読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

あるエッセイストの話

2008-08-31 16:02:20 | 新聞

あるエッセイストが九州の弥生式遺跡に見学に行った。そこに土製のお棺が展示されている場所があって、彼はその展示品を見ていた。そこへ親子の二人連れが来て七、八歳くらいの子供が父親に尋ねた。
子「お父さん、この人たちなぜ死んだと。」
父「病気やら怪我やらで死んだとやろ。」
子「お父さん、人はなぜ死ぬと。」
父「みな、順番に死ぬとよ。お父さんもいつか死ぬようになっとるたい。」
子「じゃあ、僕もいつか死ぬと。」
父「いいや、お前は死なん。ずっと生きとる。大丈夫たい。お前だけは死なんようになっ とる。」
これを聞いていたエッセイストは涙ぐむまでに感動した。そして自分も九州弁で
  「大丈夫たい。二人ともずっと死ぬこたぁなか。」とエールを送ったと言う。
立派な父親だが、普通、親はこう言うときどのように答えるのだろう。
自分ならどう答えるのか、今は判らないままでいる。

久能山と東照宮の意外

2008-08-30 08:24:05 | 読書

久能山や東照宮には家康が祀られているものとばかり思っていた。勝海舟が「氷川清話」の中で言っている事に驚いた。
曰く、「久能山だとか、日光だとかいうものを、世の中の人は、ただ単に徳川氏の祖廟とばかり思っているだろうが、あれはけっしてそうではない。あそこには、ちゃんと信長、秀吉、家康の三人の霊を合祀してあるのだ。一方では天下に厳命をくだして、豊国の廟を壊したかと思えば、他の一方には、またこんなに深く意を用いたところが有る。これで織田、豊臣の遺臣らも、自然に心を徳川に寄せてきたものだ。この辺の深味は、とても当世の政治家にはわからない。」と。

時勢が人をつくる

2008-08-29 10:53:09 | 歴史

勝海舟は一度だけ二宮尊徳に会ったことがあると「氷川清話」の中で言っている。
「二宮尊徳はいたって正直な人だったよ。だいたいあんな時勢にはあんな人物がたくさん出来るものだ。時勢が人を作る例は、おれは確かに見たよ。」と。
中国の北京大学に二宮尊徳を研究する学会が出来たと何かで読んだことがある。急激な経済成長で人格の形成がなおざりにされる事を中国政府が怖れたためとも読んだ事が有る。急成長を遂げつつある中国の時勢では今、どんな人物が出来ているのだろう。幕末から明治にかけて日本の歴史がその流れの方向を変えつつあったときは勝海舟や彼が「最も恐ろしいものを見た。」と言う西郷南洲(隆盛)や横井小楠、その他多くの人物がキラ星の如く出た。時勢が確かに人物を生むように思える。

奇蹟の長寿

2008-08-28 08:29:59 | 宗教

昔、何の本だったか記憶にないが職業別ではどんな職業に長寿が多いのかについて読んだ事が有った。その時点では医者と僧侶が長寿であったと記憶している。
歴史を遡って見ると
釈迦が80年、親鸞が90年、僧侶ではないが思想家孔子が73歳、イスラムの教祖ムハンマッドが62歳、イエスは処刑されたので31歳、フランシスコ・ザビエルが46歳、宗教改革のマルチン・ルターが63歳、カルバン55歳、最澄も55歳、空海61歳、法然79歳、一遍50歳、道元53歳、日蓮60歳となっている。その時代の食糧事情や衛生、医療技術が現在ほど充実していない事を考えると総じて宗教者は長寿であったと言えるかも知れない。
岩波新書 山折哲雄著「親鸞を読む」から

パニック

2008-08-26 08:44:37 | 歴史

昔、テレビ番組で西部劇をよく見た。カウボーイと牛の群れがよく出てきた。その牛の群れが雷の音や狼の鳴き声、銃声で暴走をはじめるシーンが時々有った。パニックを起こすのだ。パニックの語源は、ギリシア神話の牧神・パーンから来ていると言う。古代ギリシア人は、家畜の群れが前触れもなく突然騒ぎ始め、集団で走り出すと言う現象を、家畜の感情を揺り動かす見えない存在の牧神・パーンの仕業と考え、これを「パーンに関係するもの」(ギリシア語: πανικόν = 英語: panic)と呼んだ。その牧神パンは何時も葦笛を吹き、美少女と見れば追いかけ気まぐれであった。突然、怒り出し羊や牛馬の群れを暴走させた。パニックの語源となった。

