熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ローマ歌劇場・・・ヴェルディ「ナブッコ」

2014年05月31日 | クラシック音楽・オペラ
   NHKホールで、素晴らしいヴェルディのオペラ「ナブッコ」を鑑賞した。
   ミラノ・スカラ座では何度か機会を見てオペラを見ているのだが、公演回数が少ない所為もあって、ローマ歌劇場で実際に見る機会がなく(前回は、日本で「トスカ」)、ヴェルディの初期の成功作品「ナブッコ」も初めてで、今回は、期せずして、リカルド・ムーティ指揮の圧倒的エネルギッシュな舞台に感激した。

   NBSによると、
   ローマ歌劇場の魅力はイタリア人のアイデンティティがあることとムーティは語る。『ナブッコ』最大の聴きどころである合唱曲「行け、わが思いよ、金色の翼に乗って」
(この口絵写真は、劇場のHPより借用したこのシーンの舞台)は、囚われ人が故郷をしのぶ美しい合唱。初演当時、諸外国の支配下にあるイタリア人たちの心情にマッチしたこの曲は、イタリア統一運動を推し進める原動力となったといわれ、いまもイタリア人にとって第二の国歌として親しまれており、今回上演される『ナブッコ』は、2011年のイタリア統一150年を記念するものとして新演出された。
   この曲も素晴らしいが、序曲が終わった後の幕開きの冒頭から、ヘブライ人の「祝祭の聖具は落ちて壊れるがいい」の地を這うような凄まじい合唱が場内を圧倒する。凄い迫力で、このオペラの魅力の一つは、ユダヤの民になったり兵隊になったり、殆どを白衣の長着で通して舞台のバックを荘厳するかのような合唱の途轍もない魅力であろう。

   このオペラは、新バビロニア王朝のネブカドネザル王をモデルにしており、ユダヤ王国の離反で2度も遠征しており、その時のユダヤ人のバビロンへの大量移送・バビロン捕囚が扱われているのだが、創作が加わってストーリーが変わっていて、ハッピーエンドとなっている。
   ユダヤに人質として捉えられているナブッコの娘フェネーナ(ソニア・ガナッシ)は、ユダヤ王の甥イズマエーレ(アントニオ・ポーリ)と相思相愛だが、進駐してきた姉の アビガイッレ(タチアナ・セルジャン 、休演にて、ラッファエッラ・アンジェレッティ)もイズマエーレを愛していて、靡けばユダヤの民を許すと迫る。
   ナブッコは、イェルサム寺院を焼き討ちにしユダヤ人をバビロンに捕囚するが、神だと宣言して神罰を受けて狂人と化したナブッコに代わって、大司教に唆されたアビガイッレが、玉座を奪う。
   幽閉の身の狂気から醒めたナブッコが、ヘブライの神に許しを乞い、ユダヤ人虐殺を中止して帰郷を許し、処刑寸前のフェネーナを助ける。
   深手を負ったアビガイッレが現れ、フェネーナに許しを乞い息絶える。
   ザカリーナは、ナブッコを「王の中の王」と讃える。

    
   さて、実際の舞台だが、まず魅力的なのは、冒頭に登場するヘブライ人を統べる祭祀長ザッカーリア(ドミトリー・ベロセルスキー )の素晴らしいバスの朗唱で、危機に瀕した民に向かって「エジプトの海辺で」でイスラエルの栄光の歴史を朗々と歌うのだが、ここで、一気に「ナブッコ」の魅力に引き込まれてしまう。
   若きウクライナのバス・ベロセルスキー の歌唱は圧倒的で、このローマ歌劇場だけではなく、METデビュー、ミラノスカラ座、ボリショイ劇場でも歌って脚光を浴びたと言うのであるから、ムーティが白羽の矢を立てるのも当然であろう。
  

   もう一人の魅力的な歌手は、当然、タイトルロール・ナブッコを歌うバリトンのルカ・サルシ で、「ボエーム」のマルチェッロ、「ファルスタッフ」のフォード、「セビリャの理髪師」のフィガロ、「椿姫」のジェルモン、「ジャンニ=スキッキ」のタイトルロール、「蝶々夫人」のシャープレスなどがレパートリーだと言う。
   新バビロニアの大王から、錯乱状態になり、奴隷に産ませた娘アビガイッレに王座を簒奪され、娘フェネーナの助命を嘆願し、最後には正気に戻って聖王に戻ると言う複雑な役割を、歌唱にメリハリをつけて性格俳優よろしく器用に歌い遂せたのは流石である。
   

   さて、準主演でプリマのアビガイッレ役で出演予定であったタチアナ・セルジャンが、初日の公演には出演したのだが、急な体調不良により、ラッファエッラ・アンジェレッティに代わった。
   主演が、代わってしまったようなものだから、観客にとっては、残念なことだが、私の場合には、歌手を聴きに行ったわけでもないので、それ程、気にはならなかった。
   今を時めくロシアのプリマ・セルジャンを聴けなかったのは残念だったが、新進気鋭で人気上昇中だと言うラッファエッラ・アンジェレッティを聴けたのだから、良しとすべきであろう。
   アンジェレッティは、「アレーナ・ディ・ヴェローナ & プラシド・ドミンゴ in 東京 2010 」で、ヴェルディの「オテッロ 」4幕目を、 オテッロのプラシド・ドミンゴを相手にしてデスデーモナを歌っている。
   また、蝶々さんはウィーン国立歌劇場で2007年に歌って高く評価され、マチェラータ音楽祭の2009年の舞台がDVDになっている。
   Operabaseを見れば、セルジャンの方が先輩故圧倒的だが、アンジェレッティに方も、活躍舞台が、どんどん広がっている。
   ある外国評で、声は必ずしも美しくないと書いていたが、確かに、役柄の所為か、非常にパンチの利いた鋭角的な澄んだ歌声で、キャサリン・バトルやルネ・フレミングのような魅力的な声ではなかったが、あのマリア・カラスでさえ、私の声は皆さん嫌いな筈だと言っていたくらいだから、オペラ歌手としては、声など問題外なのであろう。
   とにかく、美人だし、姿かたちも美しく、才色兼備のオペラ歌手だと思う。

   ソニア・ガナッシとアントニオ・ポーリは、定評のある歌手とかで、安心して聴いていたが、ナッブコの舞台には、取ってつけたような愛の物語なので、役不足の感じで、私には、しっくりとしなかったが、素晴らしい歌唱を楽しませて貰った。

   
   さて、ムーティの満を持してのヴェルディ公演で、帰途、ムーティの新著『ムーティ、ヴェルディを語る』を読んで、”作曲家の書いた楽譜通りに演奏する“原典主義”を貫き、慣習的に定着したものと異なる演奏に徹して、「楽譜に忠実というのは、音の正しさという意味ではありません。そこに書かれている音の意味を考えなければならないということです。ヴェルディはこのドラマがどうあるべきか、演出や心情にいたるまで、すべてを音楽に書いています。ヴェルディの音楽は劇場なのです」”と言うことを感じて、改めて、マエストロの熱熱たるヴェルディ賛歌を感じて、感激を新たにした。
   ムーティのオペラ鑑賞は、前回のスカラ座公演で「オテロ」だが、一番最初にムーティの指揮に接したのは、もう、何十年も前、音楽監督になる前、オーマンディ時代のフィラデルフィア管弦楽団の定期公演で、最も新しいのは、ニューヨーク・フィルでの定期公演、ヨーロッパではウィーン・フィルなど、結構、楽しませて貰っている。
   今回、カーテンコールに登場したマエストロを見ていて、随分、老成したなあと言う感じがした。

   とにかく、久しぶりに、オペラを楽しみ、オペラ三昧であったヨーロッパの思い出を反芻していた。

   
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トマト・プランター栽培記録2014(7)イタリアン・トマト結実

2014年05月30日 | トマト・プランター栽培記録2014
   イタリアン・トマトのロッソロッソが結実して、カボチャ様の小さな実を付けた。
   成長すれば、大玉大の大きさの赤い実が成るのだが、味は、淡白であったような気がする。
   もうひとつ、ボンリッシュも結実しかかっている。
   他の2種類のイタリアン・トマトは、花を付けているが、結実はまだである。。
   
   

   タキイの大玉トマトの桃太郎ゴールドや桃太郎ファイトも、一房に思ったより多くの花を付けて結実し始めて来た。
   受粉をアシストするために、電動歯ブラシを使っている。
   背丈の伸びは、早くはないが、大玉トマトなので、木は太く、しっかりとしてきた。
   ミニトマトの小桃も結実して、実も少しずつ肥大し始めている。
   この苗木は、何故か、葉芽を5つも飛ばして花芽がついたので、実が上の方につくことになり、背丈だけが伸びそうで気になっている。
   
   
   
   
   中玉トマトのフルーツボールの実が、大分、大きくなってきた。
   このままの大きさだと、中玉と言うよりは、ミニを少し大きくした程度である。
   花付きは、それ程多くはないし、中玉なので、実を間引かずに、そのままにしておこうと思っている。
   
   

   ミニトマトのアイコは、レッド、イエローともに、結実して、実が房状になってきた。
   間延びして葉芽を飛ばしてついた2番花房も結実し始めているのだが、一房あたりの実の数は、以前のと比べて、それ程、多くはないようである。
   2本仕立てにして育てているので、1本あたり、100個くらいの収穫にはなりそうな気がしている。
   
   

   プランター植えして、1ヶ月以上になるが、今のところ、幸いなことに、まだ、病虫害などの異常は見つかってはいない。
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札幌そして小樽への旅(2)

2014年05月29日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   歴史の浅い札幌での古い建造物では、やはり、筆頭は、北海道庁旧本庁舎ビルであろう。
   まだ、訪れたことがなかったので、出かけて行ったのだが、内部が博物館形式になっていて、特に、樺太関係の資料の展示やビデオを見て、国境の厳しさを感じて感銘を受けた。
   大分前に、稚内に行った時に、岬の突端から、樺太の先端を遠望して、日本人であることを強く意識した、あの時の思いである。

   さて、札幌市のHPによると、”旧本庁舎は、1888年(明治21年)に建てられたアメリカ風ネオ・バロック様式の建築。明治時代に作られたひずみのあるガラスや、化粧枠にしまわれた寒さ対策の二重扉など、そこかしこに機能美が感じられる。”と言うことらしい。
   欧米で見慣れた役所ビルと比べて、特に変わった印象もない普通のビルなのだが、2階中央にある記念室(旧北海道庁長官室)は、中々、雰囲気のある部屋である。
   その前にトイレットがあるのだが、左右が男女で、真ん中に、貴賓お手洗と言うのがあって引っかかったので、中を見ようとしたら鍵がかかっていた。
   他の部屋は、会議室など現役の部屋もあったが、ギャラリーや資料展示室などに使われていて、一回りできる。
   廊下の壁面に北海道ゆかりの絵が掲げられていてクラーク先生の絵もあった。
   
   

   樺太関係資料館は、相当部分が、
   樺太の戦い、すなわち、太平洋戦争/大東亜戦争末期の1945年(昭和20年)8月11日から8月25日にかけ、日本の内地であった樺太南部で、日本とソビエト連邦の間で行われた戦闘の悲惨さ、日本国民が舐めた極めて凄惨な惨状について費やされていて、館内の小部屋(椅子は3人しか座れない)で、放映されていたビデオも、必死に逃げ惑う日本国民の目も当てられないような悲劇を描いた30分ものであった。
   間岡郵便局の通信員交換手が、凌辱の辱めを受けぬために、最後まで職場を死守しながら自決したと言うのだが、もっと悲惨なのは、薬の不足で致死量に達しなかったために刃物で自決しなければならなかった看護婦部隊だとか、
   とにかく、民間人をも標的に爆撃を続けたロシア兵のために、逃げ惑う女子供の阿鼻叫喚地獄の悲惨さは筆舌に尽くしがたいと言う。
   
   

   どこの国の人か分からなかった(小声で喋っている言葉が分からなかったのだが英語ではなかった)外人が4人、ビデオを最後まで廊下から見ていたのが気になった。
   
   

   日ソ不可侵条約を破っての、終戦間際と直後のソ連の樺太占領と言う暴挙だが、直前のヤルタ会談で決まっていたと言うから、ルーズベルトもチャーチルも、日本にとっては許し難い国際法違反の元凶だと言うことだが、昔、ドイツ人の友人が、ベルリンのレストランで、「国は強くなければならない」と慨嘆していたのを思い出した。
   戦争は、絶対に避けなければならないと思っているのだが、国際法も公序良俗・国際秩序の維持さえも眼中にないならず者国家が、存在する中で、どのようにして、日本の誇る平和主義を透徹して行くのか、非常に難しい問題である。
   それに、北方領土問題は、日本人にとっては、他人事ではなく、日本人としての命の問題なのである。
   
   


   私は、国境を接して多くの国が犇めいているヨーロッパに、長く住んでいたので、EU,EU,ヨーロッパは一つだと言いながらも、ヨーロッパ人が、自分たちの祖国や民族に対して、如何に激しい愛国心、愛郷心を持っているか、そして、自分たちの拠って立つアイデンティティを大切にしているかを痛い程実感して知っている。 
   国粋主義には違和感があるが、真面な愛国心は、個人個人のIDの拠り所であるから大切にすべきだと思うし、私など人並み以上に愛国的かも知れないと思うこともある。
   北海道のみならず、沖縄など、国境を接している日本の国土は、開かれた世界への飛躍場であるけれど、国と国との鬩ぎ合いの最前線でもあり、非常に貴重な存在であることを、期せずして、肝に銘じた北海道旅であった。  
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札幌そして小樽への旅(1)

2014年05月28日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   久しぶりに、私用を兼ねて、4泊5日の札幌旅に出た。
   これまでにも何回か札幌には来ているので、観光と言う訳でもないが、二日目午前中に時間があったので、すすきののホテルから、大通公園に出かけた。
   街路樹などのライラックも、紫がかった綺麗な房状の花を付けていて、綺麗だなあと思っていたら、大通公園で、第56回さっぽろライラックまつりをしていた。
   
   

   ワインガーデン2014リラ・マリアージュと言う催しとかで、メイン会場にずらりとワイン会社のブースが並んでいて、その両翼をコ型に、沢山の飲食店のブースが取り囲み、通行部分を残して、その中にテントを張った円形の食卓を並べた飲食スペースが設えられていて、大変な賑わいである。
   北海道産ワインと北海道の食による食べ合わせ味覚体験をにぎわいあふれる大通公園で体験と言う趣向で、中々、気の利いた楽しいイヴェントである。
   私は、一番空いていて客のいないブースで、十勝牛のなんとかと言う一皿を買って食べたのだが、午後から人に会うので、残念がら、ワインの試飲を断念せざるを得なかった。
   その隣の会場は、中高生などの楽団の演奏会で、ポピュラーな音楽が奏されて盛り上がっていた。
   私などクラシックファンで、ウィーンフィルやベルリンフィルやと言っている天邪鬼の人間には、一寸、食指が動かない。
   一番端の会場は、野点会場で、各流派の野点のブースが並んでいて、テントの中で野点が行われているようで、外の椅子で待つ人たちの列が続いていた。
   
   
   

   大通公園の花壇には、関東ではとっくに終わっているチューリップが綺麗に咲いていた。  
   まだ、八重桜の花が残っているところもあって、季節の差を感じて面白い。
   東京とは、まだ、随分気温の差があって、上着を着ていないと、まだ、大分寒い。
   
   

   その後、少し北の方へ歩いて、北海道大学植物園に入って、新緑で美しい庭園を散策した。
   殆ど人がいなくて、大都会の真ん中にある空間とは思えない静かで鬱蒼とした緑の杜の雰囲気を満喫した。
   近くに住んで通い詰めていたキューガーデンの散策を思い出して懐かしんでいた。
   温室の睡蓮、池畔のクリンソウ
   それに、北海道なら、スズラン
   まだ、八重桜も咲いている。
   
   
   
   
   

   札幌市時計台を見ると、やっと、札幌に来たと言う実感が湧く。
   前にとまっていた観光幌馬車を見ると、何となく懐かしい雰囲気になるのが不思議である。
   
   
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わが庭:ベルサイユの薔薇咲く

2014年05月24日 | わが庭の歳時記
   一昨年、京成バラ園で売り出された大苗のベルサイユの薔薇を買って植えたのだが、翌春、活着していないのが分かったので、新苗に代えて植えかけたのが、やっと、今年蕾をつけ、花が開いた。
   京成バラ園でも、ベルサイユの薔薇コーナーには、かなり、植えられてはいるのだが、まだ、メインではないし、自分自身で育てると、何故か、一輪一輪が、愛しく感じられて、開花が気になっていた。
   

   HTの剣弁咲きで、先日のファルスタッフのようにピンクがかった濃赤ではなくて、本当の深紅で、ビロードのような輝きのある花弁である。
   非常に華やかな感じの花でなの、大きく開花するよりも、蕾から少し開いた花の方が、趣があって良い、
   
   
   

   オベリスク仕立てのジャスミーナには、沢山蕾がついているのだが、やっと、数輪蕾がほころび始めた。
   淡いピンク色の小さな花で、中々、優雅であり、完全に開花するのが楽しみである。
   風が結構強いので、コロコロ転がって蕾が可哀そうな状態になっていたので、花壇の端にポールを立てて、支柱を括り付けて固定している。
   
   

   もう一つ、スタンダード仕立てのバラ・シャルル・ド・ゴールも、冬に買って庭に置いていたのだが、頭でっかちであるから何回も風で転んで、殆どの新芽を落としてしまったので、諦めて庭植えにした。
   液肥などを丹念に施肥していたのが効果があったのか、幸いなことに、新たに新芽が出て、蕾がつき始めている。
   当初のようには華やかではないかも知れないが、遅ればせながら、楽しめそうである。

   ガレージの上の棚に這っているいるキウイが、びっしりと白い花を咲かせて、くまん蜂が飛んで来て、花をはしごしている。
   面白いが大味の花で、暫くすると白い花が褐色がかったくすんだ花弁に変わる。
   かなり、大きい花で、同じ南半球の果実の花である華麗なフェイジョアと花形が全く違っているのが面白い。
   
   
   
   
   初春に植えていた湘南のクレマチスが、開花し始めた。
   薬剤散布した筈なのだが、結構、虫に食われて歪な花が多い。
   何故か、これまで、クレマチスを植えても、真面に、育ったことがないので、あまり植えることがなかったのだが、花の終った鉢花もあるので、もう一度、挑戦してみようと思っている。
   
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国立劇場・五月文楽・・・「鳴響安宅新関」

2014年05月23日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   「鳴響安宅新関」の「安宅の段」だが、1990年以降、この国立劇場で、2回上演されているのだが、「勧進帳」や「安宅関」と云ったタイトルでは、一度も演じられていない。
   毎回、必ず、小劇場に出かけているので、平成15(2003)年 5月の時には観ている筈だが記憶はない。
   私が、記憶に鮮明な「勧進帳」は、6年前大阪の国立文楽劇場で、この時は、
   武蔵坊弁慶は勘十郎、富樫は和生、源義経は勘彌で、丁度、仁左衛門の勧進帳を見た時で、両印象記を、このブログで書いた。

   この「勧進帳」は、能の「安宅」から、歌舞伎の「勧進帳」が作出され、その「勧進帳」を基にして、文楽に移入されたと言う。
   先のブログを見て思い出したのだが、「鳴響安宅新関」の「安宅の段」も歌舞伎や能との違いに注意して見ていた。
   歌舞伎の舞台とは少し違ったシーンで列挙すると、
   義経一行が安宅関に着いた時、関の役人達に門前払いを喰らって追い払われようとすること。
  義経を呼び止めるのは、歌舞伎の場合には、番卒の耳打ちによるが、文楽の場合には、富樫本人が気付いて呼び戻すこと。
   幕切れで、富樫は、弁慶には関係なく、義経が退場するのを見送ったらさっさと退場して行くこと。
   歌舞伎の場合には、能と同じく松羽目のワンシーンの同じ舞台で通すのだが、文楽では、義経一行が関を遠く離れて主従が安堵している所へ富樫達が追っかけてきて酒を進める場面は、背景が、別の松羽目(浜辺の松を背景にして真っ青な海が広がっている爽快な)松羽目に転換して雰囲気を変えていること。

   能では、弁慶が力づくで富樫と対決して関所を突破して行くと言う設定だが、歌舞伎では、富樫が、義経だと分かっておりながら、武士の情けで、安宅の関を通させるとする大きな違いがある。
   どこで、富樫が、義経だと分かっておりながら、武士の情けで通すのか、あるいは、分からずに通すのか、能楽師や歌舞伎役者や文楽の演者によって微妙に違っていて興味深い。

   能では、弁慶が、金剛杖を取って散々に義経を打擲して、さあ、通れと言って、一触即発状態になるのだが、
   ”11人の山伏は、打刀抜きかけて、勇みかかるありさまは、いかなる天魔鬼神も、恐れつべうぞ見えたる”と言う凄まじさで、ワキ/富樫が、「近頃謝りて候、はやはやおん通り候へ」と言うことになる。
   また、能では、富樫が酒を持って詫びに登場して酒宴に入ってからも、シテ/弁慶は、一行に、「心許すな」と最後まで警戒心を解かずに警告しており、
   ”虎の尾を踏み、毒蛇の口を遁れたる心地して、陸奥の国へぞ、下りける”で留め
   文楽の床本の最後の文章も殆ど同じなのだが、シチュエーションを考えれば、緊迫感は、雲泥の差であろう。

