熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

この一年を振り返って思うことども

2016年12月31日 | 生活随想・趣味
   この口絵写真の花は、エレガンスみゆき、秋咲きの桜である。
   まだ、2メートル弱の若木なので、ぽつぽつ花が咲いている状態だが、ソメイヨシノと同じで、一切葉をつけずに、5ミリ足らずの濃いピンクの可憐な花を咲かせる。
   小さな花だが、一本の雄蕊の周りに沢山の雌蕊をつけ、一重でもなし八重でもなし、優雅な花弁を広げている。
   蕾が膨らみ始めると、真っ先に、白い雄蕊が顔をのぞかせるのが面白い。

   私の庭には、冬に咲く花が少なくて、寂しいのだが、早くも、鹿児島紅梅がほころび始めた。
   この花も、梅としては、比較的小さな綺麗な花で、すぐに萎れるのだが、小さな小梅を3つつけて非常に愛らしいので、これだけは、千葉から持ってきて、移植した。
   もう一つ、一輪ずつ咲き続けているのが、椿のタマグリッターズ。
   近縁種のタマカメリーナは、小木なので、今年は蕾をつけなかったが、タマアメリカーナは、まだ、蕾が固い。
   親木の玉之浦よりも複雑な花弁い変化して、さすがに、洋椿として里帰りすると、何となく、バラのイメージに近づいている感じで面白い。
   
   

   青年期から壮年期にかけて、海外生活が長くなって、あちこっちを歩いているうちに、花の美しさとその神秘的な魅力に少しずつ引き込まれて、美しい公園や壮大で目を見張るような庭園などを回り歩いて、少しずつ、ガーデニングの楽しさに目覚め始めたように思う。
   幸いにも、前の千葉の庭も、この鎌倉の庭も、それなりに、広い庭に恵まれているので、晴耕雨読と言うか、花木や草花を育てながら、ガーデニングを楽しみ、四季の移り変わりや朝夕の微妙な変化に揺れ動く花々の息遣いを身近に感じて感激してる。

   さて、この一年は、私にとっては、それ程変化のない普通の年であったように思うのだが、世の中、特に世界情勢については、ブレグジットやトランプ現象などを筆頭に、予想外の事象が現出して、正に、異常づくめの一年であった。

   しかし、結論から言えば、いくら、社会が、ブラック・スワン現象の出現で、予測不可能な異常な動きをして、我々を翻弄しようとも、本質的には、これらの美しい花々の生命のように、長期的に見れば、咲いては枯れ、枯れては咲き続けるように、それ程、変わらないような気がしている。
   と言うよりも、正直なところ、そう思いたいと言う気持ちである。
   尤も、変わらないと言っても、今のシリアなどの地球上の不幸な事象を考えれば、国際秩序の悪化は極に達しており、不遜な言い方が許されるならば、世界大恐慌や第二次世界大戦程度の揺れはあるだろうと言う前提と言うことになる。

   ところで、現在、世界で起こっている現象は、特に、欧米先進国では、現在の政治経済社会、そして、それを支配するエスタブリッシュメントにNOを突き付け反旗を翻しただけであって、確たる将来の設計図もなく、これを破壊して世の中を変えてくれればそれで良いと言う反動的なパワーの炸裂であったような気がする。
   詳細は避けるが、ブレグジットにしても、EUと袂を分かつことが経済的にイギリスにとって良いことなのかどうかは大いに疑問であるし、また、トランプを強力にサポートした白人中産階級以下の人々にとっては、たとえ、法人税の大幅減税と膨大な公共投資で経済が瞬間的に浮揚しても、共和党の強者富者優遇かつ弱者切り捨て政策を考えれば、悪夢にさえなるであろう。
   まして、トランプのウォールストリート・シフトの閣僚人事などを考えれば、リベラル路線が後退して、現状の改革どころか、益々、格差拡大社会へ進む可能性が高くなろう。
   少なくとも、アメリカは、 平等社会を志向した厚生経済とは似ても似つかない、もっと激烈な市場原理主義的な資本主義に逆戻りして行くような気がしている。

   いずれにしろ、アメリカ ファーストで、アメリカが内向きになって行くことは必定で、Gゼロ下のグローバル世界においては、国際秩序の維持は、益々、困難になって行くであろう。
   世界秩序が正常に維持されるには、いずれにしろ、パックス ロマーナ、パックス アメリカーナ、パックス ブリタニカの時のように、押しも押されもしない超大国あっての平和であって、それ以外には、キッシンジャーが説くように、新ウエストファリア体制の構築しかないとすると、これからの世界情勢は、益々、混沌としてくる。

   花が咲き、枯れてまた咲くように、世の中は変わらないと思っているのだが、美しい花を愛でながら、少しずつ、不安になって行くのも事実。
   地球上の貧困が消えて豊かになればなるほど、宇宙船地球号の負荷が重くなって、サステイナブルでなくなって行く、この矛盾をどう解決して行くのか。
   その反動のように、どんどん、国際情勢が悪化し続けるのを心配する。
   少しでも、人類の愚行が英知を凌駕すると、美しい花も一瞬にして命を絶つ。
   そんなことを考えつつ過ごした一年でもあった。   
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外国で買った懐かしいカメラの思い出

2016年12月30日 | 生活随想・趣味
   年末に整理をしていて、懐かしいカメラに気が付いた。
   この口絵写真のカメラは、いわゆる、ドイツ製のスパイカメラと言うべきか、小型のミノックス(MINOX)カメラである。
   長さ12センチくらいの、一寸大きめの箸箱の半分くらいの大きさである。
   私は、最初はレンジファインダーのカメラを使っていたが、それ以降、ずっと、キヤノンとニコンの一眼レフを使い続けている。
   この時、1970年代後半だと思うのだが、ニューヨークで、小さなカメラをと思って、好奇心で、このカメラを買ったのだが、電池もフィルムも特別仕様なので、あまり使ったことはないが、コンパクトなので便利であった。
   尤も、フィルムが小さいので、精密カメラだと言っても、画質がもう一つで、スパイカメラになるのかは疑問であった。
   かなりの接写が可能で、スケール・チェーンが付属しているのが面白い。
   

   次に買ったのは、ライカの一眼レフR3サファリである。
   ライカは、高級レンジファインダーカメラ「Mシリーズ」で有名だが、一眼レフカメラ「Rシリーズ」のR3が、ミノルタとの提携で、1976年に発売され、その後、丁度、サンパウロでの赴任が終わって、東京への帰途、ドイツに立ち寄り、確か、フランクフルトで、毛色の変わったサファリバージョンが、カメラ店に、ディスプレィされていたので買ったのである。
   このカメラは、その後、ヨーロッパに出たので、キヤノンやニコンの一眼レフと一緒に、かなり、使った。
   レンズは、ズミクロンR F1.4で、単焦点なのだが、日頃は、日本製のズームレンズ付きの一眼レフが主体であるから、別に不自由はなかった。
   いずれにしろ、日本製のカメラで十二分であり、ヨーロッパでも、ライカのカメラもレンズも結構高価であったし、それ以上、手を広げる気にはなれなかった。
   このサファリは、2,500台しか製造されなかったようなので、貴重品なのかもしれないが、フイルムカメラなので、お蔵入りである。
   

      1985年にヨーロッパに赴任して、日本から持って行ったコンパクトカメラが、ダメになったので、ロンドンかパリか忘れたが、その代わりに買ったのが、ライカ版のフィルムが使える小型のミノックスのミノックス35GTである。
   日本のカメラのように高級感は全くなくて、裏蓋を引き下ろして、フィルムを装填すると言ったシンプルなもので、絞り優先で、距離は合わせなければならないが、他は自動で撮影ができる。
   レンズは、ミノタールF2.8。
   35ミリの普通のフィルムを使えるたので、まずまずの画質であり、スナップを撮るのに役立ってくれた。
   このミノックスと、今一番役立ってくれているコンパクトなデジカメ:ソニーのDSC-RX100と殆ど同じくらいの大きさで、携帯カメラとしては、重宝した。
   

   カメラ遍歴も半世紀になるので、もう、2~30台のカメラを渡り歩いてきたであろうと思う。
   手元にあるカメラだけでも、銀塩カメラを含めれば、10数台はあり、結局、今使っているのは、3台くらいで、殆ど倉庫に眠っている。
   しかし、前述したように、それぞれのカメラに、それぞれの思い出と思い入れがあって、手に取ると無性に懐かしくなる。
   
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スーパーの子供娯楽コーナーのゲーム機

2016年12月29日 | 経営・ビジネス
   孫が、ガンバライジングで遊びたいと言うので、年末で多忙な両親の代わりに、出かけて行った。
   私には初めてで、良く分からなかったが、仮面ライダーのゲームなのである。
  
   行ってみたら、この仮面ライダーのゲーム以外にも、おそらく、アニメのキャラクターを主題にアレンジしたゲームであろう、女の子のゲームもあって、同じように、パチンコ台のようなゲーム機に向かって、盤面のキーやボタンを叩いている。
   私は、パソコンでもそうだが、ゲームには全く関心がなく、パチンコさえしたことがないので、よく分からないのだが、5歳の孫は、手慣れたもので、何の抵抗も躊躇いもなく、ディスプレィを見ながら器用に機械を操ってゲームに興じている。
   この日、このガンバライジングのゲーム機が2台あるのだが、既に、1機は、30がらみの若者が使っていて、当然だが、孫と同じような格好で、熱心にゲーム機に向かっており、びっくりした。
   その青年は、カードを束になるほど持っていて、かなり、長時間ゲーム機に向かっていたが、子供のゲームと言っても、相当高度になっていて、魅力的なのかもしれない。

   何十年も前、丁度、インベーダーゲーム機が出始めた頃で、当時喫茶店などで置かれていて、人気を集めていた。
   このゲーム機を、酒も飲めなければ何の娯楽もないので、わが社のサウジアラビアの工事事務所に持ち込んで、社員たちが暇つぶしをしていた。
   今から見れば、子供だまし程度の、ゲーム機だったと思うのだが、結構、娯楽になっていたようである。

   ゲームを、ギャンブルと同列に論じるつもりはないが、いずれにしろ、これに、賭け事的な要素が、加わると、ギャンブル的な色彩を帯びるであろうし、その依存症と同時に、子供たちのゲーム漬けが心配となる。
   今の子供向けのゲーム機がどのようになっていて、どの程度、競争心なり闘争心を煽り、どの程度報酬的なものを与えたり、賭け事的な要素があるのかは私自身理解がないので、何とも言えないのだが、いずれにしろ、それ程、喜ばしいことではないように思う。

   スーパーの店舗の中に、このようなゲームセンター的な小さな子供の遊技場がある。
   在来型の遊戯機械の前には、殆ど子供がいなかった。
   常駐従業員は一人くらいで、殆どいないようで、トラブルでもあれば、大きな店舗なのでサポートが利くので、ゲーム機や機器さえ備え付けておけば、ビジネスになるのであろう。
   隣接して、おもちゃ売り場がある。
   店舗として、子供を呼び込むことによるパラシュート効果もあるのであろう。
   興味深かったのは、両替機が備えつけられていて、1万円の高額紙幣を替えられることである。
   
   
   

   昨今、カジノ法案というか、カジノ解禁を柱とする統合型リゾート(IR)推進法が問題になっていたが、私は、ギャンブルそのものが、人間の本姓に根ざすものであって、法で規制する埒外の世界だと思っているので、
   政府は、ギャンブル依存症の対策をまとめた法案を来年の通常国会に出す方針だと言うが、すでに、競馬や競輪、競艇といった既存の公営ギャンブルのほかに、20兆円産業と言われるパチンコなどが存在している以上、今更、と言う気がしている。

   私は、モンテカルロやラスベガスやアトランティックシティのカジノへは、行ったことがあるし、ロンドンやアムステルダムなどのカジノを覗いたことがある。
   ラスベガスで、スロットマシーン程度はやったが、しかし、見学が目的で行ったので、雰囲気を味わっただけで、賭けるようなことはしていない。
   欧米の文明国のみならず、発展途上国でもカジノが行われており、カジノがあるからと言って、即、ギャンブル依存症が蔓延して社会問題になるとも思っていないし、自民党が言うように、経済社会の発展に寄与するなどとも思っていない。
  アメリカの場合、ラスベガスのほかに、トランプが入れ込んでいたアトランティックシティが有名だが、都市全体をカジノ特区のような特別な総合レジャーランドにしなければ成功などありえないであろうし、熟成と歴史も必要であろうし、それでも、アトランティックシティを見ればわかるが、浮沈も激しい。
  カジノが、あるかないかが、それ程、大きな問題だとは思っていないし、あってもなくても、行く人は行くであろうし、殆どの人は、関心がないのではないかと思っている。
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国立能楽堂・・・観世信光月間の舞台

2016年12月28日 | 能・狂言
   12月の国立能楽堂の主催公演は、「観世信光~没後5百年~」であった。
   定例公演など4回で、信光の作「遊行柳」「胡蝶」「船弁慶」「張良」「紅葉狩」が演じられた。
   「遊行柳」のシテを、友枝昭世、「張良」のシテを、野村四郎の両人間国宝が舞うと言う貴重な公演であった。
   会場のロビーには、信光についての系図や舞台写真、作り物の模型などが、ディスプレィされていた。
   
   
   

   能の鑑賞の時には、解説書などを読んではいるのだが、世阿弥作くらいしか意識がなく、信光については、殆ど知らなかったので、今回、良い勉強になった。
   梅原猛の「信光と世阿弥以後」における「信光ーーワキ・大鼓・能作、才能の人」と言う論考を読んでいると、音阿弥の第七子で、15歳の時に昇殿して、後花園院が、その大鼓の才を愛でて、褒美の扇を、将軍義正を通じて手渡したと言う。
   間違いなく、信光は、観阿弥・世阿弥・元雅・禅竹と並ぶ、見事な能を作った天才で、信光なくして現在のごとき「音阿弥系の観世」の繁栄はなく、また、能が歌舞伎に通じるような華麗な立ち回りを含む芸術とはならなかったと、結論付けている。

   また、信光は、和漢の書物をよく読み、故事に通じ、その和漢の故事を題材として様々な優れた曲を作り、その詞章に見事な音曲を付し、右に出るものはなく、観阿弥・世阿弥に匹敵する立派な能作者であった。
   もし、信光の能がなかったら、能は幽玄で深いものであったとしても、あまりに暗いものであり、後世に伝えられる能の華やかさは存在しなかったであろうし、歌舞伎を思わせる華やかなショーとはなり得なかった。
   能に活劇的なスペクタクルな要素を持ち込んだのは、信光である。という。
   
   梅原先生は、船弁慶同様に、「安宅」も「道成寺」も信光の作であろうと説く。
   「安宅」が「勧進帳」になり、「道成寺」が、「娘道成寺」の多くのバリエーションを生み出すなど、歌舞伎化されたて、日本の古典芸能の演劇性を涵養して発展させてきたのも、信光あっての展開と言うことであろう。

   「遊行柳」は、朽木の柳の精の「草木国土悉皆成仏」思想を現した「西行桜」を意識した夢幻能だと言うのだが、精神において、世阿弥のような悲劇的な怨霊の美学や、禅竹のような性を根本とする壮大な宇宙の哲学はないが、信光の精神ははなはだ健全だと言う。
   
   義経に関係する曲は、「義経記」によっている。
   難を逃れて、西国へ下ろうと、大物浦へ向かい船出するのだが、これが、「船弁慶」の舞台である。
   この渡海は失敗して、吉野に逃れ、畿内を放浪した後、奥州への逃避行に向かい、途中、「安宅の関」で窮地に立ち、これが、「安宅」の舞台となり、それぞれ、非常にドラマチックな展開で、日本の古典芸能の劇的豊かさを涵養するなど大きな役割を果たしたと言うことであろうか。

   また、信光は、唐代の詩の選集「三体詩」や漢唐興廃の故事にも造詣が深く、今回の「張良」や、「高祖」「皇帝」などの能を生み出している。
   信光は、法号が太雅と言うことで僧籍にもあって、和漢の経典や書物をよく読んでおり、相当、学識豊かな知識人であったと言うことで、世代の差も反映して、世阿弥とは違った新しい能作者であったのであろう。

   今回の舞台については、初心者の私には、感想録等無理なのでやめるが、かなり、詞章の表現など分かり易く、ストーリ展開が明瞭な感じがしたので、それなりに、楽しむことができた。
   とにかく、歌舞伎や文楽と違って、切り詰められシンプリファイされた能楽師の舞や謡い、そして、地謡や囃子の醸し出す舞台を観ながら、想像豊かに物語を展開して鑑賞しなければならないので、やはり、年期も経験も豊かな方が良い。
   それに、実経験であろうと代理経験であろうと、見たり聞いたり感じたりしたことでなければ、想像などできないし、やはり、知識や経験が大切だと言うことが痛いほど良く分かる。
   その意味では、能の舞台が、今回の大物浦もそうだが、京都や奈良や神戸や大阪などが、比較的多くて、私自身が生活し見聞きした世界なので、助かっていることもある。

   今年も、都合、50回くらい、この国立能楽堂に通った勘定だが、とにかく、分かっても分からなくても、嫌にならずに通い続けていると言うことが良いのかも知れないと思っている。

   今月の公演で、同時に演じられた狂言は、「簑被」「縄綯」「胸突」「業平餅」。
   
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国立演芸場・・・歌丸の「井戸の茶碗」

2016年12月25日 | 落語・講談等演芸
   今年最後の国立演芸場の「第403回 国立名人会」のプログラムは、次の通り。
   落語「時そば」   桂 文治
   落語「不動坊」   桂 小文治
   落語「肝つぶし」  三遊亭 好楽
   ―仲入り―
   落語「味噌蔵」   三笑亭 夢太朗
   曲芸         ボンボンブラザース    
   落語「井戸の茶碗」 桂 歌丸

   勿論、歌丸のしっとりとした語り口の人情噺「井戸の茶碗」を聴きたくて出かけた。

   「井戸の茶碗」は、これまでに金原亭伯楽の落語で聴いており、また、講談の人間国宝一龍斎 貞水の講談バージョンである「細川の茶碗屋敷」でも聴いているので、馴染みの話で、善人ばかりが登場する実に爽やかな噺なので、聴いていて楽しい。
   それを、圓朝噺で、実に話術巧みに感動的に語っている歌丸であるから、どんなに素晴らしい噺が聴けるか、非常に楽しみであった。

