読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

老齢化による脳萎縮はヒトだけ

2011-07-31 09:30:09 | 新聞
wsj日本版から

 米国科学アカデミー紀要に発表された新たな研究論文によると、ヒトの脳は年を取るとともに萎縮するが、ヒトに最も近いとされる動物であるチンパンジーの脳は年を取っても萎縮しないことが分かった。研究はヒトの老化がもたらす特性を浮き彫りにした。

 ヒトの脳は、年を取るとともに最大で15%萎縮する可能性がある。脳の萎縮は認知症、記憶障害、それにうつ病の原因とされている。研究者たちはこれまで、老年期の段階的な脳の萎縮が霊長類や他の動物にも共通の現象だと認識していた。



 しかし、ヒトとチンパンジーを直接比較した初の研究で、ジョージ・ワシントン大学の人類学者チェット・シャーウッド博士率いる研究チームは脳のスキャン検査を行い、チンパンジーにはそのような脳の萎縮がみられないことが分かった。同チームはヒトだけが長生きに伴う特性から影響を受けていると結論付けた。

 エモリー大学ヤーキーズ国立霊長類研究所の人類学者トッド・プロイス氏は「ヒトは非常に奇妙な動物だ」と述べ、「神経科学者の間には、動物というものはすべて同一という想定があったが、今回の研究はヒトの老年期の生態に独特な点があることを示している」と語った。同氏は今回の研究に参加していない。


 研究チームは磁気共鳴画像法(MRI)でスキャンした画像を使って、記憶、論理的思考能力やその他の精神的処理に関与している脳の5つの主要組織と、脳全体の容積の変化を計測。22~88歳の成人87人の脳と、10~51歳の大人のチンパンジー99匹の脳の計測結果を比較した。具体的には神経細胞の灰白質と神経線維の白質を計測した。ヒトの脳の重量は平均で約3ポンド(約1.4キログラム)だったのに対し、チンパンジーの脳の重量はわずかその3分の1だった。

 その結果、同チームは、脳のどの箇所についても、ヒトの脳の容積は年を取るとともに大幅に減るのに対し、チンパンジーの脳の容積は減らないことを突き止めた。シャーウッド博士は「チンパンジーには年齢に関連する変化がみられなかった」と述べた。


 最近まで、ヒトと他の動物の脳の違いは学術的な研究対象で、人類学の分野以外にほとんど影響をもたらさなかった。しかし、世界で人口の高齢化が急速に進んでおり、進化生物学が公衆衛生上の喫緊のテーマになっている。米政府によると、同国では2030年までに人口の約5人に1人が65歳以上になり、その数は10年前の2倍以上になる見込みだ。

 研究では、ストレスやうつがヒトの脳の容積に影響を与える可能性があることが分かった。食事も要因になり得るという。しかし、専門家たちは、より一般的にはヒト特有の脳の萎縮が他の霊長類よりもずっと長生きであることの代償かもしれないと指摘している。重篤な病やけががなければ、ヒトには80歳ないしそれ以上まで生きられる。これは、野生のチンパンジーの寿命の約2倍だ。

 研究チームは、チンパンジーの寿命を超えるこの余分な期間に、ヒトは自然の細胞修復メカニズムが壊れ、神経回路が衰えるのかもしれないと指摘している。

記者: Robert Lee Hotz

陸前高田の歴史をつなげ

2011-07-30 10:49:00 | 新聞
wsj日本版から
 【陸前高田】熊谷賢(まさる)さん(44)が地道な作業を続ける廃校は、さしずめ自治体共同の屋根裏部屋といった雰囲気だ。時代物の漁具や農機具から古いおもちゃや学校の記録まであらゆるものが押し込められている。

 これらは、3月11日の巨大津波で市の中心部が壊滅的被害を受け、人口の10%近くに当たる約2万3000人が死亡した陸前高田市の市立博物館所蔵の遺物だ。

 陸前高田市立博物館の学芸員である熊谷さんは、もりの先端やその他有史以前の道具の汚れをこすり落としながら、これら工芸品はわれわれの文化や歴史を表すものであり、これらの保存なしに本当の復興はなし得ない、と話す。

 考古学者の熊谷さんは、何週間も前から、長年勤めていた職場である被災した博物館で泥の中から所蔵物を探し出す作業を率いている。

 津波は窓やドアを破って博物館の中にまで流れ込み、後には大量の泥とがれきが残された。主要展示ホールには自動車が1台横倒しになっている。

 だが、熊谷さんは湿気の多い建物内部からできる限り多くの所蔵物を回収しようと懸命に取り組んだ。

 中でも最も重要な回収物は、有史以前に陸前高田の土着民によって作られた骨の漁具と古代陶器の破片だ。

 文化財を保護し、新たな所蔵先を見つけることは、震災で最も大きな被害を受けた市区町村の1つである陸前高田市にとって特別な、難しい課題だ。

 市当局は避難先や仕事、基本的インフラの確保など住民の直接的なニーズへの対応に追われている。だが彼らは、結びつきの強いこのコミュニティーが津波によって負った大きな精神的傷を癒す必要性も認識している。

