熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

わが庭・・・もう一本の黄色い牡丹

2022年04月30日 | わが庭の歳時記
   わが庭には、3本の牡丹が植わっているが、今年は、何故か、一番先に咲くピンクの牡丹は蕾を付けなかった。
   黄色い牡丹は、先週一本が咲き始めたのだが、もう一本の黄色い牡丹も花を開いた。
   
   
   

   先に咲いた黄色い牡丹は、牡丹とシャクヤクの交配種だと言うことで、随分前に、京成バラ園で買って千葉の庭に植えていて、この鎌倉の庭に移植したものである。
   それぞれに名前があるのであろうが、タグを失ったので、分からない。
   牡丹の栽培については、花後の剪定くらいは気をつけているが、殆ど無頓着で、自然に任せている。
   牡丹園のように、広い空間に、特別仕立ての花壇を設えて植えるのが、牡丹への敬意であろうが、わが庭では、可哀想だが、その余裕がない。植えられるだけでも幸せだと思っているのだが、シャクヤクとなると、どこから芽が出るのか分からないくらいである。
   
   

   さて、枯れかけていた椿至宝の苗木が、生き返ったようである。
   先月、立派に蕾を付けて、開花寸前であった至宝の木が、何故か、一気に蕾と葉を落とし始めたの気づいて、ベニカを散布したが、既に遅しで、殆ど丸裸になってしまった。
   残った葉を総べて捥ぎ取って、更に、枯れた枝を切り落として、筍芽が残っている枝だけを残して、ベニカを散布して様子を見ていた。
   丁度、新芽が芽吹くシーズンに当たっていて、筍芽が綺麗に幼葉に成長した。
   この調子だと、来年開花しなくても、成木に成長して行けそうなので、ホッとしている。
   親木の至宝は、まだ、咲き続けている。
   この至宝とエレガンス・シュプリームは、何本ずつかスペアを残しておきたいと思って育てている。
   
   
   
   
   久しぶりに、気持ちの良い五月晴れの日で、風も静かで、庭に出て、コーヒーを啜りながら、読書を楽しんだ。
   テーブルの傍近くには、びっしりつと蕾を付けたバラの木が列んでいて、合間から、まだ残っている椿の花が顔を出し、すっかり新緑に衣替えした緑陰にツツジが咲き乱れている。
   休日なので、登下校の子供達の声も聞こえず、静まりかえった住宅街。
   時折、鎌倉山からの鶯の囀りが聞こえてくる。
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久しぶりのコンサート:都響定期C

2022年04月28日 | クラシック音楽・オペラ
   都響定期Cシリーズ今期の初日が東京芸術劇場で始まったので、出かけた。
   コロナ騒ぎで、定期公演の正式なチケットを持って出かけたのは、全くの久しぶりで、3年越しであろうか。
   プログラムは、次の通り。
   指揮/大野和士
   オーボエ/広田智之(都響首席奏者)
   曲目
   R.シュトラウス:オーボエ協奏曲 ニ長調
   マーラー:交響曲第5番 嬰ハ短調

   シュトラウスのオーボエ協奏曲は、はじめて聴く曲だったが、オーボエが、これほど美しくて表情豊かなサウンドだったとは一寸驚きで、楽しませて貰った。
   今回、広田さんをソリストに迎えたように、大野和士音楽監督が、大変優秀な楽員をソリストに起用してプログラムを組んでいこうと言っているので、興味深い演奏を楽しめるのであろうと思う。
   私も結構欧米のトップ楽団のコンサートを現地で聴いていて、いくらでも、そんなコンサートに接している。有名なソリストとは違ったアットホームな雰囲気があって、シックリトした雰囲気が良いと思う。

   マーラーの第5番は結構聴く機会があった。
   と言っても、私がクラシックコンサートに通い始めたのは、1960年代の中半くらいからなのだが、その頃には、ベートーヴェンやモーツアルトと言ったポピュラーなクラシック音楽が主体で、ブルックナーは勿論、マーラーが演奏されることなど殆どなかった。
   私が、マーラーを聴くようになったのは、外国に住むようになって、1970年代にフィラデルフィア管で、1980年代以降、コンセルトヘボウ管やロンドン響、それに、その他の欧米の楽団のコンサートであった。
   日本に帰ってから、新日本フィルや都響の定期会員になって、コンサートに通い始めたら、意外にも、マーラーやブルックナーの演奏会が脚光を浴びている感じで、一気に、大曲に躍り上がっているのにビックリしたのを覚えている。

   さて、私には、マーラーやブルックナーがどうだと言った難しい話は分からないが、マーラーの第5番の冒頭のトランペットのファンファーレの強烈なインパクトは衝撃的で、管が激しく咆哮するこの第1楽章の「葬送行進曲」から、マーラーに魅せられる。
   しかし、私が楽しんだのは、第4楽章の「アダージェット」。
   カラヤン・ベルリンフィルの、あのあまりもポピュラーな「アダージョ」のCDで、聞き込んで耳にこびりついている美しい曲である。
   清冽な天国からのようなハープのサウンドが奏でられると夢心地。
   それにも劣らぬ優雅で美しい弦楽の一糸乱れぬ音楽が唱和して更に夢を紡いで行く。
   大野和士指揮する都響のアダージェットも、カラヤンとは一味違った素晴しい音楽で、聴衆を魅了する。

   シンフォニーのコンサートで、ハープが登場することは比較的少ないのだが、この舞台では、この「アダージェット」のために主役で、いつも見慣れているヴァイオリン背後の左端ではなく、今回は、チェロの背後、コントラバスと管楽器の間、やや正面の前面に出て、存在感をアピール、それに、素晴しい立派なハープである。
   美しいハーピストの優雅な姿を正面から、ニコンの10倍のグラスで追いながら、聞き惚れていた。

