熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

わが庭:梅雨の合間の花

2014年06月29日 | わが庭の歳時記
   梅雨と言えば、やはり、アジサイだと思うのだが、鎌倉の路傍には、あっちこっちにアジサイが植えられていて、カラフルで風情があって良い。
   庭木としてアジサイを集中して植えている家庭などの庭を垣間見ると、姫あじさいや愕あじさいなど多彩で、結構珍しい園芸種が植えられていて、面白い。

   わが庭のアジサイは、鉢植えで買って庭植えした新しいものは、既に花が終わっているので、咲いているのは、唯一、白花のアジサイだが、花が終わりかけると、一気に赤く色づいてきて、華やかになった。
   少しずつ、ほんのりと、ピンクが浮き始めると、雰囲気が変わっていくのが面白かったが、今や、赤いアジサイになってしまった。
   
   
   

   それに、梅雨時に目を楽しませてくれるのは、ひっそりと咲いている小さな濃いブルーのツユクサである。
   気付かなかったのだが、木陰の下草の中に顔を覗かせているツユクサを見つけて嬉しくなった。
   

   それに、ユリの季節でもある。
   先日、千葉のわが庭を訪れて、庭の雑草などの処理に追われたのだが、主が去った庭にも、忘れずに、ユリが咲き乱れていて、愛しくて、ひとつひとつの花に挨拶をしていたのだが、本当に、花は素晴らしいとつくづく思う。
   鎌倉の庭には、移植したユリは、何故か、咲く前に花が落ちしまって、今咲いているのは、元あったユリの花である。
   

   園芸店で、種を買って植えたのが、朝顔とミニひまわりだったが、ミニひまわりの花が咲き始めた。
   朝顔は、一気にツルを伸ばして、支柱を這い上がり始めたが、やっと、小さな蕾が見え始めたところである。
   今年は、園芸店には、西洋アサガオの種がなかったので、植えられなかったが、何本かは、庭木を這い上がらせようと思っている。
   
   

   イングリッシュ・ローズが、少し小ぶりになったのだが、返り咲きで、優雅な花を咲かせてくれている。
   HTのように、秋には、また、華やかに咲く花は少ないのだが、梅雨時のバラは、アジサイなどとは、一寸違ったムードを醸し出してくれて、嬉しい。
   
   
   

   初夏は、恋の季節かも知れない。
   かぼちゃの葉うらで、ランデブーしている小さな生き物がいた。
   
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三井住友FG定時株主総会

2014年06月28日 | 経営・ビジネス
   長い間、行っていなかった三井住友FGの株主総会に出かけた。
   みずほは、日産とかち合っていて行けなかったし、この日も、普通なら同じ日の東京三菱UFJに行くところを、久しぶりに、三井住友に行くことにした。
   銀行株は、リーマンショック以前に買って、処分出来ずに持ち続けているので、大変な評価損を抱えているのだが、一向に上向く気配がない。

   前に出た株主総会は、西川善文社長や北山禎介社長であったが、株主との質疑応答は、すべて、社長が対応しており、異様な感じを覚えたのだが、今回も、宮田孝一社長が、全く同じように、すべて取り仕切り、ひな壇の役員で他に壇上に立ったのは、監査役一人だけであった。
   トップの社長が立って、質疑に応答するのであるから、最も信頼に足る素晴らしい対応である筈だが、私には、株主へのオープンで民主的な対応ではなくて、完全にコントロールされ過ぎた総会のように思えて息苦しかった。
   尤も、模範解答については、恐らく、壇上に備え付けられたディスプレィに表示されるので、社長は、それで、対応すれば良いのであろうが、硬軟取り混ぜての株主の質問に対して、すべて精通している筈はないのである。

   株主からの質問で、具体的な苦情などクレイムについては、個別事象なので、答えられないとか、弁護士などを通じて適正に処理していると言った回答をして一蹴していた。
   
   初めて出席したと言う株主が、他の会社のひな壇の役員の前には、役職や氏名が書いてあって良く分かるが、三井住友は名札さえないと苦言を呈していたのだが、発言も何もしなくてただ座っているだけの株主席を見下ろしているダークスーツの男の集団が、異様に感じたのであろう。

   面白かったのは、会社の現況説明や対処すべき課題の説明について、株主が、アセット・マネジメント、アジア・セントリック、ダイバーシティの意味について質問していた。
   社長は、真面に応えていたが、私には、銀行の説明に対する強烈な皮肉の炸裂であり、これ程、高邁な思想(?)を掲げながら意味不明で実質に乏しい文章の羅列に対するアイロニーめいた発言はないと思って聞いていた。

   質疑については、特に、エポック・メイキングなものもなく、社長も模範解答に徹していたので、特記すべきものはないのだが、配当に対する株主の質問に対して、現状の配当性向は25%だが、30%を目指すと言っていたので、期待しておこう。
   いずれにしろ、天下の住友と三井の中核であった筈の銀行が、このような業績に低迷しながら、何時までも苦しみ続けるのも考えられないことで、報告書に掲げられた対処すべき課題の完遂を切に願いたい

   余談だが、開会後に会場に入ったので、後方の席にいて確認は出来なかったが、以前に感じたように、前方の方の席には、社員株主が陣取っているのであろうか、かなり、それなりのシチュエーションで拍手が起こり、昔の懐かしい頃の株主総会を思い出した。
   みずほのように、派手な総会になると、また、別だが、同業としては、それ程悪くないのだから、こんなに息詰まるような管理の行き届き過ぎた総会にするのではなく、もっともっと、株主に笑顔を見せて親しまれる総会を目指したらどうであろうか。
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トマト・プランター栽培記録2014(11)尻腐れ病止まる

2014年06月25日 | トマト・プランター栽培記録2014
   桃太郎ファイトが尻腐れ病に罹って、真っ黒になったので、その後、消石灰と、邪道だと思ったが、PK比率の高いバラ用の肥料を少し施肥しておいたのだが、止まったようである。
   第3果房の実は、正常についているので、安心した。
   気付かなかったのだが、イタリアン・トマトのルンゴも、長楕円形の先が黒ずんで、上部が色づき始め、同じ尻腐れ病に罹っていたので、実を切り落として、同じ処置をした。
   ダコニールで消毒しようかと思っていたのだが、無農薬で通せそうである。
   

   イタリアン・トマトは、実付きなどは気にせず、自然のままに育てているのだが、今のところ、順調に育っている感じだが、問題は、上部の花房が、殆ど枯れて落ち始めていることである。
   前に育てた時には、株が荒れて実付きも悪かったので、気にはしていないのだが、手の施しようがないので、このまま、実のついた下部だけの収穫で満足するほかなさそうである。
   ロッソロッソ、ボンリッシュ、ズッカ、ルンゴの実付き状況は、今のところ、次の通り。
   
   
   
   

   大玉トマトの桃太郎ファイトが、尻腐れ病で、果房ごと実を落としたり、桃太郎ゴールドの実付きが悪くて、1果房に1個しか実が残らなかったりしているので、その上下の果房に、4個以上実がついても、摘果せずに、そのまま残しておいて育てて見ようと思っている。
   別に、大玉の素晴らしいトマトを育てようと思っているわけでもないので、何事も、実験である。
   
   

   裏庭に植えてあるミニトマトについては、色付き始めて、適当な色になった時点で、リスに先を越されないように摘果して、暫く、熟成させている。
   孫が、美味しそうに食べているので、問題はないのであろう。
   イエローアイコの実付きが良く、かなり、大きなミニトマトなので、木に負担がかからないように、果房の数を抑えて、先を摘心し始めている。
   レッドバニーが、今、一番早く収穫出来ている。
   施肥については、有機肥料を、2週間ごとに施している。
   
   
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日産自動車第115回定時株主総会

2014年06月24日 | 経営・ビジネス
   今回は、千葉からではなく鎌倉からなので、久しぶりに、パシフィコ横浜での日産の株主総会に出かけた。
   まず、第一印象は、かなり、周到に準備された総会で、非常にスマートな印象を受けた。
   ゴーンCEOの会社説明に十分に時間を取っており、業績説明も、他社のようにスライドによるナレーションではなく、西川副社長が説明に立ち、また、株主からの質問に対しては、ゴーンCEOが回答するも、必ず、担当役員に振って説明をさせていた。

