Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

トイレの神様

2010-12-29 23:58:20 | 日記・エッセイ・コラム

コナサン、ミンバンワ!OCN Cafe日記よりの各位は改めまして。早いもので2010=平成22年も事実上後2日となった。本当に政治社会共に不安定な混迷続き。政治資金疑惑を背負う、小沢元民主党代表は、各政党より再三に亘り求められていた国会の政治倫理審査会への出席に、ようやく同意した様だ。勿論、出席が叶ったからと言って、疑惑の全貌を語るかどうかは疑問だが「何もやましい事はない」と仰るなら、同審査会の席にて、堂々とかつ誠実に、我々国民の理解を得られる詳細に踏み込んだ説明をお願いしたいものである。

さて、他にも事件事故災害など、他にも触れたい事共は多々あるのだが、批判や糾弾が多くては、読者各位も記す俺も疲れてしまうだろうから、又次回(と申しても、もう来年)にでも譲る事にして、今回は以後、今年一番気になった歌曲「トイレの神様」にまつわる雑感でも記そうかと思う。

この曲は今夏、植村花菜さんが歌って大いに話題となった、トイレの掃除に絡む、亡き祖母を偲んだ心情が主題だが、なかんずく、トイレ掃除が苦手だった作者に、お祖母様が「トイレをきれいにすると美人になれる」と諭された言葉を信じ、死別した今も、実践し続けているとの下りには、俺も決して浅くない感銘を覚えたものである。

トイレではないが、俺にも祖母についての思い出は一わたりあるので、思うままに記してみたく思う。特に忘れ難いのは、交通事故で早くに亡くした、実子たる叔父の墓参に長らく通った事だろうか。

今秋の彼岸、俺は久々に叔父の墓参を行ったが、そこは当地愛知の東郊、東三河の豊川市内である。JR東海道線は名古屋より上り方向へ約50分、豊橋にてこれもJR飯田線に乗換えて十数分、都合1時間強で到達する。割引乗車券の設定がないのでやや割高だが、同じ当地の名古屋鉄道なら、名古屋より乗換えなしで若干速く豊川まで到達できる。豊川駅の北側、豊川稲荷の側へ出て、門前とは異なる北東方向へ数分程歩くと、1945=昭和20年夏の、先の大戦にての空襲被害を免れた古い家並みの路地に差し掛かる。ここで三叉路となり、北西方向よりの道が合流して来るのだが、これが祖父母のかつての居所よりの道で、この三叉路を通り、徒歩で約30分余をかけ、叔父の墓の建立された1968=昭和43年より肢体の自由が損なわれる2000=平成12年頃までほぼ毎日、墓参に通っていた様である。

古い家々に囲まれた、車の離合もままならない狭い三叉路に差し掛かると、左側より合流する路地より、小柄な祖母がゆっくりと、しかし確かな足取りで墓所へ向け歩く姿が、今しも見える様な錯覚に囚われたものである。かなり後まで、長く歩く事は気にしなかった祖母だが、それにしても良く通ったものだと、改めて感心している所。2007=平成19年初逝去の折には、その拾骨まで立ち会ったが、直前に逝った祖父のそれより明らかに疲弊や消耗が目立ち、骨粗鬆症の症状が明らかに見られたものだった。この時、同席していた妹が号泣していた記憶あるも、その心情が分る様な気がしたものだ。常に穏やかに接し続けてくれた祖母だったが、その陰での辛苦は人知れず、永の別れのこの時に至って「これが答えだ」と思い知らされたのも事実であった。

話を歌曲に戻す。出来の悪い孫の下りは、俺とて同じ。何か自分の事にも通じる所があって、この歌詞は今も心に突き刺さっている。今年催された中華人民共和国・上海万国博覧会の席にても披露された由だが、感動を共にした中国人民は多かった様だ。今は領土・資源の諸問題で冷えている日中間だが、案外出口のヒントはこうした事にあるのかも知れない。

祖母亡き後、遺憾ではあるが、叔父の墓所は以前の様には手入れが行き届かない所がある様だ。拙母は、依然足の不調で遠方への外出がままならず、亡き叔父の弟達たる2人の叔父は、それぞれに厄介な病気に見舞われてしまい、こまめな墓参は叶わなくなってしまった。こうなったら俺が動くしかないか。年に2回程度しか参れないが、まあ可能な折に寄り、でるだけ手入れをして参るつもり。それが、亡き祖母に対してできる供養かな、と今思っている所であります。改めて「おばあちゃん、ホンマに、ありがとう」。

今年1年、誠に有難うございました。又、来年も宜しくお願い致します。以下に「トイレの神様」の歌詞が見られるURLをご案内しておきます。

http://www.utamap.com/viewkasi.php?surl=ka0376

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