   歌丸のまくらは、今年も残り少なくなりましたが、お詫びしなければならないと言って、当然、今年はろくな年ではなかったと、腸閉塞の闘病話から語り始めた。
   今月の初め、北海道に行った時に、飛行機が水平飛行に入った途端、息苦しくなって呼吸困難となったが、携帯酸素もなく、困って、沢山あるのだから酸素吸入器を一つ貸してくれとスチュワーデスに言ったのだがダメだと言われた。
   行き返り飛行機の中では大変だったが、下へ降りると何でもなくなったが、14日病院に行く予定だったので、行ったら即入院。
   毎日、点滴3本、しかし、21日、国立の舞台があるので、医者と喧嘩して無理に退院してきた。
   この話は内密にと言って、お聴き苦しいかも知れないが、ご勘弁くださいと語り始めた。
   いつも、そうだが、血色も変わらないし、大病している歌丸師匠と言う感じは全くなく、凛とした歯切れのよい名調子の語り口で、感動的な人情噺を、45分語り続けた。
   凄いパワーである。

   病院に居ると、良くなると、これ程、退屈なことはなく、テレビのことや明日の日本経済を考えたり・・・自分の経済の方が大切だと分かった。
   昔のことを思い出すと、現在見られない様な商売があり、くず屋もその一つで、手拭いで頬被りして竹で編んだ籠を背負い掴みばさみを持って「くずイー」
   くず屋を呼ぶ声によって、客がどのようなものを出すか見分けがつく、世間体を憚って声を殺して小さな声で呼ぶのは、・・・
   「どこですか」「ここだここだ」「どこですか」「便所だ! 紙一枚・・・」と話しながら、「井戸の茶碗」を語り始めた。

   この「井戸の茶碗」は、次のような噺。
   麻布茗荷谷に住むくず屋の正直清兵衛が、裏長屋に住む貧乏浪人の千代田卜斎から仏像を買って、白金の細川家の家来・高木佐久左衛門に売る。高木が仏像を洗っていると、台座の紙がはがれ、中から五十両の金が出てくる。高木は「仏像は買ったが五十両は買った覚えはない。売り主に返してやれ」と言って、清兵衛に渡すが、卜斎は「売った仏像から何が出ようとも自分の物ではない」と受け取らない。中に入った家主の仲裁で、「千代田様へ20両、高木様へ20両、苦労した清兵衛へ10両」と言う提案に、千代田はこれを断って受け取らないのだが、「20両の形に」という提案を受け入れて、毎日使っていた汚い茶碗を形として、20両を受け取る。この話が細川家にも伝わって、茶碗を殿に披露していると、丁度居合わせた目利きが、「青井戸の茶碗」という逸品だと鑑定する。細川家が、買いあげて、300両を下げ渡す。その内、150両を高木が受け取り、卜斎は、残りの150両をまたもや拒絶するのだが、何を思ったのか、今度は、受け取る代わりに、娘を嫁に貰ってくれるなら支度金として受け取ると言う。嫁取りの必要を感じていた高木は、卜斎の娘ならと結婚が決まる。清兵衛が、「今は裏長屋で粗末ななりをしているが、こちらへ連れてきて一生懸命磨けば、見違えるようにおなりですよ」言うと、高木が、「いや、磨くのはよそう、また小判が出るといけない」。
   講談の方は、細川家が、この井戸の茶碗を将軍綱吉に献上し、その礼に屋敷を賜ったため、その屋敷を巷では「茶碗屋敷」と呼んだと言うことである。
   また、茶碗の一件がきっかけで細川家が仲介して、卜斎の旧来通りの仕官が叶うと言うことになる。

   清廉潔白で片意地な二人の武士の間に立って、右往左往する人の好いくず屋の表情を、歌丸は、実に滋味深く愛しみを込めて演じ続けて、ほろっとさせる。
   くず屋を呼んで仲立ちするだけの登場だが、卜斎の娘が、素晴らしい乙女であることを彷彿とさせて、話の結末が素晴らしい。

   歌丸は、50両を返すために、清兵衛を探すべくくず屋を探索中に、人相の良くないくず屋に「小遊三の先祖か」と聞いたり、高木が母上から早く嫁を貰え結婚しない男は一人前ではないと言われたと言って、「昇太は半人前だ」と言ったりして、観客を喜ばせていた。
   
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おもちゃの価格変動は家電並み

2016年12月23日 | 経営・ビジネス
   この口写真のおもちゃは、バンダイの「仮面ライダーエグゼイド DXマイティブラザーズXXガシャット」である。
   別売のベルト「仮面ライダーエグゼイド DXゲーマドライバー」にセットすれば、変身できると言う寸法である。
   クリスマス商戦を意識したのか、本日12月23日発売で、ビックカメラやヨドバシカメラなどの量販店のネットショップでは、予約で完売と言うか、早々に、販売終了であった。

   ところで、この商品の価格だが、ビックカメラでは、メーカー価格2,500円と書いてあり、アマゾンとヨドバシカメラでは、販売価格ないし参考価格として2,700円と書いてあり、バンダイのHPでも記載はないので分からないのだが、恐らく、定価は2,500円+税と言うことなのであろう。
   ビックカメラのネットショップでは、ビック特価: 1,980円 (税抜) 税込:2,138円となっていて、一番安い。ヨドバシカメラは、税込みで、2,430円。
   アマゾンでは、先日までは、完売で、マーケットプレイス出品者の販売を提示していたが、最低はアマゾンの2,700円で、その他は、送料を考慮すれば、3,000円以上で、価格は、まちまちであった。
   おかしなもので、今日発売日になって、アマゾンが、また、2,700円で販売を開始し、マーケットプレイスの価格も下がっている。
   発売日を経過した今日から、一気に価格が下がる筈である。
   (参考:翌日の今日24日、アマゾンでは、送料込みで、参考価格: ¥ 2,700 を、 価格: ¥ 2,209 通常配送無料 OFF: ¥ 491 (18%) で売っている。子供に対して、こんなビジネスは、適切なのであろうか。)


   何故、「仮面ライダーエグゼイド DXマイティブラザーズXXガシャット」に拘るかと言うことだが、孫に、どうしても欲しいと言われて、ネットで買おうと思って、とりあえず、いつものように、インターネットで、アマゾンとビックカメラとヨドバシカメラを叩いたら、23日発売と言うことで、夫々、完売ないし販売終了で買えなかった。
   一応、楽天やヤフーなどの他のネットショップを調べてみたのだが、3,000円以上するし、何時、送られてくるのかも不明であり、知らない新しいショップでもあり信用できないので、諦めた。

   孫を失望させるわけにもいかないので、当日23日、午後に、国立能楽堂に行くことになっていたので、まず、大船のヤマダ電機に立ち寄り、取得できなかったら、横浜のビックカメラなり量販店に行って買ってみることにした。
   結局、朝、10時半頃に、大船駅前のヤマダ電機に行ってみたら、そこは、アップルやソニーの販売とは違って、別に子供が並んでいるわけでもなく、一つ求めることが出来た。
   2,250円+税で、2,430円で、やはり、定価は2,500円+税で、10%引きと言うことなのであろう。

   ここで、面白いと思ったのは、子供のおもちゃの価格さえも、家電製品やカメラやパソコンの価格と同じような仕組みで決定ないし変動していることで、これまでは、販売時期を過ぎてから、おもちゃを買っていたのか、かなり、ディスカウントされた価格で安く買っていたことを思い出した。
   市場価格が原則であるから、トイザらスなどの価格破壊が、街のおもちゃ店を駆逐したと言うことであろうが、流通経路なりシステム如何で、子供のおもちゃさえ、値段が、市場に翻弄されると言うことである。 
   それに、販売前だと、量販店は、いざ知らず、他のショップでは、予約販売と言う形で、かなり、高値で売り出すと言うことが分かって、興味深かった。
   昔、マドリッドで、4公演あるオペラのチケットの価格が、前半の2日分が、後半の2日分の2倍であったことを思い出したが、ものを買う時には、早起き鳥は、三文の得にはならないのである。

   私見だが、子供のおもちゃくらいは、マルコウと言わないまでも、再販売価格維持制度のようなシステムで、ある程度、維持した方が良いのではないかと思ったりしている。
   孫など、最近は、仮面ライダーエグゼイドに入れ込んでおり、DXゲーマドライバーを腰に巻いて、5~6個のガシャットを差し込んで操作しながら、派手なアクションで恰好をつけて遊んでいるのだが、コンピューターを内蔵したICT機器おもちゃなので、色々加えれば、万札が飛ぶほど、結構コストが掛かっており、どんどん、エスカレートして行く。
   
   この本論とは、関係ないのだが、今日のおもちゃ購入で、気付いたことは、おもちゃについては、ネットショップより、リアルショップの実店舗の方が、買い易いと言うことで、最近の趨勢とは一寸違って、面白いと思った。

   先日、テレビや新聞で、ネットショップの急拡大で、中国では、実店舗の売り上げが激減して、どんどん、商店が潰れて行き、中国版シャッター通りを生み出し、日本のスーパーも、中国の店を、9店舗から4店舗閉鎖して、少しずつ撤退していると報道していた。
   また、ほんの1~2年前まで、中国人観光客の爆買いで、活況を呈していた日本の百貨店の売り上げが、何も日本まで来て重い荷物を背負って買って帰らなくても、ネットショップで何でも便利に調達できるので、日本の百貨店も、一気に売り上げが激減して閑古鳥が鳴き始めたと言う。
   確かに、銀座を歩く中国人が減って、荷物やスーツケースを持つ観光客が殆どいなくなってしまっている。
   これ程、至れり尽くせりのネットショップ時代になると、リアルショップは、余程の魅力と特色がなくては、生きて行けない。

