浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

考えること・・

2024-03-19 20:49:26 | 日記

 作家の立松和平に、一度だけ会ったことがある。某高校の記念講演会の講師として立松が立ったとき、ある人物と共にその仲介を行った。講演のあと、3人でいろいろなことを会話した。

 とても有名な作家であったけれども、驕り高ぶることもなく、楽しい会話であった。しかし立松も、62歳という若さで亡くなった。2010年2月であった。

 立松の本をたくさん読んでいるわけではないが、立松は好きだった。彼が田中正造(渡良瀬川鉱毒事件)や中国人の強制連行事件に関心を持っていたこと、会話の中でそういう話をした記憶があり、問題関心に共通するところがあったからでもある。

 最近、『現代日本人の「死生観」』という雑誌を入手した(アーツアンドクラフツ)。そこにはいろいろな人の「死生観」が記されているのだが、立松のそれもあった。

 立松は、死の予兆を感じたとき、そのときは元気であったが、こう書いている。

 私は幸福であった。いい人生であったなあと、心から思っている。思い残すことはない。もう一度いう。私は幸福であった。

 これを書いたのは2003年。2007年には、こう書いている。

 死ねば、もちろん書くことはできない。書くことが生きることだったのだ。

 生きているあいだは、生きるのだ、その人なりの日常を生きる、それしか死ぬ存在である人間の生きようはない。

 いつまで、こうして考え、読み、書くことができるのだろうか。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする