Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

軌跡~弾丸列車の残像

2010-03-06 08:30:00 | インポート
各位お早うございます。多くの地方同様、今朝は雨の当地名古屋であります。
些か鬱陶しい反面、曇りや雨の日が増えた事は、春が近づいている証でもある様です。これから暫くは寒の戻り。数日間は気温低めの日々となりそうです。お互い、健康留意にて。

さて、今月は先月末、東海道新幹線にての任務を終えた人気高速列車500系「のぞみ号」の追憶を軸に、色んな事共に触れて参る記事にして参ろうかと思っている所。ここで、同車の軌跡を簡単に振り返っておきましょうか。

広く知られている様に、新幹線500系は、JR西日本こと西日本旅客鉄道の専用車種。高速運転が武器の、新幹線「のぞみ号」向けの車種としては、平成年間に入ってすぐ開発された、アニメーションのヒーローの様な前面を持つ、白基調の300系に続く2番手として、1996=平成8年に初登場を果たします。「のぞみ号」は、それまでの「ひかり号」を越える高速化を志向して設定され、最初に300系列車にて最高速270km/Hの実績を作っておき、安全面などを確認した上で、新大阪以西の限定ではありますが、数年後に500系の最高速300km/Hへと進んでいます。又、東海道新幹線にても、300系では一部車両が動力を持たない付随車をも含む編成であったのに対し、500系では、先駆者0系以来の全車動力車、所謂オールMの編成に戻して加減速力を強化、その威力で「のぞみ号」登場当初、一部列車が当地名古屋を通過していた屈辱の事態を解消し、再び伝統の「全特急名古屋停車」に戻してくれた功労者としても、永く記憶する必要があるでしょう。

誕生年の、1996=平成8年は量産先行の1編成16両のみ登場して長期試験に専念し、翌年春より新大阪~博多間にて本営業を開始、数隊の仲間を得て1997=平成9年暮れより、いよいよ東京~博多の東海道・山陽全区間の制覇を果たします。
この初走行当日、この列車に乗り込んだ悪友が、その時の感激を聞かせてくれた記憶は、今も鮮明に我が心に残っています。
翌1998=平成10年秋までに、総勢9編成144両が勢揃いし、最盛期の日中はほぼ2時間に1往復、「のぞみ号」の運転を担い、利用客のみならず、沿線の住人や愛好者達よりも、熱い注目を集めたのはご存知かと思います。

今世紀に入って暫くすると、さすがに経年と後輩車種の台頭もあって、影が薄くなって参りますが、当地にては、最後まで新幹線の頂点「のぞみ号」の誇りを捨てず、去って行った見事さは、今も鮮烈な記憶となって残っています。*(新幹線)*
コメント
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