   尤も、能楽師によっても見解が違っており、富樫は勧進帳もおかしいし義経だと分かっており、弁慶も見破られていることを承知で、もうこの先は、刀を抜いて斬り合うしかないと言うギリギリのところでぶつかる表舞台で進む派手なやり取りの後ろで、もう一つのドラマである心理劇が進んでいる二重構造だとする観世清和寿宗家や、富樫が弁慶に惚れたとする宝生閑師など、非常に興味深く、歌舞伎へのアウフヘーベンの秘密が垣間見えるような気がしていて面白い。
   これらについては、このブログで、「国立能楽堂:能「安宅」、そして、勧進帳との違い」などで書いているので、蛇足は避けたいと思う。

   文楽は歌舞伎と同じで、今回も義経一行は、富樫が温情で関所突破を許してくれたと言う感謝の思いを、出立の時に、一礼をして示している。
   特に、義経は、深笠で顔を隠しているのだが、富樫に向かって少し頭を下げ、中央に出て、振り替える時に笠を取って、富樫に顔を向けてちらりと凝視して、さっと踵を返して退場して行く。この時、富樫も義経に目を合わせて、さっと、体を翻して退場して行く。
   二人が顔を合わせたのは、この時一回きりで、万感の思いを込めての邂逅と言うところであろうか。
   玉女の弁慶は、義経一行も富樫たち関守たちも退場した後一人残されるのだが、はっきりと、富樫の去った方角に向けて、左手を拝むようにして顔に近づけ、静かに頭を下げて感謝の気持ちを表す。

   前には、文吾が、弁慶を遣っていた時があったが、これからは、玉女の独壇場であろう。
   揚幕から、玉女の弁慶が登場すると、盛んな拍手である。
   歌舞伎は、主役は義経だと山川さんが云っているのだが、文楽の主役は弁慶であろう、玉女の弁慶は秀逸で、最後の飛六方も、歌舞伎とは違うが、ハッと掛け声をかけて勇壮に揚幕に跳んで行く、迫力十分であり、最後まで飽きさせない。
   

   もう一つは、住大夫引退狂言に登場しなかった唯一のトップ人形師の一人である清十郎の颯爽とした気品のある富樫の素晴らしさも、特筆ものである。
   女形が得意だからと言うだけではなかろう、とにかく、美しくて絵になっているのである。

   興味深いのは、弁慶を遣う左遣いも足遣いも出遣いとなっていて、黒衣では分からなかった激しい勇壮な動きや舞、飛び六法など、非常によく分かって、実に楽しめることである。
   左遣いを玉佳、足遣いを勘十郎の子息簑次が遣っていたが、夫々の熱演を見ていて、
足遣い10年、左遣い10年と言う修業の厳しさが良く分かった。
   これを見ていると、先に勘十郎が、女殺油地獄の与兵衛の人形で、左遣い足遣い、特に、足遣いが大変だと言っていたが、人形の3人遣いの凄さに感銘を受けて感激している。

   
   ところで、義太夫語りは、弁慶が英大夫、富樫が千歳大夫、義経が咲甫大夫、希太夫ほか、三味線は清助ほか、松羽目の舞台に広がった大夫と三味線のロング・ラインの迫力は満点である。
   このように緊迫して迫力のある舞台では、やはり、大夫が丁々発止で、配役毎に役者を代えた方が良いのかも知れない。
   住大夫引退公演の終幕を飾る舞台は、幕を閉じたのである。
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国立劇場・五月文楽・・・「女殺油地獄」

2014年05月22日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今回の第2部は、「女殺油地獄」は、徳庵堤の段、河内屋内の段、豊島屋油店の段
  「鳴響安宅新関」は、安宅関の段 である。
   「女殺油地獄」は、最後に与兵衛が、お吉殺しの犯人だと言うのが分かる結末の20分少々の「豊島屋逮夜の段」が上演されることがあるのだが、今回は、何時ものように3段の舞台である。

   さて、勘十郎が与兵衛を、お吉を和生が遣っているのだが、平成23年以降、前の紋壽に変わった和生もそうだが、二人のコンビは、当分、定着して、この演目の決定版になるであろうと思われるほど、素晴らしい出来である。

   アーカイブを見ると、河内屋与兵衛は簑助が遣い続けていて、女房お吉を玉男が、遣っていたようで、平成15年には、お吉が文雀に代わってはいるが、豊島屋油店の段で、若くもないお二人が、よくもあの激しいバトルを、演じたものだと、驚異さえ感じる。
   平成17年に、お吉が簑助に代わり、それ以降、勘十郎が与兵衛を遣いつづけており、近著「文楽へようこそ」で、「勘十郎さんの好きな演目」の第3位にランク付けしているので、会心の持ち役なのだろうと思う。
   

   この本で、勘十郎は、油まみれの床を足を取られて滑りながらお吉を惨殺するシーンで、下手に向かって大きく3回滑るのだが、エンジンの足遣いとブレーキの左遣いの力が大切で、特に足が難しく、勢いよく行けるとこまで行けと指示しているのだと言う。簑助の足と左を何度も遣って会得したと言うことである。

   歌舞伎では、最近では、与兵衛が仁左衛門で、お吉が孝太郎、そして、与兵衛が染五郎で、お吉が亀治郎(猿之助)の舞台を観ているが、これは、一面に流れた油床を滑り転げながらくんずほぐれつ、凄まじい惨殺シーンを、生身の役者が、舞台狭しと暴れ回わり、大変な迫力で凄惨な生き地獄が展開されるのだが、何でもできる人形とは違った、また別な見せ場があって、中々面白いのである。

   さて、勘十郎の与兵衛だが、首が源太であるから、要するに、二枚目で男前である。
   そのために、どうしようもない程、根性の悪い悪太郎なのだが、冒頭の徳庵堤の段で、悪友を引き連れて登場するところから、恰好をつけて、非常にいなせで恰好良く遣っていて、全舞台とも、大坂のぼんぼん崩れの男の粋が、見え隠れしていて面白い。
   馴染みの遊女小菊の一件で会津の田舎客と喧嘩して、馬上の侍に泥をかけてしまい、命拾いはしたものの討たれる不安で気が気でなくなり、お吉に縋り付くと言う体たらくで、その格好悪さとの落差が激し過ぎるのが面白い。

   もう一つ、勘十郎の指摘で興味深いのは、与兵衛がどこでお吉に殺意を抱くかと言うことで、
   ”どうも最初から殺そうとは思っていない。最後に「はあ何とせう借りますまい」と大きくため息をつくところで気持ちを切り替え、「そんならこの樽に・・・」と空の樽を見たとき、”もうこれまでや”と殺意を抱く心持で遣っています。”と言っていることである。
   これは、後述するが、「勧進帳」で、富樫が、何時、義経一行であると見破るのか、そして、何時、武士の情けで、切腹覚悟で、義経一行の通行を許す決心をするのかと言うタイミングにも拘わる演者としての決断であり、非常に重要なことである。
   このところは、近松の原作も床本も全く同じ文章なのだが、
   ハアはあ、なんとせう、借りますまいと、言ふより心の一分別、そんなら、この樽に・・・
   小学館の日本古典文学全集の「近松門左衛門集二」の脚注に、「一分別」について、
一決心」。ここで殺害の意を固めたと解する。と書いてあるのが、正にそうであろう。
   咲大夫の語り口調も、このあたりから一変するのだが、これまでの経緯から、泣いて拝み倒せば、お吉も与兵衛の頼みを聞いてくれる筈と思い込んでいた与兵衛の計算違いで、今や万事休す。殺してでも金を持ち出す以外に道がないと悟らざるを得なかった与兵衛の断末魔の足掻きが、鬼と化したのである。
   しかし、所詮は、がしんたれの意気地なしであるから、お吉を殺してしまい、
   日頃の強き死顔見て、ぞっと我から心もおくれ、膝節がたがた、がたつく胸を押し下げ押し下げ、・・・
   お吉の胸元から鍵を奪い取り戸棚をかき回して銀を奪い、震えながら闇の中を逃げて行く。