   この逆を行って、価格コムを見れば分かるが、市況によって瞬時に価格が乱高下して、客を翻弄し始めている、おもちゃをネットで売る買うと言うシステムの歪みを、今日、味わったような気持がして面白かった。
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年末のガーデニング:バラの剪定と植え替え

2016年12月22日 | わが庭の歳時記
   わが庭に咲いている花は、椿だけで、寒椿とハイフレグランスとタマグリッターズ。
   寒椿は、サザンカのように花弁がひらひら落ちて地面に敷き詰める。
   その点、洋椿は、花が派手で華やかであり面白いのだが、まだ、木が小さいので、一気には咲かずに、一輪一輪と咲く。

   さて、毎年、年末に、バラの剪定をすることにしている。
   庭植えは、フェンスに張ったつるばらとスタンド作りなど数本で、15本以上は、鉢植えである。
   殆ど10号鉢を使っているので、まずまずの迫力である。
   庭木が十分なので、鉢植えにせざるを得ないのだが、庭を走り回る孫のためには、バラのとげが問題で、家族がやかましいので、時には裏庭に移動しなければならない。

   冬の剪定は、思い切って切り詰める。
   昔、京成バラ園で、一度だけ冬剪定のセミナーを受講して、実地練習で、相当株元まで切り詰めても、良いことを知ったので、花芽がある限り、HTは、鉢植えである所為もあって、ずばりとやっている。
   私の場合、イングリッシュ・ローズが、半分以上なので、株にもよるが、これらは、あまり切り詰めずに、2分の1くらいに抑えて、すべての枝を満遍なく切り落としている。
   まだ、花を咲かせていた株もあったが、葉も取って剪定したので、丁度、散髪したように、すっきりとなって、気持ちが良い。
   
   同時に、何鉢か、まだ、7号鉢のバラもあったので、植え替えた。
   鉢から株を抜いて、古い土を落として古い根を切り落とし、9号鉢に植え替えるのだが、土は、市販のバラの培養土を、鉢底に多少肥料を加える程度で、そのまま使っている。
   年明けから、硫黄合剤などの薬剤散布をして、適当に肥料をやれば、春には、綺麗な花が咲く筈である。

   残念ながら、イングリッシュローズのウィリアム・シェイクスピア2000が枯れかけていたで、植え替えようとしたが、殆ど白い根が残っていないので、とりあえず植え替えたが、ダメであろう。
   同じく枯れかけていたキャプリス・ド・メイアンを、11月に植え替えて置いたら、芽が出てきており、これは、回復できそうであり、嬉しい。
   このバラは、バラを栽培し始めて最初に植え始めたバラで、もう、20年以上も、私の千葉の庭に植えてあった唯一の生き残りで、黄金色の裏地に深紅のツートンカラーの花弁が美しく、もう一度、来春花を咲かせてほしいと思っている。
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国立劇場・・・文楽:通し狂言「仮名手本忠臣蔵」(2)

2016年12月21日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   同じ浄瑠璃を基にした舞台だが、丸本に近い文楽と、それを脚色して、より劇化した歌舞伎とでは、ストーリー展開や演出など、かなりの違いがj出ていて、非常に興味深い。

   本筋とは殆ど関係ないのだが、「山崎街道出会いの段」での、与市兵衛が定九郎に50両を奪われるシーンが大きく違っていて面白い。
   歌舞伎の場合には、
   中村仲蔵の脚色で、黒羽二重の着付け、月代の伸びた頭に顔も手足も白塗りにして破れ傘を持つという拵えの定九郎が、与市兵衛が、稲掛けの前にしゃがみこんだところを、突如二本の手を伸ばして、与市兵衛を引き込んで、与市兵衛を刺し殺して財布を奪う。財布の中身を探って、「50両!」。
   イノシシに向かって勘平が撃った二つ玉に当たって、死んでしまい、勘平に財布を持ち去られる。
   と言ったシンプルな舞台だが、歌舞伎の様式美の最たるシーンで、かなりの名優が演じることになっていて、先月の歌舞伎の舞台では、松緑が定九郎を演じていた。

   一方、文楽の方は、オリジナルの浄瑠璃を踏襲していて、老人が夜道を急ぐ後を定九郎が追いかけて来て呼び止めて、「こなたの懐に金なら四五十両のかさ、縞の財布に有るのを、とっくりと見付けて来たのじゃ。貸してくだされ」と老人に迫って、懐から無理やり財布を引き出す。
   老人は、抵抗して抗いながら、これは、自分の娘の婿のために要る大切な金であるから許してくれと、必死になって哀願するが、親の悪家老九太夫でさえ勘当したと言う札付きの悪人定九郎であるから、理屈の通らない御託を並べて、問答無用と、無残にも切り殺す。
   ストーリーとしてはリアル重視で分かるが、あまりにも殺伐とした感じで、この段を、益々、陰鬱陰惨な芝居にしている感じであり、シンプルで様式美に徹した歌舞伎の方が、良いのではなかろうか。

   もう一つ、面白いのは、次の「身売りの段」で、おかるが売られて行く祇園の一文字屋である。  
   文楽では、一文字屋の亭主が登場するのだが、歌舞伎では、女主の一文字屋お才と判人源六に代えていて、登場人物を分けている分、それだけ、ストーリー性が豊かになっていて面白い。
   文楽では、語っているのは同じでも、義太夫語りにもよるのであろうが、どうしても、亭主の台詞は、源六調に近くなって、お才の醸し出す色町の女将の雰囲気が希薄となって、この段のムードをストーリー一辺倒に追い込んでしまっていて味がなくなる。
   歌舞伎では、お才を魁春が演じていたが、中々、雰囲気があって好演していた。

   今度の文楽を観ていて、一つだけ、歌舞伎の通し狂言と比べて、惜しいと思ったのは、二段目の前半の「桃井館力弥使者の段」が、省略されていたことである。
   それ程重要な場ではないので、演じられることは殆どないようだが、大星由良助の子息:大星力弥が、明日の登城時刻を伝える使者として館を訪れるのだが、父母の本蔵と戸無瀬が気を効かせ、許嫁で力弥に恋する小浪に、口上の受取役とさせる。そわそわもじもじ、ぼうっとみとれてしまって真面に受け答えも出来ない小浪と他人行儀の対応で応える力弥の初々しい面会シーンが、実に良いのである。
   その場へ、主君若狭之助が現れて口上を受け取り、力弥は役目を終えて帰って行く。
   それだけだが、この二段目の力弥使者の段を観ておれば、八段目の「道行旅路の嫁入」と九段目の「山科閑居の段」で、如何に、小浪が、力弥との祝言に命懸けで当たっていたかが良く分かり、父母の本蔵と戸無瀬の生き様が浮き上がってくる。
   軽い「おかる」が引き起こした文使いによる塩谷家滅亡と同じように、小浪の恋が本蔵を死に追いやり討ち入りを助けると言う作者の導線の冴えが良く見えてくるのである。

   文楽と歌舞伎で、最も大きな違いは、歌舞伎には、文楽には全くない、三段目の後に嵌め込まれた「浄瑠璃 道行旅路の花婿」であろう。
   三段目最後の「裏門の段」で、おかるとの逢瀬を楽しんだために塩谷判官の刃傷事件に間に合わずに、裏門で締め出されて、切腹しようとした勘平を、おかるが止めて、父母の在所の京都の山崎に落ち延びようと言うクダリを借用して、
   おかると勘平は、駆け落ちを決意して、山崎へと目指すのだが、美しい風景をバックに落ちて行く旅の途中、コミカルタッチで追いかけて来た鷺坂伴内を立回りで追い払うと言う清元節を使った所作事となっていて、楽しませてくれる。
   元々の浄瑠璃にある八段目の道行と同じで、鎌倉から、一方は山崎、他方は山科と目的地は違うが、京都へ向かって上って行く旅路で、華やかな楽に乗った舞踊劇が美しい。
   普通、東京バージョンの歌舞伎の通し狂言では、八段目と九段目は省略されることが多いので、この山崎への道行旅路の花婿が、華を添えることとなる。

   ところで、今回も、十一段目は、「花水橋引揚の段」だけで終わっている。
   先日、歌舞伎のところで、十一段目は、面白くないと書いたのだが、不思議なもので、やはり、討ち入りのシーンがないと、忠臣蔵を見た感じがしないのである。
   
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国立劇場・・・文楽:通し狂言「仮名手本忠臣蔵」(1)

2016年12月19日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   国立劇場の文楽「通し狂言 仮名手本忠臣蔵」は、千穐楽の公演を聴いた。

   今回の「通し狂言 仮名手本忠臣蔵」は、多少、省略はされてはいるが、次のプログラムで、朝の10時半開演で、夜の9時35分終演と言う意欲的な公演で、文楽ファンにとっては、大変な幸運で、連日満員御礼であった。
   通して一気に鑑賞すると、この浄瑠璃のスケールの大きさと作劇の妙に感嘆しきりで、源氏物語や平家物語にしてもそうだが、日本文学の素晴らしさを痛いほど実感する。