 4月下旬、熊谷さんの耳に博物館の1階から「見つけた。見つけた」という大きな叫び声が飛び込んできた。1階へ降りると、昆虫学者の砂田比左男さんが1200年以上前のものと思われる鉄製の剣を振り回していた。
イメージ Go Takayama for The Wall Street Journal

回収された古代の剣

 その付近をさらに掘り続けると、砂とさびがこびり付いた2本の剣がさらに発見された。学者らによると、それら3本の古代の剣は、日本のサムライ文化の中心、日本刀の初期の進化を表すものだという。

 これら刀ほどではないが、ほかにも初期の漫画本やクマのぬいぐるみ、著名な地元の博物学者のブロンズ胸像をはじめ多くの貴重な標本が発見された。これらはすべて存続が危ぶまれる陸前高田市の一部を表すものだ。

 オオヤマネコの歯で作られた有史以前の極めて貴重な首飾りをはじめ、まだ見つかっていない遺物も一部あるが、熊谷さんは見つかる可能性は低いだろうと話す。

 熊谷さん自身も自宅を津波で流され、避難所として利用されている老人ホームでの寝泊まりを余儀なくされている。熊谷さんは起きている時間のほとんどを被害を受けた陸前高田市の文化遺産を保護する作業に充てており、その最も重要な遺産の大半は市立博物館に所蔵されていた。熊谷さん率いる小さなチームは、所蔵物回収に向け最初の一歩を踏み出している。

 彼らは漁網や着物に付着した塩を洗い流したり、濡れた書物を乾かしたり、歯ブラシで骨器の汚れをこすり落とし、アルコールで防かび処理を施したりといった作業を行っている。

 部屋には古い鞍(くら)や精米機、神社のしめ縄に至るまで過去の記憶が高く積み上げられている。

 熊谷さんは、まだやるべきことはたくさんある、あとどのくらい時間がかかるか見当もつかない、と話す。

 刀や歴史的文献をはじめ最も重要な文化遺産の多くは、復元や安全な保管のため別の博物館に引き渡された。

 熊谷さんは、こうした活動へと自らを突き動かしている大きな原動力の1つは、津波で亡くなった市職員全員への追悼の気持ちだと話す。熊谷さんが師と仰ぐ存在であり、熊谷さんに考古学を志すことを勧めてくれた地元の考古学者、佐藤正彦さんもその1人だ。

 熊谷さんは、津波が襲った当時、陸前高田市立「海と貝のミュージアム」の主任学芸員を務めていた。同ミュージアムも被災したため、そちらでも回収作業が行われている。

 熊谷さんは、子どもの頃から物集めに凝っていたという。高校時代、陸上を諦めて歴史部に入ったことが考古学に興味を持つきっかけだった話す。

 毎週部活動で訪れる市立博物館をとおして、分類学と人類学の世界に触れるようになっていった。左官職人の1人息子に生まれた熊谷さんにとって、それは素晴らしい、魅惑的な世界で、博物館はやがて第2の家となった。

 奥さんのジュンコさんは、熊谷さんとまだ付き合っていた頃、冷蔵庫の中に、熊谷さんが博物館の標本として収集していたたくさんの鳥の死骸を見つけたこともあったという。

 新婚旅行で訪れた沖縄では大半の時間を珍しい貝殻を探して過ごしたという。ジュンコさんは、彼はいつも博物館のことばかり考えている、と話す。

 熊谷さんいわく、「自分は博物館に育てられた」。

 熊谷さんは、陸前高田の子どもたちにも、少なくとも自分たちの街の歴史の豊かさを知って欲しいと話す。最近の子どもの中には処理されたものや、スーパーに並んだ魚しか見たことがない子もおり、自分たちの文化の起源とのかかわりが失われつつあると嘆く。

 だが、陸前高田市は、日本の他の多くの地域と同様、震災前から大きな負債を抱えており、ほかに満たすべきニーズが山積みのなかで、少なくとも震災以前の状態に博物館を復旧させることはそう簡単ではない。

 熊谷さんは、新しい市立博物館の建設には数億円かかると見積もる。だが、それでも博物館を何としても再開し、陸前高田の過去のメッセージを未来の世代へとつないでいく決意だ。

