読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

中国朝鮮関係小史2

2012-11-28 08:53:42 | 歴史
中国朝鮮関係小史1からの続き

●朝鮮戦争出兵による影響

 この論争は、彭徳懐の失脚となるが、朝鮮戦争への参戦は、のちの毛
澤東の経済政策である『大躍進』の失敗と重なり、中国の経済に深刻な影響
を与える事となった。

 毛澤東は、この失敗により、国家主席の地位を劉少奇(リュウショウキ)
に譲った。

 柔軟な考えをもつ劉少奇は、これまでの政策を改めた。
 それは、毛澤東の目には、共産主義の否定を意味する。

 これ以後の毛澤東の闘争が、やがて『文化大革命』となる。

 『文化大革命』は文化を名目にしているが、実態は『政治闘争』であった。

 中国全土に、多くの損失、損害、打撃、悲劇、混乱、喪失、破壊、荒廃を
もたらし、中国の発展を10年は遅らせたと言われる。

 一説では、抗日戦争の人的、物的損失にも匹敵するといわれてもいる。

 
●大国のエゴ

 中国は、多くの犠牲を払いながら、朝鮮半島北部、つまり自国と国境を接
する地域に、共産主義の国家を存続することができた。

 では、なぜ、中国は、共産主義の国家を存続させようとしたのか。

 自分勝手なことだが、大国は、他の大国と境を接したくないのだ。

 歴史上の例を見てみよう。


●アフガニスタンの『ワハン回廊』

 世界地図で、中央アジアのアフガニスタンを見よう。

 アフガニスタンの国土が、パキスタンとタジキスタンをかきわけて、中国
に伸びている。

 この細長い地域を『ワハン回廊』と言う。

 この『ワッヘン回廊』の成り立ちは、いまから130年以上前に遡る。

 現在のインド、パキスタン、バングラディシュが、『インド帝国』として、
イギリスの統治下にあった時代である。

 同時に、帝政ロシアも伝統的な『南下政策』により、インドへの進出を図
っていた。

 イギリスとロシアの勢力が衝突する場所が、アフガニスタンである。

 大国は、表面では『対決』を呼号していますが、裏面では『話し合い』を
している。

 おそらく、この『ワハン回廊』も、イギリスとロシアの密約により、出来
上がったものだと考えられる。


●中国から見た北朝鮮の存在価値

 話を戻して、なぜ、中国が北朝鮮を残したかという問題。

 第一は、北朝鮮を自国防衛の防壁にすること。

 もし、朝鮮半島全体が韓国により統一されれば、国境の鴨緑江の対岸に
『星条旗』を見ることになる。

 鴨緑江で見るよりは、38度線で見るほうが、気分的には良いに違いない。

 核ミサイルがどんなに発達しても、『距離は最大の安全保障』と言える。
 第二が、直接にアメリカ、およびアメリカの影響力が及ぶ国と国境を接し
たくないという、大国の心理。


この心理を乱すものに対しては、中国は、いかなる手段も取る。

 その相手が、北朝鮮であってもである。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