   通し狂言 仮名手本忠臣蔵
   大  序   鶴が岡兜改めの段・恋歌の段
   二段目   桃井館本蔵松切の段
   三段目   下馬先進物の段・腰元おかる文使いの段・
        殿中刃傷の段・裏門の段
   四段目   花籠の段・塩谷判官切腹の段・城明渡しの段
   五段目   山崎街道出合いの段・二つ玉の段
   六段目   身売りの段・早野勘平腹切の段
   七段目   祇園一力茶屋の段
   八段目   道行旅路の嫁入
   九段目   雪転しの段・山科閑居の段
   十段目   天河屋の段
   十一段目 花水橋引揚の段

   余談ながら、4年前に、大阪の文楽劇場で、この通し狂言「仮名手本忠臣蔵」が上演されたので出かけて、同じように1日通して聴いた。
   住大夫は出られなかったが、源大夫が早野勘平切腹の段を、嶋大夫が山科閑居の段を語った。
   咲太夫は、前回も今回同様、塩谷判官切腹の段と祇園一力茶屋の段の大星由良之助を語った。
   人形遣いについては、ほぼ、前回を踏襲している。
   変わっているのは、前回には省略されていた、十段目 天河屋の段が、上演されたことである。

   その前に、この国立劇場で、10年前の9月に、通し狂言が上演されて、住大夫が、山科閑居を語り、簑助が、由良助を遣い、その最中に、初代玉男が逝った。
   この時も、凄い舞台で、感激して観ていた。

   さて、まず、今回、上演された十段目 天川屋の段だが、歌舞伎の第3部には加えられていた前半の「人形まわしの段」が省略されていて、直接、「天河屋」が上演されていたので、これだけでは、離縁など女房お園との関係などが分かり難かった。
   もう一つ、歌舞伎のところで書いたのだが、元の浄瑠璃の通りに、義平が、どっかと座って、「天河屋義平は、男でござる」と見得を切った長持ちから、由良助が、登場すると言う上演形式になっていて、こんな狭いところにどうして潜り込めたのかなど、どうも、しっくりと行かなかった。
   義平も承知の上での策だと思って義平の表情を観ていたのだが、由良助が、義平に向かって、「サテ驚き入ったる御心底、・・・」と言っており、自身も驚いていたので、シチュエーションなり作者の意図が分かっても、どうも、納得できない。
   あれほど、おかるや勘平、加古川本蔵と言う傑出した創作の人物を紡ぎ出して大作を創り上げた作者が、何故?・・・と思うと不思議である。

   当初、歌舞伎の忠臣蔵を見始めた頃には、何故、関係のない加古川本蔵が登場するのか、それも、主役で、・・・と思って違和感があったのだが、この頃では、この九段目が、一番よく出来ていて、最も好きな段でもあり、いつも、楽しみに観ている。
   本蔵も言っているのだが、まかり間違えば、自分自身が、大星由良助になっていたのであるから、謂わば、赤穂事件外伝の創作版バリエーションと考えても不思議ではなかろう。

   冒頭の大序、二段目、三段目で語られているが、高師直のあくどさと嫌がらせに耐えられなくて、殺害を意図して殿中で事件を起こそうとしていたのは、塩谷判官ではなくて、若狭助であって、その家老の本蔵が、一旦は、すっぱりとやりなさいと嗾けておいて、裏から過分の賄賂を高師直に献上して懐柔して、毒気を完全に抜いて難を救っただけなのである。
   橋本治が書いているが、総務系管理職と言うところで、今なら許されないが、当時なら、当然の家老の才覚であり、由良助が獅子身中の虫と言って誅伐する九太夫が原郷右衛門を責めるように、吝嗇では無理で、金銀を以て面を張らなければならないこともあろう。
   どうしようもない悪玉の師直が、若狭助に心外ながら詫びを入れて屈辱に耐え抜いたその直後に、横恋慕して、ものにしたい一心で口説いた顔世に拒絶の歌を、こともあろうに、夫の塩谷判官から渡されて怒り心頭に達して、おっとりとした日和見的で危機意識の欠如した塩谷判官に恨み辛みの矛先をむけての悪口雑言、そこは、坊ちゃんで育ちは良いが根が短気な判官が、切れてしまって刃傷に及んだ。
   塩谷株式会社の危機管理の欠陥が引き起こした悲劇なのである。

   さて、先に、勘三郎が、お石は、本当に本蔵が憎くて小浪を嫁として迎えたくないのだと言っているのを紹介したが、浄瑠璃の大詰めで、戸無瀬とお石の和解のシーンで、お石が、「玉椿の八千代までも祝われず、後家になる嫁取った、・・・このような目出度い悲しいことはない。・・・こういうことが嫌さにナむごうつらういうたのが、さぞ憎かったでござんしよのう。」と述懐している。
   やはり、瞬時に若後家になるのが分かっていて、嫁にするのは可哀そうと言うことであろうことかもしれないが、
   いずれにしろ、本心は、愛憎半ば、綯交ぜであったのであろうと思う。

   歌舞伎にはないのだが、その後、お石は、小浪の手を取って力弥のところへ導き、二人が寄り添ったところで、三々九度の盃を交わさせる。
   ”・・・これや尺八煩悩の枕並ぶる追善供養、閨の契りは一夜限ぎり。心残して立ち出ずる。”
   本蔵は、こと切れ、由良助は出立し、力弥と小浪は閨に向かう。

   山科閑居の幕切れ、文字久太夫の浄瑠璃と藤蔵の三味線の名調子が、観客を魅了する。
   勘十郎の本蔵、玉男の由良助、玉佳の力弥、和生の戸無瀬、勘彌の小浪、簑二郎のお石、
   雪転しの義太夫は、松香太夫と喜一朗、山科閑居の前の浄瑠璃は、千歳太夫と富助、
   絶好調であった。
   
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国立劇場・・・十二月歌舞伎:通し狂言「仮名手本忠臣蔵 道行旅路の嫁入から十一段目大詰めまで」

2016年12月18日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   入場が、15分遅れて、好演していた魁春の戸無瀬と児太郎の娘小浪の冒頭の艶姿をミスったのが残念であったが、次の九段目で、二人の素晴らしい舞台を観て満足した。
   この九段目の「山科閑居の場」は、幸四郎の加古川本蔵が、座頭役者が演じる仮名手本忠臣蔵の舞台のなかでも最も重要な主役なのだが、この八段目と九段目は、小浪の力弥への嫁入が、メインテーマであって、言うならば、九段目は、代理戦争とも言うべき様相を呈した戸無瀬と由良之助妻お石(笑也)との女の闘いが、重要なサブテーマでもあるので、舞台を楽しめるのかどうかは、この三人の活躍が、非常に重要なのである。

   この場では、戸無瀬の方が、お石よりも格上であろう、緋綸子の風格と格調の高さが求められており、前には、芝翫や藤十郎、玉三郎の舞台を観たが、今回は、これまで、お石の舞台を二回観た魁春が、演じていて、恐らく、芝翫や義父歌右衛門の艶姿の再現であろうか、素晴らしい戸無瀬で感動した。

   この戸無瀬とお石の対決で、一番印象に残っているのは、玉三郎の戸無瀬と勘三郎のお石である。
   小浪と力弥(錦之助)とは許婚関係であり、小浪がどうしても力弥に嫁ぎたいと切望するので義母である戸無瀬が小浪を伴い遠路はるばる山科を訪れて祝言させてくれと懇願するのだが、お石は、諂い武士の娘には、力弥に変って去ったとケンモホロロに拒絶して席を立つ。望み潰えて自害を決意した母娘の覚悟を知り、お石は祝言を許すのだが、引き出物として本蔵の首を所望する。
   この男顔負けの、二人の熾烈な対決の凄まじさは格別だが、本蔵以上にサムライ魂を色濃く持った毅然たる態度ながら、義理ゆえに揺れ動く女の悲しさに泣く戸無瀬を、玉三郎も、今回の魁春も、実に感動的に演じていた。

   お石の場合には、本蔵憎しと一本調子で突き進めても、戸無瀬は、期待に胸を膨らませて小浪を力弥に娶せられるべく苦労して山科まで旅をして来たにも拘わらず、お石に冷たい仕打ちを受けて、追蹤武士の娘は嫁に要らぬと主人まで罵倒されて拒絶され、切羽詰まって自害しようと思ったら小浪に死ぬのは自分の方で殺してくれと哀願されて苦渋に泣きながら刀を振り上げれば、「ご無用」とお石に止められて、嫁入りは許されるが、本蔵の首を差し出せと最後通告。その上、本蔵が現れて、娘可愛さに、力弥の槍に倒れて、苦しい胸の内を吐露しながら死んでしまう。威厳と風格を保ちながらも、暗転する運命の悲惨を受けて立つ心の葛藤を演じ分けなければならなず、美しい絵になる舞台姿も維持しなければならない。
   立女形が、挑戦し続けてきた大役なのである。

   ここで、興味深いのは、由良之助(梅玉)の妻お石が、何故、あれ程、邪険に小浪の嫁入りを拒絶にして冷たく当たるのかと言うことだが、普通に考えれば、力弥は、決死の仇討に向かうのであるから、若後家になるのは必定であり、可哀そうだからと言うことになる。
   しかし、関容子の「芸づくし忠臣蔵」によると、お石を演じた勘三郎が、「あれは、芯からいやなんだよ。殿を抱きしめた人の娘なんか、大星家は嫁に貰いたくないんだから。芯から拒絶している強さがなくちゃいけない。」と言っている。
   「金銀を以て媚び諂う追蹤武士の禄を取る本蔵殿と、二君に仕えぬ由良之助が大事な子に、似合わぬ女房は持たせぬ」と言う訳である。
   確かに、そう思うと、玉三郎の戸無瀬に対する勘三郎のお石は、情け容赦など微塵もなかったことを思い出した。