   咲大夫と燕三の義太夫語りと三味線は、絶好調で、今や、頂点。
   今回の演目で、本格的に筋を追った狂言は、この「女殺油地獄」だけだったので、見ごたえがあったのだが、やはり、近松門左衛門は素晴らしい。

   
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わが庭:シェイクスピア、ファルスタッフが咲く

2014年05月21日 | わが庭の歳時記
   わが庭には、千葉から持ち込んだバラが、9本あって、その内、第2弾のイングリッシュ・ローズのウィリアム・シェイクスピア2000とファルスタッフ(一般には、フォールスタッフと云われているが、シェイクスピアからの命名なので、この呼称であるべき)が咲きだした。
   両方とも、カップ咲きの花弁の密集した深紅のバラである。

   千葉では、鉢植えが大半だったが、イングリッシュ・ローズとフレンチ・ローズ主体で、30本ほどバラを植えていたのだが、移転のために、20本以上、お寺に移植して、アトランダムに、9本だけ選んで、鎌倉に持ってきたのである。

   ファルスタッフは、一番最初に植えたイングリッシュ・ローズで、秋に新芽が2メートル以上に伸びたので、クライミング・ローズ仕立てにして垣に這わせたのだが、2年目に枯れてしまい、これは、2代目である。
   生みの親ディビッド・オースティンは、”ファルスタッフ はシェークスピアの最も愛された喜劇キャラクターの一人で、「ウィンザーの陽気な女房たち」などに登場した、若いヘンリー王子の飲み友達の名に由来します。”と言う。
   私がイギリスで、RSCのシェイクスピア劇に通い詰めた最初の戯曲が、「ヘンリー4世」で、売春宿紛いの居酒屋に入り浸って、皇太子のハル王子(後のヘンリー五世)に悪の限りを教え込んだのが、無頼漢のサー・ジョン・フォルスタッフで、ハルがヘンリー5世になると、瞬時にお払い箱となり、食い詰めてウインザーに移り、その後日譚が、この「ウィンザーの陽気な女房たち」であり、ヴェルディの「ファルスタッフ」なのである。
   とにかく、イギリスで最も愛されているシェイクスピア劇の人物で、エリザベス1世女王も、いたく気に入って、ファルスタッフを主人公にした恋の戯曲を書けと所望して生まれたのが、先の「ウィンザーの陽気な女房たち」だと言うから面白い。

   何故、この深紅のバラが、ファルスタッフなのか分からないのだが、私の好きなバラである。
   
   

   ウィリアム・シェイクスピア2000は、昨年初夏に、京成バラ園で買って移植したので、今年初めて咲いたのである。
   私が、シェイクスピア・ファンであるから、理屈抜きで植えているので、綺麗に咲いたら嬉しい。
   殆ど、花色は、ファルスタッフと同じだが、完全に開花すると、真ん中に蕊が見える。
   
   
   

   沢山咲き出したのが、あおい。
   この花が、一番花持ちが良いようで、かなり、長い間、しっかりとした花を維持してくれている。
   
   

   面白いのは、昼咲き月見草で、細長い蕾の時には、枯れたように下を向いていたのが、花が開くと、すっくと立ち上がって、風に揺れている。
   細長いか細い茎の先に花を開くので、イングリッシュ・ガーデンの草花のように風に靡くので風情があって良い。
   
   
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国立劇場・文楽・・・七世竹本住大夫引退狂言「沓掛村の段」

2014年05月20日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   第一部の七世竹本住大夫引退公演の引退狂言は、「恋女房染分手綱」の「沓掛村の段」である。
   前半を、文字久大夫と藤蔵で、切場を、住大夫と錦糸が演じる、正に、期待の引退狂言である。
   住大夫が、心なしか、上気した緊張の面差しで床本を捧げると、万来の拍手で、一気に期待と興奮が高まる。

   この狂言では、丹波城主由留木家の奥家老伊達与三兵衛の息子与作と由留木家の能楽師竹村定之進の娘、腰元重の井との不義密通によって生まれた息子与之助(簑助)を、与作の家来であった足軽の一平が、馬子の八蔵(勘十郎)として、乳母であった母(文雀)と共に預かって育てている八蔵の住居沓掛村の段である。

   冒頭、眼病の母の看病で働きにも出られず、内職で生計を立てている赤貧洗うが如くの八蔵宅に、掛乞米屋や掛乞布屋が掛取りに来るのだが、あまりにも哀れなので貰い泣きすると言う凄まじさ。
   幼気な与之助は、侍よりも、八蔵のように三吉を名乗って馬子になりないと言うので、母は、涙を流して実の両親のことを聞かせて諌める。
   馬方仲間に誘われて馬子に出た八蔵が、追剥に絡まれて難儀していた座頭慶政(和生)を助けて、一夜の宿りにと連れ帰る。
   夜中に、八蔵が、大脇差を取り出して砥石で研ぎだしたので、びっくりした母が慶政を襲って金を奪うのだと思って叱咤するが、討とうとしたのは、与作から3百両を奪って失脚させた鷲塚八平治で、それを聞いていた、慶政は、夜半にも拘わらず出立する。
   そこへ、昼間慶政を襲った盗賊追い剥ぎ(紋壽、玉女)が、座頭の官銀をくすねただろうと乗り込んで来て乱闘となり、八蔵が火鉢で刀を受けると、灰もろとも金包みが落ちる。
   追剥を打ち据えて追い出し、この金3百両は、慶政のものだと知って、八蔵は、慶政を追っ駆ける。

   次の「坂の下の段」で、
   この慶政は、与作の実兄(与八郎)で、与作に家督を継がせようと屋敷を出て、金を調えて官に上るところを、八蔵の話を聞いて、与作の難儀を救おうと金を置いて来たのだが、八蔵が追いついた時には、追剥にやられて瀕死の状態。
   慶政は、こと切れるが、この追剥が、憎き仇八平治であったので、決闘の末、討ち取って首を与八郎に手向けとする。

   住大夫の浄瑠璃語りは、優しい言葉を残して掛乞たちが帰った後、5つの与之助が、竹馬に跨って帰って来るところからで、簑助の与之助と文雀の八蔵母とのしみじみとした対話が始まり、人間国宝同士の感動的な舞台が展開される。
   馬方になりたいと言う与之助に、「コレ、坊の父様はの。歴としたお侍。母さまは重の井様とてお大名のお腰元、・・・」情けないと、切々と乳母のクドキが始まる。
   病気の年老いた乳母の万感胸に迫る、愛しい可哀そうな境遇の与之助に向かっての肺腑を抉るような住大夫のクドキが胸に沁み込んで、実に切ない。
   分かってか分からずか、簑助の遣う幼気な与之助の表情が実に哀れを催し、文雀の病弱の老婆の主への真心一途の思いが泣かせる。

