読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

現代中国インドシナ関係小史2

2012-11-23 09:20:56 | 歴史

●北ベトナムに中国軍!

 この『北爆期』に、北ベトナムには、外国である中国の軍隊が駐留していた。

 これらの中国軍は、防空部隊として、対空ミサイル、高射砲により、アメ
リカ軍機を迎え撃っていた。

 中国軍の将兵は、北ベトナム正規軍の軍服を着用していた。

 北ベトナム国民や外国人の目から、中国軍の存在を隠すためであった。

 戦時下の北ベトナムに負担をかけないため、そして中国軍将兵と北ベトナ
ム国民を接触させないため、必要物資は、すべて中国から送っていた。


戦場でない後方の防空戦闘でも、死傷者も出ていたはずである。

 しかし、『戦死者』の記録には、『北ベトナムで戦死』の文字はないであろう。

数は少ないながら、中国もベトナム戦争では、犠牲をだしている。


●戦い終わって、新たな戦い

 ベトナム戦争が終わり、共通の敵がなくなると、かつての盟友同士が争い
を始めた。

 最初は、ベトナムとカンボジアである。

 両国の仲の悪さは、数百年の歴史が示している。

 そのカンボジアの背後には、中国が存在する。

 ベトナムはそれに対抗するため、ソ連に接近した。

 インドシナ半島では、ベトナムとカンボジアによる、ソ連と中国の代理戦
争がやがて始まる。

 統一されたベトナム国内では、経済の実権を握っている、中国系国民の迫
害が始まり、多くの難民が発生した。


1978年12月、ベトナムは、反ベトナム政策のポルポト政権を打倒す
るため、カンボジアへ侵攻した。

 翌1979年1月、親ベトナムのヘン・サムリン政権が、プノンペンに成
立した。

 ポルポト政権は、タイ国境に移転し、ベトナム軍との戦闘を続けた。

 カンボジア国民の苦難は、終らなかったのである。

 この状況を見た中国は、『ベトナムに教訓を与える』を名目にした『ベト
ナム懲罰』の軍事行動を起こした。

  いわゆる『中越戦争』です。

 当時、ベトナム軍の精鋭部隊はカンボジアに向けられており、中国との国
境には、ニ級の正規軍と地方軍だけが駐留していた。

 ところが、中国軍は、それらのベトナム軍の抵抗のため、甚大な損害をだ
して、作戦を終了していた。

 この教訓が、以後の中国の『四つの現代化』政策の中の『軍の現代化』に
つながるのである。


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