神は世界を、オランダはオランダ人が

2008-08-24 09:41:54 | 読書

司馬遼太郎著「風塵抄」二 から
江戸期、唯一日本と交易していたオランダは17世紀頃独立し貿易によって俄かに栄え黄金時代を迎えた。16世紀には「海の乞食」などと言われていた国である。その黄金時代、オランダの人口は僅か150万しかなかったと言う。国民は皆忙しかったに違いない。男たちの多くは船乗りになり、ほかは海面以下の国土を造成し、女だけで土を運び、ダムを築き、干拓地を作った。「神は世界を創造し給うたがオランダはオランダ人が作った。」と言う言い伝えがあるそうだ。

司馬遼太郎の「新」

2008-08-23 11:11:03 | 読書

司馬遼太郎は「新」と言う漢字は、語源的には、木を斤(き)ることから出たと「風塵抄」に書いている。故藤堂明保氏の説を採っているようだ。「この漢字は木の切り口から出た字である。」とも書いている。「新」は木を切る事を示した点では白川静氏と同じ考えであるが、木の切り口から出た文字ではなく、切り取る行為そのものを言う文字である。でないと辛と木の部分を含む薪や寴や親が説明できなくなるのだ。辛は針を示し、その下の木を突き刺し、その木を神木として選らぶためのしるしとした。選んだその木に神や霊などの名を記した。家族で親が死んだときがその家の最初の神霊となる。その神木に親の名を書き、それを見ている。つまりそれが位牌となり、それを拝し、おがんだのである。それを表した漢字が「親」である。

伊達宗城の蒸気船

2008-08-22 09:13:09 | 歴史

嘉永六年(1853)六月、ペリーの軍艦が江戸湾に入ってきたとき、江戸湾頭でその軍艦を見ていた人々のなかに宇和島藩大名伊達宗城がいた。彼はこの黒船の自走機能に驚き、これを作りたいと思った。伊予宇和島に帰りすぐに造船に着手した。三年後に類似の船が完成した。この蒸気船を想像と見当で作ったのは宇和島城下の黒船など見たことが無かった仏壇修理業者の嘉蔵と言うものだったそうだ。船体はこれも村田蔵六と言う蘭方医が想像で作った。その船は船体の割に機関が小さすぎ、宇和島湾内で試運転したが、小さな波で押し返され失敗したと言う。

あれ(千石船)は、危険な船だとペリーが

2008-08-21 13:22:23 | 歴史

江戸初期、幕府は国内で帆の多い大船の建造を禁じた。がこの頃から商品経済が活発になり、商船が多く必要になり、いわゆる千石船と言う江戸時代特有の船が登場した。これらの船が日本列島沿岸の荒海を周航し続け、江戸時代二百五十年の経済と文化を支えた。
が、「あれ(千石船)は危険な船だ。」と言った人物が居た。嘉永六年(1853)江戸湾に現れたアメリカ艦隊司令長官ぺリーである。この時代の日本の船乗りには、そんな事は先刻、承知の事だった。幕府は多帆船の建造を禁じた為、一枚の帆を大きくせざるを得ず、この為、一枚の帆に大きな風圧がかかった。従って方向を決める舵も大きくなり、それが大きな水圧を受け壊れ、難破した。しかもこの船に甲板と言うものがなかった。積載量を多くしたかったのである。お椀に物を盛り上げ、水に浮かべた形の危険なものだったのである。

過剰な練習

2008-08-20 08:56:16 | 新聞

新聞の子育ての蘭に「過剰な練習に注意して」と言う記事が有った。成長期にある子供達に呼びかけたもので、現在、行われている北京オリンピックの選手達の体調から話を説き起こしている。甲子園を目指す野球選手、オリンピックに出る夢に向かって練習を続ける若い選手たちは「過剰な練習」をしないとそれらの華やかな舞台には出られないのではないかと思った。指導者やコーチがその点はプロとして気を細かく配慮しているに違いないが、それでも鍛えた筈の体に思わぬ不調を来たし競技出場を断念しなければならない場面も多いようだ。