   どう思って観るかは、観客の自由だが、本蔵が、娘の許嫁の主君である塩谷判官を抱きしめた理由を、腹に刀を突きたてたまま「相手死せずば切腹には及ぶまじ、抱き止めたは思い過ごし・・・」と本蔵が告白しており、本当は塩屋のためにと思った咄嗟の武士の情けがアダになったことになっている。
   お石にしてみれば、本蔵は、高師直に賄賂を渡して怒りの矛先を若狭介から塩冶に向かわせて、その上、刃傷の邪魔をしてお家断絶に追いやった張本人であるから許せない。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、小浪も受け入れられない。と言うことであろうか。
   さて、お石を演じた笑也は、どう思って演じたのか、非常に毅然たる態度で偉丈夫とも言うべく、戸無瀬とは、一歩も引かぬ丁々発止の対決を披露していた。
   澤瀉屋の看板女形、流石の好演で、素晴らしい。

   さて、児太郎の小浪だが、以前に、父の福助の小浪を観たことがある。
   記憶は、殆ど残っていないのだが、今回の児太郎の実に初々しく健気でかわいらしい小浪を観て、改めて、その進境の著しさに感動を覚えた。
   このような素晴らしい娘なら、当然、この首を婿の力弥に差し出そうと槍を受けて瀕死の状態で、「忠義にならでは捨てぬ命、子ゆえに捨つる親心推量あれ由良殿」と、涙にむせ返りながら苦しい胸の内を吐露する本蔵の父親の気持ちが良く分かる。
   本蔵が討たれる覚悟で、お石に悪態をつき、戸無瀬が心配して袖を引くと邪険に振り払うが、「力弥めがおおたわけ」と言って小浪が袖を引くと、「よいよい」と言って相好を崩して頷きながら応える優しそうな幸四郎の表情を観ながら、幸四郎と松たか子の本「父と娘の往復書簡」を思い出した。
   娘可愛さのバカ親父になる気持ちは、私も二人の娘を持っているので良く分かる。

   幸四郎の本蔵、梅玉の由良之助、錦之助の力弥の好演は、申すまでもないが、私にとっては、この九段目は、女忠臣蔵の舞台なのである。

   由良助は、本蔵の深編笠や袈裟で虚無僧に変装して、討入りの用意に、摂津の堺の天川屋へ向かって旅立つ。
   本蔵は、静かに絶命し、夫婦と認められた力弥と小浪は、一夜限りの夜を過ごして、翌日堺に向けて出立する。
   愈々、高師直仇討のために、堺港から稲村ケ崎へと船出して行くのである。

    ところで、国立劇場の通し狂言の良さは、九段目の冒頭の「雪転しの段」が演じられていることで、中々、七段目の雰囲気を継承していて風情があって良く、この雪だるまが、後半の、障子を開け、奥庭に置いた雪で作ったふたつの五輪塔を暗示させる。
   一力女房お品が言っているが、祇園から山科までは遠くて、今のメトロならすぐだが、昔では、この舞台のようには、雪の山道を越えて一夜で越せる筈がなく、芝居の虚構としては、絵にはなっていて面白い。

   さて、十段目の「天川屋義平内の場」だが、先日書いたように、義平が、大勢の取り手に囲まれながら、武器の入った長持ちに、どっかと胡坐をかいて、微動だにせず、「天河屋義平は男でござる」と大見得を切る見せ場までは、良いのだが、その後が、何故だが、一気にテンションがダウンして、「作として低調」「愚作」といわれているくらい評判が悪い。
   浪士たちが、偽装して幕府の大勢の捕手となって現われ店に踏み込み、義平を捕らえようとし、その上義平の心をしかも子供を枷にしてわざわざ試そうとする魂胆。そのあと長持の中から、由良助が現れると言う筋書きであったようだが、流石に、国立劇場は、襖が開いて隣の部屋から登場と言うことになっていたが、由良助ではなく不破数右衛門をその代りとして出したこともあったと言う。
   八百余役を演じてギネスブックに載った先代の勘三郎が、「あんなものやりたくもねえや、あんなもの」と大変な反発で面白かったと、関容子さんが書いている。
   何は、ともあれ、歌六の義平と、高麗蔵の女房お園、丁稚伊吾の種之助は、好演していた。

   十一段目は、高家表門討ち入りの場から、花水橋引揚げの場までの大詰めである。
   普段とは違って、柴部屋本懐焼香の場での焼香シーンや、花水橋での浪士全員の名乗りなど、少しずつ付け加えられたり、バリエーションがつけられたりしていた。
   広間や奥庭泉水の場の立回りは、それなりに面白い。
   柴部屋本懐焼香の場では、浪士たちが、炭小屋に隠れていた師直(吹替えであるから白ける)を見つけ引き出して、笛を吹くと浪士が全員集合して、由良助が、判官の形見の腹切り刀を差し出し自害するよう師直に勧めるが、師直はその刀で由良助に突きかかってくるので、師直から刀をもぎ取り刺し殺す。そして、その首を討ち、由良助たちはついに本懐を遂げ勝どきをあげる。
   この過程が、あまりにも、安易簡単に進み過ぎて、これまでの勘案辛苦が何であったのか、全く、感動を感じさせない程あっけないのである。
 
   小林平八郎の松緑、寺岡平右衛門の錦之助、矢間重太郎の隼人など、好演していたが、いつも、「仮名手本忠臣蔵」の通し狂言を観ていて、大詰めに近づくほど面白くなくなってくるのを、不思議に思っている。
   尤も、現在の討ち入りの台本は、元の浄瑠璃の丸本バージョンと違って、河竹黙阿弥以降に改変されたものだと言うから、芝居の密度が一気にダウンしたのも、仕方がないのかも知れない。
   
   
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式能チケット、歌舞伎:忠臣蔵、そして、国立能楽堂

2016年12月16日 | 今日の日記
   今日は、朝に11時開演の国立劇場歌舞伎「仮名手本忠臣蔵 第三部」を観て、夕刻、国立能楽堂に行って、狂言 胸突 野村 又三郎(和泉流) 、能  船弁慶 後之出留之伝 辰巳 満次郎(宝生流)を観る予定であった。
   問題は、来年2月の式能のチケットの販売が、10時からなのだが、早く家を出なければならないので、パソコンを叩いて、ぴあで予約ができない。
   電話などでは、10時の瞬間から繋がりぱなっしで、掛かる筈がない。
   仕方がないので、少し、早く家を出て、国立能楽堂のチケットオフィスに行って、直接買おうと考えた。

   10時10分くらいに着いたら、10数人列に並んでいる。
   本来、窓口は、2つ開いているのだが、不公平になってはいけないと言うことで、この日は、窓口は1つだけで、何時もになく、沢山のスタッフが並んで慎重に対処していた。
  私など、いい加減な所為もあって、数秒で席を選ぶのだが、ああでもない、こうでもない、と言った老人のチケット取得者が一人でもいると、中々、列が進まない。

   今回も、1・2部通しでチケットを買ったので、この通しだけしか見ていないのだが、公演会場である能楽堂に割り当てられたチケットは、正面12,000円と脇・中正面8,000円、それぞれ、10数枚ずつしかない。
   10時前にチケットオフィスに並んで通しチケットを買った人のすべてが、正面席を買っていたことが分かった。
   結局、私は、正面席は、後方か端しか残っていなかったので、不思議にも、まだ、誰も買っていない脇正面の前方のチケットを選んだ。

   帰ってから、ぴあの「式能」を見たら、2部のチケットが残っているだけで、通しと1部のチケットは、ソールドアウトになっていたので、能楽堂に行ってチケットを取得したのが正解であったのかも知れない。
   この2部だが、昨年も最後までチケットが残っていたのだが、今回は、能 金剛流「雪 雪踏拍子」 シテ 豊嶋三千春、狂言 大蔵流「左近三郎」シテ 山本東次郎、能 観世流「花筐」 シテ 観世銕之丞、狂言 和泉流「苞山伏」 シテ 野村万作、能 金春流「土蜘 シテ 櫻間金記 と言う凄い能楽師たちの舞台なのである。

   
   式能は、これで、5回くらいだと思うが、江戸時代の正式な形式に則って、翁を皮切りに、能5曲、狂言4曲が演じられていて、演者は、宗家か人間国宝と言った各流派のトップ能楽師が出演すると言う超豪華版である。
   私は、欧米に居た時に、随分、オペラなど鳴り物入りのフェスティバル公演など、素晴らしい観劇を経験しているが、この式能だけは、どこの舞台と比べても、絶対に引けを取らない素晴らしい舞台だと思っている。

   結局、チケットを取得したのは、10時35分で、それから、北参道から永田町にメトロで出て、国立劇場に着いたのは、11時15分。
   すでに、八段目 道行旅路の嫁入 は、富士をバックにした美しいシーンが終わって、舞台転換するところであった。

