど何代も雑種の重なった椿なので、先祖の詮索など無意味なのであろう。
   特別に変った椿が生まれれば、新種として命名されるのであろうが、育種家でもないし、良い椿だと思っているので、自分で名前を付けて楽しめば良いのである。
   昨夜は、今冬一番の厳寒、氷点下にも拘わらず、凜と咲いていて神々しい。
   
   
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PS:ヌリエル・ルビーニ「巨大な脅威の山の夢遊病者 Sleepwalking on Megathreat Mountain」

2023年01月24日 | 政治・経済・社会時事評論
   「メガスレット」の著者ヌリエル・ルビーニのPSの論文「Sleepwalking on Megathreat Mountain」が面白い。
   現在我々は、前例のない、異常な、将来の危機、不安定性、および紛争の前兆である予想外のレベルの不確実性に直面している。
   相互に関連した多数の「巨大な脅威」が私たちの未来を危険にさらしている。 として、我々は、それを認識せずに、巨大な脅威の山を彷徨う夢遊病者のようなものだと警告を発しているのである。
   アメリカの不動産バブルを察知して、2008年のグローバル金融危機をいち早く警告したにも拘らず、総スカンを食って「破滅博士」と揶揄されたルービニの卓見でるから、心して拝聴しよう。

   パンデミック前の頑固な低インフレは、過度に高いインフレに取って代わられた。総需要の弱さに起因する永続的な低成長である長期停滞は、マイナスの総供給ショックが、緩和的な金融および財政政策の影響と相まって、スタグフレーションに発展した。マイナスでさえあった異常な低金利が、現在は急速に上昇しており、借入コストを押し上げ、債務危機を連鎖させるリスクを生み出している。 ハイパーグローバリゼーション、自由貿易、オフショアリング、ジャスト イン タイムのサプライ チェーンの時代は、今や、脱グローバル化、保護主義、リショアリング またはフレンド ショアリング、安全な貿易、「ジャスト イン ケース」サプライチェーンの冗長性と言った新しい時代に移行してしまった。
   さらに、新たな地政学的脅威により、冷戦と熱戦の両方のリスクが高まり、世界経済の分断がさらに進んでいる。 気候変動の影響はより深刻になり、予想よりもはるかに速いペースで進んでいる。 パンデミックもまた、より頻繁になり、毒性が強くなり、対策に費用がかかる。 人工知能、機械学習、ロボティクス、および自動化の進歩は、より多くの不平等、恒久的な技術的失業、そして、型にはまらない戦争を撲滅するためのより致命的な武器を生み出す恐れがある。これらの問題はすべて、民主的資本主義に対する反発を助長し、右派と左派のポピュリスト、権威主義、軍国主義の過激派に力を与えている。
   これが、ルービニが説く「megathreats巨大な脅威」であって、先日紹介した世界経済フォーラムの“polycrisis” でもある。

   IMFのクリスタリーナ・ゲオルギエバは、「災害の合流点」について語り、世界経済は「おそらく第二次世界大戦以来最大の試練」に直面していると警告し、ローレンス H. サマーズは、2008 年の金融危機以来、最も深刻な経済的および財政的課題に直面していると主張している。 世界経済フォーラムは、ダヴォス会議で「断片化した世界での協力」について話し合う直前に最新のグローバルリスクレポートで、「ユニークで不確実で激動の10年が来る」と警告していた。

   現在の巨大脅威の時代は、第二次世界大戦後の相対的な平和、進歩、繁栄の 75 年間よりも、1914 年から 1945 年の悲劇的な 30 年間にはるかに似ている。 グローバリゼーションの最初の時代は、1914 年の世界大戦の勃発を防ぐのに十分ではなかったことを覚えておく価値がある。 1929 年の株式市場の暴落、 大恐慌、貿易戦争と通貨戦争、ハイパーインフレ、デフレ、 金融危機と大規模な債務不履行、 失業率は 20% を超え、 イタリアのファシズム、ドイツのナチズム、スペインと日本の軍国主義の台頭を支えたのは、これらの危機的状況であり、第二次世界大戦とホロコーストに至った。
   しかし、その 30 年間は恐ろしいものであったが、今日の巨大脅威はある意味でさらに不吉である。先の戦間期の世代は、気候変動、雇用に対する AI の脅威、または社会の高齢化に伴う暗黙の責任に対処する必要はなかったし、 さらに、世界大戦は大部分が従来型の紛争であったが、現在、大国間の紛争は、より型にはまらない予測不可能な方向に急速に拡大し、核の黙示録で終わる可能性さえもある。
   我々は、 1970 年代の最悪の事態 (繰り返されるマイナスの総供給ショック) だけではなく、2007 年から 2008 年の最悪の時期 (危険なほど高い債務比率) と 1930 年代の最悪の事態にも直面している。 新たな「地政学的不況」は、冷戦と熱戦の可能性を高めており、それらは簡単に重なり合って制御不能になる可能性がある。

   ダボスに集まった人は、巨大脅威の時代を認識しておらず、また、我々のあまりにも多くが、サミットで自己満足に浸り、眼下の現実世界で起こっている警告を無視している。私たちは、巨大な脅威の山中を、 太平天国を決め込んで、夢遊病者のように生活しているが、 山が揺れ始める前に、早く目を覚ました方が良い。と言うのである。

