熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ストラトフォードのシェイクスピア旅(2)ヒースロー空港入管

2023年07月30日 | 30年前のシェイクスピア旅
   JAL401便、久しぶりの海外旅行である。
   この成田空港からは、20回や30回では聞かないほど海外へ出入りしてきたのだが、日本からのプライベート旅行は初めてなので、何となく飛行機の旅も新鮮である。
   免税店で、ジムへの土産に日本酒を買って、早々にサクララウンジに入って、先ほど買った雑誌サライを読みながら、コーヒーで憩った。
   飛行機は順調だったが、少し遅れてヒースローに着いた。最初の頃は、窓から下界を眺めるのが楽しみで、初めてサンパウロからロンドン入ったときには、ウィンザー城の優雅な姿やロンドン郊外の田舎風景の美しさに感激したのだが、今や、何度も通った空港なので何の感慨もなく、入管手続きの煩わしさの方が気になった。EUからの入管はフリーパスだが、それ以外の外国人の入管ラインは長蛇の列。

   今回の私の入管は、一寸違って、永住ビザの更新延長である。
   ヨーロッパに居た時には、居住者としてイギリス人並に始終出入りしていたので、イギリス人と同様の出入国のスタンプで済んだが、今回は、イギリス出国からの空白が長い。
   係官は、パラパラパスポートを捲り、永住許可書を見て、「居住者ですね」と聞いた。運悪く、イギリス滞在中の住所を、ジムの住所が分からなかったので個人住所ではなく、ストラトフォードのアーデン・ホテルの住所を書いてしまっていた。仕方なく、現在仕事の関係で日本に住んでいるが、英国永住であることを伝えて、今回は、ビジネスと観光で来たのだと説明した。「前回いつ頃英国を離れたのだ」と聞いたので、「1年11ヶ月前です」と応えたら、係官は、私の顔をじっと眺めて、入管スタンプを押してくれた。
   私の場合は、ロンドンのシティで歴史的な開発プロジェクトを行っていたので、間単に永住ビザを貰えたが、通常では、英国の永住ビザの取得は至難の業で、功成り名を遂げた日本人の音楽家や有名な人々さえ永住ビザが取得できなくて諦めたのを随分聞いていた。おいそれと簡単には永住ビザは下りないうえに、まして、出国すれば取り上げると言うのは当たり前なのであろう。
   シェイクスピア戯曲やロイヤルオペラの鑑賞、大英博物館や歴史散策と言った目的もあって、こんなことを2年ごとに数回繰り返して、入管とスッタモンダをしてきたが、結局、間が開いて諦めたのだが、一時、本当に、イギリスで永住しようと思ったことがあった、
   懐かしい思い出である。

   以前に、同じように、ブラジルの永住権も持っていたが、あの時も、2年毎に入国する必要があり、仕事のこともあって2回ほど更新した。しかし、最後の年に、サンパウロで入管手続きをしようとしたら、入国管理制度が変ってしまっていて、永住許可のIDカードを没収されて、更新手続きを取れと言われた。朝令暮改のブラジルのことだから、規則など2年も持つはずがないのを4年間住んでいて、痛いほど知っているので、仕方がないが、摺った転んだと大変苦労をして入管を潜り抜けた。更新手続きをアミーゴに頼んでやって貰ったが、結局、ブラジルに行けなくなって、これも諦めた。

   ところで、ヒースロー空港での余談だが、その少し前に、入管手続きを終えて行こうとしたときに、隣のカウンターで日本人女性がトラブって困っているのに気がついた。
   女優の岩崎良美嬢である。
   「仕事は何だ」「ホテルは何処だ」「所持金を見せろ」などと問い詰められている。別に異常ではなく、女性の一人旅に対するノーマル・チェックなのだが、程度問題である。
   両方への手助けだと思って、係官に近づき、「この女性は、日本では、有名な女優兼歌手で、シェイクスピア役者として活躍している。今回は観光で来ており問題ないでしょう」と横から助け船を出したら、了解して通してくれた。シェイクスピアが利いたのかも知れない。はしたなくも出しゃばったのだが、こんな場合、イギリス人の係官はどう思ったのか、人のことほっとけと言わずに無表情でハンコを押してくれていた。
   入管を通過したのは、100回は下らないと思うのだが、人違いで疑われて入管に長く留め置かれたこともあれば、色々なことがあったが、国境を越えると言うことは、いずれにしろ、大変なことなのである。

(追記)口絵写真はウィキペディアから借用。ヒースロー空港。
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ストラトフォードのシェイクスピア旅(1)旅のはじめに

2023年07月29日 | 30年前のシェイクスピア旅
   倉庫のロイヤルオペラのパンフレットを探していたら、ロンドン時代の旅行記録が出てきた。
   この片割れは、このブログで、既に、欧米時代の観劇記録として、このブログで、「欧米クラシック漫歩(32)」として掲載済みだが、
   今回のは、この後編の「ストラトフォードの休日」という40ページほどの旅行記である。
   8年間のヨーロッパ駐在から帰国して2年後の1995年夏におこなった5日間の旅日記で、かなり克明な記録なので実に懐かしく、シェイクスピアの聖地である当時のストラトフォード・アポン・エイボンやRSCのシェイクスピア劇の様子なども良く分かるので、思い出を辿りながら、改めて採録してみたいと思う。5年間、イギリスに住みながら、膨大な写真以外何も記録を残さなかったのだが、その写真も倉庫に埋もれて難渋しないと探せない。その意味では、旅記録ながら私の経験したイギリスがぎっしりと詰まっていると思っているので、貴重な代替記録である。

   (1)旅のはじめに

   イギリスの永住ヴィザを持っていたので、更新のためには、2年以内に再入国しなければならないと言う規則があるので、休暇を取って、ギルフォードの英人友人宅への訪問とストラトフォードでのRSCのシェイクスピア劇鑑賞目的の5日間の駆け足旅行であった。
   まず、旅程が決まると、ストラトフォード・アポン・エイボンのホテルの予約である。
   この街は何度も出かけていて熟知しているので、ミシュランの赤本を開いてホテルの目途をつけた。これまでは、すこし郊外のシャトーホテルやクラシックなシェイクスピア・ホテルに泊まっていたので、今回は、街中のこぢんまりしたホテルをと思って、ファルコン・ホテルに電話を入れた。このホテルは、シェイクスピア当時の天井の低い骨董の建物で、一階の柱と二階の柱がくの字形に曲がっていて白壁の黒い木枠が美しい。向かいに、シェイクスピアが晩年に済んでいたニュープレイスがあり、隣のチャペルの裏に、子供の頃に通っていたグラマー・スクールがあって、路地裏から、シェイクスピアが飛出してきても不思議ではない雰囲気なのである。おそらく、シェイクスピアもこのホテルで、コーヒーを憩いながら友と世間話を楽しんでいたのであろう。電話を入れたら、24日は空き部屋があるが25日はダメだという。
   1泊だけ予約を入れて、次に、シェイクスピア小劇場のスワン座の向かいにあるアーデン・ホテルに電話を入れたら、スンナリとOKが出た。このホテルはこれまで何度も予約を試みて失敗していたので、正に幸いと、ファルコンをキャンセルして、クレジット番号を伝えて正式に予約した。