   今回の舞台では、九段目 山科閑居の場が、出色の出来であった。
   十段目 天川屋義平内の場は、期待したが、歌六の「天川屋義平は、男でござる」の名セリフと大見得の素晴らしさは、絶品であったが、その後、この義平を脅しあげた取り手が由良之助の家来たちで、義平の信義を確かめるための芝居であったと分かった後のしらじらしさ。
   殆ど上演されないと言うのも、このあたりの稚拙な肩透かしにあるのであろう。
   大詰めの十一段目は、観客が本来一番期待する舞台の筈だが、作品が悪いのかはわからないが、これ程、味気ない面白くもない舞台もなかろう。
   それ程、空席があるとは思わなかったが、やはり、国立劇場開場50周年記念と銘打った以上、空席があると困るのか、後半、ぴあでは、会員に対して、殆ど、上級席チケットをを半額で売っているのだが、同時に上演している小劇場の文楽「仮名手本忠臣蔵」が、開演前に完売したことを考えると、3か月連続と言うのが裏目に出たのであろうか。

   能楽堂の能「船弁慶」は、良かった。
   前シテが静御前で、後シテが平知盛の怨霊と言う面白い舞台だが、シテ辰巳満次郎は、優雅で艶やかな静と、勇壮な知盛を器用に演じ分けて、楽しませてくれた。
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都響定期・・・ヤコブ・フルシャのマーラー「巨人」

2016年12月14日 | クラシック音楽・オペラ
   今回の都響定期は、指揮/ヤクブ・フルシャ、ヴァイオリン/ヨゼフ・シュパチェク で、
   ドヴォルザーク:ヴァイオリン協奏曲 イ短調 op.53 B.108
   マーラー:交響曲第1番 ニ長調 《巨人》

   フルシャは、都響のインタビューで、「巨人」について、次のように語っている。
   ”私はバンベルク交響楽団の就任演奏会のためにも、マーラーの交響曲第1番を選びました。この作品は、私にとって多くの意味を持っているのです。マーラーの交響曲のなかでも、第1番はボヘミアとの強い繋がりがあります。ボヘミアは彼の生まれ故郷であり、私の生まれ故郷でもあります。私はこの曲の情熱や苦悩を愛し、また一方で無邪気さや純真さを愛しています。救世主を崇めるような、ほとんどこどもじみた愛情なのかもしれませんが。この音楽に飽きてしまうことなど決してありません。ある意味では、19世紀から20世紀へと至る音楽の入り口です。19世紀に根づき、20世紀へのヴィジョンをもった音楽なのです。”

   もう、半世紀くらいも前の話になるが、演奏会で、マーラーの交響曲がプログラムにかかることなど殆どなくて、今でこそ、ブルックナーについても言えるのだが、演奏会では大曲と持て囃されて演奏されることが多いけれど、マーラーやブルックナーを本格的に聴いたのは、私の場合は、その後大分経ってから欧米に行ってからで、フィラデルフィア管であり、アムステルダム・コンセルトイヘボーであり、ロンドン響であった。
   それでも、「巨人」を聴いたのは、2回くらいしかないと思うが、若かりし頃、かなり、早い時期に、ブルーノ・ワルター指揮のこのマーラーの「巨人」のレコードを買って、聴き込んでいたので、私にとっては、馴染の曲であり、その度毎に感激して聴いていた。

   殆どコンサート会場での記憶が消えてしまった今、第3楽章冒頭のコントラバス・ソロの天国からのようなサウンド、第4楽章のホルン奏者総立ちの華麗な演奏や大地を鳴動させるようなサンドなどを思い出して、正に、感激の一夜であった。
   都響は、最近、随分、マーラーに入れ込んで、プログラムに組んできたが、やはり、大切なのは血の騒ぎと言うか、マーラーやフルシャの故郷であるボヘミア気質を叩き込んだフルシャの指揮によるこの「巨人」は格別で、観客は熱狂して、フルシャも感極まった表情で応えていた。

   ドヴォルザーク:ヴァイオリン協奏曲 イ短調で、ソロを務めたヨゼフ・シュパチェク(1986年生まれ)は、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の若きコンサートマスターと言うことで、フルシャとも随分馴染みなのであろう。
   同郷のドヴォルザークを同郷の二人が奏でる素晴らしい演奏で、観客の熱狂的な拍手に応えて、アンコールで、イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番 イ短調 op.27より第4楽章を弾いた。
   
   
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映画:マダム・フローレンス!夢見るふたり FLORENCE FOSTER JENKINS

2016年12月13日 | 映画
   映画:「マダム・フローレンス!夢見るふたり 監督:スティーヴン・フリアーズ」 を見た。
   1944年10月25日に、ニューヨークのカーネギーホールで、今もアーカイブで一番人気が高いと言うこの映画の主人公フローレンス・フォスター・ジェンキンスのリサイタルが開催された。
   この時、76歳、翌年亡くなる。
   このフローレンスは、絶世の音痴であったにも関わらず、カーネギーホール公演と言うのも驚きだが、チケットは2時間で完売し、ホールの外には入りきれない群衆たちが押し寄せたと言うことで、この信じられない様な実話を映画化したのだから、面白くない筈がない。
   それに、フローレンスを演じるのが、アカデミー賞が服を着たような メリル・ストリープで、本来歌が上手い筈の彼女が、「ド下手」に歌う歌唱法を徹底的にマスターしたと言う。
   ボイストレーニングで、上手く歌うことから始めて、そこからちょっとずつ、オンチになるように崩していったと言うのが、何故だか人の心の琴線を揺さぶるフローレンスの不思議な歌声を再現すべく努力したと言うのが凄い。
   メリルは、マリア・カラスが晩年に出すことに苦労していた、ハ長調の高音より上のヘ長調で歌うことができたと言っているのだが、
   しかし、正直なところは、メリルの歌う「魔笛」の夜の女王のアリアや、ラストのクレジットタイトルで流れていたフローレンスの歌声などは、それ程聞きたいとは思わない。

   親の遺産と富に恵まれニューヨークの社交界きってのマダム・フローレンスは、奇態稀なる音痴にも拘らず、その致命的な欠陥を自分だけ知らずに、ソプラノ歌手になる夢を追い続ける。
   フローレンスを愛する夫のシンクレア(ヒュー・グラント)は、妻に夢を見続けさせるために、実直でお人好しのピアニスト・コズメ(サイモン・ヘルバーグ)を伴奏者につけて、マスコミを買収し、信奉者だけを集めた小さなリサイタルを開催するなど献身的に立ち回るのだが、とうとう、何を間違ったのか、フローレンスは世界的権威の高い音楽の殿堂カーネギーホールでリサイタルを開くために劇場を押さえたと言う。
   止めるべく説得するが、結局、17歳の初婚で遊び人の夫に梅毒をうつされて厳しい持病を抱えながら、音楽を生きがいにして命がけの挑戦に挑んでいるフローレンスの夢をかなえるべく、シンクレアも一緒に夢をみることを決めて、奇跡のリサイタルが幕を開ける。
   シンクレアが買収に失敗したNYポストの記事を見てフローレンスは倒れ込むのだが、真実の愛を確かめ合った二人の夢のリサイタルで、あなただけに歌うと、フローレンスの美しい歌声が、流れる感動的なシーンで、映画は終わる。

   “ロマコメの帝王”と言われるダメ男俳優のヒュー・グラントは、ジュリア・ロバーツとの共演の『ノッティングヒルの恋人』しか見ていないが、監督やメリルに恐れをなしたと言うのだが、中々、好演していて、コミカルタッチ以上の人間臭さや風格を見せて面白い。
   伴奏ピアニストのサイモン・ヘルバーグは、プロ並みのピアノ奏者だと言うことで、サンサーンスの「白鳥」など、ストリープがうっとりとして聞いていたが、音が外れっぱなしのこの映画で、唯一の清涼剤であった。
   
  また、 蓮っ葉ながら正義感の強いキャサリンを演じたマリリン・モンロー張りのグラマー女優レベッカ・ファーガソン 、 シンクレアの愛人アグネス・スタークのニナ・アリアンダ など、魅力的な女優の貢献も見逃せない。

   私は、このブログのニューヨーク紀行でも書いたが、一度だけ、カーネギーホールに行って、アンドリュー・リットン指揮のニューヨーク・ポップス・オーケストラの”GREAT MOMENT FROM POGGY AND BESS AND JOYFUL OF SONG"と言うタイトルのオール・ガーシュイン・プログラムを聴く機会を得た。
   このカーネギーホールは、正に、一昔も二昔も前の骨董とも言うべき歴史遺産で、古き良き時代の雰囲気を醸し出す素晴らしいコンサートホールである。
   ニューヨークには、しばしば訪れたが、このホールで、絶えず凄い演奏会が開かれていると言う訳ではないので、METのオペラ優先で、行く機会が少なかった。
   それに、ウィーンフィルやトップアーチストのコンサートなどは、殆どのチケットがソールドアウトで、取得も難しい。
   しかし、東京にあるようなモダンなコンサートホールではない良さが、全館に漲っていて、前に行ったロシアのマリインスキーやボリショイ劇場の不便極まりない骨董的な劇場の、何とも言えない歴史の重みを実感させてくれる雰囲気が、堪らなく魅力なのである。

   そんな良き時代のムード濃厚のこの映画は、捨てがたい魅力があって素晴らしい。
   
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ジョセフ・E・スティグリッツ著「.ユーロから始まる世界経済の大崩壊」(3)