   ルービニ教授の新著「MEGATHREATS(メガスレット)世界経済を破滅させる10の巨大な脅威」を、まだ読んでいないので、何ともコメントをしかねるが、現実認識と問題提起については、全く異存はない。
   人類の科学や技術進歩、そして、イノベーションなどについては、かなり楽観的で、マルサス理論を越えた明るい近未来展望の本がかなり出てはいるが、地政学的、地経学的な将来展望については、ルービニ教授の見解のように暗部に焦点を置く著作が多い。原爆にしろ気候変動にしろ、まかり間違えれば、一瞬にして人類社会が吹っ飛んでしまう危険があるし、AIなどデジタル革命の推移によっては、人知を超えた事象の恐怖が生じ得る。
   まして、暗礁に乗り上げている自由市場経済の資本主義や、自由平等の民主主義の修復健全化など、分断化の一途を辿る今日の世界情勢では、望むべくもなく夢の夢であり、米中の和解さえも至難の業である。
   ルービニの新著MEGATHREATSに巨大脅威への対処法なり処方箋が書かれているのかも知れないが、Gゼロで多極化してしまって、機能不全に陥っている国連の安保理の現状や、トルコやハンガリーなどが横車を押しても軌道修正出来ないような国際情勢を考えれば、いくら、MEGATHREATS山を歩く夢遊病者であっても、行く先は見えているのではなかろうか。
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わが庭・・・鹿児島紅梅が満開

2023年01月22日 | わが庭の歳時記
   急に寒くなってきた感じだが、今日のように無風状態で陽が差すと、わが庭は、春のように暖かくなる。
   庭に出て、椅子に腰を掛けて小一時間コーヒーをすすって憩いながら新聞を読む。不思議なもので、書斎で新聞を読むと、途中でパソコンを頻繁に叩いて記事を確認したりチェックして脇目を振るのだが、外だと、新聞オンリーである。
   ところが、火曜日以降は超寒波で、関東が凍えるという、地球温暖化の悪夢に翻弄される。

   ところで、今、わが庭で色彩のあるのは、わが頭上のエレガンスみゆきの小桜と門扉内の鹿児島紅梅のピンクの花、そして、点々と咲くタマグリッターズやピンク加茂本阿弥などの椿の花である。
   鹿児島紅梅は、殆ど満開で、晩春には、ピンポン球より少し小さな小梅をビッシリと付ける。
   
   
   
   

   エレガンスみゆきは、初秋からであるから、ちらほら晩春まで咲き続けるので、殆ど半年も花を付け続ける息の長い桜花である。
   
   
   
   

   椿は、早い年には、秋に入ると咲き始めて晩春まで咲き続けるので、比較的季節感は希薄になるが、梅は、年が変り始めた頃に咲き始めるので、ハッキリしていて、まさに、春の到来を予感させてくれる貴重な花木である。
   オランダでは、クロッカスが春の到来を告げる花で、クロッカスホリディで、待ち遠しかった春の息吹を実感する。一度だけ-21度くらいの寒波を経験したことがあったが、寒さよりも、真冬には日が短くて夜の長い陰鬱なリア王の世界のような日々が続くので、春が待ち遠しかった。チューリップが咲き乱れるキューケンホフ公園がオープンすると飛んでいったのだが、ここでは、チューリップもヒヤシンスも桜も菜の花も同時に咲くのでビックリした。
   そう思えば、善し悪しは別として、明るくて天候の良い関東の冬は、随分過ごしやすくて恵まれている。

   わが庭には、梅の木が3本植わっている。
   以前からあった大きな白梅と、私が鎌倉に来て植えた鹿児島紅梅と、一重の紅梅紅千鳥である。
   気がついたら、白梅が数輪咲き出している。
   昨年は梅雨の長雨で、梅の実が綺麗に成熟しなかったので、諦めたが、今年は、満足の行く梅酒と梅ジャムを作りたいと期待している。
   紅千鳥は、まだ、蕾が固くて咲くのはずっと後になるであろう。
   
   

   さて、私は、毎日、庭に出て、花木の様子を覗いながら対話していて、真冬でも、水遣りや整枝剪定、気づいたことをやりながらガーデニングのまねごとをしている。
   最近では、びっしりとついた椿の蕾が少しずつ色づき始めている。
   蕾は前の年の6月頃に芽がつき始めるのだが、長い間掛かって少しずつ膨らみはじめて晩秋から春にかけて花を開く。
   庭植えの椿は、いくら温暖だと雖も、凍害を受けて葉が少し変色したり、膨らんで咲き始めた花弁が傷ついたりして可哀想だが、防寒するのも大変なので、春の到来を待つことにしている。鉢植えも、室内に取り込んで、花を労れば良いのだが、小木でもないし鉢が多いしままならない。
   
   
   

   今日の大相撲で、貴景勝が優勝した。
   隣の芦屋市出身の同県人なので、嬉しい。
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国立劇場1月歌舞伎:通し狂言 遠山桜天保日記

2023年01月21日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   人気の高い遠山の金さんを主人公にした「通し狂言 遠山桜天保日記」、
   正に、見せて魅せる華やかな舞台で、新春気分満開。

   全国的な凶作による米価・物価高騰と天保の大飢饉、百姓一揆や都市への避難民流入による打ち壊しが起こるなど幕政を揺るがす事件が頻発した天保年間、
   老中水野忠邦が、綱紀粛正と奢侈禁止を命じ、華美な祭礼や贅沢・奢侈はことごとく禁止した天保の改革。
   遠山の金さんの嘆願によって歌舞伎が再開されたという故事に倣って、最終幕は、「河原崎座初芝居の場」の華やかなフィナーレ。
   冒頭の琵琶の音に乗った天保の改革のナレーションとこのフィナーレにに挟まれて演じられる菊之助の小三郎、松緑の角太夫、彦三郎の天学という悪党3人が繰り広げる悪事を、菊五郎の遠山金四郎が裁くと言うお馴染みの遠山の金さんの物語。
   お正月の祝祭芝居なので、テレビで見るような緊迫感も高揚感もない穏やかなストーリー展開だが、絵になるような舞台の連続が観客の拍手を呼ぶ。
   コロナの所為で、大向こうのかけ声がないのが一寸寂しいのだが、客の入りもパッとしないので、とうとう、国立劇場も、チケットの3割引で売り出し始めた模様である。