   次は、ロイヤル・シェイクスピア劇場のボックス・オフィスに電話して、チケットを予約することである。
   ロンドン時代から、RSCのメイリング・リストは続けているので、手元に、パッフレットとスケジュール表はある。
   RSCの大劇場は、24日は「じゃじゃ馬ならし」、25日は「ロミオとジュリエット」、スワン座は、24日は休演で、25日は「テンペスト」。
   木造の木組みが美しい、正に、クラシックな芝居小屋の雰囲気のスワン座で、テンペストを楽しみたかったが、大劇場の「ロミオとジュリエット」は、エイドリアン・ノーブルの演出なので、見逃す手はない。結局、二夜とも、大劇場になった。
   夏の休暇シーズンであったが、月曜と火曜であった所為なのか、幸いにもスーパーシートが手に入った。最高の席で、38ポンド(当時 5500円)と安く、満足であった。スーパーシートは、平土間席の中央真ん中と二階席前列正面にあるだけで、手にした平土間席は、比較的舞台にも近くて素晴しい席であった。
   これも、クレジットカードの番号を伝えて、予約した。海外からの予約など、日常茶飯事なので、日本の住所を言っても気にする風もなく、当日、ボックスオフィスで、チケットをピックアップすれば良いのである。
   最近は、電話で予約したことがないので現状は分からないが、当時は、ロイヤル・オペラでも、ウィーンでも、ミラノでも、プラハでも、この制度で、クレジットカードのデータを伝えてチケットを予約をして、劇場でピックアップするのが常態であって、全く問題はなかった。
   ハー・マジェスティ劇場の「オペラ座の怪人」のチケットをなくして劇場に掛け合ったら、パソコンを叩いてデータを探し出して、当日、劇場でチケットを再発行してくれたことがある。

   さて、旅行の予約は、他にはロンドン往復航空券はJALに入れれば済むことで、ギルフォード、ロンドン、ストラトフォード・アポン・エイボン間の英国内の移動は、鉄道とレンターカーにするつもりなので、ぶっつけ本番で、臨機応変に移動することにした。

(追記)以降、土曜日と日曜日に、書けるだけ書いてみようと思う。
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髙樹のぶ子:小説小野小町 百夜

2023年07月28日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   「業平」に続く髙樹のぶ子の小説「小野小町 百夜」である。

   誰もが知って居tる人物ながら、誰も何も知らないと言うのは許されない、そんな小野小町を、残された素晴しい歌を紐解いて書き起こしたのがこの高樹のぶ子版「小野小町」。
   まず、冒頭に、NHKで収録された「小野小町」論が興味深いので、そのまま引用すると、
   「一般的にね、小野小町というのは美人で才媛で歌がうまくて、最終的には男に肘鉄を食らわす強い女。そして非情で、男から見たらけしからんという感じがあって、それが観阿弥・世阿弥の能楽の世界では、小町像というのは、美女が零落して物乞いをして、しかも根本のところには自分がふった男の怨念というかそういう思いがたたっちゃって……という、男の言いなりにならなかったから、最後はえらいめにあったというイメージしか残されていない。それに対して、私はものすごく怒りというか、それはないでしょう、と。悲しみをちゃんと知って、これだけのいい歌を残して、日本の文化の「あわれ」という言葉の本質を歌で詠んだ、ほぼ最初の人ですからね。もののあわれ、それはその後ずっと日本の文化、情緒のメインストリームで、それを作った人ですからね。それをそんなふうにね、零落させていいものかというふうに思っていました。だから小町というのは、そんな非情な女じゃないよということ。あわせて、名誉回復したかったということですね。」

   そう言われれば、私も、普通の日本史の知識や、『関寺小町』『卒都婆小町』と言った小野小町を題材にした七つの謡曲「七小町」の能舞台の印象や、深草少将の悲恋「百夜通い伝説」などで、勝手に小町像を作っているかも知れない。勿論、私自身は、そうは思っていないし、紫式部同様に、素晴しい才色兼備の魅力的な女性であったはずだと思っている。地獄に落とさないと夢幻能にならないし、それに、その人物が立派であればあるほど良いのであるから、観阿弥や世阿弥だって、フィクションを承知で、作能したのであろう。
   業平は「雅」、小町は「哀しみ・哀れ」という日本の文化、日本の心、日本の情緒を産み出し作り出したメインストリームのランナーであり、その魂の叫びを、高樹のぶ子の独特の繊細な感性で描き出された詩情豊かな創作劇であり、上質な絵巻を見ているようで感動的である。

   陸奥の国主で出羽国の国府を造った祖父を支えた父篁が大町との一夜の契りで生まれたのが小町。10歳になって、京の篁に乞われて、母大町と分かれて、生まれ故郷の出羽の雄勝から京に上るところから、この物語は始まる。国司の次官であった叔父の良実(祖父の養子で、父篁の弟)が同道する。
   
   実父小野の右京の二条西大宮の屋敷に暮らし初めてしばらくしてから、父が外出して居ないときに、逗留していた良実が、夜中に、小町の母への積年の思いを遂げようと、恋ひとつも知らぬ小町に無理無体、
   篁から、自分が謀反を起して横死した伊予親王の子供であることを聞かされて、親王の子であったと喚きながら夜獣となって思いを遂げて、闇から闇へと消えてゆく。
   この後日談が、「百夜」。
   仕えた仁明帝の女御であった縄子の霊に諭されて山科に居を構えて屋敷にも馴染み始めた頃、西廂に「笛あわせをしたい」と言う結び文が届く。
   断わっても童が文を届け続けるので、名を名乗れと伝えると、亡くなったはずの深草少将義宣、
   山科に籠もっても、その美しさに黄泉の国より懸想した者があらわれたと言う噂話が都を流れる。
   切羽詰まった小町が、下出雲寺の真静法師に問うと、意外にも、赦免ならず逃げ帰って途中で海賊に片足を奪われた良実が瀕死の状態で寺に転がり込んできて、都に会いたい人が居る今は死なぬと言ったので匿ったと応える。
   毎夜、雪深い山科へ、童に支えられて片足で通って届け続けた、捨て置いた「百の文」を開いて読み始めると良実の思いが克明に記されている。
   老いさらばえて余命幾ばくもない良実の最後の願いは、故郷の雄勝で聴いた小町の高麗笛の音、
   寝静まって、雪の音のみ聞こえる深夜、昏き天上より細い笛の音が降りてくる。
   この曲は、「百夜」。恋しき人に届ける曲、百夜通い来るほどの滾つ思いを表す曲、百夜通えど満たされぬ哀しみとも伝えられている。
   小町は、高麗笛を取りだして高揚して吹き続ける。曲の頂きに差し掛かった時、それまで和していた笛が、ひょうと止む。
   翌くる朝、雪の中より掻き出された良実の御顔は、雪よりしろく、笑みに満ち足りて見えたという。

   無粋な説明文になってしまったが、高樹のぶ子「小野小町」は、流れるように美しくて感動的である。
   小町と良岑宗貞のちに遍昭とのめくるめく激しい恋路や天皇の懸想など艶っぽい話、それに、業平からの恋の歌など興味深い話もあって、面白いのだが、仁明帝の女御縄子への宮仕えを通じての平安貴族の王朝絵巻も興味深い。
   いずれにしろ、観阿弥、世阿弥に、この本を読んで欲しいという高樹のぶ子の気持ちは良く分かる。
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人間国宝:落語家五街道雲助の郭話

2023年07月26日 | 落語・講談等演芸
   今回の人間国宝認定で興味深かったのは、落語家の五街道雲助師匠である。
   面白い名前だなあと言う印象はあるが、「身投げや」と「粗忽の釘」を国立演芸場で聴いたくらいで、噺もそれ程聴いていないので、記憶も希薄で、それ程凄い噺家だとは知らなかった。

   NHKの「日本の話芸」を録画し続けているので、開いてみると、雲助師匠の噺が、6編出てきた。 
   古典落語の中でも廓話が出色だというので、私も、そのあたりの噺が嫌いではないので、早速、3編聴いてみた。
   「明烏」「お初徳兵衛」「お見立て」
   それぞれ、ほかの噺家で聴いているので、知らない噺ではないが、NHKの30分番組なので、殆どまくらなしの噺なので、じっくりと聴かせてくれて、流石に上手くて感動的である。