   これまで、舞台前方右端に近い手前の席にいたのだが、今回から、2階中央の左側の席に移って、舞台を傍観できるような位置になったので、個々の楽器の動きが具に分かって、これも、コンサートの鑑賞に良いことだと、改めて気づいた。

   電車で、東京まで出たのは、正月1回と2度目だが、何となく緊張するのが不思議である。
   この頃、意識して、杖を携えて電車に乗っているので、大体席を譲って貰えているので、助かっているのだが、コンサートに来ている老人で、杖を持っている人は意外に少ない。
   古典芸能鑑賞で頻繁に東京に出ていたのだが、コロナ騒ぎで、出不精に加えて急に行けなくなってしまった。
   人間国宝の小三治や 野村幻雪も逝ってしまったし、何となく、途切れてしまうと意欲が削がれて、チケットの手配に逡巡している。
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わが庭・・・牡丹、ミヤコワスレ、コデマリ、ツツジ

2022年04月26日 | わが庭の歳時記
   黄色い牡丹が、1輪咲きだした。
   まだ、完全には開ききってはいないが、牡丹の花を見ると、本格的な春の到来を感じる。
   わが庭には、意識して育てている椿の花は多いが、この牡丹もシャクヤクもユリも、季節に咲いてくれれば良いと思っている程度なので、それ程多く目立って植えてはいない。と言うよりも、綺麗に咲かせようと思えば、かなりのスペースが必要となり、その余裕がないと言うのが正直なところである。
   5年前にこのブログで、「牡丹は楊貴妃が愛でて中国の名花になった」と書いて、中国の国花のような位置づけの牡丹が、かなり最近なって脚光を浴びた花であることを紹介した。
   宇野直人の「李白」を読んでいて、李白の「清平調の詞」の説明のところで、”・・・この時代、牡丹の花が中国に入って来て、定着したんです。”と言う文章に出会った。”それを玄宗皇帝がたいへん好み、宮中に植わっていた牡丹を4本を、沈香亭というあずまやの前に移植し、その花がたくさん咲くと、玄宗は楊貴妃と一緒に、花を愛でるお花見の会を開いた。”と言うのである。
   歌舞伎の舞台背景には絢爛豪華に咲く牡丹の襖絵などが頻繁にでてくるが、実際に育ててみると、花弁が大きくてか弱いので、完全な花の観賞時期は短い。美人薄命、花の命は短くての典型である。
   
   
   

   平凡な草花だが、春に咲く紫色の菊といった感じで、雰囲気のある花である。
   千葉の庭から数株持ってきて、ピンクの花も植えたのだが、紫の花だけが広がっている。
   
   
   

   緩やかな放物線を描いたしなやかな枝に、びっしりと白い小花を咲かせているのがコデマリ。
   
   

   ツツジの季節なので、庭のあっちこっちに、咲き乱れている。
   
   
   
   
   最盛期を終えて、まだ、咲き続けているのが、わが庭の椿。
   咲き終わった椿の枝には、筍芽が伸びて、綺麗な新芽が勢いよく芽吹き始めた。
   この一ヶ月ほどの間に勢いよく成長して、6月の終わり頃に来春咲く花の蕾を付ける。
   
   
   
   
   
   
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テクノロジーの世界経済史 ビル・ゲイツのパラドックス:ルネサンスとイノベーション

2022年04月24日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   カール・B・フレイ の「テクノロジーの世界経済史 ビル・ゲイツのパラドックス」
   原題は、The Technology Trap: Capital, Labor, and Power in the Age of Automation
   テクノロジーの罠 オートメーション時代のキャピタル、レイバー&パワー

   技術の進歩に対して人々はどう対処するか 所得が増えるか減るかによって左右され、一般的には、イノベーションが、補完技術の場合には反発が少なく、置換技術の場合には激しく反発する傾向があり、その歴史的趨勢を過去数世紀にわたって検証したのがこの本。
   人間の労働に置き換わる技術が抵抗され阻止されるかどうかは、この技術で得をするのは誰か、社会の中で政治的な力を持って居るのは誰かによって決まるとして、産業革命時に、激しい労働者による反対運動ラッダイトに遭遇したが、結局成功しなかったのは、労働者達が政治的影響力を持ち合わせておらず、逆に、機械化によって利益を得る側がはじめて政治的影響力を手にして押し切ったからだと言う指摘が興味深い。
   千年にわたって経済成長が滞っていた理由の一つは、労働置換技術は社会を不安定化させかねないとして、絶えず激しい抵抗に遭ってきたのだが、世界がこのテクノロジーの罠に陥っていたからだとして、
   欧米先進国は、21世紀の今、又、このテクノロジーの罠に陥ろうとしているのか、と言うのが著者の問題意識である。

   邦訳でも600ページを超す意欲的な大著で、イノベーションの歴史論としても興味が尽きないのだが、今回は、まず、文化文明が華開いたルネサンス時代に、イノベーションが鳴りを潜めていたことについて考えてみたいと思う。

   エジソンが、「天才とは1%の閃きと99%の汗である」と言ったが、この言葉はルネサンス期のヨーロッパには当てはまらない。むしろ逆だった。閃き、すなわち、アイデアと図面だけならいくらであったが、それが汗と共に試作品になることは滅多になかった。技術的には斬新な発想と豊かな想像力に溢れていたにも拘わらず、実現したものは殆どなかった時代と総括して良かろうと言うのである。
   中世は産業革命期に劣らず創造的な時代で、外輪船、計算機、パラシュート、万年筆、蒸気自動車、ボールベアリングは総べてこの時代に考案されていたが、これらのアイデアは経済に殆ど影響を与えることなく、実用化されなかった。