   菊之助が、
   最後の河原崎座初芝居の場では、彦三郎さんのご長男の亀三郎さん、(中村)梅枝さんのご長男の(小川)大晴くん、甥の(寺嶋)眞秀、息子の丑之助と、こどもたちも登場します。と語っていたが、有望な後継者が育ってきているようで、頼もしい。
   この舞台でも、尾上丑之助君が、尾花屋丁稚 辰吉を演じて素晴しい芸を披露して観客を喜ばせていた。流石に、人間国宝:菊五郎と吉右衛門二人の血を引いた孫役者である。

   国立劇場の正月歌舞伎は、菊五郎劇団の定番だが、紛れもなく、今の歌舞伎界での最高峰の劇団で、役者に人を得ているのは言うまでもなく、とにかく、舞台を支える端役役者にいたるまで芸が上手くて感激している。
   この下のビラ写真の主役の菊五郎、時蔵、松禄、菊之助の芝居を観る舞台であろうが、3悪人では彦三郎が出色であったし、女形の梅枝や右近の魅力も流石であり、ベテランの権十郎、萬次郎、楽善、左團次、亀蔵の芸の確かさなど、舞台の展開が楽しい。
   とにかく、芝居としては毒にも薬にもならないような見せる舞台かも知れないが、それでも観たい、
   そこが、歌舞伎の魅力であろうか。
   
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世界経済フォーラム:グローバルリスク2023年

2023年01月20日 | 政治・経済・社会
   今、ダボスで開催されている世界経済フォーラムの広報をチェックしていて、1月11日に、Global Risks Report 2023(グローバルリスク報告書2023年版)を刊行したことを知った。
   同報告書は、現在の経済的・社会的・環境的・技術的緊張から生じる主要なリスクを分析し、今後2年と今後10年のリスクを予測しており、次表の通りである。
   

   今後10年間の深刻なグローバルリスク上位10位を列記すると、
1位:気候変動緩和策の失敗
2位:気候変動への適応(あるいは対応)の失敗
3位:自然災害と極端な異常気象
4位:生物多様性の喪失や生態系の崩壊
5位:大規模な非自発的移住
6位:天然資源危機
7位:社会的結束の侵食と二極化
8位:サイバー犯罪の拡大とサイバーセキュリティの低下
9位:地経学上の対立
10位:大規模な環境破壊事象

   同報告の趣旨を纏めると、
   短期・長期的なリスク:短期の上位リスクは生活費の危機で、長期の上位リスクは気候変動関連である。特に生物多様性の喪失は今後10年間で最も急速に悪化するグローバルリスクの一つとみられている
   地経学上の対立が及ぼす影響:地経学上の対立と自国優先姿勢は今後、経済的制約を強め、短期リスクと長期リスクを悪化させると考えられる。エネルギーおよび食料の供給危機は、今後2年間続く可能性が高い。こうしたリスクは、特に気候変動・生物多様性・人的資本への投資など、長期リスクに立ち向かう取り組みを弱体化させるとともに、社会の一体性に損失を与えている。最終的には、地経学を武器とするリスクに留まらず、再軍事化リスクにもつながり、新興技術が利用され悪意あるプレイヤーが台頭する可能性がある
   報告書は、各国政府は今後数年間、社会・環境・安全保障面で問題を抱え、厳しいトレードオフと向き合うようになるとし、各国が「短・長期的な視点の均衡を保ちながら、連携的かつ断固とした行動を起こす」ことの重要性を強調している。

   なお、参考に列記すると、2022年版の「今後10年間の深刻なグローバルリスク」上位5位は、気候変動への適応(あるいは対応)の失敗、異常気象、生物多様性の喪失、社会的結束の侵食、生活破綻(生活苦)であり、2021年版の上位5位は、大量破壊兵器、国家の崩壊、生物多様性の喪失、技術の進歩の阻害、天然資源危機。であったが、ほぼ傾向は似ていてそれ程異動はない。イアン・ブレマーのユーラシアグループの単年度毎の世界10大リスクとは違った長期的な視点からのリスク予測で、非常に面白い。
   ウクライナ戦争下にあるにも関わらず、原爆危機や第3次世界大戦の勃発については、一顧だにもしていないのが興味深い。
   人口爆発危機の心配はないのであろうか。

   ところで、私が、このGlobal Risks Report 2023を知ったのは、ダボス会議の前に、レポートされたThe global economy is under pressure — but how bad is it? Two experts share insightsの記事からで、

   2023年の経済については、
   COVID-19 パンデミック後の「ニューノーマル」への復帰は、ウクライナでの戦争の勃発によって急速に中断され、食料とエネルギーに新たな一連の危機をもたらした。2023 年が始まると、世界は一連のリスクに直面、 インフレ、生活費の危機、貿易戦争、新興国市場からの資本流出、広範な社会不安、地政学的対立、核戦争の亡霊など、「古い」リスクの復活を目の当りにし、 これらは、持続不可能なレベルの債務、低成長の新時代、世界的な投資の低迷と脱グローバル化、数十年にわたる進歩の後の人間開発の低下、急速で制約のない開発、デュアルユース(民間および軍事)技術、および気候変動の影響の増大する圧力などのグローバルなリスク環境における比較的新しい展開によって増幅されている。 これらが一体となって、ユニークで不確実で激動の 10 年を形作るために収束している。と言う。