   もう一つの注目点は、事前質問を精査して質問者を特定して指名したり、株主への日産自動車技術体験会での質問を代表質問に加えたりして、会社回答や説明を行い、総会当日の会場からの質問は、抽選で選んで3人に絞るなど、非常にコントロールが効いており、正味1時間程度ながら、内容のある質の高い質疑応答が行われていた。
   多くの会社の株主総会のように、総会当日、ブッツケ本番で行き当たりばったりに質問者を議長が指名して、玉石混交、(と言うよりも、大抵は非常に質の低い質問に振り回されているのだが、)色々な株主の発言を聞きながら、12時ころまで時間を持たせて終わると言うセレモニー化した総会とは一味違った総会を演出していた。 
   この方式が良いのか悪いのかは別にして、この日産方式の方が、短時間で、密度の高い会社と株主とのコミュニケーションが行われているので、株主の不満のはけ口や物申す会に成り下がっているような総会よりは、はるかに充実度が高いと思っている。

   さて、今回の総会での質疑応答のトピックスだが、何時も話題になっているポイントなので新鮮味はないが、私見を記しておきたい。

   まず、日産の株価であるが、確かに、何時までも、トヨタやホンダにくらべれば低い。
   ゴーンCEOは、業績は会社の実力を十分反映できていないと説明する。
   特に、昨年は、過去最高のグローバル販売を達成し、工場、商品、技術に多額の投資を行った。自動車事業のネットキャッシュは過去最高を達成したし、これまで以上に新技術への投資も行い、大進歩を遂げた1年であった。2014年度の見通しについては、シェアは、過去最高の6・7%を目指し、電気自動車『リーフ』の拡大を目指し、充電インフラの拡充も図って行く。国内は消費税増税の反動もあるが、海外で販売増を達成できる。短期で見るのではなく、長期で見てくれと言うのである。
   ジョセフ・ピーターCFOが、株価は5年間で、70%上昇し、この水準はトヨタ、ホンダを上回る。1株あたり30円。13年度の配当利回りは3・3%で、13年度の直前に購入すれば、これもトヨタ、ホンダよりも高い水準である。ネットキャッシュポジションは過去最高の水準。バランスシートは改善、外部要因が受けにくくなっており、新商品、技術などを考えても、株価は実力を反映していない。と説明した。
   これに反論すれば、5年前の株価そのものが元々低かったし、株価が低いから利回りが高くなると言えないこともない。
   いずれにしろ、次の指標からも分かるように、利回りは高いが、日産の株価は、低いのである。(株マップ・コムから借用)
   

   次に、株主が問題としたのは、9億9500万円のゴーンCEOの報酬が高すぎると言うこと。
   ゴーンCEOは、この株主の発言に対しては、語気強く熱弁を振るって反論した。
   日産は、24万5000人の従業員がいるグローバルな経営者をもつ日本企業だ。グローバルな自動車会社のCEOの平均報酬額は前年比5%増の1720万ドル(約17億2000万円)で、中央値よりも低い。日産は、膨大な大金を成長に向けて投資しているグローバル企業であり、もっともっと優秀な人材が必要であり、ドイツメーカーや米国メーカーと互角に戦うためにも、最高の人材を国際市場から採用し、会社は成長し、誇りを持てる企業にしていくことが必要だ。
   日本の経営者は、十分な国際的な価値を生み出しているにも拘わらず、報酬が低すぎる。アンフェアである。とまで言って、自己の高報酬を正当化する。
   亡くなる前のドラッカーを筆頭に、多くの経営学者や良識派の知識人たちは、会社を傾けてさえ高報酬を追求し続けるアメリカの経営者たちに対して強欲だと批判し続けていた。
   この傾向については、十分に顧慮すべきであるが、私自身は、経営者たちのモラルと程度の問題だと思っており、詳論は避けるが、カルロス・ゴーン説には、それ程、違和感を持ってはいない。
   以前にGMへの話があったが、ゴーン自身が、ヘッドハンターされれば、どうなるか、日本の大企業のCEOがグローバル化して行くのなら、必然的に、グローバル水準にならざるを得なくなろう。

   電気自動車(EV)重視の路線を見直して、燃料電池車(FCV)の開発を進めてはどうかとの株主の提言に対して、ゴーンCEOは、EV路線を変えるつもりはないと力説した。
   EVについては、引き続き航続距離を伸ばし、コスト削減につとめる。EVの販売は、HVが生まれてから、売れるまでの販売の推移よりも、早く、短い期間で増大している。ダイムラーと米フォードと共同で、燃料電池車(FCV)の開発を進めているが、FCVは、水素ステーションの設置など時間がかかる。EVだけをやっているのではなく、HVもFCVもやっており、十分に動向を把握している。と強調していた。

   もう一つ、技術開発で力を入れていたのは、自動運転技術の開発で、商品化可能な自動運転車を、2020年までに開発し、販売する。
   自動運転技術を搭載したクルマは、次世代テクノロジーを含む様々な技術によって自動的に車線変更をしたり、衝突を回避しながら一般道や高速道路を走ると言うことだが、自動車事故の過半は、人為的ミスによるものなので、何十倍もの安全度を確保して人為から解放すると言うことであろうか。
   人は、大体2時間運転に時間を取っているので、その2時間をフリーにしようと言うのである。
   そうなれば、自動車だけではなく、あらゆる交通手段が自動化されるのではなかろうかと思われるのだが、人間にとって、進歩と呼べるのかどうか、一寸、考えさせられる。
   
   
   

   その他、セキュリティに対して、どこの会社の車であろうとも、リコールが発生すると、完全に経営から独立した専門チームが、あらゆる分野から研究検討を重ねて改良改修につとめるのだと言う。
   主席品質技師に、全権限を与えて、安全に問題があれば、即刻、ラインをストップして対策を取るのだとも言う。
   ところが、会場入り口で不当解雇を訴えていた組合のビラによると、嘘か本当か、2002年には6件だったリコールが、2013―2014年に、リコール数25件でトータル1,847,140台だと言う。
   自動車会社にとっては、セキュリティに関する品質管理は大変なことのようである。

   その他、ルノー・日産アライアンスのシナジー効果など、日産の経営戦略についても、語っていたが、結構、密度の高い内容の株主総会であった。
   総会後、会場を移して、株主懇談会が持たれた。
   ゴーンCEOの乾杯でオープンし、役員たちが株主たちの輪の中に入って懇談を始めたのだが、主役の周りには株主とメディアが取り囲んで立錐の余地がない程。
   NHKは、株主にインタビューしていた。
   
   
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三越伊勢丹定時株主総会

2014年06月23日 | 経営・ビジネス
   最近、改めて株を買って少数株主になったので、(前は三越だったのだが)、何年かぶりに、三越伊勢丹の株主総会に出てみた。
   先進国の欧米を歩いてもそうだが、斜陽産業の最たる業態だとは思っているのだが、生活文化の根幹を形成している、これからの豊かな生活には、最も重要な産業の一つであり、三越伊勢丹は、その中でも最も百貨店らしい百貨店なので、動向をフォローして行こうと思っているのである。

   まず、小売業での百貨店の位置づけだが、ある資料によると、現在では、百貨店の売上シェアは4.62%で、非常に小規模であり、最盛期の1991年の総売上高9.7兆円と比べて、6~7割にまで低下しており、ICT革命後のネット・ショップの急激な増勢を考えれば、今後の先細り動向は、目に見えている。
   大西洋社長が、「百貨店はなくならない」と何度か発言していたのだが、なくならないと言う表現は、どんどん衰退して行くのだろうが、なくなるようなことにはならないであろうと言う非常にネガティブなニュアンスがあり、逆説的には余裕の発言かも知れないが、見方によっては、大変不用意な発言でもあり、そのように将来性のない事業を、何故、続けるのかと言うことになる。

  
   いずれにしろ、三越伊勢丹のセグメント情報を見ると、売上高合計1,431,569百万円に対して、百貨店業合計が1,201,065百万円であるから、84%となり、多少、多角経営して事業拡大を図っているにしても、百貨店であることは、明々白々である。
   先々号の日経ビジネスに、「セブン鉄の支配力」と言う特集記事で、鈴木敏文会長の「オムニチャネル戦略」が紹介されていたが、スーパーからコンビニ、百貨店等々広範囲の小売業態を糾合して果敢に新戦略を打ち続けているメガ級の総合小売業との対決で、如何に、百貨店専門企業が、独自性を強調して闘い続けられるか、非常に興味深いところである。

   百貨店そのものについては、十分な知識がないので、ここでは、特に、今回提示されていた三越伊勢丹の経営計画について、私なりに興味を持った論点いついて、少し、私見を展開して見たいと思っている。

