浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

【本】蜷川讓『パリに死す 評伝・椎名其二』(藤原書店)

2024-03-20 21:08:04 | 

 不思議な本である。椎名其二という人物を、彼が書いた文章をそのまま載せ、あるいは椎名と交流があった人の文を並べ、それらをつなぐことによって浮き彫りにするという手法での評伝であるから、読んでいてドラマがあるわけではない、むしろ淡々と椎名という人物を描くのであるが、しかしなぜか魅力があり、読み続けさせるのだ。それは椎名という人物が、その生の軌跡が、いつも金欠で苦しんでいるのに、魅力的であることに起因する。

 椎名は、アナキストである。しかしアナキストを「無政府主義者」というレッテルを貼るだけでは、アナキストを知ることにはならない。アナキストとは、要するに自由人であるということだ。自由人であるということは、アナキストといっても一人ひとり異なった個性豊かな自立した人物であるということであって、一括りにすることはできないのである。したがって、生き方や思想もそれぞれ別で、要するにアナキストとは、「一括りにできない」人間のグループとしか言いようがない。

 さてこの本は図書館から借りたもので、書き込みなどできないので、付箋を貼りながら読んでいった。あんがい付箋をつけたところが多かった。その一部を書いておく。

 「・・・君、大きな荷物をしょい込むな。妻、子供、地位、車・・・みんなそれなんだよ」(51)

 「・・だが昔から孤独な感じー砂漠の中にいるような感じ・・・深夜星空を眺めているような感じ・・・の僕だ・・・離別、生死は大した問題ではない」(56)

 「梢にさえずる小鳥はそこで死にはしない。藪の中へ入って死ぬ。僕は死場が床の中だけだとは思っていない。」(65)

 椎名はラクロワの『出世をしない秘訣』を翻訳出版している。その「あとがき」にこう書いている。

 「あの人たちは正確無比な時計、電話、メモによって駆け回る。彼らは流れる雲や軽やかなスカートや幼児の思い出などに注意深い自由人のあのそぞろ歩きの自由さえも、また離脱と呼ばれる単純な魂のあの柔らかさも失っている。一言でいえば、彼らは生きることを忘れてしまったのである。それは一体誰のことか。それは成り上がった人々のことである。ジャン=ポール=ラクロワはこうした勝利者、こうした有名人らの、陰さんな描写をしている。彼らは彼らの唯一の偶像ー虚栄と金銭に仕えるべく余儀なくされている。こうした惨めな者どもの身上たる堕落や不幸の注意深い研究が、ラクロワを駆って、資料に基づいた堅実の研究『出世をしない秘訣』を書かせたのである・・・。」(89)

 私もこの本を読んでみるつもりである。調べたら図書館にあった。

 椎名がアメリカ時代に知ったタイラー教授について、晩年こう書いている。

「・・・質を無視する大量生産のアメリカでさえ、今なおタイラー氏のような人間のしばしば見られるのは、隔世遺伝とでもいうか、昔の高貴な反抗精神の現れであろう。これあってのみ、民主主義は意味を持つ。なんとなれば真の民主主義は、この精神なくして生まれることはできないからである。またこれあってのみ、人間は個人としても集団としても、解放を望み、自主自律を期することができるのである。」(122)

 大杉栄がファーブルの『昆虫記』を翻訳したことは知られているが、しかしすべてではない。すべてを翻訳する前、大杉は1923年9月16日、虐殺される。その後を継いで翻訳したのが椎名であった。椎名は、「変則者」としてのファーブルを高く評価していた。ファーブルは大学で研究室をもっていたわけではない。「百姓の子として生まれ、生涯百姓を以て終始した」科学者であった。

 椎名はルグロの『ファブルの一生ー科学の詩人』を翻訳している。ファーブルの伝記を読みたくなった。

 椎名は、1927,8年頃パリでO社巴里支店に現地雇いの事務員として勤務していた。しかし彼は、生活に困窮することがわかっていてもその会社を辞めた。O社が、日本に武器を売っていたからだ。椎名は「私は大砲を日本に売ったりする商売はいけないことだと思う」といってやめた。

 椎名は、野見山暁冶だけでなく、佐伯祐三とも親しく交際していた。本書には、佐伯が胸を冒され、さらに死の恐怖から精神の安定を欠いていった経緯が記されている(234)。 佐伯祐三は巴里の街角などをよく描いている。

 椎名は、プルードンの思想に感銘を受け、ほかの世界的なアナキストとも交流した。エルゼ・ルクリュなど。

 椎名は、フランス人のポンテを評価していた。ポンテとは、善良さであるが、単なる善良さではなく、人間の底から出てくる善良、(他者に)働きかける善良さのことである。

 椎名は、貧しき日々を生きながら、個性豊かに生きた。彼が残した数々の文からは、いろいろな示唆を、直截的ではないが、得られる。

 椎名其二という人を、野見山暁冶を読む中で知った。

 

 

 

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利権政治の顛末

2024-03-20 17:53:33 | 政治

 自民党の裏金問題、関係者は口をつぐみ、「オレ、知らない」とウソをつきつづける。それでも、選挙民は、そういう自民党の議員を選出し続けることを、かれらは知っている。

 裏金は何に使用されたかというと、「政治活動」という名の選挙活動に費消されたようだ。要するに、選挙民に何らかのかたちで裏金が配られたのだろう。

 裏金をもらった議員は、そのカネを自由につかう。しかし税務署・国税庁は脱税として調査対象としない。自民党議員は、ウハウハである。

 長く続いた自民党政治により、利権でつながる関係が確立しているのである。自民党国会議員、自民党地方議員、各種企業(国や自治体からおいしい仕事をもらう)、そして選挙民との間で、カネでつながった関係があるというわけだ。

 この世は、カネ、カネ・・・・。最近報じられる投資詐欺。いとも簡単にだまされている。投資をすればカネが簡単に増殖していくと信じこまされ、多額のカネを犯罪者にプレゼントする。どうしてそんなバカな話にだまされるのかと私には不思議なのだが、しかし多くの人びとは、カネ、カネ、カネ・・・・・・を求め続ける。

 生活できるカネがあればいいと欲を持たない私には、そうしたさもしい人びとに驚くばかりだ。

  悪しき自民党政治が終わらない背景に、カネにすがりつく日本人の心性があると思う。少しでも、少しでもカネが欲しい・・・・今日生きることも難しい人がそういう気持ちになることは理解できるが、たくさんもっている人が、さらにカネを求める。

 投資詐欺で明らかになる金額の大きさに、私は驚く。そんなカネをもっているのか、と。それだけもっているのに、まだ増やしたいのか・・・と。

 

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