  このことからも分かるように、この報告で注目すべきは、この傾向を表象したポリクライシス("polycrisis.")という概念で、「複合的な影響を持つ関連したグローバルリスクのクラスターで、全体の影響が個々のリスクの総和を上回」)ものと言う認識である。
   二人の経済学者のうちLandry Signéは、
   「今日のポリクライシスは、世界経済が直面している課題が、世界の政治経済、国際安全保障、世界の健康、教育、エネルギーなど、すべての世界のシステムと深く結びついていることを意味する。 世界がパンデミックから回復するにつれて、ウクライナでの戦争によるエネルギー危機は、インフレ、気候変動、大規模な移住、不平等に加えて、新たな複雑性を引き起こした。 今日のポリクライシスには、共通の要因、ドミノ効果、同時に相互作用する悪循環を含むシステム間の関係が含まれており、脆弱性を悪化させ続けている。と述べている。
   個々のポリティカルリスクやエコノミックリスクに対処するのではなくて、ポリクライシスにチャレンジして新境地を開拓せよと言うことであろう。

   「世界は、第一次世界大戦後、1970 年代のオイル ショック、2008 年の金融危機など、以前にも相互に関連した危機を経験してきたが、第 4 次産業革命によって加速された相互関連性を考えると、現在の状況は独特である。 今後、世界は対話、複数の利害関係者の協力、多国間主義など、過去にうまくいったことを活用する必要がある。 そのためには、説明責任があり機敏なリーダーシップが不可欠である。歴史はまた、デジタル技術が破壊的である可能性があることを示しているが、不確実性を減らし、複雑な関係を視覚化するための強力なツールにもなり得る。と言うのだが、古くて新しいポリクライシスにどの様に挑戦するのか、難しい問題である。
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PS:ブラフマ・チェラニー「日本の軍事覚醒の限界 The Limits of Japan’s Military Awakening」

2023年01月19日 | 政治・経済・社会時事評論
   ニューデリーに本拠を置く政策研究センターの戦略研究教授であり、ベルリンのロバート・ボッシュ・アカデミーのフェローであるブラフマ・チェラニーが、プロジェクト・シンジケートに、興味深い論文「日本の軍事覚醒の限界 The Limits of Japan’s Military Awakening」を掲載した。
   岸田政権の軍事拡大政策は喜ばしいことではあるが、それだけでは、中国には対抗できない。
   日本の再軍備への動きは歓迎されるが、トマホークミサイルと極超音速兵器の採用だけでは、中国とのハイブリッド戦を止めることにはならない。 日本は、中国が、露骨な戦闘のリスクを回避しながら、領土を囲い込むなどして地域の現状を巧妙に変えようとするコソコソとしたサラミ戦術を挫折させる方法を見つけなければならない。と言うのである。

   今回は、チェラニー教授の論文の詳細説明は止めて、注目すべき論点に絞って紹介する。

   中国の基本的な国際戦略は、ウクライナに全面攻撃を仕掛けたロシアとは異なる。中国は、サラミ戦術を好み、ステルス、欺瞞、奇襲を組み合わせて他国の領土を切り裂くことである( China prefers salami tactics, slicing away other countries’ territories with a combination of stealth, deception, and surprise. )。 人民解放軍のいわゆる「三戦」は、紛争の心理的、世論、法的側面に焦点を当てており、この戦術で、1988 年のジョンソン サウス礁の制圧から南シナ海の占領まで、中国は南シナ海での戦略的勝利を確保することができた。( The PLA’s so-called “Three Warfares,” which focus on the psychological, public-opinion, and legal aspects of conflict, has enabled China to secure strategic victories in the South China Sea )と言う。
   このサラミ戦術とは、法律を武器とした戦争で、武力を使わずに、法的な既成事実を積み重ねて領土を拡大する手法
   中国は一般的に武力紛争を回避しているために、南シナ海の地政学的地図を一方的に書き換えて、ブータンの国境地帯を一度に 1 つずつかじり取って領土を拡大しているにもかかわらず、その行動に対する国際的なコストは最小限に抑えられている。また、 北京政府は西側からの重大な制裁を受けることなく、香港の自治を弱体化させることに成功した。

   さて、わが国日本の問題だが、
   習近平は、日本が管理する尖閣諸島に対する領有権の主張を強化するために、海上および航空による侵攻をエスカレートさせ、東シナ海で南シナ海戦略を再現しようとしており、 尖閣諸島沖の海域を取り締まることさえ試みた。中国が尖閣諸島を含む東シナ海上空に防空識別圏を設定したのも、その最たるケースであろう。
   中国の挑発に対する日本の反応は、これまでのところ控えめなままである。日本の防衛大臣は、中国を怒らせないように、尖閣諸島の空中視察を実施した.。
   しかし、日本の軍事増強、トマホークミサイルと極超音速兵器の採用だけでは、必ずしも中国のハイブリッド戦に対抗する有効な手段とはならない。勝つためには、日本は、露骨な戦闘のリスクを回避しながら、現状を変更して領土をかすめ取ろうとする中国のコソコソとした秘密の努力を挫折させる方法を見つけなければならない。
   すなわち、サラミ戦術で、世界を欺き既成事実を積み上げて、最小のコストで、領土を蚕食拡大して行く中国の陰謀を封殺しない限り、尖閣諸島も持って行かれれてしまうというのである。