   中期計画で、社長が強調していた点は、次の3点。
   顧客との接点の拡大
   新しい魅力のコンテンツの創出
   生産性の向上

   百貨店は、最も高級なリアル店舗であり、顧客との対面販売による丁寧な接客応対が、命であるから、この顧客との接点を大切にして、更にその関係や環境を深化しかつ拡大して行くと言うことであり、顧客と1対1で対面するスタイリストの役割の重要性を強調していた。
   スタイリストと言うのは、私の理解では、ウィキペディアの記述である、
   ”スタイリスト(stylist)は、映画・テレビ番組・写真などの出演者が身につける衣裳やアクセサリー小物などを集め、髪型を含めて、その場面に合ったコーディネートをする職業である。”と言う概念だが、百貨店で言えば、接客するスタッフが、取りも直さず、顧客の求めに応じてスタイリストの役割を果たすと言うことであろう。
   非常に有難いことなのだが、人材の育成を含めて、極めてコストのかかる取り組みだと思うので、ペイするのかどうか、コストパーフォーマンスが気になってしまう。

   魅力的なコンテンツ、ここでは、新しい価値の高い魅力的な商品の創出・開発、あるいは、紹介と言うことであろうが、余りにも当たり前のことで、反論の余地はない。
   しかし、私自身は、昔から、百貨店は、ハレの舞台と言うか、非日常の特別なショッピングのみならず外出の楽しみを醸し出してくれる場所であるべきだと思っているので、とにかく、行きたくなるような、百貨店に行ってひと時を過ごしたくなるような場所にすることが肝要だと思っている。
   したがって、そのような特別な場を演出できるような魅力的なコンテンツを創出して、とにかく、顧客に足を運ばせて、百貨店でのひと時を楽しませることが出来れば、売り上げはついて来ると思っている。

   生産性の向上などは、言わずもがななのであろうが、社長が強調していたのは、販売部門と商品部門、スタイリストなどの人材育成やサプライチェーンの拡充と言うことのようだが、実務上には、色々な隙間があるのであろう。

   一寸気になったのは、
   「お客様満足の向上と収益力の強化を図り、グループビジョンである「世界随一の小売サービス業グループ」の実現に向けて持続的・永続的な発展の礎を築いてまいります。」と言う世界随一の小売サービス業と言う言葉が、何を意味するのかと言うことである。
   意気込みらしきものは分かるのだが、意味不明であるし、世界随一と言う枕詞を冠するほどの業態にあるのかと言うことでもある。
   とにかく、欧米の名だたる百貨店の多くも、斜陽の憂き目にあって四苦八苦していると言うのであるから、余程、斬新なクリエイティブでイノベーション志向の経営を行わない限り、題目倒れに終わるであろう。

   海外展開についての質疑があったが、ロンドンにあった店も閉店して、今は、ヨーロッパはローマしかないようである。
   私が、ヨーロッパに居た時には、ロンドンには、三越も伊勢丹も、目抜き通りに立派な店を構えていたし、ウィーンの三越などは、カフェ・モーツアルト(Café Mozart )を経営していたので、あの素晴らしい雰囲気の中で、ウィンナ・珈琲やザッハトルテを楽しむことが出来た。
   今は、中国や東南アジアだと言う。時代も変わってしまったのである。
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国立劇場・・・歌舞伎「ぢいさんばあさん」

2014年06月22日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今月の国立劇場の歌舞伎は、歌舞伎鑑賞教室公演で、解説・歌舞伎のみかた付きの「ぢいさんばあさん」で、中高校生や大人の団体鑑賞主体なので、一般客が端に押しやられた感じであるが、1公演だけなので、2時間くらいで終わり、他の予定と絡めると楽しめる。
   私も、この日は、三菱商事の定時株主総会に出て、その後に、半蔵門へ向かった。

   この「ぢいさんばあさん」は、森鴎外の簡潔な短編を、宇野信夫の作・演出で、味わいのあるほのぼのとした舞台にした歌舞伎で、ぢいさん美濃部伊織の中村橋之助とばあさん伊織妻るんの中村扇雀が、感動的な舞台を見せてくれる。

   二年前に、新橋演舞場で、三津五郎の伊織、福助のるんで、同じ舞台を観た。
   舞台セットも全く同じで、雰囲気も良く似ているのだが、役者が変わると、印象が、がらりと変わるのが面白い。
   前の舞台で、伊織の義弟、すなわち、るんの弟宮重久右衛門を扇雀、伊織の同僚下嶋甚右衛門を橋之助が演じていたのだが、二人の先輩の舞台を観ていての今回の舞台であるから、思い入れも格別なのかも知れない。


   新婚生活幸せいっぱいのおしどり夫婦に、運命の悪戯とも言うべき不幸が起こって、別れ別れになって、37年後に再会すると言う、胸の詰まるような人生だが、これ程心底から愛し合った夫婦があっただろうかと思えるほどの感動的な出会いで幕が下りる。
   年老いて真っ白になった上品な老夫婦が、遠慮がちに再会し、互いに労わりながら手を握り合って、新しい人生への幸せをしみじみと噛み締めながら、見合わせる顔の神々しさ。


   伊織が、怪我をした義弟宮重久右衛門(虎之介)の代わりに京のお役目に旅立ち、そこで、同僚下嶋甚右衛門(坂東亀三郎)と諍いを起して殺害し、その罪で越前へ預かりの身となり、37年後に妻るんと再会すると言う話。
   下嶋との諍いは、伊織が寺町通の刀剣商の店で、質流れだと云う良い古刀を見出し、それを買いたく思ったが、代金百三十両がなかったので、下嶋に三十両借りたのだが、鴨川の料亭の床での刀の披露の宴会に、呼ばなかった下嶋がやって来て、口論の末に刃傷沙汰になる。


   第1場は、生まれたばかりの子供を慈しみながらの旅立ち前日の伊織家、第2場は、京都鴨川床での事件、第3場は、37年ぶりの旧伊織邸での再会。真ん中の悪夢のような舞台を挟んで、予期せぬ事件で暗転した不運を乗り越えて、変らぬ純愛を貫き通した二人の魂の鼓動と沸々と心のそこから湧き上がる愛情の迸りが、何ものにも代えがたい感動を呼ぶ。

   
   歌舞伎の舞台になるためには、森鴎外の短編「ぢいさんばあさん 」が、少し、芝居らしく脚色されている。
   鴎外の小説では、舞台とは逆に、改修された伊織家にまず、おぢいさんが移り住み、2~3日後におばあさんがやって来てままごとのような生活が始まるところから書き起こされている。
   舞台は、これを新婚生活から始めるのだが、伊織家の家を同じ家にしていて、その元の家での再会と言うことで、一層懐かしさと情趣を盛り上げ、その縁側に面して立つ桜の木に重要な役割を演じさせている。
   京都での川床での宴会で、伊織がるんから送られて来た手紙に挟まれた桜の花びらを高台から散らすシーンが印象的だが、まだ若木だった桜の木が、37年後には大木になっていて、時の移り変わりと二人の再会をいやが上にも祝福する効果が出ていて好ましい。
   それに、歌舞伎で登場させる義弟宮重久右衛門の子供である宮重久弥(中村国生)と妻きく(児太郎)が老夫婦を迎えるために、桜の枝に短冊を吊る脚色も情趣があって良い。
   もう一つ、伊織が京に発つ時には、るんは妊娠中なのだが、舞台では、可愛い赤子にして登場させ、二人の別離の寂しさを強調している。


   また、下嶋の扱いで、歌舞伎では、別れを惜しむべき旅立ちの前日に伊織を強引に碁につき合わせたり、最初から仲間内でも嫌われ者嫌な奴として扱われているのだが、小説では、鴨川の床の場での登場で、刀傷で2~3日後に亡くなることになっており、舞台のように、床から身を翻して川に落ちることにはなっていない。
   
   もう一つ、伊織に、何かの拍子に、鼻に手を当てる癖を持たせて、37年後の再会で、お互いに遠慮がちにもじもじしていたのだが、伊織が、桜の木を見上げながら鼻に手を当てるのを見て、るんが、伊織だと分かって近づいて行くシーンなどは、代わらぬ二人の心を象徴しているようで面白い。