   「明烏」は、勉強ばかりしていて悪所通いになど全く縁のない堅物の大店の若旦那を、その将来を心配した親旦那が、遊び人2人に頼んで、お稲荷さんへのお籠もりだと欺して吉原へ連れて行かせる噺。遊廓は神主の家、女主人はお巫女頭、見返り柳はご神木で大門は鳥居、お茶屋は巫女の家だと説得されて奥へ上がるが、吉原だと気付いて逃げ帰ろうとすると、「勝手に出ようとすると、大門の見張りに袋叩きにされる」と脅され、泣く泣く花魁と一夜を共にする。翌朝、相方の女に振られた2人が、若旦那の部屋に行き、先に帰るよと言うと、布団の中で、花魁の魅力に骨抜きにされて花魁に足を絡め取られて動けない若旦那が、「勝手に帰りなさい、大門で袋叩きにされますよ」。

    さて、この若旦那が、幸運な筆下ろしに感激して、吉原に入り浸りの馬鹿息子に変身したのかどうかは興味深いところだが、
    「お初徳兵衛」は、遊郭入り浸りの遊びが過ぎて勘当をされた若旦那の徳兵衛の噺、
    面倒を見ていた柳橋の船宿に転がり込み、居候をしてていたが、「船頭になりたい」と親方に頼んで弟子入りして船頭になる。
    立派な船頭になった男ぶりの良い徳兵衛は、柳橋芸者の間では人気者で、ある日、ヒョンナことから、売れっ子芸者のお初を乗せて吉原へ向かう途中、にわかの土砂降りに襲われ、船を岸につけてしばし休息することになる。二人きりの時が流れる中、店子であったお初が「七年前から徳兵衛に恋い焦がれていて、巡り会いたいばかりに芸者になった」と、まだ船頭になる前の徳兵衛を見掛け、見そめていたと掻き口説く。そこへ激しい落雷で、驚いたお初は徳兵衛に抱きつく。
   舟は、そのまま長い間動こうとしなかった。
   近松門左衛門の「曽根崎心中」から発想を得たという人情噺「お初徳兵衛浮名桟橋」のなれそめの人情味豊かなシットリとした良い噺である。
   
   「お見立て」も典型的な郭話で、、花魁の喜瀬川に惚れ込んで通いつめている田舎者の杢兵衛が、店にやって来たのだが、この客が見るのも嫌なくらい嫌いで、呼びに来た喜助に病気だといって断るように命じる。見舞いがしたい、病院は何処だ、亡くなった、墓は何処だと、断りがドンドンエスカレートしていって、結局、喜助は杢兵衛をいい加減な寺に連れていく。適当な墓をここが喜瀬川の墓だと言ってごまかそうとするが、墓碑銘を読まれて埓が開かず、次から次へと墓を巡らせられて、業を煮やした杢兵衛に「いったい本物の墓はどれだ」と問い詰められた喜助は、「これだけありますので、よろしいのをお見立て願います」。
   冒頭、金繰りに困った黄瀬川から、長いラブレターを貰って喜び勇んで店に飛び込んできた杢兵衛をダシにした狡猾な花魁の締まらない噺だが、
   「籠釣瓶花街酔醒」の佐野次郎左衛門とダブって、何となく切ない。

   とにかく、この3話を聴いただけでも、五街道雲助師匠の郭話の素晴らしさは良く分かる。
   今度の国立名人会の舞台には、絶対に行こうと思っている。
   
   
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問題の草刈り機の顛末の記

2023年07月25日 | ガーデニング
   先々日、「苦労する夏草の茂る庭の除草」で、新しい草刈り機を買ったことを記した。
   アイリスオーヤマ 草刈り機 グラストリマー 充電式 金属刃 18V JGT160M2 、-14% ¥12,800 税込 である。

   昨日午後に着いたので、少し涼しくなった夕方、製品を組み立てて、早速使ってみた。
   新兵器を期待して、始動したのだが、草が一向に刈れない、切れないのである。
   昨年使って重宝していた国華園の簡易草刈り機で切れていた草が、殆ど切れなくて空回り。生えたばかりのクマザサなど、なぎ倒すだけです素通りしてしまう。
   手を変え品を変えて試みるが、殆ど草刈りの役には立たない。
   30分ほどしたところで、機械が止まってしまって、ウントモスントモ言わなくなってしまった。
   電池は十分に残っているし、時間をおいて試みても動かない。

   草刈りが出来なくて、機械が動かなくなってしまったので、やる気が失せてしまった。

   次の手は、Amazonに連絡して、どうするか相談するしかない。
   結局、返品することになった。
   窓口は海外にあるのであろうか、陳さんと言う少し訛りのある女性スタッフが、丁寧に対応してくれて、25日午前中に引き取り手続きをしてくれた。

   今朝、機械を分解して、元の箱に戻した。
   Amazonの引き取りスタッフが来て、持って帰ってくれたが、本来なら発送者で梱包してて返却するのだと言うのだが、元々、何の梱包もなく元箱のまま、Amazonが運んできたのであるから、言い分がおかしい。
   いずれにしろ、返却できたのであるから、一段落である。

   その後の話だが、壊れたはずの国華園の簡易草刈り機を、倉庫から引き出してきて、バッテリーを入れ替えて、試みに、電源を入れてみた。
   昨年、使って、1年間倉庫に寝かせただけだし、電気の切り入れだけの単純な操作だけの機械なので、そんなに複雑で柔なはずがないと思ってやってみたのである。
   先端の金属刈刃が回転し始めた。2~3回、スイッチの切り入れを繰り返したが、問題なさそうである。

   庭に出て、雑草の生い茂る地面に草刈り機を下ろして回転させたら、昨年のように、草を順調に刈り始めた。
   クマザサも大小の雑草も、スムーズにとは言えないまでも、それなりに刈ってくれる。
   日中で暑いので、すぐに止めたが、日暮れ時に、もう一度やってみようと思う。

   なぜ、力の弱い簡便な国華園の草刈り機が草を刈れて、アイリスオーヤマの力の強い上位の草刈り機がダメなのか、
   問題は、金属刈刃の形状にあって、アイリスの方は、8片の刈刃の切り込みが浅くて、草を抱え込めないために、草を刈れずに上滑りするのである。

   いずれにしろ、どこまで、動くか分からないが、今夏は、この国華園の機械を使えるだけ使って、壊れたら、また、7000円を出して、この機械を買って繋げば良いと思っている。
   シルバー人材センターに6万円も出して草刈りを頼まなくても、安い草刈り機を使って、運動も兼ねた、謂わば、趣味と実益を兼ねて、自前の草刈り仕事を、何日かやれば済むことである。
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苦労する夏草の茂る庭の除草

2023年07月23日 | ガーデニング
   老人のガーディナーにとって一番厄介なのは、庭一面に繁茂する夏草の処理。
   春の花が終ってから少しずつ除草に心がけておれば何のことはないのだが、そこは歳に託けて、明日しようとカンクチョウの口調で、ついついズボラを決め込む。
   草だけではなくて、笹まで芽吹き始めると草取りだけでは終らない。

   押っ取り刀を振り上げて、草取り機を倉庫から出して充電して使おうとしたら途中でストップ。壊れてしまって使えないのである。
   昨年、国華園で7000円何某で買った簡易草刈り機だったが、安かろう悪かろうとは思わないが、一夏使えたのだろうからと諦めた。

   さて、どうするか。
   昨年、シルバー人材センターに見積もってもらったら、私のような老人が5~6人来て6万円、
   結局、先の草刈り機を買って、孫にも手伝って貰って、2~3日で、自分で処理した。

   今年は、昨年、念入りに除草したので、それ程激しく繁茂していない。
   急ぐことはないので、少しずつ涼しい時を見計らってやれば、何日かで済むので、草刈り機を調達して、自分で除草することにした。
   千葉の庭から、もう、2~30年もやり付けてきたので、別に変ったことでもない。