   防衛の自立を目指す日本の動きは歓迎すべきだ。 防衛能力の向上は、日本をより自信を持って安全に保ち、インド太平洋をより安定させることにつながるが、国家安全保障戦略が示すように、日本が脅威を「破壊して打ち負かす」のであれば、日本の指導者は積極的に行動して中国に打ち勝たなければならない。 But if Japan is to “disrupt and defeat” threats, as the national-security strategy puts it, Japanese leaders must move proactively to beat China at its own game.
   これが、ブラフマ・チェラニー教授の結論である。
   攻撃は最大の防御である、一切ハードを使った軍事衝突ではなく、中国のサラミ戦術の上を行く戦術戦術を駆使して、確固たる毅然たる態度で、中国に対処せよと言うことであろうか。
   岸田政権はハードの強化に注力しているようだが、ドンパチでは、その悲劇はウクライナ戦争で自明、
   ナイ教授の主張するソフトパワーを上手くミックスしたスマートパワーを錬磨して、グローバル競争と世論で、中国を凌駕することである。

   世界に冠たる大人の国であった筈の中国が、最も唾棄すべき姑息な手法で世界を欺いて領土を拡大していると言う現実をどう見るのか、
   人口増がピークアウトして、習近平1強独裁で経済の凋落が囁かれはじめた斜陽化中国、
   インド人の識者の中国論なので、非常に興味深く読んだ。

   ならず者国家が、西側の日和見主義的な傍観姿勢と国際世論の弱体化によって、ドンドン自力を付けて台頭著しいのも、先端兵器の供与を渋って小出しに軍事援助をし続ける故にウクライナ戦争が益々泥沼化して行くのも、すべて、このサラミ戦術手法の消極姿勢の為せる技ではなかろうか。

   いずれにしても、軍事国家への道へ舵を切った岸田政権、これからどうするのか、
   憲法改正も視野に入りつつあるが、
   真価が問われている。
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安達瞳子著「椿しらべ―Camellia Road」

2023年01月18日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   愛読書だとか座右の書だとかと聞かれても、私の場合殆ど答えられないのだが、強いていえば、手元にずっとある本の一つは、安達瞳子さんの「椿しらべ―Camellia Road」であろうか。
   それに、この本は2冊持っている。買ったのを忘れて同じ本を2度買うことが結構あるのだけれど、この本だけは意識して2冊買った。
   出版は、1999年3月15日、定価4200円、
   私が、ヨーロッパから帰ってきて庭に椿を植えて、庭一杯に咲き乱れ始めた頃だが、どんな経緯で本を買ったのか記憶がない。
   2005年の3月に大手術で新宿の病院に入院していた時に、病室に持ち込んだ唯一の本で、毎日千葉から見舞いに通ってきてくれていた家内が、庭に咲く椿の花を次々と持ってきてくれて病室に生けてくれた。
   先日書いた友に貰った花瓶に生けた椿は、帰りを待ってくれていたかのように咲き乱れていた、退院した直後のわが庭の椿だったのである。

   さて、この本だが、「海を渡った椿」から「黄色い椿」まで4章、安達瞳子さんの珠玉のような随想29編を核にして、沢山の椿繪や写真や作品など色彩豊かに掲載されていて、更に椿についての詳細な説明が書かれているので、これ1冊で、豪華な椿事典でもある。
   父君が苦労して手に入れた「百椿図」の挿絵の豪華さやその解説に込めた思いなど、冒頭に、あの「椿姫」の椿は千重咲きの乙女椿だと語り初めて、とにかく、著者の椿花に掛ける思いや愛情は尋常ではなく、感動的でさえある。

   安達瞳子さんの著書書や関連本を何冊か読み、一度だけだが、展示会に行って、桜の大枝をあしらったり、青竹を豪快にカットして椿を生けるなど素晴しい作品を見て感動した。
   しかし、早い訃報を聞いて残念であった。

   ところで、椿に関する本が、非常に少ないのにビックリしている。
   Amazonで検索しても、Googleで検索しても、めぼしい本は出てこないし、私が読みたいと思うような椿行脚や椿に纏わるしっとりとした随想集と言った本など皆目なく、この「椿しらべ―Camellia Road」を何度も読み返している。
   
   ヨーロッパから帰ってから、洋花に影響されたのか、侘助椿を初め日本古来の名花から、派手な洋椿に、関心が移って、この本に掲載されている椿を追っかけた。
   そのうち、手に入れたのは、エレガンス・シュプリーム、エレガンス・シャンパン、エレガンス・スプレンダー、マーガレット・ディビス、ダローネガ、
   わが庭に華やぎを増して咲き続けており楽しませてくれている。

   しかし、洋椿は、バラのように派手で蘂が退化して結実せず挿し木でしか株を増やせないのだが、これとは違って、日本椿の実生苗で庭植えした椿の新しく咲いた花の何株かは、不思議にも、深紅の一重で黄色い蘂が鮮やかな和風の花を咲かせてくれていて、いたく感激している。
   黒い椿と言うのではなく、深い真っ赤な鮮やかな色彩の美しさは格別で、わが作出の雑種椿であるから名もなき椿なのだが、
   花持ちが良く、長く楽しませてくれているので、大切に育てようと思っている。
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椿に囲まれて幾年月であろうか