   ルネサンスは、当初は、文芸運動として始まり、この期の技術進歩は、その前に発明された印刷技術に負うところが多く、印刷機の普及で、人類史上はじめて大量の技術書が発行されて、ダム、ポンプ、水道管、トンネルなどの詳細な説明や技術説明など提供され、特に、力学の実践的な知識は卓越していたが、実際に機械として導入されることはなく、経済成長にインパクトを与えることもなく、どれも、労働者に置き換わるタイプではなかった。

   ところで、興味深い指摘は、ルネサンス期の技術について、経済学の観点から最も評価できるのは、人類史上最大の発明の一つである蒸気機関への筋道を付けたことである。蒸気機関に繋がる科学的発明は、ガリレオと弟子のエヴァンジェリスタ・トリチェリから始まった気圧計の考案で、大気には重さがあることを発見したことだという。もう一つ、ガリレオの偉大な発明は、力学の法則である。

   生産性の向上に対する技術の進歩に関する限り、大方の技術が労働の節約より資本の節約になったという点で、ルネサンスは、中世の延長線上にあったと言うことである。
   太古以来、革新的技術の萌芽は数々あれども、産業革命以降、技術の主要な役割は、産業プロセス、製品、サービスの改善などになったものの、それ以前の文明は、工業化に対して殆ど関心がなく、かっての新技術の大半は経済とは無関係であった。
   政治指導者が重視したのは、公共事業を推進することであって、生産性の向上ではなかった。したがって、古代の技術は、個人の利益ではなく公共の目的のために開発されたものが圧倒的に多かった。

   素晴しい発明発見が生まれても、ギリシャもローマも、工業に関心がなかったので、工業技術の発展には殆ど寄与しておらず、その傾向が中世からルネサンスに至っても継承されていたので、今日の概念で言うところのイノベーションの花が、開かなかったということである。
   文化文明の十字路フィレンツェで炸裂した偉大なルネサンスが、文化芸術の分野で途轍もない偉大な人類の奇跡を生み出したが、経済的技術的には、そうでもなかったという興味深いはなしである。
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ミニトマト苗をプランターに植える

2022年04月23日 | ガーデニング
   毎春の恒例で、ここ10年以上前からプランターにトマトを植えている。
   大玉や中玉のトマトは栽培が難しいので、この頃は、ミニトマトだけにしている。
   別にミニトマトの種類や銘柄に拘るわけではなく、これまで、タキイや国華園を通じて、デルモンテやサントリーなどを含めて色々なトマト苗を調達して育ててきたが、結論から言うと、どのトマトも大差ないと言うことである。
   接木苗の方が良いと思っているので、安くてまずまずのトマト苗をネットで探せば、国華園の【よりどり4連苗グループ】と言うシリーズで、4株1組で1095円、
   2組同時に買うのが条件だが、送料がゼロなので、お買い得である。
   いつもの癖で、何の脈絡もなく、次の品種を選んで注文した。
接木野菜苗 ミニトマト 接木4連F1CFプチぷよ イエロー 4株1組
接木野菜苗 ミニトマト 接木4連F1CFプチぷよ 4株1組
接木野菜苗 ミニトマト 接木4連F1こくうまチェリー 4株1組
接木野菜苗 ミニトマト 接木4連F1クリスタルキャンディ 4株1組
[価格]は、 1,095(円)×4(個)=(税込)4,380(円) 手数料 0(円)送料 0(円)

   プランターや支柱など用品は、毎年同じモノを使っているので買う必要がないが、用土だけは、毎年新しいのを買って植えている。
   プランターに2株ずつ並べて植えているので、8プランターである。
   多いときには、4~50株植えていたので、プランターは沢山余っている。

    土もインターネットを叩いて選んだのだが、とにかく、土は安くても送料が嵩む。
   送料は、Amazonだと2000円以上買うと、送料ゼロで、園芸店で直接買うのよりは少し高いが、アイリスオーヤマの製品であるから、かなり安く買える。
   アイリスオーヤマ 培養土 花・野菜の培養土 ゴールデン粒状培養土 配合 25L 
   価格は、799円×5=3995円  今Amazonを見ると、価格は¥718に下がっている。
   しめて8000円と少し、
   勿論、手間暇かけてもペイなどするはずはないのだが、自然と対話する楽しみに勝るものはない。

   4連苗は、新しい土地にすぐに定植せずに、周囲の環境に慣らせるために、7~10日待てということなので、箱から出してプランター横の地面に置いておいた。
   さて、丁度良い頃に、日照りの日が2日続いたので、今日植え始めたのだが、よく見ると、F1CFプチぷよ イエローの苗などに葉に黒い斑点が現われていて、特に、酷いのは、F1CFプチぷよで、一部葉が巻き上がっている。
   
   とにかく、酷く斑点のある葉や巻き上がった葉を取って殺虫殺菌剤ベニカを散布したのだが、裸に近くなっ苗の様子を2~3日見て悪化するようなら廃却しようと思って、この苗だけ植えずに待つことにした。
  安ければ良いと言うことではないのだろうが、クレイムするのも面倒なので、諦めることにした。
  苗が届いてから連日の雨で、湿度が高かった所為なのかも知れないが、生き物であるから仕方がない。