   前にも引用したのだが、再会を果たした義弟邸内での二人について、鴎外は、” 爺いさんが隠居所に這入ってから二三日立つと、そこへ婆さんが一人来て同居した。それも真白な髪を小さい丸髷に結っていて、爺いさんに負けぬように品格が好い。婆あさんが来て、爺いさんと自分との食べる物を、子供がまま事をするような工合に拵えることになった。この翁媼二人の中の好いことは無類である。近所のものは、もしあれが若い男女であったら、どうも平気で見ていることが出来まいなどと云った。”と言って、平安無事な幸せそうな生活を描いており、
   面白いのは、二人の人物描写で、”るんは美人と云う性たちの女ではない。体格が好く、押出しが立派で、それで目から鼻へ抜けるように賢く、いつでもぼんやりして手を明けていると云うことがない。顔も觀骨がやや出張っているのが疵であるが、眉や目の間に才気が溢れて見える。伊織は武芸が出来、学問の嗜もあって、色の白い美男である。只この人には肝癪持と云う病があるだけである。”と書いていて、るんが、あまりにも健気に祖母に尽くすので、”伊織は好い女房を持ったと思って満足し、それで不断の肝癪は全く迹を斂めて、何事をも勘弁するようになった。”と言うのである。
   このあたりの描写が、宇野信夫の劇心をいたく刺激して、あの素晴らしい老夫婦の再会と至福の新しい人生への旅立ちを演出させたのであろう。

   今回の舞台で興味深かったのは、まだ、子供だと思っていた虎之介や国生が、素晴らしい役者の片鱗を見せていて、それなりに大人の雰囲気を出して舞台に溶け込んでいたことである。
   虎之介が、実父の扇雀の姉を相手に、そして、国生が、実父の橋之助の伯父伊織や、従兄弟で先輩の児太郎の妻を相手にして、多少、背伸びをしながらも、重要な役割を演じられたのも、国立劇場の舞台であったから出来たのかも知れないが、非常に、好ましいことで、新鮮な楽しみを味わうことが出来たと思っている。
   下嶋甚右衛門を演じた坂東亀三郎も、性格俳優ぶりを見せて、面白い舞台を演じていた。

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ソニー第97回定時株主総会

2014年06月21日 | 経営・ビジネス
   ソニーの定時株主総会には、出井CEO時代からずっと出ているのだが、毎年、計画倒れの悪業績続きで、今回も赤字で一人負け、どんどん、会社が悪くなって行く感じで、ひな壇で威勢の良い再生計画を打つCEOのスピーチが、むなしく中空に消えて行く。
   平井CEOの説明に対し、現状認識が甘すぎる・失望したと発言した株主がいたが、私には、従前から、ソニーにはプロの経営者がいるのかと言う疑問が絶えずあって、創業時代の経営者の時代以降は、ずっと、素人経営者がソニーの陣頭指揮を取っているような気がして仕方がない。
   平穏無事な総会であったので、今回は、株主総会での質疑と言うよりは、ソニーの経営について、総会での印象を交えながら感想を書いて見ることにする。

   平井CEOの発言の大半は、以前に発表のあった2014年度 経営方針に則っているのだが、2014年度は「構造改革をやり切る年」として、3項目を掲げて、
   1、「エレクトロニクスの事業構造の改革」を真っ先に上げている。
   しかし、その核となるのは、PC事業とテレビ事業の抜本的な変革プラン。
   要するに、PC事業を売却して撤退する。
   そして、テレビ事業については、新会社「ソニービジュアルプロダクツ株式会社」を設立して、TV事業のValue Chain全体について責任と権限を持たせて黒字化を図ると言うことである。
   私など、ずっと前から、コモディティ化して競争力を失ってしまったTV事業については、早急に撤退しろと言い続けてきたので、当然、本体から切り離して、売却するものと思っていたので、拍子抜けだし、また、別会社にしたからと言って、ソニー経営陣のコントロール下にある以上、利益基調に変革するなど期待薄だと思っている。
   まして、10年も赤字を続けていて、まだ、コアビジネスとして温存するなど、経営学の教科書にさえない常軌を逸した暴挙とも言うべきであろう。
   いずれにしろ、このPC事業の売却とTV事業の分離子会社化と言うのが、経営計画におけるコア・ビジネスの構造改革だと言うのなら、何をか況やである。

   余談ながら、パソコンのVAIOについては、ソニー全体がデジタルに殆ど無関心であった時に、出井CEOが、果敢に導入した経緯があるので、特に感慨無量であろう。キヤノンが、御手洗社長の決断で、パソコンから撤退したことも、ボリュームなどの点で問題があったのだろうが、そう思えば、アップルのMacは、やはり、真のイノベーションと言うべきか、見上げたものである。

   尤も、平井CEOは、もう一つの構造改革として、本社間接の費用30%の削減と販売会社の費用20%の削減に言及した。
   出井CEO時代のソニーショックの時期ならいざ知らず、やらないよりはやった方が良いとしても、舟が沈みかけている時期にやるべき様な組織改革であろうか、10年は遅いと思っている。
   智慧が総身に回りかねと言うか、組織疲労の最たるもので、正に、経営不在の極致と言うべきであろうか。
   これだけやっても、1000億円程度のコスト削減だと言うのだが、
   人員削減で優秀な技術者の退職懸念を質問されて、1万8千人人員整理したが、技術者は数千人で、キーエンジニアの温存維持にこれ勤めていると会社は回答していたが、弱り目に祟り目で、これだけ一気に切れば、真っ先に、優秀な人材は去って行く筈である。

   次に掲げる施策は、
   2、「2014年度の注力事業における重点施策」
   真っ先に言及したのは、エンタテインメント・金融事業の位置付けと更なる強化
   ソニーの業績を、どうにか支えているのは、エンターテインメントと金融部門の黒字であって、平井CEOが、「エレクトロニクス、エンタテインメント、金融のどれもがソニーにとって重要なビジネスであり、本業だと考えています」と言わざるを得ない茶番劇が、ソニーの苦境を如実に物語っていて悲しい。
   コンシューマー・エレクトロニクスに頭の凝り固まったソニーのマネジメントやエンジニアに、果たして、たとえば金融などに対して、コア・ビジネスとしての認識があるのかどうか。GEとの経営の差が、あまりにも大きい。

   次の「エレクトロニクス・コア事業の強化」だが、ソニーのコア事業と定めるモバイル、ゲーム、イメージングの3つの事業領域は、大変厳しい競争環境下にあるが、ソニーが有する二つのキーデバイス、すなわちイメージセンサーとバッテリーの力が、イノベーションを起こし、他社にはないユニークな顧客価値を提供することで、勝ち抜くことができると考えていると言うのである。
   後述するが、破壊的イノベーションを生み出してブルーオーシャン市場を攻略できなければお題目だけに終わってしまう。

   最後は、
   3、技術開発の方向性と新規事業への取り組み」
   エレクトロニクスの研究開発の方向性について、ソニーは創業時より、常に技術の先進性を追求し、ホームやモバイルで、お客様に感動を与える商品・サービスを提供し続けてきており、人々のライフスタイルを変えるようなイノベーションを引き起こすことが、ソニーの技術者のDNAであり、使命であるから、技術でライフスタイルを変えるのだと言う。

   その面からの新規事業だが、商品展示会場で、別ブースを設けて紹介していたのが、「ホーム」における目玉商品、家庭やコミュニティの空間で、いつでもどこでも自由に映像や音楽を楽しみ、必要な情報にアクセスできる「ライフスペースUX」。
   「ライフスペースUX」という空間を利用した新しいコンセプトの最初の商品となる4K超短焦点プロジェクターで、既存の事業の枠を超えた新規商品や事業を創造するための専門組織も設置し、そこで、新商品を開発し、市場導入を決定したと言う。
   この4K超短焦点プロジェクターは、白い壁のあるところであればどこでも140型以上のサイズで、迫力のある4K画像を見られるのだが、私には、数10センチに近接した床上に置かれたプロジェクターからの投影だと言うだけで、何の新規性も感じられないし、誰が、そのような商品を需要し活用するのか、大いに疑問だと思っている。

   もう一つ「モバイル」においては、技術開発・新規事業で強調されていたのは、いつも身に着けていて、様々なセンサーで行動のログを記録したり、メガネ式のディスプレイによって、必要な情報を表示したりすることができる「ウェアラブル」であった。

   この「ライフスペースUX」と「ウェアラブル」によって新たなライフスタイルを提供する。これが、ソニーの2014年度 経営方針の第3の柱「技術開発の方向性と新規事業への取り組み」の根幹だと言うのである。
   前述したように、ライフスペースUXは、ソニーらしいイノベーションとして新規事業には成るようには思えないし、ウェアラブルは、競合他社のみならず名だたるICT企業が鎬を削っている激戦場、言うならば、血で血を洗うレッド・オーシャンであり、コンシューマー・エレクトロニクスやカメラ同様に、ソニーは、ワン・オブ・ゼムに過ぎず、最早、ソニーが勝利して覇権を確立できる分野ではなくなってしまっている。