   ところで、草刈り機だが、ガーデニングセンターに行けば、問題はないのだが、ネットショッピングしようと思ってパソコンを叩いた。
   商品を見ずに自分で検索して、多くの商品の中から能書きだけで選択するのであるから、良く分かるはずがない。
   新商品だとか、ディスカウント率が高いとか、いろいろ出てくるが、今回、選ぼうとしたのは、先の国華園のものより少し上位の品質のしっかりしたもの、
   結局、メーカーを選ぶことに固守することになり、本当は、makitaを選びたかったが、専門向きが主体で、安い下位機種の信頼性が分からないので諦めた。
   Amazonを叩いていて、知っているメーカーが出てきたのは、アイリスオーヤマ、
   アイリスオーヤマ 草刈り機 グラストリマー 充電式 金属刃 18V JGT160M2 、-14% ¥12,800 税込
   アイリスオーヤマは、専門メーカーでもなく何でも屋なので、当たり外れがあるのだが、もう随分前から、LED電球でお世話になってから結構使っていて、水準以上の信頼性はある。

   念のため、価格コムを検索したら、Amazonが一番安くて、次の店舗の価格が2000円高くて、メーカー直販のアイリスプラザでも3000円は高い。
   結局、Amazonにオーダーを入れて、明日来ると言う。

   どうなるか分からないが、これも、一夏持てば良いと思っている。
   たしか、千葉で使っていた草刈り機は、プロ仕様だったかどうか、大型だったが、欺し騙し使って、10年は使えたような気がしている。

   最近、機械ものの商品寿命が、ドンドン、短くなってきている、品質を誇った製造大国日本が消えゆくような気がして寂しい。
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第45回納涼能:観世流「養老 水波之伝」

2023年07月22日 | 能・狂言
   第45回納涼能が、21日宝生能楽堂で開催された。
   今回のプログラムは、主催者によると、
   毎年7月に開催される「納涼能」は、夏の風物詩として今回で45回目を迎える。シテ方五流総出演による能・仕舞と狂言・小舞、各流能楽師が一堂に会する記念会の豪華企画で、能楽愛好者はもちろん、初心者にもお勧めの公演。演目は、能 観世流「養老 水波之伝」観世清和、能 宝生流「七人猩々」宝生和英、狂言 大藏流「腰祈」大藏彌右衛門 他、ミニ講座・各流による仕舞、小舞。
   第42回までは毎年鑑賞に出かけていたが、コロナのために東京行きを避けていたので、久しぶりの観能である。

   観世流の「養老」。
   雄略天皇の御代。美濃国 養老滝で、不思議な泉が湧いたとの報告を受けて、勅使(ワキ・宝生常三、ワキツレ)が確認のため養老に行く。そこに、この地に住む樵翁(前シテ・観世清和)とその息子夫夫(ツレ・観世三郎太)が現れて、この泉を、息子が薪を採っている最中に発見し、この水を飲めば身も心も癒えて長寿が保たれるのだと明かしてその霊力を讃える。
   奇瑞を目の当たりにした勅使の眼前に、天から光が射し花が降り妙なる音楽が聞こえる。
   さらなる奇跡が起こり、山神(後シテ・観世清和)が出現する。山神は、この霊水の如き清らかな御代を讃えると、祝福の舞を舞う。

   水波之伝の小書が付いているので、間狂言が省略されて、そのかわりに、通常は登場しない楊柳観音(後ツレ・観世淳夫)が舞台上に登場して舞いを舞う。その後、山神(後シテ)が現れる、と言う通常の展開に戻る。
   後場で、まず、楊柳観音が現われて、颯爽と優雅な神舞を舞って、清らかな薬の水を称え、目出度い御代を寿ぐ。実に美しい優雅な舞であり、魅せてくれた。
   後シテの舞う〔神舞〕にも緩急がつくほか、後シテの装束も通常と異なったものになるなど、細部が様々に変化するというのだが、銕仙会によると、
   通常だと、山神 面:邯鄲男 透冠狩衣大口出立(男体の神の扮装)
   どう変ったのか分からないが、シテが、弱々しい老樵の出で立ちから、一気に覇気に満ちた豪壮な山神に変身して、観世宗家が、舞台狭しと豪快に舞い続けて、観客を釘付け。
   呼応する囃子も、全楽器がフルサウンドで咆哮し激しい太鼓連打で、天地も割れんばかりの応報、
   大鼓の亀井宏忠の華麗な絶叫を初めて聞いて、タダの鼓でないことを知って感激した。

   場違いかも知れないが、オペラ鑑賞が長いので、このような高揚した感動的な舞台に接するとどうしてもオペラの舞台と同期してしまって、この日も、ヴェルディのレクイエムやワーグナーの楽劇を重ねて聞いているような雰囲気であった。
   能の世界が分からない分、私にしか出来ない能楽鑑賞法である。
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わが庭・・・カノコユリ咲く

2023年07月21日 | わが庭の歳時記
   オリエンタルリリーが咲き終わったらと思ったら、カノコユリが咲き出した。
   日本固有の野山に咲いているゆりなので、生命力が強くて、わが庭では、あっちこっちの木陰から綺麗な花を咲かせている。
   梅雨でヒッソリと開き始めていた蕾が、木漏れ日を浴びて、一気に咲き出した。
   
   
   



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PS:ダニ・ロドリック「テクノロジーではなく生産性に焦点を置く Focus on Productivity, Not Technology」

2023年07月19日 | 政治・経済・社会時事評論
   PSのダニ・ロドリックの論文「テクノロジーではなく生産性に焦点を置く Focus on Productivity, Not Technology」
   テクノロジーだけではダメで、生産性を上げなければ豊かになれないという経済理論である。

   経済学者は長い間、生産性が繁栄の基礎であると主張してきた。 国が持続的に生活水準を向上させる唯一の方法は、より少ない資源でより多くの商品とサービスを生産することで、 産業革命以来、これはイノベーションによって達成されてきたため、一般の人々の想像の中では、生産性は、技術の進歩や研究開発と同義語となっていた。
   しかし、科学技術の革新だけでは十分ではなく、 適切な種類の補完政策がなければ、テクノロジーの進歩は生活水準の持続的な向上につながらない可能性があり、場合によっては、国を後退させることにもなる。
   テクノ悲観主義者やラッダイトに陥るべきではないが、 しかし、生産性を、テクノロジー、研究開発、イノベーションと同一視することは要注意であって、 社会を豊かにする生産性の向上には科学技術の革新が必要ではあるが、 技術の進歩を広範な生産性の向上に変える為には、経済社会全般に亘った広範な普及を促進して、生産的な二元論を回避し、包括性を確保するように特別に設計された政策が必要である。と言うのである。

    新しいテクノロジーを採用する企業は生産性が向上し、テクノロジーの後進企業に勝つ。 しかし、生産的な社会と生産的な企業は同じではない。 ビジネスの生産性を促進するものは、国全体または経済全体のレベルでは機能しない可能性があり、場合によっては逆効果になる可能性もある。 企業には採用を選択したリソースの生産性のみに焦点を当てる余裕があるが、社会はすべての人々の生産性を向上させる必要があるからである。
   多くの経済学者は、たとえその直接的な利益が少数の企業や投資家にのみもたらされるとしても、テクノロジーの進歩は最終的にはすべての人に少しずつ波及すると考えているので、この区別を理解できていない。 しかし、この信念は、歴史的に完全には真実ではないことは、 産業革命は現代の経済成長期の幕開けとなったかもしれないが、1世紀の大半の間、ほとんどの普通の労働者に幸福の進歩をもたらし得なかったことからも自明である。
   さらに悪いことに、最近の急速な科学技術進歩の波によって、 新しいテクノロジーの便益は、少数の企業や従業員の狭い層など少数のプレーヤーに圧倒的に集中しており、従来の物語はさらに真実味を欠く。 原因の 1 つは、経済における交渉力を歪めたり、現代部門への部外者による参入を制限したりする不適切な制度や規制であり、 もう 1 つはテクノロジー自体の性質が、イノベーションは多くの場合、高度なスキルを持つ労働者や専門家など、特定のグループのみに力を与えているところにある。