  培養土には肥料が配合されているので、そのまま定植して、株元にオルトラン顆粒を散布して、水遣りをして完了である。
  しばらくは、細い支柱に仮止めして、風による倒壊を防げば良く、様子を見ようと思っている。
  苗木がしっかりしておれば、二本仕立てで育てようと思っているので、1番花房が咲くまでこのまま育てて、その後に本支柱を立てることにしたい。
  
  
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わが庭・・・スズラン、椿ミリンダ

2022年04月20日 | わが庭の歳時記
   スズランが咲き始めた。
   毎年、花木の陰から可憐な白い花を覗かせてくれるのだが、特別に花壇があって植えてあるのではなくて、自然に任せているので、殆ど気づくことはない。
   しかし、存在感十分で、庭のあっちこっちから咲き始めると嬉しくなる。
   
   
   

   スズランは、草花であり、花木なので一寸種類は違うのだが、同じように釣り鐘状の小さな花を咲かせるのが、ドウダンツツジとブルーベリー、
   同じように白い花を咲かせている。
   
   
   
   
   
   
   椿のミリンダが咲き始めた。
   今年は、沢山の蕾を付けた。
   殆ど摘蕾せずに、そのまま咲かせているので、本来は、まさに、ピンクのバラのように美しい花を咲かせるのだが、体力が持たずに、完全開花せずに、落花するかも知れないが、宝珠咲きの状態が、一番優雅で美しい。
   さすがに、米国生まれの椿で、花だけ見れば、バラと見紛うほどで、結構花付きも良い。
   
   
   
  
   殆ど、椿のシーズンは、終わりで、どの椿の木も、新芽を一斉に芽吹き始めている。
   これから、如何に、木を育てて、初夏に蕾を付けさせて、来春の準備をするのかが、重要になってくる。
   鉢の椿は、5月中旬くらいから、水遣りを控えて、悪くいえば、木に恐怖感を与えて蕾を誘発すると言った工夫も必要となる。
   まだ咲いている椿は、ダローネガ、王昭君、エレガンス・シャンパン
   
   
   
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リチャード・ボールドウィン著「世界経済 大いなる収斂 ITがもたらす新次元のグローバリゼーション」

2022年04月18日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   イノベーション・産業革命をグローバリズムと絡ませた興味深い世界経済発展論。
   ICT革命によって、グローバリゼーションが大きく様変わりし、世界経済が大収斂したという簡明な理論展開に説得力があって面白い。
   原題は、The Great Convergence: Information Technology and the New Globalization

   人類の歴史の発展は、モノ、アイデア、ヒトを、距離の束縛から如何に解放するるかに掛かっていた。
   成長を始動し始めた農業革命だが、まだ、この時には、人類が距離の束縛のもとに、生産と消費は空間的に集積することを余儀なくされて、モノ、アイデア、ヒトを移動させることは、あまりにも危険で、あまりにもコストが高くつき、貿易が行われても、珍品、希少品、贅沢品に集中していて、殆ど異動がなかった。
   しかし、テクノロジーが進化すると、モノ、アイデア、ヒトの移動コストが下がっていったが、3要素が総べて同時に下がったわけではない。

   まず、第一のグローバリゼーションの飛躍期は、1820年頃から、蒸気革命によって、モノを移動させるコストが急速に下がり、消費地の近くでモノを作る必要がなくなり、これを引き金に、グローバリゼーションの第一のアンバンドリングが始まり、モノの生産と消費が空間的に切り離された。産業は、今日の豊かな国に集積し、この工業化からイノベーション主導型の成長が始まり、成長発展が特定の先進国に止まり、この成長の不均衡がわずか数十年で大分岐を引き起こして、過去一世紀半に亘って歴史に類を見ない南北の所得の不均衡を生み出した。

   だが、1990年以降、ICT革命によって、通信コストと調整コストが急速に下がり、アイデアの移動が容易になり、製造工程の大部分を同じ工場や工業地域の中で実行する必要がなくなり、第二のアンバンドリングが始まって、オフショアリングによって、生産工程の国際分散が進んでいった。膨大な量の知識技術やノウハウが、北から南へ、一握りの発展途上国にどっと流れて、G7企業の高度なテクノロジーが発展途上国の低い賃金と結びついた結果、世界の製造業の付加価値の多くが、北から南へシフトして、貧困層の大幅な引き上げを帰結した。先進国の競争の源泉である優れた管理や技術やマーケティングなどと発展途上国の比較優位の源泉たる低コストの労働力などとがうまく組み合わさって、グローバル・バリューチェーンを形成し、競争力の国境が引き直され、比較優位が無国籍化した。このニュー・グローバリゼーションによって、北は空洞化する一方、一握りの発展途上国が工業化して成長が加速化し、更に、コモディティ・スーパーサイクルが生まれて、商品輸出国の成長が離陸し、大いなる収斂が起きた。
   中国などの一部の新興国は、グローバル・バリューチェーンに加わることによって、アイデアや知識情報、技術等のスピルオーバーを受けて、従来の成長発展路線では達成不可能であった経済の急速な離陸・成長をショートカットで達成した。ICT革命によって、アイデアの急速膨大なフローが現出したこの新次元のグローバリゼーションが、ほぼ、今日の世界の現状である。

   しかし、まだ、距離がヒトの移動の障害となっており、北のアイデアやノウハウからあまりにも遠く離れているので、グローバル・バリューチェーン革命が、南アメリカとアフリカには及んでおらず、新次元のグローバリゼーションが及ぶ地理的範囲は限られている。
   ところで、先進国としての北だが、製造工程が発展途上国に移転して空洞化してサービス産業化している。したがって、北は、スマイルカーブの両端、即ち、製造前の活動である設計・資金調達・組織サービスなどと、製造後の活動であるマーケティングやアフターケアなど高度なサービス分野に知見や技術等ノウハウと強みを持っているので、これらに資源を集中して、アイデアや知識や情報が集積する都市を、多種多様な世界クラスのサービスの再結合を加速させる生産ハブとして、21世紀型の工場として位置づけるべきだという。