 海は我々に命を与えてくれるが、ときにそれを奪いもする、ということを多くの人が忘れている、と熊谷さんは話す。


一連の記録には、飢饉(ききん)に際して地元住民が草の根や木の繊維を食べることで、いかにして生き残ったかが記されている。そのほか、過去の火災や台風、洪水後の復興や出生率を高く維持するための妊婦に対する食料支援についても描かれている

記者: Gordon Fairclough

天皇制は危機管理の国家機関対談集「国家の実力」から

2011-07-29 08:30:58 | 読書
天皇制は危機管理の国家機関

 どこから改めるべきか。そのヒントを筆者は、佐々氏の天皇陛下のメッセージに関する次の発言に見る。

__________
 それにしても改めて、天皇制は危機管理の国家機関であると思いましたね。災害でみんなの心が沈んでダメージを受けているところへ必ず出かけられるでしょう。終戦の時もそうでした。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 終戦時、日本中が焼け野原になった時、昭和天皇が日本全国を巡幸されて国民を励まされた。我が国の奇跡的な復興はここから始まった。[a]

 幕末の黒船の危機においても、明治天皇を中心に、江戸幕府から明治新政府に一大転換を果たし、そこからアジアで最初の近代国家を築いていった。[b]

 なぜ天皇制が危機管理の国家機関になりうるのか。その理由は、天皇の役割りが、無私の御心で国民の安寧を祈られることだからだ。

 その御心を体して、政治家が政治を行えば、まずは国民を護ろうという志となり、それが治安・防衛・外交のそれぞれの分野の専門家により政策として展開されていく。

 特に国家的危機の場合は、国民それぞれが各自の利害を離れて、国家と国民を護るために、力を合わせていくことが必要だが、天皇が民の安寧をひたすらに祈られる姿を中心とすることで、国民それぞれの思いが一つにまとまりやすい。

 天皇は国民統合の象徴という憲法第一条の真の意義はここにある。そして、この国民統合は平時よりも危機の時にこそ、必要とされるものだ。

 国民一人ひとりが、互いを護るという志を持って、我が国の治安・防衛・外交を真剣に考え、それを託すに相応しい政治家を選ぶところから始めるべきだろう。

佐々淳行・渡部昇一対談『国家の実力』から

2011-07-28 09:05:40 | 読書
.「これが危機管理というものです」

 真の危機管理とは、どういうものか、佐々氏は内閣安全保障室長在任中に体験した大島三原山噴火の際の対応を例に語っている。

 昭和61(1986)年11月に大島の三原山が噴火し、溶岩が地元の町に迫った。全島民1万人、観光客3千人の生命が危機にさらされた。

 最初に、国土庁に19省庁を集めて災害対策会議が始まった。ところが、名称を「大島災害対策本部」とするか「三原山噴火対策本部」とするか、などと、どうでもいいようなことを議論している。

 これでは埒があかないと見た佐々氏は、即座に中曽根康弘総理に安全保障会議の設置を進言した。これは重大な危機の発生時に各省庁の動きを一元化して、取り組むための体制である。

 中曽根首相は「全責任を私が負うから、指揮しろ」と佐々氏に命じた。佐々氏はすぐに都知事の鈴木俊一氏に、海上自衛隊出動要請を促した。さらに島民を避難させるために、橋本龍太郎・運輸大臣の権限で、夏しか就航しないフェリーボートなども含め、約40隻を現地に向かわせた。

 国土庁の災害対策会議が終わった午後11時45分頃には、すでに島民に避難指示が出され、午前4時までには全島民1万人、観光客3千人が船に乗っていた。

 船団が東京の竹芝桟橋に向かっている間に、東京の公立学校やYMCAなどで宿泊所を確保し、毛布や握り飯の準備が進められていた。「これが危機管理というものです」と佐々氏は語る。

第四列目の男、管氏

2011-07-27 09:02:25 | 読書
『国家の実力 危機管理能力のない国は滅びる』[1]という本がベストセラーになっていると言う。佐々淳行氏が、渡部昇一氏を聞き役に「日本をこのままにしておいてはいけない」と、思いのたけを語った本だ。発売一週間で1万部を突破し、amazonのノンフィクション分野で1位となっている。

 早速読んでみたが、政治とは国民を護るためのものなのに、それが全くできない菅政権の本質が明らかにされており、佐々氏の公憤と憂国の思いが迫ってくる。

 それに拠ると、菅首相は、かつて学生運動の中心人物であり、大変なアジテーターだったという。演説を始めると500人ほどの学生が集まってきて、皆興奮し、闘争的な雰囲気になる。

 その菅氏を当時、警視庁に奉職していた佐々氏は3回も捕まえ損なったという。菅氏は学生を扇動するが、実際のデモ闘争では4列目にいて、前の3列までは警察に捕まるが、乱闘になった途端に菅氏はどこかにいなくなってしまう。ここから、佐々氏は菅氏を「第4列の男」と呼ぶ。
 逃げ足の速いアジテーターが、かつての価値観のまま、首相になってしまったらどうなるのか、その混乱と悲劇の様を我々は今、目にしている。