   ハイパーグローバル化時代の矛盾の 1 つは、
    1990 年代以降、貿易コストが低下し、製造業の生産が世界中に広がるにつれて、低中所得国の多くの企業が世界のサプライチェーンに統合され、最先端の生産技術を採用するよって、その結果、これらの企業の生産性は飛躍的に向上した。 しかし、彼らが居住する国の経済の生産性は、多くの場合停滞、あるいは後退さえした。ことである。
   かつてハイパーグローバル化の代表格であったメキシコの事例は顕著で、
    1980 年代の政府の自由化改革と 1990 年代の北米自由貿易協定 (NAFTA) のおかげで、メキシコは製造品の輸出と対内直接投資のブームを経験した。 しかし結果は、肝心なところで見事な失敗に終わり、ラテンアメリカの他の多くの国々と同様、メキシコもその後数十年間、全要素生産性のマイナス成長を経験した。のである。
   メキシコの製造業は世界的な競争を強いられるにつれて確かに生産性が向上したが、 適応できなかった生産性の低い企業は最終的に閉鎖された。
    製造業、特に正規企業は雇用の面で縮小し、経済の労働力に占める割合はかつてないほど減少した。 その後、小規模な非公式企業が多数を占める経済の残りの部分の生産性はますます低下し、 その結果、世界指向の製造業における生産性の向上は、他の活動、主に非公式サービスの業績不振によって相殺された。これらは、メキシコの労働規制と社会保険規制の所為で、それが非公式化を促進し、正規部門の企業の成長を妨げているとされているが、 しかし、同じパターンの生産性二極化は、サハラ以南の国々だけでなく、他の多くのラテンアメリカ経済でも見られている。

   別の説明は、製造技術そのものの性質の変化に関するもので、グローバルバリューチェーンに統合するにはスキルと資本の要件が非常に大きいため、これらのリソースに恵まれていない国はコスト曲線の急激な上昇に直面し、企業の拡大と多くの労働力の吸収が妨げられている。 田舎から都市に集まってくる労働者には、生産性の低いつまらないサービスに群がる以外に選択肢は殆どない。
   根本的な原因が何であれ、この問題は、生産性を向上させるための政府戦略が的外れになり得る理由を例示している。 グローバルバリューチェーンへの組み込み、研究開発への補助金、投資税額控除のいずれの形であっても、従来の政策はしばしば間違った問題をターゲットにしている。 多くの場合、拘束力のある制約は、最先端の企業におけるイノベーションの欠如ではなく、むしろそれらの企業と経済の他の部分との間の大きな生産格差である。 サービス指向の小規模企業にトレーニング、公的意見、ビジネス サービスを提供することによって、経済全体の底上げを行うことの方が、上層部を引き上げるより効果的である可能性が高い。

   これは、IT人工知能の新時代への教訓となる。
    広範囲のタスクをより高速に実行できる大規模な言語モデルの可能性は、将来の生産性の大幅な向上に大きな期待をもたらしている。 しかし、このテクノロジーの全体的な影響は、その恩恵が経済全体にどの程度行き渡るかによって決まる。
   経済の重要な部分(建設、対面サービス、人間に依存する創造的な仕事)が AI の影響を受けないままであれば、AI による生産性の利点は限定される可能性がある。 これは、特定の活動の相対価格の上昇が経済全体の生活水準の向上を妨げる、いわゆるボーモルコスト病の一種であろう。

   社会を豊かにする生産性の向上には科学技術の革新が必要かも知れないが、それだけでは十分ではない。 技術の進歩を広範な生産性の向上に変えるには、経済全般にわたる広範な普及を促進し、生産的な二元論を回避し、包括性を確保するように特別に設計された政策が必要である。と言うことである。

   ボーモルコスト病を借用すれば、自動車製造業など機械器具や装備の技術革新によって絶えず生産性が上昇している産業部門と、弦楽四重奏などの実演芸術や看護、教育のような労働集約的な部門など、生産性が殆どまたは全く上昇しない部門があるように、政治経済社会総体の構造を総合的に改革して、整合性を持って社会全体の全要素生産性を上げない限り、生活水準の向上は実現できないと言うことであろうか。
   しかし、世界最先端を行く科学技術の開発発展に遅れをとり、生産性が非常に低いとクルーグマンが言う日本の未来は、言うならば埒外であろう、
   さすれば、どうすれば良いのか。
   To be, or not to be: that is the question:
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やはり、アマゾンで買ってしまう

2023年07月18日 | 生活随想・趣味
   歳の所為で、白髪も薄くなって寂しい限りなのだが、何故か、一向に髭の方が衰えずに生え続けていて、カミソリを当てている。
   正規の外出が少なくなったので、多少は無精髭で過ごすこともあるが、髭剃りは欠かせない。
   髭をの伸ばしっぱなしにしようと思ったのだが、家族に反対され、むしろ、手入れが大変だと分かって諦めた。

   もう、何十年もジレットのカミソリを使っていて、定期的に替え刃を購入している。
   普段は、10コや13コ入りのセットをかっているのだが、久しぶりに、近くのco-opで、Gillette プログライド 替刃4コ入をカートに入れた。2390円+TAX、
   一寸高いかなと思って、Amazonを叩いたら、Gillette プログライド 替刃8コ入が3018円、マーケットプレイスだと3000円を切り、4コ入だと1600円である。
   安い筈のスーパーの値段が、5割も高い。

   金額的には、何百円の差なので、どうでも良いのだが、愚かな買い物をしたと思えば自分の馬鹿さ加減に腹が立つので、co-opに返品した。
   co-opのサービスカウンターは、自分たちの関知する問題ではないので、至って単純な事務処理。
   鎌倉には、庶民向けの安価な店が少なくて生活者泣かせの文化都市だと思うので、このco-opは重宝しているのだが、何かの購買ミスなのであろう。

   さて、このこととは別だが、表題の「やはり、アマゾンで買ってしまう」と言うことが多くなった。
   隠退生活に入って東京などへの外出が減って、最近のコロナに加えて、歳の所為で外出することが急減してくると、細々した日用雑貨などの雑品までも、勢い買い物はネットショッピングになる。
   その、ネットショッピングの買い物が、無意識ながら、殆どAmazonなのである。

   なぜか、ヤフーは殆ど使わないし、楽天は、3900円の送料の扱い方が嫌だし、それに個別の店舗相手なので厄介だと思って敬遠している。
   Amazonのプライムについては、配送料無料は良いとしても他の付帯サービスには一切興味がないので無視しており、2000円同時購入で送料無料と言う条件はすぐにクリアー出来るので、重宝している。それに、最安ではなくても、安さやサービスは水準以上で信頼できるし、商品の多くがAmazon直販直送なので、Amazonと直接トラブル処理が出来て楽なのが良い。

   やはり、ネットショッピングは、商品やサービスを直接見ずに購買するので、何より、信用が第一で、一般的には、極力、メーカー直販や百貨店など信用のおける店を使って行うように心がけている。
   
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梅雨時なのに、鉢植え椿を枯らしてしまった

2023年07月16日 | ガーデニング
   残念なことに、梅雨時だというのに、椿の鉢植えを枯らしてしまった。
   猛暑と俄雨の入り交じった変な気候で、鬱蒼とした庭に出るのを怠っていて、梅雨時だから大丈夫だろうと思っていたのが祟って、大切な椿の鉢植えを失ってしまった。
   尤も、2~30鉢はあるので、2,3鉢枯れたと言っても、気にすることはないのだが、大切な椿だと言うことになると、話が違ってくる。