   この本で重要なのは、現状が不透明なので、中途半端な叙述に終っているのだが、19世紀にモノの移動コストが下がり第一のアンバンドリングが起こり、20世紀後半にアイデアの移動コストが急激に下がり第二のアンバンドリングが起こったように、ヒトの自由な移動、即ち、ヒトの移動コストが急激に下がれば、第三のアンバンドリングが始まる可能性が高く、次のグローバリゼーションが起こるという予感である。
   ある国の労働者が別の国のサービス・タスク(今日ではその場に物理的に居なければ出来ないタスク)を引き受けることになることで、労働サービスが労働者から物理的に切り離されることである。
   人間の分身に国境を飛び越えさせるテクノロジーであるテレロボティクス、テレプレゼンスでバーチャル移住させれば、ロンドンのホテルの部屋を、マニラで座っているメイドがコントロールするロボットで掃除する、アメリカのショッピングモールにいる警備員を、ペルーで座っている警備員が動かすので置き換えることが出来る。
   蒸気革命が、そして、ICT革命が、グローバリゼーションを大きくダイナミックに躍動されてきたが、片鱗を見せてきたバーチャルプレゼンス革命が、どのようにグローバリゼーションを変貌させるのか、次の世界経済の収斂が見え隠れしていて面白い。

   先にブックレビューした同著者の「GLOBOTICS (グロボティクス) 時代に生き残る仕事」には、遠隔移民などと、バーチャルプレゼンス革命について詳細に触れているのだが、この本も出版後5年を経過しているので、新版を期待したい。
   クルーグマンの弟子だというのだが、もう少し、経済学として踏み込んだ本になると面白いと思う。
   
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わが庭・・・椿 エリナ・カスケード、エレガント・スプレンダー、花富貴

2022年04月16日 | わが庭の歳時記
   極小輪の椿エリナ・カスケードが、一気に咲き出して、滝のように落下して地面を真っ白に染めている。
   この椿、椿だとは思えないような花姿だが、中国の野生椿とヒメサザンカの交雑品種だと言う。枝垂れ性の細い枝に風情があり、淡桃色の1cmほどの可愛いい小さな花をカスケード状に鈴なりに咲かせる。我が家では、門扉の外の花壇に植えている。
   
   
     
   

   エレガンス系で、最後に咲いたのは、エレガンス・スプレンダー。
   2株買ったのだが、苗木の質が悪くて、当初から葉が黄ばんでいて、その後も回復せずに成長も遅くて、花付きも良くない。
   新枝を挿し木にして育てているのが、正常な状態を維持しているので、開花するのを期待して待とうと思っている。
   新しい苗木が出ればと思ってネットを叩いているのだが、まだ、見つかっていない。
   
   
   

   花富貴は、千葉の庭で、豪華に咲き乱れていたので、再現したく、鎌倉に来てから買って植えたのだが、木の生長優先で中々咲かず、1㍍を超えた今年、やっと、咲き出した。
   この花は、千葉の思い出の花富貴とはイメージが違っているが、大きくなって沢山花が咲けば、印象も違ってくるのであろうと思う。
   
   
   
   さて、まだ、蕾のままの椿も残っているが、今年は、咲かなかった椿が結構あった。
   桃太郎、薩摩紅、王冠、朱月、鴇の羽重、ブラックマジック・・・
   それに、実生苗や挿し木苗で、大分大きくなった椿も、まだ、花を咲かせていないのが何何本かある。
   庭に植えると、木が自由に生長できるので、成長にエネルギーを取られて、花が咲くのがずっと遅くなる。
   花を咲かせるためには、土を切り詰めた植木鉢に植えるとか、根を切るとか、要するに、木を虐めて危機意識を持たせることだが、蕾が着き始める晩春に枯れる寸前まで水やりを控えるのも、この手法だが、出来れば広い場所でおおらかに育てたいとは思っている。
   
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わが庭・・・菊枝垂れ桜、ハナミズキ、トキワマンサク

2022年04月13日 | わが庭の歳時記
   椿は、まだ、咲いていない木もあるが、今日は、その他の花木。
   枝垂れ桜も咲き出したので、わが庭の菊枝垂れ桜も負けじと開花した。
   桜は、大木なので、住宅には植えるべき花ではないと分かってはいるが、やはり、その魅力には勝てず、小さく育てようと思って、千葉から持ち込んで、門扉脇に植えている。
   枝垂れであるから、もっと広い庭にオープンで植えるべきだと思うのだが、しばらく楽しもうと思っている。
   以前の千葉の庭に、八重桜の普賢象を植えていて、毎年、豪華な美しさに感動していたのだが、虫にやられて枯れてしまった思い出がある。
   
   
   

   アメリカ・ハナミズキが咲き出した。
   咲いたといっても目立つのは花びら状の苞で、小さな花は、高木となるので、下から見上げることとなって、殆ど分からない。
   ワシントンへの桜の返礼に送られた花木のようだが、あっちこっちの並木道に植えられていて、春の息吹を感じさせてくれる貴重な木である。
   
   
   
   

   もう一つ、咲き出したのは、トキワマンサク。
   紅白を考えたが、結構場所を取るので、わが庭では、赤い花一株だけである。
   
   
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ホテル椿山荘東京で1泊の旅情を楽しむ・・・美しい広大な庭園