「陸奥のみち・街道をゆく」を読んでいて

2011-07-26 09:08:47 | 読書
「陸奥のみち・街道をゆく」を読んでいて思った。司馬遼太郎なら今度の東日本震災をどのように書くのだろうと。その本にこんな部分が有った。民俗学者・柳田國男は草鞋がけで明治四十年代に八戸あたりを歩いている。小子内浜で柳田は宿をとったと言う。彼の泊まった宿は彼に言わせると「世界一きたないホテル」だったそうだ。その宿は漁師がやっていて、女房が給仕をし、亭主が沖へ出て客のために魚を捕ってくるという宿だったそうだ。柳田がその次に小子内に来たときには、この懐かしいホテルは無かったそうだ。彼が、あの宿はどうしたのだと聞くと「津波で流れてしまった」と土地の人はこともなげに言ったと言う。
この本には津波についてはこれだけしか書いていないが、津波には昔から遭遇している土地柄で、何度、津波などに遭っても自然体でまた立ち直れると言うような雰囲気が伝わって来そうな件だった。

五稜郭の後に榎本武揚が要職に就けたわけ

2011-07-24 08:57:14 | 歴史
幕末、戊辰戦争の最後の戦いが五稜郭の戦いである。そこでの幕府側の五稜郭の
指揮官は榎本武揚であった。1869年5月18日五稜郭が陥落したとき彼は切腹しようと
したが止められて降伏した。彼はその後、2年間投獄されただけだった。
その後、榎本は北海道開拓使となり、1874年には海軍中将など五つの大臣職
を歴任している。
五稜郭の戦いのとき官軍の参謀だった黒田清隆が敵方だった榎本を高く評価
したことで彼は重く用いられる事になったのである。
ここで討ち死にした土方歳三なども死ななければどうしていただろう。

Caption Technology Opens Up World of YouTube Japan

2011-07-22 08:28:30 | パソコン
wsj日本版から@
YouTube Japan(ユーチューブ・ジャパン)は先週、自動キャプション機能の日本語対応を開始した。これは親会社のグーグルが日本市場に食い込むための作戦の一環だが、日本のビデオの海外へのアピールが増すかもしれない。同国のニュースが長らく孤立する要因となっていた言葉の壁が取り払われるためだ。


YouTube
日本語以外でこの機能があるのは英語だけだ。自動キャプション機能は2009年11月に初めて一部米ユーザーに提供され、10年3月に一般公開された。ユーチューブによると、自動キャプションはこれまで約4000万点の動画に対応している。

グーグルの音声認識技術を利用したソフトウェアがわずか数分で自動的にキャプションを生成するため、ビデオ制作者の手間が省ける。ビデオのオーナーは、テキストをダウンロード・編集した上で新たなバージョンをアップロードすることが可能だ。

聴覚障害者のビデオ閲覧を改善するための日本語キャプションは、高齢化への対応でも有用かもしれない。テレビ朝日は、自社ビデオに自動キャプション機能をつける計画を明らかにしている。

また、自動キャプションによりさまざまな言語に翻訳されるビデオが増える道が開かれた。自動翻訳機能と合わせれば、日本語キャプションを50以上の言語に翻訳することができる。最近の現象でその必要性が浮き彫りになった。世界は東日本大震災に関する情報を求めたが、日本語以外の情報が不足していたことから、原発危機に対する懸念が増幅したのだ。

ただ、自動キャプション機能や翻訳は完ぺきではない。グーグルの音声認識技術は文脈を考慮して言葉を選ぶが、たとえば猛暑に関するニュースでは、気温を示す「度」が「戸」になっていた。

それでも、自動キャプション生成や翻訳の技術により、より多くの人がユーチューブの動画を理解できるようになりそうだ。

Mum's stress is passed to baby in the womb

2011-07-21 09:50:42 | 暮らしの中で
一ヶ月ほど前、娘に帝王切開で子供が生まれた。体重が2500gしかなく
心配だったが、こんな記事を読むと更に心配になる。
Mum's stress is passed to baby in the womb

A mother's stress can spread to her baby in the womb and may cause
a lasting effect, German researchers propose.
ママのストレス、子宮内で赤ちゃんに伝わる

母親のストレスが子宮内で赤ちゃんに広がり、持続的な効果をもたらす
可能性がある、とドイツの研究者が示した。

妊娠中の夫婦喧嘩を胎児は聞いていて、言葉が話せるようになって
その子供に聞いてみると、その喧嘩の事を覚えていると言う話も
聞いた事がある。