   私は、これまでに、何十回となく、ソニーの経営とイノベーションについて、色々な学者や経営者などの見解を引用しながら、辛口の評論を展開してきたのだが、クリステンセンの「イノベーターのジレンマ The Innovator's Dilemma」一冊で説明がつくと思っている。
   製品イノベーションについては、かってのイノベーター・ソニーのソニーたる所以であった破壊的イノベーションを生み出すことが出来なくなって、誰もが或いはどの競合他社でもやっている同じ商品の技術の深追いばかりをしていて、持続的イノベーション故に、報われないのみならず、このようなレッド・オーシャンでの差別化や価格競争での激烈な競争においては、ソニーは既に国際競争力の大半を喪失してしまっているのである。

   映像技術においては、2年前には、3D,昨年と今年は、4K。競合他社と全く同じで、ソニーらしい新規性とクリエイター&イノベーターとしてのソニーのDNAの片鱗さえも見出せないので、いくら良いテレビを製作して売り込んでも、赤字からは脱却できない。
   テレビ事業の赤字の原因について、平井CEOは、「新興国市場の成長鈍化や為替の悪影響といったことが挙げられますが、私自身は、結局そういった外部環境の変化に迅速かつ柔軟に対応できるだけの体質に、未だ我々自身が成りきれていなかったと分析しています。」と言っているのだが、この現状認識の誤りと経営戦略のなさ。最早、ソニーには勝ち目のない戦いに足掻いているだけだと言う厳粛なる事実が分かっていない様な気がする。
   

   展示会場の入り口に、井深と盛田の談笑する写真が大きく掲げられ、その横に一世を風靡したソニーの製品が展示されていて、その中に、犬のロボット・AIBOがあった。
   21世紀はロボット全盛の時代である筈なのに、最も将来性のあった虎の子のロボットを何故ソニーは捨てたのか、今でも残念に思っているのだが、株主が、ソフトバンクのコミュニケーション・ロボット事業の展開に触れて、あれは、ソニーの製品であった筈と言っていたが、歌(破壊的イノベーション)を忘れたカナリアの悲しさが、ふっと、ソニーファンで通してきた私の頭の上を過ったような気がした。
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トマト・プランター栽培記録2014(10)桃太郎ファイト尻腐れ病に

2014年06月20日 | トマト・プランター栽培記録2014
   とうとう、大玉トマトの桃太郎ファイトの第2果房の実が尻腐れ病に罹って真っ黒になった。
   4本のうち、2本が架かっており、酷いのは、一個ずつだが、他の実も少し黒ずんでいるので、この果房は全滅であろう。
   市販の野菜培養土を使ったのだが、肥料切れする40日以降は、やはり、カルシューム不足となるのかも知れないのだが、普通の有機肥料は追肥しているので、これまでは、殆ど問題はなかった。
   苦土石灰系の肥料を取りあえずばら撒いて様子を見ようと思っている。
   

   他のトマトは色付き始めた。
   ミニトマトのレッドバニーと、レッドとイエローのアイコが、早かった。
   今のところ、イエローアイコが一番実付きは良いようなのだが、ミニトマトは、大体、木が華奢で弱いので、あまり、実を沢山成らせるのも考え物だと思っている。
   
   
   

   中玉トマトのフルーツボールも少しずつ色付き始めてきたのだが、先日、リスが赤くなったトマトを落として齧っていたので、対策をどうしようかと思っている。
   庭の裏側の無防備な位置にあるプランターは、このリスのほかにも、鎌倉山からおりてくるカラスが沢山いるので、この対策が必要だが、多少のネットを張ったくらいでは埒が明かないので、このままにしておいて、多少早い時期に収穫をしようかと思っている。
   今更、大きく育ったトマトを移動する訳には行かないのである。
   
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国立演芸場・・・中席:圓楽と小遊三

2014年06月19日 | 落語・講談等演芸
   国立演芸場の上席と中席は、10日ずつ続くので、大概は空席がかなりあるのだが、この日は、圓楽と小遊三が出演するので、満員御礼であった。
   遅く切符を買ったので、私の席は、最後列の右端、残っていた僅かの席の一つであった。
   こじんまりした演芸場なので、かなり、見やすく聞き易い席で、能楽堂とともに、小劇場の良さである。
   あのシェイクスピア戯曲も、ストラトフォード・アポン・エイヴォンのスワン座で聴く雰囲気が最高であったことを思い出す。
   オペラやクラシック・コンサートの場合には、多少問題はあるのだが、歌舞伎や文楽を見る時には、出来るだけ、舞台に近い前の席を取ることにしている。
   

   今月の中席では、中入り後最初に、歌丸の好意によって、排除されていた円楽一門会の落語家が、替りばんこに登場しており、この日は、圓楽であった。
   小さんと圓生との争いに端を発した落語協会分裂騒動が、いまだに尾を引いている訳だが、落語協会と落語芸術協会の併存なども、最近、落語に興味を持ってから知ったのだが、噺家が語る噺が良ければ良いので、私には、流派など関係ない話である。
   その点、この国立劇場は、その辺の柵などには、かなり、公平なようで楽しませて貰っている。

   さて、圓楽の噺は、この日は、「代書屋」。
   私にはよく分からないが、圓楽の脚色なのであろう、上方落語の「代書」を大幅に現代風にアレンジしたような話で、字が書けない噺家が、落語協会に提出するために、履歴書が必要となり、代書屋にやって来て、頓珍漢な会話を交わしながら、書いてもらう話である。
   履歴書に、「夢」を書いた方が良いと言われて、「夢は」と聞かれて、副会長になりたい、おしりをふくかいちょう。と言うのがオチだったと思うのだが、笑いながら、落語芸術協会の小遊三副会長を、ネタに使っていたようである。
   圓楽師匠のまくらが面白く、笑点の登場メンバーの本名を上げて、故事来歴を調べて貰ったと、歌丸師匠の「椎名 巌」と言う名前から、コテンパンに茶化して笑いを誘っていた。

   小遊三師匠の噺は、「鰻の幇間」。
   野幇間の一八が、お昼にありつこうとして、見かけた浴衣掛けのだんなを見つけて近づき、鰻でも食っていこうということで汚い鰻屋に入って飲み始めるのだが、途中で、相手はトイレへと言って立った。一八は、幇間の得意中の得意で腕によりをかけてヨイショしたので、ご祝儀は十円、お宅に出入りできたら、奥方からも何か・・・と、楽しい空想を巡らすが、帰りが遅いので、心配になって便所をのぞくといない。代金を払ってご祝儀でも残して気を効かせて先に帰ったのだろうと思ったら、残っていたのは勘定書きだけ。代金を聞くと、勘定書が九円八十銭。余り高いので文句を言うと、3人分土産を持って帰ったと言う。自腹を切るのだからと残りを飲み食いしながら悪口の限りを尽くし、母に餞別で貰ったなけなしの十円札と涙の別れをして、帰ろうとするとゲタがない。「あれもお連れさんが履いてらっしゃいました」。

   この噺を聞いたのは、この演芸場で二回目だが、実に、悲しくて身につまされる話で、パンチの利いた小遊三の語り口が爽やかなので、少しは、救われる。
   ところで、正式の幇間は、各遊郭に登録済とかで、師匠のもとで年季奉公五年、お礼奉公一年でやっと座敷に顔を出せたということのようだが、悲しいかな、フリーの幇間、野幇間(のだいこ)の一八は、真面な敷芸も取り持ちの技術も十分ではなく、ついつい、さもしい根性を起こして、良くも知らない一度くらい会っただけの男にモーションをかけて近づこうとして、まんまと騙される愚かさ哀れさ。
   泣き笑いが胸に応える一寸悲しい話だが、このあたりの罪のないアイロニーが、人生の機微かも知れないと思って聞いていた。

   この日は、午前中は、ソニーの株主総会に行っていたので、劇場に着いたのは、2時近くで大分舞台が進行していたのだが、12日にも聞いているので、代わった演者の落語だけでも聞ければよかったのである。
   中入り前の柳亭楽輔の落語「ちりとてちん」が面白かった。
   