2022年04月11日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   ホテル椿山荘東京は、山縣有朋公爵が造り上げた自然主義の素晴しい庭園がある。
   幸いにも、我々が宿泊した部屋は、庭園側に面した折曲がって突出した角の10階にあるので、180度の展望が利き、庭園全域が俯瞰できて、遠く、池袋の高層ビルが遠望できる。
   丁度、2日とも快晴に恵まれて、昼夜共に、素晴しい景色を楽しみながら、時を過ごすことが出来た。
   口絵写真も含めて、高みからの写真は、すべて、この部屋の窓からの遠望である。
   

   このホテルの周辺は、古来から椿が自生する景勝に地であったと言うことで、「椿山荘」もその由来であろうが、春は桜、夏は新緑、秋は月紅葉、冬は雪椿ということなので、一寸遅かったのか、椿はそれ程目立たなかった。
   結構、全国から集めた椿が植えられていたが、殆どまだ小木で、田舎の鎮守の森の巨木の山椿のような主木級の椿が少ないので、目立たないのかも知れない。
   
   

   さて、桜は、既に、ソメイヨシノは葉桜になってしまっているので、残っている桜は、ほんの数本で、それも、最盛期を過ぎてしまっていて、寂しいが、枝垂れ桜など、三重塔の傍にあって、格好の被写体になっている。
   ところで、この三重塔だが、広島県の篁山竹林寺の起源の室町時代の作で、二・三層目が大破していたのを修築移築したものだという。
   国宝の三重塔をいくらか見ているが、雰囲気のある塔であり、存在感抜群である。
   やはり、手入れの行き届いた日本庭園なので、各所に名所が設営されていて、散策が楽しい。
   
   
   
   

   この庭園の観光イベントは、「東京雲海と夜桜雲海」
   庭園各所に設えられた導線から水蒸気が湧き出して、庭があたかも雲海の中にすっぽりと包まれたような雰囲気を味わうことが出来る。
   昼間は、1時間二回、夕刻から深夜までは1時間に四回、霧に包まれる。
   上弦の月が、掛かった夜景を楽しみながら、眠りについた。
   
   
   
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ホテル椿山荘東京で1泊の旅情を楽しむ・・・ハイティー

2022年04月10日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   悠々自適の隠退生活が長くなると、高級ホテルで時を過ごすなどといった機会から遠のく。
   知人の結婚式くらいなら偶にあるが、個人的にはそんなチャンスは殆どないし、また、その余裕もない。
   娘夫妻が、私の誕日祝いに、私たち夫婦に、ホテル椿山荘東京で1泊の憩いの時間をプレゼントしてくれたのである。

   ホテル椿山荘東京は、素晴しいホテルであるが、まず、ハイティーの話から。
   午後遅くにホテルについて、ささやかな宴を持ってくれたので、夜は、ヘビーなディナーを避けて、ハイティーを楽しんだ。
   ハイティーは、アフタヌーンティーに、肉や魚などを使用した「メイン料理」が加わり、夕刻から始まる夕食と言う位置づけで、
   ホテル椿山荘東京のロビーラウンジ ル・ジャルダンの「イブニングハイティー」は人気が高い。
   能書きによると、グラスシャンパン、三段のオードブルスタンド、ローストビーフ、デザートのついたイブニングハイティー。ボリューム感のあるローストビーフは男性にも人気です。 是非、広々とした空間で優雅な大人の時間をお楽しみください。と言うところである。
   オードブルのスタンドが、アフタヌーンティーの3種盛りにあたり、本来は、サンドイッチ、スコーン、ケーキを盛った 3段重ねのティースタンドに載せられてサーブされるのだが、椿山荘の3段重ねは、まさに、素晴しいオードブルのオンパレードで楽しませてくれた。
   
   

   アフタヌーンティーもハイティーも、イギリスの国民的嗜好品の最たる紅茶ティーが主体で、最初から最後まで大きなティーセットが鎮座ましまして、ティーが伴奏し続ける憩いの時間なのだが、この椿山荘は、ドリンクは選択制で、ダージリンを選んだが、後から出てくるシステムで、小さなポットがついてきたものの、伝統のアフタヌーンティーともハイティーとも趣が大分違っている。尤も、ディナーを意図してセットしたメニューであるから、十分分かるし、工夫の跡が見えて好ましいとは思っている。
   最も違ったのは、3段重ねで、オードブルであるから、シンプルなイギリスのサンドイッチ、スコーン、ケーキとは趣が異なっていてあまりにも繊細で美しく、サンドイッチは、小豆とクリームチーズのサンドイッチと菜の花と梅とともにのキューリのサンドイッチで、しめて、11種類、写真の通りである。
   オードブルであるから、冒頭から無粋なプチケーキでもないであろうし、それに、スコーンも似つかわしくはないであろうが、私にとっては、アフタヌーンティーの思い出印象の総べては、このスコーンなので、一寸、肩すかしであった。
   しかし、ローストビーフが、流石に絶品で、赤ワインが、美味しかった。
   ヨーロッパのデイナーでは、メインコースでローストビーフを頂いても、大皿に盛られた肉料理という位置づけなので感じ方が違うのだが、このように、単品で、タップリとローストビーフそのものを味わうと、赤ワインとの相性の良さを感じて嬉しくなる。