   「文楽のこころを語る」で、住大夫は、
   義太夫語りとしては悪声で、与之助の声なんか出えしません。与之助を裏声でやって、先代喜左衛門師匠に叱られ、高こう言わんでも、音で子供の声に聴かしたらええ、と言われ、この方法を会得するのに苦労して、いまだに、どないしたら耳触りのええ声がだせるかしらんと気ィ遣うてます。と言っているのだが、私には、この乳母のクドキの場は、感動の連続で、これだけ、素晴らしく胸を打つシーンは、かって、聴いたことも観たこともなかったと思う。
   幸せだった筈の何の罪もない子供の無邪気さが、哀れで仕方がないのである。
   先月の「菅原伝授手習鑑」の「桜丸切腹の段」で、住大夫が語った、親白太夫(玉也)と女房八重(文雀)との「アア、アイ」「泣くない」「ア、アイ」「泣くない」・・・あの断腸の悲痛のシーンを思い出した。

   住大夫が、アメリカでは、大夫のことをシンガーと言いまんねんでェ。と言っていたが、ロンドンの文楽公演では、プログラムには、Reciterと書いてある。
   Reciterは、朗読者と言う意味だが、これなどは、最低で、両方とも、大夫の凄さ素晴らしさを、何にも分かっていない。
   本国の日本でも、文楽のブも分かっていない政治家がいるのだから、仕方ないかも知れないが、住大夫の義太夫語りを聴いておれば、一人の大夫が、あらゆる登場人物を語れば、ナレーションは勿論、状況や舞台展開等々一切を情感豊かに命を吹き込んで語りぬくと言う、超人とも言うべき凄まじい芸術魂に脱帽せざるを得ないと思う。
   先のNHKの番組で、死んでからも勉強ですと言っていたが、血の滲むような生き様に感動する。
   
 

   
   頻繁に上演される後段の「重の井子別れ」の段で、この与之助は、馬子の三吉として登場して、御殿に上がって重の井に対面して、実母と知って激しく迫るも、「馬方の子は持たぬ」と突き放されると言う悲惨な結末になるのだが、今回の「沓掛村の段」の住大夫の義太夫語りを聴いていると、その悲劇の顛末が痛いほどよく分かる。
   今や最高峰の人形遣いの簑助が、与之助を遣うと言うのも、当然であって、子役ながら、最も重要な登場人物の一人なのである。

   何となく感動しながら聴いていたので、それ程気をつけて意識していなかったのだが、その後の、盲目の座頭慶政の語りも、元高家の侍であり、今や、盲目の謂わば世捨て人であると言う複雑な人物なので、独特の思い入れと工夫があり、私など、人形の動きを追いながら、何の違和感もなく住大夫の語りを聴き続けているので、今になって、もっともっと、心して聴いておくべきだったと、後悔している。

   さて、勘十郎の八蔵、和生の慶政は、今日の人形遣いとしては、最高の布陣であろう。
   一寸出の盗賊追剥で登場した紋壽と玉女は、勿体ないくらいだが、やはり、住大夫の引退狂言で、華を添えたと言う意気込みであり、これだけ、素晴らしい文楽を見せて貰うとファン冥利に尽きると言うところである。
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京成バラ園:バラの乱舞

2014年05月19日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   鎌倉からは大変だったが、通いなれた京成バラ園のバラを見たくて、朝早く出かけた。
   午後の宝生能楽堂での能楽祭鑑賞に間に合うように、水道橋へ帰らなければならないので、ほんの2時間弱だったが、満開のバラ園で、楽しいひと時を過ごすことが出来た。
   バラ園のHPの14日の写真を見た時には、随分緑が多いと思ったのだが、行ってみると、もう、最盛期をオーバーしたと思えるような咲き具合であった。
   ガーディナーに聞いたら、2~3日で一気に咲きはじめて、今年は、開花が早いと言う。

   何時もは、客足が途絶えた閉園間際に入って、静かになったバラ園で過ごすのだが、今回は、午前中だったので、平日とは言え、かなりの人出だった。
   私は、時間の関係で、移動せずにイングリッシュローズが植わっているバラの丘で、写真を撮って過ごした。
   雨や強風などに、それ程、当たっていない筈だったが、綺麗な無傷の花を探すのが難しいくらいであったから、大分、咲き切ってしまったのであろう。

   昨年あった位置で、同じ花の咲き具合を確かめようと思ったのだが、殆ど、植え替えられていて、同じイングリッシュローズを探すのは殆ど無理であった。
   必ずしも新しく作出されたバラではなかったが、私の知らないイングリッシュローズが多く植わっていて、楽しむことが出来た。
   私が好きなファルスタッフを見つけたのだが、かなり、大きな木に育っていて、深紅のシックな花弁のバリエーションが興味深かった。
   私の庭のファルスタッフも、咲き始めたところである。
   もう一つ、わが庭のアブラハム・ダービーも、陽に輝いていた。
   
   
   

   イングリッシュローズは、オールドローズとモダンローズの性格を合わせ持っているので、カップ咲きの花弁の多い花でも、蕾から咲き始める頃には、昔懐かしい典型的なHTの咲き方をするのだが、私は、その頃の花姿が好きなので、追っ駆けるのだけれど、一気に咲き切ると、自然の樹形なので、中々探すのが難しい。
   とにかく、バラの名前などを一々覚えてはおれないので、綺麗な花を探しながら、歩いただけだが、結構楽しめるのである。
   いくらか、スナップ写真を並べてみると、
   
   
   
   
   
   
   
   
   

   他の所で、一重のバラが咲いていたが、同じ木でも色のバリエーションが豊かな木があるなど面白く、風に靡く姿など、中々面白い。
   このバラ園には、随分、沢山の種類のバラが植えられていて、一つ一つ見て行くと楽しいのだが、やはり、時間を限って、バラを鑑賞するのは、良いことではなさそうである。
   千葉に住んでいた時には、何回もこの京成バラ園に通えたのだが、今年は、そうもいかないのが残念でもある。
   
   
   
   
   
   
   

   もう一つ、呼び物は、ベルサイユの薔薇と鈴木省三生誕100年記念のミスター ローズ であろう。
   やはり、目立つ独特なバラである。
   
   
   
   

   瀬奈じゅんへのオマージュのバラ・アライブも良い。
   イングリッシュローズをバックにした高台から、アライブの花越しに広大なバラ園を展望するのは素晴らしい。
   
   
   


   もう少し、バラ園の雰囲気を追加すると、
   
   
   
   
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トマト・プランター栽培記録2014(6)結実盛んとなる

2014年05月18日 | トマト・プランター栽培記録2014
   先に植えた国華園のトマト苗の殆どが結実し、少しずつ肥大し始めて来た。
   ミニトマトのゴールデンバニーの実で一番大きいのは、本来の大きさにまで肥大し、レッドバニーも、複数花が結実して、3番花房くらいまで、しっかり見えるようになってきた。
   中玉のフルーツルビーも、結実し、大分大きくなってきた。
   実付きも普通の状態で、今のところ、順調に生育している感じである。
   
   
   
   

   一方、アイコの方は、レッドもイエローも、これまで育てた苗よりは、間延びした感じで、結実した実と実の間が広がっていて、それに、実付きも悪いようである。
   2本仕立てにした方は、イエローの方は、第1花房から第2花房の間に、葉が4~5枚あって、実付きが、完全に悪くなってしまった。
   レッドの方は、これより少しましで、2~3葉で治まっているのだが、やはり、実付きは、悪いようで、レッドもイエローも、一房15個は無理な感じである。
   
   
   
