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マグノリア

2024-04-19 23:44:54 | 政治

藤原定家自筆の古今和歌集注釈書『顕注密勘』の原本が京都・冷泉家で保存されている木箱から見つかったという記事が4月19日の朝日新聞朝刊1面に載っていた。思い出したのが、

  大空は梅のにほひにかすみつつくもりもはてぬ春の夜の月 

という彼のけだるい春の夜の歌。「梅のにほひ」から、連想がリチャード・ライト『HAIKU この別世界』(彩流社、2007年)へとワープする。本を開くと、あった。

   Steep with deep sweetness,

 O You White Magnolias,

   This still torpid night!

この本の翻訳者は「甘美満ち白きモクレン夜だるし」と日本語訳をつけている。

『アメリカの息子』や『ブラック・ボーイ』で知られる米国の作家リチャード・ライトはミシシッピ州の生まれ。白い大きな花をつける高木・タイサンボク(Southern Magnolia、学名Magnolia grandiflora)は同州の花とされ、州の旗のデザインになっている。子ども時代に見たタイサンボク(マグノリア)の白い花はライトの記憶に焼きついていた。

白い花はどこにでもある平凡な花だが、時と場所、事と次第によっては、つよく記憶にのこることもある。むかし私はジャカルタで暮らしたことがある。そのころのある日、訪れた外国人墓地公園「タマン・プラサスティ」の一角で大きな墓石の上に白い花が散り落ちているのを見た。モクレンか、クチナシか、ジャスミンか――花の分類に暗い私にはよくわからなかった。だが、しばらく間その白い花は私の記憶の中でちらつき続けた。墓の主がスタンフォード・ラッフルズの最初の妻で、インドネシアで客死したオリヴィア・ラッフルズだったからだ。

アウンサンスーチー氏の髪飾りの白い生花。バリ島の女性が髪に飾る白い花。ビリー・ホリデイが髪飾りにした白い花――こちらはクチナシの花だったが、白いクチナシの花を髪に飾ってビリー・ホリデイが歌ったのが『奇妙な果実』(Strange Fruit)だった。

――アメリカ南部には奇妙な果実をつける木がある。葉も根元も血に染まっている。南部のそよ風にポプラの木に吊るされた黒い死体が揺れている……マグノリアの香りは甘くさわやかだが、突然、肉体の焼ける匂いが鼻を衝く――そういった内容の、かつての南部の黒人に対するリンチの光景を歌ったものである。この凄惨な歌詞の歌をビリー・ホリデイは生涯にわたって歌い続けた。ビリー・ホリデイ亡き後、ニーナ・シモンが歌をひきついだ。

米国南部のミシシッピ州に生まれたリチャード・ライトにとっては、合衆国南部が原産地であるタイサンボク(magnolia grandiflora)は望郷の花であり、差別された貧しい黒人少年の――奇妙な果実の歌詞にあるような暗い記憶の――花であり、晩年フランスで暮らして俳句制作に励み、澄明な「別世界」に遊ぼうとした作家の心の花でもあった。

リチャード・ライトやビリー・ホリデイとは違って、アメリカに住む白人にとっては、タイサンボクは大輪の花を咲かせるマグノリア・グランディフローラである。アメリカが誇る花の木だ。第7代の米国大統領アンドリュー・ジャックソンは亡き妻を偲んで、ホワイトハウスの南側の庭(サウス・ローン)に2本のタイサンボクを植えた。ホワイトハウスのサウス・ローン――権力の庭――のタイサンボクは「ジャックソン・マグノリア」としてドル世界であまねく知られた。1928年から1998年まで印刷された20ドル札の裏の挿絵に使われた。タイサンボクは植樹から200年近く生き続けた。やがて、うち1本が老化でもろくなり、庭から発着する大統領専用ヘリが巻き起こす強い風をうけて倒れる恐れが出てきた。大統領がヘリで出かけるさいはメディアの写真班がこの木の近くでカメラを構える。危険、ということで2017年に撤去された。

第18代米国大統領だったユリシーズ・グラント将軍は大統領職から退いたのち、夫婦で世界漫遊の旅に出た。夫妻は1879年に日本を訪れ、上野公園にタイサンボクを記念植樹した。こちらのタイサンボクはいまも健在だ。

岸田首相は11日の米議会スピーチで、米国への友情の印に250本の桜の木をプレゼントすると約束した。昨年は岸田氏の妻・岸田裕子氏が単独でホワイトハウスを訪問し、ホワイトハウスの南庭で桜の苗木を植樹している。

マグノリアの話はこのくらいにしておこう。ライトの『HAIKU』には「この道をくだって右折桃が咲く」という軽快な句も載っている。

   Keep straight down this block,

  Then Turn right where you will find

   A peach tree blooming.

英文の方の俳句というか3行詩というか、その音のリズムが心地よい。私が住んでいる高層アパートの玄関を出て、建物沿いにしばらく歩き、舗道と交差するところを左折すると、今の時期そこに紫木蓮が咲いている。思えば白梅紅梅が咲いて散り、公園の遊歩道のこぶしの白い花が開き、桜が散って葉桜になり、白とピンクのハナミズキが咲いた。春は駆け足で初夏に向かっている。この間、岸田文雄首相は自民党派閥のパーティー券裏金スキャンダルの鎮静化のための弥縫策に追われ、新年度予算の年度内成立のために不祥事のおわびを連発し、暇な時間には公邸か官邸で英語の発音練習に取り組んでいた。日経新聞のワシントン特派員の記事によると、岸田氏が米国議会で行ったスピーチは、起草にあたってレーガン元大統領のスピーチライターだった人物の助けを借りたという。スピーチライターが録音してくれた発音をまねて練習を重ねていた。すると、前回お話ししたバイデン大統領主催のレセプションでの岸田スピーチにでてきた「スタートレック」のセリフも、このスピーチライターからアイディアをもらったのかもしれない。4月28日の衆院補選では、自民党が3選挙区で全敗する可能性がある。自民党にとっては春に背くようなしまらない話のオチになってしまい恐縮である。5月に入るとタイサンボクの白い花が咲き始める。

(2024.4.19 花崎泰雄)

 

 

 

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