   Wikipediaを引用させて頂くと、
   スコーン(英: scone)は、スコットランド料理の、バノックより重いパン。
   小麦粉、大麦粉、あるいはオートミールにベーキングパウダーを加え、牛乳でまとめてから軽く捏ね、成形して焼き上げる。粉にバターを練り込んだり、レーズンやデーツなどのドライフルーツを混ぜて焼き上げられることも多い。と言うことで、円形のきんつばというか薄い円筒状のスコーンを横から輪切りにして、クロッテドクリームとジャムを挟んで食べると実に美味しい。
   私は、成城石井の胡桃とチョコ入りのスコーンを、毎朝の常食にしている。
   大きめのマグカップに、シロップ漬けのブルーベリーをタップリ入れて、牛乳を加えてコーヒーを注ぐ。これが、私の朝のコーヒーで、結構満足していて、何年も続けている。

   さて、アフタヌーンティーだが、
   私はロンドンに5年間居たので、ホテル・リッツやフォートナム&メイソンなど、それに、貴族の館などで、本式のアフタヌーンティーを何度も楽しんできたのだが、日本のあっちこっちで味わうアフタヌーンティーは、それぞれ、日本好みにアレンジされていて非常に興味深く感じている。
   残念ながら、イギリスでは、ハイティーを経験する機会をミスってしまった。
   このブログで、アフタヌーンティーやイギリス生活について沢山書いているので、端折るが、ティースタンドはフォートナム&メイソンで買って帰るなど他の丁度も揃っており、スコーンを焼くのが一寸難しいだけで、以前には、家内が、自家製のアフタヌーンティーをサーブしてくれていたこともあった。
   スコーンやプチケーキを買える店が近くにあれば、至って簡単なのである。

   さて、気持ちよくリラックスして会話を楽しみ、席を立ったのは、かなり、遅くなってから。
   部屋に帰って、全面ガラスの窓から広い庭園を見下ろすと、綺麗な「東京雲海と夜桜雲海」の世界が広がっている。
   
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わが庭・・・椿 エレガンス・シャンパン咲く

2022年04月09日 | わが庭の歳時記
   エレガンス・シャンパンが咲き始めた。
   花によっては15㎝近くになるかなり重厚な牡丹咲き唐子咲きの大輪椿なので、蕾が沢山ついても、摘蕾しないと、開花に堪えられなくなる。
   挿し木苗が、大分大きくなって蕾を付けて、開花し始めたのだが、綺麗に咲ききる寸前に花弁が全部落ちてしまった。
   花芯部分は淡い綺麗なクリーム色で外縁は真っ白、相当大きな木に育って咲く花も、繊細でか弱い花弁なので、傷なしに綺麗なままに咲ききることは、室内で栽培しない限り至難の業である。
   
   
   
   
   

   姫リンゴ・クラブアップルの花が咲き出した。
   丁度、桃の季節と合って一緒に咲くので派手な姿が貴重である。
   樹勢が強いので、ドンドン大きくなるのだが、鹿児島紅梅やモミジ獅子頭などと込み込みで混植しているので、毎年、バサバサ剪定しなくてはならないので、気にはしている。
   
   
   

   同時に、モミジが一斉に芽吹き始めた。
   秋のモミジは格別だが、新緑のモミジも絵になって美しい。
   
   
   
   
   
   
   
   
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わが庭・・・椿 ダローネガ咲く

2022年04月07日 | わが庭の歳時記
   ダローネガは、珍しいアメリカ生まれの黄色い洋椿。
   中国の金花茶系統の椿ではないので、耐寒性があって、庭植え出来るので重宝している。
   黄色い椿に興味を持って、金花茶系統の椿を結構育てたが、室内管理を厭って、庭に出して育てたので全部枯らしてしまった。
   この椿は、開ききる前に、宝珠咲きの姿を保っていて楽しませてくれるのが良い。
   
   
   
   
   

   至宝が、咲き続けているが、花弁が完全な形に放射状に列んで咲ききるケースは、殆どなくて、どこか乱調子となる。
   挿し木苗が、何株か活着して成長し、蕾を付けて花を咲かせ始めている。
   ところが、先日、50㎝くらいに成長して、しっかりとした蕾を付けて開花寸前になったのだが、迂闊にも変化に気づかず、一気に、葉と蕾が落ちて丸裸になってしまった。あれこれ調べたのだが、該当する病虫害の記事が探せず、とにかく、ベニカを散布して様子を見ている。葉を2~3枚残して葉落ちが止まって、たけのこ芽が残っている。ダメな枝は切り落として、残りの部分の病気が治ればの話だが、肥培して回復を図ろうと思っている。
   
   

   梨の花も急に咲き出した。結実しても、何故か、すぐに落果してしまうのが残念である。
   接近して植わっている梅の木も、小さな実を付けている。
   
   
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ブノワ・ゴダン著「イノベーション概念の現代史 」

2022年04月04日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   この本のタイトルは、「The Idea of Technological Innovation: A Brief Alternative History」

   この本は、技術イノベーション( Technological Innovation)を、概念として研究して、その出現、開発、および使用(emergence, development and use)を分析している。著者が特に主張しているのは、技術イノベーションの先駆的理論家は、学者ではなく、実務従事者(技術者、経営者、政策立案者、そうした人々に助言・勧告する人々)であって、そうした実務従事者たちの見方を、学者が、後から明確にし、理論化した。のだとする新しい歴史観を述べていることである。
   面白いのは、1930年代から40年代に、ヨーゼフ・シュンペーターが、経済学にイノベーションという概念を導入した先駆者と目されているが、この概念は、当時既に、統計学者、経済学者、経済史家の間では当たり前に使われていて、シュンペーターはその一人に過ぎないと言っていることである。
   経済学の概念で、先駆者なり発想の種はあったとしても、不思議ではないのであって、創造的破壊を軸にして、壮大な経済発展理論を展開して、イノベーション概念を魁けたシュンペーターの偉業は燦然と輝いていて、これは、言わずもがなの蛇足である。