   枯れたのは、紅茜で、これは、スペアがないので、思い出だけが残る。
   綺麗な赤い花弁の抱え咲きで、清楚な雰囲気が好きであった。
   メジロが止まった写真が、懐かしい。
   いくつか、初めて実を付けたので、実生苗を楽しめたのだが、誰かが、軒下に移してしまっていたので、水涸れしてしまったのである。
   

   もう一つ残念だったのは、挿し木苗で、70㎝くらいの大苗に育っていて、今春綺麗な花を咲かせてくれいた至宝1鉢と、エレガンス・スプレンダー2鉢。
   挿し木して、ここまで育てようとすると、ほぼ、10年近くは掛かるので、もう無理である。
   これらの鉢は、希少椿の挿し木で、うまく成功したので、大切に育てていた。東面の庭に移して特別に隔離していたのだが、少し庇に被っていたのが悪かったのか、気付いたときには、葉が枯れて変色してしまっていた。植物は悲鳴を上げていても泣かないので、余計に申し訳なく愛おしい。
   勝手な言い分だが、至宝は親木もスペアも残っているのだが、エレガンス・スプレンダーの方は、親木だけになってしまった。

   水涸れ寸前で助かったのは、ミリンダ、天賜、仙人卜半の1㍍を越える大苗。これらは、スペアがない。
   庭への移植場所を逡巡している途中で、早く植え替えておくべきであったと後悔している。
   初期の水涸れで、葉が脱水症状で巻き上がっているのに気づいたので、急いで鉢に水を満たし、葉水すべく徹底的に水を吹き掛けた。
   幸い、手当が速かったので、固い葉っぱの椿には珍しく、綺麗に正常な状態に戻っていて、ホッとした。嬉しかった。
   

   他にも、大苗の青い珊瑚礁や鳳凰、バレンタインデーなど、気になる椿も何鉢かはあるのだが、鉢植えには庭植えにはない便利さや魅力があるので、そのままにしておこうと思っている。
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PS:シャシ・タルール「米国とインドの非同盟同盟 The US and India’s non-aligned alliance」

2023年07月15日 | 政治・経済・社会時事評論
   元国連事務次長でインドの元国務大臣で国民会議派の国会議員であるのシャシ・タルールのPSの論文「米国とインドの非同盟同盟 The US and India’s non-aligned alliance」
   先日のアルビンド・スブラマニアンの米印論と比べて読むと面白い。

   かつては、パキスタンは米国の同盟国だが友人ではなく、インドは友人だが同盟国ではないとよく言われていた。 米国との戦略的パートナーシップが強化されているにもかかわらず、インドは依然として米国と歩調を合わせることに消極的であるが、中国の自己主張の高まりによって、中立的な立場を放棄せざるを得なくなる可能性がある。と、アメリカへの傾斜を示唆しているのである。

   今回の国賓待遇で遇されたモディ首相の訪米で、米印関係が転換期を迎えた。
   モディ首相の訪問に先立って、人工知能、バイオテクノロジー、量子コンピューティング、5G、サイバーセキュリティなどの技術における二国間協力の促進を目指す、重要技術と新興技術に関する最近の米印イニシアチブを含む、いくつかの大きな進歩があった。両国は、インドが米国から30機のMQ-9Bプレデター武装無人機を取得する契約や、ゼネラル・エレクトリックと共同でインド空軍用のF414戦闘機エンジンを製造する別の計画など、いくつかの防衛協定を発表した。 これらの協定は、これまで正式な同盟国ではない国には適用されていなかったが、二国間防衛パートナーシップの強化を浮き彫りにしている。 冷戦期間を通じて、世界最古の民主主義国家と世界最大の民主主義国家は本質的に疎遠なままだったが、その変化は驚くべきものである。
   冷戦時代、インドは、非宗教的世俗的なソ連に入れ込んでいたが、冷戦の終結は、インドの外交政策の方向転換と世界経済への統合とともに、米印関係の改善につながったものの、1998年のインドの核爆発は米国主導の経済制裁を引き起こした。 クリントン大統領の在任最終年である2000年のインド訪問は大きな転換点となり、ブッシュ政権はその勢いに乗って2005年にインドとの防衛協定を締結し、2008年には民間原子力協力に関する画期的な協定を締結した。 この前向きな傾向はオバマ政権下でもトランプ政権下でも持続し、現在はバイデン大統領の下で最高潮に達している。

  今日、米国は植民地後のインドの戦略的自治への執着に、はるかに積極的に対応している。 ヒンズー教国家主義者のモディは世俗派の前任者マンモハン・シンとは対照的だが、歴代5人の米国大統領と3人のインド首相による関係深化に対する超党派の支持は顕著である。
   この変化は習近平の下での中国の地政学的主張によって部分的に推進されており、これは前任者が中国の「平和的台頭」の原則を堅持してきたことからの根本的な逸脱を表している。 米国は明らかに中国を主な敵国とみており、その影響力の増大に対抗するために地域同盟を積極的に推進している。
   インドは伝統的にどちらかの側につくことには消極的であったが、中国が係争中のヒマラヤ国境を越えて領土を繰り返し侵犯し、2020年6月にインド兵士20人を殺害したことで、中立は維持できなくなった。 インドは独立の姿勢を維持しているが、広島で最近行われたG7サミットで、史上2回目の対面によるクアッド首脳会議が行われたことは注目に値する。
   中国へのメッセージは明らかである。 インドは米国の同盟国ではなくパートナーであると主張しているが、共産主義中国との対立が激化する中、民主主義西側諸国との連携を強めている。

    しかし、インドと米国の関係を中国のレンズを通してのみ見るのは間違いであろう。として指摘するのは、
   アメリカとインドには、民主主義、共通言語、イノベーションと起業家精神の育成への献身など、一般に認められているよりもはるかに多くの共通点がある。 ヘンリー・キッシンジャーがかつて述べたように、両国には「伝統的かつ基本的な意味での利益相反はない」。

   最も注目すべきは、アメリカに住んでいる印僑、絶大な影響力を持つ強大なインド系アメリカ人の存在である。
   政治的見解はさまざまであるが、多くのインド系アメリカ人は、インド関連の問題についてますます率直に発言するようになってきている。 毎年 15 万人を超えるインド人学生が米国に流入し続けていることが、この勢いに貢献している。 これらの移民は米国の教育制度と関連サービスに80億ドル近くを投入するだけでなく、常に新鮮なアイデアや視点を確実に注入している。 長期的には、ユダヤ系アメリカ人が米国の対イスラエル政策形成に役割を果たすのと同じように、インド系米国人も米国の対インド政策形成に貢献する可能性がある。
   インドは戦略的自治を主張しているため、依然として同盟国ではないが、両国の利益は価値観以上に一致していると主張する米国の懐疑論者さえも、それらの利益が緊密な協力に値することを認めている。 モディ首相の訪問は、その協力がどれほど緊密になったかを示すもう一つの兆候となった。と言うのである。

   前回にも、私は、米印関係において、アメリカの経済界やIT業界など多くの分野で影響力を持つこのインド系アメリカ人の存在の重要性について書いたが、タルールが指摘するように、
   ユダヤ系アメリカ人が米国の対イスラエル政策形成に役割を果たすのと同じように、インド系米国人も米国の対インド政策形成に貢献する可能性がある。と言うことであって、
   有事においては勿論、全般的なグローバル世界の活動においても、インドが、アメリカを袖にして、中ロなど独裁的専制的国家枢軸に加担する可能性などあり得ないと思っている。
   経済的には、米中には及びもつかないが、世界最大のポテンシャルをもった人口最大の大国インドの動向が、宇宙船地球号の運命を左右する時代が到来した。
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観光地は何処も混雑、旅は若いうちに (追記)