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梅酒や梅ジャムを造ること

2014年06月18日 | 生活随想・趣味
   私の千葉の庭には、花ばかりで、実の成る木は殆どなかった。
   梅の木や桃の木も、花が目的で、実が成らなかった。
   ところが、この鎌倉の庭には、実に成る木がかなりあって、大きく広がった梅に、びっしりと沢山の梅がなった。
   ヤマモモもびっしりと実が成り、毎日のように、リスがやって来て、どんどん、実を落とすので、木の下には、赤やオレンジや黄色の実が転がっている。
   昔子供の頃に食べて美味しかったので、懐かしくなって、木から完熟した実を取って食べてみたが、一寸、渋いのでやめた。
   柚子の方は、今年はダメのようだが、夏みかんは、かなり、実を付けている。
   柿の実も、はっきり見えるようになり、キウイが、ほぼ、半分くらいの大きさになってきた。
   フェイジョアは、1本しか木が植わっていないので、結実するかどうかは分からないが、雌蕊だけ残った花柄がまだついている。
   
   
   
   
   
   
     

   さて、梅だが、少し色づいて来たので、実を収穫したら有に3キロ以上もあり、まだ、木には沢山残っており、折角だからと言うことで、梅酒を作ってみようと言う気になった。
   最近では、何でも、インターネットを叩けば、情報が取得できるので、グーグルで、「梅酒の作り方」で検索したら、沢山のレシピ情報が出て来た。
   最も簡単な方法は、青梅 1キロ、氷砂糖 1キロ、ホワイトリカー 1.8リットル、4リットル瓶 を用意すれば良いと言うことであった。
   早速、近くのコーポに行くと、店頭に、梅酒作りの材料が一式並んでいた。
   ホワイトリカーは、サントリーからブランディ入りのリカーが出ていたので、それを使うことにした。
   あとは、青梅を綺麗に洗って、アク抜きをして、水分を取り、青梅のヘタを取る。まず、瓶に、青梅を並べて、その上に氷砂糖を振りかけて、何回かこれを繰り返して、その上から、リカーをどっぷりと注ぐ。
   これで、ふたをきっちり閉めて出来上がり。

   ジャムの方も、レシピをインターネットで取得し、同じように、それにしたっがて作った。

   何でもそうだが、DIYが流行っていて、トフラーの説いた生産消費者(prosumer)の時代に突入している訳なのだが、良く考えてみれば、自分自身でものを作る・生産すると言うことに楽しみを見出すことが出来なければ、大抵の場合には、コストパーフォーマンスが悪くて割に合わないことが多い。
   この梅酒作りも、案外、酒屋で、市販の梅酒を買った方が、安くつく筈である。
   私のプランター植えしているトマトも、家のものは、食べるだけなので、タダだと思っているのだが、手間暇のみならず、結構、コストがかかっている。
   悪戦苦闘しながら、育てていると、流石に、プロだと、栽培農家の人たちの努力に、何時も、敬服しているのである。
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国立能楽堂・・・狂言「船渡聟」&「無布施経」

2014年06月16日 | 能・狂言
   国立能楽堂公演に通っていると、原則的に能と狂言が、一曲ずつ演じられるので、能の場合には、「能を読む」や岩波の能楽鑑賞案内などを読んで予習して行くのだが、狂言の方は、何となく分かり易いと言う意識があって、ブッツケ本番で見ている。
   ところが、十分に曲の意図するところや面白さ滑稽さなどを理解するためには、やはり、それなりの準備が必要だと言うことを、最近、強く感じている。
   先月見た狂言が面白かったので、その舞台について、思い出してみたいと思う。

   コトバンクによると、狂言とは、猿楽のこっけいな物真似の要素が洗練されて、室町時代に成立したせりふ劇。
   文化デジタルライブラリーには、狂言は対話を中心としたせりふ劇です。大がかりな舞台装置は一切用いず、言葉やしぐさによってすべてを表現します。狂言の大きな特徴は「笑い」。中世の庶民の日常や説話などを題材に、人間の習性や本質をするどく切り取って、大らかな「笑い」や「おかしみ」にしてしまいます。太郎冠者を始め、様々な登場人物たちが織りなす物語。そこに描かれているのは現代にいたるまで変わらない、普遍的な人間の姿です。
   歌舞を中心とした優美な象徴劇・能に対し、写実的な演技によって、滑稽に人間の姿を描く喜劇・狂言。
   決して、そのような単純な説明で定義づけられるようなパーフォーマンス・アーツではないような気がしている。

   さて、インターネットを叩けば、演じられる狂言に関する資料はいくらでも探せるのだが、今のところ、纏まっているので、岩波講座の狂言鑑賞案内と台本を見るための岩波の狂言集などに頼っている。
   国立能楽堂では、能の場合には、前の席の背もたれの字幕案内を見れば良いのだが、狂言の場合には、アイ狂言も含めて、要約程度で詞章などは表示されないので、それに、語りだけでは理解し難かった部分を理解する為にも、狂言集は、非常に役に立っている。

   ところが、同じ演目であっても、大蔵流と和泉流(鷺流もあるが略する)とでは、場合によっては、台本自身も大きく違っていたりして面白い。
   今回、演出の様々な形と言う企画公演で、狂言「船渡婿」を大蔵流と和泉流に2夜に分けて演じられたのだが、残念ながら、私用で両方行けず、大蔵流の舞台だけを見た。
   岩波の狂言集も山本東次郎家の台本を底本にしていて、私が観たのも同じ大蔵流の茂山千五郎家の舞台であったので、殆ど同じで助かった。

   その前に理解しておかなければならないのは、狂言における聟入りは、結婚後初めて妻の実家に行く「聟入り」の儀式で、聟養子にはいることではなく、まず結婚ありきで、基本的に結婚後に行われていたと言うことであり、聟と舅が初対面だと言うことである。
   聟志願の者を含めて聟をシテとする狂言を聟狂言と言っており、何しろ初めてのことゆえ、何も知らない聟の無知や無才を笑い飛ばす主題が多いが、祝儀であるために、舅が聟の失敗をとりなすハッピーエンドとなる。

   聟入りに行く聟が,途中,渡し舟に乗る。酒好きの船頭が,聟がみやげに携えた酒樽に目をつけ,寒さに託けて無心する。飲ませなければ船を漕がないと言うので仕方なく酒を振る舞うのだが、聟本人も飲みたくなり酒盛りに興じて,ともに気持ち良くなって謡って舞い,船が岸に着くまでに酒樽を空けてしまう。そのまま舅の家へ持参するが,盃を交わす段になり,舅がその酒を使おうとするので、酒樽を受け取った太郎冠者に空樽だと悟られて,聟は大恥をかく。逃げる聟を舅が〈苦しうないことでござる)と追いかけて幕。
   これが、大蔵流なのだが、和泉流では、この船頭が、先刻酒を無心した客が、家をたずねてきた自分の聟だと分かり、面会を渋るも、妻と一計を案じてひげを落として対面し、顔を袖で隠し続けるのだが、見破られて大恥をかく。「面目ない」と舅は謝るが、「どうせ舅殿にお持ちした酒なので」ととりなして祝言の謡を謡う。
   主客逆転しているのが面白い。

   私が観た大蔵流の舞台は、シテ/聟 逸平、アド/舅 七五三、アド/太郎冠者 童司、アド/船頭 あきら であった。
   実際の親子である七五三と逸平の呼吸の合った滲み出るような滑稽さが、素晴らしく、逸平の飄々とした表情が、特に船頭、そして、太郎冠者との掛け合いに可笑しみを醸し出して面白かった。
   船頭の櫂の動きに合わせて、逸平は、体を逆方向に左右にリズミカルに動かせて、雰囲気を出しており、実に上手いと思ったのだが、
   千作が、「エーイ、エーイ」と船頭が向こうに押した時に、前に乗っている聟がふわっと反対側に動くのを、医学的にも合っていると岐阜の医科大の教授に褒められたと書いている。聟には後が見えないのだが、聟も船頭の漕ぐのに合わせて揺れなければならないので気をつけていたと言う。
   

   ところで、千作も万作も、船頭が好きだと言っており、万作は、シテが聟ではあるけれど、自分で船頭をシテにして演じていると言う。
   聟の持つ酒樽に目をつけて、寒さに震えながら飲みたい一心で、振舞ってくれるよう頼むのだが、聟も祝儀に持参する酒樽ゆえにおいそれとOKと言えない。飲めないとなると脅迫まがいになって、寒さで手が凍えたと言って櫓を離すので船は流れる。切羽詰った聟は、一口だけと言って振舞うが、二口になり三口になり、聟も辛抱できなくなって盃を受け、酔った二人は調子に乗って舞い謡い、酒樽を空にする。
   一口飲んで、御酒の風味はと聞かれて、ひいやりとしただけで風味など分からない、もう一つと言うあたり、庶民の心理描写が秀逸で、特に、その船頭が、訪ねる舅だったと言う捻った和泉流の話が面白い。