   タキイの大玉トマトだが、ずんぐりむっくりの樹形で、大分しっかりしてきた。
   桃太郎ファイトも桃太郎ゴールドも、第1花房が、ついて、黄色い花弁が見え始めて来た。
   今のところ、花付きが良くて、1房に5個以上の花がついているので、結実した段階で、3~4個を残して間引くつもりである。
   花が開き始めたら、今年も、電動歯ブラシを使って、受粉をアシストしようと思っている。
   
   

   現在のところ、まだ、病虫害は出ておらず、順調に生育している。
   サントリーのイタリアン・トマトは、第1花房が咲き始め、第2花房が見え始めて来た。
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ニコンの苦境、カメラに思う

2014年05月17日 | 経営・ビジネス
   今日のgooニュースで、朝日の「ニコン新社長に牛田氏就任へ カメラ事業は未経験」や東洋経済の「ニコン社長交代、これから直面する多くの難問 15年振りに事業部制へ回帰する狙いとは?」と言う記事が掲載されていた。
   ”収益柱の一眼レフが苦境に”と言うことで、
「露光装置を建て直した新社長の腕前が試されるのは、露光装置以外の分野だ。喫緊の課題は、全社売上の7割超、利益の大半を占める主軸のデジタルカメラ事業の立て直しである。」と言うことらしい。
   新興国市場に活路を見出すとか、事業部制に戻すとか、新経営方針などについて報道されているが、ニコンの経営云々については、ここでは触れずに、カメラそのものについての私見を述べてみたいと思う。

   先日、日経に、ミラーレス・カメラが、世界的な需要が盛り上がらないために、鳴かず飛ばずの苦境にあると報道させていた。
   参考になるかならないかはともかく、ミラーレスの動向を示しているかどうかは無視して、かなり売れているニコンのミラーレス・カメラの一つ「Nikon 1 J3 小型10倍ズームキット」の、凄まじい価格破壊について、まず、論じてみたい。
   先月、後継機J4が発売されたので、旧版だが、まだ、現役である。
   価格・コムの下記の今日の記事を借用して現状を見ることにする。
   
   

    最も価格破壊の激しいレッドだと、2013年2月の発売時期の初値が、\89,798であったのが、現在の最安値が、¥33,803で、値下がり率は、62.4%。(蛇足ながら、何故か、レンズ単体だけで買うと、¥64,000と言う不思議)
   たった、1年4か月で、60%以上の値下がりである。
   売れ筋ランキング11位と言うから、かなりのベストセラーであろうと思われるので、既に、コストを回収しているのかも知れないが、あまりにも、急激な価格破壊であって、これが、常態であるのならビジネスにはならない筈である。

   私が、ここで問題にしたいのは、カメラとは一体何なのかと言うことである。
   イーストマン・コダックが、フィルムのイノベーションに成功して、個人的な使用に耐えるようなカメラになった当時とは、様変わりである。

   しかし、最もカメラにとって、大きな革命的な変化を齎したのは、パソコンが隆盛を極め始めた時点において、パソコンの周辺機器に成り下がってしまったことである。
   デジタル化によって、特別な映像機器としてのカメラの使命は、この時点で終わってしまった。
   この時点で、カメラ・メーカーは、経営改革を実施して転身すべきであったのに、何も手を打たなかった。

   更に、携帯電話にカメラ機能が付加されてから、更に、カメラ機能が取り込まれてしまい、スマホの登場によって、カメラ機能の向上と呼応して、通信機能など多くの機能を包含したオールラウンドな端末に完全に取り込まれてしまって、最早、日常生活では、カメラの必要性さえなくなってしまっている。
   今やカメラは、カメラを必要とする人やカメラ愛好家のみの、それも、パソコン周辺機器としてしか存在していないようになっていると言えよう。
   (尤も、これは、日本など先進国の事情で、来日中の中国人観光客が、これ見よがしに高級一眼レフを持ち歩いているのを見ると、新興国などでは需要拡大があるかも知れないが、パソコンやTV,AV機器同様、後発の新興国企業に追い打ちをかけられることは、必定であろう。)
   

   カメラが、デジタルIT機器となってしまった以上、ムーアの法則に従えば、機能がどんどん進化して行き、現在の一眼レフ・カメラのような大型の機器は、早晩、超小型化によって駆逐されてしまうのは、火を見るより明らかである。
   先日、「楽観主義者の未来予測」のブックレビューで、ビル・ジョイが打ち立てた法則「プロセッサーの最大性能は1年単位で毎年倍増する」を引用して、すべてのイノベーションが、「小型化」を志向していると言う理論を展開したが、ものの世界、特にハイテクの機器については、正に日進月歩で、幾何級数的に加速度的に進歩発展しており、同じ形態で存在し続けることなど有り得なくなる筈である。

   
   さて、ニコンだが、主軸のデジタルカメラ事業が、全社売上の7割超、利益の大半を占めると言うのだが、このあたりの、イノベーションのトレンドなり、グローバル市場における激烈かつ巨大な消費者の嗜好や需要の激変する潮流を呑みこんで、先見の明のある健全な透徹した経営戦略を構築して、デジカメ会社から早急に脱却して、ブルー・オーシャンを目指すことが肝要であろう。
   今のように、何の差別化も特色もなく、瞬時にコモディティ化してしまうような商品ばかりを造ってレッド・オーシャンに足掻いているようでは、ダメである。

   ところで、このJ3だが、センサーが小さい分、画質には問題があって一眼レフ同等とは行かないまでも、コンデジ価格+αくらいで買える極めてコストパーフォーマンスの高い上等なカメラであり、早い合焦と10倍ズームの威力は、大したものであると言うことを、ニコンの名誉のために、付記しておきたい。
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国立演芸場・・・三遊亭究斗真打昇進襲名披露公演

2014年05月16日 | 落語・講談等演芸
   一昨年前は、春風亭一之輔、昨年は、川柳つくし、今年は、三遊亭究斗の真打襲名披露公演を聞いた。
   究斗は、劇団四季に10年もいて、噺家になったと言う変わり種で、「レ・ミゼラブル」オーディションでテナルディエ役を勝ち取り出演したと言うことで、ミュージカル落語をやると言うので、非常に興味を持った。
   何でもそうだが、異質な素質があり経験があるタレントが新しい芸を編み出す時には、丁度、イノベーションが生まれる原理と同じで、才能があれば、素晴らしい新しいジャンルの芸が生まれると思っている。

   この日演じたのは、「子別れ」で、元の女房と頼が戻せると知った時の大工の熊五郎が、アメイジング・グレイスばりのアリアを歌いだした。
   上質な人情噺が得意だとかで、ミュージカル落語だと思ったら、この日は、古典落語をやったのだが、師匠の円丈師も新作落語を多く作っているようで、今後、面白いミュージカル落語が生まれるのであろう。
   とにかく、この「子別れ」だが、ほろっとさせるところもあり、中々、聴かせる語り口で、出だしはすこぶる好調であり、期待したい。