   さて、この本、パートI(技術イノベーション)では、主題の概念的な歴史を提供しながら、イノベーションを取り巻き変化する言説や学説を追跡および分析するために、適用された科学、結果、プロセス、およびシステムとして、イノベーションの多くの反復の歴史を検討して詳述している。パートII(アイデアからアクションへ)では、歴史的および現代的なイノベーションポリシーに目を向け、ポリシーの策定と戦略化において実務家が果たしてきた重要な役割を説明する。イノベーションの歴史学を効果的に書き直した先駆的な著者のアプローチは、イノベーション研究、社会学、科学技術の歴史の学者、政策立案者などの関係者達にとって大いに役立つであろうと言うのである。
   タイトル通り、この本は、「イノベーション概念の現代史 」であって、イノベーションに対する概念なり、政府や関係機関の政策や対応の歴史的展開を時系列的に詳しく説いていて、興味深いのだが、これまで、クリステンセンやドラッカーなどの成長発展や経営戦略志向のイノベーション本を読み続けてきたので、多少戸惑いを感じながら読み進めた。

   ところで、技術イノベーションのアイデアが構築され対策が取られたのは、1930年代だが、イノベーション政策が始まったのは、随分経った1980年代に入ってからで、国家戦略としてのイノベーション戦略の概念もこの頃からだという。
   戦略も多岐にわたっており、それぞれの戦略に沿って、イノベーションはその意味を、厳密に技術的な問題からあらゆるものを包括する概念へ広がるようになってきた。
   その結果、イノベーションの概念は、技術イノベーションが主体であったものが、最近では、イノベーションの概念が拡張してきている。
   社会イノベーション、持続可能なイノベーション、責任あるイノベーションと言った新語が登場して、産業イノベーションや産業由来のイノベーションと言った言葉と競合して、技術イノベーションと覇を競い続けている。
   このような名詞ではなく形容詞がイノベーションを定義するようになると、これは、「質」のことをさしていて、別のタイプのイノベーションとなる。
   その特徴の第一は、社会活動的であり、決定過程の早い時期から様々な人々がイノベーションの検討に参加することを強調し、包摂的イノベーション、民主的イノベーション、フリーイノベーションと言った形がえられ、第二には、成果の側では、社会活動、倫理、環境に力点を置き、道徳的な要請が入り、イノベーションは、社会的で、責任があり、持続可能でなければならない。ことである。

   システムとしてのイノベーションについては、技術変革の大半、イノベーションの大半、発明の大半、技術の普及の大半は、需要によって刺激されて生まれるという。
   スティーブ・ジョブズは、消費者は何を欲しがっているのか分からないと言ってサプライ・プッシュのイノベーションを説いており、シュンペーターの創造的破壊も、需要か供給かは定かではないが、公共部門や社会イノベーションに関しては、イノベーション政策や戦略が指標となるので、ターゲットとしての需要要因が重要性を占めることとなろう。

   ゴダンは、この本の冒頭で、「この何十年かで、技術イノベーションは、この社会の新たな宗教となり、現代の信条あるいは信仰となった。イノべーションは、我々が抱える社会経済的な問題すべての解決策であるというわけだ。」と書いている。
   宗教かはどうかはともかく、例えば、地球環境の破壊を止めるためにも、まさに、イノベーション頼み、
   シュンペーターが説く創造的破壊による技術イノベーションは、経済社会の成長発展にとって必須としても、今日のイノベーションは、持続可能な宇宙船地球号、そして、自由平等平和等を旨とする民主主義を死守するためにも、高邁なイノベーション政策及び戦略が求められている。と言えよう。
   今や、途轍もなく拡大解釈され、信仰にもなったというイノベーションの使命は、極めて大きくなった。
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わが庭・・・椿 王昭君、卜半咲く

2022年04月03日 | わが庭の歳時記
   椿王昭君が咲き始めた。
   前漢の元帝の時代、故国を離れて遠く匈奴の呼韓邪単于に嫁した悲劇の絶世の美女王昭君の名を冠した優雅なピンクの椿、
   匂うように美しい。
   
   
   

   卜半は、鮮やかな一重の赤い花弁に、真っ白な整然とした唐子。
   私の好きな唐子咲きや牡丹咲きなどの複雑な椿の元祖である。
   
   
   
   
   連日連夜、ウクライナ戦争のTVやニュースに釘付けの毎日、
   私は、当初から、経済弱小国のロシアが経済的に堪えられなくなるなど、ロシア自体の内外の何らかの要因によって、ロシアが頭を打って戦争が終結すると思っているのだが、
   今回の民主主義陣営の徹底的な経済制裁によって国力が疲弊消耗の極に達したうえに、戦争終結後の国際社会からの圧倒的なロシア排斥拒否によって世界の孤児と化すロシアの苦境と没落は目に見えている。
   単純な話、ロシアが、ロシア系住民をジェノサイドから守るのだと標榜して侵攻したドンバス2州だが、徹底的に破壊し尽くしてしまって、何の聖戦か、
   例え支配したとしても、どの様にして復興するのか、ロシアには、そんな力などある筈がない。
   結局、このウクライナ戦争で、国際的信用も、歴史的・文化的な名声や遺産など、総べてを棒に振って墓穴を掘るのはロシアだけ、
   風雲急を告げ、世界中は、ロシア抜きの新秩序の構築のために始動し始めている。
   
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