2023年07月14日 | 生活随想・趣味
   先日のブログ「観光地は何処も混雑、旅は若いうちに」に対して、
   嵯峨嵐山に住んでますが さんが 「観光地は何処も混雑、旅は若いうちに」にコメントしました。と言うアクティビティ連絡が入った。
   コメントは、
   そこまで混んでないと感じていないし、怒り爆発の人周りにいないので、この記事は不思議でした。執筆者の主張ありきで取材が偏っていると思っています。
   祇王寺あたりは、アクセス悪いので向かう人は少なく、ちらほら外国人いますが混雑はしていないですね。
     
   当然の見解で、何の違和感もないのだが、現地にお住まいの方からの連絡であり貴重なので、本文でのコメントではなく、(追記)として、ブログの趣旨を再説することにした。
   私の論旨は、あくまで、「旅は若いうちに」と言うことであって、観光地の混雑を問題にしているのでもなく、嵐山や嵯峨野全体が観光客でごった返していると言うことでもない。付け加えれば、有名な観光地になればなるほど、もう、行けなくなってしまうので、俗な表現だが、早く行った方が良いと言うことでもあろうか。

   先のブログの冒頭の報道記事の引用には、伏線があって、実際に住んでいる鎌倉の現状にも関係している。
   2018年08月26日に、「訪日客、暮らしかき乱すと言うのだが」 と言う記事で、江ノ電の鎌倉高校駅直近の踏切で、中国人観光客が、アニメ聖地の巡礼に犇めいている状況を書いた。
   トップシーズンの休日などでは、江ノ電の鎌倉駅頭は勿論、駅前の広場にまで身動きが取れないほど観光客が溢れてごった返している状況や、小町通りの異常な雑踏などを見ているので、
   ”京都市民の怒り爆発寸前? JR嵯峨野線「インバウンド大混雑」”の記事を見て、嵯峨嵐山駅の混雑ぶりも大変であろうと思って引用したまでで、観光客の異常な増加ぶりを交えて、私見を展開したのである。
   世界中何処の観光地でも、俄観光客の増加で、日常生活の平安を脅かされているというニュースは、国際放送で頻繁に報道されているのは周知の事実であろう。

   しかし、鎌倉もそうだが、混雑しているのは観光地や特定の観光スポットだけであって、鎌倉全体が、観光客で溢れている訳でなく、全般的には、殆ど変化はないし、至って穏やかである。
   数キロ海に向かった江ノ島あたりは観光客で溢れていても、私が住んでいる鎌倉山の裾野の住宅街は寂しいほど静かである。
   従って、嵐山や嵯峨野が、特定の地区を除けば、観光客で溢れかえっていると言う筈はなく、「そこまで混んでないと感じて」当然なのである。

   さて、嵐山と嵯峨野に戻るのだが、祇王寺や滝口寺へは、十年くらい前に行ったくらいで最近は行っていないので分からない。
   その時のことは、2013年04月の「関西小旅行(3)京都嵐山&嵯峨野」の記事にしているが、このブログで、京都:能の旅~仏原&祇王:祇王寺など、結構、祇王祇女や仏御前、横笛と滝口入道の悲恋など平家物語の世界を書いてきている。
   しかし、この記事のように、人けの全くない祇王寺内の写真を掲載しているように、滝口寺でもそうだったが、観光客に出会うことも殆どなかった。従って、ご指摘のように、いまでも同じで、「祇王寺あたりは、アクセス悪いので向かう人は少なく、ちらほら外国人いますが混雑はしていない」のであろう。
   言うまでもなく、嵐山や嵯峨野が、インバウンドの観光客にハイジャックされているとは、毛頭、思っては居ないし、観光地がパンイクするとも思っていない。

   しかし、東側の野宮神社から入ろうと、西側の大河内山荘から入ろうと、雰囲気のある竹林の小径で、愛を確かめようと訪れたカップルも、銀座並みの雑踏で前に進めないような雰囲気では、千年の恋も色褪せてしまうと言うもの。鎌倉の小町通りもそうだが、何故、自由に歩けないような雑踏へ、ハーメルンの笛吹きよろしく、人が殺到するのか、私には分からない。
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観光地は何処も混雑、旅は若いうちに

2023年07月12日 | 生活随想・趣味
   インターネットを叩いていると、次の記事にであった。
   ”京都市民の怒り爆発寸前? JR嵯峨野線「インバウンド大混雑」”
   京都市を走るJR嵯峨野線の混雑が深刻さを増している。嵐山地区へ向かう外国人観光客が殺到しているためだが、抜本的な混雑解消策は取られないまま。どうしてだろうか――。と言うのである。
   外国人観光客の大半が向かうのは、右京区と西京区にまたがる名勝の嵐山地区。右京区の嵯峨嵐山駅に到着するまでの約15分間、・・・ 外国人観光客が一斉に下車すると、列車がガラガラ状態でホームを離れる一方、改札前が大渋滞に。やがて、外国人観光客は渡月橋や竹林の道、保津峡を走る嵯峨野観光鉄道のトロッコ列車など嵐山の名所へ向かい、陽気な歓声を上げていた。しかし、足として使っている地元民にとっては堪ったものではない。

   京都駅あたりから嵐山に行くのなら、バスもあるし、地下鉄や阪急電車や嵐電などを乗り継げば混雑を避けて行けるのだが、JR嵯峨野線が一番便利なのであろう。
   もう60年以上も前になるが、私が学生の頃、この山陰本線の鈍行に乗って、嵐山に向かう観光客など殆どいなかった。今昔の感である。

   さて、私がここで語ろうとするのは、旅は、若いときに積極的にやるべきだと言うことである。
   2週間連続した自由な時間が取れたら、このブログの記事に収容した「ニューヨーク紀行」をリピートして、METでオペラを楽しみ博物館で芸術鑑賞三昧、そして、わが母校のあるフィラデルフィアへセンチメンタルジャーに出ようと思っていたのだが、如何せん、杖をついての老人旅では無理なので諦めている。
   しかし、今ともなれば、残念だとも思っていないし、旅に行けなくても、何故か、これまでの多くの旅の経験に満足しており、その思い出を反芻するのを楽しんでいる。
   このブログの他の「欧州紀行(文化三昧ミラノ・ロンドン旅)」、「初春の上海・江南紀行」、「晩秋のロシア紀行」は引退後の記事なのだが、20世紀後半現役時代には、アメリカ、ブラジル、ヨーロッパでの14年間の海外生活などを通して、随分世界中を歩いてきたので、見るべきものは見たと言う心境で、思い残すことは殆どない。

   まず、旅のはしりだが、幸い、大学が京都であったし、ビジネス生活も初期は大阪であったので、寸暇を惜しんで、古社寺巡礼、歴史散歩に明け暮れていた。
   観光案内書があっても貧弱で、和辻哲郎や亀井勝一郎の本や、平家物語や源氏物語の原典など、歴史書や美術書など総合してイメージを作り上げて、自前の旅を楽しんでいた。
   例えば、今は綺麗になっているが、嵯峨野や嵐山も草深い田舎と言った感じで、祇王寺など朽ち果てた佇まいで、隣の滝口寺などどこから入れば良いのか分からないくらい荒れ果てていて、勿論、尋ねる人など居なかった。しかし、小脇に抱えた平家物語の物語が彷彿として浮かび上がってくる、祇王祇女そして仏御前、横笛と滝口入道の悲恋など、平家物語の世界に引き込まれて感激しきりであったのを、昨日のように覚えている。
   伊丹から東一条の大学に通っていたので、時には、河原町四条に向かわずに、途中で桂から嵐山に転進して、嵯峨野で沈没、
   嵐山嵯峨野は、私の懐かしい青春時代の散歩道だったが、歳を取ってから能狂言に通い始めたので、今でも、平家物語や源氏物語が私の心に息づいている。
   その嵐山嵯峨野が、インバウンドでパンク寸前だという。