   その前に観たのが、和泉流の「無布施経」。
   シテ/住持 萬斎、 アド/施主 万作
   毎月檀家へ祈禱にきている僧が,読経を済ませて帰るとき,この日は、毎月出るはずの布施がない。これが例になっては困ると思って,施主に謎をかけて布施を出させようとする。引き返して来て、雑談や説法にかまけて、執拗に布施への暗示をくり返し,最後に、袈裟を落としたふりをして,自分の袈裟は、「フ、フ、ふせ縫い」になっていると言ったので,施主もようやく気がつき,布施を持ってくる。 ところが、今度は、僧の方がバツが悪くなって受け取ることが出来ないので、次で良いと断るのだが、施主が無理に胸元に布施を、さしこむと、隠していたなくした筈の袈裟がポロリと出て、僧は面目を失う。

   この狂言については、狂言二人三様の千作の巻に、載っていて、今回演じた万作、萬斎、それに、千作のコメントが面白い。
   流派によって宗旨が異なっていて、茂山へは浄土宗、野村家は法華宗だと言う。
   萬斎によると、千作は心の揺れよりも、布施を貰いたい強欲さの方に最後までポイントがあり、万作は、苦悩する人間タイプと言うか、「ハムレット」じゃないけれど、行きつ戻りつするところにポイントがあり、自分がやる時には、人間の真理みたいなところにスポットを当てると語っている。

   坊さんものは、人間ぽくって、結構好きだと言うのだが、それは、狂言だから、イカサマ山伏が多い様に、そうなるのであろう。
   三宅藤九郎のように、お坊さんらしい恰好をしてお坊さんらしく喋り、数珠を左の手首にかけて洒落たいでたちで演じ、万作の父は、坊さんらしい恰好をしては出るが、写実はしないで、思うがままに自分が好きなように喋っていたと言うことで、狂言師によって、演じ方が夫々違いがあるのだと言う。
   しかし、この狂言の住持は、大変な長台詞で、公演も40分くらい掛かっており、台詞の中に、布施フセと布施を匂わせる言葉を嵌め込んだ複雑な台詞の連続で、結構、難しいのではないかと思う。
   萬斎の坊さんは、やはり、一寸モダンと言うか、軽妙洒脱な感じの坊さんで、如何にも人間的で、宗教色や有難味などは殆どなく、淡白そののであった。
   
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トマト・プランター栽培記録2014(9)ミニ・ミディトマト色付き始める

2014年06月15日 | トマト・プランター栽培記録2014
   週末から、早いトマトが、少し、色付き始めて来た。
   口絵写真は、中玉のフルーツボール。
   4本のうち、色付き始めたのは、まだ、2本だが、どの房も、10玉以上実を付けているので、来週くらいに、もう少し、明るくなるであろう。
   同じ中玉の完熟むすめは、まだ、実が固い。
   
   
   

   ミニトマトの色付きは、まず、ゴールド・バニーとレッド・バニー。
   アイコや小桃は、もう少し、時間がかかりそうである。
   
      

   実付き花付きの悪い桃太郎ゴールドだが、一番下の第1花房の実は、一つしか残らなかったのだが、その上の花房には、かなりの実と花がついている。
   実付き花付きの安定性は、同じ大玉トマトの桃太郎ファイトとは大きな違いである。
   結実したものは、そのまま残して、適当に間引きしようと思っているのだが、平均、一房に3~4個だとすると、1個しか実を付けないその上の花房は、5~6個実を残しても良いのであるか。
   極力、4個以内に抑えるつもりだが、場合によっては、もう一つ上の花房を伸ばせば良いのかも知れないのだが、木の生育次第となろう。
   
   
   
   
   

   イタリアン・トマトは、木が細くてひ弱な日本のミニトマトとは違って、かなり、株の成長がゆっくりで安定していて、実付きが良い感じで、育て易い気がしている。
   今のところ、順調に育っているように思う。
   
   
   
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梅雨時に咲き始めるツユクサ

2014年06月13日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   千葉のわが庭に、無造作に伸びあがって、傍若無人に咲き乱れていたツユクサなのだが、この鎌倉の新しい庭には、ひっそりと咲いている。
   庭の雑草で、抜かずにそのままの状態で成長するにまかせていた雑草は、このツユクサとスミレであったが、梅雨時から夏にかけて咲く、このツユクサの澄んだブルーが好きで、花が開くごとに、何となく、懐かしさを感じていた。

   この花は、非常に特殊なかたちをしていて、花が萎むと舟のような袋に種が残る。
   花弁は3枚あって、2枚は、ミッキーマウスの耳のように左右に広がるブルーだが、蕊を支えるように下に咲く花弁は、小さくて真白である。
   私は見たことがないのだが、ウィキペディアには、白いツユクサの写真が載っている。

   朝咲いた綺麗な花が、きらきら光りながら転げ落ちる朝露のように昼には萎んでしまう。
   この連想から「露草」と名付けられたというのだが、万葉集には、「月草」の表記が多いと言う。
   また、この花の色素で描いた絵は水に浸すとさっと消えてしまうので、友禅染めなどの描染の下絵用の染料として用いられてきたと言うのも面白い。

   先日、明月院にあじさいを見に行った時に、閉門時間の3時半を過ぎていたので、裏庭の菖蒲園に入れなかった。
   菖蒲も、ツユクサのように一日だけの花で、翌日の開門のために、その日に咲いた花がら摘みをするため作業に時間を取るので、早く閉園するのだと言っていた。
   草花を美しく咲かせるためには、適切な花がら摘みが非常に大切だが、ツユクサの場合には、花が小さいし、次から次に咲き続けるので、その心配はない。
   月下美人もそうで、朝顔など、夏の花に多いようだが、一日だけの花が結構多く、花の命は短いのである。

   このツユクサは、わが庭には、まだ、数株しかないので、今年はこのままにして、夏の終わりに株分けしようと思っている。
   
   
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国立演芸場・・・中席:笑三「悋気の火の玉」ほか

2014年06月12日 | 落語・講談等演芸
   この日のトリは、三笑亭笑三の「悋気の火の玉」。
   笑三は、88歳、落語芸術協会の相談役で、落語界最長老の一人なのだが、出囃子に乗って登場する姿は、老いを隠せないが、話し始めると、60歳代と言っても良い程の元気な語り口で、この女房と花魁の二号さんとの意地の鞘当を色っぽく語り続ける。

   女のジェラシーを語る落語は、前にも書いたように、同じく夫の浮気に悩む妻と愛人とを語った噺「悋気の独楽」もあり、かなり、多いようだが、、この場合、浮気している主人が悪い筈なのに、女は、相手の愛人の方を恨むのは、何故か、笑三は、今でも分からないとコメントしていた。

   この噺は、江戸の花川戸の鼻緒問屋の主人が堅物で通っていたのだが、寄合の仲間に強引に吉原へ誘われて行き、火がついたように病み付きになって、そこは、商人で、ソロバンを弾いて、通うよりは安くつくと、花魁を身請けして根岸の里に妾宅を構える。
   留守をするので、本妻にこの事が分かって冷たくされ、何を言っても相手にされず「フン!」と邪険にされるので、妾宅での日々が多くなって行く。
   頭にきた本妻が、呪い殺そうと、藁人形に5寸釘で杉の木に打ち付けた。それを聞いた根岸の妾は、5寸釘で私を呪い殺すのならこちらは6寸釘でと、藁人形に打ち込む。6寸釘が、7寸釘、8寸釘。そして、9寸釘へと、どんどん、エスカレートして行って、とうとう、両方とも死んでしまった。
   葬式を出した後、毎晩、鼻緒問屋の蔵から陰火が上がり、根岸の方へと飛んで行き、根岸の方からも陰火が上がり、花川戸へ飛んで行くのだが、二つの火の玉は中間の大音寺で激突すると言う噂が飛ぶ。
   大音寺に行った主人の前に、火の玉が飛んで来てぴたりと止まったので、親しく語り合っていると、いちゃいちゃ話に嫉妬したのか、花川戸から猛ダッシュで火の玉が飛んで来て、同じようにして、煙草に火をつけて貰おうと、妻の陰火にキセルの先を近づけると、スッと避けて、
   「フン、あたしの火じゃ、おいしくないでしょ」