   円丈が、語ったのは、「シンデレラ伝説」。
   面白いのだが、三匹の子豚とシンデレラの話がごっちゃになり、それに、桃太郎が出て来るなど、お伽噺や童話がチャンポンで、とにかく、奇天烈な話で、何が何だか分からない。
   木久扇は、「彦六伝」。
   師匠の正藏の逸話話を、中風の物まね口調で、実に、器用に語って面白い。
   林家ぼたんが、「悋気の独楽」をやったのだが、これで、3回目だったけれど、女性の視線からの話だったので、そのバリエーションが面白かった。
   三遊亭丈二が、「天失気」。
   医者に「天失気」があるかと聞かれた和尚が、知らないと言えないので、知ったかぶりをして、小僧の珍念にあっちこっちで聞かせて知ろうとし、騙されて笑いをまき散らすと言う話。
   今なら、ネットで検索すれば、すぐ「おなら」だと分かるのだが、そこは、落語であるから、回りくどい。
   三遊亭白鳥は、「ナースコール」
   新作落語が得意のようで、私も、3回ほど、一寸した手術で、入院した経験があるので、笑いとともに、しみじみと聞いていたが、このような、時代の風潮を笑い飛ばすようなギャグの利いた話も面白い。
   
   

   とにかく、この日は、この後、御茶ノ水の「エスパス・ビブリオ」で開かれている、渡邉肇の「人間浄瑠璃」の第一回文楽至宝尽の段の写真展を見に出かけた。
   文楽の人間国宝やトップ演者の写真を集めた非常に上質な素晴らしい写真ばかりで感動的である。

   それから、千駄ヶ谷に向かって、国立能楽堂に行き、能「俊寛」などを鑑賞した。
   落語から、能・狂言と、落差が激しいが、人生、楽しければ、これ程、素晴らしいことはないと思っている。
   元気な証拠である。
   
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国立劇場・文楽・・・七世竹本住大夫引退公演

2014年05月15日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今日、朝から、国立劇場小劇場での「七世竹本住大夫引退公演」を鑑賞する機会を得た。勿論、満員御礼で、非常に充実した舞台が展開されていて、大変な熱気であった。
   機会を得たと言うのは、売り出し直後にほぼ完売と言う超人気の七世竹本住大夫が登場する「恋女房染分手綱」が上演される第一部のチケットを、偶然にも、10時過ぎにチケットセンターに電話が通じて、取得できたからである。
   本来なら、あぜくら会で、パソコンでチケットを予約するのだが、発売当日、大阪の「七世竹本住大夫引退公演」に行っていて、パソコンもスマホも手元になかったので、万事休すだったのである。

   冒頭の「増補忠臣蔵」から興味深い。
   高師直に賂を贈って殿桃井若狭之助の命を救った加古川本蔵の後日譚で、若狭之助の温情で、追放されるも、贐として虚無僧姿に窶すための袈裟と尺八、そして、高師直の屋敷の絵図面を与えられて、山科へ出立すると言う話で、九段目の山科閑居の経緯が良く分かって面白い。
   紋壽が、颯爽とした素晴らしい若狭之助を遣って清々しい。

   次は、七世竹本住大夫引退公演の「恋女房染分手綱」で、住大夫は、「沓掛村の段」の切を語った。
   私の席は、住大夫の至近距離で、感想がどうのと言った次元ではなく、正に、一期一会の機会で、一語一語を噛みしめて拝聴していた。
   私は、「重の井子別れ」の舞台は、何度か見ているが、この「沓掛村の段」は初めてだったので、非常に興味深く鑑賞させて貰った。
   人形遣いの方は、馬方八蔵に勘十郎、座頭慶政に和生、それに、人間国宝の簑助が倅与之助、文雀が八蔵母で登場し、紋壽と玉女が悪党で登場すると言う豪華版であり、これだけの素晴らしい布陣は、中々期待できない程で、流石に引退狂言である。

   次の「卅三間堂棟由来」は、女房になっていた柳の精が「卅三間堂」建立のために切り倒されて死んで行くと言う悲しい話で、簑助の女房のお柳が、玉女の夫横曽根平太郎と玉誉のこども緑丸との別れを切々と演じて感動的である。
   嶋大夫と富助の浄瑠璃語りが素晴らしい。

   夜の部の「女殺油地獄」は、私の好きな近松門左衛門の作品。
   勘十郎の与兵衛と和生のお吉の凄まじい油店でのバトルの凄さは、人形だから出来る世界で、迫力満点である。
   咲大夫と燕三の浄瑠璃が、その迫力に輪をかけて素晴らしく、人間の愚かさ悲しさを浮き彫りにして実に切なく胸を打つ。

   最後は、「鳴響安宅新関」の「勧進帳の段」で、弁慶の玉女、富樫の清十郎、義経の勘彌が、歌舞伎と能、それに、「勧進帳」を合わせたような面白いバージョンの勧進帳を演じていて非常に興味深かった。
   印象的だったのは、絶えず伏し目がちだった義経が、最後の出立の時に、富樫に一礼して、きっと顔を見合わせて目線を合わせて、お互いに、ソッポを向くような恰好で別れるシーンで、富樫も、弁慶そっちのけで退場してしまう。
   とにかく、色々なバージョンがあって興味深い。

   個々の舞台については、後日、もうすこし印象記を書いて見たいと思う。
   
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鎌倉;長谷寺の春の花

2014年05月14日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   午後遅く、時間があったので、鎌倉山からバスに乗って長谷寺へ向かった。
   春の花の季節なので、牡丹の季節は過ぎてしまったけれど、まだ、何か咲いているだろうと思ったのである。
   ゴールデンウィークの時には、ラッシュの東京のターミナル駅並の人ごみで溢れていた大仏前の道路も、大分、空いて来たのだが、やはり、鎌倉で、週日でも結構観光客が多い。 
   尤も、半分くらいは、外国人のようで、私の知らない言葉を喋っている人も多い。

   何度も来ているので、私の目的は、境内の散策と花にカメラを向けること。
   最近は、大きな一眼レフを持ち歩くのが苦痛なので、専ら、ミラーレス、コンデジよりは多少良い写真が撮れるので、重宝している。
   キヤノンだとそうでもないのだが、今回は、ニコンを使ったので、ボケ味が良くないのが気にはなっている。専用のロングの望遠は、キヤノンにはないのである。
   写真を撮ると言っても、良い写真を撮ろうとする気持ちなど更々なく、撮って写真をながめて、偶々、気にいった写真が撮れれば楽しいと言うだけである。

   さて、実際の花だが、牡丹は完全に終わっていて、芍薬に変わってしまっているのだが、すべて鉢植え。
   芍薬は草なので、冬季には完全に根茎だけになってしまうので、地植えは難しいのであろう。
   私も庭植えにしているが、春の花をどのように植えるのか、迷うことが多い。
   
   
   
   
   

   池畔には、花菖蒲や水芭蕉、それに、水連が開きかかっている。
   緋鯉が悠々と泳いでいる。
   それに、水連が開きかかっている。
   水際の小さな草花も雰囲気があって良い。
   
   
   
   
   

   面白いのは、なんじゃもんじゃの木の花で、かなり大きな木であったのだが、切り株から2本の枝が伸びていて、白い花房状の花を垂れている。
   もう一つ面白いと思ったのは、記憶違いかも知れないが、あがたまの木の花だと言う、花とは思えない姿かたちの花である。
   また、前にも注目したのだが、黒いボケの花で、濃赤紫の凛とした優雅さが良い。
   
   
   

   そのほか、何となく印象に残った花は、名前をチェックできなかったのだが、次の通り。
   
   
   
   
   
   ところで、境内の眺望散策路を登って行くと、鎌倉の町並が、そして、遠く、逗子や葉山から、半島の方まで展望できる。
   少し、天気が悪くて、見通しはそれ程良くはなかった。
   幸い、まだ、鎌倉の浜辺は健在であるようである。
   
   
コメント
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