2023年01月16日 | 生活随想・趣味
    私のブログで、読者がお読みになった記事について、その時々に、どの記事がヒットしたのか、分かるようになっている。
    偶々、2005年4月に、「友の創作花器に椿を生ける」記事が出てきたので、懐かしくなってクリックしてみたら、次の口絵写真が表われた。 
    友に貰った備前風の花器に、丁度咲き乱れていた庭の椿を生けたのである。     
    

   8年間留守にしてヨーロッパから帰ってから、新築直後であったので、手入れが行き届いていなかった庭に、花木を植えて整備し、特に、椿を沢山植えて丁度12年、
   2~30種類は植わっていたであろうか、その椿が咲き乱れていたので、生けて見たのである。
   その千葉の家に20年と少し住んで鎌倉に移ったのだが、かれこれ、わが庭には、大小取り混ぜて50種類くらいの椿が植わっていて、あたかもジャングルのようになっていた。
   先日グーグルアースで、検索してみたら、新しい住人は花木など全く興味なく、椿は跡形もなくなくなって、広い庭はガレージになってしまっていた。

   さて、今の鎌倉の庭だが、移転してから、やっと9年で、庭に少しずつ椿の苗木を植えて、今では、20種類くらいにはなる。
   しかし、千葉から持ち込んだ椿は、殆ど鉢植えの苗木であったので、まだ、木が小さくて、先の花器に生けた椿のようなボリューム感のある花枝は取れないし、取れたとしても数が少なくて、小さなバカラくらいが良いところで、ボヘミアンの花瓶には合わない。

   一番大きな椿の木は、2メートル以上に伸びたタマグリッターズで、口絵写真の椿で、今、咲き始めたところだが、
  もう、2~3年すれば、他の椿も咲きそろうであろう。
  
  
  

  ところで、椿は、やはり春の花、
  鉢植えを含めて既に、40種類を越えたであろうわが庭の椿、
  いま、びっしりと蕾がついているので、おそらく3月には咲き乱れるであろうが、不思議なもので、私の趣味趣向が変ったこともあってか、懐かしくて同じ種類の椿も植えてはいるが、半分以上は、全く違った種類の椿になっているのが面白い。
  はやく、満開に咲き乱れた椿を、友の花瓶に生けて見たいと思っている。
  
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日本酒はなぜ4合瓶なのか?

2023年01月15日 | 経営・ビジネス
   日経のNIKKEIプラス1に、「日本酒なぜ4合瓶? 一升の半分にしなかった理由と歴史」と言う記事が掲載された。

   先日、渡辺 順子著”「家飲み」で身につける 語れるワイン”のブックレビューで、
   ワインボトルが750㎜lなのはギリシャ戯曲が由来だという逸話を紹介した。ので、まず、ワインボトルから始めたい。
   詩人エウブロスが書いた戯曲の一説で、ディオニュソスに、節度を保つためにはグラスに3杯まで、1杯目は健康に、2杯目は愛と喜びに、3杯目は良い眠りに、賢い客はここで家に帰る。(それ以上は、きちがい水?)と言わしめていて、これは、二人で3杯ずつ飲める適量であり、それが750㎜lだと言うのである。
   ところが、この記事では、仏ボルドー地方から多くのワインが英国に輸出されていたが、容量の単位はフランスがリットル、英国はガロン。英国の1ガロンは約4.5リットル。1本750ミリリットルなら、1ダース(12本)輸出する場合はちょうど2ガロン(約9リットル)となる。ボルドー地方のワインだるは225リットルで、750㍉㍑のボトルが300本製造可能。計算や取引も楽だ。もう一つは職人の肺活量に関係する。米メディアによると、かつて吹きガラス職人が手作業でボトルをつくっていた際、一般的な職人がひと吹きで吹ける大きさが750㍉㍑前後だったという。のである。
   ガラス職人の肺活量は兎も角、英仏の実利的な貿易だから、この説の方が現実的だと思うが、これは近代の話であって、それでは、ギリシャ時代からそれまではどうだったのかと言うことで、ギリシャ説の方が味があって面白いと思っている。
   ヨーロッパでいくらか買い揃えたデカンターも、すべてワインボトル1本分なので、いずれにしろ、750㎜lは、デファクトスタンダードなのであろう。

   それでは、「日本酒はなぜ4合瓶なのか」である。
   日経の図表を借用すると次の通りである。
   

   酒文化研究所(東京・千代田)の狩野卓也さんは「売り手の都合が大きいのでは」とみる。一つは価格。酒蔵からすれば、小さい商品の販売にはコストがかかり、一升瓶の半分の容量を半値に設定するのは難しい。消費者にとって分かりやすい半値で売るためには「4合瓶がちょうどよかった」。と言うことであるが、
   私は、これに、信長以降頻繁に入っていたワインの750㎜l瓶に倣って、720㎜lの瓶が標準化したのではないかと思っている。
   先日気づいたのだが、日本のワインの瓶が日本酒に倣ったのか、720㎜lの瓶になっているのが、日本気質を表しているようで興味深いと思った。


   私は、家飲みはワインから始まったので、日本酒もこの720㎜lの小瓶の方で、重宝している。
   ワインも同じように、一回、200cc程度に抑えているので、晩酌と言えるほどの量ではないのだが、気分転換にはなっている。

   萩や備前のぐい飲みを愛用しているが、冷酒で飲むことが多くなったので、ボヘミアンやフレンチのグラスに代えることもあって、ワインやコーヒー同様に、器を代えて雰囲気を楽しんでいる。  
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あすから大学入学共通テスト