   文楽が得意ネタとしていた古典落語で、笑三の持ちネタでもあると言うのだが、幽霊の仕草や女の表情など、実に上手い。
   しかし、良く考えたと言えば、そう言えるのだが、実に、バカバカしい話だと言えば、またそうであり、これが落語なのであろう。

   もう一つ、この日は幽霊の話があって、楽之介の「三年目」。
   幽霊は決まって女なのだが、成るためには3つの条件があって
   色白、髪が長い、美人と言うことで、
   そうではない女は、化けて出れば怪物だと、楽之介は言う。

   大恋愛で結婚した夫婦だったが、元々病弱だった妻は長患いの床に付き、夫の献身的な看病にも拘わらず、妻の死期が近づいた時に、二人で、夫は再婚しないが万一したとしても、その時に妻が幽霊として出てくれば、先妻の幽霊がついていると新妻は逃げ出す筈なので、初夜の夜に、幽霊に出ることを約束する。
   ところが、待てど暮らせど、幽霊が出て来ないので、子供が生まれ、3年目の命日に家族で墓に詣でたその夜、妻と子供はすっかり寝静まった頃、先妻が長い黒髪を振り乱して出て来て恨み辛みを吐露する。
   しかし、何故、すぐに幽霊として出て来なかったのかと夫が詰問すると、
   「私が死んでお棺に入れる時、皆さんで寄ってたかって髪の毛をそり落としたでしょう。坊主頭で出たら愛想を尽かされると思って、3年の間、髪の毛の伸びるのを待っておりました」
   何と奥床しいいじらしい幽霊の思いやりであろうか。
   こう言う粋な話があるのも、江戸落語の良さかも知れない。

   その他の落語は、竹丸が「石田光成」、圓馬が「高砂や」。
   二ッ目の山遊亭 くま八 は、新作落語であろう「ぜんざい公社」が面白かった。
   ぜんざいを食べようとした客が、一杯のぜんざいを注文するために、そこは公社である、訳の分からない検査や証明書を要求されて、あっちこっちの窓口を盥回しにされるお役所仕事を揶揄した話で、とうとう、ぜんざいにありつけたと思ったら、甘味に欠ける。
   何故、甘くないのかと問うと、
   「甘い汁は、みんな、こっちで、吸っています。」

   コントの山口君と竹田君は、やはり、テレビで出て来るだけあって、面白かった。
   松鯉の講談「無筆の出世」も中々、聞かせる話で、良かった。
   他に、京太・ゆめ子の漫才。
   扇鶴の音曲。

   国立演芸場の上席や中席は、暇が取れると出かけるのだが、結構面白く楽しんでいる。
   
   
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リッカルド・ムーティ、イタリアの心 ヴェルディを語る

2014年06月11日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   リカルド・ムーティの振るローマ歌劇場の「ナブッコ」を観た日に買ったのだが、読んで見て、非常に面白かった。
   ムーティ指揮するオペラやコンサートに接したのは、高々、6~7回くらいで、最初は、留学先のフィラデルフィアで、その後、オーマンディに請われて、フィラデルフィア管弦楽団の音楽監督になったのだが、その前の客演時代の何回かである。
   ウィーン・フィルやニューヨーク・フィルなどの演奏会も外地で聴いたが、残念ながら、ミラノなど、本拠地ヨーロッパでのオペラを鑑賞する機会はなかった。

   この本は、ムーティが、こよなく愛し尊敬するヴェルディを語る素晴らしい本だが、ヴェルディが書いたヴェルディが意図した音楽を、ベルディの原典に書かれた通りに演奏するための、大変な努力と闘いについてのムーティの生き様を描いた本でもある。
   ヴェルディ以外の人によって書き加えられた個所を削り、歌手によって勝手に変更された音を正し、伝統や習慣として伝わってきた演奏法を変えるなど、多くの批判と抵抗を排除しながら、本当にヴェルディが望んでいた演奏法を追求し続けて来たのである。
   

   ヴェルディは、指揮者が「表現」し、歌手が「創作」してしまうと、演奏が作者の意図したものと同じではなくなってしまうと嘆いていたと言う。
   フルトヴェングラーが、「伝統は最後に行われた醜悪な演奏の色褪せた思い出である。」と言ったことに、ムーティは、正に、その通りと言う。
   ジャンルが違うので、同列には演じられないが、江戸歌舞伎は伝統継承を重んじるのに対して、上方歌舞伎では新工夫がないと批難されると言う違いなどを考えると面白いが、日本では、伝統だから尊いのだと言う学者がいて、本がベストセラーになったことがある。

   ムーティのヴェルディを聴いたのは、オテロとナブッコだけなのだが、バイロイト・オペラの「トリスタンとイゾルデ」を聴いた時点からでも半世紀も、劇場に通って、随分、色々なヴェルディのオペラを聴いているのだが、ムーティが戒めている最後にアクート(超高音)を長く伸ばして終わる、声の饗宴を楽しんでいたと言った他の指揮者のヴェルディのオペラ演奏は、間違っていたのであろうか。
   ムーティは、イタリア語も話さず、高貴な意味でのイタリア人気質とは何かも知らない指揮者の演奏を批判しているが。

   ところで、ヴェルディの音色はトスカニーニが残してくれたと言うのが興味深い。
   彼は、ヴェルディの指揮で、チェロを弾いていたので、ヴェルディの創り出した音色を用いつつ、生涯を通して、より現代的に華麗に演奏したのだと言う。

   この本で興味深いのは、ムーティが、これまでの演奏会での面白い逸話などを語っていることである。
   スカラ座での「ナブッコ」を振っていた時、有名な合唱曲「行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って」Va, pensiero, sull'ali dorateの後拍手が鳴りやまず、「アンコール、アンコール」の合唱で、合唱団の同意の視線を感じて、トスカニーニ時代以降アンコールを禁止されていたタブーを破ったので、大論争を巻き起こした。
   スカラ座の「ラ・トラヴィアータ」上演の時、直前に、オーケストラがストライキに入ったのだが、ムーティには知らされず、総裁が開場して観客を劇場に入れてしまった。満員の観客を前にして、ムーティ自らピアノ伴奏するが良いかと同意を得て、荷役の去った後で2階のグランド・ピアノを下ろせず、仕方なく、歌手の楽屋の2分の1のグランド・ピアノを急遽舞台に運び込んで、オペラ公演を完遂した。

   もう一つ、私が興味を持ったのは、フィレンツェ五月音楽祭でのヴェルディの「レクイエム」の演奏時のムーティの感激である。
   サン・ロレンツォ教会でのコンサートだったので、円天井がブルネッレスキ作で、中にはミケランジェロのメディチ家礼拝堂があり、オーケストラはヴェロッキオ作の大きな祭壇を背にし、ドナテッロ作の二つの説教台の間に設置されている。素晴らしく芸術的な照明が堂内に当てられ、ドナテッロのルネサンス期の薄肉彫の像が照明に浮き上がり、びっくりするほどの美しさに目を見張り、始めることが出来ない程で、このような環境で演奏できるとは、この世に生まれて来たことを神に感謝する程の感動でだった。と言っている。
   私は、このレクイエムが好きで、ロンドンでのコンサートを強烈に覚えているが、コンサートについては、ヨーロッパやアメリカの教会や王宮、古城や遺跡、大庭園での夜外公演など、情趣たっぷりの異時空間の演奏会場での素晴らしい雰囲気の経験をしているので、如何に素晴らしい演奏空間が人々の心を幸せにし高揚させるか、ムーティの感激振りが良く分かる。

   この本のタイトルを、「ヴェルディ、イタリアの男」にしようと思ったと言う。
   ヴェルディのオペラには、人生があり、死に対する深い考えがあるのだが、それを、我々「イタリア人特有の性格」と言う言葉にできる限り広い意味を与えて作品に表現している。願望や情熱、愛、沈黙、失望、時には横柄な言動や攻撃的な態度や不寛容、とにかく、そのいずれもが、我々イタリア人の文化であり、我々の生来の性格を表している。ヴェルディは、我々イタリア人の」気性、イタリア人的な生き方を表現することに卓越した芸術家なのである。と言っている。

   さて、ヴェルディのオペラだが、残すとすれば、ヴェルディは、「リゴレット」かも知れないが、自分は、モーツアルトなら「コジ・ファン・トゥッテ」、ヴェルディなら「ファルスタッフ」だと言う。
   昨年、スカラ座の「ファルスタッフ」を観たし、シェイクスピアのファルスタッフの戯曲は何度も観ており、最晩年のヴェルディが、この喜歌劇を作曲したこと自体が驚きだが、ムーティの言わんとしていることも分かる気がしている。
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