   今昔の感の激しいのは、グラナダのアルハンブラ宮殿、
   一番最初に訪れたのは、ブラジルからの帰途1979年4月だと思うのだが、観光客も少なくて、一日中、殆ど人の居ない宮殿内を十二分に楽しんだ。その後、2回ほど訪れたが、世紀末には、入場チケット取得から大変で、室内の鑑賞など数十秒刻みで移動させられるという銀座並みの混みよう。
   自由に楽しめたベニスのサンマルコやドカーレ宮殿も短時間では入れず、ウフィッツィ美術館も飛び込みでは入場できないという。それも、前世紀の話で、今では、特別予約のついたガイドツアーでないと、名だたる観光名所の入場や観劇チケットの取得など無理なのであろう。
   私は、1985年から1993年にかけてヨーロッパ在住であったので、クリスマスと夏休暇シーズンに、自由気ままな自分自身でアレンジしたヨーロッパ旅行を敢行してきた。もう、あの頃までが、本当の良きヨーロッパを楽しむ限界であったのであろうと思っている。
   欧州旅と観劇行脚に入れ込んだお陰で、一文無しになってヨーロッパから帰ってきて苦労したが、二度とない千載一遇のチャンスを利用して経験した貴重な人生であったので、誇りにさえ思っている。

   自由の身になってからゆっくり世界旅行を楽しもう等というのは、邪道であろう、ヨーロッパのあっちこっちで、ツアーについて行けずに沈没したり、途中でギブアップしたりしていた多くの老年の日本人観光客を見ているので、無理をしてでも、若いときに時間を割いて旅に出るべきである。海外旅の醍醐味の一つは、何でも見てやろうと積極的に行動して異文化異文明との遭遇に感激して楽しむこと、歳を取ってからでは遅い。
   それに、世界人口が80億を超えて、中印など豊かになった新興国の観光客がワンサと押しかけているので、早く行かないと、なにもかも観光できなくなってきてしまう。

   私は、今でも、ミラノのレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を、修復前、修復中、修復後の3回、鑑賞出来たのは奇跡だと思っている。
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PS:アルビンド・スブラマニアン「インドに対するバイデンの大きな賭けを理解する Understanding Biden's Big Bet on India」

2023年07月11日 | 政治・経済・社会時事評論
   グローバル開発センターの特別研究員であるアルビンド・スブラマニアンのPSの論文が興味深い。
   米国とインドの前例のないラブフェストは衝撃的であり、率直に言って不可解である。バイデン米大統領がインドのナレンドラ・モディ首相のために国賓晩餐会を主催したり、マッカーシー米下院議長がモディ氏を上下両院合同会議で2度目の演説に招待したりする華やかな行事を行ったのに対して、アメリカは、これまでの国家政策を放棄したのか、 見返りはほとんどないのではないのかと疑う人もいる。
   それでは、何故、大盤振る舞いをしてまでモディ首相を迎え入れたアメリカの賭けの目的は何処にあったのか。

   インドは自国の利益が直接脅かされない限り、中国に対する米国との連合戦争には決して参加しないので、 台湾を巡る米中紛争では、米国が示した寛大さにもかかわらず、インドは傍観者にとどまるであろう。 「悪い賭け」であった。と言う批判もあり、
   一方では、米国自身の覇権が侵食されるにつれ、米国はますますインドを必要とする。と言う論もある。
    新たな独裁国家枢軸には、中国、ロシア、イランだけでなく、サウジアラビア、さらにはトルコも含まれる。 この地政学的な展開に直面して、米国は少なくともインドとの潜在的な冷却化を阻止し、自らがさらに孤立することを避ける必要がある。 アメリカの敵対国の数が増加しているだけではなく、同盟国関係も不安定で、ヨーロッパは予想通り一貫性がなく、特に中国に対して曖昧な態度をとっており、日本と韓国は信頼できる同盟国ではあるが、人口減少により実質的な影響力が失われつつある。

   しかしもっと重要なのは、インドが独裁国家枢軸に加わるのを阻止するために米国がそこまで努力をする必要があるかどうということである。 中国は敵対的な隣国であり、サウジアラビアは戦闘的なイスラム教への世界的な資金提供者であり、主要な軍事供給国であるロシアは混乱に向かっている。 そのような国々との提携は、インドにとってまったく魅力的なものではない。 同様に、影響力のある印僑を持ち、経済的・軍事的利益が基本的に一致しているインドにとって、米国をあからさまに無視しても得るものはほとんどないのである。

   結論として、
   アメリカの賭けは、現在ではなく、中国とインドの運命が長期的に変わるかもしれないという期待に基づいている。 と言うのである。
   現下では、インドと中国の国力や経済力は雲泥の差ではあるが、
   中国の習近平の民間部門に対するますます抑圧的なアプローチは言うまでもなく、長年にわたる構造的および人口動態的な課題のせいで、中国の長期的な成長率は約2.5%に低下する可能性が十分にあり、逆に、インドはおそらく年間 5 ~ 6% の成長を続ける可能性がある。 決して保証されたものではないが、インドがより良い政策とより強力な制度を開発すれば、このシナリオは実現する。 中国とインドのハードパワーにおける大きな格差は解消されないが、中国に意思決定の再調整を強いるほどの格差は縮まる可能性がある。 例えば、中国のインドに対するGDPの5倍の優位性が今後20年間で半減するとなれば、中国指導者らはもはやインドが貿易や国境沿いで報復する可能性を無視することはできない。 さらに、未来はプロセスであり、仮説的な終点ではない。 もし中国の成長が鈍化し、インドの成長が永続的に堅調なままであれば、パートナー、市場、投資先としての相対的な魅力は高まるだろうし、その場合、インドが中国に対抗できるだけの規模に達するずっと前に、戦略的計算が変わることになる。

   確かに、インドが6%で成長できるかどうかは、アメリカではなくインドの政策立案者によって決定される。 しかし米国は、インドの運命を押し上げるために、地政学的重要な時期に重要な後押しを提供していると信じている。 中国の長期的な成長見通しが下方修正され、中国の攻撃姿勢が強まる中、米国の行動が中国市場からの撤退を促す可能性がある。 そして、再ショアリングが望ましい結果ではあるが、資本が中国からインドに逃避するのであれば、米国は反対しない。 米国の行動はインドの軍事能力の向上にも役立つ可能性がある。 事実上、米国はインドが「我々の一員」であると世界に宣言していることになる。 インドがその地位を最終的に公然と受け入れることに消極的であるという事実は、それほど重要ではない。
   正しく理解されれば、バイデンの「インドへの賭け」は、中国との対立を想定した中でインドの軍事支援を確保することではなく、インドが独裁国家の枢軸に向かうのを防ぐことを目的としたものでもない。 むしろ、これはインドと中国の間の実際の、そして認識されている力の差を縮めることを目的とした、計算された長戦戦略である。 ハードパワーの不均衡が小さければ小さいほど、中国に対するアメリカのバランスはより効果的になる。

   さて、このようなスブラマニアンの予測が、現実的なものなのかどうか。
   インドは、徹底した自国の国益優先主義の国であって、外交においても、その時々の状況において、利害判断で行動を起し、確固たる政策に欠ける。
   現実的にも、東西いずれにも同盟関係を結んで、器用に使い分けている。
   もう、随分前の話になるが、国連の職員から、国連職員の何割かの多数がインド人であって、予算をインドへ誘導して困ると聞いたことがある。
   アメリカの経済界の一部やIT関連の印僑の勢力と影響力を考えれば、インドが、アメリカを袖にして、中国や専制国家枢軸へ傾斜するとは思えないが、スブラマニアンの説くアメリアの深慮遠謀の長期戦略が、何十年も続くとは思えない。
        
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