2016年12月12日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   ユーロは、ヨーロッパ各国の緊密度が高まり、経済面での統合深化が、経済成長を加速し、経済統合の深化と、その結果である政治統合の深化が、ヨーロッパの平和を担保してくれると言う願望をこめて創設された。
   しかし、希望的観測では、政治が経済に追いつく筈だったが、協調行動を組織化して、統一された声を有効活用しようとする共通認識やコンセンサスの不在によって、分断が進み、”民主主義の赤字”が膨らむにつれて、経済統合のペースが政治統合を置き去りにして、その可能性が、どんどん、萎んでいった。
   政治統合のペースを上回る経済統合・・・グローバル化・・・は失敗する、と言う教訓をユーロは残した。と言うのである。

   しかし、もっと、基本的な要件は、経済不振に陥った国は、完全雇用に復帰するためには、金利を引き下げて消費と投資を刺激する、為替レートを切り下げて輸出を刺激する、財政政策を通じて歳出増と減税を行う、と言う三つのメカニズムを取る筈だが、ユーロ圏の共通通貨は、最初の二つを封じ、収斂基準が歳出減と増税を強いて最後の手段の財政出動まで封じており、構造的不況にも追い打ちをかけられた不況下のEU経済の再生手段を、マヒ状態にしてしまっている。
   更に、新自由主義のイデオロギーに導かれた誤った経済政策である不況下の”緊縮財政”政策によって、需要の拡大と成長戦略をないがしろにして、危機国をはじめとしてヨーロッパ経済を、一層、弱体化させてしまった。と言うのである。

   言うなれば、設計の優れた経済システムに内蔵されている自動安定化装置(ビルトイン・スタビライザー)ではなく、このEUの収斂基準などは、景気下降への対応を妨げ経済悪化の自動的な仕組みを築き上げた自動不安定装置として作用している。
   新自由主義のユーロ擁護派は、不況による高い失業率は賃金の下落に繋がり、低い賃金は物価の下落に繋がり、この「対内切り下げ」によって、輸出が増えて輸入が減り、自然の力で自動的に修正されると考えていたのだが、逆に、価格の下落が企業収益を圧迫し、賃金の下落が需要を減退させて、更に、EU経済を悪化させた。

   また、通貨同盟の心臓部である欧州中央銀行(ECB)の働きが劣悪で、ヨーロッパが高失業とデフレと物価下落を懸念する状況下でも、ECBの使命は、インフレ抑制のみに限定されていて、その統治方式にに欠陥があることは、”民主主義の赤字”を観れば明白だと、スティグリッツは言う。
   アメリカのFRBが、失業対策や金融市場安定化をより重視する内部改革を進め、政策が不平等に及ぼす影響まで検討し始めるなか、1992年のマースリヒト条約通りのインフレとの戦いのみに対し、奉仕すべき参加各国の市民の利益や認識ではなく、ECB関係者の利益と認識と合致しており、更に、政治的な意思決定を行いながらも、民主的な説明責任さえ欠如している。と言う。
   スティグリッツは、「不平等を拡大した欧州中央銀行」と言う章で、更に、「賃下げを推進したECB]「ギリシャとアイルランドへの脅し」「大手銀行の利益優先という縛り」「成長と雇用の後まわし」「犠牲にされた経済弱国の市民」などのサブタイトルで、ECBを糾弾している。

   ギリシャの経済危機やグレグジット(Grexit)問題の時には、非常に心配もして、このブログでも私見を書き、ギリシャの債務減免などドイツが譲歩しないとギリシャは立ち直れないと書いた。
   ドイツやトロイカなどは、危機当事国の根源的な構造欠陥・・・硬直化した労働市場、ぬぐえぬ汚職体質、脱税者と怠惰な浪費家の巣窟・・・を非難し、労働組合の力を弱めさせたり、労働法や租税法を改正させたり経済の仕組みを”改革”すれば、ふたたび、成長路線へ戻れる。と考えて、ギリシャに極めて厳しい対応を迫っていた。
   確かに、野放図な花見酒の経済に酔いしれたラテン気質の甘さはあったかもしれないが、スティグリッツの説明を読んでいると、EUの成り立ち、そして、ユーロシステムそのものに、危機的な状況を惹起する元凶がビルトインされていて、ギリシャは、その犠牲者として血祭りにあげられたのだと、言う感じである。

   トロイカによって設計されたプログラムは、事実上、援助と引き換えに、経済主権の大部分を、”加盟国仲間”に譲り渡せと要求し、危機当事国に貸与された資金に、厳しい条件と行程表を付けて返済を迫り、その条件の重要事項は、マクロ経済政策と構造改革であった。
   不況に苦しむ国々の経済に、健全性を取り戻す最善の方法は、緊縮財政だとして、1929年の株価大暴落の時に、フーバー大統領が、緊縮財政策を採用して、世界大恐慌を引き起こしてしまった失敗の轍を踏ませた。
   構造改革については、輸出品の価格下落で貿易を活性化したくても、通貨切り下げ手段を封じられている以上、賃金と商品価格を下げて、効率性向上のために経済を”再編”する必要に迫られたが、更なる経済環境の悪化を惹起するだけであった。
   ギリシャなどに強いられたトロイカの構造改革は、如何に誤った経済理論に基づいた熾烈なものであったかを、スティグリッツは、「いかにしてトロイカ政策は、危機当事国を不況へ落とし込んだか」と「失敗の上塗りをする構造改革」で、克明に説明している。

   スティグリッツが、この本「THE EURO」で展開している理論については、それほど、異質感はないが、基本的には、新自由主義、市場原理主義的な経済理論に裏打ちされたEUなりユーロ擁護者に対するケインジアン的な経済理論からのユーロ批判だと思うのだが、経済学に関しては、決定版と言うべき学説がないので、非常に判断が難しい。
   この本で、スティグリッツは、非常に意欲的な「柔軟なユーロ」などユーロ改革論を展開していて、非常に興味深い。
   ギリシャについては、グレグジット(Grexit)の方が良いと言う理論を展開していて、私もそう思っており、次稿で考えてみたいと思っている。
   
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仮面ライダーの映画を孫と見る

2016年12月11日 | 生活随想・趣味
   いつものように、孫を連れて、湘南シネマに出かけた。
   「仮面ライダー平成ジェネレーションズ Dr.パックマン対エグゼイド&ゴーストwithレジェンドライダー 」と言う長い題名なのだが、孫などは、すらすらと言うし、難しい登場人物や武器など、カタカナ文字の名前などを、何の抵抗もなく、覚えている。
   前回は、レオナルドダヴィンチやミケランジェロやラファエロが登場したが、今回は、信長や秀吉や家康が登場した。

   私は、アニメには興味がなかったので、昭和の仮面ライダーも良く知らないのだが、平成ジェネレーションと銘打っているので、昔の仮面ライダーとは、正に様変わりで、IT技術を駆使したゲーム感覚の映画となっている。
   悪者が、負けて崩壊すると、GAME. CLEAR!と言うテロップが流れるのである。
   しかし、変身して仮面をつけた若者たちが、相変わらずの殴ったり蹴ったりの活劇を繰り広げるいるのは、アナログ感覚であり、それに、ハリウッド映画のように、徹底して現実離れした映画を作り上げているのではなく、現実生活と殆ど変わらない空間を舞台としているので、正に、異次元の世界とリアル世界が同居した不思議な映画なのである。

   子供たちのアニメ映画は、結果的には、ハッピイエンドで終わり、それまでの活劇過程が、子供たちをワクワクさせるのであろう。
   正直なところ、私など、話について行けず、いつも、「何が何だか、さっぱり分からず、それがごっちゃになりまして、わて、ほんまによいわんわ」と言う笠置シズ子の心境で、見ている。 
   ところが、孫たちは、全く、異質感などなくて、ちゃんと、ストーリーを理解していて、楽しんでいる。
   同じ仮面ライダーを、テレビでも放映しており、映画の行き帰りに、膨大な数で出ている絵本やおもちゃを買わされることになる。
   孫など、幼稚園児でありながら、パソコンを明け渡してほっておくと、一人で、パソコンを操作して、動画などを見ており、正に、デジタルネイティブ予備軍、デジタルチルドレンであって、もう、我々の子供時代とは、次元が違っている。

   長女の長男から始めて、今、次女の長男まで、もう連続して、10年以上も、孫の映画鑑賞につき合わされて、ジブリの映画、アンパンマンやポケモン、ドラえもん、ピクサーなどのディズニー映画等々アニメや子供映画を見続けているのだが、日本のアニメは、時空を超えた異次元世界に突入などと言った分かったのか分からないようなストーリーを展開していたりして、結構難しい。
   私の子供の頃、と言っても、小中学生の団体鑑賞は、殆ど、ディズニーのアニメ、会場が宝塚劇場であったので、時には、子供でも楽しめる宝塚少女歌劇の舞台であったり、文部省選定の映画だったので、感動したし夢があったような気がしている。
   今は、良いとか悪いとかは度外視して、子供たちに人気のある映画が、子供たちを虜にしている。

   今更、あるのかないのか知らないし、文部省選定が良いのか悪いのか分からないのだが、いずれにしろ、孫が見たいと言った映画には、良し悪しを云々する前に、結局、せっせと、パソコンを叩いて、チケットを取り続けるであろうと思っている。
   来週公開される「映画 妖怪ウォッチ 空飛ぶクジラとダブル世界の大冒険だニャン! 」を見たいと言っている。
   私自身が、劇場に通い続けているのだから、ダメだとは言えない。
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