2023年01月13日 | 学問・文化・芸術
   TVを見ていると、「あすから大学入学共通テスト」と言うタイトルが頻繁に出でてくる。
   なによりも、念頭に浮かぶのは、思い出よりも、もう試験は受けたくない、嫌だという気持ちである。

   私が受けた入学試験は、高校、大学2回(1浪したので)、アメリカの大学院、この4回だけである。
   社会に出てからも、資格試験などなかったし、他に受けたといえば、ロンドンのジェントルマンクラブRACの入会面接くらいであろうか。

   大学入試は、もう、60年以上も前のことになるので、殆ど何も覚えていない。
   勿論、共通試験などなかった頃で、東大のように2次試験まであった大学とは違って、一発勝負であった。
   2回とも京大の経済を受けたのだが、第1回目は、数学だったか英語だったか、大きなミスを犯したので、すぐに、ダメだと分かったのだが、何故か、この試験なら、来年には合格できるだろうという予感を感じた。
   当時後にも先にも京大に入った卒業生のいない県立の高校だったが、浪人中は、余裕もなかったので、予備校や塾などには通わずに、通信教育や旺文社の参考書などを便りに独学独習で受験準備をした。
   記憶が正しければ、京大の入試が他の大学と違うのは、配点が、英数国理社各200点で、数学は、数1,数2,数3または幾何(私は幾何)で、理科2科目(私は化学と生物)、社会2科目(私は世界史と地理)と言うことで、試験科目数が多くて、各科目均等な学力が要求されると言うことであった。
   要するに、高校の教科を満遍なく一所懸命勉強して、広範かつ実質的な学力を付ける以外にないと言うことである。この方針が、社会に出てから随分役に立ったので、私は受験勉強を肯定している。
   それに、当時は、昨今のように、有名な中高一貫校が、トップ大学の合格者を寡占するという傾向はそれ程なくて、比較的合格者の多い関西の地元高校からは別として、地方の公立校のトップクラスの俊英が集まると言った感じで、西に比重を掛けた全国区であった。
   4当5落、すなわち、睡眠時間が4時間なら入試に合格するが5時間寝たら落ちると、まことしやかに言われていた時代だったが、自分自身で勉強していて手応えがあるかどうかの問題であったし、それに、2回目であるし、時間など気にはならなかった。
   日経の私の履歴書を読んでいて、浪人中、当時3本立てで頻繁に演目の代わる映画館があって、週に2回くらい通っていたという話を読んで、私も全く同じ経験をしていたので意を得たりであった。その後、趣味で、オペラや古典芸能に通い続けたのも、その影響かも知れないし、人生無駄ではなかったと思っている。

   当時伊丹に住んでいて、試験場へ通えば通えたのだが、受験中は京大生が世話をしてくれる宿舎に泊まって試験を受けた。1回目はダメだと思ったので結果は電報を頼んだ。サクラチルであった。
   2回目には、何故か不安がなかったので、電報を頼まずに、発表当日直接京都に出かけた。

   簡単に言えば、これだけの経験だが、殆ど、独立独歩であったし、「○○○蛇に怖じず」で、殆ど不安もなかったし、特に緊張したという記憶もない。
   しかし、もう一度受験せよと言われれば、絶対嫌であり、やりたくない。

   アメリカのビジネススクールの受験は、もっともっと、大変。
   TOEFLとATGSBを受けて、論文や研究資料など提出して、推薦状、学歴や職歴などキャリアを加味する総合評価なので、基準など分からない。
   良く通ったと思っている。

   受験生には、Good Luck! 幸運を祈りたい。
   
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国立劇場2月文楽チケット争奪戦

2023年01月12日 | 生活随想・趣味
   久しぶりに、国立劇場の2月文楽公演のチケットを購入するために、国立劇場チケットセンターのHPを開いた。
   コロナ以前には、頻繁にこのページから古典芸能のチケットを取得していたのだが、コロナ以降、一気に劇場へは足が遠のいて、偶にしかお世話にならなくなってしまった。
   あぜくら会の会員なので、一般予約より1日先行予約が可能で、今日の10時にインターネットのチケット販売開始なのである。
   ところが、もう既に、10分以上も前から、ページを開こうとしても、
   「只今、大変混み合っております。申し訳御座いませんが、しばらく経ってから接続し直してください。」の表示ばかりで、当然、10時になっても、オープンできない。
   パソコンのキーを叩けど叩けど、この表示ばかりで埓が開かない。
   こんなことは、能狂言の特別な公演や小三治の落語公演などでも経験していて珍しいことではないのだが、ファンにとっては正に神経戦である。

   15分ほど経って、偶々、ページが開いたので、どうにか、まずまずの席を確保できたので、良かったのだが、その後、他にも用事があったので、ページを開こうとしたら、30分経っても同じ状態であった。
   しかし、後で調べてみると、結構チケットが残っていて、要するに、良い席というか好みの席の争奪戦であって、観れれば良いと言うのなら焦る必要はないのである。

   文楽は、頑なにも大坂ベースを維持している貴重な上方の古典芸能ではあるが、関西より関東の方が愛好者が多くて、チケットの取得が大変なのだが、本拠地大阪の国立文楽劇場での公演の方が意欲的な舞台が多いので、以前には、良く京都や奈良へのセンチメンタルジャーニーを兼ねて出かけていた。しかし、歳の所為もあって、もうその意欲も余裕もなくなってしまった。

   さて、2月の文楽公演は、「近松名作集」で、
   第一部 心中天網島
   第二部 国性爺合戦
   第三部 女殺油地獄
   近松ファンの私には、魅力的な演目で、いつもなら、朝から晩まで1日中劇場に入り浸って文楽を楽しむのだが、今回は、第一部 心中天網島だけにした。
   勘十郎の「女殺油地獄」を再び観たいと思ったのだが、何故か、「国性爺合戦 」にはそれ程興味を感じておらず、観れば長くなるし、飛ばせば夜まで待てないので止めたのである。

   近松の心中ものの舞台では、「心中天網島」は、「曽根崎心中」や「冥途の飛脚」と比べて、上演されることが少ないように思う。
   文楽の「心中天網島」や、改訂版の二代目吉田玉男襲名披露公演で演じられた「天網島時雨炬燵」、それに、歌舞伎の舞台などの観劇記を書いているが、ヒロインが小春と女房おさんが登場する悲劇で、今回も3時間40分の長丁場の舞台である。
   住太夫が、「近松は字余り字足らずで、私きらいでんねん。近松、おもろまっか。」と言っていたので、床本は分からないが、近松門左衛門のオリジナル浄瑠璃「紙屋治兵衛 きいの国や小はる 心中天の網島」を読み返してみたのだが、会話部分はそうでもないが、やはり、結構難しくて、リズム感などつかみ得ない。ただ、文楽の舞台が殆ど近松本に近いので何となく安心した。それに比べると、「天網島時雨炬燵」は大分創作がかっている。
   シェイクスピア時代のイギリスでは、速記ライターが芝居を写し取り、別の劇場で即刻舞台に掛けたと言うから、バリエーションがあって当然だったのであろう。

   今回の文楽は、
   大和屋の段を、咲太夫、燕三、
   紙屋治兵衛を玉男、小春を清十郎、おさんを和生、粉屋孫右衛門を玉也と言った素晴しいキャスティングであり、楽しみである。
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わが庭・・・花木に寒肥を施す

2023年01月11日 | わが庭の歳時記
   元旦から、殆ど崩れずに良い天気が続いている。
   晴耕雨読の日々を送っており、こんな日で暖かいと、まさに晴耕、ガーデニングである。

   今日は、寒肥を施すために庭に出た。
   寒い真冬には、殆どの植物が眠っているのだが、実のなる木や花の咲く花木には、寒肥を施す。
   寒肥には有機質肥料を使うので、人工的な化成肥料とはちがって、有機質の材料は微生物に分解されてはじめて肥料になるという特徴があり、冬の間熟成させて、春にちょうどいいタイミングで根に吸収されると言うわけで、その準備のための肥料なのである。
   私の場合、バラは、既に牛糞に混ぜて寒肥を施し終っているので、今回は、桜、梅、桃、クラブアップル、それに、意識したのは、椿、牡丹、ブルーベリーなどである。
   園芸書などでは、寒肥について結構色々書かれているが、私は簡便法で、アイリスの天然原料100% ゆっくり穏やかに効果を発揮しますと言う使いやすいペレットタイプの寒肥をネットで買って、花木の株元に施して土を被せるという方法である。有機肥料なので施しすぎる弊害は少ないと思うが、控えめなので、春の芽吹き前に化成肥料や液肥で補うこともあるが、椿などには結構効果がある。

   毎年、厳寒期に、硫黄合剤を散布して、病虫害予防の薬剤散布にしているのだが、危険だと言うためか、大分前から、500㎖や1000ccの家庭用が販売停止になったので、しかたなく、最小の10ℓを買って使っていた。有効期限5年とかで切れる時期であり、扱い方が厄介なので、今年は止めることにした。
   住友化学のベニカなど一連の薬剤が良いようなので、Amazonでネットショッピングして、後日、散布することにした。

   全く植え替えの時期ではなかったが、鉢から株を抜いて根鉢をそのままにして、庭に移すのであるから問題なかろうと思って、椿の「至宝」を、庭に植え替えた。
   この椿は、通販で買って7~8年になろうか、9号鉢に植えていてそのままにして育てていたので、根が張り詰めて抜けない状態になっていて限界だったのである。
   「至宝」は、私の記憶では、最も高価な椿で、Googleで検索しても殆ど買えないほどの希少品種で、私のブログ記事や写真が表示されているのであるから、大切な椿なのである。挿し木苗で、3株スペアがあり、クローンなので、当然、同じ紫の花が咲いた。
   今回、和室から一番見えるところに植え替えたので、3月には、読書しながら楽しめる趣向である。
   
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わが庭・・・鹿児島紅梅、椿:紅茜、三河雲龍

2023年01月10日 | わが庭の歳時記
   門扉の裏側の鹿児島紅梅がちらほら咲き始めた。
   門扉の外側で正月過ぎまで綺麗に紅葉していた獅子頭に代わって、満開になると一気に華やかになる。
   3月には椿の式部が華麗な花を咲かせる。
   反対側は、椿はエレガンス・シャンパンとカスケード・エレナ。
   本来は、草花の花壇であったが、手間暇が大変なので、植栽を花木に代えてしまった。
   
   

   桜:エレガンスみゆきが、秋から咲き続けている。
   葉がないので花だけだが、小さいピンクの花で、高いところに咲いているので目立たないが、冬には貴重な花である。
   水仙もちらほら咲き始めてきた。
   
   
   
   

   椿は、三河雲龍が少し前から咲きだしている。
   花は、特徴のない侘助椿風の一重だが、龍のように波を打って成長して行くのが面白く、結構花付きがよい。
   赤い抱え咲きの紅茜とタマグリッターズもやっと一輪ずつ開花し始めた。
   
   
   
   
   
   
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